物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

戦争や核兵器はなくせる

2012-07-31 13:05:51 | 日記・エッセイ・コラム

朝日新聞の天声人語に今日載っていた言葉から。

それは私も面識のある、物理学者の小沼通二さんの言葉である。

「戦争や核兵器はなくならないと言う人がいる。でも考えてみて下さい。日本は戦国時代や江戸末期、国内で戦争をしていましたね。いま国内で戦争が起きる可能性があると思う人はおよそいないでしょう。地球上だって同じです」

これにはやられた。この論法は論理ではなくて、類推であるが、確かに小沼さんの言われるとおりである。同じような類推が成り立たないとは誰が言えよう。

小沼さんは物理学者として、パグウォシュ運動とか核兵器の廃止運動にも係ってきたが、こういうアナロジーは日本人にもおおいに説得力がある。

第1、地球は狭く、この宇宙船地球号から我々は降りることなどできないのだ。いつかこのブログで「火星移住計画」という小文を書いたが、これはあくまで科学者の想像上の計画というかシナリオであって、これが実際に実現することはないといっていいのだ。

ときどき、この火星移住計画のブログが検索から入ってきて、読まれることは知っているが、あそこでも書いたが、そういう科学的な想像とかシナリオから、地球の環境などどうでもいいと考えるような人が出てくるとすれば、それは心外である。

もっともまた一方で、火星移住計画のようなシナリオを科学者が考えてはいけないということにも反対である。人間が科学的に想像できることをあくまで想像する。このこともまた許されなくてはならない。

もちろん、地球上にいま、またはこれからも生まれるであろう、生物(あえて人類とはいうまい)に現在または将来にわたって害を及ぼさないという範囲ではあるけれども。

論理が首尾一貫しないかもしれいないが、私はそう考えている。


TEDカンファランス再見

2012-07-31 11:30:39 | テレビ番組

昨日から、TEDカンファランスの再放送がはじまった。

昨日はその第1回の再放送であった。Derek Siversのプレゼンを伊藤穣一さんがoffbeatというキーワードで説明していた。

offbeatを伊藤さんは「いい意味で風変わりな」と訳されていたが、beat(唸り?)からはずれたということから「風変わりな」という意味に使われるのだろうか。

ともかく、ある現象ではリーダーがいて、それの同調者(フォロワー)が出てくることが大切なのだという。そしてそのフォロワーをいずれも同等に扱うことが大事なのだという。

プレゼンそのものは3分間のビデオで誰かリーダーが一人で裸で手足を動かして踊っている。そのうちにその踊りに一人フォロワーが出てくる。その段階ではまだ二人がまわりからは訳がわからずに踊っているに過ぎない。

ところが、しばらくして2,3人のフォロワーがその踊りの輪に加わる。そこで、その後にその踊りの集団が加わる人が急に増えていく。

そのビデオから、どういう教訓を引き出すか。どこかで運動なり、社会現象なりが量的にも変わっていく。このことをビデオで視覚的に訴えたプレゼンであった。

そこで考えたのだが、私などもある種の仕事をはじめている。リーダーという語はおこがましいが、それを密かに行っているが、だがフォロワーがほとんどいない。もちろん、そういう運動なり、社会現象を引き起こそうとはしていないのだが、それでもそういうことができればと密かに望まないでもない。

どういうことを目指しているかというと、別に社会現象を引き起こそうとしている訳ではなく、数学とか物理とかのある種の教育活動への提起とかそのための例を示したいと思っている。

だが、私と同じような思いの方は居られるのだろうが、フォロワーが出てくる運動にまではなっていない。そこがどうしてかを考えなくてはいけないのかなと感じた。

私のやっている、「数学・物理通信」の発行では少数だが、すでに強い支持を受けていると考えている。だから、こちらの活動ではフォロワーがいないとは思っていない。

もう一つの私の目指していることは数学や物理ののe-learningのコンテンツの作成運動その他の方面のことである。これにはなかなかフォロワーは現れない。そもそも私がどんなe-learningのコンテンツをつくっているかさえも世間にはあまり知られていないのだから。

この根本原因は大学という枠とかの、ある種のセクショナリズムのせいだと考えている。


ペーハー

2012-07-30 14:39:13 | 受験・学校

無料塾で中学校の理科の中に出てきた、BTB溶液というのを知らなかったので、ちょっとショックを受けた。

それでインターネットでしらべたら、ブロムティーモルブルーという粉末を少量のアルコールで溶かし、それの水溶液をつくれば、中性のときに緑色だが、酸性のときには黄色とか赤になるという。またアルカリ性が強いと青色とか紫色になるという。

私が中学生だったのはもう60年近く前のことなので、BTB溶液などという試薬が出てきて、それを知らなくても不思議ではない。だが、こういうものも知らなかったので私は理科の教師としては失格だと知った。

それとは違うが、ガルなどという単位は最近まで知らなかった。もっとも名前を知らなかっただけでガルは難しいものではない。多分このガルはGalileo Galileiにちなんだものらしい。

ペーハーについてもよく知らなかった。数学のe-Learningのコンテンツをつくったときに、その下敷きにした本の演習問題にペーハーの話が指数の例題として出ていたのだが、その問題の解説が難しく思えたので、はずしてしまっていた。これは指数というか常用対数のいい例であることをようやくわかったのは最近である。

やれやれ、私の理解というのはなんでもこういう不十分なところがある。だから、いつかこのことを解説したエッセイを書いておきたいと考えている。


庄野直美さん

2012-07-30 13:21:33 | 学問

物理学者の庄野直美さんのことが朝日新聞に出ていた。

彼は一般には原水爆禁止運動家として知られているのであろう。私の出た大学の素粒子論研究室の元教職員として同窓会のメンバーの一人であった。

2年に1回の同窓会に出て来られたことは一度もなかったが、私を含めた世話人から毎回同窓会の開催通知を送っていた。かなり以前に亡くなったと思っていたが、今年の2月(2012.2.18 )没である。

6月末に彼を追悼する集会があったらしい。

もう私が庄野さんを知った頃はすでに広島女学院大学の先生であったが、私の出身の研究室にもときどき顔を見せていた。

年末にニュートン祭という、物理学科の行事が毎年あるが、そのときに研究室とか学年対抗でソフトボール大会が行なわれる。あるとき自分の目の視力がもどったからゲームに出たいと庄野さんから言われたことがあり、私の代わりにピンチヒッターで出てもらったら、2塁打をかっとばされた。

庄野さんはもともと素粒子物理の研究者であったが、私が大学院に入った頃には多体問題を扱っておられたと思う。いつだったかその発表を研究室で聞いたが、あまりよくわからなかった。研究結果には自信がおありのようだった。

液体ヘリウムの超流動の研究ではなかったかと思うが、わからない。その論文はProgress of Theoretical Physicsに掲載されたと思う。

その後、私の先生の一人で教授だった、佐久間 澄(きよし)先生とどこかに一緒に出かけられたりされているのを見かけた。

数年前に原爆禁止運動関係の著書を出したから、読んでほしいとの私信をもらったが、まことに失礼ながら、その本を読んだことがない。

だんだん知り合いの先輩方も亡くなっている。

佐久間 澄先生も原水爆禁止運動に精魂を傾けておられた。だからかどうかはわからないので申し訳がないけれども、物理の研究者としての佐久間先生の印象は薄い。


今治西高校、甲子園に

2012-07-30 12:01:46 | スポーツ

高校野球愛媛県代表に今治西高がなった。

ノーシードだったからまさかと思っていたが、あれよあれよという間に勝ってしまった。まあ、OBとしては喜ばしいことではあるけれど。

優勝戦は少しラッキーなこともあったが、それも実力の内だといってしまえばそうかもしれない。

試合の後の監督インタビューでアナウンサーが聞いていた。

「試合後に選手全員を集めて話をしていたが、何を話したのですか」と聞いたら、大野監督が昨年は川之江高校はシードされてされていながら、コールドで大敗した。

それにもかかわらず今年は川之江もノーシードで決勝戦に進出してきた。それで相手のチームに敬意を払うべきだとのことを話したと答えていた。

川之江の監督が大野監督のよく知っていた人であったということもあるかもしれないが、やはり苦労をして優勝を勝ち取るような人は他人の苦労もよくわかっているのだと感じた。これは互いにそうなのであろう。

ただ、単に野球が上手であればよいかといえば、そういうことではない。確かに現役の野球の選手である時代は人生の中では短い。後の人生の大部分は元高校野球選手という肩書きだけである。

だから、長い人生をどう生きるかは別にスポーツで学ばなくてもいいが、どこかで学んでおく必要がある。

そんなことを考えた。

我田引水的にいうと、数学とか理科を学校で学ぶ時間は短いが、その後の長い人生で数学とか理科を毛嫌いしないで生きることがいかに必要かということを実感している。

先週の土曜日に「ドイツ語の特徴」という題で内輪で話をしたが、ドイツ語などわかる人はあまりいないと見えて出席者がいつもよりも少なかった。

これだって大学の第2外国語としてドイツ語を学習した人はかなりの数になるのであろうが、それをその後の人生でまだ覚えている人はごく少数であるということを示している。

大体、大学で難しくて、つまずく科目として昔から、数学とか物理と外国語ではドイツ語と相場が決まっている。だからかどうかは知らないが、このごろは大学では第2外国語の取得必要単位数が4単位と極めて少なくなっている。

「そんなあほな」などとと思う私はもう前世紀の遺物なのであろう。


体調の不良と意欲

2012-07-28 13:54:09 | 健康・病気

肩が痛いとか胃の調子がよくないとか体調が不良だったので、意欲まで衰えてしまった。今週は体調不良であって、元気なときならなんてこともなかったことがずいぶんと重荷になった。

それで、今日の雑談会で話すことになっている、「ドイツ語の特徴」という小文をつくるのに、ずいぶんとストレスがかかった。

昨日、整形外科に行って、薬をもらったり、湿布シートをもらったりしたので、今朝起きてみたら、少し気力が湧いてきた。不思議なものである。もちろん、肩の不調とか痛みが消えたわけではない。

それでもどうも何とかしようという気持ちが失せていたのが、少しだけ取り戻せたかと思う。やれやれ。金曜日に肩のところに電流を流したりした。湿布のシートは昨日一枚だけ貼ったが、ちょっとは肩の痛みが改善したように感じている。


医家の不養生

2012-07-27 12:50:41 | 健康・病気

もう50年位かもっと昔になると思うが、岩波のPR誌「図書」に医家の不養生というエッセイが載った(?)。

よく記憶をしていないのだが、医学者の森林太郎(鴎外)は自分の仕事を優先したので、医家の不養生の最たるものだったとか書いてあった。

他にも医家の不養生の例があったと思うのだが、よくは覚えていない。要するに、自分の寿命よりも仕事を優先すると医家の不養生となるというような話であった。

人生は「長く生きることはすばらしいことだ」と私などはそれまで単純に思っていたが、そうではないかもしれないなどとその当時はまだ20歳代だった私に教えてくれた。

もちろん、いまでも長生きはそれだけでいいことだと思っているが、それでもやはりその単なる物理的な時間の長さよりも大切なのはその生き方の密度であると密かに思うようになった。

森鴎外は医学を学んだ人として、どうすればもっと長生きをできるかは医学的かつ合理的な思考としてわかっていたに違いない。しかし、彼は文学的な仕事を優先したということらしかった。

ここ1ヶ月ほど肩が痛くて、それで右手と右腕がときどきしびれる。それでしかたなく今日の午前中に整形外科に行って診てもらった。右手でうつパソコンのキーボードの作業はできるだけしないようにとのアドバイスを医師からもらったが、これはなかなか聞き入れることができない。

もちろん、私はブラインドタッチではないが、両手を使ってキーボード入力をしているが、いまのところまだ左手はそれほど痛んではいない。

できるだけキーボードの入力は少なくしたいとは思っているが、それが実現できるかどうかは自分でもわからない。まさに医家の不養生ならぬ、老人の不養生である。


夏休み

2012-07-26 12:57:15 | 日記・エッセイ・コラム

学校がそろそろどこも夏休みに入ったせいか、ブログのアクセス数が減って来た。

このブログの定常的な読者はいたとしても、10の指で数えられる程であろう。大多数の読者は検索から来た読者であると思われる。それで大学生がそろそろ試験の終わりか、夏休みなのでアクセス数が減って来たのであろう。

一日のアクセス数が80台になってきた。とはいってもいつも100とちょっとくらいのアクセスがあれば、すごくアクセスがあったという感じなのでまあまあであろう。

昨日は「ドイツ語の特徴」という小文をまとめた後、あまり胃の調子がよくないような気がしたので、午後は雑誌「数理科学」の8月号を読んで過ごしたが、それでもなんだかあまり胃の調子がいいという感じがしなかった。

頭を使いすぎたのか難しいことを受けつけない。大体私は勤勉ではなく、のんびりとするのが好きな方である。

しかし、数学・物理通信2巻3号の発行と昨日の小文「ドイツ語の特徴」の検討とに少し頭を使った。それで今日は少しのんびりしようと午前中は高校野球の試合、西條高校と今治西高校の試合の中継を10回まで見たが、勝敗が決まらないので諦めて仕事場に出てきた。

いや、別にゲームがどちらに転んでもいいのだが、ちょっと今治西高校の卒業生としては少し気になった。

私は今西九期の卒業生なので、いまとなっては初期の卒業生ということになる。もちろん、今西の前には長い今治中学の時代があるから、私たちが年寄りの年代だとは主張するつもりはない。まだ70歳代の前半の年齢はいまどきではまだまだの年齢であろう。


イチローのトレード

2012-07-25 13:08:35 | スポーツ

昨日はたまたま気がついて小松高校と今治西高校の野球の試合があって、それを愛媛テレビ朝日で中継していたので、途中まで見た。それは9回の表の小松高校の攻撃途中で、時間切れとなったので仕事場に出かけることにしたが、その前にたまたまイチローがヤンキースに移籍するというニュースを見た。

衝撃のスポーツニュースであるが、淡々としたイチローの会見であり、夕方のニュースによるとその会見後にイチローはすぐにヤンキースに合流して、マリナーズとのゲームに出たという。

なかなか日本人には考えづらいことであるが、アメリカではこういうことが平然と行われるのであろう。それはやはりプロだから当然であるともいえる。妻なんかもこれはプロだから当然という意見であった。

イチローはオールスターゲームの休みの期間に熟考して、ヤンキースへの移籍を承諾したと語っていた。10年以上にわたって、マリナーズの主力として活躍してきたが、昨シーズンには年間の200本安打記録も途切れたが、それでもまだまだこれからもイチローは活躍をするであろう。

もっとも38歳の年齢は天才イチローの肉体にも衰えを見せているらしい。どんなに名声を博した選手でも結果を出せなくなれば、簡単に首になってしまうのがアメリカである。

給料も大幅ダウンらしいが、それでも新しい刺激を求めて挑戦するところがイチローらしくていい。いましばらくはイチローのプレーをテレビで見ることができるだろうか。


生活格差

2012-07-25 12:48:51 | テレビ番組

月曜日のTEDカンファランスのプレゼンは公衆衛生学者のウィルキンソンの先進国20カ国では、生活格差の小さいことと国民の生活幸福度の相関が大きいというプレゼンであった。

いろいろなデータを詳しく調べた結果らしくて、スウェーデンと日本が違った理由で生活格差が小さくなっており、高齢社会であるとか、幸福度が大きいということをデータで示していた。

ウィルキンソンは「アメリカンドリームを実現するにはデンマーク住まなくてはならない」という皮肉な言い方をしていたので、会場から笑いがもれていた。その統計相関の示すところでは一番住み難い国はアメリカであるということは変わらない。

アメリカンドリームとは如何に貧乏であっても大統領になったとかいう話とかに代表されるが、そういう例はほとんどないことがわかる。

妻は日本は格差の少ない社会なので、湯浅誠氏とかがこのごろ大きな生活格差ができてきたとかいうのに批判的な意見らしくて、なんとかかんとかいってもまだ生活格差が少ない社会だという意見である。

それに対して、確かに1960年代から70年代末までに生まれた人たちにはそうであったかもしれないが、やはり生活格差はだんだん顕著になってきたのではないかというのが私の意見である。

日本においては生活格差はまだそれほど大きくないかもしれない。しかし、それがだんだん大きくなって来ている。少数の富裕層と多数の低所得層の二手に分極し始めている。そして、一度、社会のレールから外れると復活の可能性はほとんどない。

いつだったか、カナダ人かアメリカ人のE大学の先生が、ある集会で日本では一度落ちこぼれると復活のチャンスが与えられないが、欧米ではまた復活のチャンスが与えられると言われていた。しかし、これも原則としてそうかもしれないが、現実にはかなり困難なことであるという風に解釈をすべきなのであろう。

Jyoi Ito (伊藤穣一:MIT メディアラボ研究所所長)さんがこのウィルキンソンのプレゼンをinsigtful(本質を衝いた)と評していたが、まさにその通りであろう。


アメリカの50番目の州?

2012-07-24 13:06:53 | 国際・政治

自虐的に日本はアメリカの50番目の州ではないかとよく言われる。オスプレイの配備についての日本政府の反応を見ていると真にそうなのではないかと思ってしまう。

市民のオスプレイについての反応は「そんな危険なものを配備したり、航行訓練をしないでくれよ」であり、それも各自治体の首長も反対の意見表明をしているにもかかわらずである。

確かに日本の安全の幾分かはアメリカ軍の駐在によって保たれている面があるかもしれないが、それはあまり主要な側面ではない。日本にアメリカ軍が駐留しているのはもっぱらアメリカの利益のためである。また、そのために一番大きな犠牲を払っているのは沖縄である。

沖縄は日本政府がアメリカ政府に日本がすべき主張がなぜできないのか訳がわからないであろう。そして、もしできないことの理由が本当にあるのなら、つぎにはなぜその大きな犠牲や負担を沖縄だけが請け負わなければならないのかが理解できないであろう。

この点を明解に解き明かした人がいるとは思えない。また、こういった現状を変える対策も考えた人がいるとは思えない。もし、日本政府がアメリカ軍の駐留を断るのならば、それに代わる大きな軍事力を持つべきだという議論はあるかもしれない。だが、それはどう考えても望ましくはない。

もう一つ気にかかることは、最近の中国の対外的な動きである。東シナ海は全部自分の領土だといわんばかりの振舞いがある。これはマスコミの報道を私が鵜呑みにしているところがあるかもしれないが、やはりそれだけではないのであろう。

中国は12億の人口を擁する大国である。だから、中国政府はそれらの人々を食べさせていくには資源の探求と確保に躍起となっているのはわからないでもない。しかし、自分の国民を食べさすために努力できれば、他の国はどうでもいいのか。これは大きな道徳的な問題となろう。

もちろん、政治は道徳ではない。が、あまりにも大国の権威を背景にしたものであるとすれば、こういうことも言ってみたくなる。


太陽が低くなった

2012-07-23 10:09:07 | 日記・エッセイ・コラム

太陽が低くなった。これはもちろん日の差込む角度のことである。仕事場のバルコニーのところの床や植物に日がよく当たるようになったことを実感している。

10月頃になり、自宅の居間のコタツの机の上あたりまで日が差し込むとようやく秋から冬が近づいてきたということを知る。

そして、冬の間はその日のだまりの暖かさを感じて、その日ざし恵みにありがたさを感じながら毎冬を過ごす。

いまは、まだこれからの暑さであり、梅雨明けで格段に暑くなっている。だから、夜の睡眠にはエアコンが欠かせなくなった。もっとも朝方にはエアコンを消して、窓を開けて朝の外気を入れている。最低気温が25度を下回ると結構涼しく感じるが、もう25度以上だと外気を入れても涼しくは感じられない。そういう状態が2ヶ月ほど続く。

私は日本人としては罰当たりなことに、最近不足が言われているマグロも、はたまたウナギも好物とはしないので、品不足が言われてもそれなら食べなければいいと思うのだが、やはりこれらの食品は日本の季節にも関係した食品である。

ただ、うなぎの稚魚の不漁とかで、全世界からうなぎを集めようとする商社の商魂の逞しさにはちょっと鼻白んでいる。


ドイツ語学習e-Learning

2012-07-21 11:47:21 | 外国語

東京外国語大学の「ドイツ語学習e-Learning」を必要があってみた。なかなかよくできており、初学者がドイツ語を学習するにはとても適した教材だと思う。

どなたが作成したのか知らないが、ひょっとすると私の面識のある、F先生が作成に関係しているのかもしれない。

実は内輪の会である、雑談会という集まりで私が「ドイツ語の特徴」という題で近々数十分の話をする予定なので、その資料になるようなものをインターネットで探していて、偶然この教材を見つけた。

私はドイツ語の特徴は

(1) 枠構造

(2) 冠飾句

の二つであると思っており、そのうちの(1)枠構造を中心にした話をするつもりである。

ところがもちろん、このドイツ語の特徴はドイツ語学者やドイツ文学者には十二分に周知のことだが、このe-Learningにそれほどそのことが強調されてはいない。(いや、十分に強調をされているのだが、私の思い込みとしての予想よりはという意味である)

もちろん、初学者にドイツ語を教えるということはちょっと知識のある人に教えることとは自ずから違ってくる。だから、ドイツ語の専門家には骨の髄まで染み通っていることでも教材のe-Learning となれば、さらっと流すという形になるのはしかたがない。

それでというわけではないのだが、結局話の内容のまとめは自分でつくらなければならないと悟った。これはもちろんその教材の抜粋をつくって、それをプリントして順に話をしてもいいのだが、やはり話の焦点が散漫になりそうだと感じたからである。

それで、昨日から自分なりのメモをつくり始めている。話の日の予定は1週間後である。

一つだけ上のe-learningで気になった語にst"andig(つねに)という語があった。たぶん、ドイツ語に堪能な東京外国語大学のつくったものだから、この語を使うのかもしれないが、私は違和感を感じたが、どうなのだろう。

「常に」を普通に訳すと普通はimmer(普遍的に、常に?)となるのだが、このst"andigは「定常的に」という感じがする。だから、st"andigが語感としてはimmerよりもいいのだと思うが、いままであまりこういう形で使われたのを見たことがなかった。


人体の不思議

2012-07-20 15:01:18 | 健康・病気

先月だったかに医師のKさんから熱中症対策について話を聞いた。そのときに感じたのは人間の体の不思議さであった。

それは何かというと人体はほとんど水分でできていることとか、人間の体温が37度前後で40度を越えては人間は生存できない。この体温の37度の上下2,3度くらいの間の体温でないと人間は生存できないらしい。

私の知人の物理学者が数年前に50歳代でインフルエンザで亡くなったが、彼は多分インフルエンザのために40度以上の体温が出て生存できなくなってしまったにちがいない。タレントのある物理学者であったのに、惜しいことをしたものだ。

だから、人間が自分の体温を何らかの理由で保てなくなったら、登山のときの低体温症のようにそれで人々は簡単に生存できなくなる。

とても不思議だが、その37度前後の体温を中心にして、上下2~3度の体温でしか生存できないのだが、それでもいまでは数十億の人間が地球上で生きている。

もちろん、いがみ合ったり、闘いをしたり、抑圧をしたり、されたりして生きている。もちろん、他の人のために生きている人も居られるのだが、何とかして生きている。それはある意味ではか弱い人間の、またある意味での強さでもある。

この人間の体の不思議さと地球上に人間が生存できることの不思議さとは不思議さの最大のものであろうか。


数学・物理通信2巻3号

2012-07-20 14:37:00 | 数学

数学・物理通信2巻3号の発行の準備が整った。一応編集を終えて、投稿者に再度の検討のために送った。

投稿者からOKが出れば、その数日後には発行となる。今回はPDFの文書の編集をしたことがなかったために、それでとりかかるのが遅れたということもあるが、大体は協同編集者のNさんが編集後記を書いてくれるのを待っていた。

それが数日前に編集後記が届いたので、今度は私の仕事の番となった。それで、急遽昨日から仕事にとりかかって、なんとか今日出来上がった。

もっとも、出来上がったと思って、ディスプレイで見たら、落ちているページあり、それを入れたら今度は重複したページがあることがわかった。それでそれを今度は削除した。

一応、よさそうなので投稿をされた方に出来上がりを検討のために、送ったという段階である。

もし、投稿者からOKが出てもわざと数日をおいて、発行となる。これは私がいつも仕事が雑だということをいやというほど感じているからである。

先号も発行した後で、落ちがあって、再発行を余儀なくされた。