物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

気功で病気をなおせるか

2013-11-30 13:39:54 | 健康・病気

最近聞いた本当にあった話である。

その人は輸血をして肝炎にかかった。よくはこの肝炎の種類を知らないが、C型肝炎というのであろうか。

ところが昔だったのであまりはかばかしい医療法がその当時なかったために、民間療法としての気功療法にたよったらしい。

気功の専門家がその人の体に向けて手のひらを広げて気を送り、その人の肝炎を治すという動作をくりかえす。

その治療を施してもらってもなかなかはかばかしく肝炎がなおったわけではなかった。あるとき治療にいったとき、その人の体ではなく、人形のようなものに同じ動作をくりかえされたという。

そして、これでも同じようにきくはずだといわれた。その人はさすがに心配になって、輸血で肝炎になったのだから、医療でそのころはじまった、インターフェロンによる治療に切り替えたいと申し出た。

そしたら、気功治療の専門家はとても怒ってしまったが、それがその気功治療者との別れになった。

その後、病院でインターフェロンの治療を受けてその人の肝炎は完治して今も元気でいる。

気功の治療者の手の指から何かの気が出て、少しは肝炎がよくなったかどうかは聞き損ねたが、気休めぐらいであったろう。

気持ちからくる病気も全くないわけではないから、治ったという症例はあるのかもしれないが、治った症例が少数あってもそれでは医学としては十分ではなかろう。

100%完治するなどということはなくてもある割合で病気が治癒しないことにはその治療法を信用はできない。

話をしてくれた、その人も治癒する可能性は30%ということだったらしいが、幸いなことにその30%の中に入った。


あるエピソード

2013-11-30 13:19:15 | 科学・技術

これは武谷三男著「物理学入門」上(岩波新書)に出ているエピソードである。

(引用はじめ)あるはなはだすぐれた、しかも唯物論の立場に立っているという若い哲学者を私は知っている。この人はアメリカのコロンビア大学の哲学科を卒業した人で、デューイなどのプラグマチティズム(実際主義)の研究者であるが、この人が観音教にとっつかまったのである。もっとも唯物論者というのであるから、宗教としての観音教を認めるわけではない。ただ観音教のやり方に従うと病気がなおるということを信じるだけである。

特にデキモノにきくというのであるが、それはどういうことをするかというと、デキモノに直接さわらずに、離れた所で、手の平でさするような仕草をくりかえすのである。私はこんなことでデキモノがなおるはずがないではないかといろいろ議論をはじめると、この哲学者は、「私はプラグマティストだから、とにかくなおればよいのです」といって議論を打ち切ってしまった。ところで、しばらくして、この人にデキモノができ、医者にかからずに、観音教のプラグマチティズムにのみたよっていたところ、ついにひどいことになり敗血症になったので、あわてて医者にかかりペニシリンを注射して命びろいをした。それ以来この人は観音教をすててしまった。(引用終わり)

こんなエピソードを思い出したのは実はそれに類するような話を最近聞いたからである。ちなみにこの哲学者は鶴見和子さんであることが武谷のその後の著書からわかっている。

武谷の「物理学入門」上は絶版になってしまって、岩波新書としては出版されていないが、季節社から再刊されている。また、岩波新書の下巻はついに出版されなかった。

この書の最初に「科学とはどんなものか」という章があり、実はこの章は科学の認識というものについて難しい哲学ではない、読みやすい書としてとして書かれたものであり、いまでもこの種の本を私は読んだことがない。

一時、新々宗教でのまやかしの認識が問題になったことがある。たとえば、オウム真理教等で科学とか技術を大学で学んだ多くの学生が信者として取り込まれたが、彼らがこの書を読んでいたならばと思わずにはいられなかった。

科学における認識というものについてきちんとした議論を私たち科学を専門にしている者もあまりきちんと学んだことがないというのが、現状であろう。その手引きとしてこの書の「科学とはどんなものか」の章はいまでも読むに値する。


expecting mother

2013-11-29 17:04:14 | 外国語

あまり東京に出かけることはないのだが、それでも年に一度くらいは東京に出かけることがある。

地下鉄やJRに乗ったときに感心するアナウンスの言葉がこのexpecting motherである。

すなわち、「子どもが生まれる予定の女性に席を譲りなさい」というときに英語のアナウンスでexpecting motherという語がつかわれている。

この語は短い語であるが、なかなか要を得た語であり、いつもこの英語が意味するところを面白く思っている。

日本語で「(子どもが)予想される女性」などといってももちろん日本人なら誰でもわかるだろうが、少し冗長だし、適切な表現という訳にはいかない。

それでちょっと考えたが、「身ごもっている女性」はとかいうことができるかもしれないが、やはりちょっと時代がかった言葉のようであり、普通の現代の日本語ではなかろう。

妊娠中の女性とアナウンスではいっているが、この日本語はちょっと硬い感じがする。それでこのexpectingにあたる、いい日本語を思いつかない。それくらいうまい表現であると思う。

ちなみに英語では妊娠中にあたる言葉はpregnantという語があるが、これは病院では正確ないい方だろうが、やはり日常語ではない。


龍馬脱藩の道を巡る

2013-11-29 16:46:13 | 日記・エッセイ・コラム

27日から29日にかけて大洲市河辺町の「ふるさとの宿」に一泊宿泊して龍馬脱藩の道を歩くという計画だった。

運悪く天候が悪く、雨が降ったので、ガイドの方の車でその歩く予定だったルートを案内をしてもらい、説明を聞いた。

これは多分天候が悪いために私たち一行のスリップとか遭難の事故を防ぐという配慮からされた措置だと思う。お蔭で寒い中を安全に、比較的な短時間でこのルートの説明を聞いたり、そのその近くを訪れることができた。

案内をしてくださったNさん、有難うございました。

説明によれば山の峠を越えて、行くといってもなかなか生易しいルートではないこと、峠から谷間で下ってさらにその谷からまた峰まであるいは峠まで歩くというとても大変な行程であることがわかった。

昔の人は今と比べて健脚ではあったろうが、それでも簡単な行程ではない。私などはその峠とか峰の高さを見て、また谷の深さを感じただけで意気阻喪する感じであった。

ガイドのNさんは、多分そういう脱藩という行為は単に龍馬一人の思いつきではなく、それを手引きする多くの人の好意と行為によるものであろうとの推測を述べられていた。

龍馬は確かに明治維新へと導いた偉人の一人ではあろうが、多分彼一人の思いではなく同じ思いをもった多くの人がいたのであろうという考えはとても共感できるものであった。


NHKの報道自己規制

2013-11-29 13:45:35 | ニュース

誰かがNHKは報道を自己規制しているとか言ったわけではないが、多分自己規制をしていると思う。

それは特定秘密保護法案についてである。このブログでもNHKの番組についていいところをたくさんとりあげているが、この特定秘密保護法案についての批判的な報道が少ないと感じる。

これはすでにNHKの経営委員に安倍晋三首相のお友達が就任したとか、するとかいうこととも関係するが、このニュースに関する限りNHKの批判的な報道を自己規制しているのではないかという推測は多分あたっているだろう。朝日新聞などは一生懸命に反対の論調を掲げて努力しているにもかかわらず。

ただ、NHk内部の人がそれに触れることは多分タブーであるのだろう。もちろんNHK内部にだって特定秘密保護法案に批判的な記者とか論説委員はいるのだろうが、それをあからさまに少なくともNC9のようなみんなが見るような時間には放送することはときの政権批判になるので、控えられていると思う。

それだからNHKが全部だめだとかは言わないが、おそらくはこれによって世の趨勢が変わるであろう。それくらい影響の大きい法案だが、どうもNHKは公共放送としての役目を果たせていない。イギリスのBBC放送がときどき時の政権とアカラサマな摩擦を起こすのと対照的である。

妻などはこの特定秘密保護法案が成立すれば、そのときには多分原発の高濃度放射性廃棄物の処分場とかも特定秘密にあたるということで住民が知らない間に、自分の住んでいる場所の近くが処分場にされるということが起こると予想している。

それは多分私たちの生きているうちには発覚がしないかもしれないが、そういうことが起こると予想される。

もちろん、現在の原発を即時に廃止しても今までに出た放射性廃棄物の最終処分場は地球上のどこかに設定をしなくてはならないのだが、この特定秘密保護法案はそのてこになりうる。

もちろん、特定秘密保護法案の恐ろしさは妻の予想するようなものだけではない。だれも時の政府の秘密裏の政策を知ることができないようになる可能性は大きいし、その範囲がきちんと局限されているわけではない。

法律とはいくらか拡大解釈を許容するものだが、それ以上に拡大解釈される可能性があるという。本来刑法は拡大解釈をしないという不文律がある、法律らしいがそれを守らなかった例が治安維持法であろう。

そして、なんでもないことが罪に問われたとの例には枚挙がいとまがないらしい。そういう事態が来るという恐れはもちろんある。

時代は天皇主権の時代ではないが、情報を制限されると私たちでも正しい判断ができないものである。

大体、私のような政治音痴のものがこんな内容のブログを書かなければならないという事態が本当はすでに困った事態である。これも先の2回の選挙の結果なのだからもっとまともな考えを多くの人にもってもらいたいと考える。


Eulerの回転行列の多義性

2013-11-26 12:05:43 | 数学

Euler角で表現された回転行列では同じ回転位置を表す回転の道筋が一義的でないとはいろいろの文献に書いてある。

例として挙げられたものを見ると、確かに同じ回転位置になるのに少なくとも2つの回転のしかたがあるというのは間違いがない。

その理由はなぜなのか、どこかに書いてあるのかと思って調べたら、Altmannの本に書いてあるようなのだが、まだこの箇所を理解できていない。

もちろん、回転角をある範囲に限る (Euler角の正準集合) ことでこの多義性を一義的にすることができる。

もっともアニメの中のフィギュアを何度もくるくると回転させる等のことがあるのを考えるとCGで回転角を制限することがいいのか取り扱う分野によっては問題となるのであろう。

いずれにしても、Eulerの回転行列の多義性は私の問題としてはまだ解決されていない。


姜尚中「在日」を読む

2013-11-25 13:39:31 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、2階の寝室の掃除をした後で、書棚の前の椅子に座って、書棚を眺めていたら、在職中に購入していたのか姜さんの『在日』(講談社)という書があるのに気がついた。

この書を自分で所有しているとは思わなかった。それで日曜でもあるのでこの書を階下に持ち出し、コタツで斜め読みした。

今春まで東京大学教授だった姜さんを知らないインテリはいないと思う。テレビに新聞によく出て来られるイケメンの学者である。昨年か今年の春までだったかNHKの音楽の番組にまで出演されていた。

在日ということについての考察とか経験とか感情とかそういうことがこの書の主眼だと思う。その点については私が何か的外れなことをいってもしかたがないので、なにも述べないことにする。

ただ、この書を読んでいて、気のついた細かな事実があった。

姜さんのお母さんは私が2歳くらいから6歳くらいまで住んでいた、朝鮮(今の韓国)の鎮海(チネ)の出身であることと、お父さんはその鎮海からほど近い町の昌原の出身であることであった。私は小さかったので、昌原に行ったことがあったかどうかはわからない。

貧窮と朝鮮の植民地化でこの地方の人々の多くは当時の宗主国であった、日本に渡って生活を紡ごうとした人たちがおられた一方で、私の父のように職を求めて朝鮮に渡った日本人もいた。

私は愛媛県で生まれたが、妹はこの鎮海で生まれた。姜さんがお母さんの故郷の鎮海に行かれたことがあるかどうかはわからない。昔もそうであったが、いまではこの鎮海は桜の名所として有名であり、桜の季節にはとても多くの観光客がこの街にやってくる。

指紋押捺問題で一度それを拒否するという態度を姜さんは表明されたことがあったらしい。いまでは多分韓国・朝鮮系の在日の方々は指紋押捺の義務はなくなっていると思うが、そのような何でもないことでも多くの在日の人の運動の効果であろう。

指紋押捺は実は私もドイツ留学のさいに経験があるが、あまり気持ちのよいものではない。ドイツ人のR氏がいつも日本では外国人は犯罪者と同じ扱いを受けるとこぼしておられたことがある。

姜さんはご自分ではエリートという意識をお持ちではないようだが、若くしてドイツに留学されたりとやはりエリートであろう。

これはエリートということとは別かもしれいないが、彼の才能とかタレント性以外に彼がイケメンであることが彼をより有名にしているのではないかと思う。

イケメンだとか美人であるとかはある程度生まれつきである。だからそれが怪しからんという話は誰からも起こらないし、またイケメンであろうとなかろうとそれはそれこそ本人の責任でもない。

だが、姜さんのタレント性の大部分は彼の知性によるのだろうが、やはりその一部は彼がイケメンであることによるだろう。

そして、最近ではご長男の死を描いた小説まで書かれている姜さんの多才ぶりだが、彼の亡くなられたご長男も写真で見たらとてもイケメンでそのことを生かして自死を選ばないでなんとか生き延びられるという道はなかったろうかと残念に思っている。


gimbal lock 2

2013-11-25 12:02:42 | 数学

日曜日に英語で書かれたWikipediaのgimbal lockの記事を読んで、gimbal lockについての少なくとも最低の知識を得た。

だが、こういう知識を得るとさらにそのような知識をどのようにして得たのかという疑問が出てくる。上記の記事に出ていない、別の例を知ったので一般的にどうなのかを考えているところである。

gimbal lockとはEuler角による空間回転において、3つの回転が異なった軸のまわりの回転を行うことになっているが、そのときに回転角によっては異なった軸の回転にならないことが生じる。

その場合には3つの自由度があったはずだが、その自由度の一つが失われることになる。

簡単な例でいえば、Euler角の回転をx規約、すなわち、最初にz軸のまわりの回転、つづいてx軸のまわりの回転、最後にz軸のまわりの回転をするとき、2番目のx軸のまわりの回転として恒等回転(すなわちまったく回転しない)の場合には最後のz軸の回転は最初のz軸と同じとなり、3つの回転とはいうが、実はz軸のまわりの回転となる。

そうするとこれは3つの自由度の一つが奪われたために一般の3次元回転とはならない。これはあくまで特殊であるが、2番目の回転としてx軸のまわりの180度の回転をとっても同じgimbal lockが起こる。

文献によれば、このようなx規約ではなく、xyz規約の場合にもそのような例が出ていた。それで一般にどのような場合にこのgimbal lockが起こるのかを議論したいと考えている。

多分2度目の回転が最初の座標軸の方向をその回転軸を除いて方向が反対になるように回転すればいいのではないかと思う。x規約とかy規約の場合にはそれは2つ目の回転角が0度または180度のときだと思う。

xyz規約のときには3回の回転軸が毎回その回転軸が異なるので、2番目の回転が最初の座標軸を変えないか、または、二つ目の回転軸以外の回転軸が最初の座標軸と反対方向を向くような回転角であればgimbal lockが起こるのではないかと考えている。

しかし、これはちょっと自分で考えただけなので、もうすこし文献等を調べてみたい。


gimbal lock

2013-11-23 18:16:05 | 数学

Euler 角を用いた空間回転でgimbal lockという現象が起こるのだという。その名前は聞いていたが、ようやくそのことを調べたいと思うようになった。

ところが、このgimbal lockという現象がどういう現象であるかもまだ知らない。ただ、知っているのはそういう現象があって、Euler角による回転がその場合には機能しないということだけである。

Euler角による空間回転ではその回転行列の中に三角関数がたくさん出てくるが、そのために違う角度でも同じ回転を与えるために角度と回転とが1対1に対応していない。こういう現象があり、その辺の事情も調べて書いておきたい。sinとかcos関数は2piの周期性をもっているから、原始的な話としては回転と角度は1対多対応である。

しかし、その辺は回転の角度をあるきまった範囲に限定をすれば、1対1にすることができる。だが、このginbal lockはこれとは別の現象らしい。

それくらいの知識しかまだ現在では持ち合わせていない。だが、もう少しきちんとした話を書かないといけない。

昨日、大体Euler角による回転の話を図を除いておおよそ書き上げたのだが、それでこの話をおしまいにはできそうにない。というのはこの角度と回転の対応の問題とかgimbal lockの問題が残っているから。


再・特定秘密保護法案

2013-11-22 10:47:52 | 国際・政治

特定秘密保護法案について前にこのブログで書いたが、そのアクセスがあまり多くない。

このブログはとてもマイナーのものであり、とても社会の世論を喚起するほどの力はないのだが、それでも特定秘密保護法案についてアクセスが少ないということはやはり世間の関心が偏っていることを示している。

なるほど、テロに関与する日本国民などは99.999%の人はないだろうし、防衛とか外交の秘密に接する機会のある人もほとんどいないだろう。

だから、特定秘密保護法案とは自分に関係がないと思っていたら、そうでもない事態がいつ来るかもわからない。そういう恐れのある法案であるということに注意を喚起しておきたい。

確かに寿命のもう長いことが期待できない私自身がこの特定秘密保護法案にひっかかる事態は多分ないであろう。だが、それだから私に関係がないという立場を私は取らない。

国家にとって外交と防衛上の秘密が必要であるとしてもその秘密の年限が30年であるとすれば、十分長いはずだが、これを60年に延ばすという。言語同断である。それに首相が秘密に関して第三者機関の長だとかいう主張もまやかしの最たるものである。

多分に、これからの日本の政治、特に民主主義にとって大事な時期に来ていると考えている。

それにつけてもみんなの党と維新の会のこの法案に対する妥協のあり方はやはりそうだったかと思わされるところである。自民党の補完勢力であることを自ら暴露した。ということでがっかりである。

このことに関しては私の意見のみならず妻も同意見だから、これらの政党はやはり心ある人々の良識を裏切るものであることを知らなければならない。

それにしても苦労人の菅官房長官が安倍政権の重要な地位を占めていながら、こんな法案を出すようでは私の、彼の評価を根本的に変えねばならない。


ベクトル代数の公式

2013-11-21 12:02:33 | 数学

ベクトル代数の公式はLevi-Civitaの記号を用いて求めるというのが、私の年来の主張であった(注)。

しかし、その必要はないことをマジナウとマーフィーの「物理学と化学のための数学」 I (共立全書)から知った。

この書によると大切なのはベクトルのスカラー三重積とベクトル三重積とそれらのベクトルを交換したときに成り立つ等式である。

この基本を身につければ、後は4個以上のベクトルの積が出てきたときにはその中のベクトル積を何か一つのベクトルとして置き換えてから、上のベクトルのいずれかの三重積を使えば、それらのベクトルについての公式を導くことができる。

そのことを数年前に愛媛数学教育協議会の機関誌に書いた。しかし、その後その内容が不徹底であることに気がついた。それで自分のところに保存していた原稿では修正を施していたが、そのことを忘れてしまっていた。

一昨日だったかベクトル代数の公式の一つの導出がまた気になって自分で調べてみたら、どうもやはり前に書いた内容は不十分である。

しかし、よくよく調べたらすでにその解決を記載したエッセイを自分でつくって保管していた。こんなことは大抵だれでも知っていることではあろうが、再度注意を喚起するためにどこかで発表した方がよいのではと考えている。それは前のエッセイの修正版である。

(注) Levi-Civitaの記号を用いることは別に私の独創ではないので、テンソル解析の初歩を学んだ人なら、だれでも知っている。


「展覧会の絵」

2013-11-20 13:09:04 | インポート

ムソルグスキーの「展覧会の絵」というピアノ曲を市民コンサートで昨夜聞いた。

ピアニストの高橋礼恵さんの熱演にもかかわらず私はピアノ曲を好きになれない。特にダーンダーンと力強く演奏されると単なる騒音に聞こえてしまう。

これは私の耳の方がおかしいのであって、演奏者の責任ではない。しかし、大抵の場合はそう感じてしまうから、素人の感想には演奏者は困ってしまうだろう。

ムソルグスキーが親友の画家が突然亡くなってそれを記念してつくった曲だと由来があった。展覧会での絵を見て、それに発想させられての曲である。プロムナードとよばれる部分がところどころ曲の中に繰り返し、変奏されて入っている。

この部分は大抵の人が聞き覚えがあるはずである。その曲がなんであるかは知らないにしても。

昨夜は本当はテニスもあったのだが、市民コンサートの方によりお金がかかっているからという理由でコンサートの方に出かけた。もっとも昨夜は雨がちの天候であったので、実際にテニスができたのかどうかは知らない。

そういえば、テニス(tennis)はフランス語のtenez(トュネ)から来たとかいう話を読んだ。tenezは日本語で言えば、ものをさし出しながら「ほら」とか「そら」とかいうことであろうか。

動詞でtenirという動詞があるが、その敬称2人称の活用変化である。もっともここでは命令形だが。


アルゴリズム

2013-11-19 13:09:39 | 物理学

アルゴリズムは「問題を解決するための手順」だという。

私などオールドスタイルの者はプログラムを組むときのその元となるロジックを思い出してしまう。

またまた昨夜のETVのTEDの放送だが、"How Algorithm shapes our World"というタイトルのプレゼンであった。Kevin Slaivinという伊藤穣一さんのMITラボの同僚の数学者の講演であった。

彼の話の趣旨はあまりよくわからなかった。ただ、後で彼に個人的に短いインタビューがあって、彼は最近では「Algorithmはいままでの物理的な世界ではない、別のもう一つの物理的世界を形づくっている」と語っていた。

映画をつくる前にある種のアルゴリズムでもって、成功間違いなしの映画をつくるとか、金融市場はいまやアルゴリズムに支配されており、人間は金融市場で何が起こったかわからないという。

数マイクロ秒の時間差での金融市場での勝敗が決まるためにシカゴからニューヨークまで高速の光ケーブルが敷かれた。そのために山にトンネルが掘られては光ケーブルが互いの金融市場に通じるようになったという。

光ケーブルのためのトンネルの掘削のための投資額たるやすさまじいものらしい。もはやアルゴリズムの勝負はつかなくて数マイクロ秒の時間差の勝負だという。

それはそれで仕方がないのだが、物理的時間差での勝負は私にとってはなんだかむなしいものに思われた。単なるマネーゲームではないか。

ニューヨークの金融市場では2千人とも3千人とも言われる物理学者がアルゴリズムの開発のために働いており、いままで私たちが学んできたのとはアルゴリズムに支配された、まったく異なった新しい物理世界が実現しつつあると聞くと、それを喜ぶべきなのか、憂うべきなのか。

Slaivinは冷静に「その現実をまず知れ」というのであろう。このアルゴリズムはある種の文化となってさえもいるという。


リーダーシップ白熱教室

2013-11-19 12:02:43 | テレビ番組

NHKのETVのハーバードの「リーダーシップ白熱教室」の第三回を見たら、リーダーシップとはある種の問題解決講座だという風に感じられた。もともとリーダーシップという語にはちょっと反感を感じていたのだが。

政治の問題として、現在のシリア問題が学生から質問があったが、Heifetz先生はどいういう観点からその困難な問題を取り上げるかによって、対策もいろいろ異なるという。

政治家は国民に難問を出して国民の奮起と努力をするように要請をすると途端に不人気となるので、そういう風な呼びかけをすることを嫌う傾向があるという。

もちろん、政府の責任でないこともあれば、それは政府の責任の場合もあるだろう。実際にアメリカのホワイトハウスであった、論争をそれがなんであったかはさすがに明らかにはしなかったが、実際に例としてとりあげていた。

これはひょっとしたら、先生自身が経験したことであったろう。なかなか現状をきちんと見てその実情の原因がどこにあるのかを直視すれば、国民に単に甘いことを言うことはできないのだろうが、そういうことをいう大統領はリーダーシップがないと一般には思われる。

そういうリスクを冒してまで事実を誠実に国民に告げるのはやはり政治家としては憚られるというのはある意味では仕方がないが、それが難問の課題解決の先送りになっていなければよいが。

失礼ながら、このHeifetz先生はキャリアを医者として始めたと言われていた。そして病気は2つの種類があり、1つは医学的に完全に治癒ができるものともう1つは完全には治癒をさせることができなくてその後はその患者の生活の適応が必要になるものがあるという。

その後者の種類の病気が結構多いという。そのときに医学は無力とはいえないにしても患者の生活にまで踏み込むことは容易ではない。それはその人のプライベートな問題だからである。

「医家の不養生」という言い方がある。これは医学だけでものごとが決まるわけではなくて、どういう生き方をするかは個人の問題だからであろう。


原発の即時廃止

2013-11-18 13:18:30 | インポート

東海原発の廃炉が先送りされたと今朝の新聞が報じていた。

要するに廃炉にしたときに出る廃棄物処分場が決まらないので、廃炉を見送らざるを得ないということだった。

それだけではない。運転をはじめて30年以上経つ原発は15基あるという。それらの廃炉にしたときの処分場はもちろん予定はない。ということはもう経済の問題ではなく、どうしようもないということである。

原発のあったところに当面そのまま置いておくしかない。これが現実である。ましてや、日本全体では54基の原発があるが、それらの対する放射性廃棄物処分場は決まっていない。

全国的に処分場の候補を公募したことがあるらしいが、公募に応じたのは高知県東洋町のみだという。その東洋町も住民の反対ですぐに撤回をした。

また、稼働が期待されていた、青森県六ヶ所村の再処理工場はトラブル続きで完成をしていない。これが完成するのかどうかも怪しい。

仮に完成をしたとしてもプルトニウムを抽出した後の廃棄物をどうするか。廃棄物処分場の目途は日本全国どこにもない。

また、仮に運よく、どこかに廃棄物処分場が決まったとしてもそこでは高レベル放射性廃棄物を短くでも2万年、長ければ20万年くらい放射線のレベルをモニターしながら、保管し続けなければならない。

こんなことを人間ができるのだろうか。素朴に考えてもそんなことは不可能だろうと想像がつく。

ましてや、原発を動かし続けるとその放射性廃棄物はどんどんと貯まっていく。どうするのか。

昔、私が応用物理学という講義で原子力工学のテキストにもとづいて大学で講義をしていたころ、放射性廃棄物は高レベル放射性廃棄物の方は高温で焼き固めてガラス状の固体としてどこかの炭鉱跡かどこかにモニターしながら、何万年も保管するというものであった。

ところが、地下深くに保管していた高レベルの放射性廃棄物が地下水を汚染してそれが地表に出てくる可能性を地学者に指摘されていた。その可能性は十分ある。

高レベル放射性廃棄物以外に低レベルの放射性廃棄物がそれこそ多量に出る。それはコンクリートで覆って日本海溝の海底に沈めるというものであった。そのアイディアは実際には実現していないと思う。

ともかく、地下100m近くの場所での余裕深度処分ができるところなど少なくとも現在全国どこにもない。

これでは原発即時廃止してもやはり大きな問題であり、政権の1つ2つが吹き飛んで済む話ではない。

無責任体制もここに極まれりである。朝日新聞がここにきて反原発に踏み切ったのには大きな理由がある。日本人の生き方をどうするのか。いま私たちは問われている。