物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Amok(アモック)

2022-01-31 12:27:05 | 本と雑誌
Amok(アモック)という語を先週のドイツ語のクラスで K さんが使っていた。
以前にも聞いた言葉であったが、そのときにその意味を思い出せなかった。

今朝、そのことを思い出したので、独和辞典を引いてみたら、殺人性の精神障害とあった。これは最近起こるヒステリーみたいな殺人事件を起こす人々の精神状態を話していたのであろう。

この説明は独和辞典によって異なっていることが分かった。今朝引いた独和辞典は三修社のシンチンガーの独和辞典だが、これは「殺人を引き起こすような精神障害」とあった。

郁文堂の独和辞典ではアモクとあって、その由来の説明があった。他人に危害を加える突発性の精神障害と説明があった。これは一種のそう状態で引き起こされるらしい。

これを短い言葉で説明してもわからないから詳しい説明が書かれたのであろうか。アモクとあるのなら、つぎには国語辞典をひいてみないといけなくなるだろう。

大阪の北新地での殺人でも、最近の埼玉の事件でも医師が亡くなった。どうも勝手な個人的な不満で医師その人にはまったく責任がなかったように思われる。こういう事件を未然に防ぐ対策は講じられないものだろうか。

これもコロナまん延の一つの影響かもしれないのだが。

アモクと聞いたときに、夢遊病者のことだったかなと思ったがそうではなかった。

「物理のかぎ」

2022-01-31 11:24:11 | 物理学
「物理のかぎ」(注1)の微分形式の以前にプリントしたものを、昨日の日曜日にかなり読んだ。前に「引き戻し」(pull back)という概念のあたりで、とん挫したのだが、このプリントですこしわかってきた(注2)。

まだ全部を読んではいないが、たぶん日本語で書かれた「微分形式」の解説では日本一わかりやすいのではなかろうか。

もっとも「引き戻し」の説明のところに例を一つか二つ入れてあれば、もっとわかりやすいのだろうが。

友人の数学者 N さんは数学がよくわかるには、例を考えたらよいと言われている。これはもう半世紀以上昔になるが、大学院生だった頃に池田峰夫先生からセミナーで毎回言われたことである。

(注1)「物理のかぎ」はインターネットのサイトの一つで、ここには物理とか(物理を学ぶのに必要な)数学とかのわかりやすい解説があるサイトである。これらはディスプレイ上でも読めるが、pdfの文書をプリントして読むこともできる。すばらしいサイトである。

微分形式やテンソル解析の解説はJohさんが分かりやすく解説されている。以前にインターネットで知り合った、ある意味での知り合いだが、彼は健在なのだろうか。

(注2)「引き戻し」のところでとん挫したのは、この「物理のかぎ」の解説ではなくて、志賀浩二先生の『ベクトル解析30講』(朝倉書店)であったと思う。その意味するところがわからなかったのだが、今回その意味はわかった。だが、まだわからないところもある。もう一度『ベクトル解析30講』に帰って読み直しをしてみたい。



私の気持ちの持続は

2022-01-29 11:35:12 | 数学
私の気持(意欲と言ってもいいかもしれない)の持続は数か月のことも、または数日のこともある。

ベクトル解析のことを調べていた時期もあった。それでいくつかのベクトル解析のテクストを購入したり、図書館で借りてコピーをとったりして、自分で納得できるベクトル解析のテクストを書いてみたいという気持を数か月持ち続けたが、なかなか自分では納得に至らず、この計画は実現にはいまも程遠い。

いや、ベクトル解析のテクストなど日本語で書かれたものでも掃いて捨てるほどある。それらも全部を読んだわけではなく、ちらっと見ただけだが、やはり私の納得できたと感じたものはない。納得に近いものは一つ二つはあったかもしれないが、それがどれだったかも覚えていない。

志賀浩二先生の『ベクトル解析』(朝倉書店)をかなりベクトル解析に関心をもちはじめた、初期に読んだ覚えがある。そして、そのときにはあまり納得しなかった気がするが、今もう一度読んだら、もっとなっとくできるかも知れない。

というのは私の現在の見解は、ベクトル解析のテクストは微分形式で展開するのが一番すっきりするのではなかろうかという、気持がしているからである。こう思い始めたのは最近になって、金子晃さんの『関数論講義』(サイエンス社)の一部を拾い読みしたからである。

ベクトル解析のテクストについては、いくつかの構想をもってはいるが、十分にそれを展開することができるようには、まだなっていない。

作家の夢

2022-01-28 10:09:11 | 数学
つい先日も芥川賞とか直木賞とかの受賞者が発表された。

こういう立派な作家とはちがって、小説ではないが、いろいろな本を書きたいという望みをもっている。もっとも私の書こうと思っている本はもっともよく売れたとしても2000部も売れれば、よく売れたと自画自賛するタイプの数学、それも初等数学の本である。

そういう考え、いくつかの本を書きたいという気持はもち続けている。しかし、もう、いつ生が終わってもいいころになって、こんなことを思いつくのは遅すぎると思う。

しかし、生きている間はそういう夢を持ち続けたい。だから、この夢が実際に実現するのか、単なる夢に終わるのかは極論すれば、どうでもいいことである。しかし、生きている間はそういう努力をすることのできる人間でありたい。

特に、最近のように今までに書いた私の本のpdfの文書がインターネットで無料配布されるような時代だから、紙の本ではなく、電子書籍として出したいと考えている(注)。

私の健康はいいか悪いかわからないが、要経過観察の箇所を体にもっている。だから定期的に病院に行って経過観察をしてもらっている。ある場合には手術が必要になることもそんなに遠い将来のことではない。

しかし、現状では体に痛いところはどこもないので、叶うか、叶わないかを別とすれば、こういう望みをもつことができる、私は幸せであろう。

(注)私の書いた数学の本のpdf文書がインターネットで無料配布されているという事実をいいとは思わないが、今の私にはどうすることもできない。

著者の私がまだ存命中であり、著作権侵害であることはまちがいがないが、一方で、こうまでして流布する価値が私の書いた本『数学散歩』(国土社)の中の一部にでもあるとすれば、名誉なことでもある。

それにこの本『数学散歩』(国土社)は品切れでもあり、再版の可能性はない。もっともその抜粋版である『物理数学散歩』(国土社)は私の手元にまだ200部以上の残部がある。この本は定価が1,200円だが、もし必要と感じられる方は送料込みで1,000円で責任をもって、ご希望の方々にお分けすることができる。

どうも私の書いた本はどれも定価が安い。安いから価値がないとは思わないでほしい。どこを探しても四元数の本でいまどき2,200円なんて安価な本などあろうか。それも200円は消費税である。それも高校生でも読める本である。

また、Hamiltonの四元数の発見の経過をここまで追跡した本など今までには、どこにもなかった。

(2022.1.29付記) ここで嘆いて見せたせいかどうかわわからないが、私の旧著『数学散歩』のpdfの無料配布のサイトが自粛されたのか、見あらたなくなった。完全になくなったかどうはわからないが、ほとんど見当たらなくなったのは確かである。








Elementary Mathematicsの四元数の部分

2022-01-27 14:00:47 | 数学
Kleinの"Elementary Mathematics"の四元数の部分を、ようやく昨日読み終わった。こちらのほうはポントーリャギンの『数概念の拡張』ほどは難しくなかった。

ただ読むのには時間がかかったことは確かである。久しぶりの英語の書であり、ときどき辞書のお世話にならなければならなかった。それで半ば翻訳をするような気持で一行一行を日本語でまとめながらの読みであった。

それにところどころで数式の計算もある。時間がかかったのはしかたがない。以前にはこの"Elementary Mathematics"の四元数のこの箇所は読んだことがなかった。

四元数で空間回転を表現する公式も与えてあるのだが、私の本のようにどのようにしてその空間回転の四元数による表示が出たのかの説明はなかった。ただ、Cayleyが見つけた、その論文の引用があり、同じ公式をHamiltonもまた独立に発見していたというリマークが脚注に出ていた。

高校の数学の教科書を探しても

2022-01-27 11:21:25 | 数学
高校の数学の教科書を探してもなかなか図書館にもないことに気がついた。

これは昨日からE大学の図書館とか国会図書館のOPACで古い高校の数学の教科書がないか探したのだが、すべての日本の本を収録しているはずの国会図書館でさえ、望む教科書の所蔵がはっきりしない。

これは学校の教科書は学校で学ぶとき以外には、普通に読む本だとは認識されていないことによるのかもしれない。

私の探している本は田島一郎編著の『解析II』(好学社)である。国会図書館にこれは収録されていないようである。残念である。国会図書館は1947年以降の日本で発行したすべての本を収録して備えているはずだのに、どうしたことだろう。

それとは別にだが、ちくま学芸文庫には『高等学校の基礎解析』、『高等学校の微分・積分』、『高等学校の確率・統計』(三省堂)が出版されていたり、講談社のブルーバックスにもどこかの出版社の高校数学の教科書が出ていたと思う。一般に読むことのできる数学の本としての高校の数学の教科書という視点が一方ではあるのだろう。



順列と組合わせ

2022-01-26 10:57:17 | 数学
私は「順列と組合わせ」の知識があまりない。それで今回も四元数の話を読んでいて困ったことがあった。

私の知っている「順列と組合わせ」の知識は高校のテクストにあった説明を高校生のときに読んだくらいである。それもそのテクストについている、やさしい問題すらも解いたことがない。

それで、そのテクストを再現して、その問いにも答えるということをしておきたくなった。私の使ったテクストは田島一郎編著『解析II』(好学社)である。このテクストの発行年月日ももうテクストがボロボロでわからない。

このテクストを使っていた年は1956年から1957年であろう。つまり高校2年生だったときだ。もっとも2年が終わっても高校3年生のときにも読んだと思う。私の順列と組合わせの知識はここで学んだことしかない。もっともほとんど忘れたのだが。

しかし、問を解いて見るということをまったくしなかった。その怠慢の穴を60年以上を経て、少しは埋めておきたいというのだから、私はまったくどうかしている。しかし、そういう気になったのだから仕方がない。

この私の発心が成就できるかどうかはいまのところわからない。







ドイツ語にとりつかれるまでは

2022-01-25 13:46:28 | 本と雑誌
ドイツ語にとりつかれるまでは、四元数の文献を読んでいたことをようやく思い出している。

一つはポントリャーギンの『数概念の拡張』(森北出版)であり、、もう一つはKleinの"Elementary Mathematics"(dover)の四元数の箇所を読んでいたのであった。

ポントリャーギンの第4章「四元数」をまずは読んだのだが、読んだだけでなかなかわからない。つぎに、"Elementary Mathematics"の四元数と回転のところをかなり読んでいたところだった。

こちらは小著『四元数の発見』(海鳴社)でも第6章に書いたこととほぼ同じことが書かれていた。もっとも私は自分の本の第6章は、"Elementary Mathematics"を参照しないで書いたのだが。先週の金曜日だったかに一日計算をしていて、自分でも結構面倒な計算が好きであるのかなと思った。

もっともこれは本質的に難しい計算と内容ではないので、単に根気の問題だけであろう。

先週何をしていたのか、思い出すのに結構時間がかかってしまった。そろそろ元の仕事に復帰したい。

このブログは物理と数学がテーマのはずだのに

2022-01-25 13:20:59 | 本と雑誌
このブログは物理と数学がテーマのはずだのにドイツ語にここ数日傾斜してしまった。反省、反省。

ここ数日、頭がカーッとなってしまって、物理も数学も忘れてしまった。反省している。

今年になって一般二項定理に関心をもって調べていて、それの原稿を書き上げたのに、これはまだlatex入力をしていない。その後、ライプニッツの求めた級数の和の話しをまとめた。こちらは短いのでlatex入力もした。

それで次に何をするのか考えていたときに、先週の木曜夜のオンラインによるドイツ語のクラスであった。

そこで、ドイツ語の形容詞の付加語的用法での文章の中での名詞の格にしたがって形容詞の語尾が変化することにとりつかれてしまった。

これはドイツ語が好きでかなり話せる人でも、ドイツ語を母語にしない人にはなかなか難しい難所の一つであることを思い出した。

それについて日本語でまとめるブログを書いてしまい、その後で強変化といわれる、冠詞がつかない場合の例をあいさつその他から集めるということに凝ってしまった。

自分の記憶とか辞書とから拾い出した、例文を集めてみた。形容詞の強変化の場合は定冠詞の語尾を思い起こさせる語尾がつくのだが、それは頭ではうまく変化させられないから、慣用表現を覚えて使おうという気持だからである。

もともとの「物理と数学の分野」へとできるだけ早く復帰したいと思っている。



Wo f"angt man beim Benutzen des Adjektives ohne Artikel ?

2022-01-24 17:02:34 | 外国語
以下はドイツ語の難所の一つである、形容詞の付加語的用法の一部について述べたものである。まずい多分まちがいだらけのドイツ語であろう。ドイツ語を母語としている人にまだ直してもらっていない。

1  Vor dem Beginnen
Beim Deutsch Untericht am 20. 1. 2022 haben wir etwas ”uber Endungen von Adjektiven mit bestimmtem
Artikel gelernt. Unser Duetsch Lehrer, Herr R.R., hat uns gesagt, dass solche Endungen von Adjektiven mit bestitmmten Artikeln einfach, weil die Endungen von Adjektive nur -e oder -en sind.
Aber, es gibt drei F"alle: Adjektive, die vor Nomen gelegt haben. Adjektive mit bestimmt Artikeln ist das ersten Fall. Das ist nicht schwer. Das zweite Fall ist Adjektive mit unbestimmtem Artikeln.

In diesem Fall muss man ein bisschen Modifikation brauchen. Fudamentale Endungen bleiben fast gleich von Adjektive mit bestimmten Artikeln noch, aber kleine "Anderung braucht man bei der Nominativ und Akkusative von Neutrum und Nominativ von Masculin.
In dieser F"allen zeigt sich leichter beisieplerweise.

Ein alt(er) Mann (Nominativ)
Ein klein(es) Kind (Nominativ und Akkusativ)

Andere sind gleich der Fall mit bestimmten Artikeln.

2    Wo f"angt man beim Benutzen des Adjektives ohne Artikel ?

Fundametale Idee, die Endungen von Adjektive vor Nomen ohne Artikel ist, folgt die Endungen von bestimmtem Artrikeln.
Ich finde sehr praktisch, wenn man folgenden Redewendungen auswendig lernt.

Ich zeige hier nur Beipiele. Dann gew"ohnen wir Endungen von Adjektiven allm"ahlich. Solche Beispiele kommen oft bei der Begr"ussung vor.

1.
Guten Tag !
Guten Abend !
Guten Morgen !
Guten Rutsch ins neue Jahr !
Guten Aufenthalt in Japan !
Guten Flug !
Guten Erfolg !
Gute Nacht !
Gute Besserung !
Gute Reise !
Gute Erholung !
(以上すべてAkkusativ)
mit dem besten Gl"uckwunsh zum neuen Jahr
mit besten Gru"ssen

2.
Herzlichen Gl"uckwunsch zum Geburtstag !
Herzlichen Gl"uckwunsch zur Hochzeit !
Herzlichen Dank !
Herzlichen Gl"uckwunsch zur Geburt eines Kindes !
Herzlichen Gl"uckwunsch zur Geburt Ihres Sohns ( Iherer Tochter) !
Mit herzlichen Gr"ussen
Herliches Beileid !

3.
mit freundlichen Gru"ssen
Er l"asst Sie freundlichst Gruss.

4.
Bestellen Sie ihm einen sch"onen Gruss von mir.
(Ich w"unsche Ihnen ein) sch"ones Wochenende.
Sch"one Ferien !

5.
(Ich w"unsche Ihnen ein) gl"uckliches neues Jahr.

6.
Vielen Dank !
mit vielen Gr"ussen
Viel Gl"uck !
Viel Gl"uck zum neuen Jahr !
Viel Verg"ungen !
Viel Spass !
(すぐ上の4 つのviel は無変化で語尾がつかない)

7.
Alles Gute (この場合にはGute は形容詞が中性名詞となっている。よってalles と中性名詞につく語尾となっている)

8.
Angenehme Reise !


子規の1月の俳句

2022-01-24 10:22:24 | 本と雑誌
E大学の校友会が毎年発行している、「子規カレンダー」は昨年までは会員全員に配布してくれた(注)。

しかし、費用が不足してきたのか。今年は200人の先着順で申し出の人に配布されるということだったので、申し込んだら何とか今年もいただくことができた。感謝している。

  年ここにあらたなる梅のつぼみかな  子規 (明治31年)
  the New Year
  has come with
       ume buds        (Shiki  1898)

写真が載っているのだが、これは黄色い福寿草である。この福寿草はamur adonisといい、symbolysing long life and happinessと説明がついている。

(注)このブログを書いた後で、E大学校友会の事務のあるお偉方が、私に電話をくれたところによると、校友会のメンバーは10万人を超えるので、すべてに「子規俳句カレンダー」を会員全員には送っていないとのことだった。

だが、元教職員には全員お送りしているとの説明だった。今年のカレンダーが私のところに届かなかったのはどうも宛先の不備であり、町名は書いてあったが、番地の記入がなかったために私のところに届かなかったとのことだった。

昨年までは届いていたのに今年は届かなかったのは、託送配布会社の能力の問題だったらしい。私の誤解をここで訂正しておく。




ドイツ語の難しいところ

2022-01-22 10:49:33 | 外国語
ドイツ語の難しいところはどこだろうか。

といわれれば、

1.文の枠構造

だろうと即座にいうことができる。しかし、これをなんとか乗り切ったら、つぎに難しいのは

2.冠飾句

であろう。ただし、これはだいたいが書かれた文章に多いので、話す言葉で聞くことはまれである。

3番目に難しいのは先日取り上げた

3.形容詞の付加語用法における語尾変化

であろう。どれも私が感じたドイツ語の難所である。他のところで難しいところはないのか。たぶん他にもある。しかし、あまり覚えていない。



数学用語辞典のカバーする範囲

2022-01-21 19:54:20 | 本と雑誌
どういう数学用語辞典が現在発行されているのか知らないが、私の持っているのは教育関係者の編纂したものである。

ところが、それらを引いてみても、例えば、「空間反転」とかいうような用語はでて来ない。どうも教育に偏った内容であるらしい。しかし、この事典にはいつもお世話になっているのだが。

教育関係の数学用語にも特定のあまり知られていない用語もあるが、それだけではなく物理と数学とが入り混じった数学用語事典がほしいという気がいつもしている。しかも、英語つきで。

『算数・数学百科』(日本評論社)もときどき参照するが、残念なことに用語に対する英語がついていない。それで武藤・三浦編著『算数・数学の用語辞典』(東京堂出版)にお世話になることが多い。『算数・数学百科』は説明が独特でくわしいので、役に立つのだが、改訂のときには対訳の英語を入れてほしい。

いま現在、四元数のことを本で読んでいる。これは空間回転の内容になるのだが、いわゆる一般の変換の用語でいう、固有の回転だけではなく、空間反転を含む広義の一次変換の説明がほしいのである。それでもっている数学用語辞典を引いてみたのだが、空間反転(Space Reflection)などは範疇外だというのであろうか、記載がなかった。



ドイツ語の形容詞の付加語的用法

2022-01-21 11:17:17 | 外国語
ドイツ語の形容詞の付加語的用法が昨夜のドイツ語クラスのテーマだった。

先生のR氏はこれが難しくないという。確かに、名詞の前の形容詞の、またその前に定冠詞がついていれば、この場合は難しくはない。この場合について言えば、R氏の言い分はまったく正しい。

なぜなら、その場合には形容詞の変化語尾はeかenしかない。そして、主格(1格)と対格(4格)では男性名詞の対格の場合を除いて、全部の形容詞の語尾はeである。それ以外はすべて語尾はenである。すなわち、男性名詞の対格の場合はenになっている。複数名詞につく形容詞の変化もすべてenである。この場合は文法用語では形容詞の弱変化の場合である。

いつでも名詞の前に定冠詞がついているのなら、まったく問題はないのだが、不定冠詞がつくとちょっと様相がかわる。いくつかの場合で上に述べた弱変化からのずれが生じる。この場合は混合変化と言われている。

基本は弱変化の語尾を踏襲するのだが、3つの箇所でこの弱変化語尾から変化が起きる。それは男性名詞の主格(1格)での不定冠詞と中性名詞の主格(1格)での不定冠詞がeinと区別がそれだけではつかないので、そこで名詞についた形容詞で区別をしようという意識が働く。

それでein alter Mann(一人の老人)とein kleines Kind(一人の小さな子ども)といったように男性名詞の前ではalterのerという語尾だが、中性名詞の前ではkleinesとesという語尾がついている。これは男性定冠詞derのerとか中性定冠詞のdasのsを思い起こさせる。対格(4格)の場合は男性名詞を除いて主格(1格)と同じ変化をする。

男性名詞の場合には不定冠詞はeinenであるから、それに引きずられてかeinen alten Mannといったようにaltenと形容詞の語尾はenである。

こういうことはなかなか難しいので、混合変化のときは基本の語尾はenであるとして、その例外は男性名詞の主格の語尾のerと中性名詞の主格と対格の場合の語尾esだけであると考えるとよい。女性名詞の主格と対格の場合は同じ語尾だが、eine sch"one Frauのように定冠詞とついた場合と同じである。

一番面倒な語尾変化するのは定冠詞も不定冠詞も名詞の前につかない場合である。この場合には名詞の前に男性、女性、中性であることを示すものがないので、その区別を形容詞の語尾でしたい。この場合を強変化という。

この場合の形容詞の語尾の変化は定冠詞にならったものになる。所有格(2格)を除いて定冠詞を想像させる語尾がつく。所有格(2格)だけは特別な語尾のenである。

この強変化の場合だけ、個々に述べてみよう。

主格、所有格、与格、対格の順に

男性名詞の前の語尾は、
 alt(er) Mann,  alt(en) Mann(es),  alt(em) Mann,  alt(en) Mann
女性名詞の前の語尾は
 sch"on(e) Frau,   sch"on(er) Frau,  sch"on(er) Frau,  sch"on(e) Frau
中性名詞の前の語尾は
    klein(es) Kind,  klein(en) Kind(es),  klein(em) Kind,  klein(es) Kind
複数名詞の前の語尾は
 alt(e) M"anner,  alt(er) M"anner,  alt(en) M"anner(n),  alt(e) M"anner
である。

語尾を明示するためにわざと語尾をかっこでくくっている。こうすると定冠詞との類似性がより明瞭になるだろう。

名詞自身にもすこし語尾が変化する箇所があるので、かっこでくくっておいた。基本は男性名詞との中性名詞の所有格に s をつけることと、複数名詞の与格に n をつけることであるが、これは理屈では知っているが、正しく使えたことはない。

これらの語尾は定冠詞をそれぞれ思い起こさせるが、男性名詞と中性名詞の所有格(2格)の語尾はだけはesとはならずにenとなっている。他の箇所はほぼ定冠詞を思い起こさせる。  
  
理屈はこのように言えるが、なかなか実際にドイツ語を話すときに間違えずに話すことはドイツ語を母語としない私たちには難しい。慣れるしか方法がない。たくさんまちがって次第に正しいドイツ語になって行くしかない。

(注)ドイツ語のクラスで使ったThemen neu 1, 2とまた現在使っているThemen Aktuell 3 のテクストの末尾に文法のまとめがある。この形容詞の付加語的用法がどのように記載されているのか今回はじめて見たが、Themen neu2に形容詞の語尾変化が出ている。もっとも上に書いた第3の場合の、強変化の場合の語尾への言及はない。記載されているのは、弱変化と混合変化の場合だけである。

これは強変化の場合の形容詞の語尾変化は定冠詞に準ずることが、ドイツ語を母語にしている人には当然のことであるからかもしれない。詳しいことは私たちのドイツ語の先生である、R 氏に聞いて見ないとわからない。

私はあまりドイツ語の文法に詳しくないし、文法書を開くこともごくごくまれだが、『必携 ドイツ文法 総まとめ』(白水社)をもっている。これはある日本人ゲルマ二ストの勧めで購入したものである。定価は1,600円とあまり高価ではない。

もっともドイツ語の文法書は、残念ながらあまりおもしろいと思ったことはない。









『数概念の拡張』

2022-01-20 10:00:59 | 数学
『数概念の拡張』(森北出版)の第4章「四元数」の箇所は読み終わったが、まだよくわからない。こういう状態を読み終わったとは本当はいわないのだろう。

しかし、ともかく理解しようとして読み終わったことだけは確かである。以前にも一通りは読んだのだとは思うが、わからなかった。今回はすこしだけ理解が進んだところもあるが、やはりわからないところもある。

一方のクラインの"Elementary Mathematics"の方はまだ読み終わってもいない。本を1冊読んだというのなら、格好のいい話であるが、そんなかっこうのいい話ではない。Complex Numbersという章のそれも四元数のところだけを読んでいるのに、なかなか読み終わらないのである。それもわかってもわからくても一応理解しようとして、理解できなくとも読み終わるということを単なる目標としているのに、である。

大体、数学の好きな人は頭のいい人がおおくて、なんでも理解できてしまう秀才のひとが多い。私はそういう種類の人間ではない。秀才とか天才に対して鈍才などとこれはきちんとした言葉ではないのだろうが、使うことがある(注)。ど鈍才なのである。卑下して言っているわけではない。本当にそう思っている。

(注)鈍才という言葉は辞書にはないのだろうと思って岩波『国語辞典』を引いてみたら、予想とはちがってちゃんとあった。

(2024.6.6付記)
いまだよく理解できない『数概念の拡張』の第4章「四元数」を再度読む必要がありそうである。通読するとしても3度目である。なかなか理解できないのだが。これはある命題についてきちんと書いてあるかどうかを調べるためでもある。