明日の18時30分から県民文化会館(ひめぎんホール)で、前進座の松山公演がある。
妻もそのチケットを約40枚売ったが、もっとたくさんチケットを売られたKさんのような方もおられる。これは日頃の人とのつきあいがものをいうことであろう。幸いなことに約1000枚のチケットの大部分は売れたようであるが、さて当日券もまだ何枚かは残っているであろう。
私も明日は公演を見に行くつもりである。妻は明日の午前中にお接待のおにぎりを有志の方の協力を得て、100個くらいつくるという。これは前進座の裏方さんの軽食となる。
演劇や歌舞伎に出演する俳優さんもおられるが、こういう華やかの方々の陰で、裏方さんがいる。演劇は総合芸術であって、舞台装置を配置する下働きや照明さん、音響技師とかいろいろな人がいなければ、成り立たない。
また、最近新聞とかテレビとかのマスコミでも問題になっているが、そういう演劇とか歌舞伎を通じてそれを下支えしている人がおられ、そういう方の後継者の問題とか現にそういう分野で働いている人が生活の糧を失いそうだという話もある。
社会の大多数にしたら、それでどうしたということなのであろうが、そうも簡単に言い切ってしまうことも簡単にはできない。
確かに水戸黄門のテレビドラマが終わってしまっても私たちの大多数にはどうってことがない気がするが、それがたとえば、鬘をつくる職人さんの生活にも直結していると聞くと、こういう伝統芸能にも影響が出てくることがわかって、その継承者が途絶えると聞くとさてしかたがないことなのかと、自問自答してなかなか答えが出せない。
そういう時代劇の鬘作成の職人さんが生活できなくなってもそれは仕方がないと思うか、それともそういう伝統を守りたいと思うか。これはなかなか難しいことである。私自身は時代劇の中に出てくるお上思想とかの封建的な古めかしい考えとかはあまり賛成ではないが、それとは異なる問題がここにある。