物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

今日で4月もさよなら

2024-04-30 10:41:43 | 数学
今日で4月もさよならである。今日は4月30日なので。

そして連休の谷間に数日入る。そしてまた連休である。その後は普通の日々が続く。

私の関心することが長くは持続しないので、いまは昔つくったe-Learningのコンテンツのlatexへの書き換えに関心がある。

しばらくは以前に書いた数学エッセイのフォーマットを書きかえていた。中学・高校数学についての数学エッセイのフォーマットを書きかえた後で一般の数学エッセイのフォーマットを書き換えていた。

それがすべて終わるかどうかのころにもうほぼ20年前くらいに書いていたwordで書いていたe-Learningのコンテンツのlatexへの書き換えを始めた。

もっともこれは全体で14の章からなるものであり、はじめからやる気が起きなかった。だが、調べているうちに、14章のはじめの5章くらいはlatexに書きかえることを始めていたことがわかった。

もちろん、それらが全部完成したものではなかったが、それでも始めからする必要がないということがわかったので、ちょっと食指が動いたのである。

このe-Learningのコンテンツは大学の理工系学部に入ったが、学業を続けることができないと感じている学生を対象にした高校数学の復習である。

もっとも題材を私の比較的よく知っている、初歩の物理から問題とかを選んでいる。それでこれを一度読んで下さったある出版社の方が出版しないかと熱心に勧めて下さったのだが、三角関数の章がないから断ってしまった。




連休の谷間

2024-04-29 10:58:34 | 日記・エッセイ・コラム
連休の谷間という語があるかどうかは知らない。今日は4月29日でまだ祝日である。明日から5月2日までは連休の谷間の日常の日がある。その後はまた3-6日まで祝日である。 

もうすぐ、ようやく8歳になる孫がおばあちゃん(私の妻)に昨日電話をかけてきた。これは連休で暇で退屈だから、もし夏休み等に一緒にいたら、何か面白いことをさせてくれる祖母に電話をしたかったためらしい。

別にとりとめもないことを話していたが、その思いは祖母である妻も同じだったらしい。もっとも妻は5月にある年金者組合の展覧会に作品を出すために八代亜紀の歌「舟唄」を書に先週の土曜日だったかに書いていたから、少々お疲れ気味である。

もっとも妻はこういう芸術的な行為を好むので、彼女が少し疲れることがあるのはしかたがない。妻も私もいまから孫との夏休みが楽しみである。



過去の自分と向き合う

2024-04-28 10:41:17 | 本と雑誌
「過去の自分と向き合う」などとかっこうのいいことを言うと哲学めいて申し訳ない。

要するに、昔書いたブログを再度読んでいるだけである。そして文字とか助詞とかがまちがっていると修正をするという作業を毎日している。それも楽しんでいる。

いや、どういうブログが読まれたかが私にわかるシステムになっているので、読まれたブログを再度自分で読んで、言い足らない部分を補ったり修正をしているだけだ。

これが結構楽しいし、私はそこつものだから助詞がちょっとおかしいなどということはたくさんある。

場合によっては話題をつけたしたりしている。昨日も大きく書き加えたのは『博士の愛した数式』というブログである。これは言わずとも知れた小川洋子さんの小説であるが、これに関係したオイラーの関係式e^{i \pi}+1=0についてである。

これを\pi , e, i, 1, 0という不思議な4つの数の間に成り立つ関係などと不思議がる好事家もいるのだが、それは何でもない式なのだというのが私の持論である(注)。

だが、e^{i \pi}+1=0をありがたがる、そういう神秘主義者にとってみれば、私など毛虫の様かもしれないという話を追加した。そして、それは物理学者・武谷三男の故事に基づいているとも追記した。その辺の事情はここには書かない。私のブログを検索して見て下さい。

私の書いたブログを一度読んだ人が、時日が経って、同じタイトルのブログをもう一度読んでみるといつのまにか書き加えられた部分で、新しい発見があるのかもしれないとは普通は思わないですよね。

(注)\pi , e, i, 1, 0という5つの数字の中で\pi , e, iは不思議な数であるし、\pi , eは無理数である。


今日は恒例の雑談会

2024-04-27 11:41:52 | 本と雑誌
第4土曜日であるので、今日は恒例の雑談会である。今回が146回目だったかである。

よく続いているものである。世話人は私がずっと続けているが、そろそろどなたか代わってくれませんかと何回か申し出ているのだが、ではよし引き受けたという者が出て来ていないという現状である。

誰を次の例会のレポータとするかとかは相談するとしても、メールでの開催通知くらいは引き受けたという人が出て来てもいいのではないかとは私の妻とか私の思っているところである。

私の住居が会場であることまで交代しろとはいうつもりはないだが、どうなっているのだろうか。

妻は私たちのやっている会を医療生協や愛媛生活協同組合の班活動として、いつしか登録している。もともとはそういう活動とは無関係に出発したのだが。これは主として妻の組織力によるものでる。

例年8月は私の個人的な理由から、例会を行えないので、一年に11回しか開催できない会だが、146回を数えるということはすでに10数年は継続して行われているということである。



雑誌を取りに行く

2024-04-26 14:12:12 | 悩み
毎月雑誌を月末に大学生協の書籍部に取りに行くが、今日がその日だった。

いつもは23日か24日を予定しているのだが、今月は遅くなってしまった。水曜日の24日にとり行く予定が旧友が会いに来たので仕方がなかった。

話を聞いてあげる方が主でこちらから話すという風ではなかった。かなり運の悪い方なのでしかたがなかった。

離婚の経験のある方とかお子さんに死なれてしまった方とか人生はいろいろである。幸いにいままでのところ、子どもに先に死なれたり、私自身が離婚を経験したりという、波乱に富んだ人生ではないのはありがたいと思っている。

もっともそういう経験はしようと思ってするものではないので、そういう目に遭われた方はそれだけ人生が豊かに感情深くなっているのかもしれない。

ものは考えようではある。

難しいこと

2024-04-25 22:01:15 | 数学
負の数の導入で難しいことがある。これはマイナスの記号ーは引き算という演算を表す記号として使われていたが、いつのまにか負の数を表す記号ともなるともいうマイナスの記号の意味の2重性である。

こういう融通無碍なところが人間にあるのか、それとも数学にあるのか。慣れてくれば、それもまたいいことなのだろうが、そんなことをはじめて学ぶ中学生には混乱を招く気もする。

それで遠山啓さんは『数学入門』(岩波新書)で負の数字を表すために、数字の上にマイナスの記号をつけたりしている。一方、正の数の方は数字の上にプラスの記号をつけたりしている。

結局は数の前にーの記号をつけて負の数とする表記に落ち着くのだが、この記号の意味の2重性をどう説明するのか。

そういうものだという説明は一応できるだろうが、はてさて、どうしたらいいのか。中学校の数学の先生はそういうことでお悩みにはならないのでしょうか。



旧友に会う

2024-04-25 11:56:29 | 本と雑誌
昨日、数年ぶりに旧友に会った。

16時ころにこの友が泊っているところを訪れて彼の部屋で話をした。少しプラヴァシーに関係した話もあったので。私自身が話がしたいというわけではなく、彼の方から会いたいと電話があった。

夕食前にもいろいろ話をしたが、夕食中にも久しぶりにビールを飲みながらの歓談となった。私は普通にビールとかも飲めるが、それでもあまり飲むのが好きな方ではない。

それで私は生ビール2杯でもう飲みたくはなくなったが、彼は3杯は飲んだ。思ったよりは彼はよく飲む。

負の数の導入をどうするか

2024-04-24 12:13:01 | 数学
負の数の導入をどうするか。学習参考書とかテクストとかをいくつか取り出してきて見ているのだが、たとえば 3-7の引き算ができるように、負の数が導入されたと単刀直入に述べている、本をまだ見つけていない。

予備知識なしに負の数を導入するとすれば、やはりある正の数から、それよりも絶対値の大きな正の数を引いたときに、負の数を導入しないと「引き算ができないのだ」というのが理由である。

これだと有無を言わせぬ強いインパクトを与えるであろう。その後で負の数として取り扱えるいろいろな事例を挙げるのはいいことだろう。だが、はじめは強いインパクトがほしい。

同じようなことは虚数単位 i の導入にもある。「2次方程式の解があるように2乗して負となる数が導入された」というのが簡潔で力強くていいと思う。

虚数単位 i の歴史的な認知は、3次方程式で係数が実数だのにカルダノの解の公式で、虚数単位を用いて実数の解を求められた例からであるということは、よく知られている。

私もこのことを知って、これについてのエッセイを書いたことがある。関心のある方は「数学・物理通信」をインターネットで検索をしてほしい。


フレデリックとイレーヌ・ジョリオ - キュリー夫妻

2024-04-23 15:37:39 | 物理学
フレデリックとイレーヌ・ジョリオ - キュリー夫妻の簡単な評伝についてはセグレ『X線からクォークまで』(みすず書房)237-243ページを読んでほしい。またフレデリックについては参考文献の『ジョリオ・キュリー遺稿集』(法政大学出版局)を参照してください。

イレーヌは言わずと知れた有名なキュリー夫人の長女であり、体つきも性格も母親そっくりであったという。血筋とその母親からの教育によって母親と同じ放射線科学の研究に入った。

一方、フレデリックは物理学者ランジュバンの学生であったが、その並外れた技術的な才能を買われてキュリー夫人の助手として推薦された。彼は陽気で活発な上に気持もやさしくまた想像力にも富んだ人物であった。

彼らは後にチャドウィックが中性子の発見をするきっかけとなる現象を発見した。また1938年の核分裂反応の発見にきわめて近いところにいたが、この発見も逃している。しかし、1934年には人工放射能を持った物質を創成することに成功して1935年のノーベル化学賞を夫妻で受賞した。

フレデリック等はハーンの核分裂反応の発見後、すぐにその追試に成功し、また、その核分裂の際に2個以上の中性子が放出されることを発表した。すなわち原子核からエネルギーを取り出せることを示し、このことを機密にしておこうと思っていたシーラドたちを大いに慌てさせたのであった。

(注)ジョリオ - キュリーはドイツ語でいえばドッペル・ナーメ(英語でならdouble name)である。

日本ではそういう人はいないのだが、たとえば私が生まれは田中という姓名だとして、鈴木という女性と結婚したとする。こういうときに田中-鈴木という二重の姓名を名乗ることがあるのだ。

日本の法律ではそういうことが許されないのだろうが、そういうことをすることが少なくともヨーロッパではままある。

もちろん、キュリーはすでに世界的に有名な家柄として認識されていただろうから、ジョリオとキュリーとを合わせた二重の姓名を名乗ったのであろう。

上野和之『ベクトル解析』

2024-04-22 10:27:07 | 数学
現在のところベクトル解析に関心を持っている。それで昨夜も読み返したのが、表題にも書いた上野和之『ベクトル解析』(共立出版)である。

この本が抜群にいい。現時点における、ベクトル解析のテクストの決定版であると言っていいであろう。もし、これからベクトル解析を学ぶという人がいたら、絶対にこの本を推薦したい。

ちょっと気になったのはテンソル積のルールが例示されているだけで説明がないことである。

しかし、その欠点は何ほどのことがあろうか。この本のいいところと比べれば。本の定価は税抜きで2,300円だから高くはない。こういういい本は売れてほしいし、きっと売れているだろう。ひょっとして、数万部単位のベストセラーかもしれない。

字も大きいし、印刷もその図を含めた構成もきれいである。読んでいて気持ちがよい。頭の明瞭な方なのであろう。上野さんという方は。

続、ただ塾の先生

2024-04-21 18:01:02 | 数学
ただ(無料)塾の先生であることに問題が起きた。私とかに支障が出たわけでも、生徒さんに問題があるわけでもないのだが、いままで2年間の数学の復習をすばやくする必要が生じた。

どこが生徒さんにとって困難な点かも短期間で判断しなくてはならない。そういう事態だとは全く思ってなかった。場合によっては小学校の算数の復習もしなくてはならないかもしれない。そういう事態らしいことがわかった。

まずは負の数の導入の必然性とかをどうやって教えるのか、そのことが問題だと思っている。それもごてごてした難しい議論なしにである。

いまの私の考えでは負の数がないと引き算ができない場合が生じるということで負数を導入したらどうかと考えている。たとえば、3-5を負の数という概念を知らないと答えが出せない。

3-5=-2という引き算は負の数を知っている私たちにはなんでもないが、負の数の概念がないとどうやって引き算の答をだしたらいいのか。そういうことで負の数を導入しようと考えている。

それに合わせて0を導入しなくてはならないが、それらをどう説明するか。
   

シラード (Leo Szilard) 

2024-04-21 11:05:58 | 物理学
シラードについては参考文献『シラードの証言』(みすず書房)を参照してください。 またローズの『原子爆弾の誕生』(紀伊国屋書店)はシラードに焦点をあてて描かれているので、大なり小なりシラードの人物像に迫れるかもしれない。

とても機知に富んだ逆説的思考のできる発想の豊かな独自の気風と見解をもつ科学者であった。また、連鎖反応から核エネルギーを取り出せるのではないかと考えた核科学者の一人であった。 

伏見康治は『シラードの証言』のあとがきの中でつぎのように述べている。

『シラードは第一流の学者、たとえばハイゼンベルク、と並べては気の毒な科学者である。しかし、いささかの才気があり、新しいアイデァアを出すことを人生最高の目標としている。同じ質のことを繰り返してそれを組織化し、体系化するというようなことには、あまり価値を認めない男である。

その男がたまたま原子核反応が、化学反応と同じように、エネルギーの生産やその他のことに使えるはずだというアイディアにとりつかれていた。そして、そこへ、ハーンとマイトナーのウラン核分裂の発見のニュースが飛び込んできた。

シラードはナチスドイツから追い出されて、流浪の末にアメリカに来て、そのドイツが原爆を先につくりあげて世界征服に乗り出すのではないかという政治的なアイディアにとりつかれた。

その結果が、アインシュタインを説いて、アメリカに原爆計画のイニシアティブをとらせることになった。ーーー

ナチスドイツが壊滅して、シラードとしては用のなくなった原爆を使わせまいとして、再度黒幕として政治の水面下で働いたが、今度はうまくいかなかった。

彼は「原爆をつくらせようとして成功し、使わせまいとして失敗した男」なのだが、その失敗にもかかわららず、アイディアの創出こそ人生の価値だとする彼の信念は揺るがなかったようである』

シラードは科学を相当に学んだ人でも、現在では知らない人が多いのではないかと思う。残念である。

ただ塾の先生3日目

2024-04-20 16:36:03 | 本と雑誌
ただ塾の先生3日目というよりは3回目といった方が正しいだろうか。4月6日に始まったが今回で3回目であった。

生徒さんは2人である。それも1時間ごとの交代である。それに先生は私も含めて2人である。先生の方が多いという。こういう塾はあまりないのではなかろうか。

成功とか不成功とかはまだわからない。あまり成功とは言えない塾となるのであろうか。なかなか先は読めない。

エンリコ・フェルミ3

2024-04-19 10:28:41 | 物理学
エンリコ・フェルミ1と2とはフェルミの学問的業績に触れたが、彼らの教育的業績については触れなかった。それについては優れた彼の学生であり、かつノーベル賞受賞者のC. N. Yangの文章から引用しておこう。

『よく知られたているように、フェルミは水際だったすばらしい講義をした。これは彼の特徴的なやり方であるが、それぞれの題目について彼はいつでも、最初のところから出発して、単純な例をとりあげ、できるだけ「形式主義」を避けた(彼はよくこみ入った理論形式は「えらいお坊さま」たちのものだと冗談を言った)。

彼の論証は非常にすっきりしているので、ちっとも努力をしていない印象を与えた。しかし、この印象はまちがっている。すっきりしているのは、注意深い準備と、いろいろの異なった表現の仕方のうちどれを選ぶかを慎重に考慮した結果のためであった。ーーー

週に1-2回、大学院生のために非公式の、準備なしの講義をしてくれるのがフェルミの習慣だったた。グループは彼の部屋に集まり、フェルミ自身か、ときには学生の誰かが、その日の討論のために特別の題目を提起した。

フェルミは、綿密に見出しのついた自分のノートを探し回って、その題目に関するノートを見つけ出し、われわれに講義してくれるのだった。---討論は初歩的水準に保たれた。題目の本質的、実質的部分が強調された。大抵いつも、分析的ではなく、直観的、幾何学的な取り組みであった』

このようなすばらしい教育を受けた人たちが羨ましい。またフェルミはいくつかの講義ノートを残しており、それらはいまでも学生に読み継がれている。

(エンリコ・フェルミ完)

エンリコ・フェルミ2

2024-04-18 12:38:24 | 物理学
(エンリコ・フェルミ 1のつづき)

フェルミの講義録である『原子核物理学』(吉岡書店)はさすがに内容が少し古くなってきたが、原著はシカゴ大学出版局から、訳書は吉岡書店からいまも出版されている。日本版の訳者の故小林稔先生(京都大学名誉教授)はまえがきでつぎのように述べている。

『イタリアの生んだ鬼才エンリコ・フェルミ教授はいうまでもなく原子核物理学の第一人者であり、人類が第二の火すなわち原子力を発見したのも主として彼の研究に負うものであって、彼は歴史上永久に名をとどめる数少ない物理学者の一人であることは疑いのないところである。

フェルミ教授は実験および理論の両方面に卓越した才能をもち、その業績も有名なフェルミ統計、ベータ崩壊の理論、量子電磁気学など理論的なものから、中性子衝撃による人工放射能、遅い中性子の選択吸収、さらに原子力解放の緒となった核分裂の現象、その連鎖反応など行くとして可ならざるものはなく、しかもいずれも物理学の根本問題を衝き、その自然認識の深さの非凡さは驚嘆のほかない。

イタリアにおいては僅かの放射性物質とパラフィンのみの実験室でよく世界の原子核研究に伍し、中性子の性質の探求にあざやかな業績をあげており、アメリカに移ってからはまさに鬼に金棒、現在もシカゴ大学の大サイクロトロンを主宰し、有能な同僚と弟子たちと共に原子核研究の推進に非凡の精力を注いでいる』

これはフェルミが亡くなる直前に書かれた彼のプロフィールである。ここにはフェルミの研究業績についてほとんど余すところはない。

(フェルミ3に続く)