昨日のドイツ語のクラスで、 I さんの書いたドイツ文の修正箇所が議論された。そのときにあまりに修正箇所が多いので、I さんはショックを受けたような感じがした(私の受けた印象だから本当はまったくちがっているかもしれない)。
だが、本当に修正箇所で I さんが気にしなくてはいけないところはほんの2,3箇所であり、残りはドイツ語を母語にしていない私たちにとっては仕方がない誤りであり、気にする必要がない。
最近のドイツ語の教え方はあまり語の変化には厳しくない。というのは日本人のドイツ語の先生でも語形変化を正しく使って話すことのできる人は少ないからである。また、ドイツ語のよくできる人はそれだけ誤りをいままでにたくさんして、恥をかいてきたにすぎない。
だから、いろいろな名詞の格変化や形容詞の語尾変化を学生に対して試験に出したりする日本人の先生でも、じゃあ、ちゃんと正しく話せているかといえば大抵間違いをしている。これは時間をかけて長い間に少しずつ正しい語形変化ができるようにするしかないということであって、私たちが間違うのは当然である。
ドイツ語の語形変化についてはもちろん正しく使えればいいが、正しくなくてもそれほど気にする必要がない。もちろん、直してもらったときから、機会があれば正しく使えるように注意する必要はあるが、それでもミスはなかなか直らない。だから語形変化は正しく使って話ができるかどうかはあまり気に病むことはない。
むしろ気にかけるべきことは動詞の位置なのである。動詞の位置は文の統語法についての文法事項に属しており、時代によって名詞や形容詞の語形や語尾変化の仕方が変っても、この動詞の位置は変らない。
もっとも文型が変ってきて、副文章で言っていた表現が二つの主文で表現されるというような変化は、時代と共にあるようである。たとえば、Ich glaube, dass er Artzt ist.と言っていたのをIch glaube, er ist Artzt.というような言い方をすることが最近は好まれているらしい。
上に挙げた例文の Ich glaube, (dass) er Artzt (ist).ではdass以下の文章は副文章になっており、定動詞は後置となっている。この副文ではdassと定動詞の istで枠がつくられている。(dass) と(ist)につけたかっこは文のカッコを強調するためである。
ところが第2の例文ではIch glaube, er ist Artzt.とコンマの後にはつぎの主文の主語 er (彼は)が来ており、そのつぎに定動詞 ist が来ている。
「副文章では定動詞(主語の人称に応じて変化している動詞)は副文章の最後に来る」のは詩などを除いて鉄則である。ローレライの詩でその鉄則に従わないのがあるが、詩では韻を踏むためにこの副文の鉄則ですら、変えられることがある。
ところで、ドイツ語の「文のかっこ (Satzklammer)」(枠構造(Rahmenbau)ともいう)というこの特徴を別の文で説明すれば、例えば
Dieses Geb"aude (wurde) 18. Jahrhudert (gebaut). (この建物は18世紀に建てられた)などいうときに顕著に現れるように定動詞wurdeは文の要素の2番目の位置にあるが、過去分詞gebautは文末に来て、wurde・・・gebautと二つの動詞成分で枠がつくられている。これは現在完了のときや話法の助動詞の構文でも同じである。
英語ならば、
This building was built in 18 century. とwas builtとが密接にくっついているが、ドイツ語では密接なものほど文末と定動詞第2位とに分かれて離れるという傾向がある。
これらの少数のドイツ語の特徴をしっかりつかんでいれば、後の語形変化の間違いはドイツ語を母語としない私たちがまちがえるのは当然なのであり、その間違いの数がいくら多くても気にする必要はまったくない。