物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

今年は暖冬だったか

2016-02-29 17:40:19 | 日記
どうかはどうもわからない。ただ、仕事場で午前中を除いてエアコンを22度に設定して作動させているので寒いと感じたことはなかった。というわけで私は暖冬だったと感じている。午前中はあまりエアコンを作動させた記憶がない。

例年は20度前後に設定しているので、寒いと感じたことは一度ならずある。今年の22度の設定はかかりつけの医師が私の血圧が高めだから暖かくしていなさいと言ったことを忠実に守っているからである。

もっとも夕方からドイツ語のクラスがあったときなど、夜の9時を過ぎて帰るときに車のヒーターはすぐには温まらないので、寒い思いをしながら帰ったことが数回ある。だが、全体的に冬としてはあまり寒いと思ったことがなかったような気がする。

これはひょっとしたら、老人になったために寒さ暑さに鈍感になっているせいかもしれない。

90秒のために

2016-02-29 11:21:09 | 日記
人生を棒に振る必要はないとある弁護士が言っていたと妻から聞いたことがある。

これは交差点での赤信号の待ち時間は90秒くらいだ、もっと長くても2分くらいだということから来ている。交通信号が赤に変わろうとする瞬間とかまたはすでに赤になっているのに交差点に車を乗り入れて交通事故を起こすことがあるからである。

赤になったときにまったく交差点に入らなかったという自信はない。しかし、このことを聞いてからは無理をしないことにしている。

90秒を節約するために交通事故を起こしたのでは割に合わない。多くの人にそういう気持ちになってほしいと願っている。

ここにも影響が

2016-02-27 12:56:58 | 日記
ある。ということを示しているというのは最近の Spiegel online に出ていたとドイツ人の R 氏から教えられた。それは発がん性があるのではないかと疑われている、農薬の Glyphosat がビール1リットルにつき29.74マイクログラムも検査で見出されたという。

ドイツで読む飲まれている14種類のブランドのビールのなかでこの Hasser"oder という南ドイツで一番よく飲まれているビールの含有量が上に挙げた数値であったという。

ちなみに飲み水に含まれる農薬の許容量は0.1マイクログラムであるというから、このビールには飲料水の約300倍の農薬が含まれていることになる。

R 氏はこれはすでに TPP の影響だと推測しているが、その推測は推測として、アメリカのコンツェルンの Mosanto がこれに関係しているとなるとやはり無関心ではおられない。

この Mosanto はすでに遺伝子組み換えの農産物をヨーロッパに輸出するということで識者の反対を引き起こしているからである。その反対の映画がすでにつくれているが、その映画を見たという人は日本ではまだそんなに多くはないだろう。

もちろん Monsanto も2年か3年の間自分の農場でつくった農産物の動物への影響を調べてはいる。その期間にはあまり影響は表れていない。しかし、フランスの研究者がもっと2年とか3年を越えて長期にわたってその遺伝子組み換え農産物の影響を調べたところが大いに影響があるということをすでに報告していると映画では言っていた。

だから、遺伝子組み換え農産物でも長期にわたってその影響を調べておく必要があるのだが、Monsanto はそういうことはしない。

農薬の Glyphosat も多分同様なのではあるまいか。ビールは嗜好品ではあるが、ドイツでは飲み水代わりによく飲まれる。これはドイツの飲料水が硬水であるためでもあるが、なかなか難しい問題を含んでいる。

たぶんドイツでもこのことはこれからもっと議論されるであろう。

原因と結果

2016-02-26 10:07:40 | 日記
内戦があり、不穏の状態がシリアなどで続いている。このことを軍事産業の陰謀とみる見方ははっきり言って腑に落ちておもしろい。

ロシアとアメリカとフランスとトルコの経済的な思惑が絡んでいるとすると一刀両断で了解ができる。それがほんとうの真相かどうかはひとまず置くとしてのそういうものの見方ができると単なるヒューマニズムではことが解決しないということがわかる。

特に現在のように世界全体が不況であれば、資本はどこで利益を上げられるかと考えて紛争が自国では起きないこと、それも自国から遠い国だともっとよい。そこで紛争があれば、武器弾薬の在庫はなくなって軍事産業としてはまた製造できる。そしてその利益は自分たちの産業界にまるまる入る。

そんな身もふたもないことを誰が考えているのかと言うと資本を動かしている当事者だろう。そしてそのことは知らない顔をしていれば済む。マスコミには報道できることと報道できないことがあるから。

国の大統領だって、首相だって選挙のときにお金がいるから、そのときに資金援助をしておけば、自分の産業には悪いようにしない。それをあまりここまであからさまに言うとそんな志の低いことはないと、どこの国の大統領だって、首相だって言うだろうが、結局はそういうことだろう。

というのはどうも国民が貧窮して国民自体に物を購入する力が低くなっているからだ。これは私など年金生活だからやはり買うものは少なくなっている。それは例えば、出版業界の不振につながっている。

それでも新聞広告を見ると日本ではとても多くの書籍が出版されている。誰が読むのだろうと思うような書籍を出版してくれる出版社はある。

極端な話が著者が出版の費用を負担する自費出版なら、それが売れようが売れまいがちょっとした費用が会社に入るのでOKである。また、それが出版に値するかどうかもどうでもいい。経済は道徳をも退廃させる。

今日は試験日

2016-02-25 14:19:01 | 日記
国公立大学の試験日である。試験はいつになってもいやであるが、とくに大学の入試となると緊張をする。とはいってももう私の年齢になると大学入学試験を受けたのも55年以上も昔のことになる。

半世紀以上も昔のことになるからだろうか、あまり入学試験の夢は見ない。試験自身はあまり成功した覚えがないのだが。

それよりも大学に入った後での学部への進級条件を満たしていないという夢の方を見る。実際にはそんなことはなかったのだが、一度英語の単位が2単位たらないと成績簿に表示されていたのでひゃっとしたことがあった。このとき英語の先生からは単位を出してもらったという保証を得ていたのだが、やはりそれでもいい気はしなかった。

そのせいかどうか体育の単位が足らないとかそんな夢をよく見たものだ。さすがにそんな夢は見ることが少なくなったが、そのかわりどこかへ旅行しようとしているのだが、その準備ができないとか何か障害ができて旅行に出かけられないか、出かけたとしてもなかなかたどり着けないという夢は今でもみる。

切符を買うことができないとか汽車に乗ろうとするのだが、その電車に乗り遅れてしまうとかいう嫌な夢である。

m と n

2016-02-24 14:13:26 | 日記
m と n とはよく似たものだと思われている。ところがちがうところもある。最近知ったことだがドイツ語で m が語尾にあると発音するときに口を閉じるという。それに反して n は発音するときに口を閉じないのだという。

これはもう10年以上も昔のことだが、フランス語で faim という語があるが、これはファンと発音してファムではないという話を石井先生がされていた。石井先生は数年前に亡くなられたが、東京大学の仏文科で大江健三郎氏と同級生だった方である。

ちなみに、普通にはフランス語で ai とあるとカタカナで表すとエと発音するがここではfaimはフェムとは発音しない。

faim に話を返すと j'ai faim というと「お腹が減っている」という意味である。フランス語の先生として石井先生はfaimをファムと発音する学生が多かったという経験をされていたのであろう。

東京に新橋という駅があるが、これのローマ字綴りがShimbashiであることを学生のころに知ったときに、Shinbashiではないのかなと思ったりしたことがある。p とか b の前の n は m と綴るのが慣用らしいと知ったのはその後である。たとえば、いま思いついた英語でjumpというのがあるが、p の前は n ではなく m となっている。

そういえば、ドイツに昔フンボルトという博物学者がいたが、彼の綴りはHumboldtである。b の前は n ではなくて、m である。

(2016.3.9付記) 「する」という意味のfaireだとフェールと発音する。ところがje fais, tu fais, il fait,
nous faisons, vous faites, ils fontと現在時制では活用するが、nous faisonsはヌーフゾンと発音してヌーフェゾンとは発音しない。これは初歩のフランス語を学ぶときにフランス語の先生が必ず「発音が例外です」と注意するのが普通である。

デカルトは

2016-02-24 10:53:18 | 日記
デカルトは大好きな麻寝坊ができず、スウェ―デンの女王様に朝の5時から講義をして、北の国の寒さのせいか肺炎に罹り50数歳にして亡くなったという。

私もやはり朝寝坊であり、12時に寝ると8時半くらいに目を覚ますが、1時を過ぎて寝ると9時過ぎまで寝ている。

妻があまり怒らないのでやれやれであるが、知人には私が9時まで寝ていて起きてこないので困るとか愚痴をこぼしているらしい。

そうはいっても妻自身もあまり早起きではない。子どもは誰ももう家にはいないし、11時ころには寝るが起きるのは7時半か8時である。

結婚してすぐの頃に妻の叔母から「 A ちゃんはお寝坊さんでしょ」とよく聞かされた。というのも花のOL時代にはこの叔母の中に妻は同居させてもらっていたのだ。叔父は5時から起きて英語会話のテープを聞いているというような勉強家であったが、「海外出張のときには通訳がつくからね」といつも言っていた。

それでも自分でもある程度は英語ができることを自分に課しているという勉強家の人だった。ある会社の役員をしていたが、妻はその縁故で同じ会社に勤めていた。

叔父の方は結構早く迎えの車で出勤していたが、彼の姪であった私の妻はギリギリまで寝ていてラッシュのころに電車で出勤していた。東京丸の内のあるビルの中にその会社はあった。もう半世紀近くも前のことである。

ボルケナウ『封建的世界像から近代的世界像へ』

2016-02-23 10:32:37 | 日記
という書は大学の先輩の助手の方から「読んだらいいよ」と勧められたことがある。とはいってもこの先輩の助手の方は歴史専攻の方であり、その当時私は理学部の大学院生であり、彼は文学部の助手であった。

これはなぜそういうことになったのかよくいきさつは覚えていない。なにか弁証法の問題だったか何かのエッセイを私が書いたのを読まれたのかどうであったか。そういうエッセイを書いた覚えもないのだから今となってはよくはわからない。その T さんという方がその後どうされたかも存じ上げない。

ボルケナウはこの書を書いたときには進歩的史観の方であったと思うのだが、その後思想的には変わられたというふうにもどこかで読んだことがある。

それにもかかわらずボルケナウのこの書は名著であるらしい。実はいま広重 徹氏の『科学と歴史』の第1章をパソコン入力している。その文章が長いので私はうんざりしながらの、思いついたときどきの入力だが、いま開かれているページの最後の行にこのボルケナウのこの書のことが書いてある。

この書を一度も開いたことがないけれども、大学の図書館かどこかで探して読んでみたいとは思っている。

重力波の観測

2016-02-22 18:07:03 | 日記
についての番組を昨夜Eテレのサイエンスゼロで見た。

重力波の波長のスペクトルは

(1)超新星爆発
(2)中性子星の合体
(3)ブラックホールの合体

の3つでそれぞれ違っており、観測されたスペクトルはちょうどブラックホールが合体してできたスペクトルと一致していたとの説明があった。

これらのそれぞれのスペクトルはそれぞれ特徴が明確に異なっており、それらがまぎれることはなさそうである。

二つのブラックホールの質量とかも計算ですでにわかっており、それとあわせて考えると一つのブラックホールが太陽の39倍の質量と26倍の質量のものとだったという。いろいろの質量の組み合わせは5500種類くらいをすでに計算で出しているとか言っていた。

そしてそれから太陽の質量の3倍のエネルギーが合体のときに放出したとされる。スペクトルの観測がとても難しかったのだがそれさえできれば、後はかなりの精密科学になっていることを知った。これからこの分野に進む若者も出て来ることだろう。

なお、一般相対論の実験的検証として挙げられていたのは

(1)重力レンズ
(2)時間のおくれ
(3)重力による光のスペクトルの赤方偏移
(4)水星の近日点の移動
(5)重力波の存在

の5つであったらしいが、最後まで残っていた重力波の観測が今度発表になったというわけである。

サーファー

2016-02-22 11:15:40 | 日記
という映画をテレビで見た。 22歳で亡くなったという伝説的なサーファーの映画である。

波に乗るのがサーファーのするべきことである。それで思い出したのだが、ソリトン研究で有名だった広田良吾さんの話であった。

これは非線形数学が専門だった数学者の K さんが非常勤講師に呼ばれたのがこの広田さんだった。その講義のはじめの頃に広田さんは波の上の部分が速度が速いことを指摘されていた。

もちろんソリトンは水の波だが、波が形を崩さないで伝わっていく。それが水の粘性のためだったかどうかは覚えていないが、ともかく普通の水の波とソリトンとが違うところはその波の形くずれないことにある。

サーファーの乗る波はこのような形の崩れない海の波ではなく、時間が経てば崩れるような波である。それは波の上の部分が下の部分と比べて速度が速いからである。

有名な北斎の波間の富士の絵を思い出してほしい。波の下の部分は上の部分と比べて速度がおそいので波の上の部分には下の部分がついてこれなくて、上の部分が重力で下の落ちて白い波がたつ。

このサーファーという映画を見ていて思い出したのはこのことであった。この映画がどこの話であったのかははっきりしなかったが多分カルフォルニアのようなアメリカの西海岸のことであろう。

普通に天気予報では瀬戸内海沿岸の波の高さは1m未満である。太平洋側の高知県では普通でも1mくらいだが、ちょっと風が強いと2~3mくらいの波が立つ。この映画ではサーファーの好む名所では8mくらいの波が立つというからすごい話である。

よくわからないこと

2016-02-20 11:32:36 | 日記
よく知られた初等数学のある事柄についてわからないことがところどころある。それでそのことをよく考えてみて自分なりの答えを出して数学エッセイとして書いて来た。

その事柄について他の人がどう書いてあるかと文献を探し読むことがあるが、なかなかずばりと答えが書かれているのを見つけることは少ない。世の中の人々は私とは違って頭がよくてあまり疑問には思わないのか。そこがわからないことである。

そういう話題の一つに「グラフの平行移動」があって、そのことを追求して自分なりの答えを出して、愛媛県数学協議会の機関誌に以前に発表した。

2次関数のグラフの平行移動については「近傍で見たら法則が同じ」という観点から書かれたすぐれた解説を故矢野 寛(ゆたか)さんの論文でこれはかなり昔の論文だが、最近読んだ。

このグラフの平行移動は2次関数でも現れるが、三角関数ではもっとしばしば現れる。むしろグラフの平行移動が気になりだしたのは私には2次関数グラフの移動ではなく、三角関数のグラフの移動に関してであった。

他の人がこのグラフの平行移動に関してどう考えているかには関心があるので、県立図書館で『図解雑学 三角関数』(ナツメ社)を借りて来て、「波をずらす」という項目をみたが、その説明に間違いはないのだが、私の直観的な疑問についての説明はない。

なかなか難しいものだと思う。私の直観的な思い込みというのか何かわからないが、疑問が生じたときにそれをどうやって解きほぐすのか。

それともそういうある意味で間違った疑問を感じたことが一般の人々にはあまりないのだろうか。そういう事項について書かれた本があればいいのにといつも思っている。

これはいままであまり疑問には思ったことがなかったけれども、線対称とか点対称とかについての解析幾何的な説明をどこかに書いてあるかと調べても、そのことをきちんと書いた本を私はあまり見つけられなかった。もっともこれについては武藤先生の本にそういう説明を見つけた。それで武藤先生の説明を私なりに補足していま書いている数学エッセイの付録につけることにしている。

こういうあまり説明がない事項はある意味で中学・高校数学のニッチな箇所であり、そういうニッチな箇所を説明した本が欲しい気がしている。

チャプリン・ザ・ルーツ

2016-02-19 15:51:53 | 日記
というマネキネマの第98回例会の後の感想に私のアンケ―トが採用されていた。

なかなかよかった。チャーリーの外マタ歩きはいつみてもおもしろい。スケートをすべるときは外マタですべるので、このことを思い出した。まるでペンギンが歩いているようでこっけいである。チャーリーはいつ見てもおもしろい・

ブログに書いたら、なんとたったの2行しか書いていない。

幕が上がる

2016-02-19 15:33:35 | 日記
というタイトルの映画を見てきた。高校演劇部の女子高校生の演劇にかける話で、別に涙々の話ではないのだが、涙が出てとまらなかった。主役が桃色クローバーzの若々しい女の子たちでそれに美術の先生で演劇の指導をしてくれるのが、いま人気が絶頂の黒木華さんとくれば、営業的にも成功するであろう。

それをマネキネマで見せてもらえるのだからありがたい。

もっとも私は演劇の何たるかもわからない老人であるが、原作は劇作家の平田オリザさんと来れば面白くないわけがない。ということで感想を書けと言うので感想をマネキネマにかいてきたところである。監督は本広克行さんで、この方も商業映画の有名な監督さんであるらしい。

「原発は滅びゆく恐竜である」

2016-02-18 15:37:22 | 日記
というタイトルの水戸巌さんの本を県立図書館で借りてきた。緑風出版から2014年に出版されている。

水戸さんは物理学者だったが、原発にはことに厳しい目を向けていたらしい。その53年の生涯に結構な反原発の論文を書いたり、講演をしたりしている。私は高木仁三郎さんの著作集を買ってもっているが、水戸さんもいろいろなことを書いていたらしい。

物理学者が自分の専門の研究をしながら、かつ反原発活動をするということは楽なことではない。高木さんとも水戸さんは原子核研究所時代に多分同僚でもあったろうから、そういう意味では気心が通じていたのであろう。

一方で、山が好きで登山を好んでいたらしい。彼と彼の二人の子息との山での遭難はまだ耳に残っている。水戸さんは私の友人の N さんの大学時代の先生の一人でもあった。

この書は私の武谷三男の文献検索から見つかったもののひとつである。この中に短いものではあるが、武谷の水戸さんは「最も謙虚で最も勇敢な人であり、権威を求めなかった」という評が書かれている。ということで期せずして武谷三男著作目録への追加が一つできた。

この機会に改訂が延び延びになっている、「武谷三男著作目録」第5版(第4版は「素粒子論研究」電子版に発表済、第5版も同じところに発表予定)を作成してはどうかと思っている。すでに準備はしているが、追加すべき文献がかなり多数になってきているので、時間がかかりそうである。

国会図書館の文献検索にかなりその後の文献とか未見のものがありそうなのである。もっとも国会図書館の検索には載っていない情報を私の目録には載せているつもりである。

「思想の科学」私史

2016-02-18 12:23:09 | 日記
を昨夜1時過ぎまでかかって読んだ。特に新しい発見はなかった。というのも大抵はどこかですでに鶴見さんが書いていたり、語っているような気がしたからである。

だが、やはり彼が語るとやはり歴史の証人としての重みが違う。ちょっと新しさがあると思ったのは「思想の科学」の前史として「世界文化」とか「土曜日」とかがあるという何回も聞いたり読んだりした、指摘よりも自分自身にもアメリカでの勉学だけではなく日本に帰って来てからの日本人を恐れていたという心の前史を今更ながら認めたことであった。

これが共同研究「転向研究」へと導いた動機でもあったとか。すでに名のあった人が転向研究をはじめる会にこられて「非転向」研究なら参加するのだがとか言ったというこぼれ話が出ていた。

転向研究だから興味深いという視点がこのすでに名のあった人たちには欠けている。そこらが鶴見さんが長年にわたって多くの書き手を見つけた理由でもあろうか。

これは鶴見さんとは全く関係がないけれども村上密牧師が破壊的カルトのマインドコントロールを学ぶのに鶴見さんたちの研究「転向」を参考にしたというのは村上さん自身から語られると、学問とか方法とかも深いものだなと感心をさせられたものである。

ここに村上密さんたちの戦略的なオリジナリティがある。それだけではなく彼が常に戦略的な思考をしていることが彼を他のカウンセラーよりも一段と高い位置においている。鶴見さんは破壊的カルトのマインドコントロールの研究に自分たちの転向研究が役立っているとは終生そのことを知らなかったかもしれないが。