物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

桜の満開がつづく

2018-03-31 12:42:00 | 日記

昨日もそうだったが、晴れた日が続き、温かいので、桜の満開がつづいている。

妻も今日は町内の花見だとかで私よりも先に出かけた。私はようやく新聞を見終えて、仕事場にやってきた。暖かい。先ほど昨日のアクセス数が金曜日であるにもかかわらず240近くになったことを確かめたうえで今日のブログを書いている。

何をどう皆さんがこのブログを見て下さっているのかわからない。昨日は私が昔書いた「テンソル解析を学ぶときに問題点」というエッセイの反応が何十年も経ってあったという私の経験を書いた。今朝メールにその読後の感想が入っていた。

この方は新潟市にお住まいの方だが、ご両親か誰かの介護をされながら、私のエッセイを読んでいただいた。テンソルの定義のしかたについて私たちの理解以外の理解も難しくないとのご意見のようである。縮約とかLevi-Civita記号についての感想はあまりなかった。

この機会に昔のこの数学エッセイの改訂版を書いてみたいという気が少しおきた。


角運動量

2018-03-30 16:41:47 | 物理学

について学び始めた。これはいま私の編集入力している、小川さんの量子力学の講義録のために必要となるからである。

私はだいたいあまり勉強家ではないが、小川さんの講義録があまりよく分からないから、補足の学習が必要となっている。いま取り組んでいるのはGasiorowiczのQuntaum Mechanicsの第10章の始めの部分である。この章を全体を読んでノートをつくろうとしている。こういうことをしようとするとき、しかし体力と根気がなく、飽きっぽい方なので途中でやめてしまうかもしれない。

この機会にノートをつくっておこうとしている。いつか「数学・物理通信」にいつか角運動量のことを書くつもりがあるから。だが、はじめのところですでにつまづいてしまっていた。しかし、ここはなんとか通り抜けれたが、さてこの10章を読む終えることができるかどうか。

誰だったかの本を読んでいたら、このGasiorowiczは物事をわかりやすく書く才能がある人だとほめてあった。確かに、彼の書いた素粒子の本を私よりも数年は後の人たちだが、テクストにしている学んでいる世代があった。その後、この本の中の対称性の話がうまく書けているということを知った。


いままで反応があったことがないが、

2018-03-30 11:22:39 | 日記

はじめて反応を聞いた。これは私が書いた数学エッセイの「テンソル解析の学習における問題点」である。これははじめ『数学散歩』に掲載されたが、もちろんこれは愛媛数学教育協議会の機関誌「研究と実践」に掲載された記事が上記の本に収録されたものであった。

そして『物理数学散歩』(国土社)にも再掲されている。ところがこの本がまったく売れない。高い価格というわけでない。1200円というとても安い価格であったのに。

物理学の研究者でも素粒子物理学とか宇宙論の研究者には「テンソル解析の学習における問題点」に書いたことは常識であって、この分野の研究者から反応がないのは当然である。まったく新しいことではないので、またこんなつまらないことを書いてという反応で当然である。

ところで、こういう分野に入っていきたいと思っている学生とかには常識であるとは思わないが、あまり目に触れなかったらしい。

今回は中学校の理科の先生をしていた人が相対論の電磁気学の方程式を学びたいと思ったらしい。それで私の記事に目が留まったという。そして読み終わったら、感想を書いてみたいとメールをもらった。

何十年前の私のようにテンソルという概念があやふやであって、しっかりしないという。ベクトルとの類似で大きさと向きがある量としてのベクトルからそういう類推でテンソルを学ぼうとするとそのテンソルが存在する面とかが指定されるというのがわからない。

だから、私も大学院で数学者の竹野兵一郎先生からテンソルはその座標変換性で決めるということを知るまでモヤモヤが続いた。

それに現代数学的なテンソルの導入のしかたがよくない。これは初学者向きではない。理論をきれいな体系をみせるためにはいいのだろうが、初学者にはなにがなんだかわからなくなる。


桜が満開

2018-03-29 13:52:28 | 日記

なのは国道11号線沿いの永木橋付近のサクラである。けさ、来るときに見たが、満開である。もう数日すると散り始めるであろう。

今年は昨日の花見とともに、来月の4月4日にも花見が予定されている。これは自宅の近所の公園である。ここにはやはり数十本のサクラがあるが、さて4月4日にまだサクラが咲いているかどうか。心もとない。

先刻、「数学・物理通信」8巻3号を発行した。なかなかこの度の8巻1-3号の発行には手間取った。さて、これでまた6月までフリーになれる。3か月ごとの、「数学・物理通信」任務は楽しみでもあるが、一方において苦しみでもある。


また花見に

2018-03-29 11:16:55 | 日記

昨日行った。これはしまなみ海道という今治と尾道を結ぶ島々(大島、伯方島、大三島、生口島等)をつなぐ橋と高速道路を使って行ける伯方島という島の開山公園というところの山の上に植えられた桜を見に行った。

これは妻の知人がここに前に行ったことがあり、桜が咲いたときには絶景であるというので、また行きたいということでいっしょに妻の運転の車に同乗して行った。かなり咲いていたが、満開という訳にはいかなかったが、瀬戸内海の海も遠くに見られたり、しまなみ海道の島をつなぐいくつかの橋も見えたりして世界的にも誇れる景色であろう。

ということで昨日は仕事場に来なかったので、ブログは必然的にお休みとなった。このしまなみ海道は海と島との景色が優れていることから、サイクリングをしている若者たちとか外国人の姿を少なくはなかった。いわゆる道の駅で買物をしたりしてから、また高速道路経由で松山に帰った。

おみやげに岩城島名産の芋菓子(よく芋ケンピという名前でよばれる)を買って帰った。これは便秘の症状を改善する食物だと聞いたからでもあるが、この素朴な菓子は私の好物でもある。


『原典でたどる電磁気学史』

2018-03-27 11:21:28 | 物理学

という本を三星孝輝という人から送ってもらった。徳島科学史研究会を主宰する西條敏美さんのご紹介でこの本を送っていただいたという。この三星さんは徳島科学史研究会員である。

まだ何も読んでいないのだが、電磁気学の認識の歴史の概観を与え、またそれに関係した論文の抄訳をした本らしい。抄訳された原典の論文はもちろん英語のものもあるが、ラテン語やドイツ語、はたまたフランス語もある。

そのうちで英語とドイツ語は三星さんは読むことができるが、フランス語とラテン語の場合は英訳されたソ―スブックから抄訳されたという。いずれにしてもなかなか私たちには真似のできないことで、貴重なものであろう。

私は特にファラデーの電磁誘導の法則をどのように見つけられたかに関心があるので、そこら辺の事情を知りたいと思っている。

『原典でたどる電磁気学史』(太陽書房、2018)で定価は2,300円である。

 


退屈なブログ

2018-03-27 10:53:55 | 日記

であるはずなのに私のブログに一日に200人を超える人がアクセスすることが多くなった。大体、数学だとか、物理だとかの話題が多い、おもしろくもなんともないブログである。

私だけではなく、それほどおもしろくもないブログに関心をもつ人がいると思うとなんだか日本の国も捨てたものではないのかもしれないなどと思ったりする。

たとえばの話であるが、微分積分のテクストが100種類近くも出版されている国が世界のどこにあるだろう。これは一例として挙げたわけだから、それが電磁気学のテクストでも、はたまた量子力学のテクストでもほぼ同じである。私はいつかは量子力学のテクストを書きたいと思っているが、それは優先順位が低いので、生きているうちに多分書くことがないであろうというのが客観的な判断である。

私のもっている量子力学のテクストだって20冊はあろうか。それくらい文化度が高い国なのである。もっともその量子力学を理解している人はテクストを読む人ほどにはいないかもしれないけれど。


一様収束

2018-03-26 14:48:00 | 数学

なんて用語が自分にわかる日が来るとは思っていないかった。などというとそんなことをもわからなかったのかといわれそうだが、そうなのである。

具体的な例とか、一様収束しない例とかも知ってようやく少しずつわかってきた。大体、数学の概念などわかるなどと思ったことがなかった。一様収束はしかし大事な概念であるので、数学の専攻者は知らないではすまされない。

それでもまだいろいろとはっきりとわからないこともある。完全にわかったとはいえないが、上極限の例を知ったので、そういう概念があるということを知った。

具体例を知ると強い。

集積点という概念があり、これなどもよくはわなからなかった。最近すこしづつわかりかけて来ている。

あまり名著と言われる書物で数学を学ぼうとすると、いけないのではないか。もう少しわかりやすい書を読んでまず学ぶべきなのであろう。

よく、物理学とか数学等の指導的な研究者がいる。そしてそれほど指導的ではないが、その指導的な研究者の論文等が理解できたり、重要性を認識できたりする研究者がやはりいる。そしてそういう人が解説を書いてくれてようやく指導的研究者の仕事の偉大さがわかる研究者がいる。そういう階層構造になっている。


数学・物理通信8-3の編集が完了

2018-03-26 14:16:24 | 日記

した。最後の著者点検に先ほど出した。これで著者からOKがでれば、数日して発行となる。3月中には発行ができそうである。

8巻3号ははじめは発行しないつもりであったが、原稿がはみだしたので3号を発行することにした。そうしたら、逆に8巻2号の原稿量が少なくなってしまった。

それでも3号を出すことにして私も急遽短い文書をつくったが、どうも量がたりない。ところがいつもたくさん投稿を下さる S さんがちょうどいい長さの原稿をもっているというので、お願いをして投稿をしてもらった。助かった。

他の短い用語解説を書いていたが、それは今回は掲載をしなかった。また、機会があるだろう。


花見

2018-03-26 13:53:53 | 日記

昨日の日曜日お昼を済ませてから、毎年桜を見に行く石手川河畔の岩ゼキのところへ桜を見に行った。少し早いがそこそこ桜が咲いていてよかった。もっともまだ満開ではなかった。

昨年もここに花見に行ったし、一昨年もそうだった。そこで京都の南座に歌舞伎をバスで一緒に行ったことがある、女性の H さんと数年前にここで出会ったが、その H さんも先年亡くなったと聞いた。

そのほかに妻は別の I さんにもあって話をしたとことがあるという。この人も足を悪くしているという。松山の石手寺という有名なお寺の近くであり、ここからは弘法大師の大きなコンクリートでできた像が山の上に見える。

もっとも妻がこの弘法大師の像をスマホで写そうとしたのだが、目で見るほどには大きく写らないと嘆いていた。ここで1時間ほど川岸のベンチに座ってお花見のあとで、その近くのスーパーで買い物をした後、石手河沿いのサクラを車で通りがかりに見てから、帰宅した。

来年の花見ができるかどうかわからないというのが妻の口癖である。そうはいうが、どこか特に体に悪いところがあるわけではないので、かなりの確率で来年のお花見もできるであろう。これはもちろん私たちが交通事故等に合わないという仮定があるけれども。

愛媛県の松山かその近くに住んでいた人が育てた陽光という桜がこの石手川の岩ゼキのあたりには咲いている。これはそめいよしのよりも色が赤く花はあまりきれいではないが、その色が赤が濃いのであまり近くに近寄らないで遠くから見ているとその色のしっかりしたところがいい。

花見の人はそれほど多くはないが、今週の週末まではもたな意かもしれないと思われた。大体、私はあまり日本酒は飲まないので、花の下で宴会をする方ではない。それでも毎年妻が誘ってくれるので1回か2回は花見に出かけている。今年は東京の桜が早いようなのでお誘いを頂いたが、今年は行くことができない。これは町内会の班長さんが回ってきているためでもある。

 


「不審な動きがあります」

2018-03-24 13:30:35 | 日記

とマイクロソフトの方から教えてくれているらしいのだが、第一マイクロソフトにパスワードを設定した記憶がない。その上にウィンドウズ7でされているというけれど、多分私の使っているのはWindows10であり、Windows7なんかではない。だから解せぬことである。

それで認証をしようとしてもパスワードを知らないのだから、認証のしようがない。あわててファイルキャビネットをそうざらえしてみたが、マイクロソフトのパスワードは出てこなかった。どうしたらいいのかわからない。

本当にマイクロソフトが不審な動きを察知しているのかどうかわからない。そこらへんを親切に教えないことには認証のしようがないというのが現在である。

前から私のメールアドレスが使われてそれが私のところメールが来たりしてヘンだとは思ったことがあったが、さすがにそういうモノは少なくなってはいる。

「不審な動きがあります」という「不審な動きだって考えられない」わけではない。


質点は英語でなんというか

2018-03-23 17:12:32 | 物理学

知らないことにふと気がついた。あわてて大学の一般物理の英語の本をちょっと調べたがわからない。それで原島鮮先生の『力学』I(裳華房)の質点という索引をみたら。particleとあった。material pointという語もあった。

日本語で質点というときには英語ではこのどちらかの用語を使うのであろう。質点という用語に対する英語を知らないということに気づいたときには、実際慌てた。先日、剛体をrigid bodyというと知った顔でこのブログで書いていたからである。

ちなみに質点というのは理想化された概念の用語であるのはいうまでもない。大きさがなく、質量だけがある点というのはもちろんそんなものはこの実在の世界にはない。もちろん、素粒子だって普通には場の量子論で大きさのない粒子として取り扱っているとしても、これはある種の理想化であって、大きさがないのに、質量だとか電荷とかがあり、かつフェルミ粒子だと固有の角運動量(スピン)まであるなんてことはない。すべて粒子も大きさをもっているはずである。

それは素粒子にも大きさがあるのだろうが、ある観測にかかる物理量として極めて小さい量であることを意味しているのであろう。それで原子核とかその他の粒子の電荷の広がりだとかを物理では問題にするということであったと思う。


何か書くということ

2018-03-23 11:51:38 | 日記

が義務化している現況はおかしい。本来書くことがあるからブログを書いているのであって、ブログを書くために書くタネを考える考えるのではないはずだ。

ところがときどきこの事実が逆転する。これは本末転倒だが、その本末転倒が起こる。

話はまったく異なるが、広島県の呉市と倉橋島との間に音戸大橋という大きな橋が空中高くかかっている(注)。それは私が学生のころにできたので、もう半世紀以上前のことである。ところが昨年9月初めに広島市で大学の同窓会があったときに、久しぶりにフェリーに乗ったのだが、なんともう一つ新音戸大橋とでもいうべき橋が架かっていることに気がついた。それだけ倉橋島と呉市との行き来が頻繁になっているということだろう。

二つの橋が同時に使われている。古い音戸大橋はその中に廃棄するのかもしれない。その辺も事情はまったく知らない。それに倉橋島もいまでは呉市の一部となっているのであろう。

この島の出身の数学者の友人 H 君がいる。もっとも彼と連絡がなくなって久しいので、健在なのかどうかは知らない。大阪にいたはずだが、現在はどこにすんでいるのであろうか。

(注)ここはもともと陸続きであったが、舟を使っての、宮島参詣のための近道として、平清盛が一日でこの水路を開いたと言われるところで、音戸の瀬戸といわれる潮の流れのはやいところである。古い音戸大橋の下にはこの音戸の瀬戸を開いた清盛を祀ったといわれる清盛塚がある。いつだっか、瀬戸内海汽船だか石崎汽船だかの高速艇が舵を切り損ねてここらあたりで事故を起こしたことがあり、今ではこの箇所では高速艇も速度を落とした低速運転する。


カップリング

2018-03-22 11:24:17 | 物理学

Couplingというのだろうか。いまでは日本語になっているらしい。これはNHKのFMの音楽の放送などでときどき聞く言葉である。

昔、LPレコードなどでメインの曲ではない方をB面とか言っていたが、それはちょっと時世に合わなくなっているので、付き合わせの曲という意味でカップリングといういい方が定着しているらしい。

らしいとしか言えないのはあまり確かではないからである。使われ方からだけ判断しているので、それも数回しか聞いたことがないからである。

そういえば、物理にパイメソンのps-pv couplingだとかps-ps couplingなどという用語を大学院生のころに覚えた。パイメソンはいまではパイオンと呼ばれており、ギスカラー粒子であるが、それがフェルミ粒子(核子:陽子と中性子)と微分演算子が入った形で相互作用しているときはps-pv couplingといい、微分演算が入らないときにはps-ps couplingだったと思う。もう半世紀以上も昔のことで記憶がしっかりしないが。

(2018.3.27付記) カップリングというコトバで最近は婚活パーティを意味していると今日の新聞で知った。カップリング・パーティというのがあるという。

若い男女の出会いの場としてはそういうパーティを企画開催することはやはり現代的な意味があるのであろう。

(2022.4.27付記)  カップリングという語は私には特に懐かしい語でもある。実は私の生まれて初めての論文たちは、実はある意味でカップリングという語で表されるものであった。

専門用語になるのかもしれないが、私たちに大学院のときに出された課題がChannel Couplingとでも言われる研究であった。これはある素粒子反応と別の素粒子反応が共存して影響を与えあう場合をおもちゃのモデルでシミュレートするというテーマであった。

その問題をテーマとして出してくれた先生方の期待に反して、研究は長い混迷に陥り、解決には2年以上3年近くも時間を使ってしまった。そのときに焦りとか落胆とかも経験したが、これを何とか解決へと導いて、やはり少し自信ができたのも事実である。

これは、私がまだ25歳か26歳のころで、もちろん30歳にも達していないころで、今から半世紀以上も昔のことである。

逆格子ベクトル

2018-03-21 11:49:11 | 物理学

「数学・物理通信」8巻1号、2号をすでに発行したが、まだ3号を発行しようとしている。もっとも原稿がたりないので、少し発行が遅れるかもしれない。

3月中の発行を目指しているが、4月の上旬になるかもしれない。短いエッセイや論文がたくさん掲載ということになるのかもしれない。それだと目次のページ数が1頁でおさまらなくなるかもしれない。

こういう事態ははじめてであるが、日本語の目次と英語の目次のページを別々にとるということにしなくてはならないかもしれない。

そうすると今までは論文やエッセイのぺージが2頁からはじめていたのが、3頁からはじまるというようになる。いままではそういう事態を避けるために1号分に載せる論文数を制限してきたが、そうはいかない。

ちょっと言葉での説明ではわかってもらえないだろうが、もしか8巻3号で見てもらえるかもしれない。なんでもないことではあるが、実際に「数学・物理通信」を編集しているものでないとわからない苦労があるものである。

私も8巻3号のために都合のいい数学エッセイがないかと自分のファイルの中を探したが、いくつかの書きかけのエッセイがあるのを見つけたが、なかなかそれらを完成させるだけの力がいまないし、また図が必要になるものもあるので、図を描くことができないとエッセイそのものができ上がらない。

ただ自分で書きかけのエッセイがいくつかあることの認識を新たにした。例えばだが、「逆格子ベクトルとは何か」という書きかけのエッセイがあったのを思い出した。本文はほとんどできているが、図がこれも必要であろう。それにちょっとした疑問も残っている。

これはKittelの『固体物理学』(丸善出版)の輪講を電気電子工学科の大学院でやっていたときに、逆格子の概念がどうも難しそうだというので書いたのだから時間的には大分前に書き始めたのエッセイである。インタ―ネットのサイトにも逆格子ベクトルをとりあげたサイトもあるが、どうも誰かえらい人が考えたとか書いてあるので、そういう考えを追い払いたいという気はいまでもしている。