池田峰夫先生は私の直接の先生ではない。大学院の修士課程でセミナーをしてもらった先生である。微分幾何学とか物理学とかを専門とされた先生である。
大学院のセミナーではポントリャーギンの『連続群論』(岩波書店)のセミナーをしてくださった、にもかかわらず、私は群論アレルギーとなった。
むしろ、池田さんには数学とか物理の内容よりも研究のしかたについてのアドバイスをもらったというほうに、私の場合は力点がある。
1年の課程が終わった時に I 君が「池田先生、来年度のセミナーは何を読まれるのですか」と尋ねたら、来年のことを言うと鬼が笑うというようなことを言われた。そのとき私たちは知らなかったが、次年度の4月からH大学工学部の応用数学の教授に就任された。
だから、もう大学院理学研究科のセミナーはなかった。それだのになんだったか池田さんの宿舎までみんなで押し掛けたことがあった。一人一人を奥様に紹介してくださったが、私は年賀状を差し上げていたことを奥様に説明されていた。
そのうちに、池田さんは山口昌哉先生が京都大学工学部から、理学部に転任になられたときに、山口先生の後任の教授になられた。
池田さんは自分の研究が注目されるようになったのが、同じH大学の理論物理学研究所の同じ年代の同僚の中では少し遅かったと言われておられたが、いわゆる坂田モデルのいわゆる
IOO対称性の群論的取扱い
を名古屋大学の大貫義郎さんと担われて、日本の物理学会では有名となられたのは皆さんのご承知のとおりである。
池田さんの教えは、自分で自立して研究することの勧めであった。また研究して、最終的にはすくなくとも自己満足ぐらいは残らなければならないということを繰り返して、お伺いした。その当時、共同研究者の H 君や私を直接指導をしてくださった方々がなかなか優れたかたがたであることを認めたうえで、そういう人たちからの巣立ちを促された。
私が松山に来てからも工学部の数学の故安倍 斉先生や、その後は理学部の数学の Y 先生が池田さんを集中講義に呼ばれたりしたことが多かったので、その後もお会いする機会は多かった。だが、60歳前に病気になられて、59歳で惜しくも亡くなられた。
『現代ベクトル解析』(コロナ社)は先生の遺著ともいうべきものである。これはベクトル解析の本というよりは、むしろテンソル解析のテクストである。