物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

周期性と対称性

2017-05-31 10:48:20 | 日記

昨日は忙しかったのでブログを書くことを忘れた。ときどきこういうこともある。

今日は対称性のことを書いてみよう。これは数学とか物理における対称性のことではない。先日テレビを見ていたら、人間の鼻の穴は二つあり、私などには左右対称だと思われるのだが、耳鼻科の先生の曰くにはどうも鼻の穴は左右で同じ大きさではなく、大小があるらしい。

私の場合には右の鼻の穴の方が大きい。朝、顔を洗うときに鼻に詰まった鼻くそを水で濡らしてとっている。そうしないと夜の間に貯まった鼻くそで息がしにくいのである。

テレビの耳鼻科の先生の話がどういう話であったのかよく覚えていないが、少なくとも左右対称ではないことだけが頭に残った。

数学でも対称性とか周期性とかが問題になるが、なかなか人間とかの生物においては見かけ上は左右対称に見えても実際はそうではないということがあるということを知った(注1)。

ヨーロッパのお城が左右対称にできているなどということはあるのだが、日本人はわざとその対称性を乱すことがかえって美しいという感性があるとかどこかで読んだ気がする。

そういえば、「自発的な対称性の破れ」という概念が物理にあるのはよく知られている。これを対象にしてノーベル賞をもらった物理学者もいる。

 (注1) 周期性で一番顕著なものは結晶であろう。これもいろいろな数学的知識が蓄積している。そして、そういう周期性を扱う数学的手段としてフーリエ解析がある。

(注2)車のナンバーなどで、12-12などという番号を見ると周期的だなと思うし、56-65などというのを見るとこれは鏡映対称なナンバーだなどと思う。もっともそういう対称性はめったにお目にはかからないけれど。時計の時刻が10時10分前だとあれあれ長針と短針が対称だなと思ったりする。これは幾何学的な対称性だけれども。

 


一般相対性理論

2017-05-29 11:59:46 | 物理学

をちゃんと身につけたいとなんどか試みたことがあるが、いつも終りまで行かずに一般相対論が身についていない。私が学生のころには特殊相対性理論は必ず身につけなければならない分野であったが、一般相対性理論は必ずしもそうではなかった。

ところが現在では一般相対性理論は物理学者の必ず身につけておかなければならない分野の一つになって久しい。私としても何とかしたいと思って定年退職後の2007年とか2008年に内山龍雄さんの『一般相対性および重力理論』(裳華房)のテンソル解析の部分を読んでノートをつくろうとした。

そしてそれを7割か8割くらいは読んだのだが、どうもそこで息切れしてしまった。その後、これを読み返すことをしていない。私にはなんとも一般相対性理論への関心がもどってこない。

それでもいつかはちゃんとわかるようになりたいという願望を捨てたわけではない。だが、世の中には私と似た人がたくさんいると見えてそういう人のための一般相対性理論を解説したと称する書籍がときどき出版される。それらのすべてを購入しているわけではないが、数冊は購入している。

最近ではアマゾンの推薦書として"Tensor Analysis made Easy"とかいう本が推薦書として私のところにも来ていた。

私の友人の E さんは若いときには素粒子理論を専門にしていたが、あるときから宇宙の初期とかを研究対象にしたくらいなので、この一般相対性理論にも詳しいのだが、私はまだ上に述べたような状況である。

もっとも E さんの示唆で宇宙初期の安定性の問題を議論した論文を彼と書いたこともあるのだが、その程度のことにしか私は寄与はしていない。

 


無名塾

2017-05-29 11:21:45 | 日記

というのは演劇をする俳優さんを育てる一種の塾である。俳優の仲代達也さんが主宰している。先日、爆笑問題がNHKの裏側ワンダーランドでこの無名塾を訪ねていた。

そして仲代さんの前で太田光さんがちょっとした一人寸劇を演じていたが、なかなか演技が上手だった。入塾許可してくれますかと太田さんが尋ねたら、ちょっと年を取っているから、だめだと冗談がでた。それとギャラが塾長より高いので困るという冗談が続いた。

それはともかくとして最近はこの裏側ワンダーランドでも太田さんの鋭いコメントがあまりでない。一生懸命みんながはっとするようなコメントをつけるのために精進はしているのだろうが、最近はちょっと寂しいことが多い。むしろ田中さんの常識的なやり取りで爆笑問題がもっているような感じがする。太田さんの鋭いコメントが帰ってくることを期待したい。


最近のアクセスの傾向

2017-05-27 17:49:59 | 日記

昨年くらいはこのブログへのアクセスが金曜日に多くなる傾向があった。しかし、現在は木曜日の方がアクセスは多くて金曜にはアクセス数ががたっと落ちる。もちろん、日曜日にはもっと落ちるが。これは日曜には私がブログを更新しないのでアクセスが落ちるのはしかたがない。

最近は金曜日には外に外出したりする機会が多くて、パソコンの前には人がいるというふうではなくなってきているのであろうか。

プレミアム・フライデーという言葉もあるけれども。


抵抗運動、つまりゲリラは2度と同じ手を使うことができない

2017-05-27 17:37:53 | 日記

というのは、鶴見俊輔氏の『言い残しておくこと』(作品社)を拾い読みしていたら、出ていた。これは武谷三男の言とあった。それもあり得るが、羽仁五郎がいいそうなことであり、ひょっとしたら、羽仁五郎から武谷三男へと言い伝えられたことかもしれない。

いずれにしても、その創造性はどこかで活かさなければならない。


批判をどう考えるか

2017-05-26 12:28:14 | 日記

吉岡斉さんの『科学者は変わるか』(社会思想社)を県立図書館で借りて読んでいる。なかなか批判が鋭いので、吉岡さんの批判にたじたじである。

実践者的ではないと自ら言われているが、それにしてもなかなか根本的な批判が随所に出てくる。以前もこの書を借りて読んでいたが、十分読まないうちに返却時期が来たので、しばらく時日をおいてまた借りている。

私は武谷三男の研究者であるので、武谷批判として何が書かれているかに特に、注意をしている。ところで吉岡さんにしても最近『昭和後期の科学思想史』に重厚な武谷三男論を展開している、金山浩司さんの武谷批判にしてもそれはあたっているのかもしれないが、そういう批判を受けるようになった武谷三男の提案したいくつかの概念はけっこう興味深いものであり、そういう概念を提案したこと自体がやはりある種の創造性だと肯定的に思うようになった。

批判は批判として別に存在意義があるのかもしれないが、それでもそういう新しい概念なり、考え方を提唱するというのはやはり創造性だと思う。ある概念が提唱されたら、それは提唱される以前とはもちろん事態は違ってくる。そしてその概念が少しでもポジティブな意味を持つならば、それは批判されることがあってもやはり意味がある。

具体的に指摘をすると、技術論として技術を「労働手段の体系」とする定義と、「客観的法則の意識的適用」とする定義がある。私はこの適用説と言われる技術の定義が出た段階でこの技術の定義が正しいかどうかとは別にすでに労働手段の体系説しか技術の定義がなかった段階よりは進んでいると考える。それはどちらかが正しくてどちらかが正しくないという決着がたとえついていなくても。

それはどちらの定義も他の定義を考慮することなしにさらに考察することは許されない段階に入ったからである。

自然認識についての武谷の三段階論にしても、それが提唱される以前とされた後では考え方の範疇が広がった、すなわち自然への見方が、豊富になったと考えるべきだと思う。それは三段階論に賛成とか反対とかとは別のことだと思う。そして、一度、武谷三段階論が提唱された後は、それがないときとは事態がまったく異なっていると思う。

だから、外国でたとえば武谷三段階論がもし知られていないのならば、日本人は外国の科学者よりもこの見解を知っているという点で有利な点をもつ。

もちろん、他国の科学者が別の独創的な考え方とか見解をもっていれば、それをもし知らないとすれば、その分だけ日本の科学者はその点で不利になるのはしかたがない。だから、お互い様だと思う。

ただ、日本では外国で生まれた概念とか新しい考え方とかは割合に早く日本に紹介されることが多い、ところが日本でオリジナルな考え方でも外国に知られるのは時間がかかるという傾向にある。これは日本ではオリジナルな考えとか概念であっても自国で生まれたものを素直に日本の中で評価して、その普及に日本人が努力するという傾向が少ないからに他ならない。日本人の自己主張のなさだと言ってもよい。

なんでも一度ヨーロッパとかアメリカの科学者とか科学界の承認を一度経由しないと受け入れられ難いという後進性がある。

現在は21世紀で、20世紀前半のそういうふうな後進性がすでに克服されているのならば、大いに結構なことであるが。

(2017.6.1付記) たとえば、数学教育協議会の提唱する「量の理論」とか「水道方式」とかは実は世界に誇れる業績であるが、これが世界の教育界において一般的な共通概念になっているかどうかは疑わしい。そういう概念をすでにもっている日本の教育界は他の国と比べて進んだ立場にある。これはこういった概念に批判的な立場をとるかどうかというかとには無関係だと思う。そういう概念が提唱された段階では、そういう概念が存在しなかったときとはもう同じではない。

そういう歴史観を持たない人とは議論をしたくない。これは「量の理論」とか「水道方式」に批判的かどうかとは異なることである。そういうある意味で心をオープンに広げた態度をとるべきだと思う。


子どもをもつことは

2017-05-25 12:11:09 | 日記

ステータスシンボルである、ともう10年以上も前に聞いたことがある。これはアメリカの話だったと思うが、ドイツ人のR氏がアメリカに国際会議か何かで行ったとき、出会ったアメリカ人女性から子ども写真を見せられて自慢されたとか聞いた。

それで彼はアメリカ人女性はどういう男性と結婚しているかとか、もう離婚したとかはあまり問題ではないが、子どもを持っていることがステータスシンボルになっていることに気づかされたと言っていた。

日本でなら、メルチェ―デス・ベンツに乗っていることは弁護士さんとか医師のステータスシンボルかもしれない。またはBMWに乗っていれば、それもステータスシンボルになるだろう。

だが、その他にあまりこれはステータスシンボルだと思うようなものが思い当たらない。ところが子ども持つということはこれは大きなステータスシンボルである。そういう時代に日本も入ってきている。

 


体重が少し減った

2017-05-25 11:26:59 | 日記

重かったときは78キロぐらいまであったが、今朝計ったら、73キロを少し切っていた。ばんざい。

私の身長だと65キロぐらいが適性の体重かと思われるので、10キロぐらいの減量を医者から勧められていたが、なかなか減量できなかった。

それでかどうかはわからないが、ズボンを自分で立ったままはけるようになった。それまではどこかに腰掛けてズボンをはかないとはけなかった。これが10年以上続いたと思う。それが減量のせいかどうかはわからないが、立ったままズボンをはけるようになっていた。

これは減量のせいかどうかはわからない。左の足だけで立っていることができなかったのだが、左の足でも右の足だけでもしばらくなら立っていることができるようになったということである。

お腹がすこしへこんで来ている。5,6年以上まえより頬がこけて来ているので、昨年だったか久しぶりに会った友人が「君ちょっとやせたね」と言っていたが、それは見かけだけであり、実際の体重は5キロも減量していなかったと思う。

ともかく、なかなか体重は減らないものである。

 


テレビが普及したころ

2017-05-24 11:58:18 | 日記

いつ頃テレビが普及したのかはよくは覚えていない。私が大学生であったころに当時の大学生は個人的にテレビを持っているものはほとんどいなかった。

どの家にもテレビが入ったのは私が大学の3年か4年のころではなかったろうか。私の家はあまり早くテレビを購入しなかったような気がする。これは高校生の妹たちの受験の邪魔になるということよりは経済的に購入する余裕がなかったのであろう。

大学の1年と2年の夏休みに帰省した時にはプロ野球の中継を叔母のうちまで見に行っていたような気がする。もっとも叔母のうちまでは自転車で5分くらいだから近かった。歩いても10分くらいだったろうか。

カラーテレビが見られるようになったのは1964年の東京オリンピックのころで、このころはモノクロのテレビはどこの家庭でも持っていたと思うが、カラーテレビは珍しかった。それでカラーテレビで東京オリンピックの開会式を見たのはどこかの喫茶店であったように思う。

私たちが結婚したときに購入したのはまだモノクロのテレビであった、子どもたちは文句もいわずにモノクロのテレビでサンダバードのアニメを兄弟で並んで見ていた。

そのうちにカラーのソニーのテレビを購入して、見るようになったが、これは子どもが幼稚園に通うようになってからだろう。夕方にはアニメの放送があって、兄弟で二人がおとなしく見ていたが、そのうちにテレビのアニメだけでは満足できなくなり、絵本を読んでくれとせがまれるようになった。

下の子が好きだったのが『モリタロウさんの自動車』という絵本でこれはもう本当にいやというほど繰り返して読まされた。読み終わったら、すぐにもう一度読んでくれというのである。それが終わったら、またもう一度読まされる。この物語がとても好きだったのであろう。

上の子は自分で字が読めるようになると『キャプテン』というマンガに夢中でなんかいとなく読み返してはあらすじとかを私たちに話してまでくれるのだが、自分で読んだわけではないので私はこれについてはまったく覚えていない。

 


ノーベル賞受賞者の同期生

2017-05-23 11:53:11 | 日記

愛媛県はいままでに二人のノーベル賞受賞者を出している。そしてたまたまというべきかどうかはしらないが、その二人とも大洲市とか内子町と関係している。

大江健三郎氏は今では内子町に編入されている大瀬の出身であり、高校は松山東高校の出身だが、一年生のときには内子高校の生徒であったらしい。

愛媛県数学教育協議会(愛数協)の元委員長の S さんは内子高校時代に大江さんの同期生であったという。近しくつきあいがあったとまでは聞いていないが、同期生であったことは確かである。大江さんは2年からは松山東高に転校したが、よくできる優秀な学生であったということは S さんの記憶にやはり残っている。

先年、ノーベル物理学賞を受賞された中村修二氏は大洲高校の卒業生であり、彼と大洲高校での同期生であったやはり別の S さんは愛媛県数学教育協議会の前委員長であった。

このことを私は知らなかったが、最近彼が雑誌「数学教室」に掲載のエッセイでこのことを述べているので知った。要するにたまたまだが、愛媛県数学教育協議会の元委員長と前委員長とが続けて二人しかいない、愛媛県出身のノーベル賞受賞者の同期生であったという偶然が起こった。

このことはある意味では偶然であるが、それほど偶然ともいえない。別にノーベル賞受賞者と友人であったり、知人であったりしたからと言って急に私たちの文化度や価値が上がるわけではないが、そういうふうなことがあまり不思議なことでもないという時代の日本に我々は生きている。

私にしてもノーベル物理学賞受賞者の M さんの近しい友人ではないかもしれないが、知人の一人には入るだろう。それだからと言って、私の文化度が急に上がるわけではなく、それぐらいの環境に現在の日本の科学や文学その他の状況がなっている。いい時代に私たちは生きている。

国の政治においては最近の「テロ等準備罪」の国会審議のような暗い話題もあるけれども、文化度が日本は上がっているという証であろう。 一方において、内心の自由さえも許されなかった治安維持法の二の舞をどうも「テロ等準備罪」が演じるのではないかという、危惧は大いにあるけれども。

(2017.5.27 付記 ) 上にノーベル章文学賞受賞者の大江さんの内子高校の同級生であった、S さんのことを書いた。ところが鶴見俊輔さんの『言い残しておくこと』(作品社)の付録をたまたま見たら、大江さんの文章があって、内子高校でシカとされて仕方なく、高校2年生のときに松山東高に転校したとある。もちろん、松山東高の名前は書かれてないけれども。

そういういきさつがあったとは知らなかった。普通に考えたら、秀才だった大江さんが大学進学に適した松山の名門の高等学校に転校したのだろうくらいにしか考えていなかった。生徒にシカとされただけならまだしも先生にもシカとされたとあった。

これは事実かどうかは私は知らないし、そういうことを知人の  S さんに聞くつもりもない。それは人が違えば、見方とか感じ方も違うので、事実は一つではないからである。どの事実もそれなりに正しいのであろう。

しかし、ちょっと重苦しい話ではある。


アニサキス症

2017-05-22 17:54:31 | 健康・病気

なんてつい先日まで知らない言葉だった。ドイツ語のクラスで初めて出会って、どうも魚に寄生している寄生虫らしいとは思ったが。

そうしたら、その後テレビのニュースでもアニサキス症のことに触れていたし、先日は新聞にまで出ていた。淡水魚に寄生する虫による腹痛とからしい。

その寄生虫を内視鏡か何かでとってやらないと痛みが消えないという。淡水魚でも健康な魚では内臓に寄生しても肉の部分に入り込むことは少ないらしいが、それでも時間が経てば肉の部分に入り込むという。それを知らずに食べたら腹痛を起こす。そして内視鏡で取ってやらないと痛みが続く。

やっかいな寄生虫だが、ときどきこれにかかる人がいるらしい。こういう症状があるとは聞いたことがあったが、その名前までは知らなかった。


ラジオがメディアの中心であったころ

2017-05-22 12:31:34 | 日記

というのは私が小学生から中学生のころのことである。西暦で言うと1945年くらいから1955年くらいのことである。中学校のときに修学旅行で大阪に行ったときに宿でテレビ放送をみた。

しかし、それまでのメディアの中心はいまのテレビではなく、ラジオであった。中学校のころに友人の影響を受けて大相撲の実況放送を聞くようになった。

友人は吉葉山のファンであったが、吉葉山は不運の横綱であり、大関のときに全勝優勝して最終的に横綱にはなったが、その後は優勝はできなくて引退した。不運の横綱というのは大関として14勝1敗だったときに平幕の時津山が15戦全勝して優勝し、優勝できなかったからである。その他の吉葉山の不運の物語はたくさんあるだろう。

話がすぐにラジオから他の話題になってしまった。オリンピックの戦後の参加はヘルシンキ大会が最初であった。このときにラジオの中継があったのだが、その音声を聞いてオリンピックの開会式をはるかに想像するしかなかった。いまでなら、テレビとかインターネットで画像を簡単に見ることができるであろうけれども。そのときに日本のことヤーパンという観衆からの叫び声を聞いたのではなかったか。ヤーパンというのが日本のことだとは2歳年長の兄から教わった。

ともかく私の小学生や中学生のころはまだメディアの中心はラジオであった。いわゆる終戦の昭和天皇の放送を近くの動員所(その後そこは職業安定所になった)に聞きにいったが、なんだか重々しい声が聞こえただけで何が何だかわからなかった。

テレビで昭和天皇の終戦の放送を聞くことが最近でもあるけれどもあんなハッキリしたり音声は聞いた覚えがない。


豆ごはん

2017-05-20 14:34:03 | 日記

5月になるとエンドウ豆が採れる季節である。私は5月生まれのためかこのエンドウ豆を入れたごはんが大好きである。

この豆ごはんの思い出は食物が少なかった、1945年ごろにさかのぼる。第一、コメのご飯を食べることがご馳走であった時代のことである。そして、その豆ご飯はすくなからず母を思い出せてくれる。

昨夜もエンドウ豆のさやをむいて、実をとり出し、その全部を米を洗って準備してある電気がまの中に入れたが、こんなにたくさんのエンドウ豆を入れるとは思ってもいなかった。

緑色の色がいい。コメが銀色に光っている中に緑のエンドウが入っているのは色彩的にもとてもいいし、歯触りもなんともいえずにいい。


四元数の理解

2017-05-20 14:03:01 | 数学

が進んで来ている。これは英語でのサイトを見て思ったことである。googleの情報技術者の方がどこかの会合で話したパワーポイントかなにかの画像(69頁)がでていたが、やはり自分のもっている、四元数についてのいくつかの疑問点をできるだけ説明したいという感じが大いに感じられて好感を感じた。

英語で書かれたサイトでは、他にもそういう感じのサイトがあるようである。日本ではどうか。突っ込んだサイトがあるのかもしれないが、もう一つ迫力不足のような気がする。

私が書いた四元数の理解について言及したサイト等を見たことがないし、その少しでも進んだ理解をするための意気込みを評価してくれる人などあまりいるようにはみえない。だが、私の四元数への理解は自分一人だけで急に進んだわけではない。私の四元数の理解に、私より先に私の到達した理解に近いところまで行っていた人は複数おられる。ただ、その理解を私がほんの一歩進めただけにしかすぎない。

すくなくとも私はそのヒントを得たサイトは落とさないように引用をして、そのサイトの著者の名誉は守ったと思っている。インターネットのサイトだけではない。私が読んで知った限りの書物にもそれなりの評価を与えておいたつもりである。もちろん私の目の届いていないところに勝れた理解をしている人がおられるのかもしれない。

人間なんて一人の人の考えるところには限りがあろう。だから、多くの人の智恵を結集しなければ遠くまで行くことができない。昨日英語で書かれた四元数のサイトのいくつかを見ての感想である。もっとも走り読みだからもっと詳細に読む必要があるだろう。


免許証の更新は本当は延長?

2017-05-20 11:37:59 | 日記

先日のドイツ語のクラスでIch habe gestern meinen F"uhrerschein neu gemacht.(イッヒ ハーベ ゲスタン マイネン フューラシャイン ノイ ゲマッハト)といったら、neu gemacht ではない、verl"angernだと言われた。verl"angernフェアレンガァンとは普通に日本語で言えば、「延長する」という意味である。

なるほど発想のちがいかもしれないが、それが表現のしかたにも表れている。いまさっき日本語でいう「更新する」を和独辞典で念のため引いてみたが、「更新する」という語の訳語はerneuernエアノイアンとあって、「延長する」にあたるverl"angernはなかった。これはやはり発想が違うとしか言いようがない。

erneuernという面倒そうな動詞の中には「新しい」を意味するneuが入っている。同じくverl"angernの中には「長い」という意味のlangがはいっている。ドイツ語はこうした合成語が多い言語である。

verという前綴りがついた動詞には後に結果が残る意味があるという説明をどこかで聞いたことがある。verschlafenだと寝過ごすという意味だし、verlierenだと失うとかゲームで負けることを意味したりする(注)。

汽車とかなんかに乗り遅れるという意味のドイツ語もあったが、いま思い出せない。ということで和独辞典を引いてみたのだが、den Zug verpassenとかvers"aumenという語が出ていたが、どうも知っていた語はこれではないような気がする。verfahrenかと思って今度は独和辞典を引いてみたのだが、こちらは「振舞う」というような意味しか載っていないし、この言葉ではなさそうである。

昔、覚えていた語も忘れてしまうような年齢だからしかたがない。sich verliebenというLiebeリーベ(愛)という語を含む再帰動詞があるが、「ほれこむ」とか「夢中になる」いう訳語がついている、確かに誰かを愛するということはその結果が自分の中に残っているということではある。

ドイツと日本の車の免許制度のちょっとした違いを最後につけ加えておこう。ドイツでは一度車の免許をとったら、更新の手続きなどいらない。その免許は終身有効である。ところが日本では一度免許をとっても5年ないし3年に更新をしなければならない。その辺はドイツ人にはとても奇妙に思えるらしい。

所変われば品変わる Andere L"ander, andere Sitten.(国が変われば、風習もちがう)

(注)verとかerとかいう動詞の前綴りはアクセントがおかれず、そのために分離しない前綴りである。一方aufだのeinだのという前綴りのついた動詞はこの前綴りの部分にアクセントがあり、それでその前綴りは分離して文の最後におかれる。こういう動詞を分離動詞という。もっとも助動詞等が定動詞として使われる場合には分離動詞の前綴りは分離しないで、動詞は文末におかれる。これはドイツ語に特有な文の枠構造である。

こういう面倒なことがあるので、ドイツ語はあまり一般の日本人に好かれない。特に英語だけが万能のような風潮があるので。私は5人兄弟であるが、私以外の兄弟の誰もドイツ語などわからない。たまたま私は「嫌な」ドイツ語が少しだけできるようになった。ある意味では変わり者である。

定動詞とは主語にしたがって活用変化する動詞のことでドイツ語では肯定文の場合には文中の二番目の位置にくる。もっともこれは意味として二番目ということであり、語として二番目ではない。

例で示しておくと、Ich (kann) Deutsch (sprechen). (私はドイツ語を話すことができる)で「できる」を意味するkannは文章の二番目の位置に来て「話す」にあたる動詞sprechenは文末におかれている。これはkannとsprechenで枠をつくっているので枠構造(Rahmenbau)と言われる。ドイツ語の大きな特徴である。( )はこの枠構造を表すために使われている。

Ich kann sprechen Deutch. (英語ならI can speak German.で文法的に正しい)とは言わない。これが英語と違うところであり、私などがドイツ語をわからなかった一番の理由がこのような語順をとるということを知らなかったためである。

だから、現在のドイツ語の教え方は名詞の格変化や冠詞の変化も教えるが、まず最初に英語と語順がちがうことがあり、そのことがドイツ語の特色だという点をドイツ語学習のかなりはやい段階で教えるようになっている。