物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

C'est la vie.

2022-08-31 12:14:47 | 本と雑誌
C'est la vie.(セ ラー ヴィー)というフランス語は直訳すれば、「それが人生さ」とか「しかたがないね」という意味らしい。

これはもう何十年も昔にどこかで読んだことだが、ある日本人がパリの地下鉄の駅でもう少しでその電車に乗れそうだったのに、眼前で電車の扉が閉まり、発車してしまったので、がっかりした様子を見た、中学生かだったかに、"C'est la vie"と言われたとか書いてあった。

これだと「しかたがないね」くらいの意味であろうか。いくらなんでも「それが人生さ」は大げさすぎる。

しかし、日本人の私たちにとっては「それが人生というものさ」とも解されるから、たかが中学生にこういわれるとがっくり来るか、または、フランス人はなにも人生まで持ち出さなくてもいいではないのかとかカチンとくるかもしれない。

それが的外れなのはいうまでもないのだが。

「数学・物理通信」の投稿者がいなくなったら、

2022-08-30 12:51:55 | 本と雑誌
もし、「数学・物理通信」の投稿者がいなくなったら、どうするか。

そのためには新しい投稿者をつくるような働きかけをする必要ができるだろう。自主投稿が基本だが、その自主投稿が減少したときの話である。

投稿してくれる可能性がある人々に働きかけるということをしなくてはいけないだろうと今思っている。

自分自身が主な投稿者の一人ではあるが、自分が何も書けなくなったら、発行月が来ても原稿が集まるまで発行が延期となるだろう。発行の月は3、6,9、12月の4回である。

9月は発行月であるが、私の用意しているのは「三角関数の還元公式4」と「球面線形補間の導出 ー金谷の導出法ー」を準備している。

「一般角での三角関数の加法定理」は6月か7月にかなり原稿を用意したが今回の9月にはたぶん間に合わない。入力とか図を描くところが間に合わないのである。というのは9月は他にも原稿をまとめる必要に迫られているので。


球面線形補間の金谷の導出法

2022-08-30 11:47:08 | 数学
球面線形補間の金谷の導出法について昨日からlatex入力を始めた。

ちゃんと文章だけは入力をしていたのだが、これが私の疑問点に偏りすぎていて、一般の読者にとって少し範囲が狭いと感じたので、もっと金谷さんの書いていることへの予備知識も付録として、書くことにした。そうしないと私の述べたかったことが十分に理解してもらえないと感じたからである。

実は問題は金谷さんの『CG-3Dプログラマーのためのクォータニオン入門』(工学社)と彼のインターネットのサイトにあった資料『ベクトル・複素数・クォタ―ニオン』だけではなく、金谷さんの本を参考にしたのではないかと思われる『3Dグラフィックスのための数学入門』(森北出版)の球面線形補間の説明にも影響が及んでいるのではないかと感じている。

こちらは3人の著者の著作だが、この球面線形補間の説明に限って言えば、なんだかすっきりしない書き方である。私の『四元数の発見』よりも1年ほど後の発行だが、私の本を参照することができなかったらしい。

私にも自分の本を執筆中に出版された、関連するかもしれないタイトルの本があるのだが、それを購入して読むというようなことができなかったという、似たような経験があるので、仕方がないと思うが、残念なことである。

(2023.11.1付記) 表題の「球面線形補間の金谷の導出法」についてはすでに「数学・物理通信」12巻5号(2022.9.9)に掲載されている。

金谷(kanaya)さんがすでにご自分の本の中でご自分のあまり正確でなかった記述を修正しておられるかもしれないが、もしすでに修正をされていても私はそれを知っていないことだけを述べておく。というのも彼がご自分の本の改訂版を出されたということだけを知っているだけなので。

インターネットで数学・物理通信で検索すれば、名古屋大学の情報学研究科の谷村省吾先生のサイトに「数学・物理通信」のすべてのバックナンバーが収録されている。

いつも谷村先生ありがとうございます。

(2023.11.7付記) 金谷(kanaya)さんを金谷(kanatani)さんとまちがえて書いていた。ようやく気がついて修正をした。金谷(kanatani)さんの名誉を傷つけてしまったとすれば、お詫びするしかない。




昨日の日曜日は久しぶりに

2022-08-29 12:21:15 | 本と雑誌
昨日の日曜日は久しぶりに子どものオンライン帰省があった。下の子が企画して上の子と孫も参加した。

はじめから予想されたことだが、たった一人しかいない、孫のワンマン・ショーとなった感があるが、これはしかたがなかった。私もあまり口を出さないようにして、妻が主に孫との対話を試みた。

孫が主にしゃべったので、大人はほとんど誰も話をしたという感じは持たなかったと思う。

それでも直に画面上でも久しぶりに元気な姿を見ることができたのはよかった。



27歳になった年の4月

2022-08-27 10:55:07 | 物理学
私が27歳になった年の4月であった。その前年に3年越しの研究がようやく完成して、博士課程の3年生(最終学年)になった。

私があまりできのよくなかった学生だったために、修士課程のときに与えられた課題が迷路に入り、にっちもさっちもいかなくなった。

この研究は広く言えば、核力研究の一環の研究であったが、たぶん私の力量を正確に推測して、同級の H 君と私に先生の S さんから、与えられた課題であったのだが、その処理を誤ってしまった。そのどこでどうまちがったのかがまったくわからないという事態に至った。

どこかがわるいことは明白だが、それがどこかわからないという事態である。ある計算結果がわるいのだが、別のある計算結果に注目すれば、それがわるい感じはまったくしないのに、他の計算結果は一目瞭然でおかしいのだ。だから私たちを指導されていた先生方からは、お前たちの結果はまちがいだと言われていた。

それには一言も反論の余地はないのだが、一方で「私たちの計算に間違いはないのにな」との愚痴もH君と私の間では出た。

しかし、間違っている計算結果であることも事実である。そういう、うつうつした期間が長く続いた。多分2年以上であろう。

博士課程の2年目が終わる前の12月ころだったか、あるまちがいに H 君と私とが独立にほぼ同時に気がついた。これは新しく生まれる波動関数の正規化を元からある波動関数と同じにしているという、まちがいだという推測だった。

研究室一同でバスでスキーに出かけるときの朝だった。JRの H 市駅前で H 君とまちがいの原因について話し合った。スキー旅行から帰ってきて、コンピュータ・センターで H 君がその検討にとりかかった。

H 君は計算が達者な方である。ところがすこし計算していた彼が顔を曇らせてダメだと頭を振った。私はコンピュータで計算をさせていたので、その計算には加わっていなかった。

H 君はがっかりしてもう家に帰ると言った。彼が家に帰った後で、彼の計算をチェックして見たら、どこかに計算間違いがあり、そこを修正したら、確率の和が1となった。

計算の達者な H 君が計算間違いをしたからといって、彼を責めるのはまちがいであろう。それくらい私たちはもううんざりしていたのである。

それはともかくとして、まちがいの原因を突き止めたので、多くの計算が生き返った。それでその年末から論文を書くことができるようになり、それが完成したのは、ようやく博士課程2年目が終わるころだった。

その研究を提唱してくださった S さんと Y さんと H 君との共著論文を書いた。

博士課程3年目の4月に Y さんに頼んで、H 君と私とに別々の課題を一つづつ出してもらい、それが私の学位論文となった。研究が一段落したのは10月も終わりの方だったと思う(注)。その夏は帰省できなかったので、10月末にようやく帰省を果たした。

この研究の論文が雑誌のレフェリーを通ったのは1968年2月くらいだったと思うが、先生の Y さんの後押しがなかったら、学位などもらえなかったろう。

(注)この研究に際して Levi-Civita 記号の縮約の公式を使う場面があり、それが自分では導出できなかったので、これを先生の Y さんに頼んで導出してもらった。そのことが、後年に私がベクトル解析で使うと便利な Levi-Civita 記号の縮約の公式を導くという解説を方々で書くことのできた理由である。

Levi-Civita 記号の縮約の公式の導出(この公式自身は多くのテクストに載っている)をあからさまに書いた文献はそのころは珍しかった。私がその解説エッセイを書いたのは1985年だから、この研究からは18年後のことである。

このレビューは愛媛県数学教育協議会(民間教育団体:数学教育協議会の下部団体)の機関誌に1985年に発表したのだが、本として発行したのは2005年の『数学散歩』(国土社)が初めてである。

もっとも本としては、私よりも1年早く『ゲージ理論入門』II (講談社、1984)の演習問題の解として上智大学におられた藤井昭彦先生が書かれておられる。この本に出ていることを知ったのは私が2度目か3度目の解説エッセイを書いたころである。
 

考えさせられる量子論

2022-08-26 10:50:44 | 物理学
NHKのR2の金曜日10時からの竹内薫さんの「みんなの量子論・不思議で考えさせられる世界」の放送を楽しんで聞いている。

今日の再放送を車の中で聞いたのだが、内容ではなくて、そうだったかと始めて気がついたのが、「Diracの量子力学のテクストには図が一つもない」という指摘だった。

Diracの量子力学のテクストをあまり詳しく読んだことがないのだが、一時だが、大学院の講義として、その初めの何章かを購読したことがある。

しかし、「Diracの量子力学のテクストには図が一つもない」という事実にはまったく気がつかなかった。

ファインマン・ダイアグラムを使って、ある反応の散乱断面積を計算をして論文を書き、それが学位論文となったのは、たぶん竹内薫さんと同様であろうか。しかし、それももう50年以上も昔のことになる。

生まれて初めてのお盆休みをも返上しての仕事であった。このときはじめて日本では盆と正月は特別な休日であることを実感した。というのは近くのどの食堂もお盆休みは開業していなかったからである。



もし私がプーチン大統領ならば、

2022-08-25 12:19:48 | 本と雑誌
私のここで言うような決断はプーチン大統領はしないだろうから、ウクライナの戦争の行方は明らかではないが。

もし私がプーチン大統領ならば、という仮定でこの話を書いておく。

ウクライナでの戦闘をすべて即座に終えて、軍隊をすべてウクライナから退く。これはクリミア半島も含めてである。

そして、2度とウクライナに侵攻することはないと約束し、ウクライナに与えた被害に対して、戦争の勝ち負けにはかかわらず賠償金の相当額を払う。

その代わりに、ウクライナがNATOに加入しないことをウクライナとロシアとの平和条約で約束してもらい、そして時期が来れば、ウクライナとロシアが準NATO加盟国となることをNATOに認めてもらうように外交的に努力する。

シリアでのロシアの役割でもあまり褒められたようではないらしい。どうもどの国も自国が大国だと思うと態度がデカくなる傾向にある。これは日本自身も含めての自戒である。

いくら国が大きくとも隣国を武力で脅かすような振る舞いは厳に慎むべきであろう。周りの国から自然に尊敬と信頼を得るように努力する。

こういうことを今回のロシアのウクライナ侵攻の教訓として学ぶ必要がある。ウクライナに侵攻したために、それまで中立を表明していたフィンランドとスェーデンがNATOに加盟するというロシアとしては最悪の事態となってしまった。

これなど予期せざる負の効果であったろう。それくらいのことは始めから予期すべきであったのにまったく予期していなかったと思われる。






8月27日のパワーポイントはつくった

2022-08-24 12:49:32 | 本と雑誌
昨日、8月27日の徳島科学史研究会の発表のパワーポイントをようやくつくった。全体で11画面である。

それで数日の暇ができたから、今日から26日まで「数学・物理通信」の9月発行の原稿を数編つくるのに使うことになるだろう。

以前から用意している原稿があるのだが、たぶん完成をしていないだろうと思う。

しかし、今回は2号の発行にはならないかもしれない。別に2号を発行するという規則があるわけではない。

一つは球面線形補間の私のわからなかった金谷(かなや)の方法での導出ができたことを主題にしている。もう一つは三角関数の加法定理の証明に関係している。




On ne sait jamais ce qui peut arriver

2022-08-23 14:46:40 | 本と雑誌
                     On ne sait jamais ce qui  peut arriver.
     (何が起こるかわかったものではない)

どう発音するかをカタカナで拙くではあるが、書いておこう。

     オン ヌ セー ジャメ スキ プ タリヴェ

言語は音声が一番そのもとであるとすれば、カタカナ表記はあまりよくはないのだが、まったくその音を想像できない人にとって、助けになるだろうか。

しかし、これはその言語(この場合はフランス語を)よく知っている人からは、あまりそのカタカナ表記の音が元の発音に似ていないとの批判を招くのであろう。難しい。

8月27日のためにパワーポイントをつくらなければ

2022-08-23 12:39:38 | 科学・技術
8月27日のためにパワーポイントをつくらなければならないのだが、なかなかできない。

20分の講演時間であり、5分の質疑応答時間であるから、一つのパワーポイントの画面を2分は見せるとすれば、10画面前後のくらいはつくらなけらばならない。

話のタイトルとかは数秒ですませられるるから、いつも12枚の画面くらいを用意している。すでに8枚くらいを用意したので、あと4枚くらい画面を用意すればよいのだが。

今年の講演のタイトルは「他人から見た武谷三男8」というタイトルである。昨年に続いて、今年も伊藤康彦さんの『武谷三男の生物学思想』という本を取り上げている。

昨年よりも少し多く生物学の遺伝とか進化のことを本で読んだのが、まだやはり生物学には私は素人である。インターネット検索して、生物学の遺伝関係の記事も読んでいる。だが、即席の勉強ではあまり役には立たない。

コロナにかからなかったとすれば、何がよかったか。

2022-08-22 12:24:10 | 健康・病気
妻の友人がコロナにかかり、その友人と前日に昼食を一緒にとった妻も二日後に一日ほど寝込んだが、それほどひどくはなかった。
 
同居している私は「たぶん」コロナにはかからなかった。というのは妻は正式にはコロナにかかった証明を病院で受けているわけでない。

だが、一日ほど倦怠感を感じて、寝込んだことは事実である。だが、つぎの日とそのつぎの日に病院の発熱外来にスマホで申し込んだが、なかなかつながらず、つながったときには予約が満杯で診てもらえなかった。

あまり発熱しなかったと言ったら、抗原検査では引っかからないであろうと言われて、もう発熱外来に申し込むのを諦めたという、いきさつがある。ひどい症状がでれば、それでも何日も申し込みをしたであろうが、そういうことも起こらなかった。

それでも、私も同じような経過をとるだろうことを予想して覚悟をしていたが、まったく倦怠感も感じることはなく、熱も上がらないし、あれからほぼ1週間以上経った。

妻が私にも感染するだろうことを想定して寝る場所を隣の部屋に変えていたこととか、私は手をよく洗うこととか、歯磨きをよくすることとかが役立ったのではないかと思われる。

最悪を想定して、8月20日に予定していたある大事な会合をキャンセルしてもらったりしたのだが、最悪の事態にはならなかった。

その後、8月18日には4回目のワクチン接種を私は無事に受けた。



笑わない数学・虚数2

2022-08-22 11:46:46 | 数学
先日、「笑わない数学」として書いたが、もう一度(ー1)*(ー1)=1について直観的な説明をしておこう。

多くのブログにもこのことを疑問に思う主張もあるからである。もっともここに説明するようなことをコメントで述べている人もおられるのだが。

実数を表す数直線を考えてほしい。原点に0がある。その右側は正の数である。たとえば、+1とか+2とかである。

これらの正の数にー1をかけることは数直線をこの0の周りに180度回転することである。だからこの回転によって1はー1に、2は―2に行く。

数直線上の0の左は負の数を表している。ー1をかけることは数直線を0のまわりに180度回転することだから、ー1は0の右側の1のところへ行くし、ー2は2のところに回転していく。

要するに、1を1度180度回転すれば、1はー1に行き、もう一度180度回転すれば、1のところへもどる。

これが(ー1)*(ー1)=1の意味するところである。

笑わない数学の番組ではこういう風な直観的な説明をすべきであったのであろうが、残念ながら、こういう直観的な説明ではなかった。番組ディレクターにはつっこみの一層の徹底をお願いしたい。

これはまちがいかもしれないが、

2022-08-20 12:39:46 | 科学・技術
これはまちがいかもしれないが、以下は『現代生物学と弁証法』(勁草書房)を読んで思ったことである。

2013年3月に伊藤康彦さんの『武谷三男の生物学思想』(風媒社)が出て、武谷三男の生物学の知識は彼の不勉強のために論争にも値しないということを多くの人が納得したかもしれない。

だが、武谷三男のいう「裏の論理を確かめる」ということをしっかり実行していれば、もしかしたら、エピジェネティクスという現象を早くに見つけられていたのではなかろうかという疑問である。

伊藤さんの本ではエピジェネティクスという語はでて来ない。だが、昨日『現代生物学と弁証法』を読んで思ったことは、やはりそういう発想だった(注)。

武谷の「裏の論理を確かめよ」という主張は『現代生物学と弁証法』を読んでもはっきりとはわからないが、私にはエピジェネティクスのような現象がないか確かめよという主張だったような気がする。

そういうことを述べた論文にはまだ出会ったことがないのだが、そういう風に捉えるべきだったのではなかろうか。

伊藤康彦さんの『武谷三男の生物学思想』は科学史学会の出版賞か何かをもらった優れた著書らしいが、きちんと科学史学会会員で武谷の主張との整合性を詳しく調べた方がいなかったのだろうか。

私は最近になって、藤岡毅さんの『武谷三男の生物学思想』の雑誌「科学史研究」に掲載された書評を読む機会があった。これにもおよそ『武谷三男の生物学思想』の内容を認めるものであったが、唯一エピジェネティクスについての留保があったのと、思想には思想で克服しようという前向きな点は評価できる。

しかし、『現代生物学と弁証法』に載っている、執拗なまでの武谷の姿勢は学ぶべきではなかったろうか。これに対する言及はない。

武谷には現代生物学についての知識が皆無に近く、議論に値しないという伊藤さんの武谷への評価は考えなおす必要がある。というのはモノ―の本を読んでの武谷の発言が『現代生物学と弁証法』にはいろいろ出ているからである。この辺の事柄を伊藤さんはどう考えられたのであろうか。

こういったからといって、私は武谷三男がまちがいをしないなどというつもりはまったくない。人間であるから、彼ももちろんまちがいをする。だが、彼が言おうしたことにもっと真摯に向き合うべきだと思う。

私が『武谷三男の生物学思想』を購入した後で、この書の書評がいくつかのところから出たらしいが、あまり読む気にならなかったのはたぶん追従的な書評が多いのではなかろうかという気がしたからであった。

(注)仲野徹『エピジェネティクス』(岩波新書)は2014年の出版である。

エピジェネティクスとはなにか。よく知っているわけではないが、一言でまとめれば、DNAには存在するのだが、それの表現がなんらかの理由で抑制されて、遺伝的に外には現れないという現象である。ヒストン修飾とか何かの機構がある。詳しくは上の『エピジェネティクス』を参照されたい。

(2022.8.22付記) 昨日『武谷三男の生物学思想』を読んでいたら、1か所だけエピジェネティクスという語が出ていた。しかし、私の上に挙げた疑問はまだ生きていると思う。

『現代生物学と弁証法』を読んでいる

2022-08-19 11:47:56 | 本と雑誌
『現代生物学と弁証法』(勁草書房)を読んでいる。ずっと以前に購入した本だが、あまり読んだことはなかった。

10月1日が締め切りの徳島科学史雑誌への投稿論文のための読書である。その前に8月27日にオンラインで徳島科学史研究会での発表がある。

その発表のための準備ということもある。まだ走り読みだが、ほぼ2/3を読んだ。終わりの1/3をまず読んで、さらに一番初めの1/3を昨日読み終わった。

私自身はあまり読書家ではないのだが、最近は仕方なく読んでいることが多い。

今月の前半は長谷川真理子『進化とはなんだろうか』(岩波ジュニア新書)を2回読んだ。はじめは走り読みで、2回目はちょっと気合を入れて、メモを取りながら読んだ。

この書で生物の進化が突然変異と自然淘汰で起こっていることをはっきりと知った。

笑わない数学

2022-08-18 12:16:52 | 数学
昨夜、NHKの「笑わない数学」を見た。虚数の話だった。

このシーリズは難しい話が多くて、この虚数の話くらいが私に理解できる回である。

その中で私などがするであろう説明とは違う説明が
          (-1)*(-1)=1
の説明でされていた。しかし、これは一番普通にされる説明法なのであろう。

これをここで説明しておこう。まず
   (--1)*0=0
である。これに異論を唱える人はないだろう。ところで
         0=(-1)+1
であるから、左辺の 0 を(-1)+1でおきかえれば、
   (-1)*[(-1)+1]=0
である。分配法則を使うと
   (-1)*(-1)+(-1)*1=0
であるから、
   (-1)*(-1)+(-1)=0
この両辺に1を足せば、
          (-1)*(-1)=1
となる。

私の説明ではこういう計算はいらない。まず
   1*(-1)=-1
である。これは(-1)をかけることは数直線上のすべての数を数直線上の0のまわりの180度の回転することを意味する。任意の実数 a に(-1)をかけると
   a*(-1)=-a
である。

すなわち、数直線上の1は(-1)をかけることによって-1に回転して移ることになる。このとき、もともと0よりも左にあった -1 は180度の回転して1に移る。

こういう説明をすることを私は期待しながら、テレビを見ていたのだが、こういう説明はなかった。残念である。

それと有名なオイラーの関係式\e^{i\pi}+1=0のことも詳しい説明があるかと思って期待して見ていたが、これは時間の関係だと思うが、詳しい説明はなかった。

これも\e^{i\theta }=\cos \theta +i\sin \thetaの図を複素平面上に書けば、これはx軸から反時計回りの半径1の円周上の角度\thetaだけ回転された点を意味している。

\theta =\piとおけば、半径1の円周上の点1はx成分が数直線上の-1のところに原点Oのまわりに180度回転されてくる。これが
     \e^{i\pi}=-1
の意味なのである。

数学上での大切な数である、無理数\e, \pi と数 0, 1との興味深い関係が得られたなどと神秘がって述べることには、私はあまり賛成ではない。

オイラーの関係をこういうふうに神秘がって説明するサイトとしてyou-tubeに「ヨビノリたくみさん」のサイトがある。彼のなんでも、わかりやすく教えるという情熱には感服するが、この点だけはあまり感心しない。