Worin besteht Ihrer Meinung nach der Sinn des Lebens ? (ヴォリン ベシュテート イーラー マイヌング ナハ デア ジン デス レーベンス ?)
意味: あなたの考えでは人生の意義はどこにありますか
などと言われたことはない。これはいまドイツ語のクラスで使っているテクストに載っていた疑問文であり、これについての各自の答えを1週間かけて考えてきなさいというのが、先々週にR氏が私たちに課した宿題であった。
der Sinnという語は、ここでは意義とか意味とかいう意味だろう。それはすぐに推察できたが、実は辞書を引いてみると、この意味が一番目にはきていない。
Unsinn !(ばかな!、ナンセンス)とかいう語が、すぐにこのSinnでは思い出されるが、Sinnの元の意味を知っていなかった。
そういう元々の意味を知っていなくても、おおよその意味が分かるのが、長年ドイツ語を学んでいる「おかげ」なのであろう。
それにしてもドイツ語を母語にしている人なら、別の感じをもつのではなかろうか。
Sinnの一番初めに来る意味は、「感覚」とか「知覚」とかである。例として五感 die f"unf Sinne がある(注)。 二番目には「(美に対する)感覚、センス」であり、そういういくつかの意味が来た後で、ようやく5番目に「意味」とか「意義」とかが来ている。
だから、ドイツ語を母語にする人にはそういったすべての意味の後での「意味」とか「意義」なのであるが、私などは一番最後の意味しか知らない。
それはそうと、有名なHeineのローレライの歌の中にこのSinnという語がつかわれていたのをご存知でしたか。「忘れられない」という意味に使われていたのですが。
辞書にも
jm. aus dem Sinn kommen 人に忘れられる
という例が出ている。もっともローレライの歌では否定形で使われていたはずです。
あとで調べてみよう。
(注) der f"unf Sinneとさっきまで書いていた。今読みなおしたら、der SinnとSinnは男性名詞ではあるが、f"unf Sinneは複数であるから、die f"unf Sinneとしなくてはならないことに気づいた。辞書を調べてみたら、やはりちゃんとdie f"unf Sinneとあった。私のドイツ語力といってもそれくらいの力しかない。その前にはder f"unfe Sinneと書いていた。こちらはこのブログを書いた次の日だったかに修正したが。
どうしてこういう間違いをするのか。五感は5つの感覚であるので、Sinneと複数であるので、辞書には複数語尾-eがついていた。それを読み間違えてf"unfのほうに-eをつけたのであった。
五感の5を5番目の、と読み違えていた。ああ、はずかしいまちがいばかりする。それに5番目なら der f"unfte とでもしなければいけないのだろう。
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(付録)
調べてみました。
第1節の終わりに(後掲の詩の第1節を参照)
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.
(遠い昔の物語が心から離れない)
とあります。
「遠い昔の物語」は前文からの意味をとった訳で、dasの意味を説明したものです。
辞書にある、不定詞句
jm aus dem Sinn kommen
からどうやって、上の文がつくられたかを説明しましょう。
主語がDas(そのこと)と決まれば、不定詞 kommen は kommt と3人称の単数の定動詞になり、主語Dasの次に来ます(定動詞第2位の原則)。あとは不定詞句のkommen以外の部分を続ければ、よいのですが、aus dem Sinnの前に否定の語nichtを入れて、結局
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.
という文ができます。
ちなみに冒頭の
Ich weiß nicht, was soll es bedeuten,
ですが、 学校で学ぶ「ドイツ語文法」なら、
Ich weiß nicht, was es bedeuten soll ,
と「定動詞後置」となると思うのですが、
詩では語順が少し融通無碍なところがあります。
これは韻を踏む都合でしょうか。
私はヨーロッパ語はすべて英語と同じ語順をとると思っていたので、
ドイツ語は私には「ちんぷんかんぷん」であった。こういう状態が2,3年
続いた。
ドイツ語は英語に似てはいるが、語順は同じではないということを知った
のは2,3年後のことであった。そういう苦い経験からいろいろ書いてしま
った。ドイツ語の得意な人には「釈迦に説法」であったろう。
フランス語は英語を学んだ人にはドイツ語ほど難しく感じないで学べる
のではないかと思う。
フランス語も英語とちがうところがないわけではないが、すくなくとも私は
ドイツ語の場合のような衝撃を受けることはなかった。
しかし、昔の私のような人も少なくないと思うので、詳しく書いた。
以下に、ローレライのハイネの原詩と訳をどこかの
インターネットから無断引用します。
1. Ich weiß nicht, was soll es bedeuten,
Daß ich so traurig bin;
Ein Mährchen aus alten Zeiten,
Das kommt mir nicht aus dem Sinn.
私には分からない
どうしてこんなに悲しいのか
遠い昔の物語が
心から離れない
Die Luft ist kühl und es dunkelt,
Und ruhig fließt der Rhein;
Der Gipfel des Berges funkelt
Im Abendsonnenschein.
風は冷たく 辺りは暗い
静かに流れるライン川
山の頂は夕日に輝く
2. Die schönste Jungfrau sitzet
Dort oben wunderbar
Ihr gold’nes Geschmeide blitzet,
Sie kämmt ihr gold’nes Haar.
美しい乙女が座っている
金の飾りは輝き 金色の髪を梳いている
Sie kämmt es mit gold’nem Kamme,
Und singt ein Lied dabei;
Das hat eine wundersame,
Gewaltige Melodei.
金色の櫛で髪を梳かし
乙女は歌を口ずさむ
その歌は不思議で
力強いメロディ
3. Den Schiffer im kleinen Schiffe
Ergreift es mit wildem Weh;
Er schaut nicht die Felsenriffe,
Er schaut nur hinauf in die Höh’.
小舟に乗った舟人は
その歌に心を奪われて
岩礁は目に入らず
上を仰ぎみるばかり
Ich glaube, die Wellen verschlingen
Am Ende Schiffer und Kahn;
Und das hat mit ihrem Singen
Die Lore-Ley gethan.
舟人は波に飲まれるだろう
彼女の歌声によって
それはローレライの仕業
訳詩:近藤 朔風
なじかは知らねど心わびて
昔のつたえはそぞろ身にしむ
さびしく暮れゆくラインのながれ
いりひに山々あかくはゆる
うるわしおとめのいわおに立ちて
こがねの櫛とり髪のみだれを
梳きつつくちずさぶ歌の声の
くすしき魔力(ちから)に魂(たま)もまよう
こぎゆく舟びと歌に憧れ
岩根もみやらず仰げばやがて
浪間に沈むるひとも舟も
くすしき魔歌(まがうた)うたうローレライ
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