物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

微分形式

2024-12-31 12:51:33 | 本と雑誌
微分形式をどの本で学ぶか。有名なフランダースの『微分形式の理論』(岩波書店)を私も全部ではないが読んだことがある。

かなり読んだところで息が切れて修得するところまでは行かなかった。いまでもなかなかこれを読み返すという気力がない。

年で気力とか体力が持たないのだ。学問は若いうちに学ぶ必要があろう。もっとも私は自分で納得するのに時間がかかる方の体質である。これが時間がかかる。ただこれは世間様にはいいようにも作用する。

例えばだが、小著『四元数の発見』(海鳴社)はまだ2刷の段階だから購読者は2,000人くらいだが、これで四元数が初めて分かったという人もいるのは事実である。

私にみたいな気質の人も世間にはおられるとは思うが、なかなかそういう人にはあまり出会わない感じがするが、果たしてどうなんだろうか。

世の中には秀才・才媛には事欠かない。生まれつき秀才ではない私は秀才・才媛が心底羨ましい。

だが、いまこそ私みたいな物わかりのわるい人が望まれるときはないのに。

微分形式を発見法的に理解する?

2024-12-30 11:28:45 | 数学
ベクトル解析の最終の目標はStokesの定理とGaussの定理を理解することである。

ところが、この二つの定理が分ったとなかなか思えないという困った状態である。昨晩ある本を読んでいたら、ひょっとするとこれらをまとめて理解するといわれる微分形式を発見法的に理解することができるのではないかという記述に出会った。

どこでそういうのを読んだかとか種明かしをしてはいけないので、どこで読んだかということは伏せておく。

それも実は「量の体系」の理解を促進した方がいいのではないかという気持でその本を見ていたのだった。

というのも「内包量の加法がどういうときにできるか」について述べた『量と数』を先日から読んでいたので、それへのヒントがないかと以前からもっていた分厚い2冊の本を書棚から取り出してきて読んでいた。

私にしても微分形式を発見法的観点から学ぶという視点はなかったのが、悔やまれるのだが。

微分形式について書いた本を10冊を越えて持っているが、微分形式をあまり詳しく学んだことがないせいもあり、発見法的観点から書いた本など皆無のような気がしているが、はてさてほんとうのところはどうなんだろうか。

近藤康太郎さんが松山にくる

2024-12-29 13:08:42 | 本と雑誌
直接の面識はまだないのだが、朝日新聞の有名記者さんである、近藤康太郎さんが松山にやってくる。

来年の1月25日(土)である。 ちょうどこの日は私も自宅で小さな集まりを持つのでこの日には彼に会えそうにないが、翌日の26日の午前中には会えそうである。

「アロハで田植え、はじめました」、「アロハで猟師はじめました」という記事で有名な記者さんである。 これらは単行書ともなっているらしいが、そちらは持っていない。

意外だろうが、彼との縁は数学でのつながりである。 彼の高校時代の先生が有名な数学教師の武藤徹先生であり、武藤さんを通じて知り合いになったのである。 

タレント記者さんなのでお忙しそうだが、なんとか面会の時間をとってもらえそうだ。


『学力喪失』からどこへ

2024-12-28 10:37:36 | 数学
私の関心事が『学力喪失』を読んでから、つぎにこの本のもととなった『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)には向かわず、『量と数』(愛数協)に向かったというのは、実は理由がある。

『学力喪失』を読んで、最近の子どものわからないことの一つに四則演算の意味が分かっていないことがあると知ったからだ。このことについて詳しい対策が『量と数』に書かれていると思った。

確かにそうなのだが、残念ながら、この本は市販されておらず内輪のサークルでだけでしか知られていない。数学教育協議会の関係者は購入して読んで下さった方もおられるだろうが、その数はあまり多数ではないだろう。

だが、本当はかなり程度と質の高いものであり、『学力喪失』を読んだ後なら、やはりこのブックレットをいま読むべきだと考えたのであった。

1995年発行だのに詳しくは読んでいなかった。全く読まなかったわけでないが、詳しく読んだことはなかった。申し訳ないと思う。

途中から読み始めて、最後まで読んだので、この本でも飛ばした初めの部分のところに帰ってきている。

この本の表現を洗練されたものにした後での話だが、どこか出版してくれるところはないだろうかと考えている。これは大いなる日本の文化遺産だと言っていいと思う。



『入門算数学』(日本評論社)

2024-12-27 13:36:23 | 数学
『量と数』を読んでいる途中だが、これと関係して黒木哲徳『入門算数学』に言及しておきたい。この本にはやはり『量と数』と同じテーマも扱われている。

特に、四則演算の意味についての説明が詳しいのがいいと思う。ただ、どのように子どもに四則演算の導入をするかというところの各論は『量と数』の方が詳しいと思う。

ただ、『入門算数学』は数、四則演算、量だけについて述べられているにとどまらず図形、図形と量、数量とデータとかの他の事項についても述べられている。

故矢野寛先生の小冊子としては『中学・高校における水道方式』(愛媛県数学教育協議会)というのもあるし、愛数協の会誌「研究と実践」に書かれた論文も残されている。

これはそれらの文献にではなく『量と数』に書かれていることで他ではあまり読んだことがない事項は「内包量の加法」について触れられていることである。

もっともこの部分についてはまだ私は十分に理解したとは言えない。これは以前に読んだ時もそうであったが、いまなお納得できてはいない。


『量と数』(愛数協)

2024-12-26 14:48:35 | 数学
『量と数』(愛数協)という小冊子をいま読んでいる。故矢野寛(ゆたか)先生の著書である。

もっともこの書は市販されたものではないので、一般の人が手に入れることはできない。資料代500円と書かれている。私はこの書を矢野先生から頂いたような気がするのだが、定かではない。

この本をあまり熱心に読んだことはなかったのだが、今回少し熱心に読もうとしている。これは明らかに『学力喪失』の影響である。

この本と合わせて黒木哲徳『入門算数学』(日本評論社)も合わせて読みたいと思っている。この本を買ったときにはこの書を熱心に読むことになろうとは思ってもいなかったが。


比をどう教えるか

2024-12-25 14:08:22 | 本と雑誌
内包量というとなんだか難しそうな名前だ。それで敬遠したくなるが、日本語で度という語がついている用語だとか率という名前がいう語がついている用語を総称した用語である(2024.12.26注)。

典型的なものでは速度とか利率とかがある。濃度というのもあるが、これは度がついているが、度ではなくて率という量に入る。

そういう量ではないが、倍と比がある。倍の方はそれほど難しくはないが、比をどう取り扱うのか昔から問題だったらしい。

一つの解決法は比は比の値だとして全部を分数の形に書くということである。それで比の曖昧さを回避したいと思っている。

私が以前に書いた「比と比例式を考える」というエッセイにはドイツのライブニッツの見解を引用した、ある本の引用をしてある。

ライブニッツによると比を割り算の記号で書けばよいと書いている(『数字と数学記号の歴史』(裳華房)よりの引用)。これは明解である。
 
私の経験でも昔ドイツに留学していたころ、私の住居をしばしば訪れていたドイツ人の大学生はa:bをa割るbの意味に使っていたのを知っている。

(2024.12.26注)量はまず「分離量」と「連続量」に分かれる。その連続量が「外延量」と「内包量」に分かれる。外延量はたし算のできる量であるが、内包量はたし算ができるのは例外的な場合で、一般にはたし算のできない量である。

物理を知っている人は外延量は「示量変数」だと思ってほしい。また内包量は「示強変数」だと思えばいい。

かつて、割合はいろいろな意味を持つので理解が難しい。それで割合と言われるものが何を指しているかを分析した方がいた。その中味は内包量の度、率と量には入らないが、倍と比であるという分析をされた。

割合の意味は「度、率、倍、比」のいずれかであるとの分析は優れたものである。そして児童や生徒に教える順序はこの順に教えればいいという。


『学力喪失』を完読

2024-12-24 14:05:10 | 本と雑誌
『学力喪失』を完読した。最後に1-3章を読んだのである。

だからこの本を読んだはじめての章は4章であった。このブログでも書いたが、私のこの本で一番関心を持ったのは8章である。

数のカルタのゲームがよいと感じた。この本では分数が記号接地できていないとか、割合の意味がわかっていないとかの指摘があった。

割合とはなかなか難しい概念らしくて古い数学の本を見ても難しいとか書いてある。この割合の概念の中には度、率、倍と比とが含まれているというのは数学者の遠山啓さんの分析だと思う。

そして度と率とは連続量に入り、連続量に対比されるのはもちろん分離量である。

ここで、フランス語の達者な人なら、ああ連続量は部分冠詞で表されるような量で、分離量は不定冠詞で表されるような量だと思うだろうか。それはある意味で正しい。

割合という概念の中に入れた度、率、倍と比だが、度と率は量の中に入るが、倍と比は量の中には入れない。しかし、これらは難しくて教えにくいのだが、度、率、倍と比の順に教えるというのが数学教育協議会での中での暗黙の了解事項だろう。

「比とは比の値である」という観点で教える体系をつくろうではないかというのが私の考えである。これですべてがうまくいくのかどうかを確かめる必要がある。

以前に「比と比例式を考える」というエッセイを書いたことがあるが、もっと私の持っている古い本も参照して徹底的な比と比例式の考察をしたエッセイを書いておきたいと考えている。

図形の問題で相似な図形を取り扱うときには相似比という考えが必要である。これも全部分数式表示で取り扱うというのが今の考えである。





「数学・物理通信」14巻7号の発行

2024-12-23 11:55:33 | 本と雑誌
ようやく「数学・物理通信」14巻7号の発行をした。

なかなか発行できなかった。年を越しそうなのであわてて先ほど発行した。別に難航したという意識はなかったのだが、今日になって慌てての発行である。

これで通巻で何号を発行したことになったのか数えていないのでわからないが、なかなか200号には届かない。

続『学力喪失』

2024-12-23 10:04:35 | 数学
『学力喪失』(岩波新書)のp.19に中学生になっても数学の弱点というか克服されていない項目として4項目が書かれている。

詳しくは上記の書を購入して読んでいただくのがよいが、項目的に挙げておく。

1.数量を「数学の記号」として表現できない。数字や記号の意味も方程式の意味も分かっていない。
2.分数とか割合の意味が理解できていない。
3.たし算、ひき算、かけ算、わり算の意味がわからない。
4.数学を学ぶ意味がますますわからなくなっている

とでも要約しておく。

中学生に固有の悩みとしては1.であるが、その前に2.と3.とが問題であろう。

これらを積み残しているのなら、やはり4.の数学を学ぶ意味はわからないだろう。

もっとも分数を理解する「記号接地」として分数を含む数のカルタのゲームによっていわゆる「記号接地」ができそうだ。分数を数として量分数として学ぶという考え方なのはよかった。

まだ割合分数として教えるのが主流ならどうしようかと思った。もちろん1/2とか2/3とかの分数の意味としての説明で割合としての意味を教えるのはありだろう。

しかし、それは意味の導入としてはあろうが、あくまで連続量の大きさを表す数として位置付けるということであろう。

数のカルタのゲームはとてもいいと思う。

割合自身はいろいろ難しいところがある。割合の意味するところについての分析は数学者の遠山啓さんが詳しくされており、それを教える体系もできていると思うが、その細部にわたってはいろいろ各論の余地はあろうかと思う。

私もお教えを受けたことがある、故矢野寛(ゆたか)先生などもそれについて解説を幾度となく書いておられるので、ここでは紹介できないが、どこかで公表できたらいいと思う。

すでに矢野先生がまとめた書を愛数協のブックレットして発表なさっている。
ただ、それが一般の数学の先生に知られるところまではいっていないと思う。

『学力喪失』第8章

2024-12-22 18:48:27 | 数学
『学力喪失』(岩波新書)の1-3章と終章をまだ読んでいないのだが、他の章はすべて読んだ。一番面白かったのは8章である。これは意外だった。

だが、一番この章が好奇心を刺激して、興味深い学校教育を示唆している。アメリカではいわゆる先生をもうteacherとはいわずfacilitatorというと以前に聞いたことがあったが、日本でもまだごく一部かもしれないが、そういう教師が出現しているということだろうか。

ファシリテーターという語もこの8章で出てきている。そういう学校での授業ができる基盤が日本でもできつつあるということだろうか。

遊びなのか学びなのかわからないような楽しい授業ができれば、それはとてもいいですね。

そういう望ましい教育が模索されている、一方で教育現場は多時間労働や心労や多忙を極めると聞くとそういう職業を目指す若い人はいなくなるだろう。

内容は分数や小数をゲームで理解するとかであり、これは興味深い。代数の初歩で驚くべきまちがいを多くの中学生がしているとか。

こちらについてはこうしたまちがいを防ぐ対策は書かれていなかったが、やはり面積図の出番かなと思った。これは多項式の項を面積図で表す方法である。同類項をまとめるとかにも役立つ手法である。

面積図については私もどこかに書いたような気もするが、まだ書いていないかもしれない。もし、書いていないならば、至急に書き留めておく必要がある。

愛数協の機関誌「研究と実践」には過去に故矢野寛(ゆたか)先生が面積図を使った因数分解とかかなり書かれているのだが。

比例式の扱い方

2024-12-21 15:51:12 | 数学
以前に比例式のことについて数学・物理通信に記事を掲載したことがある。要するに比例式を比の値で全部取り扱うようにしたいとの考えからしたことであった。

その考えが細部までうまく機能しているのかが、いま問われていると感じる。実は三角形の相似比とか面積の比だとか体積の比だとかを書いた中3の教科書の章を読んで、それについて生徒さんに話している。

比の値を中心にして比例式をまとめられた本は私の知る限りでは松坂和夫さんの『数学読本』しかない。これは分数式で比例式を逆に導いている。

実は「比と比例式とを考える」というテーマですでに「数学・物理通信」にレポートを提出してそれが掲載されている。こういうことを考える人は数学教育の関係者でも少ないのではないかと考えている。

ただ、連比の場合にはどう取り扱ったらいいのか、そこらあたりをはっきりさせた議論をしなくてはならない。

なかなか一筋縄ではいかないかもしれない。だが、よく考えて一つの教える体系をつくっておく必要がある。





引きこもり

2024-12-20 12:20:10 | 本と雑誌
昨日だったか引きこもりについて言及したが、妻と話したら引きこもりとか準ひこもりと思われる現象は私が想定していた2例よりも多くて少なくとも5,6例を知っていることを知った。

いや、妻と話しているうちに実は身内にも引きこもり候補のいることを思い知らされた。 もちろん私の子どもだとか孫だとかというほど近くはないのだが、直系の家族の一人である。

いずれも私の知っている例は男性である。 妻に言わせると母親がいけないのではないかという判断をしている。 子どもを甘やかすとかその他の育て方の問題もあるのではないかという。

ちょっと本人の知力の問題もありそうだが、一番いけないのは意欲がないということである。 これは親が自分の生き方を子どもに見せないといけないだと思う。

 各人に各々の個別の事情があろうから、一つの画一の方法で、この引きこもりの現象を 解決して、それぞれの各人が生き生きした人生を送れるようになるほど簡単なことだとは思わない。 

しかし、社会的にはそういう現象に取り組む社会とか相談する組織とかができて、一人でも多くの人が引きこもりを経験しないで楽しい生きがいのある人生を生きられることを願ってやまない。

私は男の子は母親の気質を受け継ぐ気が強いと思っている。世の中の多くの母親が今後の社会の行く末を握っているといってもいいだろう。




『学びとは何か』から『学力喪失』へ

2024-12-19 13:13:37 | 数学
『学びとは何か』の方は一つの章を除いてすべて読んだ。変則的な読み方ではあるのだが。

それで『学力喪失』を昨夜遅く読み始めた。数の概念が分っていない、分数が分っていないという小学生が1/3くらいはいるらしい。

まあ、人生において数の概念がなくても生活に支障なく暮らしては行けるのだろうが。

私の妻の友人とか知人の家族にいわゆる引きこもりの息子さんがおられる人が複数いる。その程度はわからないが、どこかに勤めるとかして働くことができないという点では同じである。お母さんの年金をあてにして生活をしている。

私の妻は普通の人で特に変わった友人、知人をもっているわけではない。それでもそういう引きこもりの子どもを持つ親御さんと友人、知人だとかがいるということは社会が老化しているということだろう。

いやこれらの方々が数の概念が分らないとか、分数すらもわからないというのはあまりにも判断が拙速ではあろう。

だが、そういう例があまり稀ではないという証拠かもしれない。

私のとっては『学力喪失』の方が身につまされる話ではある。

50年ぶりに自転車に乗る

2024-12-18 10:11:38 | 本と雑誌
最近とは言っても数か月まえのことだが、知人に中古の自転車をもらった。

それで2週間ほど前に盗難防止登録したのであるが、そのときに家の前で自転車に乗ってみたが、ふらふらしてうまく乗れない。

その後、昨日になって比較的近所にある元勤務先の愛媛大学の生協書籍部に注文した書籍を取りに自転車で出かけた。ふらふらしてなかなかうまく自転車に乗れない。そのうちにある程度スピードが出るとふらふらしなくなった。

ゆっくり走行しようとするとふらふらする。倒れそうになる。もっとも足がつくから足で倒れないようにするのだが、誰かが近くにいるとぶつかりそうになる。ぶつかってけがをさせてはいけないので止まるとつぎに動かすのが一苦労である。

それも16時を過ぎていたので、大学から帰宅しようとする学生が多くいて自転車で走行する人と歩いている人にぶつかりそうになる。ひやひやしながら 書籍部に行き、本を受け取って帰った。

やれやれ、少し自転車の走行を練習しなければならないだろう。