物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日の出、日の入り

2024-07-24 13:38:33 | 外国語
普通の日本人なら日の出、日の入りを英語でどのように言うか多分知っているだろう。日の入りの方からいくと、sunsetだし、日の出はsunriseである。

ところでドイツ語ならどういうのか。これは私も知っていた。

日の出はSonnenaufgangだし、日の入りはSonnenuntergangである。太陽が上にauf行くgangが日の出である。逆に日の入りは太陽が下にunter行くgangである。

ところがフランス語ではどういうのか知らなかった。ということで調べてみた。

日の出はlever du soleileであり、日の入りはcoucher du soleileであることがわかった。leverは起こすとか起きるとか上げるというような意味がある。またcoucherも寝るとか横になるとかの意味があると思うので、わかりやすい。

ついでにイタリア語ではどうなのか。手元の伊和辞典を引いて見ると日の出は載っていなかったが、日没はtramonto del s'oleというらしい。トラモント・デル・ソレであろうか。


ただ塾先生夏休み宿題編

2024-07-23 16:55:59 | 外国語
先週の土曜日でただ塾の今学期の先生の務めを終わったと思っていたら、なんと宿題を手伝うコースを開くというから、今日と昨日それで3時間ほど勤めてきた。

私は自学自習がいちばんいい学習形式と思っているので、わからないことがあれば聞きなさいと言うスタンスである。

しかし、生徒さんたちはわからないことがあっても聞こうとはしないらしい。今日は少し介入して夏休みのワークブックを1ページ終えたら、みせてもらうことにした。

もう一人の先生が英語担当なのだが、たまたま見たのが英語だったのだが、英語の語順で動詞が主語のすぐ後ろに来るべきなのにきていない例を見つけた。

私などはよい初級の英語教育を受けたので、絶対にこういう過ちをしないが、英訳すべき日本語の語順に惑わされた例である。

生徒さんは日本語風に動詞が目的語の前ではあったが、後ろの方に来ていたのでびっくりした。

もっとも私の受けた英語教育はドイツ語の学習にはちょっと影響を及ぼした気がする。ドイツ語の動詞の語順でかなり悩んだからである。



Aufwandとannaehern

2024-07-12 12:23:01 | 外国語
Aufwandとannaehernは最近になって覚えたドイツ語である。

annaehernは覚えやすい。というのはnahe近いという形容詞がある。

  Gibt es hier in der Naehe einen Supermarkt ?

というと「この近くにスーパーマーケットがありますか」という意味である。この中にはNaeheという名詞が入っている。これは近所とでも訳せるだろう。

そうするとannaehernは近づくという意味は理解しやすいし、覚えやすい。

ところがAufwandがなかなか覚えれらない。何回か辞書を引いてその日本語の意味を確認するのだが、覚えられないのだ。

die Wandといえば、ドイツ語の初心者でも壁を思い出すが、これからなかなかAufwandに結びつかないのである。

Aufwandとは「労力や資金とかをある目的のために使うこと」を意味するらしい。これは独独辞典で最近知ったことだが。



教育

2024-02-23 10:28:50 | 外国語
教育っていうと、この言葉を嫌がる人もいる。私の知っている有名人では2000年に亡くなった物理学者の武谷三男は教育という言葉が好きでなかった。

彼は新しいことを見つけることには執心したが、いわゆる教育には否定的だった。

一方、私は教育が好きな方である。これは、しかし、お仕着せの世間的な考え方を教えるという意味の教育ではないのだが。

高速道路を車で走行したことのない人はいまでは少ないと思うが、行先とか高速道路の出口のインターとかを知らせる標識は少なくとも3回は出てくる。

例えば、松山から高知に高速道路で四国中央市を経由して行きたいとすると、この高知行きの高速道路への出口の標識は最低3回は出てくる。1回目に見逃しても2回目、3回目まで見逃して高知へ行きそこなう人はまずいない。

教育でも最低なんでも3回は教えなくてはならないことをこのことは教えてくれる。ドイツ語の私たちの先生である、R氏などはもう何十回となく私たちに同じことを教えてくれる。だが、それでもなかなか記憶に残らないというのが実状である。

例えばの話だが、春に行われるカーニヴァルへの始まりは前年の11月11日11時11分11秒だともうそれこそ何回聞いたかわからないが、それでも私たちの頭にはなかなか定着しない。そういう話は私にはごまんとある。

私にしても大学でドイツ語を学んだことは3年くらいで大したことはないのだが、ラジオやテレビでの放送をもう何十年も飽きずに見たり聞いたりしている。それだのにその定着のしかたはとてもわるい。

これは私がその方面の専門家ではないということもあるのだろうが、専門家が聞いたら、あきれてしまうほどの記憶のわるさである。


根気、年季、暗記

2023-12-14 12:28:38 | 外国語
根気、年季、暗記(コンキ、ネンキ、アンキ)は私がはじめてNHKのラジオ講座でドイツ語を学び始めたころ(1961年ごろ)にその講師だった藤田五郎先生が言われていたことである。

外国語を学ぶにはこの三つのキが必要であると折に触れて言われていた。この三つのキでネンキだけは積んだのだが、他のキはなかなか積めない。だからドイツ語でもいつまでもカタコトしか話せない。

もっとも最近ではカタコトでも話せば素晴らしいではないかと居直るくらいだから始末がますますわるいだろうか。

藤田五郎先生にドイツ語の文の枠構造(SatzrahmenbauとかSatzklammerという)のことを学び、ドイツ語は英語とは違う語順で話される言語だと知った。これが私には決定的なことであったと思う。

ところが現在一緒にzoomでのドイツ語のクラスを受けている方々に聞いてみてもこの文の枠構造がそれほど特異なことだとの印象がないらしいと知って私の方がびっくりしてしまった。

だが、かなり以前のことだが、ある日本人のゲルマニストにドイツ語は分からなかったと言ったら、君は「英語が得意だったんですね」と言われて、それほど英語が得意だったわけではないが、英語の影響が大きかったことは認めてもいいのではないかと思った。

私は、母親が若いときに女学校の入学前に学んだことのある老先生、武田先生(白星堂塾主宰)からいい初歩の英語の手ほどきを受けた。先生は旧制中学校しか出てはいない方だったが、当時は愛媛県には中学校はなく岡山の中学校まで学びに行った方であり、中学校でイギリス人の先生に英語を学んだという方であった(注)。

外国語を全く知らなかった小学生から中学生になってすぐにいい英語の手ほどき受けた私は幸せであったことを今になって思うのである。

(注)そのころ、中学校で学んだということは今で言えば、大学で学ぶくらいかそれ以上の価値のあることだったと思う。


Umstand

2023-11-17 10:41:34 | 外国語
なかなか言葉を覚えられない。いや、この年になるとつい先ほどのことを思い出せない。

だから短期記憶がだんだんいかれてしまっているのだろう。

大体私は記憶のいい方で、これは自慢になるが、1976年2月にフライブルクのゲーテ・インスティテュートでドイツ語を学んでいたとき、前日に洗濯物は普通die Waescheと複数でいつも使うと先生が言っていたのを覚えていて、それをつぎの日にもう一度授業中にクラスの全員に聞かれたのだが、Wagensonner先生が昨日そういっていたと発言したら、Sie haben guten Memory. とお褒めを頂いたことがある。

ところが最近は午前に起こったことを午後に思い起こしにくいというようなことが起こる。特に、記憶するようなことはなかなか難しくなっている。

昨夜のドイツ語のクラスで出会った言葉にUmstandがある。「面倒なこと」「面倒」とその意味を思っていいだろう。もっとも辞書のはじめには事情とか状況と訳がついている。

Machen Sie bitte keine Umstaende.とか言われれば、 日本語では「おかまいなく」とでもいうのだろう。ともかくこの語は私には定着していなかった。今回はじめて印象に残った語である。


「ごぼう」のドイツ語

2023-11-16 10:42:46 | 外国語
先週だったかのドイツ語のクラスで出てきた言葉にKletteがあった。日本語で言えば牛蒡(ごぼう)である。もちろんこういう言葉は知っていなかった。

これはある方のご自分に起こった話に出てきた言葉である。それを昨日になって、zoomの記録として残してある、ホワイトボードの記録から昨日見て、辞書を改めてひいて確認したのだが、今朝になって思い出そうとしても思い出せない。

独和辞典を引いてみたのだが、Kleeという語はあるが、牛蒡がどうドイツ語で言ったか思い出せない。ホワイトボードの記録をもう一度見に行けばいいのだが、それも面倒だ。

結局、和独辞典のお世話になることにして和独辞典を引いてみたが、牛蒡に対応したドイツ語はdie Schwarzwurzelとなっていて、私が昨夜見た語とは違っている。困ったなと思ってよくよく見るとその後ろにdie Kletteとも書かれていた。これだ、これだ。

はじめに出ていた牛蒡のSchwarzwurzelは直訳すれば「黒い根」とでもなろうか。ちなみに最初にあげたder Kleeは男性名詞でクロバーのことである。この語も私は知らなかった。

また、klebenという動詞もこの牛蒡の話が出て来たときに使われていた。これは私も知っている動詞で「貼り付ける」という意味で使われる。牛蒡の葉か何かが衣服にくっつきやすいという話だった。

生活に現れるフランス語

2023-10-19 11:46:15 | 外国語
前から書いてみたいと思っていた話題は日常生活に現れることが多いフランス語である。とはいっても大したことではない。

我が家のトイレに行って便座に腰を下ろすと床のマットに目が行く。そこに書かれたのはvie priv'eeである。これは辞書を引いてから書かないといけないのだが、英語で言えば、private life(私的生活)であろうか。

また別のマットではrouge de roseとある。これは「バラの赤」とでも訳せようか。

物理学者の武谷三男が2000年に亡くなった後で鶴見俊輔さんが追悼の文を朝日新聞に書いていたのだが、1999年の秋に東京の清瀬市にあった施設ラビアンローズに武谷を見舞いに行ったとあった。このラヴィアンローズもフランス語である。La vie en roseとでも書くのだろうか。ラヴィ アン ローズと分けて書いたり、発音するのはよくない。

まるで一語のようにラヴィアンローズ(意味はバラ色の人生)と発音するのだ(注)。これはフランス語で有名なリエゾンだとかアンシェヌマンとか言われるものである。リエゾンは連音とかアンシェヌマンは連読とか訳されている。

もう耳にタコができるくらい聞いた言葉だが、いまもあまり区別がわからない。リエゾンは本来は語末の発音しない音をつぎの語と連なるときには発音するということらしいし、アンシェヌマンは前の語の発音する音を次の言葉とづつけて発音することだという。

(2023.11.15 注)ラヴィアンローズ(バラ色の人生)はフランスの有名な国民的シャンソン歌手(エディット・ピアフだったか?)の歌った歌のタイトルでもある。有名な女性歌手であるが、名前は今思い出せない。これだから老人は困るのだ。もちろん私のことである。


昨日経験したこと

2023-10-18 11:16:23 | 外国語
昨日経験したことは英語のことわざで日本語のことわざ「去る人日々に疎し」に対応することわざがどうであったか。

 Out of sight, out of ・・・

であることは思い出したが、この・・・のところが思い出せない。手元のハンディな辞書を引いてみたが、出ていない。しかたなく岩波の『英和大辞典』をひいてみたら、

 Out of sight, out of mind

とあった。高校の英語のグラマーの時間に覚えた気がしたのだが、この全然mindという語に思い当たらない。ということは私はこのことわざをきちんとは覚えていなかったのだろう。

先日、NHKテレビの「しあわせ気分フランス語」を見ていたときだったか、少し考えて見なくてはとかを口に出せて言えとかいわれたが、言えなかった。

   Il faut un peu reflechir.

とか解答があった。そういえば、よく考えるとはreflechirというなと思い出したが、ななか自分では思い出せない言葉だった。

英語でreflectといえば、物理学では(光が)反射するという意味である。これと同じ意味のフランス語でreflechirはある。もっともreflectがよく考えるという意味にはあまり英語では出会ったことがない。

(注)物理を学ぶ者には反射する(reflect)とか屈折する(refract)とか回折する(diffract)とかは光とかX線に関係して覚える基本的な用語である。

Teacherではなく、Facilitator

2023-10-13 10:15:19 | 外国語
先日、月に1回行っている雑談会で9月にレポートをしてもらった Y さんの話にアメリカではもう先生のことをTeacherではなく、Facilitator(ファシリテーター)と呼んでいるとか聞いた。

そのことに私は注意が向いていなかったが、今朝朝食後に妻がこのことを言っていたので、ようやく気がついた。

最近は子どもたちもテレビやスマホその他メディアで情報を得るので、先生よりも知識の豊富な小学生だってたくさんいる。そしてそれがクラスのメンバー数の20人とかの大きな数となれば、先生はもう大人として子どもたちに知識を教えるというような姿勢をとることができない。

それで、TeacherではなくFacilitaterと呼ばれているらしい。これが本当にそうなのかどうかの真偽のほどは知らない。しかし、ありそうな話ではある。

フランス語を少し学ぶと「難しい」difficile(ディフィシール)とか「やさしい」facile(ファッシル)という語を知るが、そういう語を知っているとFacilitaterは理解がしやすい。「物事を容易にする」とか「やさしくする」というような意味であろうと。

ちなみに言うと、綴りは同じかどうかは知らないが、イタリア語ではdifficile(ディフィチレ)とfacile(ファッチレ)という風に発音する。発音は違うがフランス語からすぐにわかることである。

difficile(ディフィシール)は英語ではdifficult(ディフィカルト)であるから、英語を知っている人はdifficile(ディフィシール)はすぐにわかるであろう。

意欲

2023-08-04 10:03:59 | 外国語
意欲を人に教えることはできない。

頭のよしあしもある種の遺伝なら、意欲をもって人生を生きることができるかどうかももまたある種の遺伝的な性質であろう。

私は頭のよさとかの遺伝的な素質は十分ではない。しかし、生きることにかけては意欲的である。これは教育でも多分教えることのできないものだろう。

そういういい性質をもって生まれたことに頭のよさは少し足らないけれども感謝しなくてはいけないなと思う今日この頃である。

さて、本題の意欲を英語で何というのか。私はintentionという語を思い浮かべたのでintentionを英和辞典で引いてみたが、日本語で私が感じているような意欲というような訳語は探してもなかった。

仕方なく、和英辞典を引いてみたが、これにはvolitionとかwillとかの訳語があったが、逆にこれを英和辞典で引いてみても意欲にあたる訳語はないともいえないが、適切ではないような感じがした。

それにvolitionという語は生まれて初めて見た。フランス語にvouloirという動詞がある。フランスでは子どもがje veux, je veux(ほしい、ほしい、または、したい、したい)というと大人がje voudrais(ほしいのですが、または、したいのですが)でしょとたしなめるとか聞いた。

直接法で言うとこれはむき出しの意志だから、仮定法ですこし語気を緩和しなさいということである。

話の筋道をすぐ踏みはずすが、元にもどれば、意欲はなかなかこれに適切な外国語を思いつかない。





書くことは無限にあるはずだが、

2023-07-28 09:25:03 | 外国語
書くことは無限にあるはずだが、今何を書いたらいいかわからない。

6666回目のブログはたぶん次のブログであろう。世の中には根気のいい人はたくさんいて私一人が根気強いわけではない。それに私自身は自分が根気強いとは思っていない。

むしろ根気が続かない方だと思っている。いつだったかもこのブログで書いたように50年以上昔にNHKのラジオドイツ語講座を担当しておられた藤田五郎先生は外国語の学習は「根気、年期、暗記」と言われておられた。

ドイツ語の学習にも年期だけは私も積んだが、暗記はいまもつらい。

昨日だったか、朝日新聞に英語の習得法についてのアドバイスが出ていた。これはアメリカとかカナダに留学したい人が英語の学習をする方法であった。

3,000の単語を覚えようとすると一日100の単語を発音し、読み書きすると1か月で3,000の単語をクリアできる。それを「何回も繰り返せ」というものであった。そうしないと単語は定着しないという。

私に関して言えば、ドイツ語検定試験の準1級を目指している(すでに2級には何年も前に合格しているので)。しかし、単語の数がなかなか目標の5,000に届かないのである。だが、これはまったく私の努力がされていないのだと知らされた。


こういうことでは準1級の検定に通ることなど夢のまた夢ということになる。


宿題をでっちあげて送ったが、

2023-06-29 17:46:20 | 外国語
宿題をでっちあげて送ったが、それが採用されて今日のドイツ語クラスで皆さんのお目にかかるかどうかはわからない。

急いで書いた、でっち上げである。どうもこういうことは下手である。それでも余りに宿題をしないのはいくら厚顔無恥な私でもちょっと先生に悪いという感覚はもっている。

最近は知らないドイツ語の単語を見たときにできるだけ辞書を引くようにしている。いつかも言ったように私のドイツ語の語彙は3000語は越えたとは思うが、4000語には達していないだろうと思う。

もっとも最近は語彙を増やそうとしている。語彙もいろいろである。聞いてわかる語彙がいくらかと読んでわかる語彙がいくらかとは同じではない。

聞いてわかる語彙は2000語もあるだろうか。いま4000語というのはもちろん読んでわかる語彙という意味である。しかし、本当のところは5000語を越えないとドイツ語検定の準1級はパスしないだろう。準1級のつぎはもちろん1級しか残っていないが、これはこの年令の私などには無理な相談だろう。

残念ながら、まだ私は2級しかとっていない。2級は75点か74点くらい
の得点だったろう。このときに3級の試験も受けたのだが、さすがに3級は90点代だったと思う。もう5年以上前のことになる。

受ける検定試験の級が一つ上がるごとに私の得点が20点くらい下がると仮定すれば、いま私が準一級の検定を受ければ、55点くらいになり、これだと65点が合格点だとすれば、やはり10点くらい足りないことになる。

どうやってこの10点のギャップを埋めていくかという問題が残っている。

有名なHeisenbergのところに長年おられた、物理学者 Y さんのご子息でミュンヘンで育った方がおられ、その方はもちろん楽々と1級の検定を通ったとそのYさんからメールで伺ったことがある。

そのご子息はドイツ人よりもドイツ語が上手だと言われたとか。そして、1級の検定を取った後で検定制度のご褒美で数か月ドイツに行かせて、もらったとも聞いた。

もっとも10年近くか、それ以上、ドイツで教育を受けた方だから当然のことでもあろうか。日本人にもこういう人もおられるということである。外国語に堪能な方も上をみればやはり限りがない。


道をあらわすフランス語

2023-05-26 11:56:05 | 外国語
フランス語には道をあらわす語が多い気がする。これははじめてフランス語を大学3年で学んだとき(ほぼ60年くらい前)に感じたことでもあった。ところが最近その道を表す語に新たな1語が加わった。l’ artère (ラルテール)である。この語の意味は「幹線道路」である。この語は母音ではじまっているから、性が分らないが女性名詞である。

学生のときに聞いた言葉で言えば、l'avenue (ラヴニュ)「並木道」とかle boulvard (ル・ブルバール)「環状道路」とかがある。さきほど仏和辞典を引いてみたが、こういう訳はついていないが、それぞれそれらしい説明はあった。boulvardの方は都市の城郭の後につくられたとか、avenueは並木のある道とかである。

もっとも普通に使われる語としてはla rue(ラ・リュ)であろう。これは普通の都市の中の道である。la rue de Jean-Paul Sartreとかである。実際にこういう道路が、例えばパリにあるのかどうかは知らない。勝手に即興で私がつくった道路名である。

他にどういう名の道の名前があるか。「小道」とでも訳すべき道le chemin(ル・シュマン)がある。これは舗装されていない道だそうだ。先ほど辞書で知った語にla route(ラ・リュート)もあった。これは都市と都市を結ぶ道だそうだ。「街道」との訳もあった。

道を表す名詞には女性名詞が多い。cheminとboulvard以外はすべて女性名詞である。なお、boulvardの最後のdは発音しない。大抵フランス語では原則として語尾の子音は発音しない。

だが、いくつかの子音は発音するので、その語はcarefulと覚えればよいと教えられる。c, r, f, lの4つの子音は発音されることが多いからである。

(注)フランス語の後ろのカタカナは私の感覚でつけた発音であるので、フランス語の達者の方は無視してほしい。たとえば、la route(ラ・リュート)と発音をつけたが、これをルートと変えようかとしばし考えたが、ルートでは日本語の音の方が勝ってしまい、なかなか本当の発音に近くはないと判断した。

カナで発音を書くこと自体がご法度なのかもしれないが、言葉は基本的に音なので、音を知らない人に少しくらい間違っていてもどう発音するのかわからないよりはましという考えである。

(2014.4.2付記)
la langue(ラ ラング)は言語という意味ももちろんあるが、いま仏和辞典を調べても見たが、舌という意味の方が先に出ている。

langue de chat(ラング・ド・シャ)というフランスのお菓子もあるが、これは直訳すれば、「猫の舌」である。英語でも母語のことをmother tongueと言ったりするが、これも直訳すれば、「母の舌」となる。

ちなみに私は母国語という言葉は使わないで、母語を使うようにしている。これは言語学者、田中さんの教えに従うようにしたからである。

田中さんのお名前もその著書の岩波新書のタイトルも忘れたが、関心のある方は岩波新書で検索してみてほしい。

接続法第一式

2023-04-17 15:34:21 | 外国語

接続法第一式について学んだことがなかったわけではないが、つい最近までこのときの動詞の語尾変化が語幹にeをつけたものが基本になるとは知らなかった。知らなかったというのが言い過ぎならば、認識をしていなかったとでも言えば、ちょっときれいに聞こえるであろう。

ラジオのNHKの「まいにちドイツ語」放送などほぼ45,6年も聞いているのにである。それも接続法の第二式は知っていたが、第一式はあまり会話ではでて来ないので、知らなくてもそれで困ったということはなかった。これは私のドイツ語は主に話すドイツ語であり、書いたり読んだりするドイツ語ではないといことが基本にある。

日本でドイツ語に関係している人の多くはドイツ語を読んだり、書いたりことが多いのかもしれないが、私にとってのドイツ語は基本は話す言葉としてである。だからあまり文章を読んだりしたことはない。昔、大学院の学生のころにドイツ語の本をセミナーで1冊読んだことがあるが、これはスウェーデン人の書いたドイツ語であったので、いわゆる冠飾句(das linke Attribut)などはでて来なくて比較的簡単なドイツ語であった。

同じ物理の本でもパウリの量子力学の本などは冠飾句でいっぱいである。これはドイツ語を母語にしている人のドイツ語だから当然なのであろう。私たちの読んだ本は実はSpringer Verlagという出版社のHandbuch der Physikという叢書のパウリの量子力学の後に付いているQuantenelektrodynamikという部分であった。

もっともドイツ語よりも数式があまりよくわからなかったから、この本を読んでファインマン・グラフの計算ができるようになったわけではない。ファインマン・グラフの計算が見よう見まねでできるようになったのは別の英語の本を読んでからである。

ファインマン・グラフの計算はある種の積分であるが、それを運動量空間で計算するとこれは何次かの積分はデルタ関数で自動的にできるが、それでもまだ積分が残る場合がある。この積分を数値的にするためにガウス数値積分をコンピューターで行ったことがある。

話を元に戻そう。接続法の話であった。この接続法一式はあまり会話で使うことがないから、それを知らなくてもあまり不便に感じることはなかった。

もちろん、ドイツに根を下ろして生活するならば、電気製品を買ってそれを使うときなどにその使用説明書を読まなくてはならないだろう。そういうときには使用説明書は接続法の第一式で書かれているはずである。たとえば、man benutze・・・とか書いてあるかもしれない。

もう半世紀近く前のことになるが、大阪のゲーテ・インスティチュートでドイツ語の能力試験のためのテストを受けたことがある。このときゲーテの先生からお前はそこそこ会話はできるが、もう少し文法を学ばねばならないと言われたことがあった。どこをまだ学ばねばならないのかわからなかったが、これはそのときにでてきた間接話法でer habeとか出てきたら全部まちがいとして、er hatの方を正しいとしたからであったのだと今にして思う。しかし、そのときはそんなことを思いもしなかった。

この能力試験は資格検定のためではなく、ドイツのゲーテでのどのコースに入るのがいいのかを判定する試験であった。そのときは、まったくの初心者のコースA1ではなくA2という初歩のドイツ語を復習強化するコースに入ったが、そこでは残念ながら接続法の第一式などでて来なかったように思う。

そういうことで八十数歳になる現在まで接続法第一式の動詞の変化の基本がわかっていなかった。これはあまりに遅かったとしても、この接続法第一式を知らないで人生をおわるよりはよかったと今では思っている。