物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

数学・物理通信3巻2号

2013-03-30 12:39:52 | インポート

数学・物理通信3巻2号を昨日の金曜日に発行した。昨日もう一度自分の原稿をチェックしたら、式の番号が一部間違っていることに気づいて、修正した後に発行した。

本当なら、来週の月曜の4月1日以降に発行するのだが、それだと4月になるし、4月1日はApril foolなのであまり望ましくない。それで普通はそういうことはしないのだが、あわてての3月中の3巻2号の発行となった。

「並進演算子」はこの数学・物理通信に載せることにはためらいもあったが、この通信の読者は必ずしも専門家ばかりではないことを考慮して載せることにした。これは私自身が四元数との関連で疑問に感じたことがきっかけであったので、四元数との関連が間接的にはあった。

いつも言っていることであるが、幸いなことに投稿をして下さる方が常にあり、また名古屋大学の谷村さんのようにご自分のサイトにリンクしてくださる方もおられる。それで外に向かっても開かれている。

それで、私から直接にメールでお送りする方々はほんの30人を越えるか超えないかのくらいであるが、心ある人々には届いていると思っている。別に誰かからほめてもらいたいわけではないし、これは自己満足であってもいい。

中西先生と世戸さんの論文のように改稿されて専門の物理研究雑誌PTEP(Progress of Theoretical and Experimental Physics)に掲載されたような論文も出て来ている。

これはもちろん編集・発行人の私の誇るべきことではなく、単に一部の著者のレベルの高さを示すものである。だが、そのお手伝いの一部を担っていることは主張してもいいだろう。

今後も気楽に発表できる、自由なサキュラーで、「数学・物理通信」はありたい。


間違いをまた!

2013-03-29 11:30:39 | 外国語

昨日、知人のところへ招待をされた。この方は今ドイツ人の夫妻のホームステイをされているのである。それでご主人の方があまり英語をはなされないので、寂しそうだからというわけで彼の話相手として招待をうけた。

それで、他のお客さんたちと、このドイツ人夫妻の間をとりもつ通訳をしたりしたが、もちろん私がなんでもドイツ語で言えるわけではない。むしろ言えないことの方が多い。ドイツ語を聞いて日本語に訳す方はなんとか不十分だができたと思う。

その前に午後知人に連れられて、石手寺に行った。そのときにガイドの人でとてもきれいなドイツ語を話す人と会った。後で聞いたところでは英語のヴォランティアガイドもなさっている方らしいが、そのドイツ語もきれいであった。

Oさんとか言われるらしいが、何年もドイツで生活をされたとか聞いた。それにしても優れた人がいるものである。もう一人ドイツ語を話す、ヴォランティアガイドの方がおられたようである。しかし、こちらの方はあまりよくはわからなかった。

松山は50万人を越える人口であるので、きれいなドイツ語を話す人がいても不思議ではないが、世の中は広いものだと感じさせられた。

石手寺の裏側の山に弘法大師の大きな立像が見られるが、これがAus Stein ?

(石からできている?)と尋ねたら、Aus Beton(コンクリ―トでできています)との明快な返事をもらった。

ところでその後ドイツ人の女性からお前は仏教徒かと尋ねられたので、そうだと答えたら、どういう教義かと聞かれたが、仏教には多くの流派があるのでと答えたら、それは了解されたが、そのすぐ後で「お前のドイツ語を修正してもいいか」ときかれたので、「ええ」というと私の使ったSektはシャンパンを意味しており、仏教の流派ならSekteとeをつけないとと言われた。また流派の複数はSektenとnをつけて言うらしい。

これはドイツ語のクラスで以前にもR氏から注意されたことだが、なかなか直らないものである。さらに参道で「はし」を売っていたので、Staubchenと言ったら、St"abchenと訂正された。

こういう風に なかなか正しいドイツ語は話せないものである。

(2013.3・31付記) Klausさんというホームステイをしていたドレースデンの出身の69歳の男性であったが、ドレースデンはイギリスの空軍の空爆を受けて街が壊滅的に破壊されてしまった。そしてこの空爆のことを英語でair raidと言われていた。

air raidとは日本語で言うならば、「空襲」であろう。私はたまたまこの語を知っていたので、すぐわかったが、居合わせた他の日本人の方々のみなさんにこの語が空襲だということが分かっただろうか。もっともその場の全体の話から、この単語を知らなくてもおよその見当はついた。

どうして私がair raidという単語を知っていたかだが、これは多分物理学者のDysonの書いた文を読んでair raidという語に出会い、それで意味を知らなかったので、辞書を引いたことがあったからと記憶している。

Dysonは2次世界大戦後に量子電気力学のくりこみ理論で業績をあげた、理論物理学者だが、それより若い時にイギリスの戦略爆撃機の作戦本部にいたことがあった。詳しくは彼の自伝『宇宙をかき乱すべきか』(ダイアモンド社)をみてほしい。

(2022.6.10付記) Dysonの自伝『宇宙をかき乱すべきか』の原題はDiturbing the Universという。数年前にこのDysonは94歳くらいで亡くなった。

この年代の物理学者ではC.N. Yang(ヤン)がまだ中国で存命だと思うが、しかとは知らない。若いころにH大学の大学院生だったころH大学の研究室をヤンが訪れたことがあるので、顔を知っていた。





Ca se dit comment en francais ?

2013-03-28 11:00:28 | 外国語

昨夜、テレビのフランス語講座を見ていたら、黒谷友香さんがCa se dit comment en francais ?(サ ス ディ コマン アン フランセ)を連発してフランス語で野菜等をどういうかを聞いていた。

初めて聞いた表現であった。というのは、本当はうそになるのだろうが、ようやく私の認識に入ってきた。いまあわててse direという語を仏和辞典で引いてみたら、「言われる」という受け身の意味らしい。

こういう表現としては「鉛筆をフランス語でなんといいますか」だったら、Commen dit-on 鉛筆 en francais ? (コマン ディトン エンピツ アン フランセ)という表現はこれは昔にNHKテレビフランス語講座で丸山圭三郎先生が担当されていたころに覚えた表現である。

ちなみに返事はOn dit crayon(オン ディ クレヨン)(訳:クレヨンといいます)である。

ともかくフランスにも行かず、また大学とか外国語学校にも行かないでフランス語を学ぼうとしているのだから、限界がある。

それでも長い年月の中で少しづつフランス語の表現が補充がされてきている。だが、日常生活とか新聞で出てくるフランス語はまだまだ難しい。

これはまだフランス人が話しているのをあまり聞いたことがないのだが、On dit comment エンピツ en francais ?と言ってもいいのだろうか。

(2014.7.25付記)Ca se dit comment en francais ?と同じような表現に

Ca se prononce comment en francais ?(どう発音するの?)

Ca s'ecrit  comment en francais ? (どう書くの?)

Ca veut dire comment ? (どういう意味なの?)

等がある。これからバカの一つ覚えみたいに使ってみたい。



再度WKB近似

2013-03-27 12:01:14 | 物理学

前にもWKB近似というタイトルでブログを書いたと思う。またまたこれについて調べている。

私など国立大学の工学部でそれこそ30年以上量子力学を教えてきたのだが、学生が工学部生ということもあって、WKB近似は一度も教えたことがなかった。

それが最近とはいっても半年以上も前だが、Mさんという物理学者からこのWKB近似の解説を論文として私の発行している「数学・物理通信」に投稿してもらった。だが、なかなかこの解説を掲載できないでいる。

それで何とかしなければと思ってすこし調べ始めている。Mさんは後藤憲一他編「量子力学演習」(共立出版)のWKBの箇所を解説したものであり、その解説を掲載する価値は十分にある。

だが、それでもなかなか難しい。それで他の文献を調べたりしている。特徴ある解説が大鹿、金野著「量子力学 I 」(共立出版)に出ていた。これはMさんが天下りとして書かれていた解をわかりやすく解説しているところである。

今朝、荒木源太郎著「量子力学」(培風館)にはMさんの説明とはちがって解の積分表示はまったく使っていない。説明もいろいろあるものだと感心してしまう。

しかし、どうしてなのだかわからないが、どうもWKB近似は面倒な感じがある。どうしてなのだろうか。そこをこの際払拭したいと考えているのだが、それを達成できるのだろうか。


Learning from barefoot ・・・

2013-03-26 12:01:07 | 社会・経済

TEDカンファランスの再放送でBunker Royというインドの社会活動家の話を見た。前にも感動したのだが、今回も再見してやはり考えるところがあった。

Royはインドの貧困な村人の生活を改善することを試みている。そこで基本は飲み水の確保とエネルギーの自給である。雨水を地下に多量に貯める設備をつくっており、4~5年間の渇水に耐えることができるという。

また、エネルギーは太陽光パネルを使って電気を確保しているという。その太陽光パネルを設置している技師は50歳代の女性である。男性はcertificate(証明書)をほしがるが、女性にはそういうところがないという。男性はcertificateをもって都会に出ていき、そこで働く方を選ぶ傾向にある。

村を緑化するために学者に聞いたが、この辺を緑化することは絶望的だと言われたが、その土地の長老に聞いて、その知恵にしたがったら、これこのように村を緑化できたと写真が見せられた。ともかく緑化は達成された。

これはしかし学問的な知識や技術が不要だということを示すのだろうか。私はそうではないと思う。そういう貧しい境遇とか環境で暮らしている人々の持つ生活の知恵を私たちがまだ十分に学んでいないということを示しているのであろう。

子どもたちは昼間は家畜の世話や何かで学校へ行く時間がない。しかし、夜なら学校に来て学ぶことができる。環境に反するのではなく、環境にあわせた学習の場を設けている。そこらあたりが場に、環境に適した活動を行うという、Royの面目躍如たるところである。

経済についても政府とか世界銀行からの財政支援を待つことはないという。金融緩和に頼らなくても生きていける。そういう方法は日本でもないのか。

食物とか医療とか介護についての話はなかったが、それらについても知りたいものだ。

だから、Royの話に感心するだけではなくて、私たちの生活にRoyの思想がどう生かすことができるのか考えるときではないか。


inの用法

2013-03-26 11:34:14 | 外国語

I ' ll be back in twenty minutes.(20分後に帰ってきます)というときのinが後という意味に使われるという。

学校で学んだ英文法でどうであったか。もう覚えていない。それに英文法の本は1冊ももっていない。同じことがドイツ語でもいえる。

Ich komme in zwazig Minuten. (イッヒ コッメ イン ツヴァンティッヒ ミヌーテン)というときのinはやはり20分後の「後」である。この点はなかなか当然のようで身に付きにくい。

いつだったか20年くらい前のことであるが、ドイツ人と話したときに間違えて Ich habe in ein Jahr in Deutschland gewohnt.といったら、 Sie haben f"ur ein Jahr in Deutschland gewohnt.わざと強調してf"ur ein Jahrとf"urを入れて直された。

しかし、普通には Ich habe ein Jahr in Deutschland gewohnt.とinもf"urも入らない。そこらへんが何年ドイツ語を学んでいてもなかなかミスがなくならないところでもある。


松山東コーラス演奏会

2013-03-25 10:58:49 | 音楽

昨日、午後松山東コーラスの演奏会を市民会館に聞きに行った。これは知人のTさんから1枚招待券をもらい、もう一枚は購入したからである。

Tさんは男性で別にこの東コーラスの団員ではないが、松山発のオペラにときどき出演するので同じオペラに出演したことのある、東コーラスの団員さんの数人とお知り合いであるということで切符を手に入れたということらしい。

それで開演の時間の少し前に行ってみると、すでにTさんが座席を4席確保していてくださり、私たち夫婦と東雲コーラスの団長さんのOさんとTさんとが並んで座ることができた。

歌は指導者の豊田先生のご指導がいいこともあるのであろうが、迫力満点であり、聞きごたえがあった。歌としてはどこかで聞いたことのあるような歌が多くてその点では親しみ深かった。

赤いドレスで出演されてなかなか華やかであり、団員の方々の年齢もいろいろであると思われたが、みなさん美人揃いのコーラスグループであり、またにこにこと笑顔で歌われて印象がとてもよかった。

後で妻もそういうことを言っていたが、これは歌を歌うというキャリアが長いことで、余裕があるからであろう。妻などは別の歌声コーラスの団員だが、キャリアがあまりないので、歌を間違えないように歌うということに必死で笑顔になる余裕がない。

最後に、「この街で」という松山ゆかりの歌で終わったが、これの手話をしながら、歌うというのはよかった。これは豊田先生も歌われていたが、声がとおってさすがだと思わされた。

グリークラブの客演もあったが、女声とは違った魅力が窺われた。


時計

2013-03-23 14:02:28 | 日記・エッセイ・コラム

時計が好きな人とそうでない人とがある。妻は時計の好きな人である。

私は時計をもたない主義である。だが、時間とのせめぎあいもある。時計を持っていないわけではなく、カバンにいつも入れている。それで、時間を知りたいときは大抵誰か人に聞くことにしている。

Vous avez l'heure ?(ヴ ザベ ルール)とは表向きは時計を持っているかという意味だが、実は時刻を聞く表現である。もちろん、Quelle heure est-il ? (ケル-ル エーティル)という表現もあり、妻などはその昔大学宿舎に住んでいたころ「今何時という意味ですよね」とか言って、同じ宿舎の奥様に感心されたということがあるが、彼女の知っているフランス語はそれしかない。

この話は前にも書いたことがあると思うが、もともと話が出てきたのは方言でケラレという、アブラムシといわれる虫のことが出てきた時の話である。

話がまったく飛んでしまったが、そういうことはいつものことであるから、驚くことではない。

(2013.3.28付記) 上で「何時ですか」というのをQuelle heure est-il ? (ケル-ル エーティル)と書いたが、このごろは口語的表現としてIl est quelle heure ?(イレ ケルール)という言い方を教えてくれる。40年以上昔の、朝倉季雄先生のNHKのフランス語ラジオ講座ではそんな表現を全く学ばなかった。

「お名前は」などというときでもVous vous applez comment ?(ヴ ヴ ザプレー コマン)というと教えられてComment vous applez-vous ?(コマン ヴ ザプレー ヴ)という畏まった表現は教えられてもかなりフランス語を学んだ後である。 

だから言語も時代と共に変わって来ている。Ce n'est pas un chien(これは犬ではない)は口語ではC'est pas un chienとneが落ちるのが普通らしい。だから否定の語としてはneよりはpasの方が重要視されてきたということであろうか。


岩波講座『現代物理学の基礎』

2013-03-22 12:03:04 | 物理学

湯川秀樹博士が監修した岩波講座『現代物理学の基礎』は重厚な講座本である。

ここ数日、ちょっと用があってこの中(第2版)の『量子力学 I』 の8章 「力学系の対称性」 を見ている。読んでいると書かないのはとても読んでいるとは言えないからである。

ところが、この8章を見ていると引用されている、ある番号の式がどこにも出てこないのに気がついた。それだけではなく、他のところで引用された式の番号もどうも正しくないようである。もっとも私はきちんと読んでいるわけではないので、本当に間違っているかどうかは自信がない。

この8章はもう亡くなってしまった豊田利幸博士が書かれた箇所であり、書き方や意図は悪くないのだが、困ってしまった。

第2版になる前の初版の方を書き換えているために、おかしくなったのかと思って初版を見たのだが、この箇所はどうも第2版になって新たに稿を起こしたらしい。が、こういうことが起こるとは思わなかった。

最近になってこの講座『現代物理学の基礎』は、高額の価格で復刊されているが、この8章は誰かが気がついて修正がされているのだろうか。

小さな傷であり、大きな欠陥ではないのであろうが、どうも気になる。これは著者の責任というよりも編集者の責任ではないのだろうか。

もっとも数式などのある本を1冊でも出したことのある人なら、経験があることだが、校正をいくらしてもなかなかミスプリントとか間違いはなくならない。だが、それが凡ミスで読者でも判断がつくようなものなら、問題はあまりない。

だが、そうではなくてあるはずの式がなかったりというのは単なるミスですむものだろうか。

同じ豊田博士が書かれた古典物理学の箇所を何十年も前に読んだことがある。これは弾性体力学のラメの定数を導く過程であった。これもミスプリントが多くあり、そこを訂正しながら読んだ。しかし、こちらの方は理解にはまったく問題がなかった。その後、第2版が出たときに、調べてみたら、そのミスプリントは修正をされていた。

(2019.3.5付記)上に書いた弾性体力学のラメの定数を導く過程を「数学・物理通信」の8巻10号に書いたので関心のある人は読んでほしい。インターネットで「数学・物理通信」で検索すれば、すぐに名古屋大学の谷村さんのサイトに到達する。

 


良い戦争はあったためしはない

2013-03-21 12:46:56 | 国際・政治

「良い戦争と悪い平和はあったためしがない」とはB.フランクリンの言った言葉だそうである。今朝の朝日新聞の天声人語で知った。

これはイラクへのアメリカの攻撃の戦争とそれを支持した小泉元首相を批判した文章でもあった。もっとも新聞の常として真っ向からこの戦争を批判した形にはなっていない。

天声人語の担当者は朝日新聞でも名文家で、その見識も高い人である。大抵外国への特派員を経験した人で、その視野も日本人としてはなかなか広くて、狭隘な視野の持ち主ではない。いつもなんらかの示唆を得ることが多い。

1月の私たちの雑談会で、フランクリンのことを知人のT先生から話を伺った。フランクリンは外交官としても政治家としても、また科学者としてもユニークな人物であったらしい。

そういえば、日本でもその人間性とかでも高く評価されている、物理学者のC. N. Yangがこのフランクリンが大好きで、そのためにフランクリン・ヤンと呼ばれていたとかである。

この Yangはノーベル賞をとった、素粒子の弱い相互作用でのパリティーの破れの研究とか、Yang-Millsによるゲージ理論とかで有名でもあり、統計力学の分野でも有名であるが、ハード・ワーカーとして知られている。

Yangは1965年に京都で行われた、中間子論30周年の国際会議の後で、イギリスの物理学者のKemmerと一緒に広島大学の素粒子論研究室を訪れたことがあり、そのときに私は学生だったので、コロキュウム室で先生方と一緒にYangの話を聞いた。

彼は中国人であるから、漢字を読めるので、小黒板の週の予定表にあった散乱の字をみて、あれはScattering theoryのセミナーですねと聞いた。

後で、彼の小さな著書「素粒子の発見」を研究室の図書室に送ってくれた。林一さんの訳本がみすず書房から出たのはその後だった。


数学・物理通信3巻2号?

2013-03-20 12:01:36 | インポート

数学・物理通信数学・物理通信3巻2号を3月中に発行するかどうかで悩んでいる。

とはいっても原稿は投稿があるし、自分がいま書いている原稿を校了とするかどうかで発行するかどうかが決まる。この原稿は「四元数と回転4」である。かなり読み込んで推敲しているが、どうしようか。

まだ、数学・物理通信3巻2号の編集には入っていないが、自分の原稿を校了とすれば、あとは編集の手間と再検討のためのいつもの数日の日程の問題だけとなる。

年末に2巻7号を出そうかどうかは悩んだが、こちらの方は結果的に出さない方になった。数学・物理通信の発行を誰からも特に期待されているわけではないから、それはそれでいいとしよう。

投稿者が数人の方々に集中しているが、少なくてもそれでもそれらの方々の支持を得ているとも言える。さて、どうなるだろうか。


李下に冠を正さず

2013-03-19 12:01:32 | 日記・エッセイ・コラム

庭先にある、小さな木に赤い花が咲いた。朝食の時に妻にあれは何の花かなと聞いたら、出入りの庭師さんが植えてくれた桃だという。実がなるのかと尋ねたら、実はなるそうだが、食べられないという。

それで表題の昔の文句を思い出した。李はスモモのことらしいが、スモモの実がなっているところで冠を正そうとしたら、スモモを取ろうとしたなのかと疑われてもいけないので、そういうことをしないようにという中国の昔の教えらしい。

スモモといえば、ドイツ語でAprilose(n)という果物がある。これがスモモかと思って、いま辞書を引いてみたら、こちらはアンズとあった。もっとも私にはアンズもスモモも桃もなかなか区別がわからない。

今ちょっと気になったので、アンズを岩波の国語辞典を引いてみたら、花も葉も梅に似ているとあった。実は梅よりは大きく黄赤色で紫の斑点があるという。

昔の中国では王の名臣であった人がその功績にもかかわらず、その王から離れて自分の生き方を守ったという人が結構いるらしい。

これは忠臣でありながら、後で王からの不興をかって、身を滅ぼした人がかなりいたためにその轍を踏まないということで身を慎んだためらしい。

私もだからあまり陽の当たるところを好まない。これはそういう人生観を私もいくらか引き受けているからであろう。


マネキネマ例会

2013-03-18 11:36:03 | 映画

昨日、マネキネマの例会でスペイン映画を見た。これはかなり古いスペイン内戦時代の話であり、このことを知っている、日本人ももうそれほど多くはないのではなかろうか。

スペイン内戦は私などにはむしろ文学作品としてはヘミングウエイの「誰がために鐘は鳴る」で知られている。この小説は読んだことはないが、ゲーリー・クーパー主演の映画は見たことがある。アメリカ人のヘミングウエイも共和国側に加勢して参加していたのである。

フランコ総統はファシストではあるが、ヒットラーとかムッソーリーにとは違って戦後も政権を保っており、彼の死後ようやく王政が復古して、普通の議会政治が復活した。

そして、その当時のドイツとかイタリアのファシスト政権はフランコを応援したが、共和国政府をイギリスとかフランスが応援しなかったためにファシスト政権側が勝利を収めた。

息子と妻をファシスト側の空爆で亡くした旅芸人と母とはぐれた子どもを中心としてドラマが展開をする。最後にフランコ暗殺の計画に主人公が加担したわけではないが、その疑いから逃れる前にポルトガル経由でアルゼンチンに逃れようとしたときにファスト軍の将校の銃弾に斃れるという、幕切れである。

その母とはぐれた子どもはその後有名な芸人となり、彼らを回想して劇場で講演をし、昔教わった歌を歌う。

私には話の筋とかが十分にはわからなかった。古い話ではあるが、感動的なストーリーであった。タイトルは「ペーパーバード(紙でつくった鳥)」である。


再生可能エネルギー

2013-03-16 12:16:15 | 社会・経済

昨日、再生可能エネルギーについてのドイツ大阪神戸総領事の講演を松山市のコムズで聞いた。ドイツでは再生可能エネルギーによる発電のうちで風力発電が30%とかなりの割合を占めていることを知った。

ドイツは日本と比べれば、高緯度に位置するので多分風が日本よりは一般的に言って強いからであろう。それに比して日本では太陽光発電の可能性がドイツよりもはるかに大きいのではないかという講演での指摘はまったく正しいと思われる。

だが、要するにこれはそういう政策を国がとるかどうかにかかわっている。そういう政策を国は取って来なかった。そして今原発が止まっているという段階で電力の価格が上がるという事態になっている。これは国の政策の悪さの表れだと思うのだが、それが政治には反映されていない。

ドイツにとってチェルノブイリ原発の事故は他国の原発といえどもその放射線被害は国境などは関係がなく、被害を受けるのだという1986年の経験はとても大きい。

チェルノブイリ原発の事故のとき、日本の電力業界で言われたことは日本の原発はまったくチェルノブイリとはまったく違ったタイプの原発であるので、日本ではこのような事故は起きないということだった。

その当時、世の心ある識者からはそんなことはないはずで、事故はどの原発にでも同様に起こるという警告が発せられていたが、そんなことはまったく顧慮されなかった。政策のミスというか過ちだが、そんなことは当時の政府も現在の政府も頬かむりしたままである。

誰も責任を取らない無責任体制である。そして、東電の副社長をしていた人の発言として、聞くに値したのは高木仁三郎氏の意見ぐらいであったという傲慢な述懐が津波で福島第一原発が事故を起こした後で新聞に出たのを覚えている。

そんなことはなかったはずだ。日本の中でも10人以上の方々が原発の危険性を大いに訴えていたはずなのに。それらの方は発言はなかったことにされている。

もちろん、かなり程度の低い発言をされた方も中にはあったかも知れいないが、それはほんの一部の人であり、数十人の識者の中の大多数はまっとうな発言をされていたと思う。

それはともかく太陽光発電は日本では地熱発電とともに大いに可能性がある分野であろう。風力発電についても洋上発電が有望視されており、ここに開発の余地があると思われる。

それと昨日の講演で聞いたところではこの再生可能エネルギー関連事業で数十万人の雇用が生まれるということである。ドイツでは確か約36万人の雇用が創生されたということであった。


ブログのネタ残し

2013-03-15 10:44:52 | インポート

ブログのネタ残しがうまくいったことがない。だから、できるだけその日に書きたいと思ったことはその日に書くようにしている。

ところが忙しくて書きたいことを書き残してしまうことがある。その次の日とか次の機会にそれを書こうと思っているだが、どうもその場限りで大抵思い出せない。

これはブログのネタ切れとなるのではないかと思って書きたいことを書き控えたりしていた、ブログの書き始めのころもそうであった。

大抵、書きたいことはその日の中に書かないと忘れてしまう。もっともそれは全く関係がないときに思い出すことが多いので、一度自分で考えたことはそんなに簡単には完全に忘れてしまうことはない。

だが、それも自分が思い出して書きたいというときの間には合わない。そういうものである。

昨日か一昨日も話題にしたいことが複数あったのだが、忙しかったのでその中の一つに話題を絞って書き、他のことは他日に書いたらいいと思った。

ところが今日になると全く何も思い出さないのである。これは夕食に食べることのできるおいしいものがたくさんあるということとはちょっと状況がちがう。食物では現物は人が意識して捨ててしまわない限りなくならない。