物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

倍角公式、半角公式

2015-12-30 12:47:23 | 日記
ときどき数学の用語の対応した英語が気になる。いまは倍角公式だとか半角公式をどう英語で言うかが気になっている。


まず倍角公式だが、formula for double angleと和英辞典にあった。つぎは半角公式であるが、formula for half-angleとかhalf-angle formulaとかあった。

また正三角形はどう英語で言うか。regular triangleとある。直角三角形はright(-angled) triangleまたはrectangular triangleとある。なかなか中学校や高等学校で学ぶ数学の用語の対応した英語は結構どういうのかと聞かれると答えるのが難しい。

英語の数学公式集を見てもこれらの公式の名称が的確に載っていなかったので、気になったのである。

今年は大掃除なし

2015-12-30 12:11:20 | 日記
先日、我が家の大掃除のことを書いたが、都合で今年は大掃除をしないこととした。

妻がやいのやいの言わないとこともあるが、今年はなんだかやり残した仕事があるようであり、大掃除にとりかかれない。

これでは正月が来ないではないかと言われそうだが、妻が生協を通じて注文したおせちも今朝届いたのでやれやれである。最近は妻がいろいろな人からもらいものの野菜とか果物とかを頂く。モチをもらった年もあった。

そういうものを食べて、有機農の生協自然派という生協からの食物が冷凍庫にはいっぱいである。それらを食べることによって正月の3ヶ日は過ごせるだろう。

家族は誰も東京からは帰って来ないので、夫婦二人だけの正月である。だが、今年はもう一日残っている。

今年予定の忘年会は終り

2015-12-28 11:17:58 | 日記
先週の土曜の忘年会で今年の忘年会は終わり。後は家の大掃除が残っている。これは毎年トイレと風呂場の掃除やアルミサッシの戸に水をかけてガラスの汚れを落としてお正月である。この大掃除にはいつも妻は係らない。すべて私の仕事である。とはいっても台所のレンジとか換気装置の掃除は彼女の担当である。

今年は大みそかに I 市の実家で兄の一家と集まりがある。これは例年なら元旦の1日に集まりをしているのだが、今年は東京から帰って来た姪夫婦の一家が元旦に東京に帰るために一日予定を早めたことによる。

元旦に東京に帰るという予定らしい。人が多いときに移動しないということを考えるとこれはいい判断かもしれない、仕事場での土曜日の忘年会であったが、焼き肉の匂いがこもっていてしかたがない。それで窓を開け放っているが、やはりすぐには匂いがぬけない。

大抵匂いが気にならなくなるのはやはり一か月くらいかかるものである。

懇親会

2015-12-26 14:16:41 | 日記
今年も懇親会とか忘年会のシーズンである。すでに一度はドイツ語のクラスで忘年会をした。今日は雑談会の懇親会である。雑談会はテーマがあってそのレポートとそのディスカッションであるが、年末の12月だけはテーマなしの懇親会である。

ということで今日がその日である。いつも毎月お昼前にやって来て、大々的な掃除と机の上を拭いたりする。それ以外のときにはあまり掃除をしないので雑談会があるときはその掃除をするいい機会なのである。

昨年は11月のはじめだったかに東京に行って2週間ぐらい東京暮らしだった。妻は1月以上東京にいたと思う。今年はそういう突発的なこともなく静かに年末を迎えている。

昨日はクリスマスだったが、私は一昨日の夜の年賀状書きで疲れていたのかコタツで寝てしまった。テレビは途中で消したらしいが、気がつくと夜中の1時半となっていた。それから目薬を差したりして寝た。

今日は妻の車のタイアがパンクして、出かけた先から電話が入り、迎えに行った。参加する人の都合でパーティの開始時間を16時とずらしておいた。

Tikzの使い勝手

2015-12-24 12:14:47 | 日記
がとてもいい。Tikzとはlatex用の図を描くソフトである。もちろんフリーであり、このソフトをインストールして使い始めればよい。

インストールのしかたは日本人のどなたかのホームページにあるTikzのインストールから入ってそこでインストールすれば使える。使い方は奥村さんのサイトにあるTikzの使い方をまねて使えばよい。

著者の書いた大部のマニュアルがあるのだが、それを読まないで日本人の書いたあまり大部ではないマニュアルまがい物を読んでそれにならってプログラムを書けばよい。

これは前にpicture環境で図を描いていた方なら、簡単にTikzに移行できるだろう。私がそうだったから。難しい図の場合にはusepackageで特定のソフトを投入しなければならないこともあるだろうが、まだ初心者なので、そういったことは起こっていない。

いいのはarc(円弧)を簡単に描けることである。picture環境では円弧はベジェ曲線で描いていたのだが、これがなかなか面倒であり、いつも円弧を描くときには毎日の新しい気持ちのときに描かないと描けなかった。

Till Tantauとかいうドイツのリューベック大学の情報工学研究者が開発したフリーのソフトである。これが日本でどれくらい普及しているかしらないが、多分かなり普及しているのであろう。

latexは優れた数式入力用のソフトであるが、図の入力が難点であった。それが簡単に克服できたとは言わないが、かなり改善されたのでもっと普及していくであろう。

武谷三男は原発推進派?

2015-12-23 13:04:02 | 日記
昨日、E 大学生協書籍部から定期購読している雑誌をもらって来た。今回は『岩波新書で「戦後」をよむ』(岩波新書)を雑誌とは別に注文していた。それは1945年から1955年に間に特徴的だった岩波新書の3冊の1冊に武谷三男 編『死の灰』が入っていたからだ。

そのなかに「武谷三男自身は原発推進派なんですね」という成田龍一の発言がある(同書p.15)。これはそのままで何の注釈もないから、武谷三男が普通の電力会社や現政権や自民党の人たちと同じ立場の原発推進派だととらえられかねない発言である。

その発言自身はまちがいだともいえないのだが、やはりここは注釈が必要だろう。武谷は原子力がいつかは人類に必要なときがくるかもしれないとは考えていたと思う。

そう意味では原発推進派といっていかもしれない。しかし、現段階での原発を肯定したことはなかったはずだ。だから成田が『死の灰』から引用した

原子力はまだ人類の味方ではなく、恐ろしい敵なのである。・・・現代はいまだに原水爆時代であって、原子力時代ではない。

つづけて成田はこう言っている。

将来的には原子力を利用することが可能であり、必要である---原子力を人類の敵でなく、人類の味方にしなければならないという認識が、武谷の根底にあります。いまの情勢は原水爆に向いており、「大国の核兵器独占」「科学における機密体制を打破すること」が必要であり、「日本のような被爆国がその主導権をとるべき」という考え方を示します。つまり「核兵器と、原子力の平和利用の間に明確な分離をする」ことが、武谷の主張です。すでに「若手物理学者の多く」が、原子力研究は「一切の否定すべき」ということを主張する中での、武谷の認識です。踏みとどまって考えるべき箇所です。

とある。

加藤哲郎さんが『日本の社会主義』(岩波書店)等で指摘する、武谷は原発を推進したと主張する理由はここにあるのだろう。だが、私が加藤さんの主張に賛成しないのはその読み方がちょっと浅薄なのではないかという点である。このことは来年になるだろうが、「他人からみた武谷三男」という私の論文の続編で論じてみたいことである。

現時点では原発にはどうも未来がないという判断を私はしている。それは武谷が期待したようには、原発から出てくる多量の原子炉廃棄物の無害化処理が技術的にできそうにないということが理由である。大規模な原発ではなくて、原子炉の基礎研究だけを許すことにできなかったかという視点はありうる。だが、資本主義の社会では原発による利潤が安全よりも優先されて、歴史的にそれはできなかったという事実にもとづいている。

武谷には科学技術は正しくとり扱えば、人類の役に立つという強い信念があると思われる。ただ、正しく注意して取り扱うという視点は一般の人にはわかりにくいし、世間での原子力の利用関係の進み具合は利潤追求型であり、人類の害がなくて、利用価値があるまで使わないなどという視点はとられないのが普通である。だから武谷の視点は誤解を招いたのだ。





アクセス数

2015-12-23 12:46:17 | 日記
数年前にこのブログの前身のブログが炎上したことがあった。その時以来できるだけ目立たないようにしているが、月曜日にアクセスが1日189を記録した。こんなに多くのアクセスがあることは有難いことだが、ちょっと心配でもある。

gooのアクセスランキングでも4000番代に入ったことはなかったと思うが、はじめて4000番代を記録した。昨日はすぐに5000番代にもどったらしいので、ほっとしている。

人間というものは不思議なもので、人気がなければなくてがっかりするし、それかといってちょっと身の程もなくアクセス数が多いとかえって心配になったりする。

だいたいにおいて理系の話が多いし、それも初歩の数学の話を数式なしに書くことが多い。それであまり一般の人にはアピールしないだが、それでもときに200人近くのアクセスがあると世の中がひずんでいるのではないかと余計な心配をするという困ったものである。


勤勉さ

2015-12-21 18:19:50 | 日記
を持ち合わせているわけではないが、それでも他人から見たら勤勉なほうかもしれない。ドイツ人の R 氏はいつもドイツ語の「勤勉な」を意味する語fleissigにはネガティヴな意味合いがあると常々言っている。fleissig aber dummとかいう。

ということは勤勉ではあっても愚鈍であると自分のことを白状していることになるのかもしれない。だが、体がいまのところ健康なのは有難いことである。

もう数年もするとこうは行かなくなるであろうから、いまのうちに精々精を出しておくしかない。

女性を誉めるときでも言いかたに注意が必要である。女性が美しいとかいうときに日本ではあまりネガティヴな印象はもたないかもしれないがドイツ語ではsch"onというとsch"on aber dumm(美人だが頭が弱い)だということを意味するので要注意だという。

では女性をどうほめたらいいのか。ということになるが、普通はcharmant(魅力的な)だとか言わなくてはならないというからドイツ語を学ぶときに言葉遣いに気をつけなくてはならない。charmantとはもともとフランス語であろうが、これはドイツ語でも普通に使われている。

物理にcharmed particleという用語があるが、ドイツ語ではcharmantes Teilchenといったと思う。

ちなみに物理学用語としてcharm, strange, beauty(bottom),truth (top)などがある。それからまたcolor(色)とかflavaor(香り)とかいう語も使われている。

数列の一般項

2015-12-21 10:48:43 | 日記
「三角形の数の和」とか「逆三角関数の関係」等の数学エッセイで数列の一般項を求めるという課題が出て来た。「三角形の数の和」の方ではその一般項はすでに故 Y 先生によって求められていたので、私にはそれをどうやって理解するかだけが残されていた。

そしてその課題は解決したのだが、それをはじめから答えを知らないとすればどう求めるのだろうかという疑問が起こって来た。それを考えてみたいという新しい課題が私にはできた。

それと逆三角関数の関係のほうでも三角方程式を解いて、その関係を求めるという方法を最近知ったのだが、その方法でもちょっと奇妙というか特徴的な変化をする数列を見つけた。これは大学の入学試験のように人為的につくった問題ではなく、実際の場面で現れた問題である。

こちらも解がわかっているのだが、数列だけが与えられたときに、その一般項をどうやって導いたらいいのかというのが私のいまもっている、課題である。

昨夜、ちょっと考えて多分解決をできたと思っているのだが、さて本当に解答ができたのだろうか。これが今日調べたいと思っている事である。

数学エッセイ3部作

2015-12-19 12:30:14 | 日記
がほぼできあがった。と言っても十分の見直しができているわけではない。これらは三角関数と逆三角関数と三角形の数の和との3つの話題について取り扱っている。

このどれも私が以前に書いた数学エッセイと関係している。三角関数に関する話題はsin xとcos x関数をtan (x/2)で表すことをテーマにしている。つぎに逆三角関数は\sin ^{-1}x+\cos ^{-1}x=\pi /2の関係を導くである。

3つ目の三角形の数の和は正三角形がn段に積み上げられているとき、そのなかにある正三角形の数の和を式でどう表すかについて述べている。

この最後のものは n が奇数のときには秋山 仁さんの以前書かれた書の中にも問題として取り上げられているのに最近気がついた。

今年はいい年であったように思う。これらは随時『数学・物理通信』に発表していきたいと考えている。

なまいき

2015-12-19 12:14:30 | 日記
とは岩波国語辞典を引いてみたら、「一人前あるいはその地位でもないのに、偉そうなあるいはさしでがましい態度やふるまいをして、小憎らしいこと」とあった。

実は先日のドイツ語クラスの忘年会で、私は世話人のOさんに面と向かって「だいたい、なまいきなんですよね」と言った。そのときにOさんからは反論は出なかったから、悪くはとられていないと思う。

なまいきはわたしは大切なことだと思っている。モダンぶるとか知ったかぶりをするとか、はたまた長老ぶるとかいうこともあるだろうが、このなまいきがすべて進取の気性に富んでいることを示していると思っている。

高校生だったころに友人のS. S.君や私はなまいきのさかりであった。もちろんなまいきであることを人に悟られるような振る舞いはしていないが、本質的に私たちは「なまいき」であったと思う。

辞書の意味ではなまいきはあまりいい意味ではないが、すこし意味が本来の意味ではないかもしれないが、拡張して使ったほうがいいのではないかと思っている。むしろポジティブな意味で。そういえば、いい意味で「なまいき」を使っている例として朝永振一郎さんの文章があった。

なまいき大いに結構ではないか。

三角形の数の和

2015-12-18 12:31:12 | 日記
というタイトルの数学エッセイを書いている。ほとんど完成に近いのだが、昨夜忘年会から帰ってから夜中の1時過ぎまでこの原稿を推敲していた。

すでにあるところに投稿しているのだが、多くのミスプリがあったので、修正して『数学・物理通信』に再投稿するつもりである。この本文はもう2年か3年前に書いていたのだが、図をうまく取り込めないのでそのまま放ってあった。

ところがその図をepsのフィルに変換してくれた方があったので、本格的にエッセイを完成しようとしている。これを妻に見せたら、来年の雑談会で話したらどうかと言われた。

先月の雑談会で友人の以前に書いた「ニュートリノ振動」の話を紹介したら、その話を聞いた K さんが数式に目覚めたとかである。そしてこの K さんフェルマーの最終定理とかのことを書いた数学書を読んでいるとか妻がこの K さんに出会ったときに聞いたという。この K さんは化学系の方であるが、あまり数学は関心がいままでなかったらしい。

そういう話を聞いていたので、妻の反応はなるほどと思えた。ほんとうに来年の1月にこの三角形の和の話をするかどうかはまだわからない。Kさんは政治情勢にも詳しい方なので、その K さんからその国際政治情勢を聞きたいと思っているからである。

餅つき体験

2015-12-18 12:10:57 | 日記
愛媛医療生協の椿支部が松山市来住(きし)の生協病院の庭で餅つきをしているというので、妻と行ってみた。というか連れて行かれた。大勢の男女がこのもちつきに関わっていて、もうモチをついていた。

妻がつき手を連れて来たとPRしたので、二臼ほどこの餅つきに参加した後に仕事場に来た。昨夜はドイツ語のクラスの忘年会が南堀端のレストラン・アミティエであった。始まりが19時であったので、帰宅したらもう11時過ぎに近かった。それで私は仕事場から自分の車で帰宅しないでKさんの車に乗せてもらって帰宅した。

それで妻に仕事場まで車で送ってもらったのだが、途中で來住の生協病院に立ち寄ってモチを買うのが妻のしたいことだったが、私ももちつきをした。もう30年くらいになろうか。母が健在だったころは自宅で木の臼があって年末には餅つきをするのが長年の恒例行事であった。

私も含めて男の兄弟3人と父とが代わり合ってもちをついていた。だがそういうこともしなくなって久しい。もちがつけるかどうか私にはわからなかったが、2人と代わりながら餅つきができた。そのあいだに妻は正月のモチともつかないが、もちを数箱購入していた。

モチをつくときに、おまえは「左利きなのだね」と改めて言われた。杵をもつ手が左利きだったらしい。これはこのブログでも書いたことがあるが、私はナイフとフォークでも使い始めたはじめのころは左手にナイフをもつことがあまり違和感がなかった記憶がある。それは左利きだといわれて矯正をしたのだろう。

子どもの一人がボールを投げるときは左で投げるから、これは私からの遺伝かもしれない。

『四元数の発見』を推薦された

2015-12-17 11:46:52 | 日記
アマゾンコムで推薦の書として『四元数の発見』が来た。これはときどき私が自著の検索をしていたかららしい。これは最近のいわゆるビッグデータの解析の一環としてのシステムがアマゾンにあるからだろう。

しかし、このようなことはあるが、なかなか本当に自分が関心を持って読みたいと思っていたという書の推薦がまさに来たという経験はまだない。

山本義隆さんの書の推薦がきたことがあっただろうか。もしかしてすでに来たことがあったのかもしれないが、彼の書は結構定価が高くてできるだけ購入したいとは思うもののすぐには購入できないのが実情である。

『幾何光学正準理論』とかいう本がやはり出ているが、5000円を超えた定価だったのではなかろうか。これでは退職老人にはなかなかすぐに購入とはいかない。

そういえば、知人の K さんの書いた経路積分の書がでた。これも5000円近くかそれを越えた値段である。K さんに頼んで、著者割引か何かで購入しないと買えそうにはない。

モノを売る人が偉い

2015-12-16 12:11:05 | 日記
これは最近妻が口癖のように呟いている言葉である。

彼女は手慰みに毛糸で帽子を編んであるお店に展示してもらっている。そうすると今月は6個売れたという。もっとも一個の帽子が売値で500円それも100円はお店の利益であり、もともと原料の毛糸が200円であるから別に暴利をむさぼっているわけではない。

これは本人の本来もっている創造力をみたしたいからしていることであり、お金儲けではない。それだからかどうかは知らないが妻はモノを売る人が偉いという感慨をもっている。少し芸術家気質の妻は何かをつくるのが好きであるが、それをどこか小さなお店に展示してもらい、それを購入してもらうことによって自分の生きがいを感じている。

夏は紙のひもで籠を編んで同じようなことをしていた。これもいくらかは売れたが、それだって大儲けするというようなことには程遠い。それでもいいのだ。本人が自分の創造性を発揮する場所があることがいい。これはひとえに自分の創造性を小さいながら、活かすことができているという。

それで彼女はお店でモノを売る人が偉いということを思うようになった。

急に自分のことにひきつけて申し訳ないが、私もここ数年にわたって『数学・物理通信』というサーキュラーを発行してきた。このときにこのサーキュラーに投稿して下さる方やそれをメールで送ってももう面倒だから、送って来るなという読者はおられないという幸せである。

一人だけ以前に送ると故障になるので送らないでほしいと言われたひとがあったが、その後その人もインターネットの障害がなくなったのかそういうメールは来なくなったので、読んで頂けているかどうかはともかくとして、拒否されたことはない。ということで一番の末端の読者というかメールの送り先の方の好意が一番有難いことである。

その上に名古屋大学の谷村さんのようにご自分のサイトにリンクして載せて下さる方まであり、そのためかどうか一般の読者で私の面識のない方から投稿までときどき頂くことである。これは編集者には名誉なことでもあり、また迷惑を感じたりもすることである。

いずれにしても一番末端と思われている、読者の方が一番エライということになろうか。

いつもご投稿を頂く、N 先生からはいつか丸善出版の編集部の方にもこのサーキュラーが読まれており、『数学・物理通信』も世間から認知されているようですねとメールを頂いたが、これはひとえに『数学・物理通信』は N 先生の物理学者としての名声によっていることが多いと考えている。