物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

a+(1/2)aをどう教えるか

2010-04-30 12:39:56 | 数学
「a+(1/2)aをどう教えるか」というのが先回の学習会で問題になった。これはどういうことかというとaの前には係数の1がかかっているのだが、その1を認識するのが難しいということであった。

これをわかるようにするにはどうするか、「aを文字タイルで考えるとよい」と思う。「文字タイル」とは何か。例で話をしよう。ここではaという文字で縦の長さが1で横の長さがaの長方形をイメージする。そうすると(1/2)aは縦の長さが1/2で横の長さがaの長方形で表される。

a+(1/2)aは長方形aと長方形(1/2)aを並べたものを意味するが、この横の長さaは共通であるからaの長方形の上に長方形(1/2)aを重ねることができる。そうすると縦の長さは1+1/2=3/2となる。

したがって、a+(1/2)a=(3/2)aとなることは誰にも明らかであろう。これはこのブログは文章しか書けないのでわかり難いが、二つの長方形の図を操作してみれば、誰にでもわかることである。

aを縦の長さ1で横の長さがaの長方形で表されることを理解させるためには、まず2aとか3aのような文字式を考えて、これを縦の長さ2や3で横の長さがaの長方形で表されることを理解してもらう。そしてつぎにaを考えたらよいだろう。2aの縦の長さの2を1と1とに分ければ、a+aができるからaを縦の長さが1で、横の長さがaの長方形と考えることができる。

確かにa=1・aであることを思い出させば、話は直ぐに済むことではあるが、それをイメージできない中学生は多いのである。私もそういう困難を代数を学んだはじめはしばらく持ったように思う。


続e-learningの閲読者の募集

2010-04-28 14:30:34 | 数学

項目を挙げておくことを忘れたので、ここに項目を挙げておく。

   代数

1.代数式と演算                                                          17

2.乗法公式、因数分解、分数式                               39

3.等式の種類と性質                                                     8

4.1元1次方程式                                                        10

5.1元2次方程式                                                        20

6.関数とグラフ                                                          15

7.累乗(べき)関数と比例                                       18

8.1次関数                                                                9

9.連立1次方程式                                                     18

10.他の連立方程式                                                14

11.指数と根                                                            18

12.2項定理                                                            10

13.対数と底                                                            18

14.対数関数と指数関数                                         13

                                                                           227

項目の後の数はA4で印刷すれば、何ページになるかを示したものである。

項目を見れば、高校数学の内容項目であるが、高校数学の範囲に閉じてはいない。むしろ大学に入った理工学志望の学生でその学業を続けようかどうしようかと悩んでいる学生等を対象にしている。だから、大学を卒業して技術者になっている人にも読んでもらいたいと思う。


e-learningの閲読者募集

2010-04-28 14:18:39 | 数学

高校数学にあたる内容のe-Learningのコンテンツをつくったということはこのブログでも書いた。それで、これの閲読者となってくれる人がいれば、閲読をしてもらいたいと思っている。あまり多くの人に応募されても困るので、先着で2~3名の方を募集したい。

まだ文書をPDFに変換していないが、wordの文書をPDFに変換して送るつもりである。連絡はコメント欄に記入してくだされば、私のe-mailのアドレスをそこに短期間だけ書いておくので、そのアドレスにご自分のアドレスをご連絡を頂けばいい。

なぜ、はじめからLatexで書かなかったのかというのは、大学の代表者になっている方がLatexを扱わないからである。私としてはこれを再度Latexで入力し直して、かつ図もemathで描きなおした版を作成したいと思っている。

このようなブログでの募集は私の子どもが論文を書いたときにその査読者を募集しているのを見て思いついたことである。論文ではないので、量が多い。ページ数にしてみると演習問題の解答も含めて227ページである。演習問題の解答はいくつかのものを抜き出して見てもらえばいいので、全部を読む必要はない。

本文だけだと大した量(150ページくらいか)ではないが、演習問題の解答でコンテンツが大幅に膨らんだことは確かである。

何年も前にE大学の教育開発センターの教員の人にこのe-Learningのもとになるような文章をみてもらったことがあったが、結局演習問題がないとまったく問題にしてもらえなかった。それから何年もたった。もう何年も前から今年はやりあげるといいながら、そのたびに忙しくて延期されてきた。

それにこれは私の一存でやっていることで、誰かから頼まれたことでもない。確かに最近では図を描いてくれる学生アルバイトを大学の費用で支払ってもらったので、まったく私だけのものともいえないが、それでも基本は大学のイニシャチブで行われているものではない。


知人の逝去

2010-04-28 13:40:07 | 日記・エッセイ・コラム

知人が亡くなったと友人から知らせをもらった。まだ若い人である。子どもさんがまだ大学生である。前から腎障害を患っていたが、それでもけなげに生きていたので、訃報に接してとても驚いた。

それでも発病してから20年近くは生きたのではないかと思う。しかし、本人にしてみたら、もっと長生きをしたかっただろう。50歳前の死去は今日では若すぎるだろう。彼の家は富裕な農家なので、ご家族が生活に困ることはないだろうが、それでも若すぎた死を悼まずにはおれない。

そういえば、彼と友人のY君と三人で山口へ物理学会の中国四国の支部例会に出かけた後で、萩へ行き、現在NHKの竜馬伝で紹介された松下村塾を訪ねたことがあった。彼が結婚をする前で、友だちから借りたという車で山口まで出かけたのであった。

その友だちが彼の奥さんになった人であったことはそのあとしばらくしてわかったが、まさか友だちが女性の友だちだとはそのときは想像もしなかった。

彼はかわいらしい女性と幸せな結婚をして、子どもも授かり、その子はもう大学生になっている。私がこの子をM大の薬学部の非常勤の物理講義で教えたかと思ったが、私の講義はとらなかったとのことであった。今晩は彼の通夜で、明日告別式がある。


写真

2010-04-27 17:04:21 | 日記・エッセイ・コラム

上の子が「子どものときの写真を送ってくれ」と電話で言ってきた。それでアルバムを引っ張り出してきて日曜の夜を昔の写真を見てすごした。二人の子どもが兄弟仲良く育っていく様子を写真で見ていると涙が出てきた。いい幸せな時代だったのだなといまさらながらに思う。

いろいろなことがあったが、二人の子どもは私たちの自慢の子どもたちである。まず兄弟が仲がいい。いまでこそ父親をからかったりするが、なかなか素直でそれでいて批判的精神も強い。いつだったか下の子に電話をかけたら、「俺々詐欺にかからないようにね」と言われた。頼りない父親を心配しているのであろう。

そういえば、翻訳の一件で電話をしたときに、契約もしっかりしないで翻訳を引き受けたおやじのことを心配して、社会一般での契約の様子を私に教えてくれた。いつのまにか子どもは親を乗り越えているんだなと思って感慨が深かった。親がもう教えられないことも社会から教えられて、ひとりで一人前になっているのだ。

縄跳びをしている写真や自転車に乗っている写真とかが何枚かあったりして、小さいときの彼らのことを思い出しては妻と懐かしがった。5月にはまた子どもたちに会いに行くつもりである。


e-Learingのコンテンツ

2010-04-26 17:44:40 | 数学

今日、ようやく代数(高校数学の)のe-Learnigのコンテンツを改訂して、E大学の代表者のWさんに送った。A4の用紙に印刷すれば、228ページにもなることがわかった。一寸した小冊子くらいの量であろう。これは演習問題の解を詳しく書いたからである。

詳しく書く必要はあまりないのだが、私がくどい人間なので、その性格が出てしまった。演習問題にもちょっと自分の好みというか以前に教えた中身を一部取り入れたりしたので、それを解説するのにかなりページ数を費やした。だからこれは高校生には向かないだろう。あくまでもすでに大学入学をした学生用である。

本文もオリジナルであることを目指したが、オリジナルとはいってもこれは先人の得た知見に基づいているので、まったく新しいというわけではない。もっとも普通の高校数学ではあまり出くわさない書き方をしているかもしれない。

誰かに閲読をしてもらいたいとは思うが、適当な人を思いつかない。友人のN先生は数学者なのだが、彼はパーキンソン病を患っているので、閲読をお願いしたものかどうか迷っている。知人の電気工学者だったK先生に頼んでみようか。


アクセス解析

2010-04-24 13:50:41 | ブログ

サービスでアクセス解析を見ることができるようになった。それを見たら、一週間の内でときどきだが、他の日と比べてアクセスが多い日がある。何か変わったことを書いたのかなと思ってその日のブログを出して見ても特に変わったことを書いているわけではない。

ただ、私にとっては変わったことではなくてもこれを見る人には関心のあるテーマだということだったのだろう。別に人気を気にしているブログではないので、どうでもいいことではある。

それに自分で前のブログを見て、言葉が欠けていたりすると補ったりするので、自分で自分のブログのアクセスをしているということもある。でも自分以外にたくさんの人が見てくださっていることは間違いがない。


疲れ

2010-04-23 09:31:20 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は定期健診に行った。そして夜はドイツ語のコースがあった。先週は風邪でこのクラスを休んだ。昨日はこの二つをしただけなのに風呂に入って寝るときにとても疲れを感じた。あまり外に出歩くことがないからであろう。それで今朝は少し長めに寝坊した。というか体が起きれなかったのである。

寝坊を好んだり、放心癖があったり、どうもあまり勤勉とは縁がない。それでもある種の勤勉さは持ち合わせている。そこのところの組み合わせが自分でも不思議である。体があまり頑健でないので、静かに生きているが、だからといって健康状態が特に悪いとも思っていない。

数学エッセイはこのところ書けていないが、そのうちにまた書けるだろう。仕上げたはずのe-Learningのコンテンツを昨日見直しはじめた。見ればやはり気になる表現に気がつく。基礎にした本が最近また再版されたので、それとの関係で著作権侵害になる箇所がないかを調べることが主眼である。とりあげた項目はこの基礎とした本の一部にほとんど忠実にしたがっているが、内容の書き方は大きく変わっている。

すなわち、本文はほとんど全部が私のオリジナルであるが(もちろんオリジナルとはいっても多くの先人の成果に基づいていることはいうまでもない)、例題や練習問題に大きな著作権侵害といわれるようなものがないかということを気にかけている。書いているときにはこのことに十分気をつけたつもりではあるが、ついつい安易に例題をそのまま使っていないか。その検証はかなりの期間続けなくてはならないだろう。


定期健診

2010-04-22 17:33:41 | 健康・病気

2月に受けた定期健診の3ヵ月後検診を受けに行った。肺がんの定期検診でCTスキャンを受けた。いまのところ悪いという診断は出ていないが、念のため6ヶ月後の検診を予約して帰った。

先回の検診には楽天的な妻も心配してついてきた。今回はついてきてはくれたが、理由が違っている。家に居ると用事の電話がかかってくるので家に居たくないという理由である。電話は便利ではあるが、こういう呼び出しから逃げるには都合が悪いこともある。

なんでも市民運動とかなんとかいうが、その実状は一生懸命にする人は少なく、面倒な仕事は少数の献身的な人に覆いかぶさってくるという風である。みんなが手分けして仕事の取り組もうなどと表面ではいうが、その実状はどこもそんなになっていない。

常につぎからつぎへと新しい献身的な人が出てくれば、問題はないが、そんなことは普通には起こらない。ずっとそれらの運動に関わっている人は理屈は一人前に言うし、会議では全部自分がしたような顔をして報告するが、いざ手を汚すような仕事はまったくやらないとかうまく口実を作って逃げるというのが多い。

いわゆる「革新的」といわれる組織でもそのようだから、他は推して知るべしであろう。もっともそういうことはすでに私の学生時代から経験済みのことである。このような話は私の現在の経験ではないのだが、いつも妻から聞かされていることである。


放心癖

2010-04-21 12:33:04 | 日記・エッセイ・コラム

私の友人に「ぼけっとしているのが好きだ」という人がいるが、私にもそういうところがある。

忙しくしているので、そんなに長い間「ぼけっとしている」という訳にはいかないが、それでも朝食後の10分くらいはそうしていることがある。

特に日曜には仕事をしないことにしているので、放心していることが多い。そしてリビングから庭を見ている。

特に小鳥が来て遊んでいるのを見るとか、風に庭木がそよいだり、小鳥がさえずったり、遠くから物売りの声が聞こえたり、そういうとりとめもないときを無為に過ごすのが楽しいというか、心地よいのだ。

人はいろいろ俗世の苦しみをもっている。それは人に言えないから、苦しみであって、もし人に声に出して言えるようになれば、その苦しみの一部はもう誰かに肩代わりをしてもらうことができるのだ。まだ苦しみはなくなってはいなくても。

そして、声に出していえる段階に至るまでには、言葉に表せないからこそ苦しみは深いのである。

本当に苦しいときは言葉に出すどころか、いろいろな感情や気持ちや思考が頭の中を駆け巡る。

それは嫌悪、恐れ、不安、心配やいろいろなものが織り交ざっていていて声にもまとまった思考にもならない。

しかし、それから少しづつ頭の中で仕分けされて来ると、それは人に話をすることができるようになる。

創造の苦しみを私自身はあまり経験したことがないのだが、それでもそういったなんだかもやもやした時間が、またそういう感覚というか思考があるということも想像に難くない。


e-Learningはどうなったか?

2010-04-20 15:27:37 | 日記・エッセイ・コラム

e-Learningのコンテンツを大急ぎでつくって、代表者のところへ送ったが、どういう風に処理をしたのか、または、まだ処理をしていないのか返事をもらっていない。どうも作業がまだ途中の感じであるから仕方がないのだが、一応きりのつけられるところはきりをつけたつもりである。

まだいくつかのけりのついていないところがあり、それは微分積分の一部の演習問題がまだつけれられていないことと、三角関数が完成できていない。本文は微積分では1-4まであるうちで1-3は出来上がっている。だが、3の演習問題がつけれられていないのだ。

三角関数もおなじような感じであって、なかなかぴりっとしない。風邪か花粉症で体がどうもすっきりしていないこともあるが、季節の変わり目だからしかたがない。

そのなぜピリッとしないかというとかなりページ数が多くなっているので、本来プリントして、精密に読み直しをするべきなのだが、それをしていないせいもある。もう一つは学生の書いてくれた図の一部は説明の言葉や式が入っていないのもいくつかあって、それをきちんと修正した図を入れたいと思っているからでもある。


基幹物理学

2010-04-19 12:43:30 | 物理学

「基幹物理学」は物理学者の故星崎憲夫さんと町田茂さんが書いた本である。

この本で初歩の力学からかなり高級な場の量子論まで学べそうなのだが、この本の値段は1万円を越していて、ポケットマネーの少ない私は購入をまだ控えている。

この「基幹物理学」のことが先日あった大学の研究室の同窓会の2次会で話題になった。Hさんは星崎さんへの香典代わりにこの本を買ったと言って、「君も買いなさい」と勧められた。この本は星崎さんが亡くなられてから出版されたのだと思う。

原稿の大部分は星崎さんの逝去以前にすでに出来上がっていたらしい。葬儀の機会にそのことを知らされた、町田さんがその本の監修をしたのだという。

町田さんがまったく書き加えなかったのかどうかは知らないが、二人の共著の本となっている。すぐには私には買えないが、いつかは買わなければならないだろう。別に香典代わりとは思わっていないが、奇妙に気にかかる本なのである。

そういえば、最後に星崎さんに会ったのは私たちの先生の小川さんの葬儀後であった。そのときに私には星崎さんをわからなくて、どなたですかと尋ねたら、先輩のMさんから「お前が星崎さんを知らないのは失礼だ」と言われた。

そうかもしれないが、地方大学の工学部に長年勤めた私には素粒子論研究者とか核力研究者は遠い存在であった。

私と同学年のHさんが星崎さんの研究室に勤めていたから、その昔に何かの機会で少なくとも一回は星崎さんに会ったことがあるが、核力研究には短期間しか関係しなかった私にはまったくの白髪の星崎さんは私の知っていた星崎さんと同一人物とは思えなかった。

その後、雑誌「素粒子論研究」へ投稿した武谷の業績リストや著作リストの別刷等を送ったら、星崎さんから丁寧な返事をもらった。それについてはいつかまた「素粒子研究」の放談室に投稿した方がいいかなと思っていたが、それから間もなく星崎さんが亡くなるとは思ってもいなかった。

私の出たH大学はかなり長い期間この核子間に働く核力研究をやってきた、日本では数少ない研究室の一つであった。私も初期の研究はこの核力研究に関係していたが、私はその後あまりこの研究には関わらなかった。

(2011.11.21付記) 11月始めの上京のときに丸の内の丸善本店でこの物理関係の書籍の書棚の一番上に「基幹物理学」があったので、ステップを使って手に取り、少し眺めてみたが、この本が町田茂さんが序に書いておられるのとは違って、買うに値する書かどうかの判定はちらった本屋で見たくらいではできなかった。

もっと落ち着いて読んでみないとその真価は分からないのであろうか。量子力学から以降は町田さんが書き加えたようであった。もっとも私の友人のHさんがいうように香典代わりに購入すべきものかもしれない。


悪魔の飽食コンサート

2010-04-19 11:32:22 | 音楽

昨日松山市民会館で「悪魔の飽食コンサート」があった。この合唱に妻が参加していたので、聞きに行った。ただ、音楽の方はあまり感銘を与えられなかった。しかし、作家森村誠一氏と作曲家池辺晋一郎氏のトークは興味深かった。

14時に始まったこのコンサートは16時過ぎには終わったが、その後夕方だったか、夜に妻がコンサートに来てくれた知人に電話をしていた。この方も音楽はあまり感銘を受けなかったらしく、それどころか音楽だとか、その作曲をした池辺さんの発言、「悲惨なものでも芸術に高められる」とかいうに憤慨していたらしい。

それはともかくとして知人として付き合いのある、この人との意見交換ができてよかったらしい。なかなかつき合いがある人でも自分の意見を率直に言う機会は少ないものだからである。だから、そういう機会がもてただけでもこのコンサートの意味があったというのが妻の感想である。


気候の不安定

2010-04-18 13:28:53 | 日記・エッセイ・コラム

日本では気候の不安定が話題となっている。また、アイスランドの火山の噴火でヨーロッパ各国の空港が閉鎖されている。いずれも自然現象が相手なので仕方がないという見方がある一方で、人間の傲慢さを思いし知るいい機会でもある。またいかに航空便に人が頼っているかを知るいい機会にもなった。

鉄道や車による交通にいま頼らざるを得なくなっている。ずっと以前には航空便はまったくなかったのにである。このようなヨーロッパ全体というか世界全体の影響の大きさはチェルノヴィーリの原発事故以来であろうか。

また、宇宙ステーションに日本人が二人一時的にいるというようなニュースもあった。それは多額のお金のいることでもあり、それに見合った成果が得られているかはまた、事業仕分けの対象となることがあるかもしれない。

いずれにしても無駄なことをやっているかもしれないが、やはりむだというのもときには必要ではある。それがいまの宇宙事業なのかどうかはわからないが、そういった面はなんにでもあるものである。だが、そういう無駄をできる余裕をすでに失いつつある。


どう生きるか

2010-04-16 15:17:57 | 日記・エッセイ・コラム

実は「どう生きるか」とかいう大したことをいま議論したいわけではない。

先日の大学の出身研究室の同窓会でいま何をしているかという報告で久しぶりに論文を書いたという人もいたが、日本の文化を知りたいと思って日本の小説を読んでいるという人もいた。志賀直哉の暗夜行路は長い小説だったとか、夏目漱石はやはり文章がうまいとか言っていた。

その後の2次会で私がそんな暇はないといったら、ちょっとその人の気分を損ねたらしかったが、別にそのような人生がいけないというつまりはまったくない。自分はそういう暇がないというだけである。どうしてか。それは自分でなくてはできないことをやっておきたいからである。

それは高校数学のレベルでもまたは大学の基礎数学のレベルでもはたまた物理のことでも自分のよくわからないことを徹底的にわかることとその経過を記録しておきたいという欲求が強い。それは自分自身への覚書でもあるから、冗長をいとわずに書きたい。

先日、S先生から私の式の計算の記述の仕方があまりにも冗長なのではないかとのご指摘を頂いた。たぶんそれはあたっているのだろうと思うが、それでもこの冗長さをよしとしてくれる人もいるのではないか。

私の数学エッセイは研究論文とは違う。論文は多分生涯に一回の出来事でなくとも比較的少数回のことであるが、教育とか学習とかは本当に多くの人に何年にもわたって繰り返して起こることである。そしてその頻度はとても研究における追体験とはその多さの桁が違う。

確かに新しい研究は人が知らなかったことをはじめて世に知らせるということでその重要性はもちろんいうまでもない。しかし、それを追体験する人は少数とはいえなくてもやはり限られている。

ところが小学校の算数などでは本当にその計算練習をする人の数はもう桁違いに多いのである。だからまずい教え方だとその悪影響はとても大きい。それが遠山啓や銀林浩たちが水道方式という数の計算方式を考え出した理由であった。

この例からもわかるように、数学者の遠山啓が数学の研究から数学教育の研究に踏み込み、そこから数学の研究に戻らなくて、数学教育に留まった理由はもちろん(数学の)研究が難しいということもあるが、それだけではなく数学の分野でいい教育法を考えれば、その影響がとても大きいということを悟ったからでもあろう。

もっともそこまで、私は大上段に考えているわけではないが、ちょっとそういった気分がある。もちろん、できるだけ消化しやすい形で教育の場では素材を提供するべきだという側面もある。だからすべての私の体験をそのままに提供するのがいいのかということは問題ではあろう。

いずれにしても悩みは尽きない。