今年から松山大学薬学部の非常勤講師となって、基礎物理学を教えるようになった。
今週の月曜日に第1回の講義をした。第1回はどのような講義をするかということや授業のやり方を中心に説明を行った。
また物理学ではきわめてものごとを簡単化して理解をするということを述べて、講義の最後にアンケートをとった。
大多数は高校で物理を履修していない学生だが、2割くらいだろうか取得はしたがあまり得意ではないという学生たちがいる。
それよりもっと少ないが、自分は物理が得意だとか好きだとかいう学生もいるのは心強い。
でもアンケートをとって心配になった。私の物理の講義に対する期待が大きすぎるのである。
高校で物理を履修した学生はその式の多さにうんざりしていて、そういうものでない物理を期待している。また、物理を履修していない学生はもっと分かりやすい物理を期待している。
そういう授業が果たしてできるのだろうか。数式を使わない物理を期待されてもそれはまったく無理というものであろう。
また数式のない物理は無力ではないか。できるだけ直観に訴える物理の授業をしたいとは思っているが、それでも数式なしという訳にもいかない。早速次回は微分を使わなくてはならない。
渡す教材のプリントには2次式が出てくる。微分の定義式も出てくる。それを見て彼等はどういうだろうか。
誤解を恐れずに言い切ってしまうと、数式は一つの言葉である。これを習得すれば、世界が大きく開ける。まるで英語を話せれば、世界の人々と相互理解ができて視界が開けてくるといったように。
それと同じようなことが数式という言語を使うときにある。また数式を計算していくことでひとりでに数式が考えてくれるという風な感がある。
このことが出来るためにはちょっとした計算をできるためのある種のトレーニングが必要であり、ある程度の苦難を乗り越えなくてはいけないのだが、一般の学生にはそれは乗り越えがたい壁のようなものであろうか。
私は高校のときに数学でつまずいたことがあるので、彼等の心境を少しは理解できるが、それでもやはり専門家になりすぎている。
大学で物理を数式なしで教えられるという先生もいるかもしれないし、また物理は数学ではないのも事実だが。