物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

velocityとvelo-city

2025-01-31 11:16:21 | 物理学

velocityとvelo-cityとはどうちがうのかわかりますか。

velo-cityはvelocityを分けて書いただけではないですか。velo-cityは朝日新聞を読んでいて物理用語の「速度」(velocity)の英語が書かれてあると思った。ところがそうではなかった。

velo-cityは自転車国際会議というつもりだったらしい。この会議を現愛媛県知事が松山で開きたいという記事であった。そういえば、自転車のことをフランス語でveloともいうなと思いついた。

mon veloというと私の自転車という意味である。bicylcetteというフランス語もある。

(2025.2.2追記) 物理学の初歩を学んだ人は速さと速度とはどう違うか知っている。速さはスカラー量であり、速度はベクトル量であるという風に物理学の初歩では学ぶ。

スカラーとベクトルを知らない方に付け加えて説明すれば、スカラーとは大きさだけあって、方向とかは持たない量のことである。例としては温度とかである。一方、ベクトルとは大きさだけではなく、方向(向きも含む)も持つ量である。ベクトルの例としては力とか速度とかがある。

 

 

 

 

 


古い原稿

2025-01-31 10:29:28 | 物理学

古い原稿をlatexの文書にしている。これは『数学散歩』という自費出版の本の原稿である。『数学散歩』は全体で38編の文章からできていた。

そのうちの4編がまだlatexの文書にすることができていない。これらはほとんどどこかに修正したい個所がある文書である。残りの4つのうち一つだけほぼそのままでいいと思っている文書を昨夜からlatexの文書にしている。

それが終わると残りの3つの文書のうちで比較的問題がない「ラプラス演算子の極座標表示」を修正しながら、latexの文書にしたい。これは直交座標ならなんてこともないラプラス演算子を球座標表示に変換することを馬鹿正直に行ったという文書である。

残りは「特殊相対論入門」と「テンソル解析の学習における問題点」である。この最後の文書は実はベクトル解析の学習に役立つのだが、どのように修正したらいいのか方針も立たない。

これはこの文書が間違っているということではない。もっと一般的な立場にどうすれば立てるのかが私にもまだ十分わかっていないということである。

「特殊相対論入門」の方は私の昔の応用物理の講義の一部として行ったノートの一部だが、これはエネルギーE=mc^{2}が天下りに出てくることを避けるための措置であった。

これもなかなか修正が難しいところがある。だが、時間をかければ修正は可能だろう。


近藤康太郎さんと会う2

2025-01-29 18:13:56 | 数学
近藤康太郎さんと会って話したことは実は数学のことが主ではなかった。近藤さんは東京生まれの東京育ちだし、新聞記者としてはニューヨークに3年住んでいたとか。

いわゆる田舎暮らしとは無縁の人生しか、この10年程前くらいまでは送ったことがない方である。そういう方がなぜ急に田舎暮らしに目覚めたのかというのが、あまり都会暮らしをしたことのない私の疑問であった。

彼はいう。「田舎には言うに言われぬ魅力があるのです」。私にはその辺の理由が実感としてはわからない。水田でコメ作りをしたり、鉄砲をもって猟師になったりするというのはひょっとすると都会だけでそれまで生活してきた人には言うに言われぬ魅力なのかもしれない。

それに近藤さんは毎朝15分だが、彼の高校時代の数学の先生だった、武藤徹先生の書いた高校数学のテクストを読むという生活をされているらしい。このテクストは「高校数学読本」というタイトルだったかの6冊か7冊かのシリーズ本であり、日本評論社から発行されている。1冊1冊はそれほど高価な本ではない。

世の中にはそういう長編の数学のテクストを高齢になって書いた数学の先生もいれば、それをまた高校卒業後の何十年も経ってからコツコツ読んでいるかつての教え子の読者もいるということ。どちらもうらやましい。


どうして熱は高い方から低い方向に流れるのか

2025-01-28 16:32:28 | 物理学
「どうして熱は高い方から低い方向に流れるのか」

これはいまさらのような疑問かもしれない。実は昨夜ベットに横になってそういう質問を高校時代に物理の先生にしたなあと思い出したのだった。

いまに至るもその答えは知らない。ちなみに高時代の物理の先生だったⅠさんがどう答えたと思いますか。

「おい、K、それは熱の性質だよ」こんな答えに満足するくらいなら、そんな質問などしない(注)。物理の I 先生、ぶったまげたかもしれない。質(たち)の悪い奴だと思われたかも。

受験勉強中にかなり多くの物理の問題を解いてもらった大恩にある先生である。浪人することなしに物理学科の受験に成功したのもこの I 先生のおかげであったかもしれないのだ。どうやって物理の問題を解くのかの基本を教えてもらった。

もうとっくの昔に故人になっている I 先生のことを思い出した。その後の知ったことだが、この私の疑問はいわゆる「熱力学第2法則」と関係した重要な事実であるということだった。

(注)このKは私のペンネームを入れてあります、念のため。

私の活動は?

2025-01-28 10:35:30 | 本と雑誌
私の活動は?ということで少しだけ紹介しておこう。

先日の1月25日で20年間続けた月1回開催の雑談会を止めたことは先日のブログで書いた。他に何をしているか。

その一つはこのブログの執筆である。このブログも始めたのは2005年4月末の4月30日だったかであるが、ブログも今年で26年目である。これが私の活動の第2番目である。これはまだ継続中である。現在で7212件のブログを書いている。

もう一つは2009年12月から始めた「数学・物理通信」の発行である。これも現在は継続中である。

人間の活動期に大学に勤めていた人などごまんといるが、大学を退職した後でこういう活動をある程度長期間にわたって継続している人は少ないのではあるまいかなどと勝手に考えている。

もちろん、私だけが頑張っているなどというエリート意識など持っていないつもりである。「それそれ、そういうところがエリート意識の丸出しではないか」と言われればおっしゃるとおりかもしれませんが。

雑談会も友人・知人の集まる場を意識してつくってきたつもりであったが、何せ孤立無援であり、ほかのメンバーからの助力とかの申し出はほとんど感じられなかった。

一度、「雑談会の開催通知をする連絡係をだれか代わってくれませんか」という提案をしたことがあったのだが、積極的あるいは消極的な助力の申し出はまったくなかった。これが今回の止めるという決断の背景をなしている。

私自身はあまりなんでも積極的な方に活動をするタイプではないのだが、それでもここで書いたようないくつかの活動を続けてきた。

他にもこれは知人から頼まれてしかたなくやっていることだが、月の第4週土曜の午後以外の毎土曜の午後に「ただ塾」の中学数学の先生もしている。

最近は、この任務が私の活動の大きな一部となっている。こうしてみると人間って、しなければならないことは結構あるものです。

雑談会を止めて、第4週の午後も時間があいたので、この週に代わりに講師を引き受けてもらっている人の代わりを引き受けることになるのだろうか。

ここで、自分の個人的な活動については触れるつもりはない。そういう活動が本当は私のしたいことである。


新しいパソコンの購入

2025-01-27 12:57:09 | 本と雑誌
先日edionの南松山店に行って新しいパソコンの購入の予約をしていたのだが、今日その新しいパソコンが入って設定をしてもらったばかりでこのブログを書いている。

実は妻が子どもにおねだりをして費用の大部分を拠出してもらって、購入した新しいパソコンである。

面倒な設定もしてもらったので、今回は面倒なことはほとんどなかった。ただlatexのdvdを再度読み込ませる必要があるが。

字の大きさとか画面の大きさとかポインターも大きくしてもらった。老眼でも見やすくなった。むしろ今では大きすぎるのではないかというくらいである。


近藤康太郎さんに会う

2025-01-26 15:41:29 | 本と雑誌
朝日新聞の名物記者・近藤康太郎さんが松山に来られるというので、会う約束をしていたのだが、昨日の午後4時過ぎご当人に直接に会うことができた。もちろん始めての面会である。

どうして知り合いになったかは省くことにして、数学にも近藤さんがどうして関心を持ったかをご本人から聞くことができた。

いろいろな本の著者でもある近藤さんは文章を書くことは職業でもあるし、好きでもあるが、数学も言語の一種だと思われたことが数学に関心を持たれたきっかけらしい。

これは彼の高校時代の数学の先生でクラス担任でもあった名物教師・武藤徹先生の影響によるものだという。

数学が言語であるという考えは数学者の中には否定的な方もおられようが、そういう側面をも数学が持つことは否定しがたい。

近藤さんのような一芸に秀でた人ともなれば、自分の専門領域以外の他の分野でも鋭い独自の見解と直観で持って観ることができるということであろうか。




雑談会を終える

2025-01-26 15:22:43 | 本と雑誌
2005年から主宰してきた雑談会を昨日の2025.1.25でもって終えた。これはこういう試みは個人の努力では維持できないとの判断から終了することを決めたものである。

個人の決定であるから誰からも出席者からは異議はでなかった。というか全く個人の努力でされていたのだから、異論をはさむ余地なだとあり得ないだろう。

もう一年くらい前になるかもしれないが、世話役に誰かなってくれないかと提案したことがあったが、それに対する反応もほとんどなかった。要するに自分が責任をもって世話役になるという覚悟のある人はいなかったということだ。

これではいつまでも続くはずがない。153回目の会合であえなくつぶれてしまった。通常だと月1回のペースで1年に11回は行っていた。

大学を退職した年の2005年に始めたと思うので、ほぼ20年は続いたことになる。いま153を11で割ると約14だが、20年ほぼ続けたことは事実である。

毎回の会のレポートをする人の世話を妻と私以外でして下さった方も数回はあったが、ほぼ私たち夫妻でレポートをする人を都合をつけて会を行ってきた。

その気持の糸が切れてしまったというのが実情だろうか。

『算数ひみつの7つの道具』

2025-01-25 09:06:20 | 数学
注文したことのない本が来た。アマゾン・コムからである。

タイトルは『算数ひみつの7つの道具』(かんき出版)という。著者は「あきとんとん」さん。定価は1,100円である。

この本を寄贈しますとの手紙をどこからももらっていないのだが、ブログで紹介してほしいということだと勝手に思って紹介する。

本の副題としてか何かはわからないが、「小学校で習う計算が5秒で解ける」とある。

「51/68=?」とか「25の76%は?」とかが表の表紙のところに書いてある。ちらっと中を読んで見たところだから、確かなことは言えないが、「51/68=?」の方は68-51=17だから、17が公約数で51/68=3/4であるらしい。

ちなみに、この考え方はユークリッドの互除法であろうか。

さらに25に76%をかけるのだが、かけ算の順序は入れ替えてもいいから
     25*76=76*25
として76の25%と考えようということらしい。25%は1/4だから
     76/4=19
だということらしい。

意味はちょっと問題だが、計算の数値としてはあっている。数の計算ができればあとはどうでもいいということにはならないが、数の計算が遅い私などは少しだけ劣等感から解放されるかもしれない。

著者は「あきとんとん」さんは京都大学大学院修士課程の修了した秀才である。流体力学の専攻だったらしい。学部時代は工学部電気工学科を卒業されたとか。極め付き秀才である。

原稿を書くべきだのに書かないで

2025-01-24 13:12:30 | 本と雑誌
ガウスの定理とストークスの定理の理解が少しだけ進んだのだが、あまり進んでいないので、原稿を書くべきだのに書かないでいる。

それで昔のベクトル代数のエッセイを引っ張り出してきて修正をしたりしている。数編のベクトル代数とかベクトルについてのエッセイをいままでに書いているが、全部合わせても10編くらいかそこらくらいである。

だが、『四元数の発見』(海鳴社)でも元は「数学・物理通信」に連載した四元数の原稿をまとめて本として上梓したという経緯である。もちろん本とするにあたってはそのときに書き下ろしの章を付け加えたり、補遺をつけたりしている。

だから、基本は「数学・物理通信」に連載した四元数の原稿だが、それだけではすまないのは当然である。ベクトル解析関係の件についても同様にできないかという甘い夢を持つのだから、私はよほど甘い人間なのだろう。

もっともベクトル解析について私のようななかなか納得できない体質の人をこれから救いたいというのが私の願望である。

(2025.1.25付記) しかし、自分自身をまだ救い出せていないので大問題である。推理小説ならミステリの解読に至らないのに物語が終わってしまうというところか。それはあり得ないだろうか。




以前のベクトル関係の原稿を

2025-01-23 13:26:31 | 数学
以前のベクトル関係の原稿を改訂し始めた。

最初に、ベクトル積の成分表示についてである。これは誰でもその成分がおかしいなと思うのだろうか、村上雅人さんの『なるほどベクトル解析』(海鳴社)でも訳が分からないとか書いてある。

それについてはすでにそういうことを疑問に思った先学の方がいわゆるLevi-Civitaの記号(Eddingtonのイプシロンともいう)という記号を使うということが知られており、多くのベクトル解析の書も大半はそれに従うようになって来ている。

大体は私もそれに沿った考えである。それでもその記法を知らない方も多いのだが。私自身が『数学散歩』という本を出版したのは2005.2だったろうか。この本は自費出版だったので、500部しか出版されていないので、あまり普及したとは思われない。

いまではLevi-Civitaの記号の縮約公式の導出を述べた本もないわけではないが、そのころはあまりなかった。

体積積分が面積積分に

2025-01-22 10:54:53 | 数学
体積積分が面積積分に置き換えられるというのが、ガウスの定理である。また面積積分が線積分に置き換えられるというのがストークスの定理である。

それならそういう例がベクトル解析の本の中にガウスの定理やストークスの定理の前に書かれていてもいいはずだが、と思ってちょっと探してみたが、あまりその例はないようだ。

線積分からその面積が求められるという例が『解析概論』に線積分のところにでていたくらいである。Croweのベクトル解析の歴史にはこのことは何も書いてなかったかな。さてどうだろう。

前にもどるとガウスの定理やストークスの定理の説明の後にはこれらの定理をみたす例は挙げられているが、それは事後確認であって発見法的な意味はない。

なぜベクトル解析にこれほどこだわるのかと言えば、もとを糺せば、電磁気学の納得した理解がほしいためであった。

友人のNさんによれば、彼は『ファインマンの物理学講義』(岩波書店)の電磁気学の部分を読んでよくわかったといっていた。私はこのNさんと比べると20年以上遅れているということだ。ひょっとすると30年以上遅れているのかもしれない。

このNさんはもともとは実験化学者だが、中年以降になって大阪工業大学で物理学の講義を多年されていたと伺っている。彼はいまはどこかの会社の顧問をしているとか本人から聞いた。

このNさんはMITの名物教授だったStrangの線形代数の講義をインターネットで見るのが趣味というすごい人である。

ガウスの定理とスートークスの定理の前に

2025-01-21 23:06:25 | 数学
ガウスの定理とスートークスの定理の証明の前にどういうことを、ベクトル解析の本の著者が書いているのかに注目して、これらの本を読んで見たいと考えるようになった。

どういうことについて注意して読みたいかというのは、ちょっと企業秘密なのでここでは明かすことができない。

私自身が持っている本でもベクトル解析の本が10冊以上はあるであろう。それにいわゆる物理数学の本の中にも、もちろんベクトル解析の説明のある本は多い。

それから微分積分学の本にもストークスの定理とガウスの定理について述べてある本も多い。それに最近では微分形式の本の中にもこれらの定理は書かれている。「一般化されたストークスの定理」という名前であるが。

要するに発見法的にどうやってこれらの定理に到達することができるのか、できないのか、そういう関心がやはり強い。

残念ながら、私はまだ解答には到達していない。

ベクトル解析のことを

2025-01-21 10:40:21 | 数学
ベクトル解析のことをかなり前からこのブログに何回も書いていることがわかった。

それくらいどうも私にはベクトル解析は難しい。というのかどうか。単に頭がわるいのだろう。

微分形式ができてベクトル解析でのガウスの定理やストークスの定理の意味が分かってきたし、これは微分積分学の基本定理の曲線上や曲面上の微分積分学としての拡張であることも知られて来ている。

太田浩一さんの『ナブラのための協奏曲』(共立出版)のように微分積分学の基本定理をばんと最初に書いている書などもある。これが微分形式という分野が得た現在の視点であろう。

ただ、それがどういう風にして発見法的に得られた観点なのかというのが私の持っている疑問である。こうしてみると個人的にはなかなか納得は得られそうにもないのだが。

またベクトル解析のこと

2025-01-20 10:35:37 | 数学
先日、『物理数学入門』I がベクトル解析の書として良書だと述べた。その評価は基本的には変わらないのだが、ベクトルの面積分の箇所はなかなかこれをチェックするのは難しい。他書を参照しなくてはフォローできない。

ここはちょっと飛ばして直交曲線座標系の箇所を先に読むしかないだろう。

私が始めから終わりまで初めて読んだという村上雅人『なるほどベクトル解析』(海鳴社)だが、少なくともストークスの定理やグリーンの定理のところはタネ本だと思われる書がわかった。

これはSpiegel『ベクトル解析』(オーム社)であるらしいことがわかった。もっとも村上さんは訳書ではなくて元のマグロウヒルの原書に拠ったのだろう。

だからといって、『なるほどベクトル解析』がつまらないとかいうつもりはない。だれでもするする読めるベクトル解析の書であることはまちがいがない。

どうしてそういう判断をしたのかというと、積分定理の確かめる例題がSpiegelの書とほとんど同じだからである。もちろん「ほとんど同じ」であって「全く同じではない」。

Spiegelの書で示唆を得たところはストークスの定理やガウスの定理を積分の平均値の定理を使う導出である。その導出自身は前からあることを知っていたのだが、それが積分の平均値の定理を使う導出であるという事実を知らなかった。