物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

夏の終わり

2010-08-31 11:32:12 | 日記・エッセイ・コラム

今年も海辺にも山にも行かなかったが、やはりそろそろ夏も終わりである。テレビではまだ残暑が続くとは言っているが、そうはいっても秋の気配がそこはかとなく漂ってくる。夜はまだエアコンなしには安眠できないが、それでもやはり秋は近づいている。

台風が来るのはやはり秋の知らせであろう。湿度が下がって来たとはまだ実感できないが、そうはいっても季節は移りゆく。毎年こういう風なセンチメンタルなブログを書いているのかもしれない。

9月のはじめには市民コンサートが予定されている。この市民コンサートは昔は労音と言われたものだが、2ヶ月に一回の割で開かれている。その会員は今では少なくなって数百人にしか過ぎないが、それでもなんとかほそぼそと演奏会が行われている。

いつも思うことだが、市民劇場(旧労演)とか市民コンサートとかの会員は圧倒的に女性が多い。それも現在では年配の女性が圧倒的に多いのである。これはどうしたことだろうか。男性が少ないのは男性は町で飲んだりする機会があるのに比べて女性にはそういう機会が少ないこともあるのであろう。

だが、これほどまでも比率が偏っているのはどうしてなのであろうか。


黒瀬ダムの松山分水

2010-08-30 11:01:54 | 国際・政治

金曜の夜に松山の水問題を考える学術講演会がコミセンであった。まとめ役だった小松正幸氏によれば、西條からの松山への分水は不要であるとのことだった。データを示されての議論だったので、この議論には納得ができた。

つぎの日の新聞にもこれ西條の松山分水が不要との記事が出ていたが、市当局からは異論があるようであったし、そのつぎの日の市長のコメントは机上の空論とのことであった。しかし、あの議論を直接に聞いた人からは空論という答えを引き出すのは難しかろう。市長はいろいろな政治的な思惑ももっているだろうから、シンクタンクの政策提言などは聞く耳をもたないだろうが。

ただ、講演を聞いた翌朝妻と議論したら、結局松山市だけの議論に閉じることが問題ではないかということになった。それは東温市や砥部町、伊予市、松前町を含めた水資源のデータの検討でなくてはならないということである。

もちろん、現在の松山市にそういう視点があるはずもないし、市政を考えるという観点からはそこまで議論する必要があるとはいえないだろうが、少なくともシンクタンクの提言であるのならば、広域行政の視点を欠かすことはできないだろう。

その点では再検討を必要とするのであろうが、小松氏の提言はもっともなものであった。机上の空論ということで葬り去るべきものではない。それに対して真摯な返答がなされないならば、市長の政治的な姿勢が疑われても仕方がなかろう。


Bizスポ

2010-08-28 18:07:25 | 日記・エッセイ・コラム

NHKのBiz and sportsの番組で昨夜自動車の部品のリユースについての金沢のある会社が取引額を8倍にだったかあげてなお成長しているというのを見た。そのためのknow-howを何十年もかかって手に入れたということだが、こういう企業があることは喜ばしいことである。

その番組の中でこれから進歩が期待される産業としては医療と教育分野だと言われていた。これはその分野で進んだ大学教育を行い、これが世界的なものだとすれば、そこに世界各国から学生を集めたりできるようにすればいいのだという。同様に世界的に優れた医療を提供できる病院や医学の研究機関をつくれば、患者は同様に集まるのだという。

そういうことが本当に可能なのかどうかはわからないが、いろいろな考えがあることはわかった。また、もう一つ何か言われたようだったが、それは聞き損ねた。

「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」とは太平洋戦争中の国威発揚の文句であった。それを茶化して誰かが「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」と言ったそうで、これは上の話の趣旨とは大きく外れるが、まさに当を得ていて、戦争で男は戦争に駆り出されて国内に男性が少なくなったことを示している。

その茶化しはとてもいいが、そうはいっても茶化しだけでは乗り切れまい。やはり日本のこれからを経済的にどう立て直していくかの展望を持ちたいとは誰しも思うところである。だが、あまり近道はなさそうである。

私などもe-Learningのコンテンツを「しこしこ」つくっているのも結局はいくつかの大学ですでにつくられた、大学教育のためのe-Learningのコンテンツに飽き足らないからである。それがいつかは教育産業の一環に組み入れられることがあるのかもしれない。


二項定理のエッセイ

2010-08-27 12:00:13 | 数学

前に書いた二項定理のエッセイを読み返したら、時間が経ったために意味が不明なところがあり、そこを補筆した。前に書き終わったときにもう出来上がったと思っていたが、時間をおいて原稿を見直したのは正しい措置だった。

もちろん、これは間違っていたというよりは参考にした本を読んでそれについて書いたときにはなんでもないと思ったことを忘れてしまっていたのだ。補足の説明が必要であった。二項定理なんてのは誰でも知っている定理なので、新しい知見があるわけではないが、それでも何か新しい観点があるものである。

また、そろそろ9月が近づいたので、数学・物理通信の第4号の発行が近づいてきた。それで、N.N.さんの投稿だけではなく私のこのエッセイを載せようかと思っている。

また、小著「数学散歩」の索引をつくろうとしている。本を読み返しては索引に載せたい語を拾い出すという作業を眠い目をこすりながらやっている。


無料塾第4日

2010-08-26 17:53:33 | 健康・病気

無料塾の第4日目であった。昨日で終わるつもりだったが、ある親子の熱心さにほだされて第4日目を行った。

小学4年生の男の子はなかなか算数の好きな子であった。虫食い算が好きで、好んでこれを解いた。その姉は6年生であったが、ボランティアで海岸の清掃に参加し、そこに生えている植物に関心をもったようで、そのレポートを書くのに苦労していたが、アドバイスをもらってなんとかレポートが出来上がりそうになり、喜んでいたらしい。

文章を書くことはなかなか難しい。これは自分の現実の体験がないということではないが、いざ文章を書こうとすると何を書いたらいいかということがわからないのである。

それで、指導としては思いつくことを話を聞いてメモにとり、それを元にして内容のある文章にしたらと指導していたようだ。こうすると書く内容が自ずから見えてくる。なんとかレポートがまとまったらしい。

この方法は短歌などをつくる人が使っている方法だが、最近亡くなった梅棹忠夫氏がその著「知的生産の技術」(岩波新書)で紹介して知られた方法である。彼はこれを「こざね法」と呼んでいた。

帰り際に男の子が来年の夏もこの無料塾をするかと聞いてくれたので、冬休みにまたすると答えておいた。気に入ってくれたらしい。


無料塾第3日

2010-08-25 15:11:34 | 健康・病気

今日は第1日にもどって「さくら」のY君のみしか来なかった。それで、明日はお休みにすることにしたが、私たち夫婦だけは念のためにこの会場に来ることにした。

だが、もう誰も来そうにない。昨日来た姉妹のうちで姉さんの方だが、彼女を直接教えたEさんによれば多分算数が不得意であまり手がついてないようだったとのことである。これはその算数の宿題がほとんど手がついていなかったことから判断されるという。本人が不得意だと自覚しているのだろうが、ある程度本人が申し出ないことには私たちは手の施しようがないとのことである。

今回の経験からは一つの方向としては「フリースクール」というのがあり、もう一つは「落ちこぼれ塾」というのがあるだろう。そのどちらかが可能性があるのではないかという気がする。普通の子どもには無料塾は必要ではない。

場所の問題もある。「あったか拓南」という施設内の会議室はいいのだが、特に駐車スペースがあまりない。これは子どもを車で連れてくるという親御さんには少し難しいところがある。


無料塾第2日

2010-08-24 15:10:36 | 健康・病気

昨日から医療生協の支部活動としてやっている、宿題無料塾の今日は2日目であった。4人の小学生がやってきてくれた。そこに居た大人は皆が先生になり、かつ小学生に教えながら、また、小学生に教えられながら、あくせくした。

だが、明日はまた二人となるらしい。姉妹の2人が用事で来られないらしい。男の子たちは来てくれるが、また2人となる。

医療生協の理事さんの一人が様子を見に来てくれたが、ゆっくりとお話をする時間もとれなかった。この行事は子どもたち優先だから仕方がないだろう。

お昼過ぎに自宅に帰って食事を済ませて、仕事場に出かけようとして、郵便受けを見たら、M先生から送られた数学の本が来ていた。それで仕事場に来て、ぱらぱらっと斜め読みしてM先生にかんたんな礼状のメールを入れた。

M先生は数学を教えることに情熱をもたれる先生のお一人である。


無料塾の開催

2010-08-23 15:52:01 | 健康・病気

愛媛医療生協の活動の一環として、宿題無料塾を今日から4日ほど開く。今日は第一日目であったが、「さくら」の一人のとして来てもらったY.Y君が参加した。11時半過ぎにOさんが小学校4年生のお子さんをつれて、見に来られた。それで、今日は登校日だったこととか、宿題を今日ほとんど提出されたことを知った。明日はOさんのお子さんが兄弟で連れで来たいということである。

お盆休み明けごろにこの無料塾を開催したら、いいのではないかとのご意見を頂いた。また、冬休みなら、クリスマス明けの12月26、27日くらいが都合がいいのではないかとのことであった。

何事も経験なのであるが、今回は開催の通知が遅れたこととか反省点が多くてあまり役には立たなかったようである。

私たちはもうすでに子どもの教育に関わっている年代ではないので、若い親御さんのご意見を頂かないとどうしていいかわからない。

ともかくも回数を重ねていけば、いい行事になるであろうか。


コンテンツ送付

2010-08-22 09:33:45 | 数学

子どもにe-Learningのコンテンツを送ってもいいかとメールで尋ねたら、ぜひ見たいというので昨夜急いで送った。「さば」を読んで300ページくらいになると書いたが、今朝そのページを勘定してみたら、257ページで300ページにはとてもならなかった。

私の子どもたちも知的好奇心に富んでいるので、見たいといってくれたのだろうが、それだけではなくときどきは親子のやりとりも必要だと思っているということもある。

数学思想史家のM先生に送ったら、M先生からご自身の著書を下さるという有難いメールまでもらった。M先生の著書はもう簡単には手に入らない。いつかインターネットの古書で見たら2万円の高値がついていた。これではしかし、私のような貧乏な退職者には手に入れようがなかったので諦めていた。M先生のご好意でその著書を頂けそうである。まことに有難い。

別にこいういう功利的なご利益があると思ってM先生にコンテンツを送ったわけではないが、ある種の情熱を感じ取って頂けたのだとすれば、とても嬉しいことである。M先生にはいろいろアドバイスを頂いたので、それを雑談のコラムの一部として採用させてもらった。そのためにこのコンテンツの深みが出ていると思う。


徳島科学史研究会

2010-08-21 23:16:43 | 学問

今日徳島市で標記の研究会があって、発表をしてきた。日帰りのとんぼ返りであった。物理学者のOさんの講演が最後にあってそれを聞いて直ぐに会場をあとにした。Oさんの講演はなかなか好奇心をそそるものであったので、帰りの電車の中で彼の資料を読んでみた。原子核のクラスターモデルの確立に大きな貢献をしたOさんの話がある程度わかった。

彼はアルファ粒子と酸素との散乱のポテンシャルからその散乱とNeとのいろいろな知見を得たことからクラスターモデルの適用範囲を大きく広げたらしい。それまで核力から導かれたポテンシャルを用いて、軽い核、質量数が20までくらいの原子核はクラスターモデルで説明ができていたのが、質量数20~40の原子核ではうまく説明がクラスターモデルでできなかった。それを現象論的に求めたアルファ粒子と酸素との散乱のポテンシャルからブレークスルーを見つけたという。

もちろん、これは彼の素粒子論研究に出た報告を私が見ての判断であるから、間違っているかもしれない。だが、このOさんには他の原子核の研究者が尊敬の念をもって接していたことは知っていたが、このような立派な仕事をした人だとは知らなかった。いい仕事のできる人はいるものだといまさらながら感心をした。

Oさんに手紙でも書いて敬意を表しておこう。


私のフランス語修業11

2010-08-20 12:46:32 | 外国語

学生のとき以外に大学でフランス人の先生の講義を受けたことは3学期しかない。その2回目の機会は女性の先生だった。お名前を失念してしまった。申し訳ない。この先生はテキストを使っていなかった。先生にもちろん許可を得ての途中受講であった。

大学の2年生だったかの講義だったと思う。小さなセミナー室での講義であったが、先生がいろいろ言われるのを、ときどきみんなが困ったときに先生の言いたいことを簡潔に学生に伝えたりした。試験もあったが、試験自身は難しくなかったと思うが、私は答えなければならないところの半分しか答えると思っていなかったので、よくできたはずがないが、つぎの学期にその講義に出席できなかったので、その先生に出会ったときに「よくできるのに残念」と言われた。

これはもちろん外交的辞令であろうが、少しは先生の言わんとしたことをわかっていると思われたのであろう。私たちのドイツ語の先生でもある、R氏なども言うことだが、学生以外の年長者が講義に聞きに来ていると、クラスが活気づき、授業をするのがやりやすくなるらしい。

それは外国語を学んでいる、年季の入れ方が違うのだから、仕方がないが、ある程度言葉を理解する者がいるといないでは授業の活性度が違ってくる。

もっとも言葉だけではなくて、その考え方を学ぶということが大事だと思う。しかし、これはある程度しか達成できないことで、やはり生まれたときからその国に住んでいるわけでないから、感性はやはり日本人そのものである。そこらへんがホームステイで外国のゲストを受け入れたときに彼らが感じたイライラの原因だったと後で反省したものである。

もっとも日本人としての文化とか感性とかはまったく捨てる必要はないのである。これは外国に長年生活している日本人がいつも言うことである。

このこととは直接関係がないが、フランス語で下のような言い方があるそうだ。

Parce que la vie, c'est comme ca !  (なぜなら人生って、こうしたものだから!)


e-Learning新代数

2010-08-19 10:45:56 | 数学

長くかかった標記のコンテンツの修正が終わった。

修正とはいうものの、グレブナー基底の例示とかユークリッドの互除法の説明やその他の改訂で数ヶ月を費やしてしまった。

インスタントラーメンのCMにますますおいしくなりましたというのがあるが、自画自賛ながらますます内容がよくなりましたというわけである。

「私的数学塾」というホームページの主宰者にこれを送ったら、すぐに自分のホームページの特別授業というコラムに載せたいが許可をもらいたいというメールをもらった。だが、これは私の一存ではいかないので、まずは愛媛大学の代表者と相談をしている。

まずは図を描くのに学生アルバイトの代金を払ってもらった愛媛大学の意向を尊重しなければならない。それでしばらく待ってくださいと伝えた。

閲読者に読んでもらったお陰で、内容に深みが出たと思う。もっとも閲読者の意向を入れて改訂するのはなかなかしんどかった。もっともそれを楽しんでもいたということである。

NHKテレビ高校数学の初代講師であった、武藤徹先生ともその縁でネット上で知り合った。そしてメールのやり取りで、彼からの話題提供を受けたので、それを本人名で雑談論に採用させてもらった。その他の閲読者との討論も適宜に雑談に採用してある。

これでも、まだ四則の法則の図示を今回はまだ見送ってあるので、次回以降の改定ではこれもぜひ実現したい。

さて、いつの時点で愛媛大学で公開してくれるだろうか。楽しみである。


水資源問題

2010-08-18 12:54:14 | 社会・経済
中国の水資源問題が新聞に出ていた。ところが水が豊富にあると思われている、日本も水の輸入国だという。その謂われははっきりとはわからないが、どうも食料を大量に輸入しているかららしい。確かに食料は水なしには生産できない。なるほどそういう輪環関係があるのかと思った。

中国ではインドとかタイやラオスに流れていく河の上流に大きなダムをつくり、そこから得た水を北京へと流そうとしているとかいう。とても大きな土木事業である。それくらい北京には水が不足しているらしい。中国はこの例で見てもわかるように大きな土木事業が行われているらしい。

水問題といえば、猪瀬東京副知事が東京の水道局の水の配水事業の優秀さを外国に売り込みたいとテレビで言っていた。これは東京都は水の漏水で失われるパーセントが3%未満だとかでこれは世界各都市の実績と比べてすごく少ない漏水率なのだそうである。

こういった技術が日本にはたくさんあるのだろうが、それを生かして世界に貢献できれば、いいと思う。省エネ技術にしても工場廃水からいろいろな資源を回収しているとかいう。そして廃水はきれいになるし、また、経済的にも利益を得ることができるとすれば、大いに結構なことである。これは廃ガスでもそうであるらしい。たとえば、鉄鋼会社の煙から有効な資源を回収することで経済的にも潤うし、有害でなくなるとすれば、これは大いに結構なことである。

こういう技術はたくさんあるのであろうか。日本の経済だとか技術とかが不振だといわれているので、どこからブレークスルーするか日本人の賢さが問われている。




book off

2010-08-17 11:32:51 | 本と雑誌

妻の知人のFさんの息子さんが亡くなったのはまだそんなに前のことではないらしい。

彼の蔵書の中に広辞苑の第六版があった。それは私の家に残されたが、その他の蔵書は先日の8月15日に近くのbook offへもって行って引き取ってもらった。その売値は5000円とちょっとであった。そしてその売り上げは妻の所属する歌声グループの資金として積み立てられた。

ところで、少しカバーが日焼けをしているものは引き取ってもらえなかった。もって帰るのも嫌だったので、ほんのごく一部を除いて処分をしてもらうことにしたが、ひょっとしたら処分すると称してbook offがどこかで売り払うのかもしれない。それはしかしどうでもいいことだが、かなり厳密に引き取るものと引き取らないものとの区分けがされていることを知った。

多分Fさんの息子さんが書籍に投じた費用はかなりのものであったろう。だが、実際に古本として売るときにはそれは数千円にしかならなかった。そんなものなのであろう。

私が自分の蔵書の一部を売り払ったときにもその代価は1万数千円であったが、多分それに投じた費用は10万円のオーダーであったろう。それでも、古本として買われて誰かにまた読んでもらえるのならまだ浮かばれる。ゴミとして出されるのならもっと悲しい。

話はまったく違うが、私の書いた「数学散歩」(国土社)がインターネットて5、000円の値段がついていたのを昨日見た。妻に今朝言ったら、意外な顔をしていた。もともと定価が2、650円(税込み)であるが、もう書店在庫がなくなっている。著者の私が数十冊はもっているが、それにしてももうほとんど残部はない。

これは300冊くらいは売れたが、後は私から友人や知人に進呈をしたものである。もともと500冊くらい出版したのだが、第2刷を出せるかどうかは出版社の決定にかかっている。しかし、第2刷がでなかったとしてもこれはこの本が価値がないことを意味しない。

価値があるかどうかは本が提供しているような知識を求めているかいないかで違ってくるからである。著者としてはもっとこの本で示したような知識が普及すべきだと思っている。


盆休み

2010-08-16 10:29:58 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日と昨日は勝手に盆休みとした。それでときならぬ2連休となった。それで2連休など休みすぎということで今日は仕事場に出てきている。

朝、9時過ぎに久しぶりにE大学の勤めていた学科の事務室に図を描いてもらう下図を届けにいったのだが、さすがに誰も来ていなかった。夏のエアコンの電気代を節約するために学長命令で夏休みをとりなさいとの通達が来るようになったのは私が現役であと定年を数年後に控えたころだったので、その慣例が一般的になってきたのだろう。いいことである。

日本人は働き蜂だとか言われてきたが、ようやくそういうことも少しづつではあるが、緩和して来ているのかもしれない。日本の夏は暑い。暑いだけなら我慢ができるが、その上に湿度が高い。これが日本の夏が過ごしづらい理由であろう。一日の最低気温が24度より下がれば、ほっとするのだが、このところの最低気温は28度とかである。これだと朝の比較的涼しい時間帯でもやりきれない。

特に屋内は朝から30度を越えている。これでは暑いはずである。若いときに大学の宿舎に10数年住んだが、堀江の海岸の方から吹く北風が8月5日を過ぎると幾分涼しくなったような気がした。だから、8月5日が暑さの境だと思っていたが、どうも今年はそうでもないらしい。

最低気温が26度以上だとやはり暑いと思う。だが、エアコンをかけると室内は26度でも涼しいと感じる。これは湿度が低いせいだろうと思う。ドイツで夏を一回だけ過ごしたが、この年確かに雨が少なくてあつかったが、それでもからっとした夏で日本の夏と比べると過ごしやすいものであった。それに8月の後半にジュネーブを中心としてスイスを訪れたから、それほど暑くはなかった。もう八月の後半は秋の始まりという感じで、天気も8月前半ほど天気が続かない。

そうはいうものの今年のロシアの夏は猛暑だそうで、小麦の1/4が暑さでやられ、ロシアは小麦の輸出を禁止したとかテレビで見た。いろいろなことが起こるものである。