週日は多ければ、日に2回12時と15時にラジオ体操をラジオにしたがってしている。
もっとも飛び跳ねることはできないので、飛び跳ねるところはパスしている。ラジオ体操の効用はちょっと減じるがそれでもなにもしないよりもいいだろう。
もっとも日曜日はラジオ体操をしない。
週日は多ければ、日に2回12時と15時にラジオ体操をラジオにしたがってしている。
もっとも飛び跳ねることはできないので、飛び跳ねるところはパスしている。ラジオ体操の効用はちょっと減じるがそれでもなにもしないよりもいいだろう。
もっとも日曜日はラジオ体操をしない。
とはなにか。Rainbow虹は知っているが、Moonbowは知らないという人が大部分だろう。私も知らなかった。ボキャブライダーという放送がNHKのラジオであるが、その放送で今聞いたばかりである。
Moonbowは月明りでできた虹だという。虹は普通は太陽光線でできるが、月明りも結構明るい時には虹ができても不思議ではない。
たぶん、西條敏美先生の『虹』にも出ていたはずだが、はっきりとは覚えていない。皆さんもMoonbowを見られた方はありますか。
というのは量子力学の行列力学のversionの建設に貢献した、M. Bornの書いた文章が出典であろう。このBornの文章を読んで、湯川秀樹が「cleverな人よりもwiseな人を」という考えを日本の一般に紹介したと思っている。
ところが『遠山啓』(太郎次郎社エディタス)の遠山の退官記念講義で「cleverな人よりもwiseな人を」という話が話されている。これは遠山が湯川の話をどこかで読んで、つまみ食いしたというふうに考えるよりは遠山も同じBornの話を独立に読んでいたのであろうと私は考えている。
Bornがどういうふうに言っていたのか湯川は詳しく紹介していたはずだが、記憶は確かではない。たぶん、Bornのまわりで学んだ若者はみんな原爆をつくる指揮をしたオッペンハイマーOppenheimerや原爆をつくることには失敗したHeisenbergも含めて優秀な人材であった。だが、Bornは「彼らがcleverであるよりも知恵のあるwiseな人であってほしかった」というような回想をしていたと思う。
そのBornの回想を湯川は読んで雑誌「自然」だったかで紹介していた。
ちなみにHeisenbergは量子力学の行列力学versionの端緒を与える研究をしたことで有名だが、自分の考案した算法が行列と数学でよばれるものだとは知らなかったらしい。彼の考案した奇妙な算法が実は数学で行列(マトリックス)と呼ばれる算法であることに気がついて行列力学を体系づけた功績はBornとJordanである。
量子化条件と呼ばれている、位置座標と運動量の間の交換関係を導いたのもBornとJordanだと言われている。
もう40年以上も前のことだが、ドイツのフライブルクでドイツ語研修を2か月受けたことがある。このときにゲーテ・インスティチュートの先生から洗濯物を意味するW"asche(ヴェシェ)は複数でしか使わないと聞いた。
その次の日か何かにどうして、複数なのかとか先生に聞かれたので、「先日、先生がそう言ったです」と述べたら、「おまえは記憶がいい」(Sie haben guten Memory.)とお褒めの言葉を頂いたことがある(付記)。
何のことはない、たまたま覚えていただけなのに。
洗濯ものではないが、下着のことをUnterw"ascheという. Unterhemd(アンダーシャツ)だとかUnterhose(パンツ)という語もある。Unterhoseはドイツ人(ホームステイで我が家に滞在した)と道後温泉に一緒に入りに行った後で、彼が自分の奥さんに後で、詳細にこの入浴のときのことを説明しているときに使っていたので覚えた。
こちらは最近知ったことだが、警察を意味するドイツ語die Polizeiは逆に複数がない名詞だという。しかし、なかなかこういうことは覚えないものである。確かに理屈を言われると、警察は複数はおかしいかなとは思うのだが。
(2018.4.27付記)guten Memoryと確かに言われたのだが、手元のドイツ語の辞書を引いてみるとMemoryはドイツ語としては載っていない。もっともgutes Gedaechtnisなんていえば、外国人の私だけでなく、クラスのほとんどにはわからないだろうと思ったのかもしれない。この先生の名はWagensonnerだったと思うが、もう定かではない。経験はないが、ドイツでは温泉は水着で入るのが普通である。パンツまで脱いで入る入浴経験は温泉では彼にとってははじめてのことだったから、自分の奥さんに詳しく話したのだろう。
東京工業大学に勤めていた遠山さんは若いときにレッドパージにかかって大学を辞めさせられるのではないかと心配をしていたときがあったと知った。
彼は狭い意味での政治的な人ではまったくないが、その算数教育の方針が時の文部省の方針に反していたので、そのための心配を密かにしていたのだろう。
それで、もしレッドパージにかかって大学を辞めなければならなくなったとしたら、文筆で生きていく覚悟をしていたとはなかなか悲壮である。
そのことは実際には起こらなかったのだが、それでも算数教育では彼と数学教育協議会のメンバーたちが考案した「水道方式」と「量の理論」とは数学教育に一石を投じることとなった。
結局のところ、その教育のしかたが文部省の方針よりも合理的で多くの子どもたちの算数教育に有用であったためにときの政府の介入をもはねのけて、いまではどの算数の教科書も数学教育協議会の教えた方を少なくとも部分的には取り入れるというふうになっている。
これで想起するのは戦後の一時期だが、やはり武谷三男がある種のジャーナリストとして文筆で生計を立てていたという事実である。武谷は1953年に立教大学に勤めるまで、大学卒業後、およそ19年にわたって、大学とか研究所に勤めることも会社に勤めることもできなかった。そのための後遺症は長く武谷に残っており、武谷に批判的な人にはその事実の重さがわかっていない、大きな事実だと思う。その不幸にもかかわらず、武谷が物理学者として生き残れたのはあるいは奇跡だというべきかもしれない。
遠山は武谷ほどその旗幟が鮮明ではなかったから、大学から追われることはなかった。しかし、レッドパージの覚悟をしていたとは、戦後の政治状況の様子の一環が読みとれる。
Kleine Kinder, Kleine Sorgen, Grosse Kinder, Grosse Sorgen(クライネ キンダー クライネ ゾルゲン、グローセ キンダー グローセ ゾルゲン)。これはドイツ語のことわざである。
「子どもが小さきときな心配も小さいが、子どもが大きくなると心配も大きくなる」という意味である。
多分そうなのであろう。子どもが小さいときにも、もちろん病気になったりしたときに両親の心配は、子どもが小さいときには、それほど小さいということはできない。だが、子どもが大きくなると当然のことながら、その心配も子どもが小さいときの心配と比べて比較にならないぐらい大きい。
そういう当然すぎるようなことをこのドイツ語のことわざは示している。だからという訳でもないのだが、私は最近ひとり言でKleine Kinder, Kleine Sorgen, Grosse Kinder, Grosse Sorgenとつぶやいている。
ワイルの『群論と 量子力学』は東京大学数学科を退学して、数学をやるかどうかを決めかねていた遠山啓にもう一度数学を学んでみようと決意させた書だという。
そして、敗戦後の1945年に 東京工業大学で自主講義「量子力学の数学的基礎」を行って学生に感銘を与えたという。吉本隆明だとか奥野健男とかもその講義を聞いたという。
それらの講義がその当時の大部分の学生に理解できたとは思わないが、戦後の混乱の中でも悠揚迫らず、落ち着いてそういう講義を学生の要望にもとづいて自主的にしていた、遠山の姿にその講義を聞いた学生は感銘を受けたという。
その当時、学生がどこかで手に入れて来た、牛肉をその講義のお礼にもらったと遠山は書いていた。食物もあまり手に入らない、その当時では牛肉はとても貴重であったろう。それくらい学生が遠山の講義に感謝をしていたという証でもあろう。
ところで、このワイルの『群論と 量子力学』は武谷三男にも感銘を与えたことが知られている。もっとも武谷はその当時に出た山内恭彦訳の訳書(裳華房刊行)を読んだ。そしてその1冊が武谷史料研究会会長の三本龍生さんの手元に残っている(注)。
三本龍生さんは現在、武谷三男の元蔵書とか文献を保管している方である。この『群論と 量子力学』の本はもう製本が壊れてしまってほとんど2つの部分に分解しているけれども。それでも読むことができる。ページのそこかしこに鉛筆での武谷による書き込みがある。
そういうときが来るのかどうかはわからないが、いつかはその書き込み等を詳しく調べてみたいと思っている。武谷は訳書で読んだのだが、遠山の方は『群論と 量子力学』をドイツ語の原書で読んだのだと思われる。
私などはそういう難しい著書で量子力学を学ばなかったし、大学での講義もすでにしっかりしたものであった。もっともそれでも量子力学の講義はなかなか難しいと感じた。
最近になって、『遠山啓』(太郎次郎社エディタス)という遠山の評伝が出た。数学教育界で大きな業績を残した遠山の評伝が今まで出なかった方が不思議なくらいであるが、その空白が埋められたことは喜ばしい。この書を編著された友兼清治さんに御礼を申し上げたい。
ちなみに遠山さんは1909年の生まれであり、武谷は1911年の生まれである。ついでにいえば、物理学者の湯川秀樹は1906年生まれ、朝永振一郎は1905年生まれである。
言語が大切なものであることは当然だろうが、私は言語が一番大切という考えに対してはちょっとそうだろうかという考えをもつ。
アダマールという数学者が書いた『発明の心理』(みすず書房)という本がある。この中にいろいろな数学者とか物理学者に新しいことを考えつくときにどのように考えているかというアンケートがあり、それにアインシュタインがどうも自分は言語では考えていないというような答えをしている。
だからというわけではないのだが、私は言語が一番基本的なものだという考えをする人には警戒感をもつ。家族という語にもどうも同様である。家族はあるときには勇気づけられたりするし、ある場合は生きがいにもなる。それは否定しないし、それはいいことでもあると思う。
あるタイプの人は言語で考えるというが、そういう人も中にいるのだろうが、大多数の人はそうではないのではないかと思っている。
話は飛ぶが、羽仁五郎は家族の語源は奴隷だということをどこかで述べていた。家族はある意味で束縛でもある。家族は家族でそれはそれでいいのだが、手放しで喜んでいるわけではない。
そういう視点をもちながら、やはりもう一つとして家族を大切にしたり、子どもや孫を生きがいにするのならそれはそれでよい。だが、それだけで他のことに盲目的であるとすると、やはり楯の一面しか見ていないのではないかという気がする。
こんなことを考えたのは土曜日にあった雑談会でのレポータの K さんの論の立て方にちょっと違和感を感じたからである。すぐにそのことを K さんに意見として述べたのだが、多分理解はされなかっただろう。というのは誰でも自分のことしかわからないからである。
だからけしからんという気はない。大体、人間というのは他人を理解するということは難しいのである。特に、K さんのように長年の間を自分の考えをまとめることに費やしてきた人にとっては難しいだろう。
本に書かれたものを読んで理解することは K さんには難しいことはないだろう。だが、私は K さんとはまったくバックグランドが違っている。K さんは農業が社会の基になると考えている。人間が生きていくためには何かを食べていかないと生きていけない。
だから、農業が基本と考えたいのはあるていど理解できるが、だからといって日本の経済的基盤が農業にあるというふうに理解することはまちがっている。
他人との理解には言語が大切なことは当然であるが、それだからといってすべてが言語から生じるというふうな理解はやはり底が浅いと思う。そういうところが K さんに理解されたであろうか。
最近、テレビのCMで「過払い金が帰って来る場合があります」という、司法書士事務所のCMがある。
これはサラ金等でたくさんの負債を抱えた人が少しづつ支払いを続けている場合などに払いすぎでお金が帰ってくる場合があるので、司法書士事務所に相談されたらどうですかという趣旨のCMである。
ところがいつもそういうCMが流れているために普通の何でもない人もどこかで過払いをしており、お金が帰ってくることがあるのかもしれないなどと特に独居の老人が考えたりする。
それでもそういう老人がだれかに自分のところにもお金が還付されたりすることがあるだろうかという相談をされる方なら、問題はない。ところがそうではなくてときどき電話で過払いのお金が帰ってきますなどといわれて、あわてて携帯と預金通帳をもってコンビニに駆けつけたりする人がおり、いわゆるオレオレ詐欺に引っかかるというケースがけっこうある。
もう亡くなった知人だが、そういう詐欺にひっかかりそうな例がある。この人の場合はすんでのところで銀行の人が気づいて詐欺ではないですかと注意したためにほっと我に返ったというケースであった。
CM自身には本当のところは罪がないのだが、誤解を招く例である。
応用解析とは何か。洲之内源一郎『フーリエ解析とその応用』(サイエンス社)のまえがきには「微分方程式、複素解析(複素関数論)、フーリエ解析」が三本の柱だろうとある。
また、C. L. リウ『組合せ数学入門』(共立全書)の訳者まえがきには工学部の応用数学では「複素関数論、微分方程式、特殊関数論」などの解析的な話にちょっぴり「ベクトルや行列」がはいる程度だろうと述べてある。
この本は「組合せ数学」を推し進める本だから、工学部における応用数学の旧態依然たるところを述べているのはしかたがない。
この本では第2章は「母関数」となっており、母関数について述べられている。もっとも私はこの本をほとんど読んだことはない。今回は母関数の記述がある文献として以下に挙げておきたい。
母関数の方法は有力な方法の一つであるが、特殊関数を学ぶときに母関数についてちょっと触れるくらいであろうか。ルジャンドル関数、エルミート関数とか、ラゲール関数を学んだときに、それらの母関数をちらっと学んだ。特にルジャンドル関数の母関数は高木貞治の『解析概論』(岩波書店)の122頁に出ている。
母関数とは英語ではgenerating functionといわれる。母関数の重要性について述べている伏見康治さんのエッセイが、『数理のつみ草』(みすず書房)にある。また、その思想を反映したのかどうかはわからないが、伏見康治、赤井逸『直交関数系』(共立出版)がある。
エルミート関数の母関数については矢野 忠『物理数学散歩』(国土社)に述べられている。また多くの量子力学のテクストには量子力学に出てくる特殊関数の母関数のことも述べられている。例えば原島鮮『初等量子力学』(裳華房)やポーリングとウイルソンの『量子力学概論』等がある。
母関数という語はその他では解析力学でみかけるが、特に正準変換と関係した母関数がある。たとえば、Goldstein, Poole Safko『古典力学』下(吉岡書店)や山本義隆、中村孔一『解析力学』(朝倉書店)にも解析力学での母関数について触れられている。
について以前にエッセイを3回書いたことがある。いまそれを改訂したエッセイをまとめようかと思っている。それにその後に読んだ文献もある。
球の体積といっても3次元の球の体積ではないから、普通の人にとってはそういうことを考えることはまあ、お遊びの域を出ないであろうか。
もっとも最近インターネットで検索したところ「 n 次元超球の体積とか表面積」とかいった文書とか説明ははたくさん出ている。昔はいまほどインターネットが発達していなかったから、そういう文献とか文書はそう簡単に見つからなかった。今昔の感がある。
それでもいろいろの記述の仕方を見ると、ちょっと文句の一つも持たないでもない。そこらあたりが私の出番でもあろうか。また、n 次元の球の体積の求め方も数種類の考え方に行きつくらしいこともわかってくる。
大体、私は物わかりの悪い方で人が簡単にわかることがなかなかわからない。
(2018.3.31付記) 4回にわたって「n 次元の球の体積」というタイトルの数学エッセイを「数学・物理通信」7巻に書いた。7巻3号から4,5、6号までに出ている。多分、関心のあるかたはインターネットで「数学・物理通信」を検索してみてください。便法での求め方も真っ正直な積分での求め方も書いたつもりです。
記録しておかないとどこにLegendre変換のことが書かれているか忘れてしまう。
それで気のついた文献を順不同であげておく。
1.Goldstein, Poole, Safko, 『古典力学』下 (吉岡書店) 467-
2.ムーア、『物理化学』上(東京化学同人) 99-100
3.山本義隆、中村孔一、『解析力学』I (朝倉書店)270-274
4.園田英徳、『幾何学的に理解する物理数学』(サイエンス社)84-92
5.高橋秀俊、藤村靖『高橋秀俊の物理学講義』(丸善出版)8
6.矢野 忠、『物理数学散歩』(国土社)48-53
7.FNの物理学、インターネットのホームページ (各自検索せよ)
他にもあるかもしれないが、もし気がついたら、書き加えていくつもりである。
数学で日本ではカッコの使い方として、( ), { }, [ ]の順に使われる。それが欧米では順序が入れ替わって( ), [ ], { }の順に使われると放送大学の「応用数学」のテクストで知った。
ところがいまWhittaker and Watson の "Modern Analysis" をたまたま見ていたら、日本風にかっこが使われていることを発見した。
だからどうだということはないのだが、私は { } のカッコの形があまりよくないので、欧米風に使い方を変えた方がいいのではないかといつも思っている。
そういうことは昔は知識としても知らなかったのだが、Goldberger and Watsonの "Collision Theory" を読んでいて、3つのカッコの一番外側に { } が使われていて不思議に思ったことがあった。
これは大学院の博士課程3年のことだから、1967年のことである。ちょうどいまから50年前のことだと思うと感慨が深い。
そして、数式の一番外側に { } を使うのが欧米では慣用だと知ったのはそれから20年くらい後であった。
という題の高橋源一郎さんの朝日新聞のエッセイ「歩きながら、考える」の一つを今朝読んだ。
映画「この世界の片隅に」の舞台になった広島県呉市と広島市を高橋源一郎さんが訪れて書いたエッセイである。実はこのエッセイは全文を読んだのだが、それよりも大きく載っていた写真が私に昔を思い起こさせた。
写真の一つは「かつての軍港周辺が見下ろせる広島市呉市の高台に立つ高橋さん」とキャプションがついていた。これがどこかは正確にはわからないが、私の大学時代の友人 H 君の家の近くの両城の丘ではないかと思った。いまでは友人の家があったところに友人の実家はもうない。
家はもう大分以前に取り壊されたと思うが、それでもその崖の跡地は残っていたが、ある時の大雨でがけ崩れでその宅地は土砂に覆われ、そこには誰も住まわなくなっていたが、それでもそのあとかたずけにかなりの費用がかかったと友人から聞いたことがあった。
その費用は友人と、彼の弟が支払ったと聞いたが、二人ともそこにはもう住んでいなかったので、不満のぼやきが出たと冗談交じりに友人が話してくれたことがあった。
その友人も私としては意外なことにもう数年前になくなり、親しく話をすることもできなくなった。
学生のころにときどきその友人 H 君の家に招待されることがあったが、そこで生まれてはじめて Old Parr というウィスキーを飲ませてもらった。もっとも H 君はアルコールは駄目で、ビールを1杯か2杯飲むと目とか顔が真っ赤になるというふうだった。それは弟さんもそうだったのではないかと思う。
私はアルコール音痴ではないが、それでも私の家に誰かがもってきたレミー・マルタンがいつまでも残っているから、あまり人のことは言えない。
高橋さんのエッセイも感銘を受けたが、写真はもっと五感に迫ってきた。もう一つの写真は「旧広島陸軍被服支廠前」とキャプションにあるから、多分私も若い20歳代の大半をこの付近でうろちょろしていただろうと思う。原爆投下後10年も経過していなかったごろからその後の約10年間のことである。
とか今日の朝日新聞の投書欄で読んだ。これは女性が男性に求める条件だという。
三高とは旧制の第三高等学校のことではなくて、男性に望む「高身長、高学歴、高収入」の条件だという。もちろんそうであれば言うことはないが、なかなかそういうふうには男性の条件が整うことも難しいだろう。
四低は女性に対して
・低姿勢(家族に威張った態度をとらない)
・低依存(家事や子育てを妻にまかせっきりにしない)
・低リスク(リストラにあうリスクが少ない)
・低燃費(無駄なお金をつかわない)
だという。
要するに男性が家庭で手がかからないとか自立しているということである。これは女性の社会進出が進んで、パートナーになる男性が家庭で協力的でないと家庭の運営がうまくいかないことを表しているのであろう。
いつだったか社会変革家の湯浅さんの話を聞いたときに、現在では父親が一人働きに出て家計を稼ぐという家庭モデルの崩壊してしまったという話だった。いわゆる両親と子供二人という四人家族の標準家庭という概念が崩壊してしまったと言われた。
だが、そのときは政権交代で民主党政権のときだったが、いまはまた自民党政権のときで、むしろ家庭での互助とか、自助とが言われる時代になっている。
新自由主義というのが要するに政府はお前たち市民の面倒を見るのが限界に来ているので、できるだけ自助、互助をせよということらしい。
なんでも国や政府に財政的に頼るなどということは間違っているけれども、そうは言っても国の方からお前たち市民の面倒は見ないよという姿勢をとるということは果たして正しいのだろうか。