物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

俳優と外国語学習

2018-10-31 11:47:50 | 日記
俳優さんの仕事は演劇や映画やテレビのドラマの役を演じることである。もちろんその時に自分の表情を表すことが大切になる。

それだけではなく、役の上のセリフを覚えて、それを役の上の本人になりきって話ことが必要である。それだから、セリフを覚えることが役の上の必要であるし、一つの大切な仕事となる。

あまりそういうことを考えたことがなかったのだが、外国語学習というのもある種の俳優さんの仕事と似ているのだなと昨日思い始めた。

もちろん、外国語をまなぶというのはそう簡単なことではないが、慣用の言い回しRedewendungenを覚えるのはやはりちょっとした俳優役をすることと通じるのではないかと思った。

もっとも俳優さんの場合には相手のセリフが理解できないということは想定されていない。だが、外国語での会話では相手の言った言葉がわからないということが起こりうる。

それでなかなかむつかしいところもあるが、ちょっと言い回しを覚えるというところでは外国語を話すというのは俳優を演じることと似ているのではないかと、その類似性に思いいたった。

自由で進歩的な政治

2018-10-30 10:55:25 | 日記
自由で進歩的な政治は受けいれられにくい現在である。

アメリカとブラジルの大統領が困ったことになったと思っていたら、移民に寛容なドイツのメルケルが率いる、CDUがヘッセン州でバイエルン州に引き続き選挙戦で敗北をした。

ヘッセン州はフランクフルトのある州である。ここで、CDUが38%くらいの得票を得ていたのに、28%と激減した。つぎに大きな政党である、SPDも普通は30%程度の得票があるのに19.8%へと激減である。

それで、得票が伸びたのはdie Gr"une緑の党は19.8%とSPDと同じ得票率となった。それにAfdが12%だかになって今まで議席をもっていなかったのに議席をもつようになった。

AfDは右翼的な政党であり、インテリは怪しげだと思っている政党だが、このところの趨勢で勢いを得ている。

Gleichg"ulitigkeitとNullbock

2018-10-29 12:16:29 | 日記
はドイツでどちらもドイツ語である。die Gleichg"ulitigkeit1(グライヒギュルティヒカイト)は「無関心」であり、der Nullbock(ヌルボック)は「無気力」である。

ところがNullbockが手持ちの辞書に出ていない。ただ一つの辞書にdie Nullbockgeneration (ヌルボックゲネラチオン)「無関心(無気力)世代」とあった。der Bock(ボック)は「(ヤギ・羊・鹿・うさぎ等の)雄」だという。こちらは辞書に出ている。

いや、外国語を調べることが主題ではない。昨日、従妹とその家族が I 市に来たので、親戚が兄の家に集まった。そこで妻が 私の妹と話をしたらしい。そして現在その無気力性に驚いたと朝食後に話してくれた。

若いときには結構趣味を広くしていた妹夫妻だが、どうもあまり気力が感じられないと妻が嘆いていた。これはどこからその違いがでてきたのか。たぶん、身体的にあまり状態がよくないことからきているのであろう。

その辺の本当の理由はわからない。

今日は雑談会の日

2018-10-27 12:54:34 | 日記
である。これは私の仕事場で8月以外の毎月の第4土曜日に行っている小さい集まりである。

たいてい、だれかにきっかけの話しを1時間くらいしてもらい、それからそれに関係した討論とかその他の話しになる。

午後2時にはじめて午後4時半には終わる。だいたい時間通りである。大学の会議は時間通り始まるが、時刻通りには終わらないが、私たちの会はほとんど時刻通りに終わる。誤差は5分くらいである。

それでも友人のうちの話しをしたりして、これは私的な会話だが、話をして帰られる人もおられる。もう90数回になる会である。

12月だけは懇親会なので、料理とかアルコールが出て、忘年会となる。その会にだけは欠席しない方もおられる。

なんでも地道に続けるのはなかなかむつかしい。

この雑談会のはじまる前は私にとっては掃除をする。1時間強の時間を費やして入念に掃除をする機会でもある。

解の交換と方程式

2018-10-26 13:59:06 | 日記
「解の交換と方程式を解くこと」が関係しているとは知らなかったが、どうもそのことが代数方程式の場合に重要であるらしい。

これは『数学ガール』ーガロア理論ー の2章と3章で示唆されている。そこをはじめて読んだときにはわからなかったが、2度目の読み返しでようやくわかり始めている。

とはいっても、今読んでいるのはまだ初めのほうの章だからどう発展していくのかわからない。あまりこういうことには関心がないほうである。代数方程式が代数的に解ける、解けないということなどどうでもいいほうである。

理系の研究者としてはちょっとおかしな部類に入るのだろうが、だいたい研究者に入るのか自分でも怪しいほうだと思っているので、関心が偏っているのは自分では気にならない。だが、結城浩さんの導きによってそういうことにも関心がきちんと向くなら、それを拒否する理由もまたない。

2次方程式の解の判別式 D=b^{2}-4ac が解の差積でかけると書かれていたので、ほんとにそうかと思ってちょっと手を動かしてみたら、本当にそうだった。これはb=-a(\alpha+\beta), c=a\alpha \betaを判別式に代入すれば、わかる。ここで、差積とはここでは具体的には(\alpha - \beta)^{2}を意味する。

県展に行った

2018-10-25 13:07:12 | 日記
洋画と水彩画とか写真の県展が行われている。

妻と午前中に県の美術館に行った。それで仕事場に来るのが遅くなった。知り合いの人の水彩画とか写真とかが出ているのを見て、帰った。

写真は変わった写真だなと思ってみたのだが、名前を見ないでいたので、知り合いの写真だというのは妻が言ってくれてやっとわかった。なかなか見事な写真だったが、どうやってこういう写真をとるのだろう。

知り合いの水彩画は悪くはないが、もう一つパンチにかけるという気がしたが、そういうことを本人にいうとちょっと問題で、気分を悪くされるであろう。もっともつき合いがあるのは私ではなくて妻なので、失礼なことを言う機会もないと思う。

科学技術の進む方向

2018-10-25 12:42:17 | 日記
アメリカの科学技術は軍事技術の色彩が強いというのが中山茂さんの1995年の見るところであり、日本では営利のための科学技術の色彩が濃いいという。

日本では大学の理工系では論文発表は英語でされるのが普通であるが、会社ではある特別な分野を除いて日本語で発表されるという。そして、今は変わっているかもしれないが、大学にはあまり頼らないで、民間企業で研究開発がされてきたというのが、中山さんの見るところである。もっとも『科学技術の戦後史』(岩波新書)が書かれてから、もう23年であるから、アメリカの技術も様相が変わっているかもしれないし、日本も様相が変わってきているかもしれない。

GAFAといわれる、Google,Amazon,Facebook,Appleという4大産業は軍事産業ではないと思う。それらが重きをなしているということはアメリカの企業も変わりつつあるということだろうか。

ところが、トランプ大統領はそれをまた昔に返して、軍事産業を振興させようとしているように見られる。軍事産業は消費だけであって、人類にプラスの効果を与えない。人類にとって地球の資源は有限であるのだから、それらをできるだけ有効に使うようなことが人類が生き延びるためには必要とされる。

一時的に、軍事産業が隆盛になって、一部の人が所得の面で裕福になったとしてもそれは人類とか地球の資源の有効利用という意味ではまったく役に立たない。そういう視野をもった人が多くならないと人類とか地球とかの発展には寄与したとはいえない。

経済学もそういうことができるような経済学はいいが、そうではないような経済学はもうダメである。そういう意味ではおのずから科学とか技術のみならず、経済学も政治もいくべき方向は決まっているといえるであろう。

ところが実際にはなかなか大局的な視点からの学問とか、政治とか経済活動ではないのは嘆かわしい。

科学技術の戦後史

2018-10-24 11:27:34 | 日記
は中山茂さんの岩波新書である。

すでに2度目の図書館からの借用であるが、あまりよくは読んでいなかった。

昨夜、終わりのほうを読んだら、結構面白かった。これは結論の部分である。戦前の日本は19世紀のドイツ科学を模範にして日本の科学技術は発達してきたが、軍事科学技術が中心であった。戦後はアメリカの科学技術を模範にして発展してきた。

ただし、アメリカの科学技術はやはり軍事が主となるので、これは戦後の日本では見習わなかった。そこに日本の戦後の科学技術の特色があった。

しかし、『科学技術の戦後史』が書かれたのは1995年であるので、これはもう23年も前のことであり、日本の科学技術の陰りが見えてきている。確かにノーベル賞の受賞者はこの21世紀に入ってきてから圧倒的に増えたが、これがいつまでも続くはずはない。

それと日本の科学技術の研究費は民間企業が中心にして支出されてきたというが、最近はその勢いも止まっている。それに国立大学にも運営交付金がだんだんと少なくなって発表される論文数も少なくなってきているという。

現在の時点に立って、新たにその展望を描く必要が出てきている。

多元環の構造定数

2018-10-23 13:24:42 | 日記
といえば、「それは何ですか」という質問がありそうである。

この場合には基底ベクトルe_{i}とe_{j}との積がまたe_{k}(k=1,・・・n)で1次結合で表されるときの係数c_{ij}^{k}のことである。このc_{ij}^{k}を任意に与えては乗法の結合法則が成り立たない。それで結合法則が成り立つためにはc_{ij}^{k}の間には一定の関係がなければならないと『現代数学教育事典』(明治図書)に遠山啓さんが書いているが、その関係をどうやって導くのかは書いていない。

それをどうやって導くのかが問題である。高木貞治著『数学雑談』(共立全書)にやさしい説明があると、ほかの本で読んだのでそれを今見ている。まだ手を動かして計算をしていないので、簡単に導けるのかはわからないが、導く原理は難しくはなさそうである。

多元環などというと難しそうだが、複素数とか四元数とかが多元環のいい例であるといえば、たいていの方から「ああそうか」と安心してもらえるだろう。

『現代数学教育事典』からは多元環の項は、すでに抜き書きをしているのだが、その抜き書きには上に書いた乗法の結合法則が成り立つときの構造定数の関係の導出はないので、私が解説を書くときはこれらも補う必要があろう。

そう思うと、なかなかこのエッセイを書き出すことに取り掛かれない。

リー環を学ぶと演算子の交換関係が出てきて、それらが1次結合で表されるときに、構造定数が出てくる。私が何十年も前に構造定数という言葉にであったのも、このリー環が初めてであった。もっともそのころはリー環という用語は知らず、リー群の生成演算子としてであった。



知り合いの告別式

2018-10-23 13:02:20 | 日記

私の知り合いの方が亡くなった。

これをまた別の知り合いの方からメールで通知をもらって昨日の夕方そのお別れ会に参加した。私が30代の初めころから知っている経済学の先生である。この K.K.さんは E大学の法文学部の経済学科の教授だった方である。

奥様を先年なくされていたことも告別式のときに初めて知った。次男さんが喪主だったのだが、長男さんはすでに物故だったとも初めて知った(これは誤報であった。ちょっとした事情があるらしい)。もっとも3人おられたお子様の 2 人は健在であり、お孫さんが 4 人もおられて、その 4 人が K さんのお別れ会にそれぞれが自分の感慨を述べられた。

お子様といってももう50 歳以上であろう。大学の経済学の同僚だった人からの弔辞もあった。それぞれに心のこもったものであり、いまさらながら、K さんの人徳をしのばれた。

K さんは 88 歳でなくなったので私の生きていける年数もほぼこれで予想がついた。あと10年も生きられるであろうか。それはとても疑問である。

いや湿っぽい話になったが、もう一人の経済学者の知り合いのNさんもあまり体調がすぐれないと聞く。この人 のお子さんの一人とは私の子どもとは高校での同級生だったこともあり、N さんの健康も気になるところである。

私は理系であるが、たまたまこれらの二人の経済学者とは知り合いになっていた。


獺祭(だっさい)

2018-10-22 10:52:01 | 日記
というのは山口県は岩国の日本酒である。

生まれて初めて、それを昨日の小さな集まりで、飲ませてもらう機会があった。

なんでも安倍首相がロシアのプーチン大統領と山口で会合であったときに彼に飲ませたのだという。その評価は昨日の集まりではきかなかったが、くせのない日本酒であった。だいたいあまり日本酒を飲むという習慣は私にはないのだが、飲もうと思えばいくらかは飲むことができる。

それで昨日はたぶん2合くらいは飲んだのではなかろうか。そのときはよぱらったという感じはしなかったが、家に帰って椅子に座っていたら、知らぬ間に数時間眠ってしまった。

別に悪酔いもしなかったから、いい日本酒であったのだろう。ちなみに獺は「かわうそ」のことだという。

trick or treat

2018-10-22 10:37:56 | 日記
昨日の日曜に私的な小さな集まりに参加した。その集まりから帰る前に小さなキャンディを一袋もらった。

そしてそれを昨夜見たら、trick or treatとあったが、これを英語の辞書を引いても意味が出てなかったので妻にスマホで意味を調べてもらった。それによると

もともとの意味からすると、treat or trickというのが正しいはずだが、英語を母語にしている人にはtrick or treatのほうがいいやすいとのことである。

意味は「お菓子をちょうだい、くれなければいたずらするよ」という意味だという。ちょっとかわいく訳したが、もっと「お菓子をくれ、くれなければいたずらしちゃうぞ」という風に訳してもいいかもしれない。

昨夜、子どもたちが使っていた高校の英語の学習辞典を引いてみたが、この意味の用例はなかった。それで岩波の「大英和辞典」を今朝引いてみたのだが、この用例はでていなかった。

それで、妻にスマホで調べてもらったというわけである。


乗数、被乗数

2018-10-20 11:20:38 | 数学
とは何であったか。割り算のときには割られる数(被除数)と割る数(除数)とははっきり区別がつくが、掛け算の場合にはどちらが乗数でどちらが被乗数だったかわからなくなって、算数・数学用語辞典などを引いてみたが、残念なことに私の持っている本には載っていなかった。

数学の本をいくつかすこし開いてみたのだが、それでもなかなかうまくできうまくでくわさない。仕方なく広辞苑を引いてみたら、乗数というのはa*bのbのほうであると書いてあった。なぜ、こんなことが問題になったかというと、それは四元数の話しに起因する。

ハミルトンがij=kとなることを認識したときの話を書いているのだが、iをmultiplier(乗数)としており、jをmultiplicand(被乗数)としているみたいなのだ。もしそれなら式はji=-kとなってしまうから都合がわるい。

それはおかしいのではないかと思ったのだが、ひょっとして私が乗数と被乗数の定義を間違えて覚えていたのかもしれないと昨夜から思っていたので、仕事場に来てそのことを確かめるために数学の本を検索していた。

乗数、被乗数などとは難しい用語ではないが、それが算数・数学用語辞典に載っていないのはちょっと困るのではないか。もっとも生身の人間が編纂した本であるから、用語の選定の段階でつい落ちるということはありうるだろうが、やはり単純な用語もきちんと載っているべきだろう。ということは、まだもっと完璧な用語辞典が編集される余地があるということでもある。

原稿を1週間ほど寝かす

2018-10-20 10:19:41 | 日記
といいながら、ぐじぐじとその原稿を見ている。

ヴェルデンの『代数学の歴史』の四元数のいきさつを書いた項を読むというテーマのエッセイなのだが、英語の原著を読まないで、訳書を読んでいるので、どうも訳文がちょっと意味がとりづらいところがある。

もっとも、その中のハミルトンの引用部分は原文に直にあたることができて、訳文で読んでいたらわからなかったところが、原文を眺めているうちにある程度わかるようになってきた。

もともとのハミルトンの英文が分かりにくいのではあるが、それでも内容がある程度わかっているので、それから判断してこうだろうというような判断ができる箇所がある。

いや、1冊丸ごと訳さなければならない、訳者は大変だろうなと同情する。訳者だって、全ての箇所に精通しているわけではないので。

大部の本を訳した経験が私にもあるので、誤訳まがいでも訳文があるほうがいいのは間違いがない。

ドイツのバイエルンで異変

2018-10-19 12:15:23 | 日記
さきごろドイツのバイエルンであった選挙で異変が起こった。

この州では従来CSUが過半数の得票を得ていたが、それが今回の選挙で変わったという。バイエルンはドイツでは最大の州である。主要な都市としてはドイツでは第3の都市ミュンヘンがある。

このミュンヘンはとても魅力的な街であり、たぶん日本からも観光客も多いであろう。また9月半ばから10月はじめにかけてのオクトーバーフェストは多くの観光客を引き付けている。

そういう州での選挙で異変が起こったというのだからなかな見逃すことができない。

それはこの州の都市においてはすべて緑の党Die Gr"uneが多数を占めたのだという。こういうことが起こるとはだれも予想はしていなかったであろう。もっとも州全体での得票ではまだCSUが最大得票を得ているので、州の政府が変わる可能性はないが、CSUの連立相手探しが必要になってくるであろう。

いわば、日本でいえば、山口県で共産党が大幅得票を得たようなものではないかというのは日本在留が30年を超えたドイツ人のR氏の話である。