物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

祖父母の擬似体験

2014-04-30 10:23:22 | 日記・エッセイ・コラム

隣に住んでいたAさんが引っ越して行って、数年空き家になっていたお隣にYさん一家が3月に引っ越してこられた。

ちょうどご主人が私の子どもくらいの年齢らしい。子どもさんが3人おられて、小学校5年、3年、1年生だという。

一番下の1年生が女の子でちょくちょく私の家に遊びにくるようになった。

昨日は近くの小学校で東道後温泉祭りとかの催しがあって、兄弟の一番上の子が風邪で寝ているとかで、お隣の奥さんが家を空けられない。

それでということもないのだが、妻が下の二人の兄妹をそのお祭りに連れて行くという。小さい子ども二人で、妻が一人では事故が起こっても困るので、ついて行くことにした。

運動場の一角でマスのつかみどりをするイベントがあるという。この兄妹は以前にもマスのつかみ取りをしたことがあるとかで、水の中に入るので衣服が水でぬれるので、お母さんが代わりの服を用意してバッグに入れて、それをもたせてくれた。

お兄さんにはマスをつかみ取ったときのためにバケツも持たせてくれた。

私たち夫婦はこの兄妹が本当にマスを手でつかまえることができるとは思っていなかった。ところがなんと二人で7匹も捕まえたので、結局そのうちの2匹を頂いた。

それで夕食に塩焼きで食べたら、なかなかおいしいマスだった。兄のR君によれば、これは黒マスという種類だという。

もっともマスのつかみ取りは参加費が100円であり、また小さい子どもたちであるので、綿菓子をおねだりされたり、ポップコーンをおねだりされたりして、数百円の出費だった。

私どもには孫がいないので、祖父母の疑似体験となった。連休の後半にはまたどこかに子どもたちを連れて行くと妻は張り切っている。


検査結果

2014-04-28 11:59:23 | 健康・病気

前立腺の検査をしてもらったのだが、幸いなことにガン化していなかった。

それで、半年後にまた定期検査をするということで今のところ無罪放免となった。

一時はもう3年くらいの寿命かと自分で予想してこの期間をどうやって生きようかとここ2週間くらい考えた。

もっとも他のところが悪いかもしれないし、交通事故死とかいうこともあるので、実際のところは寿命などというものはわからない。

それでも当面の心配ごとはなくなった。

自分のしたいことをだけするという風にここ10年くらいを生きてきたが、もうすこしこのままの生活が続けられそうである。


レントゲンとX線の発見

2014-04-26 13:36:14 | 物理学

「レントゲンとX線の発見」というタイトルでエッセイを書こうとしているのだが、どうもまったく筆が進まない。

放射能の研究で有名なマリー・キュリーの伝記「キュリー夫人の素顔」(共立出版)にX線の発見の社会への衝撃を記述したところがあったので、「はじめに」のところにそれを引用した後、何を書いていいかさっぱりわからなくなった。

現在ならば、放射線の影響は大問題だが、マリーが博士論文のテーマを探していたころは原子核の放射能の問題はまだほとんどの人に注目をされていなかった。

それはX線の発見が社会に衝撃を与えたのとは対照的であった。そして、マリーはそのあまり人目のつかない分野の開拓者の一人となった。

その後原子核の研究の指導的研究者となったのはラザフォードである。それから、その後はハーンであろう。

もちろん、放射性元素の研究でのマリーの地位とか、その子どものイレーヌ・キュリーやジョリオ・キュリーの地位は揺るがないが、やはり指導的立場はラザフォードとハーンであろう。

X線もアルファ線、ベータ線、ガンマ線も放射線であるが、どこがどのようにちがうのか一般の人はご存じだろうか(注)。

X線は原子から放出され、アルファ線、ベータ線、ガンマ線は原子核から放出される。

これはこのブログでも授業のタネとして書いたことがあるが、はっきりと知っておかなくてはいけない。

(注)X線とガンマ線は電磁波であり、アルファ線、ベータ線はそれぞれ原子核から放出される、アルファ粒子(ヘリウム原子核)と電子である。だから後の2つは粒子線である。


数学にかける青春

2014-04-25 13:21:38 | 数学

朝日新聞でいま「数学にかける青春」というシリーズが4月23日から始まった。

これは『いま子どもたちは』というシリ-ズの一環として取り上げられたものである。

国際数学オリンピックの青春をかける1群の子どもたちを追いかけるシーリズになるのだと思う。内容はその記事を読んで頂くのがよい。

今日とりあげるのは国際数学オリンピックで出題されるような難問を解く大場亮俊君の問題への取り組み方の2つの考え方を紹介したいためである。

一つは、これまでに類似の問題を解いた知識が役立つケースで、受験勉強のように、勉強量に裏打ちされた方法である。

もう一つは「問題の本質は何か」を考えるやり方だという。

具体的には初等幾何学が好きな大場君は図形を見ると「奇妙な」部分が浮かんでくるという。それを突破口にして、本質を探っていくという。

数学的な感性を磨いたのは「知識を得るよりも先に、難問にぶつかっていった経験がおおきい」と話しているとか。

このことに別に異論はないのだが、私は数学者ソーヤーが書いていたことを思い出した。

いま『数学へのプレリュード』(みすず書房)で読んだのかなと思ってその本をちらっと見たのだが、該当箇所を見つけることができなかった。

記憶が間違っているかもしれないが、書いておく。

数学のよくできる子はクラスでとびぬけていたりして、そのために知識を得ることにあまり熱心ではなく、上級学校に進んで驚くことがあると書いていた。

ソーヤーはそういうすぐれた学生に特に複素解析(関数論と言われていた科目)について学ぶことを勧めていた。

(付記)ソーヤーの『数学のおもしろさ』(岩波書店)の第15章の末尾に上に書いたことが載っていた。引用しておく。

数学に趣味を有する者は、できるだけ若いうちに複素数理論の知識を少しでも得ておくように心掛けるべきである。複素変数の理論、関数論等の標題を有する書物はこの問題に関するものである。

学校に行っている子どもは、数学にはどのくらい勉強することがあるのか知らないでいる。才能のある子どもは、仲間よりも優れているので自分は数学を卒業したと考える。

その結果、初級学校での年月を無駄に過ごし、大学に入学したときに他の学校から来た優等生と一緒になって始めてひどいショックを経験するのである。(引用おわり)

ちょっと上に私の書いたところと違っていたかもしれないが、それほど間違っていたわけでもない。


海上自衛官の自殺裁判

2014-04-25 12:54:27 | 健康・病気

若い海上自衛官が上司の方たちのいじめにあい自殺したとかいうニュースはずっと以前に新聞で見た覚えがあった。

それが裁判で遺族の方の勝訴の判決が出たとかだが、そのときに何か証拠となる書類が破棄されて残っていないと海上自衛隊側は主張していいたらしい。その書類が残っていることに気がついた、ある3佐が内部告発をしたために遺族の勝訴判決が下りたらしい。

だが、海上自衛隊側はそういう内部告発をした3佐を内部の文書を外部に持ち出したとかで懲罰しようとかの動きがあるらしい。

その話で今日の朝日新聞の天声人語が政治学者の藤田省三の言を引いて海上自衛隊、もっと大きく国家を批判していた。以下に藤田省三の言の孫引き引用をここにしておく。

際限ない隷従のみを求める組織は病む。その全メンバーに常に見放される可能性を常に考えて初めて、国家を含むすべての組織は健康体でいられるのだ。

引用元がどこかは知らない。印象的な言葉だったので、引用させてもらった。

藤田さんは私の出た高校が、中学校だった時代に卒業した先輩の一人であることだけ申し述べておく。いまの愛媛県立今治西高校である。


このピアノの調律は?

2014-04-25 12:33:43 | 外国語

ピアノが調律されていないとは

Das Klavier ist verstimmt.

というと昨夜のドイツ語のクラスでR氏から教わった。私は

Das Klavier wird verstimmt.

かと聞いたのが、ist verstimmtというのが正しいそうだ。

文法用語で言うならば、動作受動ではなく状態受動だから言われてみれば、そうなのだが、そう言われるまでわからなかった。

なお、ピアノが調律されているのは

Das Klavier ist gestimmt.

だそうである。昨日NHKのドイツ語講座の放送でstimmtの前に何かついていると思ったのだが、bestimmtのbeではないなと思っていたのだが、わからなかった。

もっともDorotheaさんはDas KlavierではなくてDer Fl"ugelという語を使われていたと思う。Fl"ugelは日本語ではグランドピアノである。

さらにR氏はverstimmenから来た表現で、Mein Magen ist verstimmt(胃の調子が悪い)と言うような表現もあると教えてくれた。

これは場合によっては

Ich habe mir den Magen verstimmt.

とも言えるという。もっともこれらはちょっと上品な表現だという。普通には

Mir ist schlecht. (Es ist mir schlechtを口語では形式主語esを省く、mirが倒置されて文頭にいく。この場合には形式的に主語のない文となる)

と言えば、わかるという。


アンコールをどう言うか

2014-04-24 13:15:46 | 外国語

音楽のコンサートで予定の演奏が終わった後で通常アンコールがある。

このときに日本語ではアンコールと言うが、これはフランス語のencoreから来ている。

ところがフランスではアンコールという語をアンコールには使わないと聞いたことがある。bis,bisと言うのだという。

ドイツ語では今日ドイツ語のNHKの放送を聞いていたらZugabeとかDraufgabe(もっぱらオーストリアで使う)というのだと知った。

実はこの放送は昨年10月の再放送だったから、前にも聞いたのだが、今回はテキストなしにたまたま聞いたから頭に残った。

この部分はフリーの会話だったから、テキストにはない部分である。だから2回目の放送がようやく頭に残った。

それからピアノ等の調律をしていないということをverstimmenと言っていた。それならきちんと調律がされているのは単にstimmenと言っていたのかどうだったか。そこのところがきちんとはききとれなかった。

多分、stimmtと言っていたと思うが、今夜のドイツ語のクラスで聞いてみよう。

いま辞書を引いてみたところではstimmenに(楽器を)調律するという意味が出ている。

ちなみにverという前綴りは非分離の前綴りでこの部分には普通にはアクセントがない。

また、verがつく語はあまりいいことがない。いつかドイツ語の先生からこのverという前綴りがつくと結果として何かが残るイメージがあると聞いたような気がする。

verschlafenなら、寝過ごすだし、verpassenなら電車などに乗り遅れるだし、versp"atenなら(待ち合わせ等の)時刻に遅れるだし、vermissenなら誰かがいなくて寂しく思うである。

いま思い出す語はこれくらいである。


数学・物理通信4巻2号の発行

2014-04-23 13:37:36 | 数学

4月21日に数学・物理通信4巻2号を発行した。

そのせいかどうか、月曜日の晩に読もうと思っていくつかのプリントをもって帰ったのだが、疲れ果ててコタツで眠ってしまい、一つも読むことができなかった。

それほど昼間の作業がひどく疲れるようなものにも思わなかったのだが、やはりひどく疲れていたらしい。

いつも数学・物理通信を発行すると気が抜けたようになるとこのブログに書くことが多い。今回はそういう風には感じなかったのだが、やはりひどく疲れていたことは間違いがない。

いつもとは違って原稿ができたと思ったときにすばやく発行したので、ひょっとしたら、ミスがあったかもしれない。

ともかく、実感とは別に体がきつく感じていたのかもしれない。


発見的教授法による数学シリーズ

2014-04-23 13:28:38 | 数学

秋山仁さんの表題のシリーズ本が森北出版から復刊された。もっとも以前には6冊シリーズだったが、そのうちの5冊の復刊である。

この書は受験生に評判がよかったのか、古書市でも1冊が1万円以上の高値がついていて、とても入手ができなかったが、今回5冊で1万1千円とちょっとの値段だったので思い切って購入してみた。

大学入試問題をどうやって発見的方法で解くのかということを述べた書であり、大学入試に関係など全くない私には本当は無用かもしれない。

秋山仁さんの著作に『数学講義の実況中継』上、下(語学春秋社)もあり、子どもたちが大学受験のころに読んでいた。その本も手元に残っているが、あまり読む機会がない。

だが、これらの書はちょっと類書の見られないものであり、貴重である。

大学入試から離れたところに私の関心がある。もっとも数学オリンピックとかもあるが、そこで出される難問など私には解けないのだから。

しかし、「発見的方法での研究とか教育」には関心があるので、発見法と銘打ってあると、ついつい食指が動いてしまう。

(2014.6.10付記) このシリーズの別巻が2冊発行が予定されている。アマゾンに予約中とあった。これも買わなければならない。

(2019.6.11付記)  この別冊もその後、購入してもっているはずだ。いま確かめてはないが。

(2024.4.24付記) 数学の発見法的な教育とか理解という概念も小著『四元数の発見』(海鳴社)でもそういうことを強調したりしたこともあって、一部の人にも発見的理解についても馴染んできたように思われる。

私は、発見法的方法とか理解ということを中学校の数学の時間に数学の担当の先生だった野間先生から、ポーヤの『いかにして問題をとくか』(丸善出版)を紹介されて知ったと思う。もっともその頃にこの本を購入することはなかったのだが。

(2024.11.3付記)
ポーヤの『いかにして問題をとくか』を購入したのは大学1年生になってからであろう。だから本の紹介を聞いてからほぼ4年後のことである。

debris,overhaul, fix

2014-04-23 13:05:30 | インポート

debris,overhaul, fixとはもちろんすべて英語の単語である。(この3つの語の発音をカタカナで書けば、デブリ、オーヴアホール、フィクスである)

先日、NHKで原子炉の炉心融解のごみをどう回収するかという放送があったときに、debrisという語を初めて知った。

space debrisという語でよく使われているらしい。これは宇宙空間のごみであり、最近このゴミが多くなったとして問題になっている。debrisと書いてカタカナでつたなく発音を記すと、デブリであり、最後のsは発音しない。

どうもフランス語風の発音である。ちなみに仏和辞典を引いてみるとやはりdebrisがあった。もっとも英語の辞書にフランス語起源とも書いてないのでもっと由来は古いのかもしれない。

overhaulは大学に勤めて、まもないころに聞いて覚えた語である。実験室で「装置を修理しなければならない」という意味に出入りの業者が使っていた。いま辞書を見ると「分解して修理する、点検する」というような意味が出ている。

fixは日常用語として使われると思うが、「固定する」という意味ではなくてこれも「直す」とか「修理する」という意味で使う。しばしばfix upという連語として使われるとある。

こちらは英語会話の放送で使われていたので知ったと思う。このfixは日常語として「用意する」とか「(食物・飲物を)作る」という意味もあり、便利な語であるが、自分で使うという機会はもったことがない。口語表現なのだろうか。

小学館のプログレッシブ英和辞典ではfixはさすがに「物を修理する」という語の意味が最初に来ている。「固定する」という意味は三番目である。辞書も新しい物でないといけない。

そういえば、先日聞くともなしに聞いていたNHKのニュースで英会話でpollというのがあり、選挙という意味だと知った。

英語を読むことをあまりしない方だが、そのせいもあるかもしれないが、知らない英語の単語はいつまでたってもたくさんある。


原始重力波の痕跡

2014-04-22 10:49:07 | 物理学

宇宙ができたときのインフレーションの痕跡である、原始重力波の痕跡を見つけたとニュースが3月にあった。

朝日新聞に4月21日にその解説記事が掲載されたが、あまりよくわからない。

原始重力波の痕跡が宇宙背景輻射に渦巻状の模様が見られるということらしい。もともと宇宙背景輻射は宇宙に一様に分布しているということだったと思うが、それが一様性がずれていてマイクロ波が渦巻き模様をしているという観測がされたということだろうか。

どの方向を観測しても一様な強度のマイクロ波ではなくて、渦巻き模様が見られるという図が色を付けた図で示されていた(これは私の解釈なので正しいかどうかわからない)。

宇宙はビッグバン(大爆発)から始まったというのは今の宇宙論の定説だが、それと宇宙のインフレーションのどちらが先に始まったかということについてはまだどちらだったかは定説はできていないようだ。

インフレーションが起こったことについては日本人の発見であることが認められているので、後はもっと詳細な話ではあるが、そういうインフレーションが先かビッグバンが先かという議論がいまあるらしい。

いつか私たちの仲間のEさんに雑談会で解説をしてもらう話題ができた。


big histroy

2014-04-21 10:14:48 | 科学・技術

big dataだとかbig historyだとかbigがつく言葉ができている。

big dataは最近有名になったが、big historyはそれほど有名ではないだろう。big historyは分かりやすい日本語でいうと「宇宙の歴史」といっていいだろう。

David Christianというオーストラリアの歴史学者がTEDカンファランスで講演をしていた。この人はしかし普通の歴史学者ではない。むしろ科学者のようである。

宇宙のはじめから、始める。タンパク質ができて、生命が発生してはじめは単細胞のような生物であったが、それから哺乳類のような高等な生物が発生していく。

その中で人間だけは言葉を発明して、情報の蓄積や伝達ができるようになった。それが人間が地球世界の生物界で覇権を握った理由だという。

こういう歴史の話をしたいと思ったことが10年以上前にあった。大学の教養部が解散された後で、なんとかいっても一番不得意な歴史科目の担当教員として数年の間、歴史科目を担当した。

そのときにこのChristianのような歴史学を講義したいと考えたのだ。そのような歴史書は探したが、あまりなかった。

H. G. Wellsの「世界文化史概説」上、下(岩波新書)だったかが、それに近い物であったが、それだって地球の初期くらいから始まったもので、とても私の要求を満たすものではなかった。

もっと詳しく調べれば、いろいろあったのかもしれいが、それにあまり時間をとることもできなかったので、断念してしまった。

だが、多分Christianはすでにそういうbig historyを研究していたのだろう。そのとき結局私は「原爆製造の歴史と原子核物理学」という題の講義でお茶を濁した。

これは「技術と科学の歴史を考える」第2部としてであったので、テーマとしては適当であったと思う。第1部はN先生のコンピュータの歴史であった。


新しい物の見方

2014-04-19 13:48:24 | 日記・エッセイ・コラム

このブログではできるだけ新しい物の見方であると私が思ったことを書くようにしている。

それで、ときどき新聞やテレビを見て新しい物の見方だと思ったことを手元の紙片にメモしてそれをもとにしてブログに書いている。

そのようなテーマを一つもっていたと思うのだが、いま思い出せないし、探してもメモも見当たらない。

17日から18日にかけて、精密検診で入院をしていた。その結果はまだわからないが、あまり希望が持てるものではないと予想される。

入院中に暇な時間がとれたので、再度というか、いままで何度となく見直している、エッセイの「四元数と球面線形補間」を丹念に見直しをする時間がもてた。昨日退院してから仕事場でその修正のパソコン入力をした。

さすがにもう私が読む限りは表現を変えた方がいいと思うところはなくなった。

私とは別の論文の著者のSさんから原稿の点検をしてもらって掲載OKの許可をすでに得ている。だからあるいは私の一存ですぐにでも発行できる段階に至った。

こういうことで『数学・物理通信』4巻2号の発行が視野に入って来た。

前号を発行した時点では4巻2号を4月に発行するつもりはなかったが、健康上の心配が生じたのでできるうちに発行をした方がいいと思って取り組んでいる。


新しい物は平穏を乱す

2014-04-18 17:27:20 | テレビ番組

水曜日に変わった「知恵泉」の中で特撮技術を映画に取入れて成功を収めた円谷英二をテーマにした、今週の放映で、「新しい物は平穏を乱す」という文言があった。

なんでも「新しい物は平穏を乱す」のは本当だろう。だが、それに対する反応のしかたはいろいろある。

その新しい物を取り込んで自分の度量も大きくして行くのか、そうではなくて自分にできないことだ、けしからんとして抑圧する方に回るのか。

抑圧するとしても一時的には抑圧できても最終的には抑圧はできないものである。そうだとすれば、新しい物はなんでも困ったものだという立場を捨てて、自分の度量を大きくする方向に使いたいものだ。

昔、ボーリングが人気で流行ったことがあった。そのころある若い(その当時のことだが)大学院生が会議か授業をさぼってボーリングに行ったらしい。

そのことを知った、ある物理学者が若い大学院生を後でけしからんと叱ったらしい。それからその方は~ファショというあだ名をつけられたという。

ひょっとしたら、その大学院生の方がよくなかったのかもしれないが、それでも若者の気持ちの理解も必要だったのであろう。

まあ、これはしかし笑い話の類ではある。


ホロコースト博物館

2014-04-16 10:47:10 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の朝食後に妻が先日広島県福山市のホロコースト博物館を訪ねたときのことを話していた。

ヨーロッパで特にドイツを中心として、ユダヤ人が強制収容所に送られて、そこで400万とか450万とかのユダヤ人が命を落としたと言われている。

その中で150万が子どもであったという。ホロコースト博物館ではその子どもの数にあたる、全体で150万個の扁平楕円形のビーズを入れた円筒形のケースが5つほどあったという。

一つのケースに30万個づつ扁平な楕円のビーズが入っているとしてもそれは多すぎるのではないかという感じをもったらしい。

それでだろうか、妻はあれは多分150万人にしては多すぎではないかと言っていた。

それで私が「ケースに入った扁平の楕円形ビーズの間にはすき間があるから、それはそのすき間の空間を考えないといけないよ」と言ったら、そうかもしれないと納得したらしかった。

そのすき間の空間があることを想定しない見積もりをしていたらしい。

しかし、その見積もりの間違いとかは別にして、そういう疑問をいつももつことは科学の始まりではないか。

ケースが大きすぎるとかいう疑問をもつほうが、権威にしたがってなんでも盲信するよりはいいと思う。

そういう態度から科学や数学になる芽が出てくるのだと思う。