物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

前進座松山公演は目前

2012-02-29 12:54:38 | 日記・エッセイ・コラム

明日の18時30分から県民文化会館(ひめぎんホール)で、前進座の松山公演がある。

妻もそのチケットを約40枚売ったが、もっとたくさんチケットを売られたKさんのような方もおられる。これは日頃の人とのつきあいがものをいうことであろう。幸いなことに約1000枚のチケットの大部分は売れたようであるが、さて当日券もまだ何枚かは残っているであろう。

私も明日は公演を見に行くつもりである。妻は明日の午前中にお接待のおにぎりを有志の方の協力を得て、100個くらいつくるという。これは前進座の裏方さんの軽食となる。

演劇や歌舞伎に出演する俳優さんもおられるが、こういう華やかの方々の陰で、裏方さんがいる。演劇は総合芸術であって、舞台装置を配置する下働きや照明さん、音響技師とかいろいろな人がいなければ、成り立たない。

また、最近新聞とかテレビとかのマスコミでも問題になっているが、そういう演劇とか歌舞伎を通じてそれを下支えしている人がおられ、そういう方の後継者の問題とか現にそういう分野で働いている人が生活の糧を失いそうだという話もある。

社会の大多数にしたら、それでどうしたということなのであろうが、そうも簡単に言い切ってしまうことも簡単にはできない。

確かに水戸黄門のテレビドラマが終わってしまっても私たちの大多数にはどうってことがない気がするが、それがたとえば、鬘をつくる職人さんの生活にも直結していると聞くと、こういう伝統芸能にも影響が出てくることがわかって、その継承者が途絶えると聞くとさてしかたがないことなのかと、自問自答してなかなか答えが出せない。

そういう時代劇の鬘作成の職人さんが生活できなくなってもそれは仕方がないと思うか、それともそういう伝統を守りたいと思うか。これはなかなか難しいことである。私自身は時代劇の中に出てくるお上思想とかの封建的な古めかしい考えとかはあまり賛成ではないが、それとは異なる問題がここにある。


「素粒子論研究」終刊号

2012-02-28 13:04:11 | 物理学

昨日、帰宅すると部厚い郵便物が「素粒子論研究」編集部から届いていた。やけに厚いのでなんだろうと思ってその封を開けてみたら、3冊の「素粒子論研究」終刊号119号が入っていた。夕食後にはテレビを見ないでこの3冊を読んだ。

私たちが発行している『数学・物理通信』をご自分のサイトにリンクしてくださっている、名古屋大学の谷村省吾さんの書いた「ハイゼンベルク方程式はハイゼンベルクがはじめて書いたわけではない」というおもしろい題のエッセイは、実におもしろかった。実際の科学と後世の一般的な流布されていることはまったく違うことがわかる。

だから、その事実を忘れないようにしようというのが谷村さんの言いたいことらしかった。先日読んだYangの論文でもその時代に生きた人たちと後世の人たちとの受け取り方のずれを問題にしていた。

旧知の物理学者Kさんは素粒子論研究の編集長もされた方だが、「素粒子論研究」の65年を振り返っておられた。その中に私がまとめた『武谷三男博士の業績リスト』と『武谷三男博士の著作目録』にも言及されており、その資料の作成者としてはうれしかった。

Kさんは「素粒子論研究」は最後には280部くらいの発行部数であり、素粒子論グループのメンバー数からいうとあまりメンバーから注目を集めなかったというが、それでも興味深い記事がなかったわけではないという。

今後は「素粒子論研究」電子版が存続するが、冊子体の「素粒子論研究」は119号で終わりとなった。名残惜しいがしかたがあるまい。

最後の編集長となった笹倉さん、事務的な業務行った野坂さん有難うございました。


専門家の育成

2012-02-27 12:02:23 | 科学・技術

福島第一原発が事故を起こして、原発の安全性の神話が崩れた。これはもともと安全神話がおかしかったのだから、当然の話である。

しかし、25日の雑談会で話として出てきたことはあまり普通に議論されていないことだった。それは確かに「人類はどうやって原発をなくしていくか」ということを真剣に考えたときにはそのための専門家を育成しなければならないということである。

そういうことを考えたり議論したりする人があまりいないことが問題なのではないかという指摘はまったく正しい。確かに、精神的に原発反対だと言いさえすれば、原発をなくせるというのはまた別の神話である。そういう神話は願い下げにしたい。

それにしてもある技術的な分野においては技術的にチャレンジングな課題がないと優秀な人材が得られない。そこがなんとしても大きな課題であろう。だが、なんとしても人類を放射能禍から救うというような大きな課題をチャレンジングな課題と捉えられる若者が出て来てくれるだろうか。

私の先生の一人のS先生は生涯の多くの時間を原水爆禁止に捧げた。そしてそのことを彼は密かに誇りと思っていたが、それは少なくともそれが人類を救うことになると信じていたからであろう。それとはちょっと違うが、原発をなくしていくためにもこれから100年かそれよりも長い時間がかかる。ましてや放射性廃棄物の処理に関しては何万年もかかる。

人類はある意味ではあまり賢くなく利害によって、お互いを生き難くしている。それは炭酸ガスの国際的な排出規制などの国際協定があまりうまく進まないことにも現れている。また、市場は利益を求めて市場を席捲している。どうも人類はなかなか大局的な見地には立てないものである。


大学入試

2012-02-25 17:36:00 | 受験・学校

大学入試のシーズンである。入試など嫌だ。思い出したくもない。そういう人もいれば、大学入試を懐かしく思い出す人もあるだろう。いずれにしても現在の社会では避けて通れない関門である。

大学で何を学んだかというと、さて何だったのだろうと疑問に感じる方も居られることであろう。それでも大学で知識の多寡ではなく、なにかを得て卒業をしてほしいとは私などは思っていた。その点は何も残らなかった方もおられるかもしれないが。

アメリカでは大学に入って真剣にいろいろなことを学ぶので、大学を卒業するのは難しいとか。その代わりに大学入試はいくつかのエリート大学を除けば、入学は難しくはないとも聞く。大学入試で事が終わらないからである。一方、日本では大学入試でその人の評価が決まってしまうかの印象をもつ人が多いかもしれない。

現実はそんなに簡単ではなく、大学の偏差値だけでその人の価値が決まってしまったりすることは本当はない。昔、ある会社の取締役である人から聞いた話では大学を出て、その大学の顔が利くのは10年くらいでその後は結局その人のもっている実力で人は評価されるようになるのだという。

この人の話がどれくらい本当かはわからないが、一つの貴重な意見であるとは思う。だから、常に前向きに積極性をもって、日々の精進を怠らないようにしたい。こういうことはもう老年の私がいうことはおかしいが、若い人にはくれぐれも言っておきたい。ことは大学入試で終わることはないのだから。


四元数の発見2

2012-02-24 13:36:12 | 数学

「四元数の発見2」というエッセイを書いており、数日前から明日はもう脱稿かなと思いながら、毎日仕事場に来ては原稿を読み、それを修正してきた。

読み返していると原稿の不備に気づいて、直すという作業を続けている。しかし、今日は本当に脱稿になりそうだが、まだもう一度読み返してみなくてはなんともいえない。

「四元数の発見へ」は数学・物理通信の前号で発表したが、今度は堀源一郎著「ハミルトンと四元数」(海鳴社)の第2章 四元数の発見 の解読である。この章はHamiltonのノートの翻訳であるが、その解説を堀さんはつけていない。

それで内容がよくわからなかったというのが、私の感想であった。それを解読したエッセイが「四元数の発見2」である。これで完全解読となったのかどうか。それはこのエッセイを読む人の判断に任せる他ないが、私自身は解読したつもりである。

いずれにしても今日、明日のうちにエッセイはおそらくは完成であろう。

(2012.3.23付記)

表題のエッセイは数学・物理通信2巻1号に掲載したので、関心のある方は名古屋大学の谷村省吾さんのサイトにリンクされている、数学・物理通信のバックナンバーを参照してほしい。これは堀源一郎著「ハミルトンと四元数」(海鳴社)の第2章「四元数の発見」の解読である。


V. S. O. P.

2012-02-23 13:15:51 | 外国語

V. S. O. P.とは妻からもらったヴァレンタインのブランデー・ボンボンの包装に出ていた略語である。

ウイスキーかブランデーの最上級品につくことが多いような気がする略語であるが、意味を知らなかった。

それで、英和大辞典を引いてみたが載っていない。それで仕方なく広辞苑を引いたら、載っていた。very superior (special) old paleとあり、これはブランデーの等級の一つで、ナポレオンに次ぐ高級品で、熟成年数が20年内外のものだという。

ちなみにナポレオンとは私は以前にはブランデーの名前と思っていたが、これはブランデーの等級であり、最高級品で熟成年数が30年内外のものだという。

この年になって、ようやくV. S. O. P.の意味を知った。なかなか辞書を引いて調べるなどということを忙しい現役の時代にはしたことがなかった。

だから、辞書は自分が引くというよりは子どもたちが引いたりすることの方が多かった。ところがこのごろは時間が十分にあるせいかどうか、辞書を引いたり、事典を調べたりすることが多くなった。いいことである。

これとは違うが、RSVPという語が英語の手紙でときどき使われる。この意味をどこで覚えたかはっきりとはしないが、いつか覚えた。

これは元はフランス語で、Repondez s'il  vous plaitの略号で「返事を下さい」という意味である。NRSVPという語もある。これはNon repondez s'il vous plaitという語句の略である。この場合にはnonがついているから、返事はいりませんと言う意味だと思う。

私の先生の一人のYさんから手紙をもらったときに書かれていたことがある。そのときは多分返事はいらないということだと思って辞書を調べることもしなかった。

r'epodreはフランス語で答える、返事をするという意味であり、これは英語のrespondに対応している。だからごく最近までr'espodezとsがフランス語でも入っていると思っていたら、最近このsはフランス語では入っていないことを知って恥ずかしかった。

l'hopital (病院)なんかも英語ではhospitalとsが入っているので、微分学で出てくる、l'Hopitalの定理をl'Hospitalの定理と間違ってsを含んで書いてある書物を見たりする。これは英語から来る間違いで仕方がないであろう。 


ふれあいギャラリーの撤去

2012-02-22 13:10:17 | 日記・エッセイ・コラム

妻が年金者組合の活動の一環としての書道塾に参加している。今日まで1週間ほどデパートの高島屋のふれあいギャラリーで書道展に出品していた。その展覧会の撤去があるというので、頼まれてその撤去を手伝った。

デパートの裏口から入り、7階のふれあいギャラリーまで行くのはまるで迷路のようである。何回かデパートの職員に聞いてようやく会場までたどりつき、撤去を手伝ったが、これはすぐに終わった。

そしてまた迷路のような道をまたデパートの裏口まで帰った。これはふれあいギャラリーでこういった展覧会をする人はいつも経験するところであろう。

帰り道でもまた「南館への道は?」と2回ほど職員の人に尋ねた。さすがに職員の人は知らない人はいないらしく、てきぱきと指示をしてくれて、あまり戸惑わずに元の裏口に帰れた。

ということで、今日仕事場に来たら、ちょうどドイツ語のアンコール放送が終わるときであった。

昨日閲覧されたブログを探して、その中の2つほど以前のブログの文章を修正した。だから、私のブログは皆さんが一度読まれたブログでも、つぎにブログを再読されると表現は変っているものが多いかもしれない。

たとえば、ブログ「ドイツ語の特徴」には昨日付けで付記を大量にした。「なおし魔」の面目躍如である。


近所の工事

2012-02-21 14:12:47 | 日記・エッセイ・コラム

朝早くから、自宅の前の畑で宅地造成でブルドーザーや杭うちの音で眼が覚めた。

先日、工事業者が何か持って、工事の騒音のお詫びに来たが、そのときはなにを大げさなと思ったが、これでは大げさどころではない。実生活に支障が来たす。しかし、もうすでにお詫びの品物を受け取っているし、しかたがない。

自宅前には2枚の畑があって、その内の少し遠い方の畑の持ち主がもう畑を作ることを断念したらしい。そして貸家か何かを建てるらしい。それによって私の家がすぐに日当たりが悪くなることはなさそうだが、人の通りが多くはなるだろう。市の郊外のこの辺りでも牧歌的な時代はさすがにすぎさろうとしている。

私たちがここに住み着いたころは夜は静かで物音さえもほとんどしなかった。ときどき自宅の庭でバーべキューパーティをしたら、そのときにやって来た、友人がとても静かですねと感心をしていた。

それはしかし、もう30年以上の昔のことである。まだ昭和だったころである。

で、少々お冠でようやく起き出したのだが、すでにそのときには9時ころだった。もっとも昨夜は四元数の関係の論文を2時過ぎまで読んでおり、またすぐには寝付かれなかったので、それほど長時間の朝寝ができたわけではない。

「四元数の発見2」に描く図を昨日3つ描いたので、その進み具合に自分では少し気をよくしてインターネットで「四元数と回転」に関係した論文を見つけて、プリントをして家に持ち帰っていた。それが気になったので、きちんと読むことにはならなかったが、拾い読みをしたのだ。

しかし、まだいままでのところ「四元数と回転」についての私の疑問が十分に解けるところまでは行っていない。


婚活

2012-02-20 11:10:44 | 日記・エッセイ・コラム

土曜の深夜だった。NHKのテレビで婚活の仕方の放送をしていたが、それを聞いていてなんだ、私のことではないかと思った。

いや別に婚活のことではなく、人が集まった席での「人との話し方とか話題のなさ」とかの話である。すなわち、人と普通に話をする適当なテーマを私はもっていないということに気がついた。

知的なことなら、私も関心があり、話すことができるが、そういうことではなくて世間的なつきあいの上での人を楽しませる話のテーマをもっていない。それでかどうかはわからないが、会合に出ることがどうも苦手である。

それでもときどきは会合に出る。普通は黙っていることが多いので、この人は何を考えている人なんだろうと不気味に思われても仕方がない。そう思うとますますそういった会合に出るのが億劫になる。

参加するのは普通の人には楽しい酒食の席なのだが、私には結構つらい。別に誰かから無視されたり、意地悪をされているわけではない。むしろまわりから気を使ってもらってまでいるのだが、自分で勝手に居づらくしている。

ということで、多くの人が関心をもつような、テーマをいくつか探してをもっておく努力をしなければならないということがわかった。それでなければ、どうもそういう席には出ないようにしなくてはならないだろう。でも、そういう風にすると人との接触がなくなり、ますます意固地な人間となりそうで恐ろしい。


パスカルとデカルト

2012-02-19 14:30:03 | 日記・エッセイ・コラム

パスカルとデカルトなどと題すると、とても哲学的な談義のようだが、そうではない。単に個人的な先入観をここで披露するだけである。

私はデカルトが先入観として好きである。それに反してあまりパスカルを好きではない。パスカルは直観派の天才なのであろうが、どうもそういう頭のいい人は自分とはまったく違う人種として尊敬する気になれない。

パスカルは平面上の三角形の内角の和が180度になると3歳(?)のときに大人の人から聞いてそれを独自に証明できたとか言われている。それも幾何学がどういうものかということを聞いただけだというのに。

また、16歳のときには円錐曲線論(現代的にいうと2次曲線論であろう)とかの数学の本を出したともいう。私がパスカルの名を知ったのは中学校の理科でのパスカルの原理が最初であったと思う。また現在では圧力の単位としてのパスカルは日常用語としてテレビの天気予報によく出てて来る。

今日、朝日新聞に「パンセを読む」という話題が載っていて、その中の有名な箴言「クレオパトラの鼻。それがもっと短かったら、大地の全表面は変っていただろう」というのが出ていた。

これは原文はLe nez de Cl'eopatre: s'il eut ’et’e plus court, toute la face de la terre aurait chang'e.(ル ネ デュ クレオぺートル: シィル ュ エテ プリュ クール,トュト ラ ファス デュ ラ テール オレー シャンジェ. フランス語の音をカタカナで無理矢理表記したからおかしいのは許してほしい)

だと新聞のイラストにあった。

フランス語を解さない方でも英語のわかる人にはわかる言葉がある。terreとかfaceとかchangerとか。ちなみにフランス語に特有のアクサンはここではほとんど再現できていない。

デカルトの方は解析幾何学という座標を使った幾何学の創始者として知られており、光の屈折による虹の研究をしたとか言われているが、あまり物理の方での業績ははかばかしくはないような気がする。

しかし、どうも科学をするときの方法を考えたりしたという点で私の好みにあっている。二人とも虚弱体質であったが、パスカルの方が若くして亡くなった。それに比べていうとデカルトは50数歳まで生きたというから今から考えるととても若いが、当時としては結構な年まで生きたことになる。

好きな朝寝が晩年はできなくなって、肺炎を起こして亡くなったという。70歳をすぎても朝寝を楽しんでいる私などと比べたら、気の毒であった。


ペンと鉛筆

2012-02-18 13:33:21 | 日記・エッセイ・コラム

「四元数の発見2」と題する、数学エッセイを書いているが、図を描くところで頓挫してしまった。それで長い間(数週間?)放ってあったが、昨日ようやく下絵をボールペンで描いてみた。それをpicture環境で描くことに取り掛かるのにはまた数日がかかるであろう。

昨日NHKの「英語でしゃべらないと」(ETV)を見ていたら、どうもパイロット(だと思う)の摩擦をすると書いた文字や絵を消すことのできるボールペンの販売促進の話が出てきた。

そういうボールペンを使ったことがないので、使い勝手がいいのかわからないが、関心が起きた。問題はボールペンのセットの値段であろうか。ヨーロッパでの販売促進するための相談をフランスから来た、責任者としたときの様子の放送であったようだが、そのボールペンはかなり高価なものらしいと思われた。

いま、私はあまり計算をすることがないが、一時は多量に計算をしたものだ。ボールペンで計算をすると、書き損じたときにそれを訂正するのが難しいので、私はもっぱらシャープペンシルか鉛筆を使ってきた。これだと消しゴムで書き間違えたときに消して訂正をすることができる。

友人のM. K.君などは万年筆で計算をしていたが、彼はものすごく体力と集中力のある人なのでほとんど書き損じをしない。それでもまれに人間だから書き損じをすることがあるが、そのときには彼はナイフでその書き損じたところを削っていた。このM. K.君はhigher spinの粒子を取り扱うのが得意であった。

しかし、私が計算間違いをするのは日常茶飯事であり、鉛筆かシャープペンシルで計算するのが常だった。はじめは鉛筆で計算をしていたから、電動のシャプナー(鉛筆削り)が欠かせなかった。あるときそのことをある人にこぼしたら、ドイツ製のシャープペンシルを勧められた。

このシャープペンシルはその芯がよくて、字が薄くはない。日本製のシャープペンシルはその芯のせいで字が薄いために私には使い物にならなかった。そのドイツ製のシャープペンシルのお陰で、電動のシャープナーからは解放されたが、そのかわりこのシャープペンシルがないときちんとした計算ができないという弊害もある。

いまはあまり計算しないのだが、大抵普通のボールペンを用いている。これはプリンターでプリントミスしたコピー紙の裏側にボールペンで計算をしてそれを見ながら、数学エッセイの入力をすることも多い。だから、逆に入力してできた文書を何回も見直しをしないとウッカリしたミスがなくならない。


Yangの新しい論文

2012-02-17 15:01:53 | 物理学

C.N. Yangは1922年の生まれというからもう今年には90歳になるが、最近、物理の歴史についての論文を書いた。それがInternational Journal of Modern Physics Aの最近号に出ている。これはFermiのベータ崩壊の理論について書いたものでとても面白かった。

Yangは1970年代のあるときにWignerにあって、「Fermiの一番優れた仕事(研究)は何か」と尋ねたら、即座にそれはベータ崩壊の理論だとWignerから言われた。

Yangはベータ崩壊の理論がFermiの重要な業績であることには同意したが、それでもその頃にはすでにGlashow-Salam-Weinbergの電弱理論で、Fermiのベータ崩壊の理論は今から見ると過渡的な理論であったことがわかったので、Wignerの意見には心底からは同意できなかったらしい。

それでそういうことを趣旨のことをWignerに言った。そうすると、そのときにWignerはこのFermiのベータ崩壊の理論は当時の物理学者たちに与えた衝撃の大きさを語った。

それでこの感覚のジネレーション・ギャップを埋める話をこの論文に書いている。そしてやはりWignerのいうことが正しかったという。

そのYangの言い分を正しくわかってもらうには彼の論文を読んでもらうのがよい。ここで私が下手な要約をするよりは。

さらに、それに加えてYangらしさがこの論文の末尾に出ている。それはP. Jordanの業績の評価である。Jordanは量子力学に重要な寄与をしただけではなく、場の量子論にも重要な寄与をしたのに正当に評価されていないという。

現在ではJordanの評価が正しくなされなかったのはJordanがナチを政治的に支持したことによるものだということが言われており、このブログでもそのことがインタネットのサイトで言われているといつか述べたことがある。

科学者の政治的な立場はその業績の科学的評価にも及ぶ。しかし、Yangはそのことにはあまり賛成ではなく、評価をすべきは評価すべきだと考えたらしい。

他にもYangはOppenheimerのblack holeやneutron starの研究業績を評価していることやDysonが量子電気力学の研究でノーベル賞をもらえなかったことは、ノーベル賞は3人以内という内規があるとはいえ、残念だと他のところで述べている。


Boltzmann 因子

2012-02-16 12:02:56 | 物理学

大学院生の頃だったかN教授のところへ、石原明先生だったか統計力学の専門の先生が来られて、そのときに簡単なBoltzmann 因子の導き方についてのそれほど長くはない話を聞いた気がする。

しかし、その頃Boltzmann因子などにまったく関心がなかったので、まったくどのような話だったかは覚えていない。ノートをとっておくべきだったかと今ごろになって思っているが、もう遅すぎる。

その後、Feynmanの講義録でBoltzmann因子とかBoltzmann分布に感心した覚えがある。そしてそのFeynmanの知見を私の講義のネタの一つにしていたとはこのブログで書いたことがある。

昨日、インターネットで検索してみたら、日本語のサイトではBoltzmann因子という項目では検索にはかからなかったが、Boltzmann分布ではかなりの数のサイトがあった。だが、英語ではさすがにBoltzmann Factorという語が検索にかかった。

私はこのfactorとか因子という語とか概念が大切であるという気がしている。普通にBoltzmann分布となるには正規化の定数が必要になるが、これは後から計算で決めてやればよい。大切なのはこのBoltzmann因子である。

もちろん、この正規化定数を決めるためには積分するとか和をとることが必要であるが、それはある数学的な手続き(*)をとれば、比較的簡単に決められるというようなことをエッセイに書こうと思っている。

(*)  被積分関数中に現れるパラメーターで微分して積分値を求める方法

定年退職の前の数年、熱力学を教えることになって、それを担当したが、そのときに「Boltzmann因子が大事なのだよ」と講義した。そのことをノートに書いてあるので、それをエッセイを書いておこうとしているが、そのためにはまたFeynmanの講義録を読み返したい。

だが、その気持ちがそのうちにその気が失せてしまうかもしれない。


インターネットの故障?

2012-02-15 12:51:56 | 日記・エッセイ・コラム

昨日のブログは休んだ。というか、インターネットが通じなくて、ブログを書くことができなかった。

それで、今朝、NTTの回線故障係に電話をして調べてもらったが、仕事場の建物のルーターまでは通じているという。それで、屋内のケーブルがパソコンまできちんとつながっているのかどうかということになった。

自分への部屋の回線からパソコンまでの接続がどうかと調べた。モデムのところの接続があやしかったのか。そこをいじって、もう一度インターネットを接続してみたら、どうにかつながった。

どこが悪かったのかよくわからない。モデムのところの接続が怪しかったのかも知らないが、どうもそうかどうかもはっきりとはわからない。狐につままれたような気がしている。

それにしても実用的にはインターネットにつながったので、OKである。

人が生きているといろいろなことが起こる。その一つ一つに過剰に反応をしていては生きていけない。淡々と生きていくには何事もびっくりしてはいけないのだ。

私などは若いときに自分にいろいろのことが起きたから、家族にも気を使って生きている方だが、それでも人生には予想もしないことがまま起きる。そういうものだとの人生の達観か諦観かが必要とされる。

そういうことからすると、インターネットの不通くらいは別に驚くべきことではない。しかし、毎日ブログを書くことが日常化している生活からは何かが欠けたとのある種の喪失感を感じた。

やれやれ(Gott sei Dank)。発音をカタカナでつたなく表すととゴット・ザイ・ダンク、直訳をすると「神に感謝あれ」となるのだろうか。日常生活の言葉に簡単に神様が出てくるところが、私たちの生活とキリスト教世界とは違うと思う。

これは神様とは関係ないが、子どもが半年ほどドイツの小学校に入ったときに、小学校の先生が口癖に言っていたという言葉にDonnerwetter noch mal(ドンナーヴェッター ノッホ マール)というのがあった。当の本人である、私の子どもはもう覚えていないだろうが。

Donnerwetterとは「雷雨」のことであるが、ここでは「驚いた」くらいの意味であろうか。


掃除と布団干し

2012-02-13 12:02:52 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の日曜日は久しぶりにいい天気であったので、お昼前に布団をバルコニーに干した。そしてコタツで居眠りをしていたが、午後4時前になったので、寒くならないうちにと2階の掃除をした。

これは以前は2階の掃除は私がやり、1階の掃除は妻がやるという仕事の分担ができていたのだが、このころは私が2階の掃除もしないことが多かった。そうすると家全体がどうも騒然としてきて、どうも汚くなる。

それで、天気もいいことだし、久しぶりに窓を開け放って掃除機をかけた。掃除機をかけても実は小さなチリを舞い上がらせるだけではあるが、それでもときには掃除機をかけることも必要であろう。

掃除がすんだので、しばらくして布団を取り入れた。ということで仕事が終わって1階に下りてきたら、5時半になっていた。いつも日曜日の午後遅くはテレビで「笑点」の大喜利を見ることにしているので、妻が思い出してテレビをつけたのであろう。

「笑点」の大喜利を見た後で、放射性元素の崩壊から地球の年齢を求めることを書いた高校のテクストのコピーが見つからないかと押入れの中の自分の書類を探したが、それは見つからなかった。その代わりに以前の私が行った熱力学の講義のノートでBoltzmannの原理に関係した部分を見つけた。

このBoltzmannの原理に関係したエッセイをいつか書いてみたいと思っていたので、このノートを仕事場にもって行くことにした。