先日のドイツ語のクラスでIch habe gestern meinen F"uhrerschein neu gemacht.(イッヒ ハーベ ゲスタン マイネン フューラシャイン ノイ ゲマッハト)といったら、neu gemacht ではない、verl"angernだと言われた。verl"angernフェアレンガァンとは普通に日本語で言えば、「延長する」という意味である。
なるほど発想のちがいかもしれないが、それが表現のしかたにも表れている。いまさっき日本語でいう「更新する」を和独辞典で念のため引いてみたが、「更新する」という語の訳語はerneuernエアノイアンとあって、「延長する」にあたるverl"angernはなかった。これはやはり発想が違うとしか言いようがない。
erneuernという面倒そうな動詞の中には「新しい」を意味するneuが入っている。同じくverl"angernの中には「長い」という意味のlangがはいっている。ドイツ語はこうした合成語が多い言語である。
verという前綴りがついた動詞には後に結果が残る意味があるという説明をどこかで聞いたことがある。verschlafenだと寝過ごすという意味だし、verlierenだと失うとかゲームで負けることを意味したりする(注)。
汽車とかなんかに乗り遅れるという意味のドイツ語もあったが、いま思い出せない。ということで和独辞典を引いてみたのだが、den Zug verpassenとかvers"aumenという語が出ていたが、どうも知っていた語はこれではないような気がする。verfahrenかと思って今度は独和辞典を引いてみたのだが、こちらは「振舞う」というような意味しか載っていないし、この言葉ではなさそうである。
昔、覚えていた語も忘れてしまうような年齢だからしかたがない。sich verliebenというLiebeリーベ(愛)という語を含む再帰動詞があるが、「ほれこむ」とか「夢中になる」いう訳語がついている、確かに誰かを愛するということはその結果が自分の中に残っているということではある。
ドイツと日本の車の免許制度のちょっとした違いを最後につけ加えておこう。ドイツでは一度車の免許をとったら、更新の手続きなどいらない。その免許は終身有効である。ところが日本では一度免許をとっても5年ないし3年に更新をしなければならない。その辺はドイツ人にはとても奇妙に思えるらしい。
所変われば品変わる Andere L"ander, andere Sitten.(国が変われば、風習もちがう)
(注)verとかerとかいう動詞の前綴りはアクセントがおかれず、そのために分離しない前綴りである。一方aufだのeinだのという前綴りのついた動詞はこの前綴りの部分にアクセントがあり、それでその前綴りは分離して文の最後におかれる。こういう動詞を分離動詞という。もっとも助動詞等が定動詞として使われる場合には分離動詞の前綴りは分離しないで、動詞は文末におかれる。これはドイツ語に特有な文の枠構造である。
こういう面倒なことがあるので、ドイツ語はあまり一般の日本人に好かれない。特に英語だけが万能のような風潮があるので。私は5人兄弟であるが、私以外の兄弟の誰もドイツ語などわからない。たまたま私は「嫌な」ドイツ語が少しだけできるようになった。ある意味では変わり者である。
定動詞とは主語にしたがって活用変化する動詞のことでドイツ語では肯定文の場合には文中の二番目の位置にくる。もっともこれは意味として二番目ということであり、語として二番目ではない。
例で示しておくと、Ich (kann) Deutsch (sprechen). (私はドイツ語を話すことができる)で「できる」を意味するkannは文章の二番目の位置に来て「話す」にあたる動詞sprechenは文末におかれている。これはkannとsprechenで枠をつくっているので枠構造(Rahmenbau)と言われる。ドイツ語の大きな特徴である。( )はこの枠構造を表すために使われている。
Ich kann sprechen Deutch. (英語ならI can speak German.で文法的に正しい)とは言わない。これが英語と違うところであり、私などがドイツ語をわからなかった一番の理由がこのような語順をとるということを知らなかったためである。
だから、現在のドイツ語の教え方は名詞の格変化や冠詞の変化も教えるが、まず最初に英語と語順がちがうことがあり、そのことがドイツ語の特色だという点をドイツ語学習のかなりはやい段階で教えるようになっている。