物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

前学術会議会長の感懐

2025-02-11 13:18:29 | 科学・技術

前学術会議会長の感懐と題したのは、2015年ノーベル賞物理学賞の受賞者である、梶田隆章さんのインタビューが朝日新聞に載っていたからである。

普通なら学問社会にとって、絶望的な政府の現在のあり方をそれでも絶望しないでわずかな希望を抱いているという、それこそ「科学者の手本みたいな方であるな」と感心している。

私が一人感心しても、現実の世の中のありさまの実態は私の感じているよりも厳しいものであだろうことは想像に難くない。

それでも絶望するとは決して言わないのは見上げたものである。心の底では現在の政府とか自民党のあり方には絶望しているのかもしれないが、そういうことは絶対に言わない。こういう科学者が残っていることに日本の将来に一縷の希望を感じてしまうのだ。

それくらい日本の社会は科学とか工学にとっても厳しい。いや、社会科学とか人文科学にとってはもっと厳しいだろう。

こんな自分たちが科学(もちろん、ここでは科学を自然科学にしぼってはいない)を研究するのが難しい時代はなかろう。だが、科学者のみなさん、希望を失わないでほしい。現実はお先真っ暗で希望を失いそうだが。

梶田さんの写真の横に梶田さんの言葉が載っていた。

「ニュートリノの研究をしたのは、当時の自分の研究に『邪魔』だったから。『邪魔』なものって大事なんです」

とあった。

 学術会議は政府にとって邪魔なものかもしれませんが、邪魔なものって国にとってとても大事なものなんですよ

と言いたかったのかもしれないが、このノーベル賞受賞者はそういう、一見して、はしたない言葉は飲み込まれて言われてはいない。見識のある方である。


研究者は貧乏2

2024-10-12 15:44:43 | 科学・技術
どうして研究者は貧乏なのだろう。その理由を考えておく必要があろう。人のことはわからないので、まずは自分のことを書く。

大学の定年近くから物理学者の武谷三男の著作を集めるようになった。これは主に古本として出ているものを買いあさったのである。私の貧弱なポケットマネーはすぐに底をついた。ほぼ同じことを数学者の遠山啓さんについても行った。

この二人はご自分もかなりの著書をもっているが、それだけではなく、それ以外に彼らとつきあいのあった関係者もかなりおられる。それらの人にも目を配るとすれば、結構広い範囲で本人の著作だけではなく、関係のあった人の書にも入手するように目を配らなければならない。

図書館で探すという方もおられようが、そういう個人の研究をなさる方は自前の蔵書をもっているだろう。そうすると少しくらいどこかで1回、2回印税が入ってもそれらはすぐに尽きてしまう。こういうことで日本語の本のみならず英語の本とかも買うことになると貧乏この上もないことになる。

確かに私の家にどろぼうが盗みに入っても金目のものはあまりない。確かに本は一人前にはあるが、現金ではないのですぐにはお金に代えられない。

私はまだ理系だからそれほどではないのかもしれないが、文系の方は私程度ではなかろう。そうすると研究者の方は必然的に貧乏になる。

私も現役で勤めていたときにはまだ給料もあまりなかったが、あまり本を自分では買う必要を認めなかった。これは学校の校費で買えばある程度自分で本を購入するには及ばなかったからである。

ところが定年になるとどうもそうは行かなくなって、自分で意識的に購入したというところもある。

ところが、国立大学の運営交付金は減り続け、研究者一人当たりの予算は少なくなってしまった。多分私の在職していたころの半分いや1/3に減っているのではなかろうか。これでは研究を続けるということがとても難しくなっている。

それに研究者個人の生活も経済的に押しまくられているというが実状であろう。

研究者はおよそ貧乏

2024-10-09 12:00:23 | 科学・技術
研究者はおよそ貧乏である。私が元研究者の部類に入るかどうかはわからないが、貧乏なことは事実である。

これはもう60年以上昔のことだが、高校生のころだったか、高校の卒業直後だったかに「あなたは金儲けには向いてない」と同級生だった女性に面と向かって言われたことがある。頭のいい女性で、兄さんは医者であり、そのお父さんも医者だった。

「いや、金もうけなどしようと思ったことはありません」とは言ったのだが、それでもたじたじとなった。

それにしても、なかなかづけづけ言う女性だなと思った。普通はそういうことはたとえ思っても口に出して言うものではなかろうと思う。

それくらいお金には縁のない気質だと思われていたのだろう。それはもちろんそのことはいまだって変わりはしない。

お金儲けにはならない「数学・物理通信」などというサーキュラ-を発行している。寄与は小さいとしても広い意味の文化には役立っていると思っている。

日本の科学技術の低下が言われて久しい。またその回復の見込みもあまりない時代ではある。しかし、日本の潜在能力としてはうまく組織すればそういう科学技術の再生できる要素を本当は日本は持っているという気がする。

ただ、その組織だった手立てはいままでのところ、まったく打たれてはいないし、どうしたらその手立てが打たれるのかの考察もされてはいないだろう。だから、現在は落ちるところまで落ちるしかないのかもしれない。

きわめて悲観的だが、しかたがないだろうか。



フリクション・ボールの意外な弱点

2024-10-05 15:14:01 | 科学・技術
始めにお断りしておくが私はフリクション・ボールの愛用者である。

先日、施設に入居している妹にちょっとした文書を送ってやった。そのときに宛先をいつも使っているフリクション・ボールで書いた。

数日して妹から電話がかかってきて表書きを何を使って書いたのかと聞かれた。実はこの手紙が妹のところに届くまでにすったもんだがあったらしい。というのは宛名が消えてほとんど見えなくなっていたらしい。

それでもなんとか届いたのからよしとせねばなるまいが、どこの誰に宛てた文書かわからなかったらしい。

フリクション・ボールは強くゴムでこすると字が消えてしまうという、優れモノのボールペンである。私は一生の大半を数式の計算をして過ごしてきた。

数十年前まではシャープ・ペンシルの愛好家であった。これは鉛筆では間違った計算を消しゴム消して修正ができるからである。

それがフリクション・ボールができてからはシャープ・ペンシルはもう使わなくなった。ボールペンではあるが、ゴムでこすって消すことができるようになったからである。

パイロットのこの製品はまずはヨーロッパで販売されたと思うが、そのうちに日本でもコンビニ等でも売られるようになった。

まだボールペンとしては一般にはそれほど知られていないかもしれないが、すぐれものの製品である。

ところが郵便物の表書きの場合には郵便物と郵便物が互いにこすれ合って宛名が消えてしまうことが起こるらしいことがわかった。妹にはこれから郵便物を出すときは宛名は普通のボールペンで書くと約束をした。

優れモノのフリクション・ボールにも弱点があることがわかった。パイロットの方々どう対処されますか。 

ぷろじぇ

2024-09-06 12:29:25 | 科学・技術
「ぷろじぇ」という雑誌を発行している人たちがいた。私はあまりよくは知らないのだが、そのうちの一人だと思われる原子力情報調査室の山口幸夫さんのインタビュー(過去にNHKで放映)を見た。

武谷三男の科学至上主義を批判した内容だったと思うが、ある意味で権威とみなされる人を批判することで注目を集めるという手法に反対ではないが、社会の全体とか圧倒的な力を持つ資本の力の前で小さな違いをことさらに挙げて主張することがご自身たちの運動にも少なからぬ影響を与えることを考えたときに利口な考えとはいえないのではないか。

主張は主張として何に主として立ち向かっているのかを明らかにすることの方が重要なのではないかと思うのである。

それはそれとしてもいつだったか原子力情報調査室に調査のお願いをしたときに、これは武谷三男の活動に関してだったと思うのだが、親切に調べて下さったことがあったのが山口幸夫さんだったかもしれないので陰に陽に山口幸夫さんにお世話になっていたのかもしれない。

線形代数の書は日本にどれくらいある?

2024-02-05 11:01:30 | 科学・技術
先日、E大学のOPACで線形代数の語が入った書を調べたらたくさん出てきた。皆さんどれくらいの数あったと思いますか。

「40冊くらいだと思う」というのが標準的な答えでしょうか。これでも十分多いのですが、答えは400冊を越えるです。

もちろん、これは必ずしも一般の線形代数のテクストではないのだが、書名に一部でも線形代数とかが入っているということもあります。それにしてもこれだけ多い国は世界中でもないでしょう。

日本の国の文化の程度が高いことの証でもあるでしょう。そういう文化の日本における特異性が役立つといいのだがと思います。

最近では日本の経済とか国勢とかの衰えが言われます。これはたぶん事実でしょう。そして経済だけでなく、科学力だとか技術力だとかのいまの現状からの回復は絶対に必要だと思います。

だが、その基礎には線形代数の書がこれだけ多いというような日本の文化の特性があり、そういうことから日本が経済力だけではなく、科学・技術力も政治力も回復できるだけの潜在的能力をもっているはずだとの自信をもつことができます。

もっとも、これが単なる過信であってはなりません。そうではなくて、もっと地道な努力をすることが必要でしょう。その努力は絶対必要なことですが、そのためにも過信ではない、自信を失わないことが望まれます。

航空機の事故

2024-01-05 22:34:23 | 科学・技術
羽田空港で海上保安庁の航空機とJALのジェット機が滑走路上で衝突して大事故が起こった。

GPTAIが進んできたとかいうのに、いまなお滑走路上で二機の航空機が衝突するなんてこういうことに対して、なぜいままで真剣に取り組んでこなかったのか。

人間はミスをするものだ。だから、人間のミスをもっと機械的に排除する方法を考えることをどうしてしていないのか。

よくわからないのは2機以上が同じ滑走路上にいないような手法を開発すべきではないかと思う。人間はミスをするものだから。

朝日新聞の社説でもそういう方向に研究を進めるべきだという風なことが書いてあったが、もっと強く主張すべきであろうと感じた。

着陸しようとしている航空機があるときには間違って待機中の飛行機が滑走路には入ることができないような機械的な装置または仕組みを考案するべきでしょう。

かなり大きな航空機が衝突するまでどこにいるかわからないことが起こりうるとの前提に立てば、人間の知恵でその仕組みをどうしても考えられないとはとても思えないのである。もしそれができないというのなら、人間などはそんなに偉そうにするべきではない。

数年前から天候が変だ 

2023-09-25 16:29:41 | 科学・技術
数年前から天候が変だ。というのは晴れた日があまりないということである。

夏でも入道雲がにょきにょきとたちあがっている景色などほとんど見かけなくなった。これは昨年も今年もである。

月に一度くらいは晴れ渡った日もないではないが、そういう日はほとんどない。毎日雲に覆われた日々である。これはおかしいのではないかいう人がいないのも気になる。

ヨーロッパの冬は厳しくて太陽が出てくることがあまりないが、それに似たような感じである。ドイツ人は冬の曇りばかりの天候のせいで気持ちが暗くなり、春のファスナハット(カーニバル)のときのドンチャン騒ぎでようやくうっ憤を晴らして元気を取り戻すとかいわれているのだが、それと同じようなことが日本でも起きているのではないかと心配である。

私の住んでいる地方は瀬戸内海沿岸であり、日本では雨が比較的少ない地方とされている。それでもこのように曇りばかりの天候だということは日本全体ではもっとひどいことになっているのではあるまいか。だが、それを指摘したマスコミを知らない。





沖縄の民の意思を汲まずして

2023-08-28 14:05:21 | 科学・技術
「沖縄の民の意思を汲(く)まずして寄り添うというは如何なる策か」という短歌が8月27日(日)の朝日新聞の天声人語の冒頭に載った(短歌自身は2018年の作という)。実名が新聞に載っているのだが、個人の名前なのでNさんとしておこう。実はこのNさんというか、N君は私の高校の同期生である。近しい友人の一人だったと言っていい。

彼が俳句や川柳をつくることは知っていたが、短歌を詠むことは知らなかった。数年前に同じ朝日新聞に俳句だったかが載ったので、はがきか何かで連絡をしたのだが、届いたのかどうかわからない。返事が来なかった。

今年の10月に6年ぶりに高校の同窓会が開かれるので、そこで会えるのかもしれないが、それ以前に彼の生息安否を知らない。

8月27日の天声人語に関して言えば、N君の短歌は導入部にすぎず、話の全体は福島第一原発の処理水の放出に触れた内容であった。

許容量以下の安全基準を処理水が満たしているからといって安全なのかどうかは保証の限りではないというのが本当のところであろう。

第一、許容量という概念は絶対安全というものでは本来ないということは物理学者の武谷三男が『原水爆実験』(岩波新書)の第2章に述べている通りである。許容量は人々のうける利益とその損害との兼ね合いできまる、社会的な概念であるとはじめて明言したのは武谷三男である。だから、人によってその許容量は変わっているはずだというのである。この許容量の考えはICRPではリスク・ベネフィット論として知られている(注)。

さらに、上の『原水爆実験』には今ではEU等で「先制的予防原則」といわれるようになった考えも出ていると思う。

わたしはそのような考えですら、一般に広まっていないと考えている。困ったことだ。

(注)物理学に熱力学第二法則というのがあって、これを信じる限りは放射能とかも次第に地球上の環境に広がって薄まっていくはずである(また当然であるが、放射能はその半減期を経ると放射性が1/2づつ弱まってくる。理科年表によれば、放射性トリチウムの半減期は12.3年だという)。ところが現実の世界はこの熱力学第2法則に従っているとはかならずしも言えない。

それは現実の世界には生物が生息しており、生物は物理法則の熱力学第2法則には局所的に従わないからである。すなわち生物濃縮という現象が起こる可能性がある。このよく知られた例は1954年だったかに太平洋でとれた、原水爆マグロであった。

昔、アメリカが太平洋のビキニ岩礁で水爆実験をしたことがあるが、そのときに汚染したマグロはものすごい放射能の量であり、その当時日本人のマグロ漁の漁師さんのせっかくとってきた原爆マグロを地下深く掘った穴に投棄しなければならなかった。これは放射性物質のいちばんいい生物濃縮の例である。

もちろん、宇宙全体とか地球全体で見たときに物理学の熱力学第2法則は成り立ってはいるのだが、局所的に見るとそれが成り立っていないとみなせることが起きるかもしれない。これもまた私たちの認めなければならない自然界の一側面である。




懇親会まで開いた

2023-08-27 10:52:11 | 科学・技術
昨日の17時前まで「徳島科学史会総会」を生活文化センターで開いた。

参加人数は13人+こども1人であった。この手の会議としては盛会であったと思う。テーマは多岐にわたっており、なかなかどのテーマも興味深いものであった。

そのうちにそのうちのいくつかのテーマは徳島科学史会の論文として「徳島科学史雑誌」に掲載されるであろう。これは今年の12月に出版される。

その後、夕刻から私の仕事場で懇親会が開かれたが、ここでも椅子が10個は必要だったから、10人は出席していたことになる(一人は小学生さん)。この懇親会も8時半くらいまで行われたが、後片付けもあるのでそれくらいにしてもらった。

後片付けをして帰宅したのは10時過ぎであった。飲みつけないワインとかビールを飲んだのでちょっと酔っぱらったかと思ったが、翌朝の5時ごろまで熟睡した。

日曜の仕事場に来たのは自宅から持ち込んだグラス等を持ち帰るためである。

徳島科学史会の当日

2023-08-26 11:15:15 | 科学・技術
今日は徳島科学史会の当日である。午後1時から、県の生活文化センターの3階の会場で開催される。

いまは、まだ仕事場にいるが、もう一時間もすれば、会場にいるだろう。今回は結構遠くからも来られる。一番遠い方は千葉県の館山から来られるYさんであろうか。

九州からも熊本のNさんが初参加で来られる。愛媛県からの参加は私も含めて5名である。

会議を主催する県であるから当然かとも思われるがそうでもない。これは偏に徳島科学史会を盛り立ててきたSさんの努力の賜物なのであろう。しかし、その努力もなかなか難しくなってきている。

徳島科学史会の総会が近づいて来た

2023-08-24 11:16:15 | 科学・技術
徳島科学史会の総会が近づいて来た。明後日の午後に松山で行われる。

10数名の参加であり、8名の講演がある。講演時間は15分で長いとはいえないが、だいたい学会発表もそんな時間である。後の5分は討論時間である。

私も発表をする。今年は発表をしないつもりであったが、放談ということで話すことにした。

一昨日、発表のためのパワーポイントをつくった。発表の練習はしていない。昔は発表の予行演習をしたものだが。ただパワーポイントの枚数は気にしている。

1枚のパワーポイントは少なくとも2分は見せないといけないといわれている。もちろんタイトルとは目次はそんなに長く見せる必要がない。それで15分の講演時間なら7枚か8枚のパワーポイントである。

それにタイトルとか目次があれば、10枚くらいは用意しておかなければならないだろうか。それと時間が来たら発表は素早く終わらなければならない。








今日は帰郷のつもりだったが、

2023-08-15 12:31:49 | 科学・技術
今日は帰郷のつもりだったが、台風が来るというので、明日に延期した。

今日はお盆の法事があったのだが、兄嫁に電話してお断りをした。それで仕事場に予定外でやってきた。もっとも明日には帰郷する。

その次の日(17日)は病院でCTスキャンをする予定である。これは午後からである。その次の週は徳島科学史会総会である。

近所の公共施設を借りていて、そこで開く。昨年も引き受けていたのだが、コロナの濃厚接触者になったので、急遽オンラインの開催に変えてもらったのであった。今年はなんとかやれそうである。




技術の継承

2023-06-17 11:50:09 | 科学・技術
Epsonのレーザープリンターを永年使ってきたが、今年の2月に3代目のレーザープリンターのトナーが切れたので注文したら、もう製造中止になっているとして仕方なくbortherのレーザープリンターを購入した。

ところが2月に購入したのに6月の現在すでにトナーがなくなった。どういう風にトナーを交換するのかのマニュアルもついていないし、どうももう十年くらいかもっと私が使い始めた初代のEpsonのレーザープリンターを買ったころの設計仕様のようであり、私には技術の退化としか思えない。

メーカーがちがうのだから設計がちがうのは仕方がないとしてもどうもEpsonが開発して進んできた、その技術の成果は受け継がれていないようだ。日本の企業としてのそういう技術の継承は大切なことだと思えるのだが。

最近はEpsonのレーザープリンターは使い勝手のいいレーザープリンターとなっていたのに残念である。それで新しいトナーをなかなか注文する気にならない。

トナーでレーザープリンターの販売の利益を上げようとしているとかしか思えない。borotherのこのやり方には不満である。

もっともborotherのこのレーザープリンターのいいところもある。それはコピー紙の裏表にプリントをしてくれるところだ。もっとも書類を一覧したいときにはなかなか面倒な感じがするのは否めないのだが。




投稿論文

2023-03-29 16:08:00 | 科学・技術

先日、投稿論文への返事というブログを書いたが、このブログを読んでいただいている方で、かつ、数学・物理通信への投稿者となってくださっている方が少なくとも2名はいる。

どちらの方も熱心な方であることはまちがいがないのだが、それを読んで掲載できるかどうか判定する人にはとても負担がかかっている。どなたかの論文を読むとそれをどうするかはなかなか責任が重いのである。

普通の雑誌ではある程度は投稿論文の質は保たれている。それで具合がわるいと思えば、簡単に掲載不可が出せるが、私たちの雑誌ではそういう一定の質が保証はされては一般にはいないのである。

これは最近の話ではないが、数学史のある論文と称するものが投稿になった。結局、掲載可には私はしなかったのだが、ある科学史関係の雑誌に紹介したら、そこでは掲載可となり(その雑誌は査読性がないから)、そしてその投稿者はその論文を英訳して、外国の雑誌に投稿された。その外国雑誌では日本の雑誌で掲載されたことの保証が必要だったから、その雑誌の主任編集者がそれを保証したら、外国雑誌にも掲載になったといういきさつがある。

ただ、私は自分がその論文を掲載しなかったことを間違っていたとはまったく思わない。この方は査読のある雑誌への投稿歴にある方ではあったが、数学・物理通信にはふさわしくはないと判断したのである。しかし、なかなかこういう判断は難しいところがあり、論文の価値の判断は人にもよるし、雑誌にもよるとは思う。

もう一つそのような経験はあるが、こちらの方の論文も外国の雑誌に掲載されたと思う。それもノーベル物理学賞を受賞されたあるアメリカ人がレフェリーとなられていた。そういういきさつがあるが、こちらも私自身は判断を間違っていたとは思っていない。しかし、どちらのケースも外国の雑誌に掲載可となった論文である。

ということは数学・物理通信で掲載拒否となってもめげる必要はないということでもあろうか。なかなか論文の価値の判断は難しい。それに論文を読む人はまったくのボランティアである。報酬も何もないのである。願わくば論争のあまり起こるような論文の投稿はご遠慮願いたいとしか言いようがない。