物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

その反応は?

2011-04-30 12:51:25 | 日記・エッセイ・コラム

人が3人集まれば、東日本大震災の話である。

これは妻が聞いてきた話だが、あるところに女性が何人か集まった。そのとき東北では2週間以上も風呂に入れない被災者がいると聞いて、もし私の家に来れば、風呂に直ぐにでも入れてあげるのにというのが大方の反応であった。ところが、ある方は「2週間も風呂に入らないとは汚い」と言われた。それを聞いた私の妻の友人はとても憤慨してその話を妻にしてくれたらしい。

妻の友人の憤慨は普通の反応であろう。だが、それに対して妻はその友人をなだめて言ったという。「多分汚いといった方はとても今までとても幸せな方であって、困られたこともない方なのでしょう」と。

それで妻の友人が納得したかどうかはわからない。だが、想像以上に過酷な状況にいる人々のことを想像したり、思いやれるためには自分自身がそれまでにとてもつらい状況に置かれたことがあることが、私たちには必要なのである。

そういう言い方は尊大かもしれないが、私の妻も私もつらい状況を経験してきている。それでその結果として人の困難な状況を少しは思いやることができるようになった。だが、私たちがそのような経験をしていなかったなら、なかなか他人を思いやるとかまた他人の気持ちを忖度できるようなことはまったくできなかったろう。

だから、「汚いといった」方に対する反応には普通の人には「けしからん」と思うかもしれないが、そういう困難な状況に陥ったことのないとても幸せな方の発言だと理解できれば、ある意味ではその方の今までの幸せさにも思いがいく。しかし、そういうことまで理解の深みをもつことは凡人の私たちには難しい。


なぜ関心を引かない?

2011-04-29 16:38:53 | 物理学

「気体と液体の違い」というブログは結構アクセス数があって私のブログの中でもアクセスの多い方であろう。短期間にはそんなにアクセスがないが、長期間にわたってアクセスが定常的にある。

私がもっとアクセス数があってもいいのになと思っている、もう一つのブログ「ガンマ線とX線の違い」の方はアクセス数が伸びない。

後者の方は、実は私のところの技官だったKさんの疑問であり、それをKさん自身がようやく分かったといっておられたので、彼に教えられて私もそれでようやく気がついたことであった。

それを実際に私が知らなかったことかといえば、本当は知っていたことではあるが、認識はしていなかった。

だから、

「ガンマ線とX線の違いは波長または振動数の大きさの違いの問題である」

とだけ捉えたのでは十分ではない。ところがこの違いの方のブログはあまりアクセス数が増えない。どうしてなのだろうか。そこらあたりに世間一般のガンマ線とX線の理解の程度に関係がありそうな気がする。

現在では福島原発事故が起きたので、世間一般の放射能や放射線に対する関心はきわめて大きいはずなのに。

4月のはじめにあった、松山に住む私の出た高校の同窓会でみんないっぱしの津波や地震通になっており、その話に花が咲いたが、原発事故の方はあまり誰も積極的にはしなかった。

その事故がまだ十分知られていなかったと言うこともあるが、映像で目に見えるようにはなかなか原発事故はならないということもあるのだろう。

そこで、

「ガンマ線とX線の根本的な違いは何か」

というと、

「ガンマ線は原子核から発生し、X線は原子から発生する」

という発生機構が違うことが根本的な違いである。この両者の違いがどこにあるかに疑問をもった、Kさんは頭のいい人であった。


嬉しい悲鳴

2011-04-29 13:20:59 | 数学

嬉しい悲鳴を上げている。これは私と数学者のNさんとの共同編集の「数学・物理通信」の原稿が集まることである。第7号の原稿はNさんの原稿が15ページほどであるのに加えて、中西先生の原稿と私の原稿で約28ページくらいになるとして編集をはじめていたのだが、さらに仙台在住のTさんからの投稿があった。

Tさんは今回の東日本震災の被害者の一人だが、それにもかかわらずの投稿であるので、彼の気持ちを無にしたくないという気もある。

一応、あわててTさんに事情を説明したメールを送ったが、多分7号と8号とを6月初旬の発行ということで処置をした方がいいのではないかと考えている。もっともこれは共同編集人のNさんの了解が必要である。

いままでは、原稿のページ数を30ページ以下に保つために私自身の原稿を後回しにするという措置をとってきたが、自分の原稿はともかくとして他の方の原稿はできるだけ積み残しにしたくない。そういう気持ちがある。どうしてそう思うのかは自分でもわからないが、そう思うのである。

いつ原稿がない状態が来るかもわからないので、積み残しのある方がいいのではないかという気もしないではないが、たぶんそのとき、そのときでできるだけ積み残しはしないという方針を取りたいという私の勝手な気持ちがある。

原稿はこうやってみると常に集まるだろうという気がしている。それにどうしようもなければ、自分のもっている原稿を放出すればいいとも思う。さらにすでにどこかに発表をしたエッセイだが、あまりたくさんの人の目に触れる機会がないエッセイの再録もできる。

これは、ブログのネタでも、ブログを書きはじめた頃はタネ切れを心配していたが、どうもそういうことはないという気がするようになった。それが場合によっては一日に3つもブログのテーマとして書くことがある理由である。実際に確かにパソコンの前に座って何を書こうかなと考えるときがない訳ではないが、なんとかなっている。

だから、日曜を除くほとんど毎日なんとかブログを書いている。それで話題がマンネリになっているかもしれないが、もしそうだとしても読む人がときどきこのブログを訪ればいいだけの話である。

しかし、これはブログのネタの話であって、収入が年金だけの私には「金は天下の回りもの」という気にはなれないのは、まだ中途半端かもしれない。


「sin xの級数展開」の修正

2011-04-28 12:37:23 | 数学

昨日から「sin xの級数展開」の原稿を修正している。もうまったく修正の必要などないと思っていた。この原稿は1月に書き上げていたものだ。

ところが、数学・物理通信に投稿するので、以前に書いた原稿を取り出してきて、読み返している。ところがいくつもの改善点を思いつき、修正をした。

それでもまた、今朝読み返したら、書いたときには知っていたことをある意味で忘れてしまったので、新しく書き加えた方がいいところに気がついた。

その修正の挿入をすると文章が長くなるので、どこか不要のところを削除したい。そう思って読み直すと自分の書いた文章がどうも冗長のようである。それで、そこを書き換えることにした。

先日、ブログ「縦横無尽の文章レッスン」で、書いた文章をある期間寝かせておくということを勧めた。それは書いたときと時間が経つと以前の自分は他人と同様になるからである。

このことはコンピュータのプログラムで自分が書いたプログラムだのに、何年かしてそのプログラムを見てもどういうことだったかわからないということを誰でも経験する。

そういうことが今回の原稿でも起こっている。

(2011.5.10付記)  数学・物理通信第1巻7号にこの「sin xの級数展開」を発表する予定である。6月初旬には公表されるので、関心をお持ちの方々は6月15日以降に数学・物理通信を検索してください。


私のフランス語修業13

2011-04-27 15:00:14 | 外国語

今日のNHKの「まいにちフランス語」講座でCa depend des cours.(それは授業による)というのが出ていた。

ホームステイをしている外国人学生がその家庭のお母さんに「授業はおもしろい?」(Vos cours sont  inter'essants ?)と聞かれて、この外国人学生がBen, ca depend des cours.(それは授業によりますね)と答えるところに出てきたものである。

私にはこのcours(授業)という語とCa depend(サ デパン(pan))という言い方に思い出がある。

(caの下にセディーュというしっぽみたいな記号をフランス語ではつけるのだが、そういう記号をつけられないのでこのまま失礼をする。また、カタカナ書きしたときにローマ字で表すとpanがbanとこの画面で表記されてしまうことに注意)。

cours の方はすでに書いたかもしれないが、これはcoursとsがついているが、このsは発音しないのでカタカナで音を表すとクールとなる。

それでいつだったかE大学に勤めていた頃だが、フランス人の先生と大学近くの喫茶店で昼食時に出会ったときフランス語のカタコトで話をしていて、講義の意味でcoursをクルスと発音したら、クールと訂正された。

これはフランス語の語尾の子音を発音しないという鉄則がまだ身についていなかったからだが、ドイツ語の方ではKursをクルスとsを発音するからである。

(フランス語の単語の語尾の子音は発音しないというのは原則であるが、発音をする子音もある。これはcarefulという語の中にあるc, r, f, l の4つの子音は語尾にあっても発音するといわれている)。

それだけではない。よく似たつづりでcourseだとクルスと発音してこれは買い物の意味だが、フランス人の先生はもちろん買い物のことではないということが、わかっているのでクールと訂正をしてくれたのだろう。

ちなみにfaire des course(フェール デ クルス)とは買い物をするという意味になる。

このフランス人の先生は名前を忘れてしまったが、マセさんといったろうか。彼はそのころ愛媛新聞のコラム「四季録」に週に一回、半年ほど書いて居られたが、その日本語がきれいで、私たち日本人でもこんなに立派な日本語は書けないと思わさせるほどの立派な文章であった。

彼の奥様は日本人だということであったが、家庭では日本語とフランス語のどちらを使われているのですかと尋ねたことがあったが、一日おきにフランス語と日本語とを話しているということだった。

このあたりはやはり日本人の女性と結婚している、ドイツ人のR氏が家ではいつも日本語を使っているのとは違う。そういう意味では自由にドイツ語で話することができる、私たちのクラスはR氏にはある意味ではオアシスのようでもあるのではないか。

ところで、もう一方のCa dependの方だが、私が大学の3年のときだが、在学していた大学のフランス語科に修士課程(博士課程だったかも)を作ろうというので、関係者の努力でフランス大使館とかフランス人のフランス語の先生等が、土曜日の午後に広島までやって来て、会話の教室を開いていた。

(私はフランス語科とは直接には関係がない。私の出身は理学部である)。

そしてその場にまだフランス語の初級文法も終わっていない私も出席していたのである。話す言語としての外国語に生まれて初めに触れたのは、私にはフランス語であった。

その折に少し上級生の学生がフランス人の講師の質問に答えて使った言い回しに、Ca dependがあった。確かに質問をされたときに、ouiとかnonとかsiで答えられないときがやはりある。

そのときにそれは場合によりますね、と答えることも可能だとそのときはじめて知ったのである。このCa dependという言い方はそれ以来、何回となく今までにNHKのラジオ講座で聞いてきた。

だが、それが自分の身についているかというとそれはとても怪しい。私のフランス語の程度はまだそういう段階である。

(2011.10.21付記) そんな心がけでは外国語をものにできないはずだという声が聞こえるようだが、これは趣味としてやっているからで、もし生活がかかっていれば、こんなことはなかったに違いない。


数学・物理通信第7号の準備

2011-04-27 11:30:26 | 数学

数学・物理通信も投稿原稿がそろった。それで昨日から準備をはじめた。6月初旬の発行予定なので、まだ少し早い気もするが、原稿を読んだり、また自分の投稿原稿の修正をしたりするから、そんなに時間の余裕があるわけではない。

今回は共同編集者の N さんと旧知の I さんの共著の数学論文(15ページ)の投稿があったので、ページ数が結構多い。それにもう常連となった中西先生の投稿もあった。

私の知人・友人からは中西先生が続けて投稿くださっているおかげで、数学・物理通信の評価が高い。それと続けて発行していることに対しても評価がされている。

中西先生の友人・知人からの方の反応は数人の方を除いてあまりないが、それでも発行を続けているとそのうちに反応があるであろう。そういえば、友人のEさんも以前の何号かが欠けているとの連絡をもらった。確かに送ったのだが、大学の方のシステムの変更とがあったので、届かなかったのであろう。

なんでも、継続してやるということはそんなに簡単なことではない。

数学・物理通信を自分のサイトに載せて下さっている、谷村さんが京都大学から名古屋大学に転勤されたが、続けて彼のサイトにリンクされて載せられている。谷村さんのご尽力にいつも感謝している。

徳島科学史雑誌を20年以上にわたって、発行されている徳島県の西條先生からはこういう印刷しない形のサーキュラーの発行もあるのですねとの感想を頂いている。


放射能汚染と生物濃縮

2011-04-26 12:02:35 | 科学・技術

PCBでも放射能でも自然界に拡散してその濃度が薄まって行くというのが、普通には熱力学第2法則のエントロピー増大の法則による理解である。

ところが実際にはこのエントロピー増大の法則に一見したがわないような現象が起こる。それが生物濃縮といわれる現象である。

これはビキニ岩礁で水爆実験をアメリカが行った後で、高放射能に汚染されたマグロを獲った漁船が静岡の焼津に帰って来た。

このマグロはもちろん放射能に高度に汚染されていたために地下深く掘られた穴に廃棄されたが、このことから放射能の生物濃縮という現象が起こるということが知られるようになった。

もちろん、熱力学の第2法則が破れている訳ではなく、破れているように見えるのは対象を限って見たための見掛けにしかすぎない。

しかし、外界に放射能汚染をした物質を放出したときにそれが希釈されて薄まるので害がないという説はためにする議論でしかないと思う。特に魚や野菜等の生物にはこういう生物濃縮という作用が起こるからである。

もちろん、この現象を逆に使う可能性はある。それはある一時期、そういう魚を獲り、野菜を育ててそれを食べないで廃棄することによって、自然界に広がっている放射能を少しでも少なくするという考えはあり得る。

もっともそれですべての放射能が取り去れるという考えは浅はかだろうから、単にほんの気持ちだけの除去にしかすぎないのだろう。だが、放射能除去の助けに、そういう考えを使うというアイディアはここにある。 

(2011.5.9付記) そういえば、福島の小学校とか中学校のグランドに「ひまわり」を植えてそのひまわりに放射能を濃縮させ、それで土壌の放射能汚染を減らすという方法をとったらどうかという記事を新聞で見た。私と同じようなことを考えている専門家がいるということであろう。しかし、これは時間がかかるのが難点である。


岡本太郎と武谷三男

2011-04-25 12:01:44 | 日記・エッセイ・コラム

昨日テレビを昼間に見ていたら、岡本太郎をとり上げた番組があった。そのとき太郎は1911年の生まれであることに気がついた。その同年の生まれに武谷三男がいる。

もっともこの二人の交点はないと思うが、それはともかくも1911年の生まれであることは変わらない。ということは彼らは生誕百年を迎えたということである。

岡本太郎はNHKのテレビで取り上げられたが、武谷三男は忘れ去られようとしている。実に原発とか巨大プラントとかの「フェイルセイフの神話の崩壊」((株)技術と人間,1989)という本を出していたのだが、現在の福島原発の大事故から考えるとその警告の正しさはいうまでもない。

この本が出た頃にはこの本は誇大な恐怖を煽る本とも思えたが、現在それを読み返してみるとむしろ警告の強さが足らないような気がするのであるから、人間というものは勝手なものである。

昨年の秋には今年は武谷三男の生誕百年だから、彼の著作集に収録されなかったエッセイを集めた本を出版したらどうかと思っていたのだが、そういうことを忘れてしまっていた。武谷の業績や著作目録を作っている身としては申し訳ないという思いが強い。

これからでもそういうことにとりかかってみたい。

これは武谷の親友であった、坂田昌一も1911年の生まれであるはずだから、同じことがいえるのである。


「武士の家計簿」を見る

2011-04-23 13:55:00 | 映画

映画「武士の家計簿」を昨日見た。加賀金沢百万石の前田家はさすがに大藩だけのことはあって、そろばんのよくできる算用者を150人抱えていたと聞くとさすがに大きな藩だなと思う。

その算用者の中の一つの家系の猪山家の7代目直之は剣術はからっきし駄目だが、そろばん達者で藩を支えるようになる。それも上役の殿様からの放出米200俵を上役が50俵ピンはねしていたのをそのピンはねを認めないという律儀さからである。

もちろん下っ端家臣だから、その上役に疎まれて能登半島に出向になろうとしていた。ところが査察が入ってそのピンはねは暴露されて、その調べを地道にしていた直之は取り立てられる。

この直之は融通が効かぬといえばそうであるが、どうもきちんとするしないと気になるという気質かららしい。

そして自分の家の家計が火の車だとなると、父、母、祖母に秘蔵の宝も出させてそれを売り払って借金を返そうとするが、それでも半分くらいしか返済できない。それで弁当とかその他の緊縮財政をとる。10歳にも行かない(?)息子に家の買物の支払いをまかせ、家計簿をつけさせる。そして5文かなにかの赤字を自分でなんとかしなさいという。

また、犀川で拾ったお金で我が家の赤字を補填したという息子にそれを犀川の河原に戻しに行きなさいと命令する。小さい子どもだのにである。

その後、子どもの成之は討幕軍に加わり、大村益次郎とともに暗殺されたと思われたが、それは人違いで生き残り、政府の要人となる。

実際に大村益次郎から高い評価を得て、討幕軍の勘定方に抜擢された。ここらあたりはよくはわからなかったが、大村益次郎(村田蔵六)は元医者で日本陸軍の創設の立役者の一人といわれているが、昔見た大河ドラマ「花神」ではシーボルトから医術を習い、若いときは宇和島の伊達藩に仕えていたと記憶する。

だから、大村はやはり普通の武士とはものの見方が違っていたので、算用者である、成之を評価できたのだろう。彼は砲術を蘭書で学んだとも言われる。砲術とは穏やかではないが、もしそうなら、村田蔵六は放物体の運動の力学等も学んだのであろうか。

この映画は金沢の古文書を読み解いた方の本を下敷きにしているらしい。そういう作業をした磯田道史さんとかいう方はなかなか目のつけ所がいい。


液化炭酸ガスは?

2011-04-22 12:04:00 | 物理学

「液化炭酸ガスは?」とは変な題だが、仕事場にくる途中に私の前を走っていたトラックに液化炭酸ガスのボンベが2本積んであった。それで一瞬考えたのだ。

液化窒素なら冷却材だろうし、液化酸素もその利用法はあるであろう。だが、液化炭酸ガスの利用法はあるのだろうか。

思い当たったのは気体の炭酸ガスから、ドライアイス(固体の炭酸ガスCO_{2})にする前に一度、液化炭酸ガスを経由するのかもしれないということであった。

ドライアイスは液化窒素ほどの低温は得ることができないが、固体から気体に昇華するので、やはり都合のいい冷却材となる。

ドライアイスは食品の冷却に使われている。ときどき生協が届けてくれる、有機農産物の中にドライアイスで冷却された食品に出会う。水をかけると煙が出てくる。これはときどきテレビの歌謡ショウかなんかできりを発生させるのに使われたりする。

私のように近親者を亡くした者なら、知っているのだが、亡くなった人の遺体の下にドライアイスが入れられて遺体が傷むのを(特に夏など)を防ぐという役をする。このときにドライアイスは昇華するので、氷のように液体の水ができたりしないので湿ったりはしない。

ドライアイスをつくっている会社があるのであろうが、どこにそういう会社が身近にあるかは知っていない。大学へ入った初めの夏だったかに、製氷工場でアルバイトをしたことがあり、氷は自分でつくったことがあるが、ドライアイスの方は知らない。

物理の先生は「相変化」というのは物理で重要な現象であることを知っており、それを授業では強調して話をされていると思う。その相変化の中で固体から気体へと液体を経由しないで相変化をする固体の一つがドライアイスであった。


何度目かの検診

2011-04-21 17:08:16 | 健康・病気

4度目かの肺の検診に四国がんセンターに行った。それで「ようやく今見えている影は初期の肺がんではないでしょう」との判定が下って、定期的な検診で何かあったら、また来てくださいと言われた。

そのときに思いが及ばなかったのだが、同じことを定期検診のときに言われてまた、がんセンターに後戻りとなりそうである。

もともと分解能の悪いCTスキャンで肺に影が見えたというので、がんセンターに精密検診に出かけたのである。そして帰って行く定期健診をする病院は多分にその分解能の悪いCT装置をもっている病院なのである。

そうすると定期健診の医師はCTスキャンの結果が怪しいとして、また精密検診に行けというだろう。それだとどうしても分解能のいい装置をもつ病院として、がんセンターへ行くだろう。そしてまた何度か検診を半年に一度の頻度で受けることになろう。

私の母が肺がんで亡くなっており、それがまたあるときに肺に影を見つけたのだが、何回かの検診で大きさが変らなかったので、もう大丈夫と思って検診に行かなかった間に病状が進行していたという事情があるために、私としては同じ過ちは繰り返したくない。

そういういきさつがあったので、がんセンターに言われた通りの間隔で定期健診に4度ほど通ったのである。最後の診察のときにその事情をいえば医師もそうかと思われたのであろうが、私もそのことには思いが及ばなかった。

がんセンターの医師としてはどうも無用な検査をさせている思われるとのおそれをもったのであろう。事情というのは難しいものである。


変えることの難しさ

2011-04-20 13:01:42 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、妻が録音のコーラスの音楽を聞いていた。これは7月6日にグループ「東雲コーラス」の60周年記念コンサートに備えての歌の復習のためである。ところが、それが時々は違った曲を歌っているのであろうが、どうも調子が同じようである。

それで、妻と話をした。どうも違った曲も同じような調子だねと。そうしたら、グループを指導している先生方の間でもそういう意見があるのだという。

ところが、歌の曲の選曲をする指導者の好みがどうしても出てくるのはしかたがない。そうすると、その方の好みが物悲しいメロディーの曲が仮に好きだとするとそういう選曲になってしまう。

それでか調子を変える必要を感じたのかどうかは知らないが、Aux Champs-Elyls'ees(オーシャンゼリゼー)が入っていた。それをフランス語と日本語のちゃんぽんで歌っている。それで、少し歌の感じ方が違ってくる。しかし、それにしてもなかなか全体の感じががらっと変っているかというとなかなかそうは言い難い。

この調子を変えるという点については、一寸した経験がある。義父が生前に彼の油絵の作品集を出版したことがある。たまたまこの担当だった印刷会社の方は私たちが彼の小さいときから知っていた、知り合いであった。

その彼は暗い色の絵の次にはできるだけ明るい色の絵を配置するようにとのアドバイスをくれた。これは同じような調子の絵が続くと重たい感じになるからだという。そしてそのアドバイスでいい画集ができたと思っていまでもこの担当だった、K君に感謝している。

ところで、これまでは他の人の話であるが、こういう話はすぐに自分のことにはね返ってくる。このブログは私がひとりでほぼ毎日書いているからである。どうしてもある個人の考えることは限りがあるから、その感性や思考は同じ色調になってくる。

それで、このブログの読者がいたとしていつも同じ調子で退屈(langweilig、ドイツ語)となってくるのは避けがたい。これをどのように回避するか。その方法など思いつくことなどできない。

そういうものである。そういえば、人間には二種類の人がいる。アイディア豊富で、学者であれば、論文数も多い方である。これは昔Boltzmannという学者の論文集が出ているのを見たことがあるが、その論文数はかなりの数であった。もちろんBoltzmannは歴史上に名が残るような大学者なのだから、当然とも言えるがそれにしても多作である。

一方、岡潔という数学者がおられて、彼は1930年代から、40年代にかけて、複素多変数関数論の三大難題を一人で解いてしまったという、大数学者である。だが、彼は論文数というだけだと12,3編くらいではなかろうか。だが、彼の論文は当時の同じ分野の優れた数学者が驚嘆したほどの偉大なものであったらしい。

だから本当にいい論文が書けるのなら、論文数など問題ではないのだ。しかし、Heisenbergなどはどうあっても一年に一編は論文を書くのだと言われており、その論文集は2冊本だったと記憶する。それくらい多作なのである。

しかし、これは論文数がどうだったかは知らないが、L. de Broglieの言葉だと

On n'a jamais qu'une seule grande id'ee dans sa vie. (オンナジャメ キューヌスールグランディデ ダンサヴィー)

といういい方もある。人には偉大なアイディアなどもてるのは人生に一つくらいものだという。しかし、こういうことを言えるL. de Broglieはすばらしい。


なおし魔

2011-04-19 12:02:35 | 日記・エッセイ・コラム

私は「なおし魔」である。だからこのブログでも誰かからアクセスされたブログを見て、再度自分で読んで、変な表現を自分でしていたと思ったら、どしどし文章を直している。

そういう意味では記録などおかまいなしである。もっとも後の時点での訂正とか付記であることをはっきりさせるために(何年何月何日付記)と書いていることもあるが、そういう付記をしないことも多い。

そういう文書の訂正をした人として私と比べるととてもおこがましいが、二人のとても有名な人がいる。一人は有名な中国の革命家、毛沢東で彼は自分の書いた文書を彼の毛沢東選集か何かに収録するときに大きくは変えなかったかもしれないが、細かな修正をしたといわれる。だから、ある意味では歴史的な記録としては具合が悪いところがあるかもしれない。

もう一人の方は日本人の物理学者である、朝永振一郎博士である。彼はみすず書房から出版した彼の論文集で、全部自分の書いた論文を修正をしたといわれる。そしてその論文の受理の年月日も消してしまった。このことは私は知らなかったのだが、筑波大学名誉教授の亀淵さんがどこかで書いておられた。それで朝永先生の完璧主義は貫徹をしたのだろうが、歴史的文献としての意義が失われたと書かれていた。

そういった優れた人と比べるのはおこがましいのであるが、私のブログではどうもおかしな表現をしたり、また書き損じをしたり、言葉が足りなかったりとかいろいろミスが多い。

それでそれとは明示をせずに修正をしたりしている。特に読んでくださる方を間違ったところへと導いてはまずいので自分で気がついたまずいところはいつでも直すことにしている。

それで、よく問題にされるのが武谷三男の文章で彼は戦後「広島に原爆が落とされて、日本の軍国主義の野蛮が吹き飛ばされた」(ここでの引用表現は正確ではないことを了解してください)というようなことを書いている。そしてそのことを修正はしないで彼の著作集にそのまま収録されている。

それは彼のある種の律儀さや率直さを示しているのだが、これが他の学者や評論家から原爆の悲惨さを指摘しなかったという意味で、非難の的になったりしていることである。

修正をしても、またはしなくても論争の的になったり、されたりする。私はここに挙げたような有名な人物ではないし、大したことをブログで述べているわけではないので、論争に巻き込まれることもないだろうが。


縦横無尽の文章レッスン

2011-04-18 14:45:59 | 本と雑誌

昨日(2011.4,17)の朝日新聞の書評欄に村田喜代子著「縦横無尽の文章レッスン」(朝日新聞出版)という本の書評があった。しかし、こういう種類の本を私は読んだことがあまりない。

世にはこういう種類の本は結構あるにもかかわらず。いつだったかも、このブログで文章の書き方の本について書いたが、それだってそれを実際に読むことはなかった。

これは、これらの本が無力だということではなくて、単に私があまり読書家でないためである。

この書評で甲南大学の田中貴子先生の書いておられることは結局いい文章の典型を読むことに尽きる。

また、先生の言うことにしたがうのではなく、むしろ「先生の仕事を見て学べ」とある。それに付け加えて言うならば、要するに実際に文章を書くという実践をすることだと思う。

世には文章を書くことを極度に嫌う人があるが、それは人がほめてくれるような文章が書けないから嫌だということではないか。

しかし、誰でもはじめから、わかりやすい文章が書けたりはしない。そういう状態からどうやって抜けるか。私の考えはつぎのようである。

1.文章を書くことが嫌でも、機会がある人は進んで書く。必ず時間が経てば、人に理解してもらえる文章が書けるようになる。

2.文章を書く必要があるときにはできるだけ早めに取り掛かる。どんなにつたないものであっても自分で文章を書いておく。

3.誰かに書いた文章を見てもらえる機会があれば、添削をしてもらう。

4.時間をおいて自分の文章を見る機会をもち、言い回しをわかりやすいものに変える、すなわち推敲をする。

5.文章を書けない人はこういう努力をするという気持ちがないらしい。だが、その気になって努力するれば、誰でもできる。サッカーでもピアノでも練習しないで上手にできる人はいない。

もちろん、人間はそれぞれの持ち味があって、文章が書けなくても話の上手な方も居られるし、行動力では誰にも負けないという方も居られるに違いない。

だが、そういう人でも文章も書けて悪いことはない。それも自分の努力しだいであろう。


今年の春は雨が少ない

2011-04-18 13:35:21 | 日記・エッセイ・コラム

妻が近ごろ独り言みたいに呟いている。「今年の春は雨が少ない」と。普通は春には雨が多い。

これはもう50年以上も昔のことだが、私が大学に入学した年も4月に雨がよく降った。そのときに講義を聞いた、地学の鈴木教授がこういう雨を菜種梅雨と言うのだといっておられた。

その言葉と教室の外に降り続いていた、春雨を思い出す。ただ、その雨はかなり激しいもので「春雨だ、ぬれて行こう」というようなロマンチックなものではなかった。

鈴木教授はそのときに教養部長をされていたが、そのころお勧めの3教科3単位づつだったかのお決まりの単位修得法にご不満だったのか、そういう標準的な単位の取得法から外れてもいいのだと講義の中で語気強く、言っておられた。

その頃に確かに郊外では菜種の花が咲いており、入学はしたものの陰鬱な雨模様の天気で心が晴れ晴れとは行かなかった。それでも高校から大学に入れたということで少しは勉学に励もうと思ったのだろうか。

そういえば、現在、日ごろの通い慣れた通りの街路樹が雨が少ないせいか木の緑がなかなか噴き出してこない。

それでも今日は朝方に一度雨が降ってその後一度雨が上がったので、またあまり雨が期待できないと覚悟していたら、いままた雨が降っている。これで、街路樹の木々の葉が出てきて欲しい。

昨日は先週に引き続いて、丈が淵公園に湧水を汲みに行った。

今回も駐車待ちの車がはじめは一杯であって、すぐには駐車スペースをみつけられなかった。それでも駐車スペースの回転が早く、私が水を汲んでいる間に、妻がなんとか車を駐車スペースに入れて、水汲み場にやってきた。

二人でペットボトル4本ずつもって車まで帰り、その後、少しだけ東温市の方へと愛媛大学医学部の近くまでドライブをしてからUターンして帰宅した。

丈が淵公園ははきれいに整備されているし、駐車スペースもかなりあるので、いつも市民が子ども連れ等でかなり来ている。

この駐車場に車を駐車している人がみんな湧水を汲みに来ているわけではない。多くの方が公園を散策または休みに来ている。昨日にはまだ公園には桜の花がいくらか残っていた。