物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

フランス語で話した夢

2015-01-31 11:08:37 | 日記
これは今朝がたのことである。フランス語を母語とする人と会話をした夢を見た。フランス人と思しき人が公衆トイレから出てきたのに出会ったのだが、彼はそのときフランス語で何か叫んだからである。

それでVous parlez francais ?と私が聞いたことから短い会話を交わしたが、あまりこちらはフランス語が話せずたまたま相手は日本語が話せたので、フランス語での会話ははじめの一瞬で後は日本語の会話となった。

なんでも演劇論か何かを専攻している研究者らしかった。これはもちろん夢の話であるから何が出てみても不思議ではないが、生まれてはじめての夢の中でのフランス語会話だった。ちなみに私は特に演劇に関心があるわけではない。

夢はまだ続くが、後はフランス語とは関係がない。どこかに行きたいと思っているのだが、そこになかなか行き着けないといういつもの夢であった。

三角形の数を数える

2015-01-30 10:51:46 | 日記
もう30年以上前に書いた私のエッセイに「三角形の数を数える」ことを話題としたものがある。これは愛媛県数学協議会の機関誌『研究と実践』に発表したものである。その後、自著『数学散歩』(国土社)に収録をした(『数学散歩』google booksのプレヴューで閲覧できる。「家中でクイズを・・・」の項を参照)。

ところが、この中に三角形の数を公式風にまとめたものが載っている。載っていると、えらく他人ぶった書き方をしたのはその公式は私の導いたものではなく、故矢野 寛(ゆたか)先生が導いてくれたものである。私にはこの公式がどのようにして導かれるのかわからなかった。

ところが探してみるとインターネットのサイトにこれを取り扱ったものがあり、ほぼ2年前にそれを見つけてようやくその公式の導き方がわかった。それを2013年4月25日付でまとめていたのだが、ようやくパソコンに入力を始めた。

もっともまとめたはずの文書の所在がわからず、改めてインターネットの文書にもとづいて書き始めていたのだが、自分の過去に書いた文書のファイルをよく探したら、まとめてあった文書が見つかった。

もっとも2年近くまとめた文書を放ってあったので、今回の方が表現方法が洗練されたわかりやすいものになってくる。

その原稿はできあがったが、見直しが必要である。しかし、時間が約30年もかかったのでその利点を生かすべくあちこちに説明の工夫を凝らした。もっとも大方の人には「式が多くてわからん」という反応になるのであろう。

(2016.9.16付記)このエッセイはすでに「数学・物理通信」5巻11号に発表した。同じテーマですでにインターネットを検索すれば、本間さん(?)のインターネットの記事があるが、それよりは詳しく書いたつもりである。

その原文にあたるには「数学・物理通信」を検索して、5巻11号をインターネットで探せばよい。使ってある数学は高校生の学ぶ数学くらいの難しさである。内容はやさしいと言ってよいだろう。

Excelと物理学

2015-01-29 11:26:45 | 日記
私の子ども一人は学校の授業でexcelを使っているらしい。多くの統計の数値を処理するにはExcelは格好の手段であろう。

先日、私の所属するテニス愛好会で会計担当のKさんがExcelで会費の納入状況を整理しており、その結果のプリントを新年会のときに回覧していた。それで自分で数値を入力したかどうかを尋ねたら、その通りだということだった。

それに触発されて、Excelでどんなことができるかを調べたくなった。2000年前後に買ったexcelのマニュアル本をとり出してきた。

関数とかグラフとか図形を書くこともできることがわかった。もともとExcelは表計算ソフトとして注目を集めたソフトである、それ以外にもいろいろ使い方があるらいい。

それに「excelで学ぶ電磁気学」だの「量子力学』だのと言う本も出版されているらしい。それらがどういう風な本なんかはわからないが、一読に値するであろうか。そんなことを考えている昨日、今日である。

こういうことに関心があるのはもちろん理由がある。Latexで数学エッセイを書いているのだが、グラフと図形を同時にうまく扱える方法で汎用のものを気にしているからである。

どうもコンピュータの万年の初心者であるものだから、最近のtiKzだとかasympoteだとかいう便利なソフトがあるのは知っているがそれをインストールして使えるようになかなかならないないのである。


独立心と学び

2015-01-28 11:51:35 | 日記
正月明けの1月6日、7日にある松山市内の小学校で「わくわく寺子屋」という名の一種の無料学習塾でボランティアの元小学校の先生方と二日間小学生が宿題をするための指導補助に行った。

そのときにある子どもの前で見ていてそのときは漢字の書き取りをしていたのだが、一人でやりたいから、口を挟まないでくれとその子に言われた。なかなか独立心の強い子どもである。口を挟みすぎたかなと思ったのでその場を離れた。

つぎの日には算数の宿題をやっていた。このときは2つの数の最大公約数を求めていた。教えたがりの教師のさががぬけないのでこのときもちょっと口をはさんだら、昨日と同じように自分で考えたいと言われた。

それで口をはさむことをやめて見ていたが、どうもこの子は二つある数のどちらか一つの数の約数をすべて見つけておいて、その後でその約数でもう一つの数を割り切る数のうちで一番大きい数を探すという方法をとっているのだった。

それはそれで最大公約数の求め方の一つに違いがないから、私はもう口を挟まなかった。このときに2数を素因数分解してその共通部分をとる方法だとかユークリッドの互除法とかが頭をかすめたけれども。

それで反省会のときにちょっとだけ内容には触れないで、教育の問題として「独立心を尊重するとそのときにはその子は別の考え方があることを知る機会を逃すことになるかも知れないですね」とだけ発言しておいた。

私なども人から教わることがあまり好きではないが、それでも謙虚に学んだ方がいいことがあることも知っている。そうはいってもなかなか自分で分かりたいという気持ちは強いから、独自風の理解で通すこともある。そのために損をしていたり、時間がかかったりすることもあると思う。

しかし、私には本を読んでその内容を理解することができないことが多いから、自分で考えているという気がする。本を読んで苦もなく理解できるような優れた頭脳の持ち主であったなら、自分で考えることなどしないかもしれない。

行列(マトリックス)を知らないと

2015-01-27 12:25:41 | 日記
先日の日曜日に法事で I 市の兄の家に帰った。そのときに兄に送った『四元数の発見』の感想を聞いたら、わかり難いという。

「そんなはずないのだがな」とそのときに答えたのだが、よく考えてみると私とか2歳上の兄は高校数学で行列(マトリックス)を学ばなかった世代であった。だからその知識があるなしが『四元数の発見』の理解に大きな障害になっている可能性がある。

5歳年下の妻に聞いてみても行列を知らないようだから、高校数学で行列を学んだ世代は私たちの子どもの時代まで下がるのであろう。

それが、今年4月から高校に入る新入生ぐらいから、高校数学でまた行列を学ばなくなるというのはどうも時代逆行ではないか。

もっとも高校数学では行列の行数と列数は2行2列に限るという制約があったと聞くが、それだって行列を学んでいるのといないのでは大変にちがうのではないかという気がする。

私は理学部で学んだから、いまほど「線形代数」全盛の時代ではまだなかったが、それでも行列を学んだ。それに物理の量子力学では行列力学といわれる分野があり、これは量子力学では必須であるから行列を知らないでは済まされない。

古典力学でも私たちのテキストとして使われた、寺沢寛一の『力学概論』(裳華房)は行列をフルに使った記述であり、その当時としてはモダンなテキストであった。

(2015.1.29付記) マトリックスを使った最近の力学の本では山本義隆氏の著書「力学と微分方程式」(数学書房)がある。これはもう詳細は忘れたが、位相空間での大局的な微分方程式の解を積極的に示してあるところがいいと思っている。

また力学の理論を展開するのにマトリックスを積極的に用いているところがいい。

弥永昌吉さん

2015-01-26 12:29:18 | 日記
弥永昌吉さんは東大教授の数学者であり、民主的な考えの方だったことは知られている。100歳くらいまで長命でもあられた。

今日、入手したブックレット武藤 徹著『きらめく知性・精神の自由』(桐書房)にはこの弥永さんについてのエピソードが書かれている。

武藤さんは1944年に東大数学科に入学したが、そのときの教室主任が弥永先生だった。この弥永さんは戸山高校の前身の東京府立第四中学校の卒業生だったが、

(引用はじめ)太平洋戦争が終わったとき、私たちのクラスは動員先で敗戦を告げる天皇の録音放送をきいたのですが、放送が終わるや否や、弥永さんは「めでたし、めでたし、これで世界の人々が、また仲良くなれる」といわれました。(中略)数日後、みなで弥永さんの疎開先を訪れましたが、「負けたのにめでたしとは何だ」という割り切れない気持ちがあったあったように思います。弥永さんは海外の経験も長く、「昭和のはじめから、軍部のやることおかしいおかしいと思っていた」と、淡々と話されました。弥永さんは著名な数学者で学生から尊敬されていましたし、もともと学生は軍部をゾル(ドイツ語で兵隊の意、ゾルダーテンの略)と呼んで軽蔑し、嫌悪していましたから、この説明で納得したようです。(引用終わり)

数学者の弥永先生は表立っては軍部に反対する行動をなさりはしなかったが、内心はきちんと時勢を見る目をもっておられた稀有な学者であった。この点は大江健三郎氏の先生であった仏文学者の渡辺一夫さんなどもそうであった。

大学時代の私の先生である小川修三さんからも小川さんが名古屋大学在学中に彼の先生の物理学者、坂田昌一さんから太平洋戦争中にも軍部批判ととれる発言「早く日本は戦争に敗ければいいんですよ」を聞いてびっくりしたという話を聞いている。小川さんはちょうど武藤先生と同じく1944年に名古屋大学に入学し、1947年の卒業であるので、全く同年代である。

こういう風に時代をきちんと見つめる方々が軍国主義一色の厳しい時代にもおられたということを私たちは知ることができるが、どの方もそのお考えはごく身近な人々にしか洩らされていないから、なかなか一般に知られることはなかった。

こういう話があからさまに聞けるようになったのも戦後70年の年月が経ったからであろうか。

出版記念シンポジウム

2015-01-26 11:19:23 | 日記
2月7日に武藤 徹先生の著書『きらめく知性・精神の自由』(桐書房)というブックレットの出版を記念したシンポジウムが行われる。

実はこのシンポジウムのご案内が私のところにも来た。私はまったく戸山高校の卒業生ではないが、かつての戸山高校の伝説の名物の数学教師であった、武藤 徹先生とインターネット等を通じてつきあいがあるからだろう。

それではじめはこのシンポジウムに参加するつもりはなかったのだが、そのいきさつを妻に話したら、旅費を出して上げるから参加してはと勧めてくれた。

それで先日E大学の生協に行って航空券と一泊の宿を予約してきた。シンポジウムではゲストスピーカーとして市川須美子さん(獨協大学教授、教育法学会会長)と浜矩子さん(同志社大学教授、経済学者)の講演がある。

それ以外にも討論もあるらしい。

私自身はこの機会が武藤先生と面識ができるいい機会かと考えている。それが私がわざわざ東京まで出て行く理由である。武藤先生とはどんな人なのか。会うのが楽しみである。

四元数 補遺

2015-01-24 07:25:48 | 日記
「四元数 補遺1」と題する数学エッセイをほぼ書き上げたが、プリンターの故障を直していないものだから、プリントすることができない。

最後の点検は紙の上にプリントして確かめないと思わぬポカをするのでどうしてもプリントをすることが必要なのだが。

補遺1とあるように補遺2、・・・といった続きを考えている。もっともそんなに続くとも思われないので3回も話題が残っているかどうか。

補遺1は四元数のSU(2)表示としての2行2列の行列を決める過程等を詳細に述べた。これは大学の理工系学部を出た人には不必要な事柄であろうが、私は高校生が読めるレベルを基準にして本を書いたので、補足がいると考えている。

もっとも多分それを発表する『数学・物理通信』は3月に発行予定の第5巻2号よりも後になるかもしれない。というのはすでに第5巻1号の原稿は用意をしているのだが、たぶん投稿して下さる常連の方々の原稿で第5巻2号も埋まってしまうのではないかと思っている。掲載の余地があれば、第5巻2号に発表したい。

「四元数 補遺2」としてはPauli行列を求める過程を書いてみたい。文献はすでに『四元数の発見』に挙げておいたが、やはり自分でその過程をたどってみたくなった。

朝永先生の量子力学シリーズ3の『角運動量とスピン』(みすず書房)の該当箇所を一度は読んだが、わからないところが1カ所ある。それ以外は問題がなさそうである。前から読んでおこうと思いながら果たせていなかった。

もう一つの文献であるMerzbacherの"Quantum Mechanics"(Wiley)の方はまだ読んでいない。こちらはとても要領のよい記述なので、疑問になるところはたぶんないであろう。






イスラム国と日本人

2015-01-23 11:27:30 | 日記
二人の日本人がイスラム国に拉致されて身代金を払わないと処刑されるという事態にいたっており、ここに2,3日はこの話題でテレビはもちきりである。

ことの是非をここでは論じる立場にないので、ご勘弁頂こう。それだけ微妙な問題であるということである。

別に日本国がイスラム国にあからさまに敵対しているということはないと思うのだが、それでも日本の総理大臣がイスラエルでイスラエルとの緊密な関係を示してしまったあとではなかなか何を言ってもなかなか通用するまい。

一般にいままで日本国はイラクとかイランとも友好関係にある敵対関係にはなかったということである。だが、イスラエルと経済的にしろ緊密な関係を首相が表明すれば、イスラエルと日本の経済界は歓迎かもしれないが、中東の人々には微妙に感じるのであろう。

イスラエルのパレスティナのガザ地区の攻撃は過酷を極めたというし、またそれによって学校が破壊されたり、小さな子どもが500人くらい亡くなったという。

そのことを黙っておりながら、他の点でイスラム国からの難民を救済するというのはやはり通じないのではないか。

別に私は日本の外交をうんぬんすることをできないが、それでも上の事実は中東の人にとって日本はパレスチナの人々は軽視しているととられても仕方があるまい。このことを危惧する。


イスラム教と風刺画

2015-01-22 11:21:07 | 日記
フランスの週刊紙を発行している新聞社が過激派に襲われて10人以上の人が殺されたことはまだ私たちの記憶になまなましく残っているが、これについてもいろいろな受け取り方があると新聞報道で知った。

風刺画はイスラム教の側からいうと侮辱されたように感じるというが、一方の風刺の立場ではすべての政治勢力も宗教もすべて風刺の対象となりうるという、欧米の文化がある。この文化は時の政治権力を批判してきて歴史的に勝ち取った貴重なものである。

そこらへんが衝突を起こす原因でもある。穏健な一般のイスラム教徒には腹立たしい風刺画でもそれに寛容に対処してすぐにテロに走るということはないらしいが、それでも一部の人が過敏に反応することは避けがたいという現実がある。

かなり微妙な点がこの点についてはあり、日本では風刺という伝統があまりないので、それほど問題にならないが、そういう伝統がないことがいいことだといえないだろう。

すぐに関心が移るので

2015-01-21 11:55:44 | 日記
先日、一次分数変換と2次のユニタリー行列とが同じ群となることに関心をもって調べていると書いたのに、そのことがまだ調べ終わらないうちに別のことに関心が出てきた。

どうも移り気なことでいけないことだが、しかたがない。いまの関心事はべクトル空間と四元数の関係である。四元数がベクトル空間の一つであることは確かなことであるが、このことを私はなかなか理解できなかった。

ポントリャ―ギンの『数概念の拡張』(森北出版)にそのことが書いてあり、訳者の注までついているのだが、四元数の演算とベクトル空間でのスカラー積の演算とをごっちゃにしてしまい、書いてあることが理解できなかった。

『四元数の発見』(海鳴社)を出すときにぎりぎりでこのことの基本的なことは理解したと思うのだが、もうちょっと突っ込んだ理解をしたいと現在思っている。もう一度ポントリャ―ギンの書を読みなおすべきだろうか。

時差おくれ

2015-01-20 11:53:13 | 日記
先週の土曜日にUdo J"urgensが昨年末に亡くなったことを書いたが、それにもかかわらずすぐにはその記事が私のブログでの参照のトップにならなかったので、ちょっとやはり日本とドイツ語圏とは違うのかなと思った 。

ところが今日来てみると私のブログへのアクセスの3位になっていた。ちょっと時差があるなというのが私の偽らざる気持ちである。

私もJ"urgensが亡くなったことをR氏からのメールで知ったのだから、第一、私自身がすでにいくばくかの時差をもっているわけである。 しかし、歌の好きな方ならもっと私よりもいわゆる感覚の時差が少ないのではないかと思っていた。

「ドイツ語圏とのその文化」1-4号にUdo J"urgensのことをとりあげようかと思いついた。これは共同編集者のR氏の意向にも即しているであろう。

わからないと苦痛だが

2015-01-19 12:30:12 | 日記
「わからないこと」というのはここでは自分の理解できないことを指す。特に学生時代に学んでいたときにわからないことだらけであった。いまでもわからないことは多い。

そういうわからないことというのは苦痛のタネでもある。しかし、元学習院大学で教えておられた江沢洋先生などはその著書の中でわからないことを大切にしようと書かれている。大いに勇気づけられる言葉である。

数学や物理の概念でも確かにわかりやすくないことがたくさんある。それらは苦痛になるといえば、確かにそうであるが、そのわからないというか疑問が簡単に解決しない方が考えは豊かになれるかもしれない。

もっともなんでもよく理解できる人もおられてそれはそれで大変結構である。世の中にはいろいろのタイプの人がいてそれで世の中は成り立っている。

物理学者の故武谷三男氏もどこかに書かれていた。太平洋戦争後、東京大学を中心にして若い優秀な物理の研究者が多く出てきた。

そして難しい物理の内容をいとも簡単に会得したのをみて、武谷氏はもう自分など物理をやらなくてもいいとさえ思ったという。しかし、それらの秀才の物理学者たちのみんながみんなオリジナリティ豊かな学者になったわけではないという。

もちろん、後でノーベル賞をもらった南部さんのような独創性も豊かな優れた学者の例もあるのだが、全部が全部そうだったわけではないという。

人はそれぞれだと思う。別にSMAPの歌ではないけれども。


Udo J"urgens

2015-01-17 12:19:25 | 日記
ドイツの歌手Udo J"urgensが昨年末に亡くなったとR氏からメールをもらってそれに関連した宿題が出された。その宿題はどうもあまり答えをすることが難しかったが、15日のクラスでそれの説明を受けた。

それについて少しだけ書きたい。Udo J"urgensは1934年の生まれだというから私よりも5歳年上であり、亡くなったときは80歳だった。私は私よりも一つか二つ上かと思っていたので、意外だった。

彼はスイスとオーストリアの二つの国籍をもっていた。国籍としてオーストリア人だということだが、ある程度年をとってからチューリッヒ郊外に住んでいたらしい。そしてスイスの国籍もとった。

これはいまチラッとWikipediaの彼についての記述を読んで書いていることだから、よく読めば間違っているかもしれない。

R氏が私たちに聞くことを勧めてくれた曲は「ギリシャのワイン」 (Griechscher Wein) という曲でとてもヒットした曲らしいが、私にははじめて聞く曲だった。

私が聞いたことがあるのは別の曲だと思うが、それが何かはいまのところまだわからない。多分、NHKの教育テレビのドイツ語の放送で流されたものだけしか知らないと思う。それが何という曲だったのか。

「ドイツ語圏とその文化」1-4

2015-01-16 14:10:26 | 日記
昨年のいまごろメール配布のサーキュラー「ドイツ語圏とその文化」1巻2号の発刊を考えていたとブログのサイトからの知らせで分かった。

いままでに1-3号まで出しているが、そろそろ1-4号のことを考える時期である。アイディアとしては数式の読み方等を取り扱いたいと思っている。

昨年の12月にドイツ語のクラスのはじめに数式の読み方等について、R氏に尋ねてそのことをドイツ語のクラスの要約にまとめた。もちろん、この要約にはクラスで質問して得た知識以上の敷衍をしているのだが。

それを再録することを考えている。しかし、どこかのドイツ語圏の都市をとりあげることやドイツ語圏の科学者をとり上げることについてはまだアイディアがない。

都市よりも科学者について書くことがなかなかできない。最近ではなんでもインターネットで検索するとたちどころに情報は得られるが、ただ情報を羅列することではすまない。ある科学者について書くには何らかの視点が必要なのである。そこが実は難しい。

(2015.1.17付記) ドイツの都市としてはバイエルンのローテンブルクをとりあげることにした。これは愛媛県内子町とここが姉妹都市であるという関係もあるからである。

私もこのローテンブルクを2回ほど1976年に訪れたことがある。2回目には町を取り囲んでいる、城壁の上を数時間にわたって散策することもした。またここで買ったこの街の古い版画のレプリカはいまでも私の家の玄関にかかっていて、来客者の眼を楽しませている。