鶴見さんの「たまたま、この世界に生まれて」(SURE)をこの2日ほどかけて読んだ。
そのために昨日はこのブログを書く暇がなかった。それくらい興味をそそられたのである。
読んでしまった後で、この本のどこがよかったのかと言われても、年のせいで読んだ端から忘れるので困るが、読んでいる途中ではプラグマティズムについてもっと勉強して見たいとまで思わせるようなものだった。
日本の哲学会にはプラグマティズムは根付かなかったが、何人かのプラグマティズムにもとづいた考えで生きて来られた方がいるということがわかった。石橋湛山、柳宗悦等である。
この本はもともと鶴見さんの50年以上前の本「アメリカ哲学」と2001年にアメリカで出版されて、鶴見さんがある人のアメリカ土産にもらった本「形而上学クラブ」を中心として議論が展開される。
この「形而上学クラブ」とはプラグマティズムの発祥のもととなった数人のグループのことである。したがって、この本は鶴見さんが「アメリカ哲学」に描いたプラグマティズムよりのプラグマティズムの発祥となったグループの歴史や何かに詳しいらしい。
それを踏まえての今回の鶴見さんの「半世紀後の『アメリカ哲学講義』」となった。しかし、話はそれにとどまらずいろいろに脱線する。その脱線のところも面白い。
副題が「半世紀後の『アメリカ哲学』講義」とあって、こういう副題が付いているので買うのを前にはためらったのだと思う。しかし、この副題を恐れる必要はなかったのだ。哲学を専攻していないものにも十分にわかる内容である。
今回「悼詞」を購入するついでにこの本を購入したのだが、本当によかった。