物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ウガンダ支援事業

2014-06-30 10:56:18 | 国際・政治

世の中にはなかなかあり得ないようなことをしている人がいるものである。

先週の土曜日にはウガンダのHDCCという組織を支援している松山在住のUさんの話を聞く機会があった。

個人として支援をされているのである。いくらか財政的支援が必要であるらしいが、それを企業とか篤志家を募っての支援ではなく、まったく個人としてしている。

頭が下がるが、それでも誰かに助けてほしいとか基金を募るとかいうことではなく、個人として行っている。

そのUさんの話を聞いた後で、数人の人たちとちょっと話す機会があったが、みんな年金生活の身ではなかなか自分自身の生活さえできにくい現状では支援に募金することは難しいと異口同音にいう。

そういう現状であるから、ますます個人としてのその支援に頭が下がる。

Uさんがご自分のしている、ウガンダの支援について話したのははじめてであるという。そして「これが最後の機会でもであるだろう」と言われるから、むしろこれからあちこちで話をしてほしいと要望をしておいた。


物理学者の秘密の仕事

2014-06-28 13:50:10 | 物理学

NHKの教育TVの宇宙白熱教室というのを昨夜見た。

物理学者の秘密の仕事というのは秘密でどこかの国のスパイをしているという話であるとか。

冗談はさておき、物理学者はものごとをどのように捉えているかということだが、聞くに値するものだった。

第一に自然界の現象を実験によって捉まえる。そのときに細かいことに囚われずに大雑把に捉えるという。小さなことに拘らない。

どうやって大雑把に物事を捉えるのか。例として挙げていたことがおもしろかった。乳牛は複雑な形をしているが、物理学者は半径が r の球と考える。

普通の大きさの乳牛はいるが、なぜその倍の大きさの乳牛がいないのか。体積と質量とその表面積からもし乳牛の大きさが2倍になれば、体積は8倍になり、その乳牛の表面積は4倍にある。

乳牛の皮膚にかかる張力は2倍(?)になり、乳牛の皮膚はその圧力を支えきれないとか。

つぎに大きさのオーダーでものごとを捉える。太陽の密度と温度はその半径Rの関数であるとする。

そして核融合で発生したニュートリノの数を観測と比べたところ1/3しかなかった。これは太陽で発生したニュートリノの数が間違っていたわけではなく、ニュートリノが測れない別のものに変わっていたということがわかった。

ある数a^{n}とa^{m}の積はa^{n+m}であり、これを用いて10の累乗でものごとの数値を測ると計算のときにも見当がつきやすい。

つぎにFermi問題と言われているものをとりあげた。100万まで数を数えるのにどれくらいの時間がかかるか。答えは1週間くらいということであるが、その前に答えを予想させて聴講者からその答えを聞き取っていた。

まるで、仮想実験授業のようである。

シカゴの人口が500万人として何人のピアノ調律師がいるかという、有名なFermi問題も出た。100軒に1台ピアノがあるとし、1年に1回ピアノの調律をするとすれば、10人の調律師がいるという。

最後は次元解析の話であったが、これは専門家は知っているとしても普通の人には珍しい話であったろう。

(2014.6.29付記)  あまり本になったりしていないことで、order of magnitudes(大雑把に物事を捉える)の話とか次元解析の話とかいった話を書いた詳しい本が欲しい気がする。ロシアの物理学者ミグダルの書の日本語訳があることを知っているけれども。

外国語の本ではそういう本はあるのかもしれいないが、日本語ではある書の中で部分的に取り上げられることはあるのかもしれないが、そのような書の集大成したものがほしい。

それと物理学者は何にでも答えることができなくてはならないというイタリア生まれのアメリカの物理学者Fermiの意図を体現したようないわゆるFermi問題を考える考え方を説いた書も必要であろう。

そういう書はいくつかすでに日本でも出版されているかもしれないが、私はあまり知らない。

 


演じない役者はただの石ころ

2014-06-28 11:42:28 | 日記・エッセイ・コラム

「午後の遺言状」という映画は見たことがないが、その映画のことを朝日新聞でとりあげていた。

その中に新藤兼人監督か誰かの言として、出ていた。これはしかし応用が利く。

「教えない教師はただの石ころ」だとか、「研究しない研究者はただの石ころ」だとか、「真実の報道をしない新聞記者はただの石ころ」だとかである。

もっともこの言い方に関係がないかもしれないが、「スキーは夏上手になる」ということわざもある。

ようするにある種の時間間隔があくということがプラスに作用するということであろう。

私などもこのブログとかいろいろな文章を書くことがある。そして、ある時間がたってまたその文章を読み直すと言葉が足りないことがわかって書き直すことが多い。

その文章を書いたときの熱気がなくなるということも事実だろうが、わかりやすさでは格段に良くなっていると勝手に思っている。


Je t'aime parce que je t'aime.

2014-06-27 12:54:42 | 外国語

こんなきざなセリフをいうのはやはりフランス人だからであろう。今日終わったNHKのアンコールフランス語講座の梅本洋一さんの最後の一コマから。

梅本さんは昨年の3月にすでに亡くなったそうだが、アンコール放送ではまだ元気な声を聞かせてくれている。

長年フランス語を勉強している割には全く上達しない私のフランス語とは違って、梅本先生のフランス語はすばらしい。

そして、Triffaut監督の映画la Femme d'a c^ot'e(隣の女)からのセリフの一つが表題の文である。意味は「あなたを愛しているから愛している」という。

この文章からデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり(je pense, donc je suis)」を思い出すのはフランス人とかフランス語に対する私のclich'e(紋切り型思考)であるかもしれない。

懐疑的という好きな言葉があるセリフがあるので、ここに書き出しておく(注)。

Tu 'etais toujours sceptique, tu doutais toujours de moi.(あなたはいつも疑い深かった。わたしのことをいつも疑っていたわ)というセリフが表題のセリフのすぐ直前にある。

(注)英語では懐疑的とはskepticalという。


electric vehicle

2014-06-26 13:05:59 | 科学・技術

electric vehicle(EV)があることは知っていたが、それを路上で走っているのをみたことがなかった。

ところが今日11時直ぐに仕事場に来る途中で横にいた車の横腹にelectric vehicleと書いてあったので、そういえば、車に排気口がないことに気がついた。

燃料電池の車が700万円とかで市販されるとか最近新聞で見かけた。もっとも700万円では普通の人は買えないだろう。

どこかのEV車を製造しているメーカーでもEV車を公官庁にレンタルをしているだけでなかなか市販にはいたっていないらしい。

だが、松山あたりでも私の側をEV車が走っているくらいなら、東京あたりなら、もっともたくさん走っているのだろうか。

このEV車を美人の若い女性が颯爽と運転しているところを想像してちらっと見たら、運転をしているのはスポーティな感じの中年の男性らしかったが、彼は多分誇らしい感覚で運転をしているであろう。


上杉鷹山

2014-06-25 17:38:34 | テレビ番組

NHKの「知恵泉」で先週と今週の火曜日に2回上杉鷹山をとりあげていた。

昨晩の上杉鷹山の知恵

(その1)マイナス情報を隠すな

米澤藩の財政状況が厳しくて大借財を抱えていたのに、その状況を包み隠さず藩全体に公開したという。これは農民に至るまでその情報を共有していたとか。それで危機感が共有されて、危機感が広がった。

また藩政への意見書を広く募り、いいものは採用をしたり、試行を行ったりした。

(その2)成果を実感させる

責任体制をつくる。

売り上げを上げる。

コストカットはしない。

コストカットは会社がつぶれる前ぶれとなる。悪循環が起こって防げない。そして最後には倒産にいたる。

成果を実感させるとモチベーションが上がる。現代だったら顧客からのほめ言葉が最高の見返りだろうという。

自分のためにするのではなく、多くの人の幸福のためにする。

これはゲストの方の言葉では、「大きく着眼して、小さなことから着手する」とのことであった。

またマイナス情報をつかめば、それで半ば成功したも同然だという。これはそのマイナス情報をしっかりつかめば、それに対する対策も立てられるからである。


日本の将来

2014-06-24 11:01:25 | 国際・政治

どうも日本の将来はどう考えても明るくない。

先日の日曜日に愛媛大学で開かれた愛媛県社会保障推進協議会(以下協議会と略称)の主催の「社会保障の明日を考える」というシンポジウムに出席した。

ところが社会保障は国家の財源難のために縮小するという。特にいまの新自由主義の政府は自己責任ということを振りかざしている。

ところがそれは怪しからんというのが協議会の主張となる。特にほぼ10年後の2025年のことが大問題だという。

そのことまでは政府や官僚と協議会との認識に違いはあまりない。ところがその後の政策となると大分ちがってくる、たとえそうではあるにしても人間の生存が難しくなるような社会福祉の切り捨ては認められないと協議会は考える。

財源がなくなるので、増税というところはある程度一致しているとしてもどこからとるのかというと消費税くらいしかない。

いつだったか私たちの雑談会で、経済学者のNさんが企業はずるいのだと言っていた。それが本質であろう。企業の社会的責任とかいう言葉もあるが、できるだけ利益を上げるという体質は変わらない。

そうでない経営者ももちろんおられるけれども、それは圧倒的な少数派である。

そういう社会福祉の切り捨てや教育研究分野に関わる国家経費の節減は激しい。

実際問題として総額はあまり変わっていないとしても、底力としての日本の学問の品質は大学の研究者の懸命な努力にもかかわらず、その政策によって劣って行くことはまちがいがない。

そういう学問の裾野を広げたり、しっかりしたりするという財政的な力はもう日本にはないのではないかと思わせる。

それだのに力の政策だけが出て来て、武力の行使が日常茶飯事となりつつある。集団的自衛権の行使を認めるとかどうかということにそれが現れている。

では、なにか挽回策があるかとなると、日本でのすごい頭脳集団であるはずの、官僚らもあまりいい策はもっていない。

これは別に日本だけのことではないらしい。世界的な傾向である。それがヨーロッパなら、スペインのような国に現れている。


潜熱とエントロピー

2014-06-23 12:10:35 | 物理学

先週のドイツ語のクラスでlatent(ラテント)という語が出てきた。

私の日本語の語感では「潜んでいる」という訳語があたる。それで思い出したのが、表題の潜熱であった。これは英語ではlatent heatという。発音はレイテント・ヒートであろう。

潜熱とは例えば、氷に熱を与えたときに熱を与え続けているのだが、氷が完全に溶けてすべて水になってしまうまでその温度が上がらない。

逆に水が0度になってそれがすべて氷になってしまうと、水の中に潜んでいた80calの熱が放出される。

こういう現象がある。このような熱を物質がもってはいるのだが、温度が上がらないというような現象のあるときの熱を潜熱という。

それで、温度という物理量で物質の水をみれば、どうもあまり温度が物質の水の状態をきちんと表していないということで、人はエントロピーという量を導入した。このエントロピーで水を見るとき氷に熱を与え続けると水のエントロピーは大きくなっていく。

それで、水の相転移が起こるときにも、それに与えられた熱の量を忠実に反映してエントロピーは大きくなっていく。

エントロピーという量の導入の理由の一端がここにある。

(2019.10.22付記) 要するに、温度とは熱量とはいつでも比例するわけではないが、熱量とエントロピーは比例するように、または一次関数的に振る舞うということであろうか。



私の人生の10曲(4)

2014-06-21 13:08:05 | 日記・エッセイ・コラム

「私の人生の10曲」もすでに10曲をすでにすぎているから、看板に偽りありだが、続けてみよう。

どうもドイツ語の歌が1曲も思い出せなかったのが不思議だ。

それで、昔のドイツ語のテクストをとりだしてみるといろいろいい曲はある。

Das gibt's nur einmal,

Das kommt nie wieder,

das ist zu sch"on, um wahr zu sein.

という有名な歌詞があるのは映画「会議は踊る(Der Kongerss tanzt)」の主題歌Das gibt's einmalである。

最後の文は初級文法で学ぶような典型的なum zu構文である。

他にもベートベンの第九の合唱An die Freudeの、

Deine Zauber binden wieder,

was die Mode streng geteilt.

alle Menschen werden Br"uder,

wo dein sanfter Fl"ugel weilt.

は音楽音痴の私でも覚えていて、この箇所はコーラスについて歌うことができる。この副文ではドイツ語らしく定動詞が後置となっている。またgeteiltとweiltと韻を踏んでいる。

weilenという動詞はあまり日常用語として聞いたことはないが、eine WeileとかいうときのWeileとの関係語なのであろう。

最近では各地で第九を歌う会がある。松山にはその会がないが、隣町の松前町にはあり、年末にはこの合唱をコンサートで聴くことができる。

そのプログラムのパンフレットにはその有名な箇所にはカタカナのフリガナまでしてあって、会場の参加者もその部分を一緒に歌うことができるようになっている。

一緒に歌う経験をした人がこのコーラスにつぎの年に参加して舞台の上で歌ってほしいとの意図が込められている。

シューベルトの冬の旅の中のGute Nachtは亡くなった友人のH君が好きでときどき口ずさんでいたが、有名な箇所は

Das M"adchen sprach von Liebe, 

(ダス メートヘン シュプラハ フォン リーベ)

Die Mutter gar von Eh',-

(ディ ムッター ガル フォン エー)

である。


私の人生の10曲(3)

2014-06-20 13:09:52 | インポート

私の人生の10曲もすでに10曲をすぎてしまったが、その(3)を述べておこう。

シャンソンのAux Champs-Elyseesはテンポがよくていい。

Aux Champs-Elysees, Aux Champs-Elysees, ・・・

シャンゼリゼ―には欲しいものがなんでもある(il y a  tout ce que vous voulez aux Champs-Elysees) という。本当にそうかどうかはあやしいが、そんなことはどうでもいい。

それからムスタキのma solitudeであろう。ムスタキはギリシア生まれのフランス人であるが、ひげを生やしたchanteurであった。

je ne suis jamais seul avec ma soltiude.

私はもう孤独ではない、私の孤独と一緒なのだからと歌うレフレーンは心に沁みこむ。

そして最後はモーツアルトの魔笛(Zauber fl"ote)の中のパパゲーノの歌う曲であろう。

V"ogelf"anger bin ich ja, ganz heu ca (?)・・・

とかなんとかいうのだが、どうも記憶が怪しい。しかし、人生の最後に聞くのなら、やはりこのオペラ魔笛の曲であろう。


私の人生の10曲(2)

2014-06-20 12:41:19 | インポート

中学時代に流行って覚えた歌は春日八郎の「お富さん」である。

粋な黒塀、みこしの松にあだな姿の洗い髪・・・

とかいう曲であり、当時住んでいた I 市ではある電機店の店頭にテレビが据えつけられて、多くの人が野球の中継や相撲とかプロレスの放送を見ていたものであった。中学生のころの夜の塾帰りにナイターの中継を見かけたこともある。

高校のときの思い出の曲はやはりフランク永井の「有楽町で逢いましょう」であろう。高校3年のときの卒業記念の演奏会か何かで音楽好きの友人の何人かがこの歌をうたったり、ギターやマンドリンで演奏したことで印象深い。

あなたを待てば、雨が降る。濡れて来ぬかと気にかかる。ビルのほとりのティールーム、・・・

それから大学へと進んだが、大学の頃にもいくつかの歌は流行ったのだろうが、思い出せない。大学院のころに友人のI 君が歌っていて、覚えたのが、「もず」であった。

もずが枯れ木で鳴いている。おいらはわらを叩いてる。みんな去年とおなじだよ。けれども足んねーものがある。兄(あん)さの薪割る音がねぇ。ばっさり薪割る音がねぇ。・・・(これはだいぶん歌詞が落ちている。2021.3.1付記)

これは哀愁を帯びた歌であるが、反戦歌だと後で知った。

これに似たシャンソンで「サクランボの実るころ(Les temps de cerises)」というのがある。歌詞はもう思い出せないが、これ男女の恋歌のようだが、やはりある種の反戦歌なのだという。

それとは違うが、有名なのは「雪は降る(Tombe la neige)」であろう。

Tombe la neige. Tu ne viendara pas ce soir.・・・

雪は降る、あなたは来ない。・・・

という曲は歌う人が男性であれ、女性であれ心に真に迫る。

ということですでに10曲となった。番外ではあるが、実はここら辺から私の心情にあった曲をなお、いくつか「 私の人生の10曲」(3) で紹介する。


私の人生の10曲(1)

2014-06-20 12:03:47 | 日記・エッセイ・コラム

「私の人生の10曲」というNHKの番組があった。

それを居眠りしながら、聞いていて同じことを私自身にすることができるかと考えていた。

音楽にはあまり関心がないので、それができそうにない。10曲も曲をあげることができるかどうか。

その成否はわからないが、ちょっと試みてみよう。

3~4歳のころ、私は軍国少年ならぬ軍国幼児であったから、そのころの思い出は「愛国行進曲」である。

見よ、東海の空明けて、旭日高く輝けば、天地の世紀はつらつと、・・・

とかいう歌詞であった。もっともこれは歌を兄たちが小学校で教わって来て歌っていたのを聞いて覚えたものだから、本当は間違っているかもしれない。叔父が二人も職業軍人であったから、その当時は大きくなったら軍人になるのだと思っていた。

もっとも体力も身体的能力もない私はもし希望したとしても、軍人にはなれなかったろう。

つぎに、小学生になった後で、流行った歌は題は知らないが、

赤いリンゴに唇寄せて、黙って見ている青い空・・・

というリンゴの歌である。これは戦争が終わった後の開放感を表している。

そのつぎには父が買って来た、蓄音器(まさに蓄音器で、その後つかわれた、レコードプレヤーではない)について来た2枚のレコードの1枚だった「愛染かつら」である。これは戦前の映画の主題歌であったろうか。

ひょっとしたら、プレヤーについていたレコードではなく、前から家にあったレコードであったかもしれない。

そのころ、やはりレコードで「五木の子守歌」というのを聞いたのを覚えている。


集団的自衛権

2014-06-19 13:23:38 | 国際・政治

どうもインテリとか国際関係に詳しい人には集団的自衛権を内閣が認めるという話は評判がわるい。

どう考えたって単なる限定的な集団的自衛権で話が収まるはずがないし、それよりも現在の個別的自衛権だけを認めるという国家の姿勢は100年以上他の国家より先行した思想であるのに現実路線とかである。

どれくらいその現在までの憲法9条を尊重する、政治路線の価値があったかはそれが完全に壊れてしまわないとわからないらしい。

それが壊れてしまった後で、企業が世界で利益をうまく上げられなくなったとして、地団駄を踏んでもおそいのにである。

確かに、世界を見るとイラクもそうだし、シリアもアフガニスタンもなかなか国が治まらない。

これは国のある一部の民族だけの利益がもたらされるように政治が行われるとなかなか他の民族はうんとは言わないだろう。

一部には自分の私腹だけを肥やす類の政治家も後を絶たないのだろうが、それだけではないようである。

国家だけを重要視する現在の政治はもう時代遅れだというのは入江昭氏(ハーバド大学名誉教授)である。

もちろん、直ぐに彼の主張のよう国際政治がなるとは思えないが、すでに政治家がそういう思想を取り込んでいなくてはなるまい。

そうではなく、昭和10年代のような国家がいいと言わんばかりの美しいかのような国家観は時代錯誤がはなはだしい。


ウガンダ、タンザニア、ブルキナファソ

2014-06-18 13:04:12 | 国際・政治

ウガンダ、タンザニア、ブルキナファソはすべてアフリカの国である。

ウガンダについては6月の雑談会で弁護士夫人のSUさんウガンダへの支援のことをはなしてもらうことになっている。

タンザニアは知り合いの弁護士さんの夫人YIさんが支援にかかわっていることを知っている。

それでいつかはYIさんにも話を伺いたいと思いながら、そのことをお願いしていない。

ブルキナファソは昨日の車中のFM放送の中でブルキナファソにJICAから派遣されて野球の普及に努めているという若い男性へのインタービュを聞いた。

アフリカの国といえば、部族同士の争いに明け暮れるという印象をもってしまうが、ブルキナファソは国民性が穏やかであるという。

もちろん、まだ貧乏な国であり、スポーツもまだ、だれでもできるというほどにはなっていないという。

だが、平和に暮らしてそれも勤勉な国民性もあるので、これから発展していくであろうとのことであった。

それにスポーツを通じてのコミュニケーションは言語を通じてのコミュニケーションでないだけ、強いところがあるとか。


原発事故避難

2014-06-18 12:37:47 | 社会・経済

新聞によるとどこの原発所在県も、原発の事故があったときの、避難計画を策定を急いでいるとか報道されている。

これは私がE大学を退職する数年前(2002-2003年ころ)のことであるが、そのころなぜだか、原発事故が起こったときにその避難計画を立てておくことが必要なのではないかと思い出した。

これは鹿児島大学に勤めていた知人の物理学者 K さんが火山灰がどういう風にどちらの方向に流れるかに関心をもって研究をしていることを知ったからであった。

それで同じようなことを愛媛県でも伊方の原発事故が起こったときに、そのときの風の向きと風速によってどこにどのように放射能物質が流れるかをシミュレーションしておけば、避難することも計画が立つのではないかと思った。

そんなことを考えていたとき、工学部の同僚教授で都市工学が専門の K さんに電車で一緒になったので、そのことをちょっと話したら、即座にそんな起こるかどうかわからないことは関心がないと言われた。

そのネガティブな意見にめげたわけでは決してないのだが、どうもそのことの関心が減ってきて、在職中にその研究をすることはなかった。

もっとも原発事故災害の避難のときには科学的または工学的研究も必要ではあろうが、社会的、経済的または政治的の研究も必要だろう。

だが、そういう広範な分野にわたるいわゆる学際的研究プロジェクトを世話する、オルガナイザーの素質は私にはない。

それに放射能汚染物質の拡散の方程式をコンピュータを使って解くことやそれを可視化する技術が私にはなかったから、それでKさんのマイナスの意見を聞かなくても実際に研究に取りかかることはなかっただろう。

だが、あれからほぼ10年を経過して見ると、やはりそういうシミュレーションをする必要があったと思う。

E大学でそういうことを考えた研究者が全くいなかったかどうかは知らないが、少なくともプロジェクト研究とかではそういう計画を提出された方はいなかった。

そのころ考えたことは国道が車で渋滞したら、八幡浜の港に自衛艦に来てもらって、住民を安全なところへ避難させるとかいうことを頭の中では考えた。

だが、介護施設や病院などに入院または入居している人の避難までには頭が行かなかった。現状を見てみるとこういった介護や病院の入院者をどう避難させるかについての計画というかシミュレーションが必要だったし、原発事故のときにどうするかの備えをする計画がなしでの原発再開はありえない。

こんな風に考えてくると原発のコストがいくらになるのかはなかなか予想がつかない。また、その結果として原発は安いという評価はまったく異なってくることは確かである。

これらは原発燃料の廃棄物をどこに何万年もモニタリングしながら、保管するかとかという根本的なことを棚上げしたとしてもの話である。