物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ルンバ君活躍

2014-12-29 14:39:47 | 日記
27日土曜日の忘年会でKさんが自宅で使っているお掃除ロボットのルンバのことを聞いた、妻は居てもたってもおられなくなって、昨日お掃除ロボット、ルンバを買いにエディオン駅前店に出かけて買って来た。

それで昨日の午後はルンバ君が掃除をしやすいように床に置いたいろいろのごみ箱とかイスとかを別の椅子の上に一時的に置いたりして、ルンバ君に働いてもらった。

充電の装置を移動しておくとその充電機の所へ帰っては自分の機械の受電をする。すぐれもののお掃除ロボットである。もっともできるだけ床に障害物となるものを少なくしてやる必要はある。

ということで、客間とか普段はあまり掃除をしない二階の寝室とかもルンバ君を使って掃除をした。今日も妻が習字のために使っている4畳半の部屋を昨日に続いて掃除をしていた。

最近ではルンバ君に掃除を任せている家庭も結構あるという話だ。そういう次第でわが家も年末の売り上げの促進の一部に貢献した。これからもときどきルンバ君に働いてもらうつもりである。

動きがほとんど平面上であるから、制御はそれほど難しくないのであろうが、こういう機械をつくることの得意なはずの日本で開発されなかったことがむしろ不思議である。

平面上の動きだと四元数で制御する必要はなく、複素数で制御できるのではないかと思われる。どこかのイスとか机の脚にぶつかるとくるりと方向転換したり、壁にぶつかると反射角よろしく方向転換して動いて行く。そしてある時間たつと部屋の床をくまなく掃除するという訳であろう。

ちょっと見るとランダムに動いているようなのだが、その辺はどういう風になっているのであろう。一度どこかの国のメーカーがお掃除ロボットを開発すると今では日本でも東芝もシャープもと言ったようにどこのメーカーでもお掃除ロボットをつくるようになったということらしい。

今年最後のいい天気

2014-12-27 14:11:24 | 日記
明日から天気が悪くなるという。

今日はそれに引き代え上天気である。空は青く晴れている。明日から年末の大掃除をしようと思っているのに果たしてどうか。

年末にはいつもトイレの掃除と風呂の掃除をするのが、常である。これを妻がしたことはこの十年以上ない。だから、そういうものだと思っている。

だが、それ以外のことは、私はあまりしたことがない。恒例の行事はそれだけである。庭の草もあまりひかない。若いときはそれでも庭の草ぐらいは引くことがあった。

比例式と比

2014-12-26 12:13:27 | 日記
比例式についてのエッセイを書こうとしていると数日前のブログで書いたが、まだ一行も書いていない。

これはある本を読んでこのブログに前に書いたことがある人の話を探しているのだが、その本が見当たらないからである。本を本棚に2重にしまってあるその後ろの方にその本があるのかもしれない。

書いた人は和達清夫さんで中学校のときの先生が「比とは比の値のことをいうが、特に比の値とは言わない」と教わったとあったと書いたはずである。しかし、それがどの本であったか。

しかし、遠山啓の『教師のための数学入門』(国土社)の比例のところではa:bがa/bと同値であるかどうかという疑問が出てくるとある。

和達さんの先生(宮本先生だったか)によれば、a:b は a/b と同値である。しかし、遠山さんはそれを疑問視している。それもヨーロッパのスピノザの文まで引用してである。

だが、この間から何回も触れているようにドイツでは a:b と書けばそれは日本とかフランスでいう、a/b のことであるという。

このことを遠山さんが知らなかったとは思えないが、そういうことをいろいろ考えてまだ一行も比についてのエッセイを書けない。

遠山さんはそういうことから帰一法へと話を進めている。比例の現象での比例定数を求めることへと進展していく。

毎日書くのは辛い

2014-12-25 13:13:09 | 日記
好きでブログを書いているのだから、書くことなど無限にあると思われるだろうが、なかなかそういうことはない。

これでも話題を一生懸命探しているのである。その割には話題がおもしろくないと言われればそうだが、毎日の書くテーマに困っているというのが実情である。

人の悪口をできるだけ書かないとか一応決めている。第一、人の悪口をいうほど人とのつきあいが私にはない。それでも偉い人ならときどきは批判的なことを書いてもまあ許されるだろう。

昔、愛媛新聞社の四季録というコラムを半年ほど担当して書いていた人から聞いた話でははじめは話題に事欠かなかったが、終わりごろには話題探しが大変だったとかいう。

それでも途中で降板した執筆者はあまり聞いたことがないから、やはり執筆者はそれなりの文章家でもあるのであろう。文章家とは単に名文を綴ることができる人ということだけではなく、話題が豊富であるということも不可欠の条件であろう。




ドアはどちらに開く?

2014-12-25 12:20:18 | 日記
ドアは日本では外向きに開くことが多い。これは屋内のスペースが狭くてドアを内側に開くとき、屋内に物を置いていたりして開けられないことがあるからであろう。

だが、外側に開くと外側に誰かがいるかもしれないので、そういう場合には危害が人に及ぶかもしれない。そういうこともあって外国では内向きに開くようになっている。

はじめて外国に出かけたときに、運賃が安いということでアエロフロートというソ連の国営の飛行機に乗った。トイレに立ったときに、ドアが開かないので困っていたら、通りかかった搭乗員がプッシュ(push)と言ってくれたので押せばよかったということがわかった。

そのように慣れないと戸惑うものである。これはドアは引くものだという先入観がいけないのであろう。いやそういうことは意識していなかったのだが。

ときどきそういう順序について思うことがある。ラジオ体操をしていて、首を横にひねるときや横に曲げるときに左と右とどちらからはじめているのだろうとかつまらないことが気になる。この場合には左から始まっているが、そういう何でもないことが気になるというほどでもないが、気になる。

人が左遷されるというと閑職に追いやられるようであるので、右の方が優位なような気もするのに、体操の首をひねったり体を回したりするときには、左からで右からはじめることはないような気がする。これには理由があるのであろうか。

私が左と右との区別がつかないというのは言い過ぎかもしれないが、どうもあやふやなことが多い。自分が車を運転しているときには間違わないが、妻が車を運転しているときなどに「右に曲がれ」とか言ったら、妻は心得たもので、「左に曲がるのでしょ」とか言われてその通りなので、ギャフンとなることがしばしばである。

言葉としての右という語が私には言いやすいのであろうか。これが外国語になるとドイツ語のrechts(右に)とかlinks(左に)とか言うときは間違えないように思う。もっともフランス語ではtout droitというと「まっすぐ」であるので、右にではないところが要注意であろう。'a droite(右に)とか'a gauche(左に)とかはあまり言ったことがないので間違えるかもしれない。

一般にフランスは左翼gaucheが尊敬されている風潮があるので、ゴリゴリの保守でも左翼を名乗ったりすることもあるとか聞いたような気がする。本当はどうなのだろう。

交通信号の赤が右側にあるのも運転者に見やすいということでできるだけ危険を避けたいという交通標識設置者の配慮がされているのであろうか。

スマホは役立つ

2014-12-24 11:49:28 | 日記
スマホは役立つ。これはタブレットと同様である。

朝食後に妻にドイツでは日本で使われている割り算記号は使われていなくて、その代わりに:が使われているとか、かけ算の記号も使われていないといったら、彼女がすぐにスマホで調べた。

ドイツ語、割り算とか入力したら、確かにそうだと出てきた。それでわかったことは隣の国のフランスでは日本でも使われている割り算の記号が使われているということである。

ヨーロッパはすべて同じかと思ったが、フランスとドイツでも違っていたのはおもしろかった。もっとも数字の小数点はアメリカかとか日本では小数点(.)であるが、ヨーロッパではその代わりに(,)が使われる。そして3ケタごとに数字を区切るときにはコンマではなく小数点(.)を用いる。この点は日本やアメリカと(.)と(,)の役割が反対になっている。このことは前から知っていたことである。

私の父のような年をとった人が小数点のことをコンマと呼んでいるのを聞いたことがあったが、これはヨーロッパの読み方に倣ったものであることがわかる。

もう50年くらい以前にアメリカ帰りの物理のT先生が「コンマと小数点を読むのはけしからん」と言っておられたが、この先生はヨーロッパの読み方をご存じなかったに違いない。

幾何学と代数系

2014-12-23 12:32:11 | 日記
『幾何学と代数系』(森北出版)というのは数学の本である。実は昨日ようやくこの本を購入した。ハミルトン、グラスマン、クリフォードという副題がついた本であり、7月31日の出版であり、私の『四元数の発見』よりも3か月も前の出版である。
私は残念ながら、この書を読んで自分の著書に生かすというチャンスはなかったが。

それで私の本とテーマが重なるということもあり、どんな本なのかと思って購入したかったが、税込みでは3800円を越えるのでなかなか購入に踏み切れなかった。関心がなかったわけではない。

昨夜、第4章の「ハミルトンの四元数代数」を通読したが、私の取り扱わなかったテーマは共役数くらいだった。実部と虚部とが共役をとることで区別がつくという話であり、この話題は私がとりあげてはいないと思われる。

後は大体同じテーマだから同じような取扱いであった。もっともこの書はグラスマン代数とかクリフォード代数にも触れた後に第8章で幾何学代数について述べられているのだから、とてもお買い得な本である。関心のある方にはお勧めしたい書である。

記号等が少し読みにくいのではないかという気がちょっとしたが、それくらいはこの書を読むくらいの方々は乗り越えるくらいの人たちだろうから、問題ではないのであろう。

自ずから、私が『四元数の発見』の読者として想定した人たちとは少しずれていて、高級な研究者や技術者を読者を対象にしていると思われた。

著者の金谷(かなたに)健一さんにお会いしたことはないが、私も購入して持っている『これなら分かる応用数学教室』(共立出版)はアマゾンコムでもとてもわかりやすいとの評判の書である。

大阪大学の金谷(かなや)一朗さんはこの『幾何学と代数系』に刺激を受けて彼の『クォ―タニオン入門』(工学社)を書き変えるとの決意をブログか何かで述べておられるのをインターネットで読んだ。

公共図書館

2014-12-23 12:10:37 | 日記
公共図書館の役割を一般にここで論じようとしているわけではない。実はカーリルというサイトがあり、公共図書館から本を借りられるというシステムがある。

そのサイトを使って実は昨日私の書いた『四元数の発見』(海鳴社)がどのくらい公共図書館に入っているか調べたのである。それによるとおよそ100冊が公共図書館または大学の図書館で購入されたことがわかった。

一番多いのは東京都であり、21冊が区立図書館等で購入されていた。またそれとは別に東京に本部がある、大学の図書館には10冊が購入されていた。ciniiで検索すれば、大学ではいまのところ22冊が大学の図書館に登録されている。

以下、5冊以上の登録があった都道府県は東京はすでに挙げたから除くと埼玉県、神奈川県、愛知県、大阪府であった。私の住んでいる愛媛県は3冊であって、これは私が愛媛県の出身であることがこの書の購入の一つの条件になったかと思われた。

著者としては驚いたことにこの書がすでに貸し出されているところも少なくなかったことである。数学の本とはいっても私が書いたくらいだからそれほど難しい本ではない。高校数学を知っていれば十分に理解できると序文にも書いた。それはウソではないが、やはり普通の人はなかなか読めないというのが実情だろう。

比例式

2014-12-22 17:44:27 | 日記
比例式について今日は少なくとも1行くらいは書くつもりだったが、1行も書くことはできなかった。単に比例式というタイトルのファイルをつくっただけであった。

いま調べているのだが、あまり比例式のことを文献で書いているのを見かけない。これは比例式が中学の数学のテーマなのか小学校の数学のテーマなのかもわからない。

しかし、小学校ではたぶん取り扱うことができないであろう。少なくとも中学校のレベルである。遠山啓の『教師のための数学入門』(国土社)をとりだしてきて、見たりしているが、あまり詳しい記述がない。比例式について遠山が批判的であったことはうすうすわかる。

そのせいかどうかは知らないが、数学教育協議会の編纂の書物でもあまり言及がないように思われる。私はa:b=c:dをa/b=c/dと表すことにしてその内容を解説したエッセイを書きたいと思っている。

だから、もちろん比例式といってもそのままの形では取り扱わないつもりである。比例式の分数での表現を知ったのは高校化学の計算では比例をよく使うということを知ってそのとき、a/b=c/dという表現が便利だと知ったからである。

私の大学受験勉強時代には津田栄先生という化学教育に熱心な方がおられてその先生の書かれた本から学んだことである。

今年中に少しでも比例式についてのエッセイを書きたいと思っている。

白猪の滝

2014-12-22 11:51:25 | 日記
昨日の日曜に東温市の白猪の滝に行った。妻がテレビで白猪の滝が凍ったと見たからである。まだ全面的には凍っていなかったが、全面的に凍るようになれば、滝まで登って行く道も凍ってしまい、普通の靴では滑って上がれないという。

そういう状態になる前に行ってみようというのが妻の考えである。だが、麓で杖を二つ借りて行ったが、私は体重があるのでなかなか大変であった。

若い人たちは楽々と上がって行く。それほど滝を見に来ている人が多いわけではないが、ぽつぽつは滝を見に来ていた。下に降りてきて、麓のお店でおでんを食べて帰った。

帰宅してはコタツに入って本を読んでいるうちに夕方まで眠ってしまった。やはり私にはかなりの運動になっていたせいであろうか。

予想論

2014-12-20 17:23:02 | 日記
古本で購入していた、板倉聖宣さんの『科学と方法』(季節社)の初めの予想論だけをようやく読んだ。

その中で類推は予想をするときに一つの考え方だが、その類推が成り立つのは「問題を構造的・本質的に深めて調べて、それら比較されるものの間に本質的な一致があるかどうかを調べてはじめて確かな結論を得ることができるのである」とあり、なるほどと思った。

そんなことは当然ではあろうが、それでもそういう意識がしっかりしていないといけないということであろう。板倉さんは私などと比べても大分年長であるが、これがまだ若いときにそれも25,6歳のときに書かれた文章だと知るとそれくらいの歳に私はそんな素晴らしい認識に至っていたかどうかあやしいと思う。私は類推と比較を自分の素朴な科学研究の方法論的な道具としていつも使っているのだが、そういう本質的なことには頭が回らなかった。

この予想論は『思想の科学』の1955年1月号に掲載されたものだという。私は板倉さんの書籍のあまり熱心な読者ではないが、考え方が彼の中では実践と結びついているという感じを与える。

いつだったか、『主体性論、実践論、組織論』という書を読んだ。どうも毛沢東の『実践論・矛盾論』を思わせる題名だったが、それを読んで毛沢東の書とは違った感銘を受けたが、物忘れの激しい私はすぐに内容を忘れてしまった。それではあまり本当の意味の感銘を受けたことにはならないのだが、年をとってしまってすぐに忘れてしまう。もっと若いときに読んでおくべきだったろう。

自死

2014-12-19 14:37:14 | 日記
最近では日本語の「自殺」という言葉の響きがよくないということから、「自死」という言葉が使われることが多くなった。

殺すという語は自分に対するものではあってもあまり感じがよくないということであろうか。戦争は人を殺す闘いである。どういう理由があるにしても戦争で人を殺さないということはほとんどなかろう。

ところで、キリスト教のカトリックでは自殺も罪なら、離婚も認められていないと聞く。どちらも罪なんかどうかは私のような不信心のものにはわからないが、離婚して不幸のいくばくかが減るのなら、離婚も認めてもいいと思う。

実際に普通の社会では法的には離婚を認めない社会は少ない。いや別に離婚を奨励しているわけではない。お互いに不幸であるよりは離婚の方が望ましいのではないかと思っているだけである。

最近では離婚に伴ういろいろの負荷が大きいので、男女がお互いに結婚という形式にヨーロッパ等では踏み切らないという割合が多くなっているという。フランスではpacsという制度である。この言葉を仏和辞典で引いてみたが、載っていなかった。

自殺に話を戻すが、ドイツ語ではSelbstmordという。フランス語ではどうだったろうか。英語ではsuicideであろう。ドイツ語では殺すという動詞は普通はt"otenという語があると思うが、umbringenという語も使う。totは死んだという形容詞であるが、ich bin tot.と言っても自分が死んだと言う死人はいないので、「疲れ切っている」という意味である。これはドイツ語のクラスのR氏がときどきもらすことばである。

1976年の秋にMao Tsue-tung ist tot(毛沢東が死去しました)というニュースをドイツの自宅の居間の白黒テレビで見たことを鮮明に思い出す。それは後で知ったことだが、文化大革命の終りをも意味してもいた。

数学・物理通信4巻8号の発行2

2014-12-18 16:19:36 | 日記
今日、ようやく4巻8号が発行できた。

4巻8号くらい編集段階ですったもんだがあった号はなかった。Mさんの投稿があった後で S さんの2つの論文の投稿があり、それで編集して発行しようと思って、編集をして、著者の検討をお願いした段階で、Mさんから待ったがかかった。もう少し原稿を検討したいと言われて、しかたなく自分で書きかけのエッセイの完成を急いでいたら、Nさんの新しい原稿の投稿があり、急遽それを取り入れての4巻8号の発行となった。

お蔭で私の数学エッセイの原稿はもうすこし検討する時間がとれた。でも来年3月の5巻1号には自分の書いた二つのエッセイを載せるつもりである。そのうちに今年の4巻8号に掲載できなかった、Mさんの原稿の検討も十二分にできるであろう。

それにすでにSさんの別の原稿ができ上がっているという。こんなに多くの投稿の集まるのは編集者冥利につきる。来年の3月にも1号と2号が発行できるのではないかと思っている。

ヘクトパスカル

2014-12-18 13:25:36 | 日記
あまり考えないで、ヘクトパスカルという単位になじんできたが、先日のヘクタール(ha)=100a(アール)を思い出してから、ヘクトパスカルについて調べおこうと思い出したが、なかなか検索する暇ができなかった。

いま調べてみたが、昔のミリバールと同じ大きさの圧力を単位の言いかえがされたらしい。ミリバールとバールとはすでに廃止された単位だという。

1気圧が1013ミリバールということは覚えていたが、いまでは1013ヘクトパスカルというのである。wikipediaによれば1気圧がほぼ1ヘクトパスカルの1000倍であることが都合がいいという。

台風のときにでも940ヘクトパスカルなどというとこれはかなりの低気圧の台風だなと想像することができる。昨日、一昨日の北日本の低気圧は968ヘクトパスカルといっていたからこれも台風なみの勢力であったことがわかった。

wikipediaにある換算の一部をここに挙げておく。

1気圧=1013.25 mbar=1013.25 hPa

であり、1 Pa=1N/m^[2} である。式を読めない人のために最後のパスカルの定義を言葉でいうと1 平方メートルの面積に 1 ニュートンの力がかかる圧力である。ちなみに 1 ニュートンとは1キログラムの質量の物体を1秒間に1メートル/秒の速さの変化を起こさせるような加速を与える力の大きさである。

もし1キログラムの重さものをもった人が感じる力の大きさが約10ニュートンである。それでおよその力の単位ニュートンの大きさが見当がつくだろうか。

大学1年生が学ぶ物理のテキストをいま見たら、1/2カップの水が約100gだそうであるから、それくらいの水をもったときの重さが 1 ニュートンだとあった。もっとも金属のカップとかに入った水だと金属のカップの重さがかなりあるので、水100gを体感することは結構難しい。

Legacy

2014-12-17 10:35:17 | 日記
Legacyという名の車はいくつかあるように思う。HondaのLegacyとか富士重工業にもLegacyがあるのか。

Legacyというと車の名前と思っている人もあろうか。私がLegacyという語を初めてオヤと思ったのはSchwingerという物理学者の"Einstein's Legacy"という本の翻訳が出たときであった。

この翻訳はしゃれたつくりの本であって、訳本のせいもあるかもしれないが、結構な値段の本だったので、結局購入しなかった。その後、元の原書のペーパーバンドがでてそれほど高価ではなかったので、それを購入している。

英語の話に戻るとLegacyは遺産という意味である。最近、文化遺産という言葉をよく耳にするがこのときもやはりLegacy of Culture と言うのであろうか。

たまたま、仕事場に来る途中に前の車がLegacyという名であったから、こんなことを思い出した次第である。

車の名前についていえば、RaumとかPlatzとかいう車の名前がある。der Raumとは英語でいうとspace(空間)を意味するが、多くの人が共通に使う部屋のことを意味する。個人が使う部屋はドイツ語では普通das Zimmerだが、Zimmerはベッドある寝室を意味するとか聞いた(注)。

要するに車の室内が広々しているというイメージをもってRaumという名を車につけたのであろう。der Platzは広場を意味するので同じようなイメージであろうか。l'espaceというのがRaumに対応したフランス語である。espaceという名の車もあるような気がする。

espace 21というイベントホールが松山にあるが、これもレスパス ヴァンテアンというのが正しい読み方であろうか。しかし、そういうフランス語を知っている人は少ないと見えてあまりレスパス ヴァンテアンなどと呼んでいる人は聞いたことがない。

(注)英語のspaceには日本語でいう、宇宙の意味もある。spacecraftというと宇宙船の意味だと辞書にある。space flightだと宇宙飛行である。もっとも宇宙飛行士はastronautとなるが。