物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日本の誇るべきもの

2010-07-31 12:43:57 | 日記・エッセイ・コラム

日本の誇るべきものにアニメとマンガがあるが、これが韓国に激しく追い上げられているという。韓国にすでに追い越されているものに造船業とか電機企業がある。これらは追い越されているというのはちょっと言いすぎかもしれないが、少なくとも急追されている。

日本独自のものが他にはないのだろうか、これは別に経済的に日本を救うものという意味では決してない。私の知るところではそれには遠山啓の影響を受けた数学教育の思想「量の体系」と「水道方式」等がある。これは現在でも数学教育協議会という民間教育団体で発展している。これはやはり日本の誇るべき一つの大きな独創といってよいだろう。これをさらに大きく育てていくことはきわめて重要なことである。

他にはもちろん武谷の三段階論がある。これは広重徹の批判を受けたが、やはり日本の大きな独創の一つといっていいだろうと思う。最近では武谷の三段階論を評価する人が少なくなっているようにも感じられるが、おざなりにしてもいいような思想ではない。三段階論に結実した、その根にあたる思想を掘り起こして、再生させることが日本の独創を起こすために必要なのではないか。

経済とか政治の分野とか至るところの様子を新聞とかテレビで知るにつけ、日本人は自信を失いがちである。また、その急追をインド、中国や台湾、韓国から受けているが、それでもなお独自性のあるところが何かをもう一度よく見ていくことが大切なのではなかろか。

他にも優れた思想や文化、技術等はたくさんあると思われる。そういったものをてこにして日本を世界から尊敬される国にしたいと思う。それはもちろん、かつてのような軍国日本ではないし、また経済大国としての日本でもないかもしれないが、文化的な独創性、独自性を持った国(実は国という言葉を好きではないのだが)を目指すことであろうか。


お祝いの会

2010-07-30 12:52:49 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜は知人の一人の社長就任ともう一人の教授就任のお祝いの会を行った。とはいっても大したことをしたわけではない。あるお店に行って、三人で食事をしただけである。彼らは4月に就任していたのだが、お祝いが遅くなった。

その後、この二人のご招待でスナックに行って、12時を過ぎたので私は失礼をして帰ったが、二人とお店の人に見送られて帰った。そのときにお土産までもらった。優しい二人の心遣いであった。

もちろん、この二人とは以前からのつき合いが密ではないが、細々とあった。年に一度か二度一緒になって、一夜食事をしたり、飲んだりするだけである。共通の友人がいるが、今回は県外在住のために参加されなかったのだが、この友人がいればもっと盛り上がっただろう。

人は気安くつき合いができるような、穏やかな人が望ましい。私には親密な友人がいるが、彼は若い頃から気性が激しいので、若いときにはあまり苦にも思わなかったが、最近はちょっと会う機会が減っている。それでだかどうかはわからないが、あまり気性の激しい人とは交わらないようになった。

しかし、これは私が退化をしていることを示しているのかもしれない。年をとると進取の気性に欠けてくる。


無気力な人々

2010-07-29 11:59:41 | 健康・病気

健康とか病気ではないのかもしれないが、無気力な人々がいるらしい(この範疇に病気でうつ病になってしまった人を入れていない)。要するに毎日を何かしたいことがある人とそういうことをもっていない人とがあるらしい。特に若い人にこのような無気力な人が多いらしいと聞いて心配になる。

しかし、私が心配をしても仕方がないので、各人が自分で考える以外に方法がない。幸いなことに私自身の近くにはそんな人はいない。しかし、このような人がいるということはかえって世の中が平和だという証拠かもしれない。

ある程度以上の能力をもっている人は別に人生の意味などと大上段に振りかぶっていわなくともなんらかのしたいことがあるものである。だが、まったく才能がない人などというのもいない。人はなんらかのいいところがあるものである。

また、人生の意義などということは何年生きてもわかることではない。ただ、一日一日の課題をこなすということをやっていれば、立ち止まらなければ遠くまでいくことができる。それは不思議なものである。


私のフランス語修業9

2010-07-28 13:35:16 | 外国語

ごく最近のNHKラジオのフランス語の放送で沢田直先生が俗語の話をされていて、興味深かった。

隠語とかスラングというのはun argotだという。unは男性単数の不定冠詞である。この場合にun argotと不定冠詞をつけるのがいいのかどうかはわからないが、l'argotとするとargotが男性名詞なのか女性名詞なのかわからなくなるので、わざとunをつけた。

英語ならjargonとでもいうのだろうか。このjargonの中にはコンピュータ用語があって、昔知った言葉では「bugをとる」というのがあった。

bugとは虫のことだが、コンピュータ・プログラムで文法上のミスをなくすのを「bugをとる」といった。もっともこの中には文法上のミスではないが、考えの上でのミスも含まれているかもしれない。おっと、わき道にそれた。

フランス語のスラングであるが、m’etro, boulot, dodoというのがあるそうだ。訳せば、「地下鉄、仕事、ねんね」となるという。dodoについてはいつだったかの、このシリーズでも述べたが、これはパリに住む人たちの単調な日常を皮肉った表現だという。

boulotはきちんとしたフランス語ならtravailであろうし、dodoはdormirであろう。m'etroはm’etroplitainの略だというが、m’etroはそのままで通用している。m'etro, travail, dodoのいずれも男性名詞である。

日本でもよくいわれる笑い話で、日本の男性は妻に家庭では「めし、ふろ、ねる」の三語しか言わないとか。実際にこういうことは少ないのだろうが。それほど日本人男性は会社人間であるという風に思われているのである。

上の3語以外にも沢田先生が挙げているのが、la valoche, le cineche, fastocheである。ちょっとフランス語のできる方数秒考えてみてください。何を意味しているか。fastocheなんていわれると字を見ただけでは日本語の「太っちょ(futoccho)」に似ているが、発音は「ふとっちょ」ではなく、「ファストシュ」であろう。

la valocheはla valise スーツケース、le cinoche はcin'ema映画、falocheはfacile「かんたんなとか容易な」である。facileの反対語difficile「難しい」は英語のdifficultに似ているから意味が見当がつきやすいが、facileの方はどうなのだろうか。

まったく上の議論と関係がないが、先週の土曜の雑談会で、日本語の「とりあえず」という言葉が話題になった。これを英語でどういうかと私は英語の先生として勤めたことがあるという、I さんに尋ねたら、I さんではなく物理学者のEさんからfor the momentというのではないかと言われた。これはフランス語ならpour le moment(プー・ル・モーマン)というのだろう。


昔の学生の感想

2010-07-27 14:48:29 | 日記・エッセイ・コラム

physicomathで検索をしていたら、下のようなブログが見つかった。このブログにコメントを入れようとしたが携帯からしか入力できないので、、ここでコメントを書いておく。

「ひよこ茶屋さん」今日は。私は約38年にわたる、大学教員生活で、力学を教えたことは一回か二回くらいしかないので、教え方が下手だったかもしれません。

それはともかく学校はあくまで学校であって、社会に出て無事に働いておられるのなら、学校の成績はどうってことはありません。学校の秀才は社会の成功者にはならないことも多いのです。(もっとも私自身はこのときの講義ノートをもとにして力学の本を書いてみたいという夢をまだ捨ててはいません)

だからかどうかは知りませんが、何十年もたって私の下手の講義から受けた悪い印象が少しでも改善?されたとすれば、それは私の努力の結果ではありませんが、貴兄の進歩の証でしょう。もっともこりんざい先生を許さないといわれても仕方がありませんが。 Y より

ひよこ茶屋


専門基礎の力学の授業は不可だった。

調べ物をしていたら、たまたま大学時代に授業を受けたことがあるY先生のブログを発見した。その先生の授業は難しく、当時1年生だった私は、最初のうちは授業に行っていたものの、延々と黒板に複雑な数式を書くだけの授業にやる気が萎えて、そのうちサボるようになった。たしか、ほとんど勉強せずに試験は受けたが「不可」だった。

Y先生はすでに退官されているらしく、ブログは退官されてから始めたらしい。そして、ブログを見て知ったのだが、Y先生は宇宙物理学が専門だったようだ。湯川先生とも会ったことあると書いてあった。正直、驚いた。というのも、Y先生の所属が、私が入学した当初は機械系で、その後、電気系に変わっていたので、私は、すっかり機械の先生だと思っていた。

ブログの内容は、物理、物理、物理していて、当時はY先生の話に全く興味が持てなかった私だが、今日は、少し興味を持って読んでみた。

ブログを読みながら、当時の私の目線と今の私の目線が変わっていることに自分自身が気付き、不思議な気分になった。


数学者、森毅氏の死去

2010-07-27 14:29:22 | 数学

数学者、森毅氏が亡くなったと昨日の新聞が報じていた。葬儀は行わないという。今日の朝日新聞の天声人語でも取り上げられていたぐらいに影響の大きかった方である。たくさんの著書を書いておられる。

彼の数学書を数冊はもっているけれども、それ以上にエッセイの方を多くもっている。でも彼の書いたエッセイのごく一部しかもっていないだろう。一時かなりむきになって買い集めたがとても数が多くて買い集められるというものではないことがわかり諦めた。

民間の教育団体である、数学教育協議会での活動では彼の森ダイアグラムは大学の基礎数学までの見通しを表したものとして有名である。要するに正比例の概念がいろいろに拡張されて、微分積分と線形代数となり、それがベクトル解析へと収束していく。これが森ダイアグラムである。

数学者や物理学者や工学者にとっては数学はどこまで学んでもきりがないものだが、大学の専門基礎の数学としては「ベクトル解析」が一応の目標であるとしたのはなんといっても卓見であったろう。

もっとも彼の数学書は他の数学者の数学書とは違ってくだけた体裁が多いが、それでもそれほどわかりやすいものではない。読み解くにはある程度の努力を要することはいうまでもない。

『現代の古典解析』とか『ベクトル解析』とか日本評論社のgay mathのシリーズに入っていた書は最近ではちくま書房の文庫にもなっているが、これはこれらの書が古典として認められたといってもいいからであろう。

彼の生前、高知の数教協の全国大会で一回だけご本人に会って話をしたことがある。なかなか話も面白い人であるが、彼はお酒を飲まない人だと始めて知った。

これはその後、何年も後になって面識を得た、鶴見俊輔さんもアルコールを飲まない人であったから、鶴見さんと森さんとが気があった理由がわかる気がする。

森さんは東京大学の出身だが、東大嫌いの鶴見さんも森さんを嫌ってはいなかったというより、気があっていたように感じた。

鶴見さんは「ラプラスの魔」というのがどこに文献として出ているのかを森さんに頼んで調べてもらったが、森さんがきちんと調べて教えてくれたと言っていたので、彼のエッセイなどを読むとちゃらんぽらんな人ではないかというイメージを森さんにもつが、そういうことはない人だとの感想をもっておられた。

もっとも当然のことながら、ちゃらんぽらんなら、数学者にはなれないことはいうまでもない。

優れた方を日本はまた失った。


無料塾の計画

2010-07-26 14:47:40 | 健康・病気

地域の医療生協が無料の学習塾を夏休みに開催するところがあると新聞で見て、妻に言ったら、すぐに医療生協の組織部に提案してみるという。新聞の記事のコピーをして、要綱案をつくってくれた。

いまの計画では8月23日から8月27日までの午前10時から12時までで10人の生徒を募集してはということで提案することにした。もっとも妻は私のグループの人たちに手伝ってもらわないとできないだろうという。

こういう塾はほとんどマンツーマンで教える必要があるので、マンパワーがいるのである。少なくとも2人に一人くらいの先生が必要だろうか。

小学校の元教員とか中学校の元教員の知り合いがいればいいのだが、そういう人は知り合いにはいない。大学の元教員が私の友人たちである。

昔、神戸生協の生協員が地域の老人等の相談に乗ったり、ボランティアで手助けしたりということをするという活動を行っていると聞いた。こういうことの延長としては無料塾は考えられる一つの活動であろう。

ただ、どれほどの要求というか、需要というかがあるのか、それに対する費用がかかるだろうが、費用が出るのかということが重要になってくる。ボランティアであるから、報酬は払えないし、払わない。それはいいとしても最低必要な費用は医療生協が負担してほしいとは思っているが。


第8回雑談会を終えて

2010-07-25 16:26:04 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は I さんの飛び入りがあったりして、なかなかにぎやかな雑談会であった。全員で9名の参加であった。言葉のことはさすがに女性の方々にはかなわない。スピーカーのKさんはなかなか才気煥発の女性で話は面白いし、質問があってもてきぱき応答をされるし、妻も感心することしきりであった。

I さんはテニスをする縁で少しは存じ上げているが、英語の専攻でE大学の非常勤講師をお勤めになっていたとは知らなかった。彼女は中国での日本語を教えるという経験までもたれていた。男性方はこれらの才女に討論でも押されていたが、唯一NHkの文化講座でイタリア語の講座の先生の経験のある、Nさんの発言でなんとか面目を保ったという風であった。

Kさんはまだ話足りなかったと思う。1年後くらいに「その後」ということで、また、話をしてもらったほうがいいと感じた。話題をまだたくさんお持ちなのである。

この機会に留学生の日本語学習支援のメンバーのネットワークが広がれば、Kさんのこれまでの努力が報われるのではなかろうか。


第8回雑談会

2010-07-24 13:36:24 | 日記・エッセイ・コラム

昨年末にはじめた雑談会も今日で8回目となった。あと30分ほどしたら、始まるのだが、今回はじめて女性のスピ-カーにお願いをしている。留学生の日本語支援をボランティアでしている方だが、とても興味深い話題を提供してくれるはずである。

スピーカーが女性ということもあって、女性の参加者が妻を含めて4人ということになった。こういうことははじめてである。また次回から元に戻るとは思うが、こういう会合とか集まりは常に拡げていく活動を続けていかないとだんだん縮小してしまうというのが、妻の持論である。

だから主宰者はいつも四方八方に手を広げていなけらばならない。それが妻の組織論である。いま、私が受け継いでいるテニスクラブだってそうして成長縮小を繰り返してきた。私自身はあまり組織化が上手ではなくて、一人で何かをするのが普通である。だから、テニスクラブはS夫人が裏でいろいろと手を回して人集めをしてくれているのだ。

だが、雑談会は主宰者の一人Nさんの尽力で続いている。彼の穏健ながら、革新的な意見に納得させられることが多い。月一度のこの会だが、結構支持されているのである。


朝の散歩

2010-07-23 07:35:57 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜は恒例のドイツ語のクラスの打ち上げ会が南堀端のアミティエであった。

ここの料理はいつもながらおいしくて、私たちは堪能した。ビールを2,3杯飲んだが、最後にキールを1杯だけ飲んだ。R氏と他の二人は二次会に流れて行ったが、私は歩いて仕事場に帰って泊まることにした。

Y夫人が昨夜ある映画の筋をR氏に話していたが、その中でschw"ulという語が出てきた。いまごろは季節としてschw"ulだが、と思いながら聞いていたが、即座にはその意味がわからなかった。

ふつう日本の夏のようにむし暑いことをschw"ulという。そのことをドイツ語で言った後で、映画の主人公の弟がホモだったと打ち明けたのだと日本語で説明をされた。それでこのschw"ulの意味がわかった。

もう何年も前のことだが、ドイツ語学者のMさんかドイツ文学者のUさんだったかに、このschw"ulの意味を教えてもらったことがあったが、ついぞホモという意味ではschw"ulという意味をドイツ語として聞いたことがなかったので、忘れてしまっていた。

それで、久しぶりに仕事場に泊まったが、昨夜珍しくアルコールを飲んだので朝早く目が覚めた。それで、妻がまだ寝ているから一人で起きだして散歩に出かけた。広い電車通りに沿って道後の方へと歩く。10分くらい歩くと道後公園である。

この公園に近づくと誰か向こうから早足でやってくる人がある。朝の散歩をしている人である。と思って近づいてみると、なんとテニス仲間のK弁護士であった。Kさんはお酒が好きな方なので、夕方飲んで早く就寝し、朝が早いとは聞いていたが、こんなに早くからウォーキングをされているとは知らなかった。

それから道後公園を1週して仕事場に帰った。


日本は八方塞がり

2010-07-22 14:52:28 | 日記・エッセイ・コラム

日本は八方塞がりである。このことを日本人が気がついているのなら、ある程度処方はあると思う。だが、そのことを気がついていないのではないかと思える。

なんでも財政的な裏付けがないことが多い。そうするとボランティアを募ってやるしかない。ところがいろいろなアイディアがまったくないわけではないのだ。それが手助けをしてもらえずに、孤立無援で頑張っている例が多いらしい。

だが、なんでもはじめは孤立無援なのだ。そういうことから主流になるものが育っていく。だから、本当はこの孤立無援のときをどうやって切り抜けるかが大切なのではないか。

話はちょっと違うかもしれないが、今月、雑談会で話して下さる方は留学生の日本語学習を支援している。ところが日本には国家の運営する日本語教授機関がない。これはヨーロッパの主要な国と比べると違うところである。

ところが、もしそういう機関をつくるためには国家予算が必要であろう。ところがそういう機関はできていない。また、外国人にどのように日本語を教えるかという教授法もあまり研究されていない。それで、すべて各大学の少ない日本語教育スタッフとその支援サポータに任されているという。

彼らの努力を有効にするための最小限の経験集約もいままでのところなされてない。だが、この経験の集約がどうしてもされる必要がある。


Oさんの追憶

2010-07-21 11:35:25 | 日記・エッセイ・コラム

もう一昨年のことになるだろうかOさんが亡くなったのは。Oさんと深いつき合いがあったわけではないが、憲法九条をまもる会の会合等で数回顔を合せたことがある。そして数年前に愛媛県九条をまもる会の総会に鶴見さんが講演に来られたときに講演の後に何人かの方々が鶴見さんの著書にサインをお願いしたことがあった。

そのときに、Oさんはご自分の蔵書の中から、鶴見さんの主著ともいうべき、「転向」の1冊をもってきて、鶴見さんにサインをお願いしていた。鶴見さんがもちろん快くサインに応じていたことはいうまでもないが、それから2年もしないでこのOさんが亡くなるとは思っていなかった。

いつか、これも九条の会の会合の後で、帰りのエレベーターの中で一緒になったことがあったが、Oさんの末妹が私たちのテニスグループのメンバーであることを告げると「Aは元気にしていますか」と妹のことを聞かれた。そのときはちょっと奇妙に思ったのだが、さして気にもとめなかった。Oさんはどういう理由か知らないが、姉妹を含めた親戚づきあいがないということを後で知った。

もっともこの私たちのテニスクラブのメンバーである、S夫人は一番自分の兄のことを気遣っていて、寒い頃に妻のところへ電話をかけてきた。兄に電話をかけても通じないので、兄の消息を知っていないかということだった。妻は方々に電話をかけて、どうもこの数日Oさんを仲間の人たちが見かけていないということがわかった。

それで、妻はS夫人に万一のことを考えて戸口のドアを破ってでも戸内に入ってみることを示唆した。その通りにS夫人が行って、入浴中にOさんが亡くなったことがわかった。

どうしてOさんが親戚づきあいをしなくなったかは知らない。これはプライバシーに属することであろう。だが、いくつかの推測はすることができる。Oさんは労働運動とか生協活動に熱心だったから、彼の姉妹はそれに批判的であったのかもしれない。それだと親戚づきあいが途絶えたことはあるいは仕方がないことであったかもしれない。

また、このOさんはある有名な作家の高校の同級生であった。そして、そのことからちょっとしたトラブルがこの作家との間で生じたのだとも聞く。だが、そういうことはここでは書くべきではないだろう。知っている人は知っているということでよいであろう。

死後、彼の多くの蔵書は彼の出身校、松山東高校に多分寄贈されたのだろうと思う。このことから彼の後輩たちがOさんのことを少しでも考えるよすがになればよいと思っている。


梅雨明け

2010-07-20 12:01:08 | 日記・エッセイ・コラム

いつもこのごろになると梅雨明けする。今年は梅雨明けは普通だったが、遅いときは7月25日前後のこともある。それにしても急に暑くなった。雲が急に夏らしくなってきた。

この仕事場は風が一般によく通るのだが、パソコンの前にはあまり風が通らない。それで仕方なくエアコンをつけることが多い。こういうことは毎年書いているようだが、今年も書かざるを得ない季節となった。

昨日から、東京のKさんに頼まれて文書の編集の仕事をしている。これはJSCPRという団体の会報に出ていた文章がきっかけとなって、ちょっとした文書の編集をしているのである。

昨日は数ページの文書を入力したら、くたびれてしまって午後5時ごろに目を開けていられないくらい眠たくなった。それで寝室へ行って一眠りするつもりだっが、3時間も寝てしまった。

この文書の入力中に日曜日に見つからなかった、広重の三段階論批判について書いている草稿がこの文書の中に紛れ込んでいることに気がついた。一昨日の日曜にはどこを探しても出てこなかった一枚の文書であった。もっとも仕方なく日曜にそれについてほぼ同じ文章を書いておいたのだが、やはりまったく同じというわけではなさそうである。


愛媛日独協会総会

2010-07-19 11:32:11 | 日記・エッセイ・コラム

7月17日(土)15時から愛媛日独協会総会が愛媛大学法文学部の会議室であった。

総会の後で講演会があったが、一人は学生の小林つかささんで、フライブルクの一年の滞在についてスライドを交えて話された。もっともどうしたものかこの写真が暗くくて、よく分からないのが残念だった。講演は小林さんが書いてきた文を読み上げる形式だったが、要領はいいものであった。

続いて、松山大学の田口武史准教授の「書物と農民の機能転換」という題のやや固めの題ではあったが、内容はなかなかおもしろいものであった。

ベッカーという人の編纂した「農民のための救難便覧」という名の書籍が累積で50万部も売れたという。これを計画したベッカー氏の販売戦略が詳しく語られた。

実際にはほとんどの農民は18世紀当時字を読めなかったらしいが、それでも啓蒙市民といわれる市民階級や都市自治体が購入して農家に配布したらしい。その当時のベストセラーである、聖書と比べてもそれを上回る売れ行きだったという。

この本の中の絵についた文を一つだけ紹介する。

Lustig gelebt und selig gestorben: heisst dem Teufel die Rechnung verdorben !

愉快な生活楽しんで、ほろ酔い気分でおだぶつすれば、悪魔のもくろみ、おじゃんてことよ!(訳は田口氏による)

どうも最近のPPK(ぴんぴんころり)みたいな言い方であるが、これは実は「ブランデーの功罪について」というブランデーを飲み過ぎないようにとのアドバイスを与える章の絵についた文章であるが、教訓というか生活指針を述べた本文よりもこちらを読んでみる方が面白そうである。

それで、思ったのだが、私のe-Learningコンテンツの配布のヒントになるのではないかと。

私は自分のつくったコンテンツを無料で配布してもいいと考えていたが、その後の懇親会でタダで配布したものは大切にしないということがあるらしいので、読んでほしいものは有料で配布した方がかえって読まれるのだということをドイツ人のR氏に教えられた。おかしなものである。


慣れない用語を使うと・・・

2010-07-17 13:24:46 | 数学

e-Learningのコンテンツでフレーズ型とセンテンス型の式という語を「等式の種類と性質」の節の説明のときにつかった(注)。

数学教育協議会での議論を知らない閲読者の一人(電気工学者)からそんな概念を説明するとかえって混乱を学習者に与えてしまうから、やめた方がいいのではないかとコメントがついた。

それも一理はあると思ったので、そこをスキップするのもありだとの注釈を入れて対応した。「なぜ聞きなれない用語を使う必要があるんだろう?」と閲読者は疑問に感じたことは間違いがない。 

方程式と恒等式の式変形の性質は同じではない。それがどう違うかということも昔から問題なのであろう。

私の存じ上げていた、故矢野寛(ゆたか)先生の書いた『中学・高校における水道方式』(愛媛県数学教育協議会ブックレットNo.1, 1995)によれば、式が表す量が変わらないのが恒等式であり、各辺の表す量は変わるが、両辺が等しい(図的に表せば、天秤がつりあう)は変わらないと言葉と図が示されてあった。

こういう方程式と恒等式の式変形を両方とも図で表すというのは他では見たことがない(もちろん、方程式の式変形を天秤のつりあいとして表すのはたくさんある)。

『大道を行く高校数学』(現代数学社)でも恒等式の変形と方程式の変形の説明は工夫がされており、これはe-Learningのコンテンツ閲読者で現役の技術者のbreezingさんのコメントともよく似ていた。

それをe-Learningのコンテンツに取り入れさせてもらったが、それでもまだ十分とはいえないと感じていたから、この矢野先生の説明には納得させられた。

前にもこの矢野先生の説明を読んだことがあるのだが、私の読み方が悪くて、式の変形が文字タイルで描かれており、この説明があることに気がつかなかった。

(注)フレーズ型とセンテンス型の式変形は数学教育協議会ではそれぞれフレーズ型とクローズ型式変形と言われている。クローズ型式変形をセンテンス型式変形といい直されたのは故矢野先生である。