物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

テロを恐れるな

2016-07-30 17:18:05 | 日記
というのが、少し前までイギリスのテロ対策を担ってきた人のテロに関する考えだと最近聞いた。

テロは思わぬところで起こるので、テロを怖がる思考が広がるかもしれない。しかし、心理的にテロを恐がるとテロを引き起こしている人たちの思うつぼに入る。だから、テロを怖がってはいけない。

だが、これとは相反するようだが、テロに十分気をつけなければならない。そのことにむしろ今まで以上に注意を向けるべきだという。そしてテロの芽を摘むことや未然にそのテロを起こす試みを察知することはもちろん大切である。

どうしたら、テロに会わないですむかの方法があるかといえば、ないかもしれないが、それでも自分でも注意をしてそのテロにできるだけ合わないようにする。そのこころがけはもっていないよりはもっていた方がよいだろう。

たとえばであるが、地下鉄で電車を待っているときにあまりプラットホームの先の方には立たないようにするとかはテロとは関係ないかも知れないが、自分の身の安全性を確保する一つの方法であろう。

だから自分の身を守る、安全サイドの考えを常にしておかなくてはならない。だが、細心の注意を払ってもなお、テロに遭遇することはあるかもしれない。だが、やはり漫然と身を処すのではなく、もし万一ここでテロが起きても無防備ではないという注意をしておけば、生き残る可能性は増す。

だからといってテロを恐怖するのではなく、心理的にはそれを怖がらないという気持ちが必要だと。

これはあるイギリス人でテロ対策の最高責任者だった人が最近リタイアして日本にやってきた人から、ドイツ人の R 氏が聞いた話である。

この話を聞いて、なるほどなと思った。テロをやみくもにおそれて神経質になれば、テロを実行しようとする勢力に心理的に支配されてしまう。それがテロをひき起こしている勢力の狙いなのだ。それとともにテロの原因を除くような社会的、外交的な努力もいうまでもなくもちろん必要である。

現在のプログラム言語

2016-07-30 11:11:43 | 日記
現在のプログラム言語はどんなものか知らなかった。今日の朝日新聞のbe面にプログラム言語の人気トップテンが出ていた。

(1) Javascript
(2) Java
(3) Ruby
(4) PHP
(5) Phyton
(6) CSS
(7) C++
(8) C#
(9) C
(10) HTML

だという。順位(7)-(10)はもちろん名前を知って知っているし、中には勉強した言語もある。だが、上位の方は(2)のJavaを除いて名前も知らない言語である。

私などの老兵の出る幕ではないが、それでもJavaを学んで見ようかという気に少しなりかけている。これはちょうどこの言語がではじめたころに私の子どもたちが本を読んでいたのを覚えているが、自分で学んでみようと思ったことはなかった。

私たちが親しんできたFortranだとかBasicとかListやPrologなどという言語はいまでも通用しているのかしら。事務用に開発されたCOBOLがJavaに書き直されていると新聞記事にあった。

小学校でもプログラム教育が大切だと言われている時代だが、そこではどんな言語を教えようとしているのだろうかと思ってきた。

神学の教授の給料は

2016-07-29 10:54:05 | 日記

数学の教授の10倍だったと科学史の本で読んだ。これはケプラーのことを書いた項目に書いてあった。

ケプラーは神学の教授になるつもりだったのに、推薦されたのはどこかの数学の教授であったという。その給料が神学の教授の10分の1であったという。ケプラーのがっかりする様子が窺える。

ケプラーは占星術で生活費を稼ぎながら、ティコ・ブラーヘの遺した惑星の何十年にもわたる軌道観測のデータを解析したらしい。

まず、地球の軌道を決めた後で、火星の軌道を決めたという。それは火星を観測しているのは地球からであるから。そんなことができたのはやはりケプラーの天才によるものであろうが、そのためのティコ・ブラーへの観測した豊富なデータが必要であった。


障害者は生きる価値がないか

2016-07-28 11:46:35 | 日記
最近、障害者を収容する施設に押し入り、障害者を19人も殺害した事件が起こった。痛ましい事件である。

事件を起こした犯人は自分で警察に自首してきたというから、犯罪だということは自覚していると思う。それでも障害者個人が自分は生きている価値がないと思うのならばともかく、他人が生きる価値がないなどと勝手に決めつけるのはやはり決して、してはいけないことだろう。

深く理解をすれば、障害者だって生きる価値を自分で見つけているだろうが、それを他人が外から知ることなどできないものだ。もっとも犯人はこの施設に数年勤めていたというから、驚く。勤めていた間に何を見たり、体験したりしていたのだろう。

もしか、そういう施設に働いていながら、むしろそこで生活している障害者のことをまったく理解できないやつは殺すともし言われたら、ではそうしてくださいとでもいうのだろうか。

人間はなんでも相対的なものであり、絶対的な基準など存在しない。だから、勝手に誰かが相対的な基準を絶対的なものだと考えたら、自分だって殺害の対象になりうる。そういうことは誰だってされたくはないから、他人にも同じような相対的な基準を絶対的な基準にすることはしてはいけない。

人を殺すという権利は誰にもないことを知るべきであろう。


最近ならば

2016-07-27 11:21:32 | 日記
自分の研究結果をできるだけ早く発表するのは科学者にとっては常識であろう。だが、昔はそうではなかった。

ニュ―トンは若いときに自分のした研究結果をかなり晩年にならないと発表しなかったし、ガウスも数学日記を書いていたが、その中には新しい結果もあったのに死後になってそれが他人によって発表されたとかいう。

ガリレイにしても本当は彼のした研究で後世からみて一番価値のある物体の自然落下の研究はローマ法王庁から自宅蟄居を命じられていた晩年になってようやく書いたことを最近知った。いわゆる「科学対話」と言われている著作を書いたのは「天文対話」よりも後だったという。

それでもニュートンは微積分学と力学の創成者として有名だし、別に問題はあまり起こらなかった。いや実はいくつかの先取権の問題はあったのだが、なんとかクリアしたという。

20数歳のときの仕事でニュートンは結果として後世に名を遺したが、それからの余生(?)は権力と富を求めたのではないかとか最近通俗書の科学史の本で読んだ。

マクスウエル方程式から

2016-07-26 13:53:23 | 日記
出発する「電磁気学」の講義を行うべきだという論説が『大学の物理教育』の最新号に載っていた。

小宮山さんという方がご自分の経験を論説として投稿されていたのだが、その経験にもとずいてテクストも最近出版されたらしい。

マクスウエル方程式からはじめる電磁気学の講義はファインマンとかの例もあるが、それでもやはりまだ多数派ではなかろうと思う。これは多分にそうすることには数学的な困難に出会うと思うのは大抵の物理学の教師が思うことであろう。

これはベクトル解析を教えることの難しさであろうと思われる。それで、確かにマクスウエル方程式から始めるテクストはすでにあるのだが、これは電磁気学を一度学んだことのある人のためのテクストであるというのが、一般の学生とか教師の認識であろう。だが、そうではなくて電磁気学を始めて学ぶときにもマクスウエル方程式から始めようという、ご主張である。

だから、いくつかのその障害を乗り越えるための工夫がテキストにもされているのであろう。

そのテキストをいつか購入して読んでみたいと考えている。


















さすがに新しい本は

2016-07-25 18:12:18 | 日記
図書館には入っていない。いまちょっと読みたい記事があって、『科学技術をめぐる抗争』(岩波書店)を探しているのだが。

これは「戦後日本の思想水脈」全8巻の第2巻である。全体を読みたいわけではないので、もしか図書館に入っていたら、読めるかもしれないと密かな期待をいだいたのだが、自分で購入しなくてはならないかも知れない。

愛媛県内の公共図書館のいずれでもまだ購入をしてはいないようである。さてはてどこかの公共図書館が購入するとも思えないのだが。

詩人:三好達治

2016-07-25 17:46:38 | 日記
もう1か月ほど前になるが、第559回松山市民コンサートで、八幡浜出身の宮本益光(バリトン)さんが歌われた。このコンサートのときに歌の合間に宮本さんがトークで詩人の三好達治さんのことを話していた。

それによると、太平洋戦争中に心ならずも戦争賛歌を作詞しなければならなかったが、戦争が終わってようやく自由になったというので「鴎」という歌をつくったという話をされた。詩人の高村光太郎が戦争賛美の詩を書いたりして、武谷三男が幻滅を感じたということをどこかで書いていたが、戦争賛美の詩を書かなくてはいけなくなって、三好達治も嫌気をきたしていたのかもしれない。

私が知っている三好達治の詩は一つしかないが、これは中学校か小学校のときに「アリが蝶を引いていく。ああヨットのようだ」とかいう短いものを先生が黒板に書いて教えてくれたことだけを覚えている。

宮本さんに話を返すと彼は楽しいトークができる才能をおもちであり、かつ作詞とかもされるなかなかの才人であった。

頼りになる友人

2016-07-25 13:10:59 | 日記
先日友人に質問をしていたのだが、その返事が返ってきた。

これはデルタ関数と関係しているが、複素積分をしなくてはいけないかったのを私は複素積分の経路のとり方があまりわからないので、困って友人に尋ねたのである。彼は親切であるので詳しい計算結果を添付書類で寄せてくれた。まだきちんと読んだわけではないが、ざっと読んで多分疑問は解決すると思う。

まだ少し自分でも考えなければならないかもしれないが、多分大丈夫であろう。

彼、K さんは私が『四元数の発見』(海鳴社)を書いたときにも読んでもらって原稿にあったいくつかのまちがいを正すことができた。それで本来なら謝辞に彼の名前を書くべきであったが、本人が名前を出すことを承諾してくれなかったので、K さんとしか、彼の姓のイニシャルだけしか出すことができなかった。

これは自分は大したことをしていないという彼の謙虚な気持ちからであるが、頼りになる人である。私はあまりにも頼りないところがあるし、計算があまり上手ではない。それで頼りなる友人が重要である。

インターネットエクスプロラー(IE)からの投稿

2016-07-23 17:31:55 | 日記
この半年か7~8か月だと思うが、IEからのブログへの投稿ができなかった。これはどうしてだかわからない。

どうやってブログに記事を書いていたかというと、メールに来た一年前の記事をクリックしてそのページを呼び出し、その画面の「記事を書く」をクリックして投稿画面を出してそこから投稿していたのである。

というのは、IEから投稿画面を呼ぼうとしても呼び出し中になってしまい、なかなか投稿画面が出なかったのである。これはウンドウズ10をダウンロードした時のどこか修正個所があったのかもしれないが、修正しなかったので、こんな具合になってしまい、ブラウザーとしてのIEが使い物にならなくなっていたのである。

最近ようやくこの画面呼び出しが長時間かかるということがなくなったので、またIEがまともに使えるようになった。

ブラウザーとしてはウインドウズ10ではIEではなく、edgeになっていると新聞で読んだからかもしれない。ときどきedgeを使うようになっている。

しかし、使い方がわからないところがあって、edgeよりもまだIEの方が使い勝手がいい。しかし、いずれはedgeに移行しなくてはいけないだろう。


書評の難しさ

2016-07-23 12:00:41 | 日記
ときどき本を送呈されるので、その本の書評を書くことがある。しかし、書評は難しい。

書評したつもりが、自分の力や見識を問われることになる。または自分の本の読み方の浅さを痛感させられたりする。武谷三男はあまり書評をしなかった。もっとも彼の書評が皆無ということではないが、あまり多くの書評をされた方ではないと思う。反対に彼の書は多くの人から書評されたと思う。

彼は自分の実践が大事だと思っていたので、あまり書評を頼まれることを好まなかったのかもしれない。もちろん、若いときには書評をいくつかしているけれども。

書評においてはいいところだけではなく、悪いところも指摘しておかなければならない。だが、いいところの指摘は割合簡単だが、悪いところの指摘をどう書くのかはちょっと難しい。悪いところが反面で、実はその書のいいところであったりする場合には特にそうである。

自分がどのように読むのかは、経験としてわかるが、では他の読み方がないのかということになるとある書の読み方は一通りではない。それは人によってどうしても経験や観点がちがってくるからである。

また、無責任に書評をする人もあるかもしれないが、やはりある程度責任をもてるものでなくてはならないだろう。

デルタ関数で

2016-07-22 14:15:38 | 日記
足踏み状態である。これは小川修三さんの量子力学の講義ノートにデルタ関数がでて来るのだが、それがどうもコーシーの積分公式で表されるというところで頓挫しているのである。多分講義では口頭で説明があったのだろうが、講義ノートはそういうことが出てこない。

それで、いつもよくわからないことがあったときに物を尋ねる友人にたずねているのだが、メールをあまり見ないのだろうか。返事がない。

それで、Diracのデルタ関数のことをインターネとで調べているが、もうひとつピンとした記述に出会わない。それで、編集がとん挫したままである。

まあ、物わかりの悪い私のことだから、次第にわかってくるのだとは思うが、なかなか時間がかかるのが困る。まあ、気長に付き合うしかないか。

梅雨明けとともに

2016-07-21 11:20:14 | 日記
連日、猛暑が続く。

梅雨は湿度が高くうっとうしいが、それでも強烈な太陽を防いでくれるという意外な効用もある。しかし、梅雨が明けるとそういう雲で強烈は日の光を防いでくれるものはなくなる。

それに湿度もまだ高い。8月に入ると暑いのは暑いがだんだんと湿度が下がってくる。市の北西部の大学の宿舎に住んでいた頃は8月5日くらいになると(海からの)北風が吹くようになって、涼しくなるのを感じたものであった。だから、8月5日を過ぎると少しづつ湿度が下がって来るという風に思っている。もっとも現在住んでいるところは、海から少し遠くなっているので、海からの涼風を感じることは少なくなった。

だから、8月5日から湿度がすこしづつ下がるという体感もどこかへ飛んで行ってしまった。やれやれ。




量子力学を学ぶための数学

2016-07-20 10:44:22 | 日記
「量子力学を学ぶための数学」というインターネットのサイトがあった。私は直接にはこの記事を書いた山形大学の遠藤龍介さんを存じ上げないのだが、彼の先生の故木村利栄さんから彼のことを聞いたことがある。

木村さんはいまはもうない広島大学理論物理学研究所の教授であり、遠藤さんは彼の学生であった。木村さんによれば、遠藤さんはよくできる優秀な人であるとのことだった。

いま、期限付きかどうか知らないが、木村利栄賞という賞が物理学者対象で出されている。木村さんは私の友人の Y. E. さんの先生であり、そういうこともあって晩年には親しくさせていただいた。

私が学生のときに、一時木村さんが私たちの学年に「物理数学」を教える予定になっていたらしいが、運悪く私たちの学年には T 君という彼の甥が学生として在籍しており、それが理由で彼の代わりに脇田仁先生が私たちの「物理数学3」を担当された。T 君は木村さんのお姉さんの子であった。

いつものごとく遠藤さんのことから思わず話がはずれてしまったが、なかなかこの「量子力学を学ぶための数学」というインターネットの講義録はおもしろいものであり、感心させられた。もっとも遠藤さんは頭の鋭い人らしく、私には書いていることに直観的についていけないところもあった。

実は昨日Diracのデルタ関数のことをインターネットで検索していて、この講義録に出会った。デルタ関数のことはしばし忘れてこの数学の講義録に読みふけった。

物理学者が書いた数学の講義ノートとしてインターネットに出ているもので、一番有名なのは学習院大学の田崎晴明さんが書いた数学講義ノートであろう。

これは多分「量子力学を学ぶための」とかの形容詞はついていなかったと思う。最近はこのサイトを見ていないので、なんともいえないが、多分インターネットに出ている、日本語で書かれた一番いい数学の講義録ではなかろうか。もちろん、物理学専攻の学生のためのという条件付きではある。

富山大学の栗本猛さんが書かれた数学の講義録もよかった。いずれも甲乙つけがたしである。

初等的な大学入学生のための数学の講義録で昔から有名なのは金沢工科大学の講義録であるが、これは一般の学生にはいいと思うが、もうちょっと内容の提示の仕方に努力する余地があると思っている。

もっともこの講義は次第にup-to-dateにはなっていると思うので、現在の様子を知らない。私の知っているのはもう数年も前のものである。


ガールフレンドの意味

2016-07-19 12:22:25 | 日記
「窮理」という雑誌の第4号が発行されて、それに物理学者の亀渕さんの「ガールフレンド」という文章が載っていた。これはガールフレンドと言ったら、セックスも含んだ意味であり、そうでない人にはガールフレンドというコトバは使わないのを知らないで使ったが、後でそのことを知ったという出だしであった。

そういうことの説明から、日本語になっている英語の日本で通用している意味と本当の意味との違いを考察するというエッセイであった。これは外国語を深く学んだら知っていることなので、いまさらではあるが、やはりそうかということである。

だから、最近では例えばドイツ語のmein Freundとかmeine Freundinを「恋人」と訳すようになっている。だから、フランス語ならmon petit amiだとかma petite amieというのがそれである。これは恋人とか少なくとも一緒に住んでいる男友だちであったり、女友だちであったりする。

これは日本でもだんだんそういうことが一般にはなって来ているが、旧来の考え方の親御さんなら、一緒に住んでいるなら、なぜ結婚しないのかとか娘や息子に迫るであろう。結婚すると離婚のときが大変というので、最近はフランスでは法的には結婚していないというようなことが大統領ですら起こってくる。

パックスとか言われる関係が法的な結婚ではないが、それに準ずるものである。これは多分税制上の優遇措置も得られるものだったと思う。

フランスの現大統領のオランドさんもその一人である。それでどういうこともないのはさすがである。