物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

年賀状

2008-12-30 12:39:17 | 日記・エッセイ・コラム

やっと年賀状を書いた。例年ほとんど年賀状を妻が印刷をしてくれるのだが、さすがに宛名書きと、ちょっとした言葉を添え書きする必要がある。それには半日くらいはかかる。

それで仕事場から2時過ぎに帰って、午後8時過ぎまでかかって書いた。そして近くのポストにやっと投函した。つきあいのいい方ではないが、それでも100枚を越える。これが知り合いの全部ではないので、書き忘れた人とかから年賀状をもらうとそれからその返事を書かなくてはならない。

どうもそういう友人には今年はまだ書いていない感じがする。例年前年の年賀状を見て、それを見て年賀状を書いているので、なんかの理由で友人の年賀状がどうも入っていなかったような気がする。もう一度引き出しを探してみる必要がありそうだ。


交響曲第九のコンサート

2008-12-29 13:17:16 | 音楽

やっと松山でもベートベン交響曲第九のコンサートが行えるようになった。昨日の日曜日に市民会館で第九のコンサートがあった。例年はデパート三越のアトリウムコートで小さな第九のコンサートが行われていたそうだが、今年は大々的なコンサートだった。松山としては最初の試みである。

広い市民会館大ホールがほぼ満席で、二階席も全部ではないがかなり埋まっていた。なんんといっても合唱のある第四楽章は圧巻で、100人を越える人々の合唱は迫力があった。ソロの歌手さんもそれぞれよかった。指揮者の白石卓也さんもご満足であったらしい。

これは妻が合唱のアルトのパートに参加していたので聞きに行ったのだが、声のボリュームに圧倒された。これから毎年第九のコンサートが開催できるようになればいいと思う。

遠くから第九の合唱に参加するマニアの方々もいるらしい。岡山とか徳島からの参加があった。結構なことである。交響楽の演奏者の面々もかなり多数集まったらしくて、バスとかチェロとかもたくさん演奏者がいた。

バイオリンはもちろんだが、バスとチェロの演奏者がこんなに集まったのは珍しいとか。私は楽器の名を知らないのだが、オーボエかクラリネットかの管楽器の音が第二楽章までで目立ったようだった。


クリスマスも過ぎて

2008-12-27 14:58:51 | 物理学

クリスマスも過ぎてほっとするところだが、そうもいかない。

ゴールドスタインの再校を終えて24日に送ったところだが、ところがどうしたものか索引のありかが行方不明になってしまった。

それで出版社に索引を再度送ってもらって、昨日1回目の校正をしてEさんに回した。もしEさんからそれが返ってきたら、もう一度見直してそれがすんだら、出版社に送らなくてはならない。

それに今年はまだ年賀状の宛名書きをしていない。昨日妻が年賀状は印刷してくれたので、宛名書きとちょっとした挨拶を書けばいいのだが。ここまで書いたらEさんが来られた。ゴールドスタインの「古典力学」の校正をもって来られたのだ。

さらに前にメールで伝えられていたが、Eさんは木村利栄先生の論文選集をもってきてくれた。木村さんは数年前にベトナム旅行からの帰途の途中の飛行機の中で食べ物を喉につめて亡くなった方であるが、優秀な研究者であった。木村先生はEさんの先生になる。

その後、この木村利栄先生を記念して、湯川記念財団から木村利栄記念賞が優れた業績を上げられた若い物理学者に贈られるようになった。これは木村夫人が基金を湯川記念財団に寄贈したことによるのだと聞き及んでいる。


火災保険

2008-12-26 10:35:58 | 社会・経済

火災保険をかけられないということで一万数千円の火災保険を来年度は解約することにした。生活が困窮してきて、あまりたくさん入っていたわけでもない学会を一つづつ辞めてきている。これらは年会費が一万円強かかっていたからである。それでも年間2万円足らずの火災保険をかける費用が出ないという。

火災保険はあまり確かに必要ではないが、地震災害の補償の費用も入っているので、どうかと思っているが、それでも費用が出ないといわれると仕方がない。年金生活に入って3年目だが、これでは生活ができない。もちろん、勤務していたときと同じようには生活をしてはいないが、それでもなかなか生活は厳しい。

これは私の生活がちょっと豪華な生活なためのように聞こえるが、事実はつつましやかなものである。私たち年金生活者がこんなことでは若い派遣労働者はもっと生活が切り詰められているだろう。

金利をいくら安くしても経済はあまり向上はしないだろう。円高を防止するためと称して日銀が金利を下げたが、これは本当によかったのだろうか。以前から金利の安い円の資金を調達して、アメリカに投資することから今回の金融危機が起こったとも聞く。そうだとすれば、単に金利を下げるだけではあまり有効にその効果が出るとは思われない。

小林慶一郎氏も朝日新聞で書いていたように、やはり必ずしも輸出関連ではないところに国の予算をつぎ込んでゆるやかな社会の維持を図るという方向に転換せざるをえないのではないか。ものをつくって、外国に売る。それで国の繁栄を支えるという考えからできるだけ早く脱却しなければならない。


クリスマス

2008-12-25 11:40:33 | 日記・エッセイ・コラム

今日はクリスマスである。昨日はイブであった。我が家では別にケーキも出ず、昨夜は普通の晩であった。ただ、帰宅途中では道路が車が込んでいたのでどうしてかなと思いながら、車を走らせていたら、途中でケンタッキーフライドチキンのお店の前で待ちの車がたくさんいて、それで交通が渋滞していたということがわかった。

不景気だとかまた派遣社員の首切りとかで暗い世相だが、ちょっとは世間的なお祝いの楽しみもあるのかなと思った。これは子どもをもっている親なら、少しは子どもを喜ばせてやりたいと思うのは無理からぬところではある。

300万人の派遣社員が全員ではないとしても、その多くが首を切られるという状況である。そういうときに政治はどうsafty netを構築するかを考えないで、規制緩和による改革をしてきたとするならば、それは改革ではなく、改悪であり、これは政治が間違っている。すくなくとも失業保険のような安全策がなくてはならないが、一年未満の雇用だと失業保険の手当も手に入らないのだという。それに寮からは追い出されてホームレス増加という始末である。

小泉内閣の頃からの改革とは、実はこんなすごい改悪であったとはじめて知った。そして、当時の政権を支持して小泉に投票したのは圧倒的に若者であった。彼らはwakamonoであってbakamonoではなかったはずだが、実はころりとだまされていたという感じがする(ドイツ語ではwaはヴァと発音する)。郵政改革という錦の御旗の下でなされた改革とはこういうことであったのか。


大長ミカン

2008-12-24 11:39:20 | 日記・エッセイ・コラム

えひめの早稲ミカンは最高だが、これは愛媛県ではない、広島県に属するが、大崎下島の大長ミカンは日本一いや世界一のミカンではないだろうか。店先でも大長ミカンという名が出ているときには値段が他のものより高いようだが、それだけの価値がある。

いや別に大長のミカン農家からいくからお金を貰って宣伝しているわけではない。これは以前から思っていることで、甘味が多くてとてもすばらしい。残念ながら、この大長ミカンを食する機会が現在ほとんどないのは残念である。

私は今治市の出身で、亡くなった母は島嶼部の出身であったから、大長は母の遠い親戚の人がいたのだと思う。ときどき大長ミカンを食べる機会があったと思う。

八幡浜の出身の人は「まあなミカン」が最高だという。これはお里自慢もあるかもしれないが、そうではなくてそれも本当だと思う。人によれば、吉田町のミカンが最高だという。愛媛県吉田町は亡き義父の出身地でまったく縁がないわけではないが、私自身は吉田町のミカンは知らない。

どうも季節がめぐって来ると同じことを書いているような気がする。昨年も同じことを書いたかもしれないが、ミカンのPRために我慢してくださることをお願いしたい。


梅棹忠夫

2008-12-23 13:48:54 | 学問

誰の文で読んだのかは覚えてはいないが、「梅棹忠夫は知的ジャイアントである」と。確かに昨日大学の図書館へ行ってみたら、梅棹忠夫全集は22巻か23巻でそれに別巻がついている。こんなに多い著作をもっている人はやはり少ない。

私の研究している武谷三男にしても著作集は6巻で、それにその後の現代論集は7巻である。あわせても13巻にすぎない。もっとも武谷の著作集に入っていない著作はまだたくさんあるが、多分梅棹ほどではないだろう。

ともかくも梅棹が知的ジャイアントであることと、独特な思想家でもあることは間違いがないであろう。私などは梅棹については「知的生産の技術」(岩波新書)ぐらいしか知らないのだが、この認識は改めなくてはならない。

著作の多い人ではもちろん鶴見俊輔氏がいる。鶴見さんはもちろん梅棹に勝るとも劣らぬ思想家であるが、彼の著作集は多分22巻にもなっていない。だが、鶴見の著作集はもちろん網羅的ではなく武谷と同様に著作集に収められたもの以外にも著作はとても多い。図書館の目録で鶴見さんの著作を調べたら、優に100冊を越しているであろう。


かえでの紅葉

2008-12-23 11:41:17 | 日記・エッセイ・コラム

自宅のかえでがいま一番きれいな紅葉をしている。実は約30年間住み続けている、いまの家のかえではこれで3代目か4代目である。どうしたものかこの場所に植えたかえでが枯れてしまう。

一代目はいまのところへ引っ越してきたときに友人たちが送ってくれたものであったが、その近くに灯篭を庭師さんの勧めで入れたら、それはまもなく枯れてしまった。庭を世話してくれる庭師さんによれば、虫のせいだというが、どうも灯篭のせいだとしか思えない。友人たちが贈ってくれたかえでは少々高価であったようだが、そのときの値段は知らない。

その後庭師さんが同じ種類のかえでを入れてくれた。そのときは自分で支払いをしたはずだが、値段は覚えていない。その後このかえでも枯れてしまい、第3代目のかえでを庭師さんの勧めでまた入れたが、それも枯れてしまったと思う。3代目のときか4代目のときにもうしばらくかえでは植えまいと心に決めていたが、庭師さんがいつか来たときに妻が頼んだらしい。

今度は葉の緑のかえででいままでの濃い紅のかえでとは違っていた。庭はとても狭いのだが、それでも庭師さんのおかげでなんとか見てくれはよく、緑が多いので、前のかえでの濃い紅はアクセントになっていた。そして、本当に紅葉の頃になるとこれがもっと澄んだような赤色に変っていた。

それが緑の葉の普通のかえでになったので、ちょっとつまらない気がしていた。だが、今年のかえでの紅葉は年の瀬が押し詰まっているということもあるが、とてもきれいである。

先日、庭師さんたちが剪定に来て、木々も冬支度がされたが、冬の日が居間に差し込んで暖かくその朝日を浴びながら、新聞を読むのは無上の幸せである。


グラフの平行移動

2008-12-21 12:40:31 | 数学

中学校数学の程度の話だと思うが、「グラフの平行移動」という題の数学エッセイをほぼ完成した。もっとも読み直していると、また手を入れたくなって少しづつ書き直しているが、でもほぼ完成に近い。

昨日はこのエッセイを完成したつもりだったが、あまり難しいテーマではないので、妻にしろうととしての意見を聞こうと思って、印刷したものを家にもって帰った。まだ読んでもらってはいないが、昨夜寝る前にまた読み返していたらまた赤ペンを入れてしまった。

こうして一応出来上がったものを読み直していると、またいろいろ思いついたり、思い出したりすることがある。そういうことをまったく思いつかなくなったら、完成である。つぎからつぎへと細かなことに過ぎないが、いろいろ思いつくのでなかなか脱稿とはならない。

それでも私という人間の力の及ぶところにはどこか限りがあり、もう新しい付加事項とかを思いつかなくなる時点というのがあるようだ。

(2013.4.11付記) 「グラフの平行移動」という表題のエッセイは愛数協の機関誌「研究と実践」第103号(2009.12)に発表した。このエッセイを一般の人が読むことはできないので以下にその一番肝心のことを記す。

いろいろこのエッセイに書いてあるが、y=f(x)のグラフのx軸の正の方向の平行移動したグラフはy=f(x-a)と表されるが、これはどうしてか。これが主題である。

要点はつぎのようである。

x=x_{0}のときにy=f(x_{0})であるが、f(x-a)=f(x_{0})であるためには、x-a=x_{0}でなければならない。すなわち、x=x_{0}+aであるので、確かにx_{0}からaだけ正の方向(すなわち右に)平行移動している。だから、ちゃんとy=f(x-a)はy=f(x)のx軸の正の方向の平行移動になっている。

こういう説明は中学校の数学の先生が一度はされたと思うが、一度聞いただけでは私には定着しなかったと思う。それがようやく中学校の卒業後60年以上かかって納得したというお粗末である。


私のルーツ

2008-12-21 12:20:12 | 日記・エッセイ・コラム

明日は私の都合によりブログをお休みにするので、今日は普通はブログはお休みなのだが、明日の代わりに今日ブログを書いておく。

前にも「思い出」と題する、いとこ会の文集が発行されたということをこのブログでも述べたと思う。そのいとこ会の文集を子どもたちに先日送ってやった。これは現在では昔とは違って親子の近さが違うので、昔なら親が子どもに何かの機会に話してやるというようなことを書いておいた。

いわゆる私の家の私の知る限りのルーツの話である。妻の両親は子どもたちには比較的近しくて、いろいろ話を聞くチャンスはあったと思うが、私の両親とか祖父母のことは話してやる機会がなかったためにそういうことを知るチャンスとなればいいと思った。

話はまったく違うが、子どもが小さいときに「もりたろうさんのじどうしゃ」という絵本がとても好きで読んでくれてせがまれたことがあった。一度読んでもすぐに繰り返して、また読んでくれとせがまれて何度読んだかしれない。

妻によれば、子どもはそういうことで自分を親が愛してくれているかどうかをはかっているのだろうという。私はそこまで子どもの心理を深読みをするつもりはないが、無意識のうちの子どもの心理としてはそういうものがあるのかもしれない。まあ、しかしなんとかわいい子ども心であろうか。


ジョニー・デップ

2008-12-20 11:35:34 | 映画

このごろはジョニー・デップの主演映画が話題になることが多い。

ところがこの人の顔をなんだか覚えられないのだ。別に覚えなくともいいのだが、しかし、妙にジョニ・ーデップという名は忘れられないのだ。そこが不思議である。

実はジョニー・デップという名を聞いたのはかなり以前のラジオのNHKドイツ語講座かフランス語講座だった。

詳しいことは覚えていないが、若い女性と男性の会話かなにかで女性がジョニー・デップとならデイトするけれどとか何とかいうほんの短い会話である。

そういう俳優がいることも知らなかったころのことで、それでジョニ・ーデップという名がなぜか頭に残った。

このごろはジョニー・デップの主演の映画がときどきテレビで見ることができるが、映画館での映画で彼を見たことはない。

昨日、テレビでまた上映されるとPRされていたのは前に見たことがある首なし人間が殺人を犯すというテーマの映画である。題名はまったく覚えていない。

その映画ではジョニ・ーデップは事件解決のためにニューヨークから来た刑事を主演している。もちろん現代の話ではなく少し古い話であった。この話は神秘的なところのある、胆の冷える話であったと思う。

そこがSeven years in Tibetの主演の俳優の顔を忘れないのに、名前を思い出せない(これはBrad Pittでした)というのとまったく違っている。


忘年会

2008-12-19 08:50:56 | 日記・エッセイ・コラム

この歳になると忘年会も縁遠くなる。別にアルコールが好きなわけではないから忘年会がなくても、ほとんど痛痒を感じないのだが、唯一の恒例がドイツ語のクラスの忘年会である。世話人のO氏が釣り好きで忘年会をするレストランに魚のこちを釣ってきて数日前から預けていたらしい。それを昨夜はお相伴にあずかった。

私から見るとかなり大型の魚で釣り上げるのに苦労しただろうと思われたが、O氏によればものの10秒も釣り上げるのにかからなかったらしい。鳥の肉に似たあっさりとした味で美味であった。「どうも鶏肉をもっと柔らかくあっさりしたような味だね」といったら何か海の鶏肉とか何とか言われているという話であった。

O氏自身にしてもこのこちは始めての釣果であったらしい。私も初めて食べた魚であり、魚屋でもほとんど買えないという。そのご馳走のせいもあって、生ビールを最近の私には珍しく3杯も飲んでしまった。このごろは家でもほとんど飲まない。思い出したように缶ビールを一本2週間か3週間に空けるくらいである。

これは基本的にストレスが少なくなって別にアルコールで気分転換を図らねばという気持ちになることが少ないからである。まあ、普通には飲める体質だとは思うが、それほどアルコールが好きなわけではない。

つまり、自分で言うまでもないが、私はあまり面白い人間ではないということである。


指の怪我

2008-12-18 12:23:28 | 健康・病気

先日のパーティの後でグラスを洗っていて、人差し指を怪我した。約1cmほどの傷であったが、しばらく指が使えなくて困った。別にくすりもつけずにカットバンで覆っていたが、ようやく直ってきた。

指が傷ついているときは顔を洗うのも左手で洗い、茶碗を洗うのもほったらかしにしておいた。これは1週間ほど妻が不在だったので、自分で食事をつくっていたからである。それもはじめの数日はつくりおきをしてくれていたカレーとかハンバーグでしのぎ、それがなくなるとしかたがないから、弁当を買ってきたりもしたが、最後にはキャベツとソーセージを買ってきてキャベツの油いためをして食いつないだ。

テニスにいったときもひとさし指をグリップの握りからはずしていたのだが、当たりが悪いと指の傷にこたえた。だから、力が入らなくてうまくボールが返せないとかパートナーに迷惑をかけた。風呂に入るときにも右手の指を湯につけないようにしたり、体が十分に洗えないとかいうことがあった。

人間どこか小さな不調とか痛いとかでもなかなか困るものである。


高血圧

2008-12-17 12:37:13 | 健康・病気

どうも高血圧らしい。椅子から立ち上がるとすこしめまいがする。そういうことを意識しながら昨夜テニスに行ったら、後の気分がよい。多分血圧が下がったのであろう。気温が少し高く暖かいと血圧の状態はいいらしい。気分はあまり悪くはない。

高血圧は前にもちょっと高かったことがあって、薬を飲んだことがあった。いつもかかりつけの医師のところへ行くと血圧を測定してくれる。少し高かったり、平常にもどったりといろいろである。

診察前にいい気分のBGMを聞いていて、ぽかぽか暖かい待合室から診察室に入って測定してもらったときには血圧が正常であった。これは血圧測定の前の条件がよすぎたのだろう。寒くなるとやはり血圧が上がり目になる。スポーツは血圧を下げるにはどうもよさそうだ。

酸性の食べ物を食べると血圧はともかく血がさらさらになるとかで血圧が下がるかもしれない。そうだとするとミカンが豊富に出まわる、いま時分は血圧は下がってもいいはずだが、寒くなってくるのでそうは簡単ではなさそうだ。

それと私は水分のとり方がいつも少ないので水分を十分にとるようにしないといけない。


ブラウザーの使い分け

2008-12-16 13:10:41 | 日記・エッセイ・コラム

インタネットのブラウザーの反応が遅いので、Googlechoromeをインストールしたら、なんだかよくわからなくなった。それでもとのInternet Explorerに返したが、反応の速さがGooglechoromeの持ち味らしいのでこの二つを併用することにしたい。

これは新聞で読んでいたのだが、そのときの新聞を切り抜かなかったので、googoleから入ってGooglechoromeをインストールしたというわけである。常駐にはインターネットエクスプロラーとする。

というのはこのブログの記事を書く方法がわからないのである。はじめはbookmarkしておいたURLもわからなかったが、これはわかった。新しいことに挑戦するといつもまごつく。