というのは先日も憲法9条を守る県民の会の1周年記念の集会に出たのだが、その招待講演者はいかに日本を守るかという議論についてまったく言及されないかった。また、これは妻が毎月の9日に行われているビラ配りに出てそこである市民から憲法9条では日本を守れないのではという議論をされた。そこで、そんなことはないのだと説明したら、その若者はでは安心していいのですねと言って立ち去った。なぜ日本の国がそんなに危うくはないかということをきちんと議論がしないで、憲法を守れといっても納得はされないのではないか。
確かにこの60年間日本は戦争をしなかったから、戦争で死んだ日本人はいない。事故その他で亡くなった人はいるが。でも北朝鮮の脅威とか中国の脅威とかマスコミで恣意的に言われると善良な市民はあわててしまう。
北朝鮮の脅威については日本を攻めるようなときには北朝鮮の国が滅びることを覚悟しなければ、日本にであれ韓国であれもう戦争は仕掛けられないであろう。そういう国際情勢になっていることを日本市民ははっきりと認識していなくてはならない。そうでないと北朝鮮の脅威をわめく人がいれば、あわててしまう。
それと財界人の心積もりの間違いを正すだけの視野の広さや見識をもたなくてはならない。経団連はこのごろ憲法改定を主張しているそうだが、たとえ中国にある日本企業の権益を守るためであってももう昔のように軍隊を派遣することなどできないような国際情勢になっていることを財界の人々だけでなく、市民にも分かってもらう必要がある。これはたとえ憲法9条を廃止したとしてもである。
まして9条を堅持することによってさらにより大きなメリットがある。中国はもちろんインドさらに東南アジアの諸国またもっと将来はアフリカの諸国の信頼を得ることができる。これはひとえに日本が軍隊を持たず、核兵器をもたないことによって可能となる。イラクに自衛隊を派遣したときも日本がイラクにやってくるといえば、イラクの国民の期待は自分たちを雇用してくれる企業がくると期待したのであった。今のイラクの状況ではそれは不可能なことくらいは賢明なイラクの市民はわかっていたはずだが、それでもそういう期待が大きかったことは覚えておかなければならない。
もう一つ大事なことは世界経済の相互依存がいまほど進んでいるときはないのであって、中国で反日デモがあったとしてももう中国は単独では生きていくことはできない。それはもちろん日本も同様である。日本や中国のアメリカとの相互依存はもちろん言うまでもない。第一どうやって日本人が生きていく食料を手に入れるのだろうか。戦争があれば、もちろん戦争によって人が死ぬことが起こるが、それだけではなく国民全体が飢えることにもなる。だから戦争はもうできないのである。
だから憲法9条を改定しても戦争はしないよと政治家は言うかもしれないが、でも軍隊を持つことを宣言すれば、つい外交的努力を惜しんでつい武力に頼りたくなるのは別にアメリカに限ったことではない。それがとても拙劣なやり方であってもそういう手段に訴えたくなるし、国民からそういう声が大きくなれば、政府がそういう手段に訴える可能性はとても大きい。
アメリカのいい友達としての日本の国はもっとアメリカに率直に忠告をしなければならなかったし、これからも忠告をしなければならないのだが、それを歴代の日本政府はして来なかった。これは日本の外交が拙劣であったことを示している。それによってアジアでも日本は信頼を得ることができていない。
識者によるとすでに70年ほどの昔に石橋湛山が日本の行く末を予言していると言う。そしてその提言を時の政府はまったく聞き入れず第2次世界大戦によって日本の敗戦に至ったという。そのような経済や外交、政治、技術を見渡した視野と見識のある人はもう日本にはいないのだろうか。もしそうなら、嘆かわしいことである。