物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

モーツアルト生誕250年

2006-01-29 12:45:31 | 音楽

私が音楽について知っているはずがないので、モーツアルト生誕250年といってもそれについて語ることはできない。

しかし、昨日、松山モーツアルト会の会長さんN先生宅でモーツアルト生誕250年を祝うミニコンサートがあり、参加をした。N先生自らピアノを弾かれたり、H.F.さんの独奏とかN先生との協奏もあった。N先生の息子さんのバイオリンもあり、H先生以外はアマチュアだが、レベルは高かったのではないかと思う。

いつも思うことだが、N先生の音楽に関する知識の深さ、傾倒には感嘆させられる。私など物理のプロというにはどうも後ろめたいものを感じる。セミプロにも至っていないのではないかと思う。

どんなモーツアルトの曲を聴いているかとそのときN先生に聞かれて答えられなかったのでしらべてみたら、聞いているCDは

K.338, K.385, K.425, K.216, K.219, K.428, K.458, Requiem, Die Zauberfloete

等である。ほとんど自分で買ったCDではなく、息子が置いていったCDである。

Requiemは I 先生から勧められて買ったが、やはり前半は活気があり、変化があっていいが、後半は平板になっているという妻の指摘はあっているように思う。

このRequiemは亡くなった物理学者の朝永さんが好きで聞いていた曲だということで後半はモーツアルトの弟子による作曲だと言われており、朝永さんは前半を特に気に入っていたということをどこかで読んだ。I さんは前半も後半もそれぞれによいとのご意見であった。


2006-01-24 12:15:22 | 学問

未来の夢といった夢ではなくて本当の夢である。どういった夢を見ているのか眼が覚めれば覚えていないので、夢の内容について議論はできないのだが、どうもそのときそのときに関心のあることに関係した夢を見ているような気がする。

学者(このごろは研究者という方がよい)が一生懸命に何かに没頭しているとその息抜きと思ってほっと気を抜いたときにひょっといいアイディアが浮かぶといったことがあり、または夢でいいアイディアが浮かんだということもあるようだ。

私には「夢でいいアイディアが浮かんだ」ということはないが、しきりに何かを考えているという風な夢かうつつか幻かわからないような感覚をもつことはある。もちろんこれは寝ているときなので、意識がしっかりしている訳でない。

私は自分が数学だとか物理だとかがわからないので、世界の認識を大きく変えるような、たいそれた考えではないが、それについて考えているようだ。物分りが遅いので、普通の物理をやっている人や数学をやっている人がすぐに分かるようなことにこだわってしまう。

そういう性格なのだから、死ぬまでどうしようもない。でもそういった性格を活かして人のやらないようなことをしたいと思っている。


球面三角法1

2006-01-20 17:58:45 | 数学

三角関数は普通に学校で学ぶが、球面三角法はあまり教えられない。天文学や地理学を専攻する人はこれは必修のようだが、どのように教えられているのだろう。

ホグベンの「百万人の数学」にもそれについて1章があるようだが、三角法の本にも大抵後ろの方にこれが出ている。でも少し古臭いようでもっと近代的な球面三角法のテクストはないものか。

これが現在私の関心の一つである。


小川修三先生の文集

2006-01-17 15:09:29 | 物理学

名古屋の近辺に在住の方々を中心にして小川修三先生の文集の編集委員会ができていて活発に活動をしているらしい。

それでその中の委員の一人西谷さんとメールをやりとりしているのだが、彼はなかなかのマニアで坂田さんが若いときに武谷さんに書いた手紙のコピーを自分のパソコンに入れておいたものを送ってくれた。30ページを越えるものである。

坂田さんと武谷さんは親友で肝胆相照らす仲であったとは聞いていたが、手紙からもそれは読み取れる。

なかなか興味深い手紙を読んだのだが、しばらくはそのままそってしておこう。というのはいまはこれをどうするかについての何のアイディアもないからである。残念であるが仕方がない。


松本眞さんの思想と数学ギルド

2006-01-12 12:35:54 | 数学

子どものブログを見たら、松本眞さんが統計と乱数の研究会で話をするとあった。それで松本さんのホームページを見たのだが、なかなかしっかりした人のようである。

少なくともいまの世の中の風潮としての社会に役立つ学問とかいうような主張に危惧を感じているのは全く正しいと思う。

松本さんは世に知られたMersenne Twistorといわれる周期のきわめて長い擬似乱数を作った人だが、計算機科学科出身の数学者である。

世の中の役に立つと思われるそのような優れた擬似乱数発生法を考案した人から社会のニーズに即した研究という社会の風潮を危惧する発言を聞くとき、社会に押しつぶされるだけではない、種がまだ残っていることにほんの少しばかり安堵感を覚える。

もう一つ松本さんが危惧している、「数学のギルド化」も本当は心配である。私の友人で同僚でもあったHさんは皮肉を込めて「数学産業」といわれる。私も数学にアクセスしやすいようにと工学部で物理数学のテキストを書いたが、一部の数学の先生には不評であったように感じた。

Hさんのいう「数学産業」とはある意味で「数学ギルド」のことであって、私のような数学の落ちこぼれが何か数学めいたことを書くとその神聖な領域を侵されたとでも感じるのであろうか。

これは私の僻みかもしれないので、本当のところはそんなことはないのかもしれないが、どうもそんな被害妄想から抜けきれない。


論文の修正

2006-01-09 00:18:23 | 物理学

共同研究者が悩んでいる。論文を投稿したのだが、二人のrefereeの内で一人はrejectとの意見でそれにeditorも組しているという。それで英語を再度見てくださいとの要請があった。

読んでみると細かいところはわからないが、その論文の意義は否定のしようがないと思える。でも英文は誤解を生むようだ。代名詞が何を指すのかがはっきりしない。実は投稿前に論文を読むことを要請されていたのだが、読んでいなかった。

これは私が悪いのだが、それには私なりの理由があった。その理由はここで言えるようなものではない。

でも、再度の要請に応えて読んでみると確かに論文の意義はゆらぎはないが、文章の明確でないところが随所にある。これではrefereeとeditorは一応rejectにするしかなかったのかなとも思う。

論文は明晰でなければならないが、読者に多大の労力を払わせる論文を書く輩にはまず拒絶をということであろうか。共同研究者さん、投稿前に論文をよく見なくてすみません。


正月を終えて

2006-01-06 12:21:28 | 日記・エッセイ・コラム

今年はいつになく静かな正月であった。

同居していた義父が11月に亡くなってそのせいでおとなしくしていたこともあるが、それだけではなく妻が時間が余裕が出来たので東予国民休暇村に4日に出かけて5日に西條市のアサヒビールの工場を見学してその後でお昼をそこのレストランでジンギスカンを食べ、15時過ぎに松山に帰ってきた。

その後は昼寝をして、夜はCTVでアメリカのドラマを見た。論文の英語をちょっと見て2時過ぎに就寝したが、夜中には部屋が寒く何回もトイレに起きた。

仕事場に来たのは今年になってはじめてである。さあ今日からまた仕事に戻ろう。