物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

げんない

2013-05-02 14:41:53 | 芸能ネタ

「げんない」という演劇をぼっちゃん劇場に見に行った。出演者は飛んだり跳ねたり、歌ったりとの大活劇である。

その中にはピエロさんに扮した人もあった。パントマイムもする人であり、まるでガラスの窓のところで外をガラスに触れながら見ているという様子がよく出ていた。

玄関ホールに出てきた時には出演者がみんなそこにご挨拶に出て来ていた。主役の平賀源内さんになった人たちと記念撮影をしていた方々もおられた。

私はピエロさんに「あなたは演技がうまいですね」と声をかけたら、とても喜んでいた。ハイタッチして別れた。

マイクロバスで乗ってきた人たちも数十人おられた。坊ちゃん劇場は近くにショッピングモールもあり、利楽という温泉もある。ここは伊予鉄道の見奈良駅から歩いて5,6分と近くらしい。

行かれたことのない方は一度行かれることをお勧めしたい。2時間とちょっとくらいの上演時間であり、大音響でそれがあまりお好きでない方はちょっと大変かもしれない。


林家染太落語公演

2012-11-05 11:34:03 | 芸能ネタ

いま売り出し中の落語家林家染太さんの落語と彼の企画した一連のショウを内子町の内子座に見に行った。

折角の機会だからということで、少し早めに知人のKさんを誘って9時過ぎには松山を出発した。

途中で土地のマーケットやレストラン等がある、「からり」に寄ってしばらく時を過ごし、それから少し早めに内子町の役場の駐車場に駐車をして、内子町を観光した。女性二人はお店に入ってあれこれ品定めをしたりした。

13時30分前には内子座の前で開場を待った。そのうちに時刻が来て、開場されて中に入ることができた。

落語は桂三幸さんに一つと林家染太さんの3つで途中でマジックとかクラシックの音楽の演奏があったりしたが、最後にクラシック音楽の演奏家とのコラボとしての落語と音楽の演奏があった。

この主題は演歌のメロディーとクラシックの音楽のメロディの類似性を追及したおもしろい企画であり、なかなかのアイディアであった。

ヴァイオリンを演奏された浅野未来さんはとても美人のヴァイオリニストであり、ピアニストの西岡さんも背の高い美人であったが、西岡さんは内子町の出身だとのことであり、浅野未来さんは松山市の出身で染太さんの久米中学校の同級生であったのことであり、大いに楽しむことができた。

こういう企画なら、その頻度はどれくらいがいいかはわからないが、これからも定期的にしたらいいのではないかと思われた。染太プロダクションの再度の企画を期待したい。

帰りは秋ということで夕方の夕闇が早くにやって来たが、高橋龍太郎邸の門前まで行ったが、もう時間が遅く邸内に入ることのできる時刻は過ぎていた。

その後は、暗くなった国道56号線をひたすらに松山へと帰り、Kさんを送った後に、11号線沿いの金牛亭でマッコリを飲みながら、韓国料理のキムチ鍋を食べた。マッコリは韓国で人気のある濁り酒であり、初めて飲んだが、私の飲んだマッコリはあまりきつくはなく、するするとのど越しもよく、気分よく飲めた。


杏さん2

2012-03-31 16:20:28 | 芸能ネタ

昨日、杏さんについて書いたら、ブログのアクセスが普通よりも約35ほど多くなった。これはいまをときめく人気女優でモデルの杏さんについて書いたのだから、私の書くこのようなブログまで少し影響を受けたということであろう。

昨日ブログを書いた後で、ネットを調べたら、杏さんが渡辺謙さんのお嬢さんであることは今ではもちろん知られているが、それほど知られたことではなかったらしく、昨年の11月頃にこのことを知って驚いたとかいう記事があったりした。

これは一つには杏さんのお母さんは謙さんと離婚したので、杏さんとお兄さんの俳優、渡辺大さんとはお母さんと暮らしていたことにもよるらしい。

杏さんは身長が177センチもあって、背の高い人だということもわかった。それなら確かにモデルとしても最適なのであろう。フランス語と英語をほぼ苦労なく話すともあった。才女でもあるが、堀越高校を中退したので高校修了資格試験を受けて合格しているらしい。

なかなかの苦労人でもある。はじめ渡辺杏としてデビューしたらしいが、渡辺を除いて単に「杏」としたほうがよいとアドバイスをしたのはお父さんの謙さんらしい。父と母は離婚しても、子どもにとって父と母は変るわけではない。

杏さんの成功は親の七光りだという方もあるみたいだが、単なる親の七光りではこうまでも人気が出るわけではあるまい。やはり、本人のもっているものがいいのであろう。


杏さん

2012-03-30 14:21:56 | 芸能ネタ

杏さんは女優でモデルである。私はNHKの教育テレビのJ文学に出ている杏さんを見ているので、杏さんのあの顔のやさしげだが、その中の強さをかすかに感じていた。

しかし、今日朝日新聞で三谷幸喜さんが「杏さんがあの渡辺謙さんのお嬢さんだ」と書いているのを読んでびっくりした。

渡辺謙さんは三船敏郎さん亡き後の、日本を代表する男優であると思う。私には数年前に見た映画「沈まぬ太陽」の主演がことのほか印象が強い。渡辺謙さんの出た映画やドラマはたくさん見ているはずだが。

道理で杏さんの芯の強さが理解できたような気がした。杏さんが出ている他のドラマとか映画をあまり見たことがあるわけではない。いつだったかNHKでドラマに出演していたのを見たくらいである。

三谷幸喜さんは数年前には松たか子のもつ圧倒的なオーラに感激しておられたが、いまは杏さんのオーラに感じ入って、感激をされておられるようだ。犬を一緒に杏さんと散歩させたと誇らしげに三谷さんは書いておられる。

ところで杏さんと渡辺謙さんが親子であることは、私のような世情に疎いものには驚きでも、世間の一般の方々にとってはすでによくご存知のことであったろう。

杏さんのセイラさんとかロバート・キャンベルさんとのやりとりをNHKのJ文学で楽しく眺めている。


水沢の一夜

2012-03-02 12:59:59 | 芸能ネタ

昨日、県民文化会館(ひめぎんホール)で前進座の公演があった。その中の一つの演目が「水沢の一夜」であった。

幕末の蘭学者で医師の高野長英が獄に入っていたが、火事に乗じて放免されたときに数日中にまた獄にはもどらず、逃亡生活を続けるが、母親の美也に一目会いたくて出身地の水沢を訪れるという筋の新劇である。

鶴見俊輔さんの『高野長英』によれば、母親の美也は当時水沢には住んでおらず、母親の弟の住んでいた前沢に住んでいたというから、水沢を長英が訪れたというのはこの演劇の台本を書いた脚本家のフィクションであろう。

それに長英には息子はいたが、娘がいたようには思えないので、さらにフィクションが重なっているように思える。しかし、長英役の主演の嵐芳三郎さんがおわり頃に語る台詞に「宇和島藩にはシーボルト先生の相弟子の敬作がいる」と語るときには、なんだか伊予の人に誇らしげに語りかけるような感じだった。

そのときの気持ちを本人に聞く機会があるわけではないので本当のところはわからないが、多分主演の芳三郎さんはこの台詞を語るときには、多分に愛媛の公演では観衆に親しく語るという感じを強くもっていたことだろう。

愛媛県では昔の卯之町、今の行政区分では西予市の出身の方とかその近くの宇和島の出身の方とか、はたまた愛媛県人は二宮敬作のことを知らない方はおられないだろう。

昔、司馬遼太郎の「花神」というNHKの大河ドラマがあったが、このドラマではシーボルトの娘のイネを育てたのはこの敬作であったと思う。そして、その当時宇和島藩に召抱えられていた、村田蔵六(大村益次郎)の恋人役で、浅丘ルリ子さんがイネを演じていたと思う。また村田を演じたのは現在、前進座の会長である、中村梅之助であった。

鶴見さんの高野長英の評伝を読む機会をこの公演のお陰で持てた。こういう機会がないと私などは高野長英の伝記など読み機会がなかったろう。


前進座松山公演

2012-01-11 12:00:33 | 芸能ネタ

3月1日(木)午後6時30分から、ひめぎんホール(県民文化会館)で前進座創立80周年記念の松山公演がある。

演目は新劇の「水沢の一夜」と歌舞伎「毛抜」である。歌舞伎の「毛抜」は有名な歌舞伎の一つだそうである。いま、愛媛県医療生協を中心としてその公演チケットの販売促進が行われている。

主催は前進座創立80周年記念愛媛公演を観る会で、

連絡先は 電話は089-948-6727または携帯は090-9779-1751

である。

チケットは約1000枚でその内の6~7割が指定席7000円であり、あと残りは自由席4500円である。それぞれが当日券だと8000円と5500円となるから、観賞を希望する方々はぜひ前もってチケットをお求めになると少しでも安上がりとなるだろう。

先日、京都南座に同じ前進座の歌舞伎とか新劇を見に行ったが、普通にチケットを買うと12000円くらいするそうだから、松山公演は比較すれば、安価に観劇ができることになるのだが、それでも7000円のチケット代は安くはない。

「水沢の一夜」はシーボルト門下生の俊才の蘭学医、高野長英が幕府の牢獄につながれていたが、火事に乗じて脱出をし、全国を逃げ回るが、そのうちに故郷の水沢の実家で母と娘と一夜を過ごすという話であるが、娘の恋人の啓四郎が長英の警護をかってでていたのを追っ手の鉄砲隊に撃たれて重傷を負ったのを長英が手術をするという筋らしい。

愛媛県宇和町に長英がかくまわれていたという家があり、愛媛県人にも長英は親しみ深い人である。

歌舞伎の「毛抜」は歌舞伎の事情に詳しい人によれば、有名な歌舞伎演目の一つだそうである。ある姫君の縁組が進んでいたが、姫君にその髪の毛が逆立つという奇病が出るという話であり、その奇病のタネはどうも今からみると磁場とか磁石に関係をしているらしい。そういう意味ではこの歌舞伎はいまでいうとミステリーの謎を解くという今流行の推理ものである。

別に私は前進座からお金をもらってPRをしている訳ではないが、ボランティア的にPRをしたいと思って、このブログの話題の一つとして取り上げた。関心のある方は上記の電話か携帯にコンタクトしてみてほしい。


前進座80周年公演

2011-12-23 13:13:03 | 芸能ネタ

2012年の3月1日にひめぎんホール(県民文化会館)で前進座の80周年記念公演がある。それで先日の12月21日の夕方、松山市来住町の生協病院の会議室でその公演を成功させるための集会があった。

妻がこの公演の準備会の実行委員の一人になっているので、参加した。前進座は会社組織になっているそうだが、この会社の社長の嵐圭史さんが公演促進のために松山に来られて話をされたり、平家物語を朗読されたりした。

さすがにこの朗読は圧巻であったが、話もユーモアもあり、とても興味深いものであった。ただ、嵐さんが自分の持ち時間を20分ほど超過したのは頂けなかった。これは司会者が注意すべきところであろう。

3月1日の公演の題目は歌舞伎の「毛抜き」と現代劇の高野長英の逃走中の一こまを描いた、「水沢の一夜」である。高野長英は愛媛県の宇和町などにも関係があり、ある程度愛媛県の人も親しく感じる人である。

長英はシーボルト(ドイツ語では本当はジーボルトが正しい)の高弟であり、彼のやったことが当時の幕府の気に障ったために牢獄につながれ、死刑の宣告を受けたのだと言う。特に長英が倒幕運動を繰り広げたわけではない。

そういう意味では長英とか現代から見ると、不条理であるが、牢獄に火事を起こし、そのすきに牢獄を駐英は抜け出したのだと言う。医学に優れていただけではなく、軍事学にも詳しかったために各藩が競って密かに長英を一時的にかくまっただろうとは圭史さんの話であった。

ここで、軍事学とは具体的に何かと質問をしたかったが、それを聞く機会はないままで終わった。私の推測ではこの軍事学の主なものは砲術ではなかったろうか。砲術はどういう風に大砲を撃つかに係ってくる。それはある意味では放物体の運動を含んでいただろうから、軍事学とは物理学の初歩を含んでいたはずである。

軍事学が科学のどういう意味で日本での近代科学の導入になったかはわからないが、武田楠雄氏の「明治維新と科学」(岩波新書)だったかには日本における近代科学の導入は航海術であったとかいてあった。

航海術は大海で自分の船の位置を天体の観測から決めるとかいうことを含んでおり、これは三角法の知識が必須である。こういうことから近代科学が日本に次第に導入されたのであろう。

近代科学はこういう実学としてはじめて日本では導入されたのに違いない。


京都南座観劇ツアー

2011-01-14 13:04:19 | 芸能ネタ

毎年この時期になると土日と京都南座に前進座の観劇ツアーに出かけている。今年も明日から明後日にかけてである。これは松山市民劇場の恒例の行事の一部なのだが、これを世話している妻たち3人の方々の方針で一応今年を最後にしようということになっている。

これは30人の参加者を集めることがだんだん難しくなっているからである。バスには36人まで乗れるのだが、36人は無理としても30人を越えないと採算がとれない。ところがこの30人を集めることが極めて難しい。

はじめ募集を始めた11月頃には優に30人を越えて集まるのだが、そのうちに12月半ば頃までに毎年キャンセルの連絡が相続くのである。はじめは募集人員の30人を越えているので、計画はスタートしているので、途中で中止するわけにはいかない。途中でキャンセルが出て、30人を切るという事態になるとその穴埋めは世話人の重要な仕事になる。

日本人はグループで行動するという習性があるので、グループの数人が行くことを止めるとそのグループは誰も行かないという現象が起こるのである。

ところがお願いして無理にでも誰かに参加をお願いできる能力をもった世話人は残念ながら妻を除いてはいない。それで、妻の心労は少なくない。だから、観劇ツアーを今年で最後にしようという妻の気持ちは痛いほどわかる。

もちろん、旅行の途中では別の世話役のNさんがバスの出発時にちゃんと人数がそろっているかを数えたりする等の世話をかいがいしくされるし、休憩やバス旅行の途中でのアナウンス等のお知らせ役は世話人代表のHさんの仕事である。

彼は旅行の途中で集団がはぐれないようにとの配慮から真っ赤なセーターを着込んでいて、途中の見学等でグループのメンバーがはぐれそうになったりしたときなどにその赤いセーターは目印になる。

昨年だったか、宇治の平等院を見学したときにメンバーの数人が構内に入ったところの出口ではなく、別の出口から出てしまった。そのためにバスが10分くらい彼らがバスまで帰ってくるのを待ったが、そのときにはメンバーが胸につけていたオレンジの記章が役に立った。平等院の係員からその記章をつけた方々が別の出口から出て行きましたよとの情報を得て、間違って数人の方々が別の出口から出たことがわかった。

それとそのはぐれた方がもっていた携帯電話でなんとか連絡がついて、世話人はほっとしたものだった。事情がわかって、全員がほっと胸を撫で下ろしたのを覚えている。

ということで明日のブログは休みます。


グレイクリスマス

2010-01-28 12:57:11 | 芸能ネタ

先日、市民劇場で演劇「グレイクリスマス」を見た。これはまったく予想とちがって戦後の日本のある伯爵家の話を劇としたものであったが、敗戦直後から朝鮮戦争で日本が特需景気に湧くというあたりまでの話であるが、最後には日本国憲法の復習まであり、きわめて教育的である。

最後にこの日本国憲法の九条の条文を五條華子を演ずる三田和代さんがモノローグでしゃべるのは、心を寄せていた日本人二世の軍人ジョージ伊藤が朝鮮戦争で亡くなってその遺品のオルゴールがO Tannebaumの曲を奏でるときであった。

このO Tannebaumのメロディーはよく知られた曲である。私もあやうくO Tannebaum, O Tannebaum !  Wie treu sind deine Bl"atter ! と口ずさみそうになった。

最後が教訓めいてちょっと鼻白んだが、どうも日本人の感覚はまったく戦争中と変わらなかったというか、天皇中心の考えが残っており、その上にその天皇について考えたことがないということを示唆された劇であった。

いま「示唆された」と書いて思い出したことがある。先日聞くともなくラジオを聞いているとsuggestとproposeという語の説明をしていた。proposeは積極的な提案なのに対して、suggestは控えめな提案であるという。

何十年か前に初めてletterと呼ばれる短い論文をProgress of Theoretical Physicsという雑誌に出したときに、論文の末尾にこのテーマについてはSさんにsuggestされたと書いた。このときにsuggestと書き加えてくれたのはその当時指導教官であったYさんだったが、suggestという語がよくわからなかった。

いや、その感じがわからなかったわけではない。わかったのだが、その当時に辞書を引いてみたら、「示唆する」とあった。示唆という語はどうも犯罪をそそのかす場合にも使うので一般の人にはいい意味にはとられないと思うが、「~してみたら」と勧めることであろう。しかし、示唆するという語感がそのときはあまりに控えめすぎるように感じていた。


若葉寄席へ行く

2009-06-15 16:17:54 | 芸能ネタ

テニス仲間のOさんのお子さんが噺家となったのは数年前のことである。その噺家さんを含む新進の噺家さんたちがこぞって松山で寄席をするというので昨日聞きに行った。

なかなか芸達者な皆さんで、ひとときを楽しませてもらった。県民文化会館の中ホールで開かれたこの寄席は満員で席を探すのに苦労するほどであった。芸人さんは日本全国で1000人くらい居るそうでただ食べていくのはそれほど難しくはないそうだが、噺家ともなれば、芸を磨くことが大切だと言われているとか。

何事も簡単なものはない。他人のやっていることは楽そうに見えるけれどもなんでも楽なものはない。ということでいたるところに頑張っておられる人が居ることは頼もしく感じた次第であった。


Abonnement

2009-02-06 11:21:13 | 芸能ネタ

昨夜、市民コンサートがあった。木曜日の夜は普通はドイツ語のクラスだが、昨夜はそちらの方は失礼をして市民コンサートの方へ行った。

何十年もドイツ語を主として国内で勉強しているわけだが、こういう市民コンサートとか市民劇場の会員になることをAbonnement(アボネマン)ということは数年前まで知らなかった。

これはいつかもこのブログで書いたかもしれないが、フランス語から来た言葉で新聞雑誌の定期購読やオペラ等の定期鑑賞の会員になることらしい。

30年ほどドイツ人のご主人とドイツで暮らしていた女性が私たちのクラスにいるのだが、彼女からこの言葉を教わった。発音はカタカナ書きすればアボネマンとでもなろうか。マンのところは鼻に抜ける鼻母音であろう。

コンサートの方はバイオリンの演奏で奏者は松山冴花さん、最後の曲はおなじみのチィゴイゼルワイゼンであった。


前進座新春公演を見る

2009-01-19 12:41:12 | 芸能ネタ

17日に京都南座で前進座の新春公演を見た。出し物は「出雲の阿国」である。松山市民劇場のみなさんとご一緒をしてのバス旅行である。

なかなかの見ものであった。阿国は歌舞伎の創始者として知られている。16時の開演であるが、その少し前に南座に着いた。その前に加茂川畔の阿国の像を見てから劇場に入った。

踊りを中心にした劇であるので、日本舞踊を俳優さんたちがどう演じるかが関心であった。俳優さんたちは踊りの専門家ではないはずだが、結構上手で感心をした。後で交流会でテーブルに来られた俳優さんたちによれば日舞を習うことが一つの必須事項になっているとのことであった。

俳優さんたちによれば、どの日本舞踊のお師匠さんも厳しくて怖いくらいだとのことであった。俳優というのは演劇をすることで日ごろの糧を得ているわけだが、なかなか厳しい修行である。舞台の歴史的背景を勉強したり、日舞を練習したり、狂言を習いに行ったりするらしい。芸には限りがない。


朗読劇を聞く1

2008-08-25 11:41:16 | 芸能ネタ

昨夜、前進座の人が演じた朗読劇を枝松の寺院「多聞院」で聞いた。

出し物は松本清張の「ある小倉日記伝」であった。小倉日記というのは森鴎外が小倉にいたときの日記だそうである。

それが失われて所在がわかっていないというので、その空白を埋めようと40年前の小倉における森鴎外の交友等を調べるある人を中心とした話である。

多分松本清張の処女作であろうか。丹念に取材をして小説を書いたという清張にふさわしい。朗読劇はどれくらい原作を脚色しているかはわからないが、十分にその雰囲気は出ていたと思う。

この朗読劇は松山での前進座の友の会の発足の機会に行われたものである。私自身は前進座の友の会に入る気はないが、そういう前進座の努力には敬意を表したい。

北九州市には松本清張記念館があり、そこでここ数年行われてきた朗読劇だという。

森鴎外の「小倉日記」について書いた清張の目の付け所がいいと思う。もっとも朗読があった後で3人の人が朗読劇の感想を述べていた。それは大体においていいと思うが、しかし注意しておかねばならないこともある。それは森鴎外の評価の問題である。

もちろん文学における森鴎外の寄与は大きいが、彼の本職である医学界での森鴎外の寄与については脚気の原因の究明を遅らせて多くの人に被害を与えた人として記憶しておく必要があろう。このことを私は板倉聖宣氏の脚気の研究の歴史についての講演のインターネットの記録で知った。

ただ、森鴎外がドイツ語に堪能なのは有名だが、小倉時代にフランス人の宣教師についてフランス語も一生懸命勉強したというのは新しい知見であった。


イッセーおがたのつくりかた

2008-07-25 11:07:31 | 芸能ネタ

「イッセーおがたのつくりかた」講座というのが子規記念博物館で開かれている。開催行事オタクの妻が知人のOさんと出席をした。この講座では参加者は若い人が多かったらしいが、「老人を演ずる」というテーマで話が進んだらしい。

妻の知人のOさんは記憶力のいい声の大きなご婦人である。昔のことを思い出そうということで話が進むとこのOさんの抜群の記憶力がものをいったという。昔は水は井戸からとっていたとか、トイレは屋内と屋外にあったとか。自分の住んでいたところには井戸がなく、泉から水を汲んでいたことを思い出した。また嫌な人はいたかといわれて嫌な人はいなかったとか、いい人は自分の亡くなった主人であったとかいわれたという。

そういう風にうまく話が運んできたのでイッセーおがた氏ものりのりになってみんなに喜んでもらえたらしいとは同伴した妻の話である。

イッセー氏はロンドンかベルリンで一人芝居をやったりして、演劇意欲の旺盛な演劇人である。この数日は松山に滞在して子規記念博物館でこういう講座をやっているらしい。

毎日、電車で博物館まで通っていると妻のもらってきたニュースにあった。毎晩こういうはがき大のニュースをホテルに帰ってつくっては出しているのであろう。その努力には頭が下がる。

なんでも一生懸命にやっている人はなんとはなしにそれが伝わってくるものである。関心のある人は参加してみられてはどうでしょうか。


市民コンサート

2008-07-11 11:09:39 | 芸能ネタ

7月7日の七夕の日に市民コンサートがあった。はじめに演奏されたのがバイオリンソナタ第5番へ長調作品24春だった。これがなかなかいい曲でベートーベンとは思えない曲であった。ベートーベンさん失礼。

私の好みとしてあまり重厚な曲は好きでないのだが、これはバイオリンとピアノの曲でピアノの音もあまり耳障りでなかった。バイオリンの演奏は鍵富弦太郎、ピアノは松本和将であった。ピアノの松本は多分2年前にも市民コンサートで聞いたと思う。感情たっぷりの演奏であった。

しかし、私は一般にピアノの音が好きではない。どうしてもバイオリンの音の方がすきなのである。特にがんがんと頭に響くような曲は好きではない。それが好きな人もあるのだとは思うが、これだけは好みの問題だから仕方がない。