物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

武士の家計簿

2013-12-31 18:21:22 | インポート

「武士の家計簿」は昨年だったか映画館で妻と二人で見た。

しかし、昨夜BSでやっていたので、途中から見たのだが、なかなかおもしろかった。

堺雅人さん演じる、猪山直之が算用者として、加賀藩に仕えるのだが、見栄をはった家のやりくりで父母や祖母が大赤字を出していたところを大ナタを振るって、価値ある家財を売り、大借金の半分を返し、金貸しに残りの半分を無利息にしてくれと頼む。

そうでないとまったく返済ができないようになるから、結局はもっと損になるだろうと迫る。これがこの映画の山場である。

また、子どもの直吉(成人して成之)が5~6歳のころに犀川で拾った四文を元の場所に夜だのに返しに行けという。仲間由紀恵さん演じる、奥さんが「もし犀川で川に落ちて水死したら、どうするのですか」と直之を詰るが、それならそれはそのときの運命だと答える。これが第二の山場だろうか。

その中に直吉も成人して、加賀藩に仕官するが、幕末の風がこの加賀藩にも吹いてくる。直吉は長州藩士で、官軍の参謀の大村益次郎(村田蔵六)から誘われて官軍の算用方につく。

大村はいう。鉄砲を撃って、戦争できる輩はいくらもいるが、今の戦は物品の補給が戦の勝負けを決する。すなわち、兵隊に銃や弾薬および食糧の調達と供給ができることがこれからの戦の勝敗を決するのだと。

これは本当に大村がこういうことを言ったのかどうかはわからないが、長州藩の医師であった村田蔵六は蘭書を読んで、砲術に通じていたそうだから、そういう先見の明と大所高所から物をみることができたのかもしれない。

その後、直吉(成人して成之)は算用者として明治政府の財政を支える一端を担うことになった。

また、猪山家の入払帳(家計簿)は大正時代まで詳しくつけられていたという。

この記録を調べて、歴史学者の磯田道史氏の論文からこの映画がつくられたのだという。

また、この映画は「倍返し」という流行語を生んで、日本中に知られて、今年人気絶頂になった、半沢直樹を演じた堺雅人の演技はこの映画でもとてもよかった。


わけがわからない

2013-12-30 19:53:42 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、「武士の家計簿」という映画をテレビで見たので、その感想を書き込んでいたら、途中で入力ミスしたのか、記録できなかった。

明日、記録した紙片をもってきて、再度記入するつもりなので今日はここで失礼をする。


グリューワイン

2013-12-29 16:23:11 | 日記・エッセイ・コラム

グリューワインはドイツの冬の飲物ものである。

ドイツの冬は厳しい。これは日本でも北国の住人は冬の厳しさを知っているのであろうが、わたしは比較的温暖な瀬戸内海地方にしか住んだことがないので、厳しい冬はドイツの冬しか知らない。

ドイツではフランスと違って白ワインが好んで飲まれるが、グリュ―ワインは赤ワインである。インターネットで検索をしてみると、シナモンを入れるとかあるが、先日の忘年会ではラム酒を買って来て入れた。

もっとも作り方を知らないので、鍋にドバドバと赤ワインを入れてガスで温めて砂糖を入れた。その砂糖の量もわからないので、少しづつ入れては味見をして甘さが足らないと思ったら、また砂糖を足すという風にした。

ラム酒はそれをガラスのコップに入れた後でラム酒を入れたが、これもはじめから入れて温めるべきだったのだろうか。

このブログを書いた後でインターネットで調べてみよう。


概算要求と靖国参拝

2013-12-28 16:33:19 | 国際・政治

概算要求で防衛費がわずかだがプラスになったという。これと安倍首相の靖国参拝とは連結していると思う。

韓国も中国もはたまた日本も外交的に互いに緊張関係にあると、外交上の緊張関係にあるので、防衛費を増やす口実になる。

そして、それは武器を製造しているメーカーは歓迎であろう。だが、それが意図されているとすればやはり問題であろう。

安倍首相の靖国参拝はその緊張関係をわざと緩和に向かわせないところに意味があるのだと思える。そういう意味では安倍首相は確信犯である。

アメリカも安倍首相の今回の靖国参拝に不安をもったらしくて、不快感を表明された。中国とか韓国とかの反応は多分織り込み済みだろうが、アメリカとECとかロシアの反応は以外であったろう。

特定秘密保護法案はもしかしたら、官僚の意図した法案かもしれないが、その点はやはり関連しているということができるであろう。

そういう意味では官僚には国民にもう政治の秘密を公開する気など毛頭ないと思える。そして、それに乗っかった自民と公明の政治家はその意図を知りながら、やはり大きな意図を隠していると言わねばならない。


軽い放心状態

2013-12-27 12:37:19 | 日記・エッセイ・コラム

いつも「数学・物理通信」を発行した後は軽い放心状態となる。

もちろん、数日過ぎると元の状態にもどるのだが、それくらい発行ができるまでは張りつめているという訳だ。

今年中に発行しておきたいという気持ちが強かったのだが、3巻8号はトナー不足でプリントができなかったせいで、トナーが再装填されるまでいらいらしたりした。

そして、プリントをしてみてから、やはりいつものごとくいろいろ改良したい箇所に気がついて発行が遅れた。はじめの予定ではクリスマス前に発行の予定であったのに。

私は仕事場に来ているときと自宅でと全く性質の違った仕事の仕方をしている。仕事場の方が本格的な仕事になるのだろうが、自宅ではそれを補完するようなことをしている。

別に仕事をするという意識はなく、時間つぶしという感じなのだが、それが結構本筋の仕事に影響を与えたりするから人間というのは一筋縄ではない。

この頃だと自宅ではテレビを見ながら、夕食後のひとときを居眠りしたりしている。これは多くの研究者とそれほどは違わない生活であろうか。

大学に勤務していたときには大学での講義の準備に自宅で結構な時間を使ったと思う。いまではそういうことはない。

それで自分の気になっていることを趣味的に読んだりしている。


数学・物理通信3巻8号の発行

2013-12-26 14:32:35 | 数学

なかなか発行できなかった、『数学・物理通信』3巻8号ようやく午前中に発行できた。

その後に昼食後に理髪店に行き、頭の髪を刈ってもらった。もっとも私は頭の髪の毛があまりない方ではあるが。

仕事場の大掃除は妻が今年はやってくれた。これで子どもたち夫婦が帰ってきたときの受け入れ準備もできた。

私の乗っている軽自動車を車検に今朝出したので、明日の夕方にはそれも仕上がって来る。

そういえば今年は珍しく年賀状を12月25日以前に書き上げて、一昨日投函をしておいた。こんなに要領よかったことは今までにはなかった。

自宅の大掃除はまだだが、12月30日くらいに大掃除をすることにしよう。とはいっても今年は風呂の浴槽は先日妻が漂白剤できれいにしてくれたので、浴室の天井と壁を拭くことが残っている。それに毎年トイレの大掃除は私の担当である。

親切な知人から正月のお餅をもらったりとするので、私の家ではお餅を自分で購入したり、餅をついたりすることはもうない。

明日がいいお天気になってくれればいいが、どうも今年の12月はあまり天気がよくない。両親が健在なころは実家で一家の餅つきをしたのももう遠い思い出になってしまった。


家庭の置き薬

2013-12-25 17:11:58 | 日記・エッセイ・コラム

家庭の置き薬として3つ目の薬品会社から頼まれた。

すでに2つの薬品会社の家庭用の置き薬を置いているのに、さらにもう一つ妻が知り合いから頼まれたらしい。それも2つ目のときにもうすでに一つ置かれているからと断ったにもかかわらずなのである。

私なんかにはとてもクレージーに思えたので、妻との論争のタネが生じたわけだが、妻は知り合いの人から頼まれたので断れなかったらしい。

しかも今日の午前中に妻は自分が出かけるので、しばらく私に家にいてほしいという。しかたがないから、10分ほど待っていたら、10時過ぎにその薬品会社の営業の人がやってきた。

私にはその人に義理はないから、「申し訳ないけれどもお宅には業績の向上は見込めせんよ」と念を押しておいた。

だが、人間3か月か半年に1回点検に来ると、妻などは申し訳ないということでつきあいに化粧品を買ったりしている。

もちろん、どこかで買わなくてはならないものであれば、出入りの業者から買うのも悪くはない。だが、それが本末転倒しているのではないか。

最近では薬のインターネット販売ができるようになった。そのせいもあるのであろうが、やはりクレイージ―である。

買わないものはいくら家庭におかれても買わない。このころは病気になれば大抵医者にかかるので、その病院の関係から薬は購入する。突発的な急病の一時凌ぎでもなければ、置き薬を服用したりはしない。

一般に携帯電話の会社でも3つの会社が競走的に存在しているので、他の会社を食って大きくなるということも考えられないわけではないが、置き薬業界などがある会社が特別の薬を置くなどということも考えられない。

下らないところでの競争のように思えてしかたがない。もう少し意義ある競争にはできないのだろうか。


なかなか発行できない

2013-12-25 11:46:39 | 数学

「なかなか発行できない」のは『数学・物理通信』3巻8号である。

いまにも発行できそうなのだが、それでもなかなか発行できない。これは私の原稿の問題である。

今日の午後には発行するつもりであったが、さてどうなるだろうか。いくつかの編集上の修正個所があるのと、最後につけた付録6のgimbal lockに脚注をつけ加えた方がいいかなと思い出したからである。

これはgimbalという語とかそれに関したことを追加した方が、このエッセイを読む人が欲求不満にならないで済むようにとの配慮をすべきではないかと思い出した。

そのことが数行の脚注に収まるかどうかあまり自信はない。でもやってみるしかない。


Why 30 is not the new 20 ?

2013-12-24 11:00:59 | 日記・エッセイ・コラム

これは昨夜のNHKのEテレのTEDカンファランスのMegの講演のタイトルである。

実はこれは以前のTEDでのプレゼンの再放送である。前のときにもこのブログで何か書いた記憶があるが、それがなんであったかよく覚えていない。

昨夜の放送でくりかえされた言葉は

(1) Get identity capital 自分自身の価値を高める

これは英語はメモし損ねたが、

(2) 遠いコネ(Weak Tie)を生かせ 

である。これは「友達の友達の友達といったあまり強力ではないコネを生かすか」どうかはあなたの力量にかかっているということである。

New things come from the weak ties. (新しいことは遠いコネから生じる)

とも言われていた。

これは誰にでも通用する話である。

毎回妻の意見の紹介で恐縮だが、この話を朝食後に妻にしたら、やはり友達が自分のことを信頼できる人だと思ってくれることが大切であり、そう思ってもらえないならば、友達の友達にも紹介をしてもらえないという意見だった。

なんでも真摯に生きていることがやはり自分の財産になる。

話は前にこのブログの話を書いたときにも書いたであろうが、ことは20歳代だけの話ではない。40歳代ならば、よりよき、50歳代のために40歳代を真摯に生きなければならない。50歳代になれば、60歳代のために真摯にという風に・・・。

そのことが20歳代を越えてこの講演が全米で反響を引き起こした理由だろうと考える。

という私の意見には妻は賛成をしなかったけれども。


トナーの入手

2013-12-23 18:47:17 | 日記・エッセイ・コラム

1週間ほど前に注文していた、トナーをお店に取りに行って、先ほどから2週間ぶりくらいで印刷がまたできるようになった。

それで『数学・物理通信』3巻8号をプリントしてやっと見ることができる。これを最終点検してミスがないかを確かめた後に発行する予定である。

あわてものの私であるから、2,3日時間をおいてからの発行になる。たぶん、25日か26日の発行となるだろう。

原稿を投稿された方々と『数学・物理通信』の読者の方々にはいましばらくお待ち願いたい。どんなに遅くても年内には発行するつもりでいる。


2400回達成

2013-12-23 13:29:42 | 日記・エッセイ・コラム

2400回達成を今年(2013年)中に達成できるとは想像していなかった。年に300回ブログを書くことができたとしても8年かかるわけである。

そして、毎年300回のブログを書くことがどれくらいハードであるかはそれをやってみた見た人にしかわかるまい。

もっとも私は文章を書くことが好きだし、書くことはあまり苦にはならない。

いつも書いているが、はじめは書くことがなくなるのではないかと思っていたが、どうしたものか書くテーマにはこと欠かなかった。

これはとても不思議なことである。しかし、常に知的なアンテナを張り巡らしている必要はあるけれども、それとても世の中に知的好奇心を刺激するようなテーマには事欠かない。

もっとも他人から見たら、マンネリであろうことは避けがたい。それはどうしても私のような凡人のやることなのだから。

physicomathという題であり、理系のテーマが主題であるので、某タレントのブログとは全く違う。それは世界のごく少数の人が関心をもつことが話題にすることが多い。

現在では高校で物理学を選択科目として選択する人は多分30%かそれ以下ではあるまいか。

さすがに数学を科目として履修しないで高校を卒業できるようにはなっていないが、それとてもあまり難しいことを学ばなくても日本の高校を卒業できるようになっている。

そこらあたりがインドとか中国の若者が必死にこれらの数学とか物理を勉強しているのとは大いに違っている。こんなことでは日本の国はダメになってしまうと心ある人は日本でも思っているに相違ないが、政治家でも理系の出身の政治家はごく少ない。

小泉元首相がフィンランドの核廃棄物の施設の見学をしてようやく原発の無責任さにあきれて、原発廃止の論陣を張るようになったのも彼がもともとは文系の素養しかもっていなかったために専門家の一方的な主張を信用していたためらしい。

経済でも将来にわたってのことを考えると原発即廃棄が正しい。少なくとも直ぐに即廃止とすることができなくても、それに向けての準備をすることが現在必要なはずである。そのことを直視せずにただ現在の電力会社の思惑とか経済界の思惑で政策を行うことが、いかに彼らが国を愛する者ではないということを示している。


雑談会、数学・物理通信、ブログ

2013-12-23 13:02:16 | 日記・エッセイ・コラム

Nさん(元愛媛大学)と私とが主宰して行ってきた、雑談会も12月21日(土)で46回となった。Nさんは経済学者なので、経済についての彼のレポートが7回と一番多いのだが、私も4回の話題提供を行っている。

いずれも私の専門の物理の話ではなく、初歩の数学とかドイツ語の初歩とか、はたまた自分のブログからの話題をとりあげて話題とした(注)。

一番最後の話題は本当は引き受けてくれていた人が急病になったために急遽の登板であるからしかたがないが、実は男女平等、生活格差、特定秘密保護法案等が話題だったので、とても議論が盛んであった。

雑談会を始めたのが2009年11月なので、この年が私の転機となっている。この年の12月にサーキュラー『数学・物理通信』の発行もはじめた。

木曜日の夜のドイツ語のクラスの前回のクラスの要約をつくり始めたのは2006年5月からなので、『数学・物理通信』の発行や雑談会の活動よりも前からはじめたことになる。

もっともそれよりはるか前から火曜日の夜のテニスのクラブがあるが、これはもともとは妻が主宰していたのを妻がテニスのクラブから手を引いたので、ボールの管理と会費の徴収の事務が私の責任となったのはやはりこのころであろうか。

これがいつだったのかはいまではわからない。だが、もう20年以上続いているクラブである。その中でもテニスが一番下手なのが私であるから、私が辞めない限り続くであろう。

というのはやはり人間というものはゲームをして負けが続くのはおもしろくないので、一番下手な人の存在が重要なのである。

それでも一番上手な人とペアにしてくれたりとまわりの方が気を使ってくれるので、そう負けばかりがこむわけでもない。もちろんある日は全敗のときもあるが、つぎの回にはそれ相応の成績になることもある。

このブログを書くということは2005年4月の終りに登録をしたので、これも今年で9年目である。それもちょっといえば、妻との話のついでに出たのでOCNに登録をしてみたら、割と簡単に登録ができて、今に至っている。

実はこのブログは2399回目で、つぎが2400回目にあたる。

(注) 雑談会での物理の話題はもっぱら物理学者のEさんの担当となっている。


latexの作動の疑問

2013-12-20 12:00:37 | デジタル・インターネット

数学・物理通信3巻8号の発行の直前であるが、まだトナーの入荷の連絡がない。それでプリントして読むという点検ができないので、発行はまだできない。

私以外の投稿者からは彼らの原稿に関してはOKとの了解を得たのだが、昨日編集をしていると私の箇所に不具合が出てきた。

これはminipage環境を使って、図を横に並べて配置していたのだが、それが上下にずれてしまったのだ。その図のことを記述したpicture環境の一部をどこか書き換えた覚えはないのでわけがわからない(注)。

そのようなわけのわからなさは数式の番号でも生じた。投稿者が\labelと\refというコマンドで数式の番号を入力しておられるにもかかわらず、参照するときの式の番号が1章の式に2章の数字が入って来るという不可解である。

どこかが悪いのだろうが、結局原因がわからないので、しかたなく式の番号の前に投稿者の名前の頭文字を一字挿入したら、それで参照する式の番号が一致したので対症療法はうまくいった。やれやれ。

こういうことがあるから、機械の調子みたいなところがlatexにはある。まだ使い方が上手ではないということだろうか。

(注) このブログを書いた後で、latexの原稿でminipage環境で書いた二つの図の間に入れていたコメント行を削除したら、図が二つ左右にうまく入るようになった。コメント行は悪さをしないはずだが、必ずしもそうでもないことがわかった。

もっとも単独のlatex原稿ではコメント行は別に悪さをしていないのだから、不思議というしかない。


神の数式

2013-12-20 11:31:02 | 物理学

いつだったか「神の数式」という2回の放送がNHKであったのだという。

それを見たドイツ語のクラスのメンバーのK夫人がそれをご夫妻で一緒に見たのだが、まったくわからなかったと先日話をされた。

その再放送がNHKのBSで12月24日夜7時から4夜連続であるという。それを見てその解説をしくれないかとの依頼であった。そのときにKさんご夫妻のようなとても知的なご夫妻が見てわからなかったのなら、私にわかるはずがないと答えたのを覚えている。

昨日になってその放送を見た、物理を過去に専攻された方のコメントが書かれたブログとか再放送の予定をK夫人からメールで教えてもらった。

そのブログを見たら、素粒子の話とか宇宙の起源に関する話だということがわかった。私は素粒子の最近の話に通じているわけではないが、これならまったくわからないということはないはずである。

コメントを読んで見ると、10回分の放送を2回に短くしてしまったためになかなか一般の人にはわかり難いだろうとあった。12月24日からの放送は4夜連続であるので、もう少しわかりやすくはなっているだろう。

一般の人でも素粒子の話や宇宙の起源について関心をもっている、一般の人がいるのを心強く感じた。


sioさんのコメント2

2013-12-20 11:04:45 | インポート

以下は「四元数と線形代数」に対するsioさんのコメントの一部を編集してここに掲載します。

全体は「四元数と線形代数」のコメントして載っています。そこを見てください。

これはですから私の意見ではなく、sioさんのお考えです。sioさんに全面的に賛成という訳ではありませんが、聞くべきご意見だとは思っています。

(以下引用)

最近の学生がユークリッドやアポロニウスの原典をろくに知らず(これらには邦訳がある)、ニュートンのプリンキピアやマクスウェルの電磁気学の原典をろくに知らないのと同様だ。

最近の数学者や物理学者たちはベクトルの起源はせいぜい四元数だということしかわからず、詳細はろくに知らないに違いない。

なんせ彼らはギリシャ語やラテン語はおろかドイツ語やフランス語すら読めない文盲が大半だから、過去がどうなっていても知る由もないし別に困らない。

19世紀以前の著作は著作権が切れているのでGoogle bookなどにも大量にあるが、数学オリンピックや物理オリンピックで金メダルを取るようなエリートですら誰も読みやしないのだろう。

問題を解く能力を軽視するつもりはないが、テストで点を取るという教育だけでは、古典を読んだり問題を作るという能力は育たない。オイラー著作集やガウス全集を原文で幼少時から読んでいましたなんて奴はエリートにすらなれない狂った国だからな。

非ユークリッド幾何ですら総合幾何学的手法を捨てて微分幾何などを使ってやるご時世だから。ちょうど初等幾何や解析幾何が教育で重視されずに数式を使う代数学や解析学が発達したのと同様に幾何的な四元数はベクトル解析や線型代数に汚損され失われてしまった。

最近の学生は総合幾何学的円錐曲線論や立体解析幾何や四元数的幾何学など原典レベルで学んだことがないにちがいない。

そもそも教育に費やせる時間が有限なせいで、大学院修士までにカリキュラムが収まり切らなくなってしまったからこういう古典をじっくり学ぶということも不可能になってしまったと岡潔も嘆いていたよ。

だからといってオルタナティブスクールなどを調べても、このような科学エリートの教育はなぜかどこでも行われていないようである。科学エリートは日本では中高一貫、海外では全寮制のスパルタ教育などによってしか育たないのだろうか?

結局こういう教育やりたければ学校教育機関に行かずにホームスクールで全部自力でこの境地に到達するしかないわけだ。10歳未満で大学理学部に入るようなエリートはみんなこうしている。ただし彼らも、古典まで読んでいる者は皆無だろう。

コーシー全集やラプラス全集など、読んでいる時間がない。テレンスタオもそのような古典を全巻読破しているわけではない。教育や寿命という壁にぶつかってしまうほど数学や物理学は肥大化している。

近代数学を極めるには幼稚園ぐらいで欧州の言語数カ国語をマスターしていないと無理だろう。それで30歳ぐらいまでずーーーっとお勉強で、ようやく「近代」数学の原典をマスター。しかし20世紀のものは消化すらできない。20世紀に生み出された数学は19世紀以前までの数学をはるかに上回る。。。

初等幾何ベースの古典力学とか、四元数ベースの電磁気学の教科書とか、今更出版されないだろうからなあ。力学や電磁気学や熱力学などもモダンな数学で記述した理論は多々見られるが、こういうクラシカルな数学で記述した本はろくに出版すらされていない。

マッハやヘルムホルツなど、もはや名前すら知られていないのではないか。本来、こういうものこそ文庫や電子書籍に入れておいて数百円で入手可能にしておくべきだ。全て絶版で数千円、数万円するのでは、若者には存在を知って入手するまでのハードルが高すぎるだろう。

そもそも良い作図ソフトがないので、数式の電子化については相当技術が発達したが、二次元・三次元の簡単な図形すら電子化が難しく19世紀以前の昔の論文の復刊や邦訳とか、本文はTeX化されてても図がスキャンで酷いのが多いからな。。。

青空文庫にも、なぜかエッセイや科学哲学ばかりで科学の古典は皆無、解析学の専門書はなんと一冊もない。

だいたい、最近の科学者は英語以外の外国語が文盲なので、老人世代が生きている内に彼らに古典を翻訳させたほうが、いいだろう。昔は数カ国使えないとだめだったからな。高木貞治も英仏独語で論文を出しているし。それが今やもはや理系でロシア語など読める人材すらろくにいない。

19世紀以前の数学や物理学の専門書も、年数冊ぐらいなら邦訳が出てるから、文芸復興と称してどこかの出版社がやってくれないかな。

(引用おわり)