物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Failure is an option,・・・

2015-04-30 10:37:37 | 日記
最近は12時までの就寝前に居眠りをすることが多い。それでも居眠りしながら時々目を覚まして見た、NHKのEテレのTEDの放送で、名言として出ていたのが Failure is an option,・・・ という文句であった。

これの続きはメモする時間がなくて書きとれなかったのと、この書きとれた部分を日本語でどう訳していたのかが気になる。

「失敗するのは自由である」であると訳されていたような気がするが、定かではない。少なくとも失敗を恐れていてはなにもできない。少なくともすばらしい発見や発明をした人は多くの失敗を繰り返している。

ただ、失敗を苦にしないこととか不屈の精神が成功の源であろう。「失敗は成功の基」という格言はベンジャミン・フランクリンが誰かに発すると思うが、これは英語ではどういったのだろうか。

Failure is a mother of success. (「失敗は成功の母」の直訳、下の文を参照せよ)

とでも言ったのだろうか。後でインターネットで調べてみよう。

ということで、インターネットで検索をしてみたら、いろいろ出てきた。

Failure teaches success.

Failure is a stepping-stone to success.

Every failure is a stepping-stone to success.

Failure is the way to success.

英語を解する人は多いだろうから、日本語に訳をすることは必要がないだろう。

みどりの日

2015-04-29 11:20:37 | 日記
今日はみどりの日の休日である。しかし、だいたい日曜日以外は仕事場に来ている。

これは日曜日は休まないと体のリズムがうまく取れないからである。しかし、日常聞いているラジオの講座は土曜と日曜を除いてあるので、それを聞くためもある。

数年前までは土曜日にもその講座の放送はあった。さすがに昨年くらいから土曜も放送がなくなくなったので、土曜は解放される。

だから、大学に勤めているころよりもひょっとしたら勤勉であるかも知れない。でも会議はないし、他人に気を使うことがない。

ここには電話もテレビもない。時間にも縛られない。置時計はあるが、腕時計はしばらく前から腕時計に電池を入れていない。時刻を知ることが必要ならば、誰かに聞くことにしている。

Vous avez l'heure ?

直訳すると時間を持っているかというフランス語だが、もちろん時間を聞く表現である。

Quelle heure est il ?

とか、もっとくだけた表現では

Il est quelle heure ?

も時間を聞く表現である。

ともかく、みどりの日の祝日を楽しもうか。

1968

2015-04-28 11:45:00 | 日記
1968とはなにか。野球の好きな方々はすぐにイチローが世界の王さんの得点を1968でようやく王さんに並んでいた1967から日本記録をつくったというその新記録の得点であることを知っているであろう。

昨日か一昨日にはすでに1969得点を記録している。得点というのはホームベースを自分で何回踏んだかということらしい。イチローはヒットを打って返してくれるのは他の人だから、自分はただ立っているだけだと。いかにも謙虚なイチローらしい。

実は私個人にとっても1968は記念すべき数である。1968年に学位を得て、大学に勤めることができるようになった。29歳のことである。学位をもらったときは28歳であったが、その年の5月には29歳になった。

大学に入った1958年、大学院を終えた1968年、フンボルト財団から奨学金を得て、ドイツへ留学した1976年は私の私の人生にとっては特別な年である。

もう一つ付け加えれば、定年退職した2005年も私にとっては記念すべき年である。

日米の安保ガイドライン

2015-04-28 11:05:03 | 日記
正式にどう言うのかわからないが、日米の安保ガイドラインが大きく変えられようとしている。
安倍政権のした悪政の最たるものとなるでしょう。そして、日本は平和な国からこれまで以上アメリカの言いなりになるのであろう。

そんなことは分かっているはずなのに安倍政権を選挙で支持している。バカなことをと思うけれどもそれが現実である。

これが今後の大きな分岐点に歴史的にはなるのであろう。国際的には一つにはアジアでの中国の存在が大きく影を落としている。いままでそういうことがなかったのに中国の資源外交とかアジアでの外洋への進出がある。

実体はどうなのかはわからないが、旧来と中国の外交とか政治が違って来ているのではないかそのことが日本の外交とか防衛方針にも違いが出てきた原因ではなかろうか。

だが、それは過剰反応と思えるほどであり、将来に禍根を残すことになりそうである。老い先の短い私にはあまり影響を与えないとは思えるが、それでも子ども世代には影響を与えることは必至である。

まあ、大きな戦争をすることは世界的な相互依存の現状ではできまい。だが、日本がテロの標的になることは想像に難くない。

原発の運転を続けることでも原発に少なくとも現状の見通しでは将来はない。放射性廃棄物の処理をどうしたらいいかはいまのところ解決策は見つかっていない。その段階でそのまま運転を続けることは勝利に大きな禍根を残すことになる。

これは単なる政治の問題ではない。そこらが多分一番大きな問題であろう。国の財政状況が悪いことが一番の改革の阻害原因になっている。それが経済優先の政策となり、それはそれでいいが、他の防衛政策までを変えてしまうという政権を維持している。

大学でもいいことはなにもない。特に中小の元国立大学でもみんなが急がしくしている割には業績があげ難くなっている。     

J'aimerai pouvoir arreter le temps

2015-04-27 15:11:04 | 物理学

いまラジオ体操をしていたら、机の上においてあったファイルの表紙に何か書いてあるのに気がついた。

なんか意味のない言葉が書かれているのかと思ってよく見たら、

J'aimerai pouvoir arreter le temps. (ジェムレ― プヴォワール アレテ― ル タン)(フランス語の達者な人は発音のカナは無視してほしい、s'il vous plait) 
 
と書かれてあった。

これはフランス語で「時間を止めることができたらいいのに」とでも訳せようか。なかなかしゃれた文章である。もちろん、時間を止めることはできないので、これは願望にしか過ぎない。

(2023.6.27付記)時間を止めることができないと書いたが、もし真空中の光速 c と同じ速さで常に動くことができれば、そういう人は時間を止めることができるのかもしれない。理屈の上ではそうなる。

普通の人には真空中の光速 c と同じ速さで常に動くことなどできないことだからやはり時間を止めることはできないというのは正しいであろう。

SPTT Notes on Grammar

2015-04-27 12:36:20 | 日記
先日、妻がドイツ語の「前綴り」についてのインターネットのサイトをスマホで検索してくれた。

それを自分で探したら、現在前綴りは17まで取り扱っていることがわかった。もっともこれですべての前綴りを尽くしているとは思わないが。17番目の前綴りはweg-であった。

SPTTさんは香港在住の人で日本人なのかどうかはわからない。エレクロ二クスと外国語とかその他に関心のある方であり、どんな人なのだろう。

英語とか日本語の文法とかのテーマも書かれている。それにLectures on Physics by Dr Yukawaというシリーズもあり、そこに湯川博士の講義ノートの中の紹介としてQuaternionについての記述もある。これは講談社から出ていいた本の中味かと思って自宅でその本をとり出してみたのだが、どうも違うらしい。もっと突っ込んだ話が書いてあるようだ。

もっともQuaternionについての記述はそれほどびっくりするようなことは書かれていないようだ。

ニュートリノ物理の話題

2015-04-26 08:39:14 | 日記
私の書くこのブログのテーマは外国語と数学とがどうしたものか多い。その割には外国語の力も数学の力もそれほどではない。

昨日、S 先生を偲ぶ会を松山市のさるホテルでしたのだが、そのときに新潟から来た T さんがニュートリノ振動とそのCPの破れの現状について話をされた。

私はこの分野にくらいのだが、それでも関心が芽生えた。雑誌『数理科学』の6月号にこのことを書いたという。まだ6月号は発行にはなっていないが。

T さんは大学院時代はハドロンの物理をやっていたのだが、大学に勤務するようになってレプトンの物理を専門とするようになったという。いま1964年は黄金の64年と言われているそうである。

そのころに大学院生であったのだが、いまのように言われるようになるとはだれが想像しただろうか。亡くなった S 先生、O 先生とまだ存命のもう一人の S 先生が岩波の雑誌『科学』に「ニュートリノの物理学」というテーマで連載記事を書かれていた。それを T さんがそれを読みたいという。たまたま私はその連載記事の別刷をもらってそれを製本して持っているので、コピーを送ってあげると約束した。

牧、中川、坂田のニュートリノ混合のその当時の評価を知りたいのだという。当時はそういうのがあるなという感じだったと思うが、それほど評価されていたとは思えないという印象をもっている。なかなか将来の重要性は見通せないものである。

S先生を偲ぶ会、終わる

2015-04-25 22:13:54 | 日記
今日の午後と今晩に S 先生を偲ぶ会が行われた。第1部はトークで二人の E 大学時代の教え子と H 大学時代の教え子、友人とのトークがあった。

どれもなかなかよくて特に T さんのトークはニュートリノ振動に関係した最新のトピックのダイジェスト版であった。

これはまだ現役の物理学者の話であるから当然でもあろう。会食のときには松山在住のK君が来られなかった以外はすべて出席であった。K君は義理がたい性格であるのにひょっとして忘れられたのかもしれない。

参加者はトークの時は10名であり、会食では9名であった。一人の学者としてはこれだけの人が集まってくれたのだから、成功であろう。S 先生の仁徳であろう。私などではこのような人数は集まらない。

だから、密かに世を去って行くことが私には似合っている。これは理学部長を何期もわたって勤められた S 先生なんかと私とは違うのだ。

循環行列式

2015-04-25 12:06:17 | 日記
a^{3}+b^{3}+c^{3}-3xyzは循環行列式の一番簡単な例であろう。一般的な循環式を藤原松三郎『行列と行列式』(岩波全書)で見かけたのは半年ほど前であったが、その証明のしかたはまだ知らない。

ある次数までの循環行列式から数学的帰納法で証明ができそうだが、まだ証明していない。他の線形代数の本に証明が出ているかどうかも調べたことはない。

なぜ、これを気にしているかと言えば、もちろん3次方程式の解の公式である、カルダノの公式との関係からである。循環行列式そのものはソーヤーの『数学へのプレリュード』(みすず書房)にパターンの創造の源としての行列式とかいう題で出ていたから知った。

それについてのエッセイはまだ書いていないが、いつか書くつもりである。メモを書いていたのを数学エッセイの自分のファイルの中に昨日見つけた。

隣で兄弟げんか

2015-04-24 16:51:45 | 日記
今朝、となりの小学生の兄弟が大ゲンカをしていた。どうも小学3年の下の弟が頭がよく、口も達者なので6年生の兄のほうが弟にやりこめられるらしい、

兄はたまたま友だちが来ていたので、自分の沽券に係わると思って大声を出してわめいていたらしい。これは心配した私の妻が様子を見に行って報告してくれたところによる。どうもお母さんがいなかったために喧嘩になったらしい。

それで仲裁に入った妻は兄には「弟をかわいがらんかね」と言って軽く頭をごつんとし、弟の方にも「兄さんを尊敬せんかね」と言って頭をごつんとやったという。喧嘩両成敗である。

どうも兄貴の旗色が悪そうだというのが、妻の見たところである。多分そうであろう。人間はある程度生まれつきで頭の良しあしがあるのはしかたがない。

私は兄弟の3番目であり、記憶力などは私が兄弟で一番よかった。ただそれだけのことであるが、次兄は記憶力がもう一つであったと自分では言っている。しかし、彼は判断力などは十分にもっている。だから、学問的なことはともかくとして日常生活に関しては私は非常識だと兄弟のみんなから言われている。

妻が帰って来て「私たちの子どもはあんな兄弟喧嘩はしなかったね」と言っていたが、その通りであった。これは妻は上の子が下の子に対して多分思いやりがあったからではなかうろかと言っている。また、下の子も上の子に敬意を払っていたということだろう。

前綴りを手がかりにせよ

2015-04-24 16:04:05 | 日記
昨夜ブログの書くタネを思いたのに、いまブログを書こうと思うと思い出せない。

昨夜は実はドイツ語検定の試験問題を R 氏からもらって、解いてみた。80分の時間内になんとか解答をすることができたのだが、答えがわからないので解答があっているかどうかはわからない。

だが、以前に2級の試験は難しいという評価をしたが、現在の2級の試験には私はまだパスはしないかもしれないけれどもどうしようもないという感じはしなかった。それだけ2級の試験問題がやさしくなっているのである。

もちろん聞き取りテストはしていないし、会話のテストもしていないのだから、2級に通るのがどれくらい難しいのかはまだ実感としてはない。

実際にテストを受けてみて始めて難しさを実感することができるのであろう。

ドイツ語では前綴りとして非分離の前綴りと分離する前綴りがあるが、その前綴りの意味を調べてその前綴りがついた動詞や名詞や形容詞、副詞の意味を探ることにしたいというのが、昨夜考えたことであった。

その中でまず非分離の前綴りの be-, emp-,ent-, er-, ge, ver, zer の意味を調べようと昨夜寝付けないので思ったことであった。そして朝起きてシンチンガーの独和辞典を調べたが、その意味など載っていない。

それで、もしやと思ってもっと古い木村・相良の独和辞典をみたら、さすがに載っていた。前綴りのbe-の説明を紙に書き写していたら、妻が起きてきた。

朝食のときに妻にその話をしたら、すぐ「ドイツ語、接頭辞、er-」と入れて、スマホで検索してくれた。すぐに、どなたかのサイトが出てきた。私が調べてパソコン入力の必要などなかった。

これだとこれをプリンターでプリントアウトすればすむ。そしてそれをファイルしてよく読み返せばいい。

これは多分ドイツ語の専門家がつくったサイトなのであろう。もちろん、非分離の前綴りだけではなく、分離される前綴りをもった語についても同じことをする必要があろう。

メールが突然使えなくなった

2015-04-24 16:03:32 | 日記
メールが突然使えなくなった。 私はOCNをプロバイダーにしているのだが、昨日の午後からと突然メールが来なくなったし、返信もできなくなった。

それでパスワードの設定が悪いのかと思っていろいろやって見たが、復旧しない。それでもようやく数時間かかって元に復旧したが、何の連絡もOCNからはなかったような気がする。

どうもやはりお役所仕事が民間の会社になってから何年も経つのに抜けきらないのであろう。パソコンは大抵ユーザーが自分でどうにかしないといけないものだとは友人の Y から聞いてはいたが、これにはまいった。

今回は何とか切り抜けたが、いつもうまく切り抜けるとは限らない。

「東海の科学史」11号

2015-04-23 11:47:27 | 日記
「東海の科学史」11号を N さんから送ってもらった。このNさんの書かれた「戦争前後の武谷三男」は原稿ができた直後にNさんがメールで送ってくれたので、読んでいくつかの小さなコメントをした。原稿は修正を加えられているのであろうが、大筋はすでに読んでいる。

N さんは武谷家を訪れて、武谷家所蔵の文書や手紙にあたって、戦争前後の武谷三男の就職に関する状況や友人、知人との交流等を武谷の残した自伝『思想を織る』(朝日新聞社、1985)等を参照して、詳述しており、いままで知られていなかったことも発掘している。多分、時代を追って武谷の人生の履歴がわかるようになるであろう。これらについては N さんの今後の研究を期待している。

ただ、もう少し言及してほしかった点もある。「技術論をめぐって」題する節では武谷技術論と「労働手段体系説」についての N さんの現在の見解はまったく語られていない。中村静治「技術論争史」(青木書店、1975)を引用されるが、中村もこれらの論争について書いてあるのだが、そのことにはまったくふれていない。この先、ふれるつもりがあるのかどうかもはっきりしない。

前にメールで原稿を送ってもらったときに直接 N さんに不満に思う点があると言ったかどうかははっきりと覚えていないが、この論文についていえば、この点は不満に感じた点である。N さんからは武谷の思想についてはなかなか難しくてとメールで返事をくれた。こういう側面を今後掘り下げてほしい。

武谷は多くの論争の的となっているし、また論争のタネを残した。私もそのいくつかのとりあげて議論したことがあるが、もだもちろん十分ではない。N さんにももうちょっと突っ込んだ議論もしてもらうことを期待したい。

実はこの11号を読んで興味を覚えたのは N さんの論文ではなくて、高木仁志氏の『板倉聖宣氏の無天才論」と「無神論」』であった。

いわゆる「仮説実験授業」というグループに属する人、高木さんが論じた板倉の科学的認識論である。

板倉の科学的認識論というか教育における実践活動が彼の予想論から仮説の設定へと進み、また強力な科学史と教育における実践は「天才はいない」と「神はいない」という二つの柱に支えられているという。

「天才はいない」というときに誰でも天才と同じように教育の現場で考えられるいう強い信念があると思われる。これは信念であると同時に実践を通じた実感でもあると感じられる。

私は「天才がいない」とまでは言い切る信念を持ち合わせないが、それでも天才だけが考えつけるが、凡人には科学的研究において思いつくことは不可能だという見解はとりたくないという強い感覚をもっている。そこらあたりは自分自身のもっている経験なり、希望なり、志であると思っている。

実際にはたとえばガリレオ・ガリレイの時代に生きていたとしたら、ガリレイと同じことを考えつくことは難しかったろう。だが、幸いなことに私は現代に住んでいる。いまは情報化社会である。そういう意味では歴史的な後知恵の恩恵を受けている。

地動説をガリレオの主たる科学業績と考えることは果たしてどうなのだろうかという気がする。移動説の有力な支持者とガリレオはなったのだが、そしてそれは武谷もよくいうようにまた著者の高木も述べているようにただ望遠鏡をのぞいてみればいいということであったろうが、地上の物体の運動を斜面をもちいて、また摩擦が少ない素材をつかって、うまく調べたことがガリレオの最大の業績であろう。ここには科学において一番主要な側面をあぶり出し、その研究に集中した点でやはり点で天才という名に値する。

ただ、誤解してほしくないのはガリレオのみがなし遂げることができたことであって、私たちにはどうしようもなかったとは考えたくはないという気持ちが強い。そういう意味では「天才はいない」とは言い切ることはほどの信念まではもてないけれども誰にでも同じようなことができるべきだという強い信念が私にはある。

それがどこから来るのかはわたしにもわからないが、科学とはそういうものだという経験というか感覚である。高木さんに私の感想を届けたいと感じているが、届く方法はあまりなさそうである。

前立腺の検査

2015-04-22 11:43:34 | 日記
半年ごとの前立腺の検査に行ってきた。半年前とほとんど変わらずPSAは5.25であった。前回が5,26であったから変わらなかったことになる。

何か生活に不都合があるかと聞かれたので前と同様にあまり困ることはないといった。半年後の健診に来ることにした。

前のときも手術には医師もあまり乗り気ではなかったから、まあ大したことはないのだろう。

「特にお勧めすることはありません」と医師も明快である。やれやれ、また半年後まで時間を持てたことになる。

S先生の追悼記念文集

2015-04-21 11:25:12 | 日記
「 S 先生の追悼記念文集」といっても大したものではないが、そういう文集を発行しようとしている。

昨日から少しづつ仕事を始めた。10人前後の追悼文を寄せた方があったので、最低限のかっこうはついたかと思っている。もっとも論文リストとかをつけたいと思っているが、S 先生が定年退職のときにつくられたものがあるはずなので、それを参考にして論文リストをつけておきたい。

略歴もつけたいのだが、それを入手する宛てがない。E大学の人事に行って教えたもらおうか。

なかなか私も含めてだが、ビビッドに S 先生の姿を描ける人がいない。ただ、10人前後の人がなにがしかの追悼文を寄せてくれるとそれなりにその人の姿がおぼろげながら浮かび上がってくるような気がする。

これを編集するのは私の役目なのだが、まだ全貌は見えない。