物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

お知らせ

2020-04-13 11:36:22 | 日記
私の不謹慎な言行のための自分に課した謹慎処分として、このブログを1か月中止します。

おわびの文は文案が決定しましたので、当該ブログの末尾につけました。

このブログの1か月中止は読者の皆様には申し訳ありません。これは自分で自分に課した処分なので、だれからも強制されたわけではありません。しばらく、ご辛抱してお待ちください。

怒りもパワーの一つだが

2020-04-11 15:13:50 | 日記
怒りもパワーの一つだが、間違った方向に行くと手がつけられない。

もし、いま政府や自治体の外出の自粛要請を人権侵害だと言ってみんなが外出の自粛をしなくなると、もう新型コロナウイルスの感染が一気に広まり、これはまったくどうしようもなくなり、手がつけられなくなるかもしれない。

その怒りもある意味では意味があるかもしれないが、ここは辛抱が必要である。それの怒りを押しとどめるのは理性であろう。

理性は怒りと比べるとパワーが足りないので、人々には力にならないかもしれないが、パワーだけではいけないところに来ている。

新型コロナウイルスが教えること

2020-04-10 13:02:17 | 日記
新型コロナウイルスが教えることはなにか。

普段の平和な生活がいかに貴重であったかを私たちに教えてくれた。平和で特に今回のような事態にならなければ、中国からも韓国からもその他の世界の国々から日本へも観光客がやってきて、日本の観光業も栄えて、みんながハピーハッピーであったはずだ。

それが今回の新型コロナウイルスでこういう生活がご破算になった。それで生活の糧を得ていた人が収入の道を断たれるとはなかなか予想していなかった。

いかにことなきことが社会を回していくのに役立っていたかはようやくわかった。同じようにもしか戦争をするとこういう世界のきずなが切れてしまう。それで現在では世界戦争はできない状況になっている。

世界のどこかで紛争は政治家が起こしたりはするが、それでも世界規模の戦争はもうできない時代になっていると思う。もっと進んで局地的な戦争もなくす努力を世界的にはしてほしい。

そう思う今日このころである。

ICT理論とは

2020-04-10 12:47:47 | 日記
ICT(宇宙際タイヒミューラー)理論とはどんなものか知らない。最近話題のABC予想を解決した理論だという。

そしてこの理論はいままでの数学を一度忘れないとなかなか理解できないとか。
そうだとすると現代の数学者がなかなか理解できないのはわかる気がする。

特別な人を除いて数学者になろうと思うと大学院の修士コースを終えるくらいまで数学での分野で新しいことをできないと聞いている。それくらい数学は厳しい学問である。そしてせっかく身につけたその数学を捨てるくらいでないとICT理論は理解できないというとこれはせっかく身につけた数学が邪魔になるということか。

そのうちに既成の数学の概念に毒されていない、若いその分野の専門家が現れるのであろうが、それまでは既成の数学者がいままで身につけた概念と戦いながら、ICU理論を理解する以外にないのであろう。

いや、難しい時代になったものである。

(2022.9.16付記)コメントをいただいたので、まちがってICUと書いていたのをICTと修正した。unknownさん、ご指摘ありがとうございました。

新型コロナウイルス

2020-04-09 13:08:01 | 日記
新型コロナウイルスといえば、最近いたるところで聞くのが「密接、密閉、密集」である。

ところが、この3つがなくてもコロナウイルスに感染したと思われる例があるのではないかと思われる。クラスター感染だけなら、クラスターつぶしを根気よくしていけば感染はどこかで止まるはずだが、どうもそうもいかないようで、対抗策は外出自粛しかなさそうである。

多くの方々がこの自粛を行ってはいるのだが、やはり若い元気な人には自粛を要請してもなかなか外出を完全になくすことなどできない。だが、これ以外に人類のウイルスに対する対策がいまのところないのならば、ここ2週間ほどをこらえなくてはならない。

7割から8割の外出自粛を2週間行えば、なんとか新型コロナウイルスの広がりを防ぐことができるとの専門家の予測である。ここはなんとしてもそれに従うしかあるまい。

根気のいる対抗策ではあるが、永遠にこの自粛が続くわけではないので、我慢のしどころである。



今月の子規の俳句

2020-04-09 10:32:18 | 日記
最近、毎月書いている子規の俳句である。

   たんぽぽをちらしに青む春野かな  子規 (1892)

   Dandelions
   dotting the green
          of the spring field

E大学校友会から送ってもらっているカレンダーの四月に出ている句である。
青々とした野原の中にタンポポが黄色く点々に見える。そういう風景をうたった俳句なのであろう。

子規は37,8年の生涯のうちで2万句とも3万句もの俳句を詠んだというから、80年も生きている私などから見るとすごい人がいるものだと思う。





ホームドクターの変更

2020-04-08 12:12:41 | 日記
ホームドクターの変更をした。

これは私のホームドクターが実は引退してしまったから。それで新しい紹介を受けた医者の所へ先ほど診察を受けてきたばかりである。

心電図やレントゲン写真をとってもらったが、特に変わったことはなかった。
新しい医者は自分のところでそれらをとりたがる。これはお医者ん自身が自分が以後責任を持つということでもあるが、もう一つはそういうことでもないとなかなか検査をして自分の収入を確保できないという側面もある。

いや、これがいけないというつもりはない。どうしても必要なプロセスかもしれない。

以前に同じ診療所でとったレントゲン写真と比べても変わりがないということであった。心電図の記録も特に悪いという所見はなかった。やれやれ。

ABC予想とは

2020-04-07 12:44:51 | 数学
「ABC予想とはなにか」4月4日の朝日新聞によると

1以外に同じ約数をもたない正の整数a,bでa+b=c, a, b, cそれぞれの数の素因数をかけあわせたものをdとしたとき、cがdよりも大きくなることは珍しい

ことだという。なんとなくぼんやりした命題にも思える。その例として朝日新聞に出ていた例は二つあった。

一つは珍しい例である。
a=1, b=8のとき
a=1  このときには素因数がない
b=8=2^{3}    素因数 2  
c=1+8=9=3^{2}   素因数 3
d=2・3=6
このとき
c>d
である。こういう例は珍しくほとんどの場合にはつぎのようになっているという。

ほとんどの場合の例である。
a=4=2^{2}   素因数 2
b=9=3^{2]    素因数 3
c=4+9=13    素因数 13
d=2・3・13=78 
c<d
とあった。
この記事のコメントとして、
a, b, cの組み合わせは無数にあるため、単純な足し算とかけ算をして大小を比較しているだけなのに証明するのはとても難しい
とあった。

上に挙げたような例はインターネット上ではたくさんあるようである。

なんでも例は誰にでもわかるが、それを一般的に証明するのはフェルマーの定理だって難しかった。フェルマーの定理の例を挙げるのはそれほど難しくはなかっただろうが。



ABC予想

2020-04-06 10:54:40 | 数学
数学にABC予想というのがあり、それの証明を長文の論文として書いた望月新一さんが2012年に発表したのだが、7年半を経てようやく数学者グループの検証が終わり、正しいことが検証されて、論文が雑誌に掲載されることになったという。

望月さんはとても独創的な数学者だという、評判である。孤高の数学者といってもいいのだろう。

それで思いつくのは多変数複素関数論において偉大な業績をあげた岡潔さんである。岡さんは数学に没頭されたことでも知られている。

新聞にABC予想の例がでており、これは私にもわかったが、これは単なる例の一つまたは二つにすぎない。

(お詫び)
このブログの前のVersionで、不適切用語を用いてブログを書き、人間の尊厳を傷つけてしまったことを深くお詫び申し上げます。さらに、このお詫びの文を書くことが遅くなってしまったこともお詫びいたします。




またまた土曜日となった

2020-04-04 12:37:29 | 日記
1週間が早く過ぎる。これは年を取った人が異口同音にいうことであろうか。

若いときには一日が長く感じられたものだが、今はそうでもない。

これは私自身にとっていうとやはりするべき仕事があるということであろう。なにがしかの原稿を毎日少しづつだが、書いている。

いまは先日も書いたが、「複素数の導入」というエッセイにかかっている。数日前までは「行列の積の定義」というエッセイの入力をしていたが、これは終わっている。

もっともタイトルの英訳をどうするかわかっていない。Definition for the Product of 
Matrix(Matricesと複数にすべきかもわからない)としたが、適切な前置詞がわからない。一番初めはDefinition on the Product of Matrixとしていた。on よりもforの方がよいかなと思ったからであるが、わからない。

昨夜、妻にスマホで調べてくれるように頼んだが、やはりうまくいかなかった。

もっとも「行列の積」はMatrix Multiplication(行列の乗法)という訳語もあることを知った。それだとDefinition of Matrix Multiplicationという語になろうか。

しかし、そのことはしばらく置いておいてエッセイ「複素数の導入」の図の入力をしたい。

フランス語における r の発音法

2020-04-03 13:33:28 | 日記
昨夜、新年度のNHKのEテレの「旅するフランス語」の再放送の第1回があった。

フランス人のゲストというか、柄本ダンさんのおつきの人はティムさんだったが、彼は日本でフランス語を教えている人だと紹介されていた。

彼はフランス語における r の発音法を大阪弁の「ほんまかいな」というときの「ほ」と似ていると説明がされていて、私も一緒にこの放送を見ていた妻も納得であった。

たしかに「ほんまかいな」の「ほ」は喉の奥の方から発音される。昔から、スプーンで舌を押さえて喉の奥の方で喉ひこを震わせるとか指導をされてきた。日本語のラリルレロは発音すると舌の先が口蓋にくっついてしまう。

ルルと喉ひこを震わせるなどといわれてもなかなかできないものだ。私もいつも苦労してやはりできない。

私の子ども一人はこのドイツ語の r の発音ができるとスイスから来た研究者に発音して見せたら「なるほど」となっとくされたとか言っていた。

もっとも、この子がドイツ語を話すわけではない。たとえば、Rathaus(市役所)という語の r の発音ができるだけである。


何か月かぶりの理髪店

2020-04-02 12:26:04 | 日記
何か月かぶりに理髪店に行った。新型コロナウイルスのおかげで理髪店に行くのもはばかられていたが、もう外見がひどくなってしまった。

それで我慢ができなくなって理髪店に行った。やはり気持ちがいい。あまり理髪店が好きな方ではないが、それでもやむをえないところである。

それに月末には10巻2号を発行したから、気分がいい。というかルーチンをようやく果たしたという感じである。

それに新しいエッセイの「行列の積の定義」の入力をあらかた昨日終えた。これに数日前から入力していた「複素数の導入」もある。というかこれは以前に入力しておりながら忘れていた原稿であった。


いつもは抜け殻のようになるのだが、

2020-04-01 12:28:14 | 日記
「数学・物理通信」を発行するといつもは虚脱感で抜け殻のようになるのだが、今回はあまりそういうところがない。これはいつもより簡単に2号が発行されたからかもしれない。

Sさんに新しい編集委員になってもらったのはそういう意味では成功だった。それでもまったく仕事が減ったわけではない。

全文を読んで細かな補足をするというのはいつものことだし、編集の事務もけっこう大変なのである。要するにきちんとした原稿ができてもそれを組み合わせるだけの作業でもたぶん10回以上同じような仕事をいつもしている。

ましてや投稿者の文章が古めかしかったり、漢字づかいがおかしかったりすると、もし内容がいくらよくてもこれはもう仕事が増えるだけである。

その上に投稿者に取り上げられた内容だってほんとは問題だったりする。そうすると内容も問題だし、文章そのものも難点があれば、編集者としては困ってしまう。

それも私はこのサーキュラーの発行で別に利潤を得ているわけではない。まったくのボランティアでやっている。

だから投稿者には万全の原稿をお願いしたい。こういうことは当然のことだろうが。

人生を研究者として過ごしてきた人はその点で論文を書きなれているから、あまり手をわずらわされはしない。なんといってもその点ではやはり優れている。






東京都のコロナウイルス感染の広がりは?

2020-04-01 12:11:42 | 日記
東京都のコロナウイルス感染の広がりはどうなるのか。

3月30日に東京の感染症の感染者の数が18人だったので、落ち着くかと思ったら昨日の78人の増加であまり楽観を許さない事態にあるのだと知らされた。一昨日より前は60人を超えた感染者数が3日ほど続いていたから。

いままで、あまり感染者数が多くはなかったので、東京都は楽観していたかもしれないが、どうも楽観を許されないということがわかった。

それも病院の院内感染なら、そこを注意すればすむが感染源がはっきりしないとすれば、だれでも感染の恐れがあることになる。

子どもとその家族が東京に住んでいるので、東京のコロナウイルスの感染情勢はだれでも関心があろう。東京圏に親戚がだれも住んでいないような人は少なかろうから。