「ギリシャ人以来、数学を語る者は証明を語る」 ("Depuis les Grecs, qui dit mathematique dit demonstration") デュピー レ グレク、 キー ディ マテマティーク ディ デモンストラシオン(フランス語ではアクサンを省略している)。
と言われてもそれになっとくはしない気持ちが私にはある。証明ではなくて、ある定理をどういう風に発見したのかそういうことを知りたいではないか。
この句と最近出会ったが、その出会いはかなり偶然でもある。「数学・物理通信」10巻2号にSさんが新型コロナウイルスについての論文を書かれた。それを読んで以前に買ってもっていた2冊の本のことを思い出した。
それは佐藤總夫(ふさお)さんの書かれた『自然の数理と社会の数理』I, II(日本評論社)であった。
3月29日の日曜の夕方この2冊の本を2階の書斎から下ろしてもってきて、テレビの前のこたつの机の上で、その「あとがき」のところを読んでいたら、冒頭に書いたフランス文が書かれていた。
佐藤さんは数学者だったが、数学者としては特異な感性の数学者であり、私は大いに彼の隠された情熱というか気持がわかる感じがした。
「数学が証明を語る」のはしかたがないかもしれないが、それだけではだめなのではないかという気が私もとても強い。
「微分方程式で解析する」というのが、上の2冊の本の副題になっている。しかし、これらを雑誌「数学セミナー」に連載していたときにはそのタイトルは「微分方程式で解析する」であったという。
こういう書物を読んだりするだけではなく、そういう研究をしたりするという数学者は多いわけではないかもしれないが、一定数はいると思う。
これは大学院生だったころだが、数学者の故佐々木右左先生に大学内であったときに、この先生からゼリドーウィチの『数学入門』(岩波書店)がとてもいいと教えられたことを思い出した(注)。
(注)故佐々木右左先生は教養部で微積分を学んだときの先生である。彼は私と同郷の愛媛県の出身でもあった。