物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

国会周辺には

2015-08-31 10:39:19 | 日記
昨日の日曜日、国会周辺には大勢の人が安保法制反対のデモに集まった。どこかの政党が動員をかけないんでも相当数の人が若い人を中心にしてデモに出かけてくるということは国民の安保法制に対する反対はとても大きいということである。新聞の写真を見る限り、道路に人が詰まっている。こんな写真は久しく見たことがなかった。

これは私のような老人にとっては1960年の日米安保条約の改定の時以来の大規模なデモだと思う。安倍首相はそれでも虚勢を張って大事ないという態度だが、やはり内心はかなり神経にこたえているだろう。

これは自覚症状としてはわからないことだが、体の内臓にその答えが出てくると思う。それくらい大変なことをしているという自覚がまたなくてはならないだろう。

確信犯だからどうしようもないが、国のいくえを誤ることはなはだしい。ドイツ語のクラスのK夫人などは安倍首相の政治姿勢とか、経歴を大学の卒業研究で調べたとかで、彼は頭がちょっと足らないという評価である。

しかし、自分のコンプレックスを跳ね返したいとでも思っているせいかどうか今回のような行動に走っていると見ている。そんなことは私にはわからないが、困った政治家であることだけは確かである。


安倍首相が手本にしているのは母方の祖父の岸信介氏であることはまちがいがないらしい。


暑さはまだ厳しいが、・・・

2015-08-29 12:20:20 | 日記
暑さはまだ厳しいが、それでも湿度は少しずつ下がっているような気がする。東京では北の空気が入って来て最高温度でも28度の日が数日続いたいう。

それでかどうか知らないが、今日の朝日新聞の天声人語では秋の到来を告げている。今年は秋の来るのが早いかもしれいない。

この天声人語によれば、ここ数年は夏の暑さが厳しくて秋が短い感じがしていたという。私の住んでいる松山などでは12月は冬というよりはまだ晩秋の感じである。街路樹のメタセコイヤやイチョウが色づくのは12月である。もちろん11月にすでに色づいてはいるのだが、秋本番という感じがするのは12月のはじめである。

これはいつかもこのブログに書いたことがあるが、ドイツでは秋は早く10月末にはもう秋が終わるという感じである。

モーゼル河沿いのちょっと奥にある、ブルグエルツを訪れたときには、森の中の黄色や赤の落葉を踏みしめて行ったが、神々しくて小人やお姫様が現れても不思議ではない気がした。そういう落葉を踏みしめながら一歩一歩を歩んでいくと神様がお空のどこかから見ていらっしゃるという感じがしてくる。

何時の夏の終りだったか、「小さい秋見つけた」という歌をここで引用したことがあった。要するにまだ暑いが湿度が下がって来て、そろそろ風も涼しくなって来ているというのであろう。

さて、今年は本当に秋の来るのが早いのかどうか。

ブログに帰って来た

2015-08-28 16:19:52 | 日記
いつからブログを書けなかったのだろう。ウインドウズ10にアップデートしたら、インターネットが使えなくなった。

それでここ数日メールもブログも書けなかった。イライラしても仕方がないので、イライラはしなかったが、それでもなんだか手足をもがれた感じであった。

今日、漸くある程度復帰したが、それでもまだ面倒な手続きを踏まないとインターネットができない。簡単にインターネットができるためにはルータを購入するといいと勧められた。

なんだか、敵の策略に陥れられるかのようだが、しかたがあるまい。

ここ数日ブログに書きたいテーマがあったように思うが、ブログを書ける環境へと戻ったら、それがなんであったか思い出せないから、大したことではなかったのであろう。

とはいえ、よかった、よかった。

携帯

2015-08-24 11:16:26 | 日記
先週の土曜日にあった、徳島科学史研究会で面白い事実に遭遇した。

この会には10人以上の参加者があったのだが、懇親会を行う予定のレストランに電話で連絡をしようとしたのだが、私を含めて多くの人が携帯をもっていないことだった。

単に携帯をもたないのは私だけのことかと思ったが、そうではないらしいということがわかって興味深かった。ひとりだけ比較的若い人が携帯をもっていたので、その方の携帯で結局は連絡ができたのだが、男性の老人はあまり携帯をもたないという証拠かもしれない。

科学史などに興味を持っている人なら、携帯を持っているのが普通かと思ったが、そうではなかった。

私などは電話もテレビももたないとか豪語(?)しているのだが、それは一つには経済的な理由もあるが、それだけではなく文明の利器を使いこなせないということもあろうか。

この会に参加して講演までなさった M さんはご自分のインターネットでホームページまで持っておられる進んだ方である。だが、携帯はもっておられなかった。


このごろは・・・

2015-08-23 07:58:42 | 日記
このごろは私の気分は上々である(In letzter Zeit bin ich in guter Laune)(注)。昨夜も徳島科学史研究会の後の懇親会を松山市南堀端のフランス料理のレストラン・アミティエでしたが、参加者が10人という盛会であった。

それだけではなく、私は人見知りをする方だが、それをあまり感じなかった。もちろん半分くらいの方々はすでに何年かの知り合いである。それでも全く初めての方も数名おられたのだが、最近は近年になく心理的に快適である。

私としてはこういう感じを持ったことはあまりなかったので、心理的にいい状態が続いているのだと思う。これは愛媛日独協会の懇親会が7月半ばにあったときも感じた気持ちよさであり、私の心理状態のよさが継続して続いているのだと思う。

こういう状態がいつまで続くかは私にもわからないが、大体が神経質な本来の私とはちがった私の側面が出て来ているのだと思われる。

私の妻はいつも他人との関係においていつもいい状態であり、多くの人から頼られている。また長女気質があって、任せておけば大抵うまく行くように大いに努力をする。努力家であることはもちろん陽気な性質である。長女気質というのはちょっとときには自己主張がつよくて、強引なのかもしれない。しかし、愉快な性質である。最近はそのせいかどうかわからないが、私までも心理的な状態がいいというわけである。

(注)In letzter Zeitと書く前にletzlichと書いておいたのだが、ちょっと気になって辞書を調べたら、letzlichには「このごろ」とか「最近」とかいう意味はなく、「結局は」とか「最後には」という意味しかなかった。いい加減にしか言葉を覚えていないものだ。反省、反省。辞書を調べてよかった。

徳島科学史研究会2 (2015)

2015-08-22 21:33:37 | 日記
今日の12時30分から徳島学史研究会を愛媛大学工学部のEL13講義室で行った。

一般市民の参加はなかったが、科学史の研究会にしては珍しく14名を越える参加があった。議論も活発であり、今まで私の参加した徳島科学史研究会では一番の盛会であったのではなかろうか。

参加者の数もそうだが、参加者数が多かったということもある。そのことを反映してか懇親会の参加も10人と多かった。

この科学史の研究会は講演者が多士済々であることはいつもの如くであった。特に数学を専攻されたYさんの舌鋒は鋭く各講演者をタジタジとさせた。

世の中には多才で頭の切れる人がいる者だといまさらながら感じたことであった。懇親会の2次会を終わってようやく仕事場にたどり着いたばかりでブログを書いている。

Heisenberg方程式を見つけたのは・・・

2015-08-21 11:19:20 | 日記

講義をするということから遠ざかって久しい。もう講義をしなくなってから 5 年を過ぎただろうか。

冒頭のタイトルは「Heisenberg方程式を見つけたのはHeisenbergではない」という名古屋大学の谷村さんの発想を敷衍したいと思ったからである。

・・・のところは実は上に書いたように書くべきだったのであるが、それだとあまりにタイトルが長くなりすぎる。それで・・・とした。

量子力学ではHeisenberg方程式は一番の基本方程式であるが、その基礎方程式を現在のように定式化した初めての人はHeisenberg自身ではないという。ちょっと本当かと思うような話であるが、これは実は正しい。

Heisenbergから渡された論文に載っていた奇妙なかけ算に頭をかしげた、先生のBornがその奇妙なかけ算は自分が学生時代に大学の数学の講義で学んだことのある、マトリックスのかけ算とおなじものであることに気がついたという。

交換関係としてよく知られている[x, p]=ih/(2\pi)もBornの定式化によると言われている。Heisenbergは天才で、実に自分が知らなかった数学を自分で編みだしていたのだ。

ついでにいうと(neben gesagt)、もう一つの量子力学の基礎方程式 といわれるSchr"ondinger方程式をSchr"ondingerがはじめて導いたのだが、彼は自分が導いた方程式を最初解けなかったという。当時Schr"ondingerはチューリッヒにいたのだが、彼はしかたなく、数学者のWeylにこの方程式の解き方を教えてもらったという。これは波動幾何学の創始者として知られた三村剛昂先生から聞いた話である。

Schr"odingerはWeylからその当時には新しい手法だった境界値問題の方程式の解き方を教わったのだという。こういう話は物理の歴史においては別に珍しくない。

天才は数学でもなんでも自分の必要に応じてつくりだしてくる。数学を十分学んでから物理を研究しようなどと思っていた、または、思っている、私などは学者の部類には入らない。


積読

2015-08-19 11:46:26 | 日記
積読と書いて「つんどく」と読む。

最近、朝、目を覚めましてから自分の書棚をちらっと見まわして、あまり読んだことがない本をとりだしては10分か20分眺めている。

ときどき、こんな本を買っていたのかと思うような書に出会う。昨日だったか一昨日だったかに見つけた本は『数学研究法』(日本評論社)という本であった。

こういう本は私の関心を引くだろうと思われるのだが、それにしても買ってから中を覗いたことはなかった。いつか見てみようと思っているうちにその本の存在も忘れるという具合である。

四元数の単位1, i, j, kと2行2列の単位行列とPauli行列との対応を考えたときにもあまり読んだことがない、エリー・カルタンの "Theory of Spinor" (Dover) を引っ張り出して来て参照した。妻などに言わせるとこんな書は私がほとんど読まないたぐいの書であるが、それでも大学の図書館に行かずに自分の蔵書の中にその書を持っていたので、すぐに見ることができた。

カルタンは i, j, k をPauli行列 -i\sigma _{1}, -i\sigma _{2}, -i\sigma _{3}と対応させていることを知った。ところが岩波『理化学辞典』最新版には別の対応のさせ方をしていた。また、志村五郎さんの『数学をいかに使うか』(ちくま学芸文庫)では、またそれらとは別の対応をさせていることも知った。

このいろいろな対応のさせ方についてはその理由というかその由来を見極めて、小著『四元数の発見』(海鳴社)に書いておいた。そういうことは何でもないことであるが、普通には数学者などが記録にとどめることはない。そういう細かな注意をこの書には初学者のために書き込んである。

研究会のパワーポイント

2015-08-18 11:22:05 | 日記
今週末にある、徳島科学史研究会のパワーポイントを昨日つくった。とはいっても少しづつ入力している武谷三男の伝記の資料からの抜粋である。

なかなか武谷三男の伝記を書くことにはいかないが、それでもまだあきらめているわけではない。今回の話のテーマは「他人から見た武谷三男像」ということである。

武谷について書いている人として、伏見康治、鶴見俊輔、羽仁五郎、南部陽一郎、高木仁三郎といったそれぞれ一流の人々の語る武谷の一面である。

それ以外にもまったく無名の人の語る、武谷の印象とかを少しづつパソコンに入力している。その他の資料も合わせて約40ページとなったが、まだまったく入力ができていないものも多い。

それらを入力できたら、少し発展が望めるであろうか。

講演時間は25分だが、5分は質疑応答に費やすとして、講演時間が20分とすれば、パワーポイントの枚数は10枚となろうか。これは1枚のスライドを少なくとも2分の時間は見せなくてはならないというプレゼンの基本的なアドバイスによっている。

武谷に批判的な書もいくつか出版されており、それらを全部ではないが、購入している。それらも資料としてパソコンに入力しないといけなないのだが、それらについてはまったく手がつけられていない。

ただ、それらはどうも批判としては正しいのかもしれないが、どれもこれもあまり実践的ではない。そこらが私が不満に思うところである。

安倍首相談話

2015-08-17 12:59:12 | 日記
8月15日の安倍首相の談話はキーワード「侵略」「植民地支配」「心からのおわび」「痛切な反省」は入っていたが、どうもまわりからいろいろ言われて仕方なくキーワードを入れたという感じで、主語が不明瞭だと言われている。

または過去形にしてあり、自分が反省したりしているようには思えない。それでも安倍首相個人としては努力をしたところであろうか。

反省の形だけは整えたが、本心はどうなのかと外国からも思われているし、私たちもすっきりしない。

まあ、対外的には最悪の事態だけは避けられたので、不満ではあるが、よしとしようか。8月15日の新聞は保存をしておこうと思っている。


「科学史研究」のバックナンバー

2015-08-17 12:49:43 | 日記
「科学史研究」のバックナンバーを手に入れた。8月15日にたまたま実家に帰ってお盆の供養をしたが、そのときに次兄が科学の事典があるから持って帰るかと聞いたので、持って帰るというと亡くなった長兄の家のストックハウスに連れて行ってくれた。その中に科学史研究のバックナンバーがあった。

1957年くらいから1992年くらいまでのバックナンバーが製本されてあった。まさかこの年になって「科学史研究」のバックナンバーを手に入れるとは想像もしていなかった。

どうもこれは私の兄の蔵書ではなくて、兄の友人か知人の蔵書であったらしい。それを何らかの理由で兄が譲ってもらってもっていたのであろう。さっそく車に積んで持ち帰った。

またまた妻にあきれられるかもしれないが、小さな段ボールの箱2箱分である。











エアコンなしで

2015-08-14 17:54:36 | 日記
今日はエアコンなしで過ごせた。昨日雨が降ったために昨夜は少し寝やすかった。そして今日の日中も少し楽に過ごせたかもしれない。

一昨日から続けて『数学・物理通信』5巻6、7,8号の編集を続けている。それらを発行するに十分な原稿が投稿されている。原稿をさすがにそのままでは編集できないが、少しの変更ですむので編集は以前と比べれば、ぐっと楽になった。

それでも私などは\sectionというコマンドを使っているが、それをなぜだか使われない方もあるので、編集者として強制的にこのコマンドに書き変えている。

それはそれは10人10色とはこのことであろう。式を書くときには私などは\equation環境を使うのが普通であるが、あまりこの\equation環境を使われない方もある。

分数式が数式の中にあると普通のカッコの記号だとカッコの上下の広がりが少ないので、\leftとか\rightという記号をカッコの前に入れると大きくすることができるが、これをお使いではない方もある。

現在編集をしているからと言って今月に発行するわけではない。これらはいま点検をお願いしているということであり、発行は9月になって発行される。

いや、体が健康でなくてはこういう仕事もできないであろう。

川内原発の再稼働

2015-08-14 12:19:42 | 日記
2015.8.11に九州電力の川内原発が再稼働された。

12日の新聞には多くの論説が出ていた。それらはもっともなのであるが、要するに原発の安全性は担保されないということにある。

福島第一の原発の津波による事故で多くの人が避難を余儀なくされているという事実はもう忘れられたかのごとくである。大きな禍根を後世に残した判断であった。

別に外国がなんでもいいなどとは思っていないが、ドイツのメルケル首相が日本のような技術先進国でも事故が起こるのなら、と言って原発廃止を決めたのは有名な話だが、こういう決断力が日本の政権にはない。メルケル首相自身は必ずしも原発廃絶派ではなかったと聞くが、3.11の福島第一の原発事故を聞いて原発を廃止する方向に動いた。

私が総理大臣なのだから、戦争は起こらないと言いながら、戦争に巻き込まれる恐れの多い、安保法制法案を進めている安倍政権とは大きな違いである。

私はだからということもないのだが、2015.8.11の新聞を保存しておくつもりである。大体、自然エネルギーの電源開発をスローダウンさせながら、原発を維持するという政策は間違っている。

自然エネルギーによる電源開発の電力供給が不安定なことはわかっているが、それを広域に電力の供給をするというシステムを早くつくってできるだけ安定させること、またそれを補う火力電力の補充というを考えることが大切である。ところが太陽光にしろ、風力にしろまだその電力の供給は抑制されているという。

徳島科学史研究会総会(2015)

2015-08-13 12:43:39 | 日記
徳島科学史研究会の総会(2015)が松山で8月22日(土)に愛媛大学工学部講義棟EL13号室で行われる。開始は12時30分からである。今回の会の世話人は私である。

愛媛新聞にもその開催の要領をもって行き、開催を紙上に掲載を依頼したのだが、もし掲載になるのならそろそろであろうか。

徳島科学史研究会の歴史はもう20年を越えるものであり、昨日今日にできたものではないのだが、それを維持してこられた方々には敬意を表したい。

科学史などという地味な分野を20年以上にわたって維持し続けることは並大抵のことではない。私をこの徳島科学史研究会へと誘ってくれた T さんはその後、会員であることを辞めたわけではないだろうが、会にはそれほどかかわっておられない。彼の技術史の研究はオリジナルなものであったが、他の分野の活動で忙しいのかもしれない。

代わって私が徳島科学史研究会に関わるようになった。他にも松山在住の方に M さんがおられて、彼はご自分でホームページまで持っておられるらしいのだが、詳しいことは知らない。

いま調べたら、愛媛県の会員は4名であり、さすがに徳島県の会員は25名もおられる。四国以外の会員は50名を越える。

お盆モードという訳ではないのだが、・・・

2015-08-12 18:28:02 | 日記
昨日もブログを書くのを忘れてしまった。

それだけ忙しいということである。何が忙しいのかはよくわからない。今日もブログを書くのを忘れるところだったが、ようやく今になって書いている。

明日からお盆になる。盆と正月とは奉公に出された丁稚さんや女中さんも家に帰ることが許されるとは社会科のテクストで読んだことがあるような気がするが、定かではない。

正月はそりゃあ、丁稚さんも女中さんも暇をとれるであろうが、お盆の時はそういう習慣があるとは思いが及ばなかった。ところが28歳の時(1967年)の夏に博士論文の研究で郷里に帰らないで、頑張ったことがあった。

ところが、食堂もお店もみんなお盆休みで開いていない。食事にも困ってH市の駅まで行ったら、さすがにここの食堂とかレストランは開いていた。それでようやくお盆は夏のお正月なんだということを身をもって知った。それまで夏休みには帰省をしていたのでお盆が夏のお正月に相当することを知らなかった。

明日からの3日はお盆休みなので、病院も開いていない。それで今日は血圧の薬をもらいに病院へ行った。私はそれほど血圧が高い方ではないけれども、やはり年相応に血圧は高くなっている。それでも朝食後に1錠の薬を飲みさえすればいいのだからまあたいしたことはない。