物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

昨日はブログを休んだ

2019-07-31 09:50:52 | 日記

これは仕事場に私が来なかったからである。実はE大学の農学部の図書館に行って、雑誌「科学」に武谷三男が書いた論文とか記事のリストの確認に行っていた。

その作業は午前の11時過ぎから午後3時前までかかったので、それからは自宅に帰ったという次第である。かなり雑誌に直に触れたのだが、それでもどんな図書館でも起こりうる欠号がいくつかの巻であった。これはE大学の付属図書館に行って再度調べる必要がある。

ただ、戦前の古い号はE大学の付属図書館にはなく、創刊号からバックナンバーがそろっているのは農学部の図書館のほうである。

ただ、総索引が古い巻ではどこにあるのかがわからないのがあり、それらは大急ぎで各号の目次を見るという方法でしたので、落としがあるかもしれない。


ブラックホールの写真

2019-07-29 13:13:14 | 科学・技術

ブラックホールの写真はデータを3箇所で別々の方法で処理して、ほとんど同じ画像が得られたので、世界で同時に発表されたことを知った。

よく私は異なった方法で同じことを導くということを教育的な観点からしばしば行っているが、そういう考えが研究においても使われていることを知った。

それぞれ違った背景を持つグループがデータを処理してそれでもほとんど同じ画像が得られたことは彼らの自信を深めたことであろう。もっとも小さなところでは画像に違いがあるようにも見えた。これはNHKの放送で知ったことでもある。

世界の5か所で観測した同じブラックホールのデータを1か所に集めて、処理したのだという。処理した場所が日本、アメリカ、それとヨーロッパであったのだろう。

それぞれの箇所がそれぞれの国とか地域の全力をあげて、画像を合成してつくったという。科学のすばらしさである。

(2019.8.3付記)  実はもう何十年も前のことだが、コンピュータでの理論的計算はできるだけ別の方法でも計算して、その確かさを確かめることにしていた。先行した研究があれば、それとの一致を見るなどは当然のことであった。あるとき、ニュートリノによるKaonの生成断面積を計算したのだが、先行研究となかなか一致しない。それはとっていた座標系が先行研究とおなじでなかったからである。

国内で行われた国際会議で上智大学におられた藤井昭彦さんにお会いしたときに、なかなか合わなくて困りましたとお話したら、問い合わせてもらえばよかったのにと言われた。そのときには、そういうことも思いつかなかった。

もちろん、実験値の理論的な再現ができないと理論としては失敗である。


市民による平和展

2019-07-29 10:30:34 | 日記

「市民による平和展」が先日終わった。

この展覧会に西尾さんという若い方が沖縄戦の遺品をもってきて展示されていた。話もされたが、沖縄は国内で地上戦が唯一行われたところであり、その被害もすごいものであった。

この軍事組織的な戦闘は1945年6月23日に終わったと聞いた。その戦闘で沖縄は日本から見放されたのであるが、それでも日本政府はポツダム宣言をすぐには受け入れなかったというから、日本政府からはまったく見放されただけではなく、このことが8月6日と9日の広島と長崎の原爆投下を呼んだ。

その点をどれくらい日本史の中で明らかにされているのであろうか。武谷三男が「広島と長崎の原爆を礼賛している」というような批判がいまでも一部にあるのだが、それらはすでに沖縄戦の敗北によって敗戦を受け入れていれば、広島と長崎の原爆投下はまったくなかったことになる。

それくらい時の日本政府は馬鹿だったのである。戦争をはじめるときにも勝利の目算がなかったのみにならず、敗戦の受け入れに対してもそうであった。

そして、いままた辺野古のみならず、沖縄の米軍基地においても日本政府の沖縄切り捨てはすさまじい。

 


『鶴見俊輔伝』斜め読み、プラス

2019-07-29 10:00:39 | 日記

『鶴見俊輔伝』斜め読みの箇所だけでなく、他の箇所も後ろの方を読んだ。なかなか面白く書けている。

作家、黒川創さんは北沢恒彦さんの子どもだろうとはうすうす知っていたが、ある個所にそのことが書かれてあった。北沢恒彦さんは武谷三男との関連でいえば、『聞かれるままに』(思想の科学社)の共著者である。

もともと『武谷三男現代論集』(勁草書房)が出たときにそれを読んで書評を「思想の科学」に掲載したのが、北沢恒彦さんであった。そのことから、武谷三男からいつか会いたいという要望があり、それで会って武谷のインタビューへと発展したらしい。

それが1冊の本にまとまったのが、『聞かれるままに』であった。『思想を織る』(朝日新聞社)は武谷の自伝の色彩が濃いが、これに並んで『聞かれるままに』は武谷三男の自伝的色彩が濃い。将来、武谷三男伝が書かれるならば、この二つの書は逃すことができない。

したがって、北沢恒彦は武谷三男の研究をする者にとって忘れてはならない人である。

 


宿題塾

2019-07-28 12:49:17 | 日記

宿題塾というのをするから手伝ってと先日要請を受けた。その塾は昨日と今日の午前中にあった。

昨日は雑談会があったので、手伝には行けなかったのだが、今日は空いていたので、10時過ぎから12時まで教育会館につめていた。

もっとも最近は分からないと聞かれないと一緒に考えたりしない。そのへんが若いときとはちがう。今日も数学の問題を聞かれてへどもどした。

もちろん、そのワークブックにはその解き方の知識が書いてあったのだが、そんなことを知らないで自分で独自に解こうとしてへどもどしたというわけである。

実はその問題を解いている子の前にすわっていた子どもが暗算で解いてその解き方を種明かししてくれたので、ようやくその解き方がわかった。

いやはや頭の働きの鋭い子がいるものである。


「物理数学散歩」の在庫はある

2019-07-27 13:45:56 | 日記

「物理数学散歩」の在庫はあるのにこの本の無料pdfダウンロードできるサイトがある。

これはどうしてか。他のサイトは現在はつながらないらしく、著作権侵害は実質的に減ってきている。

だが、これはまだ残っている。古本でも3万円くらいの値段がついているが、安価に提供するためにきわめて低い定価をつけている。もっとも低い定価だが、自分で価値がないと思っているわけではない。

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京都アニメーション

2019-07-27 13:16:54 | 日記

京都アニメーションなどという会社があるなどとは全く 知らなかったが、これだけの事故があると、建物の両側とか真ん中に突き出しの非常階段をつくっておくべきだったと後知恵ながら思うことである。

もっともガソリンを何十キロも運んでぶちまけて火災を起こす者がいようなどとはちっともだれも想像はしなかったろう。

しかし、いつでも最悪の事態を想定している必要がある。だから普通のマンションでも最低2つの戸外の階段がついているのだろう。

そういう用心深さはいつでも必要である。また、人間として変な犯罪を引き起こさないように人としてもバックアップをするということもどうしても必要である。

それでも落ちこぼしは世の中には常にあって、思わぬ災害や事故・事件が起こりがちである。安全は過剰なくらいにしておかなくてはならないというのが今回の教訓でもあろう。

死亡者の遺族から京都アニメーションが訴訟を起こされるという可能性は十分あり、建物の両側に非常階段をつけておくべきだったといわれればまったくその通りであろう。


『もうろくの春』

2019-07-26 11:23:10 | 日記

『もうろくの春』(SURE)は哲学者の鶴見俊輔さんの詩集である。

もう何年前になるか忘れたが、ある団体の学習会を京都で催すことになり、その学習会の講師に鶴見俊輔さんを呼びたいと思ってお願いしたら、少ない講演料にもかかわらず来てくださった。

これも私が物理学者の武谷三男の研究者であるというきっかけであった。そのときにはじめて鶴見邸を訪れたのだが、いろいろ話ははずみ、『もうろくの春』をいただいた。

この鶴見邸を訪問する前に鶴見さんの岩波新書『北米体験再考』の読後感想文をどこかに書いたことがあるので、そのコピーを送っておいた。その文章の感想とかは聞けなかったが、初対面の割には緊張はしなかったから、鶴見さんの厚遇を受けたといえよう。

ちょうど鶴見邸は物理学者の町田茂(京都大学名誉教授)さんのお宅と背中合わせになっていた。自分のところには武谷さんは来たことはあるが、たぶん町田さん宅にはいかなかったのではないかと鶴見さんは言われていた。

昨日述べた『鶴見俊輔伝』にこの詩集の話が出ていたので、この詩集のことを思い出した。小冊子ではあるが、私には貴重なものである。


(2021.6.18注) どこかで鶴見さんは自分の葬式のときに参列者に喪主の太郎さんにこの詩集『もうろくの春』を配ってもらい、挨拶をしてもらうつもりだとか書いていた。本当にそうなったかどうかは知らない。一時期ではあるが、武谷三男との関係で親しくしてもらった。


『鶴見俊輔伝』斜め読み

2019-07-25 14:38:19 | 日記

今朝、黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)を取ってきた。E大学の生協書籍部に注文していたものである。

私の鶴見さんへの関心は彼と武谷三男との関係において関心がある。それで索引の武谷の引用があるところはすべての箇所を読んだ。特にあまり新しいことはなかった。

どこかで読んだようなことばかりであった。鶴見さんとは彼の晩年に知り合った。これも武谷の取り持つ縁でもあった。

それである時には松山まで講演に鶴見さんに来てもらうことまでもあった。この講演のときに私のある知人が、鶴見さんと私が講演会場に入ってきたので、びっくりしたとあとで話してくれた。その知人とは哲学者のMさんである。


武谷三男「素粒子論研究」論文リスト

2019-07-24 13:13:00 | 日記

武谷三男「素粒子論研究」論文リストをここ数日つくっていたが、ひとまず完成した。「素粒子論研究」のJstageに挙げてあるものをいちいち対照してつくりあげた。

「科学」(岩波書店)掲載の武谷の論文リストをつくることがつぎの課題である。それができれば、それの分析ということになる。

研究面においては、武谷三男は共同研究を主体としてきたが、それでもいくつかの新しい視点や概念を考えたり、導入したりしている。

そこらの評価はきちんとしなくてはならない。そのときにその論の正否もあるが、その視点とか概念によって、議論を巻き起こしているところを評価しないといけないと思っている。


Pauli行列の導出2

2019-07-23 16:59:28 | 日記

前に「Pauli行列の導出」のノートをつくったと、もう5年以上前にこのブログで書いたが、それをまとめてはいない。それで機会があれば、まとめておきたい。

前のブログで引用してあるのは、マルゲナウとマーフィの本、Merzbachの量子力学の本と朝永の『角運動量とスピン』である。

しかし、マルゲナウとマーフィの本は読んでノートはつくったが、そのノートがどこに行ったか分からない。それに、Merzbachの量子力学の本と朝永の『角運動量とスピン』はノートをつくってはいないだろう。

それらをもういちど読んで整理をする必要があると思う。

(2020.10.23付記) 
Pauliの行列については「数学・物理通信」9巻10号に書いたのでインターネットで検索して見てください。

(2024.12.11付記)
これは朝永の『角運動量とスピン』に基づいたエッセイである。1か所わからないところがあり、そこをどなたかに聞こうと思いながら、結局自己流に解釈して書いたといういきさつのあるエッセイである。


 


夫婦でドイツ語

2019-07-23 10:29:51 | 日記

夫婦でドイツ語とは言ってもNHKのEテレのドイツ語の放送を二人で見るということしかない。昨夜は妻もこの放送につきあってくれたが、口頭練習がまだ妻には難しいので、発音がおかしいところは修正をしてあげた。

大体、妻は11時ころには就寝するのが普通だが、ソファで転寝をしていたので、ちょうどこの放送のときには目を覚ましていた。

妻もちょっとはドイツ語を話すので、いい復習になっているだろう。彼女のドイツ語は直にドイツ人に教わったものである。


くたびれる

2019-07-22 16:46:24 | 日記

Jstageに登録されている、「素粒子論研究」のリストと私のあらかじめつくったリストを照合しているが、この作業が疲れる。

年をとっているので、集中力がなくなっているのだ。30分も仕事をすると休みたくなる。これはいま梅雨時で湿度が高いせいもあろう。今日は2ページしか進まなかった。

全体で5ページのリストなのだが、まだ半分もすすまない。


参議院議員選挙

2019-07-22 10:06:43 | 日記

昨日、参議院議員選挙があった。

愛媛に関係しては応援していた候補が当選した。全国的にはなかなか思うようではないが、それでも一定の歯止めができたのではないか。

愛媛では候補者の努力と応援している者たちの協力とが実を結んだといえよう。一応めでたし、めでたしである。

愛媛は保守の強いところであるが、それでも候補者によっては勝つこともできるという結果である。また、いつも保守に負けているが、それでもめげずにずっと闘ってきた人々もおられるということも知った。


雑誌「素粒子論研究」

2019-07-20 17:11:58 | 日記

雑誌「素粒子論研究」を松山で昔のバックナンバーを見ようとしてもどこにあるのかわからない。

創刊号から50巻6号までの総目録はもっているのだが、私自身がこれを購読するようになったのは31巻4号からであり、それ以前の号はもっていない。

大きな大学のある大都市ならば、たぶんに創刊号からのバックナンバーがそろっているであろう。だが、愛媛大学には「素粒子論研究」はとっていなかったと思う。

これは私にしても他のだれかにしても自分でとっているのだから、取る必要がなかったということである。それにS先生のようなもう亡くなってしまった先生の研究室に行けば、創刊号からはないにしてもかなり古い号からのバックナンバーを見ることができた。

ところが私も定年になった時に自分のもっていた雑誌を寄贈しなかったようにだれも定年になったときに大学に寄贈はしていないだろう。

同じようなことがひょっとすると物理学会誌についてもいえる。確かにもう物理学会会員としての経歴は50年を超えたが、その会誌をまだ大学に寄贈してはいない。

それに物理学会誌は大学でとるという発想はまったくなかった。大学の図書館のOPACを調べたことはないが、E大学には物理学会誌のバックナンバーはないであろう。

こんなことを書いたのは武谷三男の「素粒子論研究」に掲載された論文のリストをつくる仕事しているからである。

(2019.7.22付記) Jstageに素粒子論研究が電子資料となっている。