最近になって、OCNと同じブログ名でも引っ越しができるようになった。これがもっと前から使えていたのならそれにしたと思う。
だから、もう一度やり直すかこのままにするかという選択の余地ができた。それと問題は長いブログ本文だとそれが忠実に新しいgooのブログに反映ができなかったらしい。
大部分のブログはそのまま引っ越しができたらしいが、元のまま記録を残しておきたいという気もしている。
それもなんとかしてできるらしいのだが、その方法を知っていない。
まだまだいろいろ引っ越しに関しても終わりになったとは思っていない。
仕事が頓挫しているというかうまく進まない。
いくつかの仕事を並行して進めているのだが、どれもうまく行かない。こういうこともあるのだ。
『ドイツ語圏とその文化 』3号はずっと以前から書き進めているが、まだ原稿が完成しない。大部分のところはできており、I 先生の寄稿も頂いてあるのだが、頓挫している。
レントゲンの生涯の原稿ができないのである。「数学・物理通信」に投稿予定の「自著を語る『四元数の発見』」というエッセイもそれも書きかけで頓挫している。
数学エッセイ「三角関数の還元公式」もできあがらない。それに前に愛数協の「研究と実践」に載せた数学エッセイの改稿もままならない。
どちらもこちらも八方塞がりの感がある。 我慢、我慢の毎日である。なかなか心が晴れない。
東温市の坊ちゃん劇場裏に広い畑があって、そこにいまコスモスが咲いている。先日の日曜日に妻がグランドゴルフ場を見に行くかというのでモールがあるところへ出かけた。
そのついでという訳でもないが、このコスモス畑を見たのである。なかなか広い。すぐそばを高速道路が通っている。
ここは春には菜の花が咲いているという。日曜の午後であったが、天気はくもりでそれほどよくなったが、それでもコスモスを見に来た人がぼつぼついた。
私はピンクのコスモスが好きなのだが、真紅のコスモスとか白いコスモスもあった。
そして見に来た人たちは携帯で撮影をしていた。まだ咲いていると思うので、日曜とか土曜とかに見に行かれることをお勧めする。
これは昨年からご招待のチケットを頂いているのだが、昨年は所用で行けなくて、愛媛日独協会のほかの理事の方々に行ってもらった。
今年は時間が取れたので二人で出かけた。昨年からのはじめたフェスタなので、まだ運営がぎこちがないが、それでも町の意気込みは窺えた。
会場を後にする少し前にご招待を頂いたということで、町長さんにご挨拶をして、またドイツのバイエルン州駐日代表部から招待で来られていた、Geltinger博士としばらくお話をした後、内子ワイナリーに向かった。
フェスタはけっこう、楽しめたが、食物を買うのに大分行列をしなくてはならなかった。いくつかの料理に分ければ、もっと行列が短くて比較的早くに料理を手に入れることができるのではないだろうかと思った。
たとえば、ソーセージとそれをはさんだパンとたった一つの料理ではなく、ソーセージだけもつくって、それぞれを別の列にするとか。
グーラシュとトルティジャを別の列にするとかすれば、もっと短時間で料理を手に入れることができたはずだ。
全体的な印象としては音楽もあり、踊りありでなかなかよかったし、ミュンヘン出身のGetlingerさんのあいさつもよかった。
昼すぎて内子ワイナリーに向かったが、道がわからなくなり、妻が携帯で電話して、道を聞いたりしたが、結局到達できた。
そこで、白、2杯とロゼ1杯を試飲して、白とロゼの小瓶を1本づつ買って帰った。もっとも係りの女性が、「社長が辛口好みのもので」と言う通り私にはちょっと辛口すぎた。
でも、妻も折角訪ねたのになにも買わなくて帰るのは気が引けたのであろう。内子ワイナリーは内子園という施設のまだ山奥だが、ここら辺の丘の上では一番高いところだったので、そこからの見晴しはよかった。
来年の愛媛日独協会の会報にこの訪問記を書くようにと事務局長のNさんから申しつけられている。
早く来ることもあれば、遅めに来ることもある。岩波書店のPR誌『図書』である。10月号は昨日帰宅して見たら、もう来ていた。
その中のエッセイをあらかた読んだのだが、その中に徳永 進さんという医師の方の書いたエッセイがある。タイトルは「<エビデンス>と<ナラティブ>」。
エビデンスとは証拠とか根拠である。科学とか技術としての医療はもちろんエビデンスがなければならない。ナラティブとは物語であろうが、いわゆる愛情とか感情のある医療ということらしい。
だから、エビデンスは医療に必要ではあるが、それだけでは十分ではない。そういうことを基調としたエッセイなのであるが、ここで感銘を受けたのはそのことよりもあるエピソードである。
95歳の男性の自宅介護の話であるが、その方の生き方というのが印象に残った。その再現はここではしない。
この方は公認会計士の方であるが、親族の話によると山本宣治氏(俗にいう言う山宣氏)の息子であった。
急に私事について一言。
数年前のことだが、京都南座での前進座新春公演を見た次の日、宇治の平等院を見学した後で、宇治川のほとりのレストラン「花屋敷」でグループのメンバーが昼食をとった。そこに松山出身の堺市在住の方が来てくれて、山宣の業績を話してくださった。彼は山宣の研究家である。
昼食後、そのレストランから歩いて10分ほどの小高い丘の上の山宣の墓を訪ねた。
山宣はその墓の文字をセメントで埋められるなどの迫害を戦争が終わる1945年までされたという。
山宣といえば、政治家というイメージしかもたないだろうが、彼は元々は東京帝大卒の動物学者であり、京都大学理学部の講師をしていた。
物理学者の武谷三男が京都大学在学中には、山宣は動物学科の講師だった。武谷の回想に山宣になんかの機会に会ったら、「君は酒もたばこも女もやらんそうだな。それでなんで人生が楽しい?」と言われたというのがあった。
もう私の世代にとっては山宣も歴史の彼方だが、山宣の子孫の話を知るとは思わなかった。
山宣がいつも毅然としていたように、その息子さんも孫さんも毅然としていたという。やはり山宣のDNAは受け継がれているらしい。
今日は秋分の日の休日である。
私は特別なことがなければ、日曜日以外は休日も出勤である。日曜日はさすがに休むが、これはある程度生活にメリハリをつけないとダラダラしてしまうからである。
それと土曜、日曜はラジオのドイツ語とフランス語の放送がないが、休日は放送があるからでもある。
先日、フランス人の学生に出会ったとき、30年来ラジオでフランス語を学んできたが、実際に話す機会がほとんどなかったと彼には言ったが、実はフランス語は聞いたり聞かなかったりではあるが、30数年を越えてラジオとかテレビの放送を聞いたり、また見たりしている。
だから、本当は少しくらい片言のフランス語が話せたところで自慢にもならないのである。そうはいってもなんでも外国語が片言でもいいから話せるようになればすばらしい。
若い人たちは私のようにフランス語とかドイツ語話さなくても英語を話せれば、十分である。もっともフランスに行けば、フランス語を片言でもいいから話せないと苦しい。
フランスではフランス語しか話さないというのは一種の伝説である。それが、本当のことだとは思っていないが、それでも片言でもフランス語を話した方が、フランス人には心象がいい。
それにそこで住むことになったとすれば、毎朝のパンを買いに行くことも必要がでてくるかもしれない。
これは笑い話の一種だが、パリから数十キロ離れたある村に一家で数日滞在して、そこからパリの観光に通ったことがある。そのときのある日、妻が美容院かパン屋にでかけたとき、入って行くなり、Au revoirとあいさつした。本人は「今日は」のつもりのあいさつをしたのだが、non, nonと言われてポカンとした。
お店に入って行くなり、「さようなら」と外国人に言われたお店の人がびっくりしたのは当然だろう。
だが、間違えてもいいのだ。なんか言葉を発するということが、あなたとのこれから関係をつくるという意味なのだから。
なかなか日本ではお店に入って行くときにこんにちはとか言わない。言う人もあるだろうが、お店の人がむしろ「今日は」というのが普通である。
だが、外国ではお客も「今日は」を言う必要があるのだ。実は私はこのことで大失敗をしたことがある。
「今日は」言わなかったために、お店の雰囲気が変になった経験をもっている。だが、それほどの失敗経験をしてもなかなか「今日は」というのが、むつかしい。
できたら、日本のお店でも郵便局でも入って行くときに「今日は」という習慣をつけておいた方がいいのだが、昨日も郵便局に行ったが、黙って入って行って、挨拶はできなかった。
このブログがこの回でもって2700回に達した。
自分の日常を綴りながらも、それには限定をしないでもう少し視野を広くしてこのブログを書いている。
科学の話題よりのどちらかというと数学それも中学校とか高校程度の数学についての疑問とかが多いかもしれない。
昔は哲学好みとか言われたが、別に哲学を特に好きだということでもない。
できるだけ、なんでも根本的に考えてみたいという私の性癖がでているだけである。
ただ、このブログ人のサイトは11月末をもって閉鎖となるので、gooのブログの方へ引っ越しを予定しているのだが、なかなかその方法がよくわからない。
それでまだ大幅な引っ越しには至っていない。ただ、新しいブログにも2回ほど書いているが、まだ主体はこちらにあるので、gooの方のブログは魂の抜けたようでもあろう。
その中に徐々にgooのブログに魂が入っていくだろうが、まだしばらくはこちらでおつきあいをお願いしたい。
「仕事は忙しい人に頼め!」という。
暇にしていそうな人に頼んでも、なかなか仕事をやってくれないが、忙しくしている人に頼むと割と早くやってくれるという。
これはある量子力学の本(タイトルは電子工学概論だったか、量子力学ではなかったが)の序文で読んだことである。
そんなことを私がいつか言っていたのだが、最近は妻が同じことを言っている。
暇そうにしている人に何かものを頼んでもテキパキと仕事を片づけてはくれない。それはどうも真理のようである。
組織にいる間は輝やいていた人も組織を離れて退職してしまった後はぱっとしないこともある。
私は自分のしたいことに限って仕事をしているので、自分のしたいことがいまのところなくなる気配はない。
健康でいることができれば、それなりの仕事をすることができるかと考えている。自分でやりたいことの1/10もまだやれてはいないが、やりたいことはまだまだある。
私の家の引っ越しのことではない。
このブログの「ブログ人」というサイトが閉鎖になるので、11月30日までにgooの別のサイトに引っ越しすることを余儀なくされている。
昨日、それを試みたのだが、なかなかうまく行かない。
チュウトリアルはあるのだが、どうも使い方がわからない。いつも同じところを堂々巡りである。
なんでもそのチュウトリアルをつくった人には思想があるのだろうが、その通りに動かないから、戸惑ってしまう。
まだそれにしても時間があるから、このサイトを最大限に利用するつもりである。
それに新しいサイトに誘導するというサービスも行われるらしい。
昨日だったか一昨日だったか。近所の小学生が友だちとやってきた。妻がもっているタブレットに入っている映画を見るためである。
そのときに一緒に来た小学生がどうも如才のない子どもで家に入るなり、「おばちゃんの家はきれいだね」とかいったと妻が感心していた。
8月31日まで客間を占めていた本の入った段ボール箱をすべてかたずけて掃除をして数日しか経っていなかったからであろうか。
大体私の家は私が若いときは子どもが昼に遊んでちらかしても夕方に私が帰宅するまでには妻が掃除をしてきれいにしていた。
これは私が家の汚いのを好まないことを知っていて妻がそうしたのである。
大体小さな子どもがいれば、家の中は雑然としてくる。それはある程度仕方がないのだが、若いときはそれが我慢ができなかった。
ところがこのころは自分が年をとって片付けができないので、私の家は方々の部屋が雑然としている。
よく使う部屋だけでもきれいにしておくべきなのだが、どうもそれができなくなった。
きれいに整頓するには物を捨てたり、ものをどこかに収納したりすべきなのだが、収納すべき場所を確保できない。
それでそのままになっている。妻は私の集めた書籍でも研究中につくったノートにしても、私が死ねば、ゴミだといってはばからない。
確かに利用する人がいれば、資料ではあるが、利用する人がいなくなれば、ゴミであろう。
ある程度費用をかけて集めた、武谷三男の著作とか遠山啓の著作がゴミとしてほぼタダ同然に古本屋に引き取られるのはしのびない。
たが、それを資料として引き受けてくれる機関がどこかにないか探しておかないといけない。
だが、どこの図書館が手狭でなかなかひきとってくれたとしても、うまく資料として活用できる状態においてくれるかどうかはあまり保証されない。
ほおっておけば、エントロピー増大の法則にしたがって、貴重な資料も散逸してしまうであろう。
昨夜、テレビを見ていたら知らぬ間に居眠りしてしまった。
最近は頭を使うことが多いのか、爆睡してしまうことが多い。
それで思い出したのは世界的に天才数学者といわれた岡潔さんが書かれていたことである。
岡先生が取り組んでいた、多変数関数論の問題は並みの難問ではなく、世界で誰も解けなかったような難問だった(らしい)。
それでもずっと数か月とか数年とか考え続けていたら、考え出すといつもすぐに眠くなって寝てしまうのだという。
ところがそうやって数ヵ月か数年が過ぎると、ぼんやりと解決の方法が見えてくるという。
私の『数学・物理通信』の編集作業は残念ながら岡先生が取り組んでいたような難問ではなく、誰でもできるような作業にしかすぎないので、比較することがそもそもおこがましい。
だが、そうではあるが、なかなか編集作業でのエラーがなくならないので、私なりにああでもないこうでもないとここ数日間、頭を使ったという点では同じである。
latexの編集ではエラーメッセージが出るけれども、なかなかその意味がわからない。ある程度経験を積んでくるとそのエラーが出ても時間が経てば、何とか解決できるだろうと思えてくる。
その具合が悪い箇所がよくわからないというのが、いちばん大変なのである。
そして事実数日すれば、なんとか解決するのが普通である。だが、それが解決しない数日間は苦しい。
岩波のPR誌『図書』9月号で池澤夏樹さんが書いている。
「誕生日は、年に一度、すべての人に平等に巡ってくる」
と。これは真か。この命題は真ではない。偽である。
頭のいい人なら、ははあ、うるう年の2月29日に生まれた人のことを言っているのだなと思うであろう。
閏年の2月29日生まれの人は自分の誕生日は4年に1回しか回ってこない。
最近ではそういうことのないようにと産院では2月29日に子ども産まないようにすることもできるだろうが、実際にはどうしているのだろうか。
別に誕生日が4年に1回しか回ってこないからといって、4年に1歳年をとるわけではないが、正確な意味で誕生日は4年に1回しか回って来ないことは確かである。
もっとも2月29日の生まれだと言っても誕生日の祝いを3月1日にしてもいい。
また、こういう運命にある人の数は例えば日本でどれくらいいるのだろうか。これは一種のFermi問題と考えることもできる。