物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

フォレスト・ガンプ

2014-04-14 17:04:05 | 映画

昨夜はじめて、映画「フォレスト・ガンプ」を最初から最後まで見た。

今まで途中だけフォレストが懸命に走っているシーンは見たことがあったが、初めから終わりまで見たのは初めてであった。

自閉症か何かの子どもが大人になるという話だが、トム・ハンクスが演じるフォレストは運がよくて軍隊でも功績を上げるし、卓球でも優れたプレヤーとなり、またエビ漁の漁船でもはじめは上手くいかないが、大成功を収める。

そして軍隊での上官だったダン少尉の才覚で最後にはコンピュータ会社のアップルに投資して財産を得るという運のよさである。

愛はなかなか得られなかったが、ようやく幼馴染のジェニーと結ばれて、二人の間に一人の子どもが生まれる。

が、妻のジェニーは難病で死んでしまうという不幸である。だが、彼はフォレスト・ジュニア―を一人でこれから育てるという結末である。

自閉症とかの問題があるが、結構私たちの生きてきた時代の出来事がその中に挿入されており、ベトナム戦争もそんなに遠い話ではなかったし、アポロの月面着陸も同時代に生きた私には懐かしく感じられた。

(注) 飯尾先生から主演はトム・クルーズではなく、トム・ハンクスであるというさりげないコメントを頂いた。あわてて自分の書いたブログを見たら、トム・クルーズと書いてあり、私の記憶がいい加減であることを知った。

私の意見ではトム・ハンクスよりもトム・クルーズの方がイケメンである。もっともこれは主観が入るから、意見のちがう人があるだろう。


ハンナ・アーレント

2014-03-27 16:01:52 | 映画

今、話題の映画「ハンナ・アーレント」を先ほど見てきた。

話はイスラエルのモサドに拉致されたアイヒマンの裁判の傍聴記をニューヨーカーに書いたアーレントがアイヒマンを「凡庸なる悪」であって、根源的な悪ではないと書いたことによる周囲の反響とかを取り扱ったものである。

アイヒマンは確かに多くのユダヤ人を強制収容所に送り、結果的に多くのユダヤ人を殺害することに関与したことになる。だが、彼はすべて命令にしたがっただけだと法廷で述べているが、その罪を自覚したから南米に逃亡したのであろう。

別にアーレントはアイヒマンに罪がないとは言っていなくて、死刑でも当然であろうと考えてはいるが、彼を「根源的な悪」だとはみなさなかった。

その傍聴記のためにアーレントは長年の友人を失ったし、失望を友人たちに与えたことも確かである。

ただ、哲学者というものはそこまで突き詰めて考えるものかと思って、アーレントの徹底さをうらやむと同時に、これは私がもし彼女の友人の一人ならば、やはりなかなか友人である続けるのは辛いかもしれないと思った。

人間は論理的には理解しても感情で理解できない、または許せないことはあるものだと思う。

ハンナは夫のハインリッヒとは家庭でドイツ語で話していたし、友人たちも多くはアメリカでも家庭内ではドイツ語で話しており、その会話のすべてを聞き取れたわけではないが、久しぶりに映画でドイツ語を聴くという機会を得たのはよかった。

映画は明日3月28日までだから見たい人は松山市銀天街のはずれのシネ・ルーナティックへ急いで見に行って下さい。


Tous cobayes ?

2013-09-27 15:15:14 | 映画

Tous cobayes ?(トゥ コバュ ?:意味は「みんなモルモット?」)という映画を今朝見た。もちろん映画館でみたのである。

妻が朝食後、この映画のチラシを見て、cobayesにミスプリを見つけたと喜んでいた。チラシにcoboyesとあったと思ったのだろう。スマホのgoogleでcobayesであることを知った。

ちょっとそのチラシを見たときに、フランス語かスペイン語がわからなかったが、フランス語の辞書を引いてみたら、モルモットとあったので、フランス語だと分かった。

それで11時から始まる上映に向けて夫婦で出かけた。映画は遺伝子組み換えと原発の恐ろしさやその共通点を指摘するドキュメンタリー映画であった。

原発大国のフランスの映画としてこの映画がつくられているのは皮肉ではあったが、日本の福島の原発事故に翻弄される福島の人々の取材もあり、また遺伝子組み換え食品を2年にわたって食物として与えられたラットの腫瘍とかのできる数の増加を、あるフランスの大学の研究者が動物実験して見せているのが特に印象に残った。

ちなみに遺伝子組み換えトウモロコシ等の種子をつくっている、企業のモンサントは動物に3か月しか与えて検査をしていないそうである。そして、ラットの腫瘍が増えてくるのは実はこの3か月を過ぎた後だという。モンサントはこの3か月の検査で動物実験で無害を主張しているらしい。

モンサントというカナダかアメリカの企業が遺伝子組み換えトウモロコシの種子と雑草が生えないように農薬を合わせて売っており、それをフランスとかアフリカの国に売って莫大な利益を得ている。

そして、そのことで人間はまさにモルモットとしてガンとかの病気にさらされている。自分の国でそのような穀物を生産していなくても国が、企業がその農産品を輸入していれば、その搬入の港で働いている労働者はそれらの農産品に散布されたり、輸送の途中で散布された農薬の粉じんを吸い込んでガンになった人のインタビューもあった。

その人は子どもが成人したときにはこの事実を子どもに伝えてほしいと言っていた。そして映画のサブタイトルでこのインタビューの3か月後にインタビューされた方は亡くなったと出ていた。

今回の上映は今日で終わりであったが、結構多くの人が見に来ていた。私はこの映画を見たから、すぐに遺伝子組み換え食品がなくなったり、原発が廃止されたりすると考えるほどには楽観的ではない。が、それでもこういう映画がつくられ、それが少しでも多くの人に見てもらえることは遺伝子組み換え食品や原発の拡大への抑止力として最小限にしかすぎないが、機能するのではないかと思った。


ひまわり2

2013-08-31 12:03:11 | 映画

昨日、日本映画の「ひまわり」を見た。

もともとの「ひまわり」という映画はイタリア映画だったが、やはり一種の反戦映画だった。それで日本版「ひまわり」もそういう種類の映画だろうと思ってみたら、その通りだった。

この「ひまわり」は沖縄の基地問題を扱った映画であり、小学校のころに友人たちがその小学校に落ちたジェット機の犠牲になって死んだ方の終生のこだわりがその通奏低音となっているが、その人の孫の世代の話を中心に話が展開する。

沖縄は昔も現在も未来も展望としては暗い。それはアメリカ軍の基地が多くの面積を占めており、その様相はこのところ変わる気配が感じられないからである。

民主党政権時代の鳩山元首相の言にいくばくかの希望を感じた県民であったが、現実ははかばかしくなかった。鳩山氏の現実離れした構想を咎めるかたもおられようが、それが実は問題ではなくて、外交で、実務を担っている外務省がまったく基地を沖縄から減らすことが眼中にはないとかさらにいえば、アメリカが沖縄の基地を減らす気がないことが原因である。

そしてその日本の政策を支持している、多くの日本人の問題でもある。

沖縄にはいい展望がないが、それでも希望を失ってはいけない。


ハリウッド白熱教室

2013-06-15 13:10:12 | 映画

NHKの「ハリウッド白熱教室」は映画に関するものであり、なかなか映画とはこういう風にしてつくられているのかということの一端が窺えるものである。

映画製作などに関心をもったことがなかったので、興味深く見ている。昨夜は第2回であったが、この白熱教室のメモなどをとると面白さが台無しになると思って、見るだけにした。

ヴィジュアル・エフェクトで映画はいろいろのことを示しているということを初めて知った。とはいっても門外漢もいいところだから、それが身につくとか記憶にとどまるなどということはあまり期待できない。

このころはしばしばインターネットの無料オンライン講座とかが新聞等でも話題になるが、なかなかそれを実際に見ることなどない。

「MITの物理の実験の講義がインターネットで見えるよ」と教えてくれたのは私の子どもであったし、また、TEDカンファランスのサイトがあると教えてくれたのは長男の嫁であった。

しかし、なかなか忙しくてこれらの情報をうまくいかせるところまでは行っていない。

知的好奇心をもって世の中のことに対処したいとは思っているが、日常生活の忙しさにかまけてなかなかいつも新鮮な気持ちでいることは難しい。


マネキネマ例会

2013-03-18 11:36:03 | 映画

昨日、マネキネマの例会でスペイン映画を見た。これはかなり古いスペイン内戦時代の話であり、このことを知っている、日本人ももうそれほど多くはないのではなかろうか。

スペイン内戦は私などにはむしろ文学作品としてはヘミングウエイの「誰がために鐘は鳴る」で知られている。この小説は読んだことはないが、ゲーリー・クーパー主演の映画は見たことがある。アメリカ人のヘミングウエイも共和国側に加勢して参加していたのである。

フランコ総統はファシストではあるが、ヒットラーとかムッソーリーにとは違って戦後も政権を保っており、彼の死後ようやく王政が復古して、普通の議会政治が復活した。

そして、その当時のドイツとかイタリアのファシスト政権はフランコを応援したが、共和国政府をイギリスとかフランスが応援しなかったためにファシスト政権側が勝利を収めた。

息子と妻をファシスト側の空爆で亡くした旅芸人と母とはぐれた子どもを中心としてドラマが展開をする。最後にフランコ暗殺の計画に主人公が加担したわけではないが、その疑いから逃れる前にポルトガル経由でアルゼンチンに逃れようとしたときにファスト軍の将校の銃弾に斃れるという、幕切れである。

その母とはぐれた子どもはその後有名な芸人となり、彼らを回想して劇場で講演をし、昔教わった歌を歌う。

私には話の筋とかが十分にはわからなかった。古い話ではあるが、感動的なストーリーであった。タイトルは「ペーパーバード(紙でつくった鳥)」である。


原節子

2012-10-13 11:06:20 | 映画

原節子は日本一の美女である、という思い込みが私にある。これは私の亡き母がそうよく言っていたためかもしれない。

私がもの心がついたころには、まだ多分原節子は映画に出演していたと思うが、どうもその面影をあまり覚えていない。時々何かの拍子で彼女の出演していた映画の断片を見たりしたことはあったが、それでもよくは覚えていない。

シネマルナティックにそのうちに原節子の昔の映画「新しき土」が来るようなので、妻と二人で見に行こうかと考えている。どうして原節子などという名前を思い出したかだが、それがよくわかならない。

先日新聞で原節子さんが92歳でまだ存命であるというような、記事をちらっと読んだような気がするが、それも定かではない。最近、伝説の女優原節子のことを書いた本が出ているのを新聞広告で見た。

あるとき、映画界から完全に引退をして、それからは世間の話題となるようなことを嫌って、ひっそりとくらしているとかいうのが、世間や私の知るすべてである。

しかし、映画の上ではまだ若々しい原節子に接することができる。映画は不滅である。


「灼熱の魂」から

2012-10-03 11:03:22 | 映画

先日の9月30日シネ・ルナッティックでカナダ映画「灼熱の魂」を見た。内容はなかなか強烈なもので、ちょっとここでその筋書きをお話しする気が起きない。

しかし、これはカナダのケベック州の映画であるので、私のわからないアラビア語(?)だけでなく、フランス語がかなり話されていた。その中で特に気を引いたフランス語の二つ、三つを取り上げる。

一つはconciergeである。私などはフランスのアパートの管理人がconciergeであると思っていたので、この映画では学校の用務員という訳語が目新しかった。「私はただの学校の用務員にしか過ぎない」。双子の姉弟の弟が母の死後にその足跡を尋ねて、ある監獄の関係者を訪ね歩いたときに出会ったある男の言い訳である。このconciergeという言葉の響きがとても重たかった。

母はある中東の国の出身なのだが、その国では信じる宗教のゆえか民族の違いか、その経緯はよくわからなかったが、内戦になって、その一方の派の指導者を母はピストルで射殺するという行為を行ったので、15年の刑を受ける。

そのときの苦難と運命がこの映画の主題であるが、その監獄に捉われている人を励ますということとか自分が屈しないという証拠に歌をいつも歌っていた。それで「歌う女」というあだ名がつく。la femme qui chante(ラ ファッム キー シャント)と呼ばれるようになる。quiは英語でいうとwhoに当たるから、the woman who singsとでも訳されるだろうか。

それからもう一つはこの映画の原題である。「双子」という原題であるが、les jumeauxであった。ちょっと定冠詞が怪しいがお許しを願いたい。双子といえば、英語ならtwinであろうか。私のこのブログのURLはtwinではじまるが、これは私が双子座の生まれであることによっている。

ドイツ語ならZwillingeであろう。私の子どもは2歳違いであり、双子ではないが、よく同じコートを着せていたから、ドイツではよくZwillinge ? と聞かれた。親の私たちから見ると明らかに違って見えるのだが、着ている服とかによって双子かとよく聞かれた。


ドキュメンタリー映画「X年後」を見る

2012-09-17 12:02:19 | 映画

シネマルナティックで、昨晩ドキュメンタリー映画「X年後」を見た。

これは土曜日の朝日新聞の人欄に伊東英朗さんの話が出ていたが、そこに15日から東京と松山でこの「X年後」が同時に封切られるとあった。

どこの映画館で上映されるのかわからなかったのだが、そのことを妻に言ったら、妻がシネマルナティックで映画を見たときにもって帰った、この映画館の上映予定の紙片をみつけてきて、上映館がわかった。

この紙片には11時から上映とあったが、実は私が土曜日の新聞を見たのは日曜日の午前11時前であって、この時間の上映には間にあわなかった。

それで仕方なく、夕方まで待って夜の上映を見た。

取り扱っているのはビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で被曝したマグロ漁の船員の話であった。それらの船員はほとんど50代から60代のはじめにガンで亡くなっていたということが最近の調査でわかった。

もちろん、少数ではあるが、まだ生存者がいて、それらの方々はきちんとカッパを着たり、帽子をかぶっていた方々であるという。もっともそういうことは大部分のマグロ漁の船員にはできなかったであろう。このような過酷な漁では、カッパを着ての作業などとてもできなかったであろうからである。

約300艘のマグロ漁船があり、各船がそれぞれ20名の船員を載せていたとすると、ヒバクシャは少なく見積もっても6、000人はいたことになる。多分約10、000人のビキニ被曝者がいたであろう。だが、そのほとんどの方々はすでに亡くなってしまった。この事実に気がつくのがzu sp"at(あまりに遅すぎる)。

ビキニ被曝の追跡調査を行っている元高校教員の山下先生はこれらの船員にも被曝手帳を交付すべきだとの運動をされているとのことであるが、ヒロシマ、ナガサキの被曝とは関係がないということで被爆手帳はまだ交付されていない。

フクシマの原発事故もあったので、将来はビキニ水爆実験での被曝やまた、フクシマの被曝者も含めてヒバクシャ手帳をヒバクシャに交付するのがすじであろう。

だが、そういう時代はいつ来るのかを考えると気持ちは暗澹となる。

映画は9月21日(金)までが1回目11:00から2回目が18:30からである。ただし火曜日は休映とのことである。9月22日から9月28日までは1回目10:00からであって、2回目の上映はない。

この映画は南海放送60周年記念の企画となっている。

もともと南海放送のディレクターの伊東さんが独自に取材したビキニヒバクシャの番組が7本もあり、それを映画化したらしい。私も偶然その一本、メメント モリを見たことがあった。


映画「トスカ」を見る

2012-07-07 18:31:12 | 映画

今日、愛媛大学映画文化研究会の第31回例会で映画「トスカ」を見た。

たまたま私の都合のつく土曜日の午後の上映だということもあったが、それだけではなく私がNHKの「ラジオでイタリア語」の放送を漏れ聞いて、オペラ「トスカ」に興味をもったからである。

これは今年の2月か3月のことだったが、ラジオを聞くともなく聞いているとたまたま「ラジオでイタリア語」のアンコール放送かなにかであり、この放送の常連の演出家の安住淳(漢字は当て字です。すみません。この字ならいまの財務大臣の名ですか?)さんがオペラ「トスカ」の筋を話していたので、関心をもった。

それによると、トスカは恋人を救うために警視総監のスカルピーノに命乞いをするのだが、なかなか受け入れてもらえない。自分の身を任すことを条件に恋人カバラドッシを死刑から救うための口約束を警視総監からもらう。そして海外へ逃亡するための通行許可書を書いてもらう。

その後にトスカはナイフでスカルピーノを刺し殺して、自分はスカールピーノから自由になるが、前もってされていた陰謀で恋人は銃殺されてしまう。それで自分も城の城壁から身を投げて自殺をするという話である。これは絵に描いたような悲劇である。(カタカナpiがbiと勝手に変換されているので、注意)

なぜ恋人のカバラドッシが警察に捕まり、銃殺されるのかのいきさつは知らなかったが、彼は自由主義者であり、友人が牢獄から逃げ出した後の逃亡を援助したために、時の権力の警察に捕まったという設定であった。

カバラドッシは画家であり、トスカは歌手である。トスカ自身は歌姫であるから、王家の人々とも親交があったという設定になっているが、映画ではほんのそれらしいことをほのめかされるくらいであった。

これはプッチーニのオペラであり、1900年が初演だという。それを映画の中に取り込むという手法であるが、この映画自身は2001年のもので比較的新しいものである。音楽もとてもいいと感じたが、私には音楽はあまりわからないので、あてにはならない。

最後の方の部分は私はイタリア語講座の安住さんの話で最後の結末だけは知っていはいたが、なかなか緊迫をしたものであり、楽しめた。

愛媛大学映画文化研究会の例会に久しぶりに参加して上映後の安藤秀国教授の解説も楽しんだ。愛媛大学映画文化研究会のいつもながらのご尽力と今後一層のご活躍をお祈りしたい。


ひまわり

2012-06-15 22:01:54 | 映画

ちょうど1週間ほど前に、「ひまわり」という映画を見た。

悲しい話であるが、若いイタリアの男女が2次世界大戦戦争中に愛し合うようになり、結婚する。そして戦争にとられないようにと夫は気が狂ったようなふりをするが、それが発覚して一番厳しいロシア戦線に送られる。

戦争が終わったのに夫が帰ってこない。妻はいっしょに戦線にいた人から事情を聞くが、どこかで生き別れになったことしかわからない。戦死の届けもなく、行方不明である。

夫のことが忘れられない妻(ソフィア・ローレン)はロシアまで夫を探しに行く。どこかの町で生きて働いている夫と出会うが、夫はイタリア人だとは告白しない。

それで、近隣の町を探した妻は夫がきれいな若い女性と結婚して、娘までいることを突き止める。そしてその家を訪ねる。新しい妻はそれが自分の夫の元の奥さんであること悟り、夫が帰ってくる汽車を二人で駅で待つ。

実際に夫が汽車で駅に着いたときにソフィア・ローレンはいたたまれず、その駅に着いた汽車で立ち去ってしまう。

その後、夫は事情の説明のためにイタリアへ帰って来て、まず電話で話をするが、それぞれの事情があって元にはもう戻れないと夫に告げる。

それで夫はロシアに帰ろうとするのだが、あいにくストで鉄道は動かない。それで急遽、元の妻に会うことを決めた夫は妻のところへ行って自分が戦線から退却しているうちに倒れてしまい、記憶喪失になったことを告げる。

そして自分を助けてくれた若い女性の家で看病され、気づいて、その女性とやがて結婚する。

しかし、夫にはロシア人の妻と娘がおり、またソフィア・ローレンには男性がいて、その間に息子ができている。だから、涙ながらにロシアに帰る夫を駅で見送る。

そんなあらすじである。ソフィア・ローレンがロシアに夫を探しに行ったときにその元戦場に今では地平線の向こうまで一面のひまわりが咲いている。というのがひまわりという映画の題名となっている。また、その近くにはいっぱいの戦死者の墓地がある。

こういう、とても悲しい話であり、反戦映画かとも思うが、単純な反戦映画でもなさそうである。これは1970年の作であり、私は映画館では以前には見たことがなかった。

夫が住んでいたところを探して行ったときに、駅の背景が原発であると思われた。これなどは本当にロケをして撮った映像ならば、ウクライナかなと思わったが、本当のところはわからない。

ウクライナなら、ここはもうここはロシアではくなっている。その点でも興味深かった。もっとも背景を勝手に付け加えることは映像技術的にはそう難しいことではないので、本当のところはわからない。

映画がどういう設定になっているのか知りたい。


弁護士 布施辰治

2011-09-05 12:37:49 | 映画

ドキュメンタリー映画の「弁護士 布施辰治」を県の美術館の講堂で見た。9月3日と4日の二日で一日2回づつの上映だったが、初日に台風が来ていたにもかかわらず、満員となり、補助椅子まで出したとは主催者のごあいさつで話をされていた。

「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」というのが布施辰治のモットーであったとかいう。今とは違って人権が尊重されていなかった時代に弱い者の味方となり、自分も投獄されたり、弁護士資格を2度にわたって剥奪されながらも果敢に闘ったという。

特に日本の朝鮮半島支配の時代にその朝鮮人を擁護して、その人権を守ろうとしたというその姿勢と努力には頭が下がる。私自身の関心があるのは、天皇支配の時代であるのにどのようにしてそのそうような思想を布施辰治が身につけたのかである。

これは現在の時代のような時代の思想とはまったく時代が異なるからである。別に布施は左翼思想の持ち主ではなかったらしいが、この人権思想はとてもしっかりしていたらしい。

今ごろは弁護士でも必ずしも所得の多くない人もおられるかもしれないが、昔は弁護士は裕福なのが普通だったろうが、それでもほとんど弁護料は実費以上にはとらず、旅費も当時の3等車で弁護に出かけたという。これは普通の人にできることではない。

布施は石巻市の出身であるそうだが、映画はこの映画にはもちろん石巻も出てきたが、これは東日本震災以前の撮影であった。私も一度だけ会ったことのある、故阿部三郎弁護士も最後の方にインタビューで出て来られていた。


soul kitchen

2011-07-26 12:38:09 | 映画

soul kitchenはドイツ映画である。ハンブルクが舞台で、あるレストランのレストランオーナーの愛と彼の経営するレストランに関するできごとを巡る映画でどうってこともないのだが、ドイツ語のクラスで勧められたのとしばらくぶりに生のドイツ語を聞いて見たくなったので、日曜の夕方、妻と二人で見に出かけた。

映画を日曜の夜に見に来る暇人は少ないと見えて、私たち夫婦以外では若い女性の二人連れしかいなかった。映画が斜陽産業であることは変わりないようである。

ドイツ語もあまり聞きとれず、音楽だけが大きな音響であった。あまりドイツ語が聞き取れなかったと後で言うと、妻が時々単語が聞き取れたというから、もちろんドイツ語学習のキャリアが違うので、もちろんそういうことではないと答えて大笑いとなった。

レストランオーナーは昔の学校の友人にそのレストランを売れと迫られるのだが、この不動産業の友人の名がノイマンといい、有名な数学者のフォン・ノイマンと同じ姓だったのを、後で気がついておかしかった。

前科者の兄がばくちのカタで、このレストランの建物と土地をこの不動産業者に奪われてしまうのだが、不動産業者が脱税か何かでつかまり物件は競売になる。それを元恋人から借りた20万ユーロの資金で競売のときに買い戻すという話である。1ユーロがおよそ100円とすれば、2000万円くらいの価値だろうか。

それだけの話であるが、そのいきさつはもちろん面白おかしくなっているし、元恋人との話もある。税金を滞納したことによる差し押さえにも遭うし、いろいろのできごとがある。もっとも私は理解力がないので話の筋がよくわからない。

レストランオーナーは重い冷蔵庫を持ち上げようとしてぎっくり腰になるということが挿話的に挟まれている。先日のドイツ語のクラスの後での医師の I 先生のHexenschuss云々はこの映画を見ての話だったらしい。

先日私もぎっくり腰になり、体の動きが数日不自由になった。


「武士の家計簿」を見る

2011-04-23 13:55:00 | 映画

映画「武士の家計簿」を昨日見た。加賀金沢百万石の前田家はさすがに大藩だけのことはあって、そろばんのよくできる算用者を150人抱えていたと聞くとさすがに大きな藩だなと思う。

その算用者の中の一つの家系の猪山家の7代目直之は剣術はからっきし駄目だが、そろばん達者で藩を支えるようになる。それも上役の殿様からの放出米200俵を上役が50俵ピンはねしていたのをそのピンはねを認めないという律儀さからである。

もちろん下っ端家臣だから、その上役に疎まれて能登半島に出向になろうとしていた。ところが査察が入ってそのピンはねは暴露されて、その調べを地道にしていた直之は取り立てられる。

この直之は融通が効かぬといえばそうであるが、どうもきちんとするしないと気になるという気質かららしい。

そして自分の家の家計が火の車だとなると、父、母、祖母に秘蔵の宝も出させてそれを売り払って借金を返そうとするが、それでも半分くらいしか返済できない。それで弁当とかその他の緊縮財政をとる。10歳にも行かない(?)息子に家の買物の支払いをまかせ、家計簿をつけさせる。そして5文かなにかの赤字を自分でなんとかしなさいという。

また、犀川で拾ったお金で我が家の赤字を補填したという息子にそれを犀川の河原に戻しに行きなさいと命令する。小さい子どもだのにである。

その後、子どもの成之は討幕軍に加わり、大村益次郎とともに暗殺されたと思われたが、それは人違いで生き残り、政府の要人となる。

実際に大村益次郎から高い評価を得て、討幕軍の勘定方に抜擢された。ここらあたりはよくはわからなかったが、大村益次郎(村田蔵六)は元医者で日本陸軍の創設の立役者の一人といわれているが、昔見た大河ドラマ「花神」ではシーボルトから医術を習い、若いときは宇和島の伊達藩に仕えていたと記憶する。

だから、大村はやはり普通の武士とはものの見方が違っていたので、算用者である、成之を評価できたのだろう。彼は砲術を蘭書で学んだとも言われる。砲術とは穏やかではないが、もしそうなら、村田蔵六は放物体の運動の力学等も学んだのであろうか。

この映画は金沢の古文書を読み解いた方の本を下敷きにしているらしい。そういう作業をした磯田道史さんとかいう方はなかなか目のつけ所がいい。


会議は踊る

2009-12-08 13:10:32 | 映画

愛媛大学映画文化研究会が数ヶ月に一度行っている上映会を利用して12月5日の土曜日に「会議は踊る」を見た。これをはじめて見たのはNHKの名画ライブラリーか何かであって、古きよき時代のウイーンの雰囲気を楽しんだ覚えがある。

上映時間は90分で長い上映時間ではないが、ドイツ語ファンにとっては堪えられない映画である。上映の後に法文学部の安藤先生のお話があったので、それをぜひ聞きたかったのだが、夕方から I 市でいとこ会があったので、そちらのトークの方は失礼をした。残念であった。

「会議は踊る」はナポレオン失脚後のヨーロッパの領土をどう分けるかの会議をウイーンで開いたのだが、その会議をよそに華やかな舞踏会を宰相メッテルニッヒが開いて、自国に有利に交渉を進めようとした。ロシア皇帝のアレクサンダーもその会議に参加したのだが、ウイーンの手袋店で働くクリステルと知り合い、恋に落ちるという筋だが、ナポレオンがエルバ島からフランスに上陸したという報で急遽ロシアに帰国するという単純な筋である。

だが、この中で流れる歌がいいので、これがこの映画を名画としている由縁であろう。Da gibt's nur einmal.という歌はこの「会議は踊る」をはじめて見る前から知っていた。もちろん全部を覚えているわけではないが、とても有名な曲である。

クリステルの切ない気持ちを表した歌でこの映画の主題歌と言っていい。映画の筋そのものは他愛ないものであるが、この曲がこの映画を名画としている。

この際に愛媛大学映画文化研究会の多年の活動を感謝しておく。