物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

AIの保守性

2017-07-31 13:51:36 | 日記

が言われだした。ついさきほどまでAIにしか人類の未来がないかのように言われていたが、どうもそうではないらしい。意外にAIブームも底が浅そうである。

それと同じかどうかはわからないが、ドイツではインダストリ4.0といわれている、新しい取り組むがここ数年行われている。まだ数年これは続くはずだが、産業を再編しようとする試みである。

産業としてのAIというのがどうも経済的には新しい需要を生まないということが予想がついて来たということはここでやはり人間自身が新しい試みを考えなくてはならないということである。

ビッグデータでその特徴を探って、消費者の動向を探るというのはあくまで過去のデータのサーチであり、未来の消費者の動向がわかるわけではないという。そうだとするとIT企業もある程度AIの研究をするのは当然であろうが、あまり深入りをすべきではない。すなわち、会社の命運をかけるような投資をAI分野にすべきではないということである。ある程度の投資をすることは現代であるから、当然のことではあろうが。

 


作家・青柳碧人(あおやぎあいと)さん

2017-07-31 11:47:22 | 日記

『数学セミナー』の8月号に青柳さんへのインタビューが出ていた。この人は『浜村渚の計算ノート』というシリーズの数学ミステリーを書かれている人だという。

青柳さんはもともと数学があまりすきではなかったそうだが、塾でのアルバイトをしているとき、数学の授業やテストを手伝っているうちに、自分でも数学の勉強をして数学に関心をもつようになったという。

そして、数学を元ネタにしたミステリを書くようになった。世の中にはいろいろな経歴をもつ人がいるものである。この人も『数学ガール』シリーズの作者結城浩さんと同様に数学の本をあるテーマについて、かなりの数の本を読むという。

自分がわからないと書けないし、自分が分かっても面白く書けないテーマもあるという。どういういきさつにせよ、数学とか物理とかに関心をもってそれを話題とする方がいることはいいことだ。

そしてそういう小説やミステリーを読んで、数学を好きにならないまでも、ちょっとおもしろいところもあるのだなと思う人が出てきたら、それをそれほどには期待していないが、望ましい。


竹内薫さん

2017-07-31 11:23:18 | 科学・技術

といえば、日曜日の夜のNHKのEテレの11時半から30分間の「サイエンスゼロ」という番組を持っている人である。彼を知ったのはいつだったか。多分『アインシュタインとファインマンの理論を学ぶ本』(工学社)の一部を読んだときだろう。もう20年も前のことかもしれない。

最近でもできるだけ「サイエンスゼロ」を見るようにしている。ところで先日FMのラジオ(これもNHKだが)を聞いていたら、この竹内薫さんが音楽番組を担当していた。

番組の中で、彼がいうには小学校のころにニューヨークに住んでいた。このときの小学校の友達の父親がマフィアだったという。そしてその父親はいなかったという。

竹内さんはこの父親は殺されていたのか、または刑務所にいたのだろうと推測をしていた。そこら辺を聞いたところで家に帰りついたので、それ以上は話を聞かなかった。

世の中にはいろいろな経験をする人がいるものである。


AI, VR, AR

2017-07-29 12:44:46 | 科学・技術

最近、新聞に横文字の略語がよく出ている。AIはもう慣れてきたし、VRもvirtual reality だとすぐわかるが、ARとあってさてこれは何だったかなと思った。

そういえば、Augmented Realityという語が最近新しく登場するようになった。訳語は「拡張現実」とでもつけているのだろうか。

新聞の見開き全面が周期律表になっている広告を先日の朝日新聞でみた。題して「AR元素周期表」とあった。あれ、「これは何だ」というのが、そのときの疑問であった。AR(デジタル技術)とあるだけで詳しい説明はなかった。

この周期表によると現在118個の元素が世界に存在をしているらしい。もし、このブログの書くネタがないときがあったら、この周期表から関心のある元素の一つを説明してみることを試みてもいいなと考えている。


例文

2017-07-29 12:25:05 | 日記

NHKのフランス語の講座「まいにちフランス語」の中級コースにこんな例文が出ていた。

これは La vie est belle quand ~ (~するとき、人生は美しい)というときの例文である。

La vie est belle quand on est amoureux.  ラ ヴィ エ ベル カン トン エ アムルゥ (恋するとき、人生は美しい)

La vie est belle quand tu me souris.  ラ ヴィ エ ベル カン チュ ム スリ (君が僕にほほえめば、人生は美しい)

とあった。なるほどと思ったので、ここに書いた。カタカナの発音はもちろんなかったが、フランス語を発音できない人のための補助としてカタカナで発音をつけておいた。

この講座は芳野まい先生が講師で、ヴァンサン・デュレンベルジェ先生がゲスト、フランスの食物、飲物、生活習慣を美しいフランス語で綴っている。これは読んでというよりも、そのテクストの朗読を聞いて美しいと感じる。


梅雨明け?

2017-07-28 09:03:41 | 日記

今朝は朝から、強烈な朝日が照り付ける。梅雨明けかなと思って外を見ると空が曇っている。でも太陽は厳しい。梅雨明けもまじかだろう。朝から温度計はすでに30度を越している。これでは暑いはずだ。

湿度も70%を超えている。これはかなわん。もっともこういう季節が9月末くらいまで続くと思うとこれくらいでは負けるわけにはいかない。幸い昨夜食べたクスクスのせいか体は快調である。

夜干した洗濯物が夜のうちに乾いている。


クスクス

2017-07-28 00:10:15 | 日記

を今夜食べた。これが食べた2回目である。南堀端のフランス料理のレストランのアミティエで今年の2月に食べたのが、はじめてだったと思う。クスクスなんて食物を知っている人は知っているし、知っていない人は知っていない。

フランス語のNHKの「まいにちフランス語」ではなんどか出てきた。それでそれがどういう食物か関心があったのだが、実際に食べたのはまだ2回しかない。それで、12月の懇親会を兼ねた忘年会でこれをつくって皆に食べさせたいと思うようになった。

クスクスは小麦のつぶみたいな穀粒でソーセ-ジとか、肉、とクスクスに野菜の煮た汁をかけてカレーみたいにかけてスプーンで食べる。なかなかおいいしい。いまでは、これはフランス料理といってもいいが、もとはモロッコとかアルジェリアとかのマグレブの地域の独特の料理である。もとはそこの地方から来たアラブ人系のフランス人たちが食べていた料理らしい。しかし、いまではフランス料理といってもいいだろう。

一箱500gが600円くらいでデパートで売っているという。あまりデパートにはいかないが、しかたがない。いつか行って探してみようか。韓国酒のマッコリとかクスクスとか実は耳で音として聞いた名前の食物や飲物に関心が出てくるのは、聴覚型人間である私としては当然でもあろうか。

もう一つ食べたことない料理にケバブがある。これもいつかは食べてみたい。ケバブは元とはトルコ料理であるが、いまではドイツでもフランスでも普通に食べられるトルコ料理であり、ヨーロッパではもうトルコ料理というイメージはないのだろう。


武谷の三段階論と技術論

2017-07-27 12:34:30 | 科学・技術

武谷三男ほど賞賛されたり、けなされたりの反応の激しい人はあまり知らない。

三段階論にしてもそれを自分の方法論として使おうとされるような人がいる一方で、またこれは単なる思いつきだとか歴史性がないだとか批判をする人も多い。

だが、私が思うのは、批判をする人が、他の優れたアイディアを提出したのかというとそうではない。一般に批判することはちょっと頭の鋭い人なら、すぐにその欠点を見つけることができるものである。だが、新しいことを考えついてそれを提唱できるというのは誰にでもできることではない。それがたとえまだ不十分なものであったとしても。

だから、「技術とは労働手段の体系だ」という説以外に「生産的実践における客観的法則の意識的適用だ」という説が武谷から提唱されたということは議論が進むという意味ではその定義が提唱される前よりも人間の認識が広がったのだといえる。

この二つの説についてどちらが正しいとかいう判定はそれぞれの派がひいきにしている説に対して論陣をはる以外に、中立的な人がそれを公正に判断するということがどれくらい行われて来たのだろうか。


AIは未来を拓けるか

2017-07-27 12:18:17 | 日記

という題ではなかったと思うが、今日の朝日新聞にAIが未来を拓くとは言えないという趣旨(?)の記事が載っていた。

これはAIは過去のデータを多量に読み込むが、それはあくまでも過去のデータであって、未来を拓くのはあくまでも人間だという趣旨である。もちろんこの私の要約が本当にこの記事の正しい要約かどうかはわからない。

だが、一面ではそれは正しいという気がする。もっとも将棋のような特定のAIにおいては人間のあまり考えなかったような新しい手が考えられるということはありうるであろう。

AIが40歳代の独身の男女の数と将来との関係があるとかいう、NHKの討論番組があった。これなど話題によってはその結果をなかなか人間が理解または解釈できないというようなところもあった。

もっともAIが人の気がつかなかったガンの療法を考えついて、人を救った例があるという。これは新しいことではないのかもしれないが、人間なら見逃すような療法の一つを忘れずに提起したということであろう。

いずれにしてもAIが人間の未来のすべてを決めるなどということはありえないが、それにしてもまったくAIの助言を聞かない人間というのもありえないことであろうか。

 


『思想の科学』

2017-07-26 13:17:38 | 日記

は鶴見俊輔さんが主宰してきた雑誌であった。1946年に発刊して、1996年の終刊まで50年も続いた。彼が『思想の科学』の終刊を同人たちに申し出たとき、まだ7人の創刊同人の多くは存命中であった。

そして、その終刊の申し出を快く受け入れた。いうまでもなく『思想の科学』は鶴見俊輔の雑誌であった。その出だしのときに創刊同人に他の5人を選んできたのは俊輔の姉の和子であったという。

渡辺慧、武谷三男、丸山眞男、武田和子、都留重人である。それに鶴見和子、俊輔をくわえた7人が『思想の科学』の創刊同人である。日本の思想人でこの『思想の科学』に投稿しなかった人はほとんだいなかった。

最近、また「『思想の科学』ダイジェスト」(思想の科学社)に収録された、「「思想の科学」60年を振り返って」を読んだ。というか読み返した。鶴見さんに黒川創さんがたずねているインタビュー文である。これは私が武谷三男さんと哲学者山田坂仁さんとの技術論争を読んでそれを理解しようとしてわからなくて、その気分転換のために読んだ。たまたま私はこのダイジェストを購入して持っていたから。


今年の梅雨

2017-07-25 12:26:02 | 日記

は異常である。これは松山地方に住んでいる者としての考えである。

すなわち、梅雨になったがあまり雨が降らず、東北とか北陸で大雨が降る。昨年もそうだったかもしれないが、今年ほど雨が降らないことはなかった。普通、北九州もあまり雨が降らないのだが、今年は豪雨が降って、土砂災害を起こした。

昨日は秋田とか新潟が大雨である。一挙に梅雨前線が山陰、東北にあがっていて、普通なら梅雨末期の前線配置である。ところが今年は途中の四国辺りに前線が滞在するということをしないで、すぐに山陰、北陸、東北に前線が停滞するという具合になっている。

そうかといって、四国は梅雨が明けたというふうでもない。以前としてはっきりしない天候がつづく。


パワー・ステアリング

2017-07-24 13:27:11 | 日記

のことをドイツ語でどういったのだろうか。とはさきほど車で仕事場に来るときに、道を曲がるときに車のハンドルを大きく切ったときに思い出したことであった。そのとき、パワーをドイツ語ではKraftとは言わなかったなということだけであった。そして、そういえばdie Servolenkung(ゼルヴォレンクング)というのではなかったかなと思い出した。

定年退職前には私は電気電子工学科に所属しており、その同僚にモーターの制御を専門にする方がおられて、その方の論文にservoなんとかという論文があったので、Servoという語を思い出した。

ドイツ語を普通に使うドイツ人ならば、こういう語は何でもない語だが、私などいまドイツに住んでいるわけではないし、それにドイツ語を話すとはいっても1週に一度でも話せば多い方である。だからすぐにこういう語は忘れてしまう。まだ独和の辞書をしらべていないが、多分これであっているであろう(注)。

(注)先日挙げた『クラウン独和辞典』(三省堂)にはこの語は載っていない。『独和辞典』(郁文堂)とか『フロイデ独和辞典』(白水社)には載っている。

『クラウン独和辞典』ではたぶん収録語数の制限で、載せられなかったのであろう。


読者を意識しない

2017-07-24 13:06:37 | 日記

という本の著者として、あさのあつこさんという方がおられる。昨日、朝日新聞を読んでいたら、あさのあつこさんはあまり読者を意識しないで自分のいいたいことを自分の本に書くということを述べておられた(注)。

これは先日ここで結城浩さんの『数学文章作法』(ちくま学芸文庫)でつねに読者のことを考えることを一番大事なこととされておられるのとちょっと対照的なのでここにとりあげた。

私もあまり読者のことを考えながら書いたことはない。だが、数学嫌いな人のことも考えて、できるだけ本文では話の筋を書き、テク二カルな数式の計算の詳細は付録に書くのが普通である。これは私自身は式の演算の細かなところも気になる方だが、あまりそういうことが気にならない人なら、大筋だけ知ればいいと考えるからである。

これは『四元数の発見』(海鳴社)でもその方法で書いている。人はいろいろだから、それに合わせたことがどうしても必要だという気がしている。少なくともあまり数学ではなく、計算が好きではない人にもなんとか読んでもらいたいという気が強い。実際にそういう人が四元数の本を読まれるかどうかはわからない。

 (注)はじめ、「あさのあつこ」さんのことを間違えて「浅野ゆう子」と書いていた。これは私の好きな女優さんの名前である。インターネットで調べて修正をした。


数学や物理の本の著者

2017-07-24 12:49:48 | 日記

として、私が注目にしている人として一番に結城浩(ゆうきひろし)さんがいる。この人は本来プログラマーだというが、最近は『数学ガール』シリーズの本の著者として有名である。

彼ほど有名ではないが、もうひとり注目している人に一石賢(かずいし けん)さんがいる。この人もソフトウエアの開発とかが本来のしごとらしいが、物理の本を書いている。普通にどこかの高校とか予備校、または大学で教えている人ではない人が数学や物理の本を書いているという意味で注目しているのである。彼の著書で私がもっているのは『道具としての物理数学』(日本実業出版社)である。

似たようなことをしている人に広江克彦(ひろえかつひこ)さんという人がいて、彼の主著は『趣味で相対論』(理工図書)である。こういう人がこういう本をかいて、生活していけるような時代にあるとすれば、やはり日本文化の厚さを示している時代になっているのではないかと思う。


ことわざ (Sprichwort)

2017-07-22 09:19:28 | 日記

たまたま、あまり使わない方の独和辞典を開いてみたら、3 drei (ドライ)のところに三つのことわざが載っていた。これは日本でも同じようなことわざがあるもので、ここに書き出しておこう。

まずはじめに

Alle guten Dinge sind drei.   アッレ グーテン ディンゲ ジント ドライ (いいことは3度ある)

つぎに

Drei sehen mehr als einer.   ドライ ゼーエン メア アルス アイナ― (3人は1人よりも多くを見る、すなわち、3人寄れば文殊の知恵)

最後に

Was drei wissen, erfahren hundert.  ヴァス ドライ ヴィッセン、 エアファレン フンダート (3人が知っていることは100人が知るようになる、すなわち、3人が知っていることなら、みんなに知れ渡る)

私があまり独和辞典を使わないのはもうみんなが知っているが、それでも全く使わないわけではない。だが、いまあげたこの独和辞典は語彙が少ないのであまり参照しない。というのはこの独和辞典に収録された語彙が少ないので、結局、他の独和辞典を引かなければならないことがしばしばだから。

だが、この独和辞典は訳語もこなれていて、初学者のためにはいい辞典である。これは『クラウン 独和辞典』(三省堂)でした。