物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

わかりやすい本は?

2021-10-30 11:01:29 | 本と雑誌
わかりやすい本はいわゆる海賊版の標的になる。

先日来このブログで紹介した村上雅人さんの「なるほど」シリーズがやはりpdf文書で無料配布と言われるサイトがインターネットにあった。

これはいまでも発行されている本で、たぶん品切れにもなっていない本である。

他にもそのような本があるかどうか知らないが、たまたま村上雅人さんの『ベクトル解析』が読みやすかったので、調べてみたのだ。

そしたら、私の本と同様にpdf文書を無料配布するというサイトがあった。これでは出版元はかなわない。

もっとも村上雅人さんのシリーズの本はよく売れているとみえて、アマゾンコムでも好評である。だからすでに出版社は利益を上げているのかもしれないが。


眞子さんの結婚

2021-10-29 11:57:39 | 本と雑誌
眞子さまか、はたまた眞子さんか。

新聞の報道も微妙に変わったが、その実際はあまり変わったわけではない。皇族の一人であったのが、普通の一市民になったということだけである。

皇族であることは生まれながらにではあるが、相当なプレシャーであるに違いない。ということは一市民になったことはある意味で、大きな肩の荷を下ろすきっかけになったことであろう。

ただ、「生まれ」は消えさせることはできないので、世間の注目を受けることはこれからも続くであろう。

アメリカに生活することで、その「生まれ」の一部は普段の生活では忘れることができるのであろうが、基本的には忘れ去ることはできないのであろう。

そうすると、人としての基本的人権は守られないということになりはしないのか。日本の天皇制度が続く限りこの問題は消えない定めであろうか。





ドイツ語の会話での「言い逃れ」

2021-10-28 10:21:49 | 本と雑誌
もう数週間も前だが、ある種の「言い逃れ」をする会話をドイツ語で聞いた。これはテープレコーダーか何かに録音された音源を何回も聞かされた。

そして、そのドイツ語を文字に再現することを求められていたのだが、それだけではなく、そのような言い逃れの場面を設定した会話というか話を「ドイツ語でつくれ」という宿題が出されていた。

しかし、クラスの参加者は一人以外は、私も含めて誰も宿題を先週していなかった。今週その課題が残っている(注)。

しかし、いい逃れの場面は日本語でもそういう場面はつくりづらい。それでこまっていたのだが、昨日ようやく話題を思いついた。

それをここで種明かしをしておこう。電磁気学を学ぶときにベクトル解析を学ぶ必要がある。確かに現在出版されている電磁気学のテクストを読むときには、ベクトル解析を知らないでは電磁気学の理解は難しいだろう。

しかし、もともとマクスウエルが自分の方程式(現在、マクスウエル方程式と言われている)をベクトル解析を知らないで書き下したのである。だからベクトル解析を知らないでも、電磁気学を学ぶことができるはずだと思われる。

かなり、苦しいいわけであるが、ようやく宿題の課題を果たすことができそうになった。

(注)言い逃れの場面も想定することが難しかったので、そういう場面を思いつくことは私にはできなかった。

Levi-Civita記号の縮約

2021-10-27 12:11:53 | 数学
ベクトル解析の多くの公式を導くときに、もしかテンソル解析の初歩を知っているとほとんどの式が自分で比較的簡単に導出することができる。

これはちょっとテンソル解析の初歩を学んだ人なら、だれでも知っていることだが、このときにLevi-Civita記号を縮約したときに成り立つある恒等式を知っている必要がある。

ところが世のベクトル解析のテクストにはその結果は書いてあるが、きちんと証明したテクストはすくなかった。

いまでは、そのことを簡潔に述べてある書もちらほらと出てきたが、そのことをあからさまにエッセイに書いたのは私である。そして、そのことが載っている小著『数学散歩』(国土社)は別に著者が喜んでいるわけではないが、無料のpdfのコピーがインターネットのサイトで得られる事態となっている(注1)。

いまその『数学散歩』に掲載したエッセイをすべて改訂した原稿をlatex入力しているのだが、その中の「Levi-Civita記号の縮約」再々論というエッセイを入力中である(注2)。

ところが、昨日latex入力しているときに、この恒等式の導出法がわからなくなっているいることに気がついた。

昨日は自分で紙面で計算して見る時間がなかったので、今朝ちょっと時間をとって、手を動かしてみた。それらの恒等式をすぐに導けたのだが、『数学散歩』の当該エッセイの2つ前のエッセイを見たら、実はそこで計算の詳細が示されていた。そのことも忘れていたのだ。

このことはともかく、「徳島科学史雑誌」に投稿した、論文の校正が昨日来たので、ここ数日はその校正で忙しいだろう。

(注1)『数学散歩』のpdf文書を無料で提供するというサイトは私の確認しただけでも10箇所近くある。これははっきり言って、著作権侵害だが、出版社に苦情を言っても、適切に処理してくれないようだ。

『四元数の発見』(海鳴社)の方はなんとか無料pdfコピーのサイトはなくなったみたいだが、こちらは出版社のご尽力の賜物であろう。

(注2)latexというのは数式を入力できるソフトである。これはワードでの数式入力ではなく、ある種のプログラム言語みたいなものである。Knuthというアメリカ人の情報科学者(数学者?)がつくったものである。理工系の研究者はこれで数式や論文を書いている人が多い。

だが、最近ではワードの数式の表示がよくなったという理由でワードに戻ったという人もかなりいる。


『ベクトル解析』の本

2021-10-26 11:29:06 | 数学
数年前に東京へ行ったときに、海鳴社を訪れてそこで、頂いた『ベクトル解析』の本を子どもところに、おいて帰っていたが、もう数年になるので、もう用済みかと思って、それを送ってもらった。

この『ベクトル解析』の本は村上雅人さんの書いた本である。昨夜就寝前にちょっと読んでみたらが、これが目から鱗がとれるような感じの本でようやく私も「ベクトル解析」の呪縛から逃れることができそうだ。

この本にはテンソルのことも微分形式のことも書かれてはいないし、初等的な取扱いに徹しているが、それでもそこがいいのかもしれない。

こういう本もあるのだと妙に感心をしている。

(2024.4.1付記) Levi-Civitaの記号をつかった外積とかベクトル三重積を書いた方がいいと思う。そこら辺が上に書いた村上雅人『ベクトル解析』(海鳴社)への批判としてはある。この記号の有用性はいうまでもない。



鏡像の原理

2021-10-25 10:48:26 | 数学
どの複素解析のテクストにも解析接続のところに鏡像の原理の説明があるのだが、それを応用した実例をあまり見かけたことがない。それを不満に思っていたのだが、高橋秀俊『線型分布定数系論』(岩波書店)にはこの例が載っているらしいことに気がついた。
 
まだ詳しく読んでいないので、このことについてはまだ何も言えないのだが、一つの手がかりができたことになる。
 
ちゃんとこの本には鏡像の原理が解析接続の一つの方法であることをしっかりと書いてある。
 
解析接続のやり方には級数展開を用いるものとかその他いくつかの方法があるのだが、その実例を意識的にまとめたものを書きたいと思いながら、それを果たせていない。
 
この解析接続のやり方を意識的に書いた本が皆無というわけでもないが、それでも複素解析の本を読んでそのことを明確に述べてほしいといつも思うのだが、そういう本は実は少ないと思う。
 
複素解析(昔の関数論)の本は日本語でも数十冊出ていると思うのだが、私のような考えの人はまったくいないのだろうか。
 
(2022.2.4付記) 金子晃『関数論講義』(サイエンス社)が解析接続の方法について、いろいろの説明がある。この書の発行は2021.4.25なので金子さんの本を知らないで書いたことになる。こういうことを気にかけていた数学者がいたことは希望を感じさせる。
 
 
(2023.3.29付記) 最近、森正武さんの本を読んでいたら、解析接続の方法として変数変換というのがあった。はるか以前に、高橋秀俊さんの解析接続の方法というのをどこかで読んだことがある。これが解析接続の方法として変数変換であったかもしれないが、どこで読んだのかも覚えていないのでどうやって調べたらいいのかわからない。そういうことをはっきりご存知の方がもし居られれば、コメントをしてほしい。
 
高橋秀俊さんの解析接続の方法の紹介をされた方も高橋秀俊さんその人でなかったことだけは確かである。だからその紹介をされた方はひょっとすると森正武さんであったのかもしれない。森正武さんの著書を調べて見る必要があるかもしれない。

久しぶりの雑談会の開催

2021-10-23 13:23:17 | 本と雑誌
久しぶりの雑談会の開催である。

コロナ禍で毎月開催していた雑談会の開催が難しくなっていたのだが、今月は久しぶりに開催することにした。

テーマはアフガニスタン情勢である。タリバンのアフガニスタンの国内掌握によって何年かぶりにタリバンがアフガニスタンを掌握した。

宗教的に女性の権利を抑圧するのかどうかとか心配の種はあるのだが、さて情勢はどうなってているのか。その辺が今日の話しでわかるのかどうか。

政治にどこの国の人々の生き方は左右される。

ショパン(chopin)コンクール

2021-10-22 10:52:16 | 本と雑誌
昨年開くべきだったショパンコンクールが今年開かれて、二人の日本人が入賞を果たした。

昨夜のドイツの語クラスでのメンバーの K さんが話をされたので、今日の新聞をよく読んでみた。

2位に入賞したのは反田恭平さんであり、4位入賞は小林愛美さんであった。

反田さんによれば、小林愛美さんは「小さいころから、天才、神童と言われた人である」という。

以前のショパンコンクールの日本人の入賞者の最高位は1970年の2位の内田光子さんだという。

予選もきびしいものであり、本選に出ることもなかなか大変なのだと初めて知った。

10月20日のイタリア語講座

2021-10-21 12:37:39 | 本と雑誌
昨夜は復習編だった。メモできた一部です。

  Mettiamo in practica.  実際に使ってみよう
  Che elegante. とてもエレガント
  Questa giacca `e elegante. このジャケツはエレガントだ
  Mi piaccino tutti. すべて気に入りました
  Posso provare ? 試着してもいいですか
  Certo. もちろん
  Sportiva.  スポティです
  Mi stanno bene. 似合っている
  Non trovo la mia valigia. 私のスーツケースが見つかりません
  Non trovo la mia chiave. 私のカギがみつかりません

いまイタリア語を学ぶべきとき

2021-10-20 12:11:09 | 本と雑誌
いまイタリア語を学ぶべきときではないかと思える放送を聞いた。

ラジオのイタリア語講座を車を運転しながら、たまたま聞いたのだったのだが、名詞の単数と複数、それに定冠詞をつけるか不定冠詞をつけるかとかいう話をされていた。

この講師は朝比奈佳尉(あさひなかい)さんという方らしい。これは2019年の再放送だという。

先に述べた本筋の話に帰ると

1.まず複数でしか使わない名詞はその複数だけを覚える
  (めがね、ずぼん、靴とか)
2.家で一つしかないものは単数の定冠詞をつけて覚える
  (ゆぶね、オーブンとか)
3.これは一般の名詞だが、複数と単数があるもの

この三つを区別して考えようという。なかなか合理的な考え方である。この講師の先生は講座の初めごろにイタリア語では使われない字母が3つあるとかとも言われていた。これも知らなかった。

私はイタリア語に詳しいわけではないが、それでも半世紀も昔にイタリア人から1年間イタリア語を学んだことがある。だからまったくの素人でもない。しかし、こういうことは知らなかった。

実際に、私がイタリア語を続けて学ぶかどうかはわからないが、こういう実践的というか合理的な思考の講師の先生に学べば、イタリア語も話せるようになっていたかもしれないなどと思った。

ラプラス演算子の球座標表示

2021-10-19 10:33:11 | 物理学
ラプラス演算子の球座標表示についての昔のエッセイを書き換えようとしたが、書き換えには違いないが、前の説明はもうカットしたほうがよさそうだと思い始めた。

これは愚直に計算をしたエッセイであって、工夫が全くないものだったからである。

ラプラス演算子の球座標表示については結局のところ
(1)直交曲線座標を学んでそれを使って導く
(2)円柱座標を経由して、球座標表示へと導くか
(3)微分演算子の微分の前の係数を文字で置き換えて導くか
のいずれかの方法がよい。

(2), (3)はすでに私がその実際をエッセイに書いて「数学・物理通信」に掲載している。インターネットで検索すれば、たどりつくことができる。

(1)については現在、改訂しているエッセイで述べてある。もっとも(1)に関して言えば、直交曲線座標系の学習が必要になる。これをまとめたエッセイも書きたいと思っている。

直交曲線座標系は若いときはよくわからなかったが、最近読んでみたら、私にも理解できそうだとわかった。読んだ文献はM. R. Spiegel『ベクトル解析』(オ-ム社)である。

もし体が痛いと

2021-10-18 12:10:54 | 本と雑誌
もし体が痛いとその痛みに耐えかねて死にたくなるのかもしれない。

現在のところ体のどこかが痛いことは私にはない。これは幸せなことだと思っている。妻もいろいろな活動をしているが、それだってどこか体の一部が痛いと活動をすることは難しいだろう。

だから、現在の健康な状況を幸せと感じている。これがいつまで続けることができるのかは神様でない身としてはわからない。

今のうちに自分にできることはやっておこうという気持がつよい。

これは神経痛か何かで体が痛いという私よりも年長の人の話を最近聞いたからでもある。いつかは体の痛みに耐えかねて自死をするような事態も想像できなくはないが、いまのところはそういうところはない。

外国語を習得するのは難しい

2021-10-16 11:33:27 | 本と雑誌
外国語を習得するのは難しいなどと書くとそんなことはわかりきったことで、何をいまさらと言われそうだ。

木曜の夜にオンラインでのドイツ語のクラスに参加しているのだが、テープか何かのドイツ語の会話の音声を聞いては、それを再現するということを求められるのだが、なかなか聞き取れない。

聞いたすぐそのあとにその会話を再現することを求められるだが、なかなか再現できない。それどころか、始まりの文句さえもまったく聞き取れて(覚えて)いないことが多くなった。

こういうことを書くと前は聞き取れていたみたいだが、その辺はよく覚えていない。むしろ今に始まったことではないのかもしれない。

ところがである。私以外はみんな女性なのだが、よく聞き取られていて感心する。一語一語は知らない言葉ではないのだが。

最近はこのクラスの途中で知らず知らずに独り言の日本語が出る。知っているはずのドイツ語もすぐにはでて来ない。こういう苦労をしてみると、一つの外国語を自由に話すなどということは特別な訓練を受けないと話せないのではないかと思ったりする。

いけない、いけない。こういう弱気ではいけないのだが。

10月の子規の俳句

2021-10-15 13:13:10 | 本と雑誌
10月も中旬になった。暑い暑いといいながら、少しづつ涼しくなってきている。

 汽車の窓折々映る紅葉かな   (子規)

 the window of the train
    reflecting the autumn maples
    from time to time                            (Shiki 1893)

はじめてドイツへ行ったときに、2か月ドイツ語の研修をフライブルクのゲーテ・インスティテュートで受けたときに宿舎が一緒だったシャバナ(エジプト人)とロラ―(イタリア人)(二人とも化学者)と英語で話をしていたときに彼らが使った英語の文句がfrom time to timeという成句であった。それでsometimesとかとは言わないのだと知った。

少なくとも私は学校でfrom time to timeという成句は学ばなかったから、その時までこの成句は知らなかった。