物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

オランダとチューリップ

2007-02-28 12:26:10 | 日記・エッセイ・コラム

オランダというと誰でもチューリップと思うだろう。そのためだろうか。最近、オランダへ旅行した方から木でできたチューリップをおみやげに妻がもらった。近くで見ていれば、本物とそっくりである。もちろん触れば、硬い木であることがわかる。立派なものである。

オランダはこういうイメージだろうが、画家ゴッホを生んだし、科学者ではローレンツやエレンフェストを生んだ。最近ではノーベル物理学賞を受けたt'HooftとかVeltmanが有名だ。またHuygensもオランダ人であった。彼は物理学のHuygensの原理に名前をとどめているが、それだけではなくその当時の一流の科学者であったという。

まだ一度も本格的にオランダの地を踏んだことはないが、いつかは訪ねてみたい地である。本格的にというのはむかしドイツとオランダとフランスだったかの3カ国が交わるDreilaenderpunktというところを訪ねたことがあるので、まったくその地を踏んだことがないとはいえないからである。


Allen Nelsonと憲法九条

2007-02-25 20:11:13 | 国際・政治

Allen Nelsonさんの講演を昨日聴いた。彼はアメリカの元海兵隊員である。18歳のときに高校を中退して海兵隊に入隊したという。彼のお母さんは4人の子どもを持ったsingle motherで、家は貧乏だった。その貧乏に嫌気がさして、海兵隊入りをしたのであった。そしてアメリカ国内および沖縄で海兵隊の訓練を受けた後、当時戦争の行われていたベトナムに送られた。そこで彼はベトナム人を殺し、自分の仲間が殺されたりした。

しかし、彼はなんとか生き延びてアメリカに帰った来たが、ベトナムでの殺戮で精神的に異常をきたしていたので、帰った家でしばらくしてお母さんから家から出て行くようにといわれる。それでホームレスになり、その後ベトナム戦争で病んだ心のPSTDをいいカウンセラーに出会うことから克服して18年のときを経て反戦運動家になった。現在はFriend(Quaker教徒)として世界中を駆け巡って講演している。

いかに軍隊というところが人殺しの訓練しかしないところかということを彼は繰り返していった。軍隊ではkillとしか教えない。いかにイラクに民主主義を根付かせるとブッシュ大統領が言ってもそれは空文で軍隊は人殺ししか訓練しないところだから平和は来ないという。

沖縄で若い兵隊が沖縄の若い女性をrapeしてもこれは戦闘訓練でよく身に付いた暴力性の現れにしか過ぎない。また、軍の司令官はそういう事件が起こったときにいち早く謝罪の声明を出すが、心の中ではその暴力性の故に「私の部下たちはやっと戦争で使いものになってきたわい」としか考えていないだろうという。それは誇張ではないだろう。

Allen Nelsonさんは日本における憲法九条はこれこそ世界の宝だという。こんな憲法こそ本当はアメリカに欲しいという。これは単に理想論ではないのだ。そういえば、昨年だったか一昨年だったかに講演にこられた品川正治さんもいっておられたが、実際に戦争に行って戦争の悲惨さを知っている人だけが本当の反戦論者になる。彼も中国戦線に一兵卒として参加した。大企業は軍事費からでもなんでも利潤が上がりさえすればよい。しかし、戦争は一番大きな公害であるし、その人類に及ぼす身体的、精神的悲惨さは言うに及ばずである。

AllenさんはMediaが反戦のニュースをとり上げないのをこれからはインターネットのような手段によって世界がお互いに知るようになればとの希望を述べた。しかし、これだってそんなに楽なわけではない。というのは戦争から利潤を得たがっている企業や政府はまたそれに加担する人たちはこれらのインターネットのサイトを攻撃するということを平気でやるらしいからである。正しいと思うことを主張するにもなかなか勇気がいる。


Heufieber(hay fever)

2007-02-23 11:05:28 | 健康・病気

Heufieber (Germ.) (hay fever  Eng.) といえば、Heisenbergが若いときにこのHeufieber がひどかったというのは有名である。

彼が量子力学への端緒を開いたのは1925年5月であったが、その直前にとてもひどいHeufieberにかかり、先生のBornに申し出て休暇をとり、療養のため草木がなく岩でごつごつした北海の孤島Helgolandへ出かけた (Helgolandはいつかテレビで見たのでは海岸の岩壁が赤い色をした島だった)。

そこで、Heisenbergは奇妙な代数(それは数学で知られたマトリックスであることをBornが後で発見した)を考え出し、そしてそのときに量子力学のモデルとして用いた非調和振動子のエネルギーが保存することをちゃんと証明できた。それでHeisenbergは真理の一端を確かに掴んだという確信をもった。この辺の話は彼の自伝『部分と全体』(みすず書房)に詳しい。

この創造体験はDysonの自伝『宇宙をかきみだすべきか』(ダイアモンド社)に出ているTomonaga, Schwinger, Feynmanの量子電気力学を統一的に理解できたときのDysonの体験と状況はまったく違うが、その内的な感情と感覚は似ている。

しかし、ここで述べたいのはHeufieberとは何かということである。いつだったかNHKの英語会話の放送を見ていたら(英語だからhay feverと綴るのだろうが)、これを花粉症と訳していた。それで、はっとしてやっとHeufieberが身近なものになったのだが、日本では花粉症は鼻水がしきりにでるが、熱は出ない。

その数年後だったが、入試の監督に駆り出されたときに、同僚のS先生が顔を赤くして花粉症に悩んでいた。

その方は7,8年をアメリカで暮らした方でhay feverについて彼の体験を話してくれた。それはもちろん花粉が原因なのだろうが、40度近い熱が何週間も続いてとても不快なのだという。それでやっとわかった。Heufieberは枯草熱と訳されているが、熱が出るところが特徴のようだ。

Heufieberの枯草熱という訳語を理解できなくて、花粉症という訳語である程度わかったつもりになっていたが、結局元へ戻ったわけである。なんでも実際に生活をしてみないとわからないことがあるものだ。

(2011.4.13付記) ドイツ語ではPollenallergieという語があり、これは文字通り「花粉アレルギー症」である。


A quitter, c'est un peu mourire.

2007-02-19 16:41:16 | 学問

A quitter, c'est un peu mourire. とはフランスのことわざである。日本語でいえば、「別れはちょっと死に似ている」とでもいった感じなのだろうか。

日本でも気のきいたことわざや言い方はあると思うが、これはなかなかしゃれた言い方である。いつだったか大学に在職中に卒業式の後の祝賀会でスピーチをする必要があったときにこれを引用してお茶を濁したことがあった。

一般にスピーチは苦手である。特に人の前に立って話すのは長く話せば話すほど自分の底の浅さが思い知らされる。そういうこともあっていつも短い話しかしなかった。フランス語をやったことのある人はドイツ語よりも少ないから何を言っているかわからなかっただろう。

このことわざをはじめドイツ語で聞いたのだった。昔、ドイツから日本に帰るときにあるドイツの化学者の先生からこれをドイツ語で聞いた。Absieds ist ein bisschen tot.というのがそれである。あまりにもそのときそれに私が感心したので、その先生がフランス語にことわざがあると教えてくれたのだった。しかし、それも30年ほど前のことである。

そういったささいなことがいつかしらずしらずに思い出されるのも歳のせいかもしれない。


講義の準備での失敗

2007-02-17 13:43:21 | 物理学

昨年度はあるテキストを使ったのだが、今年は学生に配布するための基礎物理学の講義ノートを作ろうとしている。それはいいのだが、普通にはtexで入力しているのを今回に限ってワードで入力をしていたらファイルが一杯になったというので、セーブできなくなってしまった。

かなり力学の分が出来上がっていたのに、あわててしまったので、その一部を切り取ってどっかへセーブしようと思ったのだが、できない。editorでセーブすればよかったのだが、そういことも思いつかず切り取った一部が再生できなくなった。

残念である。全部が駄目になったわけではないが、1/3くらいは失った。その下書きはあるが、下書きと入力したものとはかなり違っている。それで結局texで入力をすることにした。失われた部分についてはだから新たにもう一度作成をしなければならない。

今年は講義内容を力学、熱力学と電磁気学の3つに限ることにした。昨年は使ったテキストに沿っていたので量子力学と相対論も話したのだが、不評であった。難しすぎるというわけである。それで今年は演習を取り入れてゆっくりやろうとしている。それには手作りのテキストでないと講義はうまくいきそうにない。


学者の嫉妬心と処世術

2007-02-14 19:18:48 | 学問

学問の世界でも嫉妬心というのはある。やはり人間のやることだからであろう。

大学でも嫉妬心から上の人が自分の下の教官をめちゃめちゃに攻撃したとか意地悪したとかいうのはよく聞く話である。そういった自分も経験したような生臭い話は書くことができない。

知人の中にはドイツで哲学を専攻していて、十分に長い間ドイツに滞在していたので取ろうと思えば学位をとることができたのだが、それをとると日本で大学に勤めることができないという理由でわざと学位をとらずに帰国した例を知っている。

またこれは前の例ほど確かではないが、ある元牧師さんの神学を学んだ人で、学位をとって帰国したときにある大学のドイツ語の先生として勤めることがほぼ決まっていたのだが、面接に行ってかその前かに不採用になってしまったという例もある。

どうも採用をするお偉方の気に障ったからではないかと思われる。それが嫉妬心によるものだった可能性は十分にある。

私は少なくとも自分のまわりで人をいじめるというような循環を断ちたいと思っていた。そういう再生産が続くといつまでたっても事態は改善されない。

もっともこのごろは大学全体が忙しくなって人のことなどかまって居れないという風になっているらしい。

いまなら、アカデミックハラスメントなどという言葉があるが、私の若いときにはそのような言葉もなかった。

自分も一生懸命に努力して若い者に負けないようにするか、または若者を励ますことをすればいいものを自分のわがままを通すために若者の足を引っ張るのは自分を顧みて恥ずかしくないのだろうか。

でも人生の生きる知恵としてやはりあまり人の目に付くようなことを控えるというのも一つの処世術かもしれない。しかし、難しいことではある。

もっとも優秀な人はこのようなことを考える必要はまったくないのだろうが。優れた先生や先輩は自分に自信があるから、励ましてくれても人の足を引っ張ったりはしないというのが、私の経験である。


ヴァレンタインデー

2007-02-14 12:23:56 | 日記・エッセイ・コラム

今日はヴァレンタインデーである。このごろはニュースにも取り上げられるようになって一つの行事として定着した感がある。もとは聖ヴァレンチヌスの日ということで宗教行事だったのだろうが、(悪?)知恵のあるチョコレート業界がチョコレートを女性に売る販売戦略に利用して成功してしまった。

正直言って日ごろそんなにチョコレートを食べるものではないから、たまにはいいかとは思うが、それにしても過熱ぶりである。女性からチョコレートをもらって嬉しくない人などいないだろう。もっともホワイトデーとかいうのがあってそのお返しを期待するとかいう話もあるが、そんな見返りを期待するためというのではどうも心が寒くなる。

今朝、妻にチョコレートを一箱もらった。これはお店で買ってきたのか、所属している医療生協で大量につくったものの一つをもらったのかは聞かなかった。医療生協は宣伝活動のために伊予鉄松山市駅前の坊ちゃん広場でチョコレートを配るのだそうだ。「今日は雨なのでご苦労さんなことですね」といいながら、妻は他のところへ出かけた。

ドイツの祝日について先日調べたら、今日2月14日はドイツの祝日になっていた。もっとも日本のような意味合いの日ではないらしい。むしろ男性が女性に花を贈ったりするという風にどこかで聴いたような気がするが、記憶は定かではない。


小平治郎さん

2007-02-13 12:28:36 | 物理学

物理学会誌の最近号を見ていたら、小平治郎さんの訃報が載っていた。56歳だったという。まだ若い。

もう20年以上昔になるだろうか。牟田先生(広島大学学長)のグループに入れてもらって輻射補正の計算をしていたころ2週間に1度くらいの割りで広島大学に行っていた。その頃のグループ仲間の一人が小平さんだった。

訃報には摂動論的QCDの専門家という紹介がされていたが、その通りでいろいろなグラフの計算のときに疑問点があれば、小平さんに聞けばいいという感じがあった。いつか二通りの計算が一致しないので、聞いたことがあった。

その解決は結局自力で結果が違って見えるけれど同じものではないかという考えに至り、同じ結果を違った表現をしていたことを証明して終わったが、やはり小平さんは物理を深く理解しているという感じをもった。

いかにも研究者らしくいつも落ちついて見えた。昨年3月の愛媛大学の物理学会の素粒子論グループの総会で小平さんを見かけたのが最後となった。

このとき「KEKに今はいるのですね」と声をかけたらうなずかれた。優れた人は神に愛されて短命に終わることがあるようだ。


花粉症の季節1

2007-02-13 12:06:41 | 健康・病気

昨年も花粉症について書いたが、また花粉症の季節がやってきた。2月8日頃から4月末くらいまで花粉症の症状が続く。毎年行きつけの内科でアレルギーの薬をもらって飲んでいる。

新聞とかテレビによれば花粉の飛び方は例年の1/3くらいということであるが、ひどいときには鼻水が絶え間なく自然に垂れ落ちてくる。今年はまだそういう風になっていないが。

子どもによれば、朝に鼻を水で洗えば少し改善されだろうという。確かに一時は収まるが長続きはしない。目も涙目であり、かゆくなってくる。だから、いまは眼科で目薬をもらって点している。子どもも小さいときに目がかゆくてこするのでパンダみたいに目の縁を赤くしていた。

昨年の秋にも結構ひどいときがあった。もちろんひどいのはこの時期だが、どうもそのときばかりではなくなってきている。

だが、寒いときにひどいかというとそうでもない。正月明けで寒いときでもどうもないこともある。むしろ寒いときは花粉は飛んでいないのでアレルギーが出ないのだろう。

今年は暖冬でこの仕事場でもガスストーブを使うことは夕方とかの一時でそのほかの大部分のときはホットカーペットで十分済んでいる。

まだ、松山で一番寒い時期とされる椿さんは今年はまだすんではいないが、なんとかこのまま過ごせるのではないだろうか。


停電

2007-02-12 11:51:21 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、起きたら電気が来ていない。そうか停電だったと思い出す。近所の電柱の付け替えで9時から11時まで停電の予告が1週間ほど前に来ていたことを思い出す。トイレに座ったら、便座が冷たかったからだ。トイレから出てリビング、台所の方へ行くと、いつもついているはずのガスストーブがついていない。これも電気を使っているからだ。

ひげを剃ろうとしても電気カミソリが動かない。顔を洗おうとしたら、冷たい水しか出ない。ガスを使った給湯設備を使っているのだが、これも電気が来ていないと作動をしない。冷たい水で目の辺りだけを洗って済ませた。顔全体を洗うのはこの頃の水では冷たすぎる。玄関から1歩、2歩踏み出して工事の進行状況を見る。すでに電柱は変えられているようだが、まだ11時には1時間ほどある。仕方がないということで味噌汁と紅茶の朝食となった。電話もかからない。パソコンは使えない。

2時間ぐらいのことだが、日ごろの電気が使える生活の有難さを味わった。60年ほど前の昭和20年代はじめは戦後のことで台風が来たとかなんとかいってすぐに停電になった。このごろは落雷のために数分間停電になることはあるが、ほとんど停電はない。技術の進歩のお陰だろう。


天野清

2007-02-10 12:25:19 | 科学・技術

天野清とは科学史をやっている人には懐かしい名前だろう。中央公論社からの出た自然新書に『量子力学史』(中央公論社)が出ている。天野清は優れた科学史家でもあり、技術者でもあり、物理学者でもあった。

先日インターネットのアマゾンコムで古書として遠山啓の『数学とその周辺』を購入したら、天野清の思い出が載っていた。天野清と遠山さんは東京工大の同僚であった。

また、遠山さんが東大の数学科の学生であった頃、物理学科の天野清と同期生であった。その後、遠山さんはある教授との関係で大学を卒業できないので、東大を退学して、その数年後に東北大学に入るのだが、それはいまはどうでもいい。

天野清は1945年5月の空襲で爆弾の破片があたって、亡くなった。戦後、天野清の選集が発行されたが、それは2冊本らしい。その1冊は手に入れてもっているが、もう1冊はもっていない。

『量子論と熱輻射の起源』は彼の手になる名著といわれている。昔、図書館でそれを借りてコピーし、そのコピーを持っているが、その後、その原著を手に入れてもっている。

九州大学から東京に帰ってくるときに文字通り貨車1台分の資料と一緒に帰ってきたといわれる。遠山さんも彼の博識には舌を巻いているが、それよりももっと彼の見識というか思考にもっと敬意を払っている。

天野の死の2,3日前に遠山が彼と話をしたときのことが書いてあり、神田に古本を探しに行こうと提案したのをもっと強硬に言えば、彼は空襲にあわずに生き残れたのではないかと悔やんでいる。それくらい惜しい人を亡くしたのだ。

私が天野清の名を知ったのは、武谷三男の著書からである。量子力学の解釈とか量子力学史をめぐって彼との間に尊敬の念に満ちたやり取りがあったのは事実であろう。

また、日本で製鉄所の溶鉱炉の温度を始めて測ったは天野だったという(注)。それによれば、炉心よりも炉壁の方が温度が高かったという。そのとき、彼は一時商工省かどこかの研究所に勤めていたはずだ。その後、東京工大に勤めるようになり、遠山さんの同僚となった。


(注)溶鉱炉の炉心の温度をどうやって測るか。気温や体温を測るような温度計が使えないのはだれでもわかるだろう。どうやって測ったかは知らないが、たぶん光高温計を用いたのであろう。物体の温度を測るという単純なことでも深く物理学と関係している。

また天体を温度を測るというか推定するには光のスペクトルが使われるのであろう。太陽の表面温度は約6000度と言われているが、それをどうやって推定したか。高校生の方はこのブログを訪れたりはしないだろうが、素人の方は想像を巡らせてほしい。


ドイツ語の間違い

2007-02-09 12:34:33 | 学問

週に1回だがドイツ語の学習会に参加している。私は趣味でドイツ語をやっているので、専門家ではない。しかし、NHKのテレビとかラジオでそうどれくらい時間勉強しただろうか。いつも入門クラスの段階だが、少しづつは進歩をしている。だが、逆にいうと間違いをいつもする。前回の学習会のときの要約をつくってつぎの会のときにもって行き、それが学習会の後半の主な教材になっている。

昨夜の要約資料でどんな間違いをしたか恥ずかしながら述べてみよう。

「ドイツでは食堂車は廃止された」というのを In Deutscland hat der Speisewagen abgeschaffen. としていた。主語がder  Speisewagenのつもりだったことがわかる。そう考えて不思議に思わなかったのだ。よくわかっていないにもほどがある。これはもちろん In Deutscland hat man den Speisewagen abgeschaffen. と訂正された。

会話の聞き取りの中で「僕たちはもう子どもではない」というのがあったが、これは正しくWir sind doch keine kleinen Kinder. と記録されてあったのに一瞬どう間違ったかWir sind doch keine kleine Kinder. が正しいのではないかと言ってしまった。誰かにKinderは複数ですよといわれてはっと気がついた。単数と勘違いをしていたのだ。

複数の形容詞の語尾変化は「えんえんとenが続く」と言われるように、前に無冠詞であろうと不定冠詞類が来ようと定冠詞類が来ようとその語尾はenのはずである。ああ恥ずかしい。もっとも形容詞の格変化はドイツ語の中でも難しいことの一つなので、それが十分に身についていないといって専門家でなかったら恥ずかしがる必要はないのかもしれない。このような格変化は間違えても十分に通じることは確かである。

もう一つ。「軌道に乗せる」というのをドイツ語ではins Gleis bringenとかいうのが普通の使い方だろう。 他の言い方としてin einem Umlaufbahn bringenと記録していたが、Bahnは女性名詞だからin einer Umlaufbahn bringenではないかと言ってしまった。これも誰かからin eine Umlaufbahn bringenだろうと訂正がされた。きちんと調べてないからわからないが、多分動作の方向を示すのだから4格支配が正しいだろう。だのに場所を示すので3格支配と決め付けてしまっていた。何でこんなミスをするのだろうと思う。

ミスをするのはドイツ語ばかりではない。数学の計算で難しいところはあまり間違わないのに単純な数の計算をよく間違う。小学生でも間違えないようなことをである。これは私の頭のずさんさを示しているので、多分共通の原因で間違いをしているのだろう。心理学の先生はなんと言うだろうか。ミスの学習心理学というのは研究されているのだろうか。


american essayの構成

2007-02-07 12:25:18 | 受験・学校

昨日NHKのテレビ英語会話(コロンビア大学外国人向け英語コース)を見ていたら、American Essay の書き方ということで、講師の先生が説明をしていた。それを急いでノートをしたのでここに記しておく。

こういう風な指導を受けたことが私にはない。昔、30年くらい前にフライブルクのGoethe Institutでドイツ語研修を受けたときに手紙の書き方を教わった。中学か高校の国語の時間に手紙の書き方を習ったようには思うが、それは忘れてしまっていたのでその後の私の手紙の書き方は基本的にそのときの書き方である。

ところでエッセイの構成と書き方は以下の通りである。一応訳はつけたが、誤訳があるかもしれない。

エッセイは大きく分けてつぎの3つの部分から構成される。

1.  Introduction (序論)

2.  Body      (本文)

3.  Conclusion  (結論)

さらにそれぞれの部分はつぎのような構成要素からなる。

1.  Introduction

  (1)  Hook           (導入)

  (2)  General Statements (一般的記述)

  (3)  Thesis          (主題)

2.     Body

(1)         Topic Sentence     (主題となる文)

(2)         Support          (上の主張を支持する事実)

(3)         Concluding Sentence (締めくくりの文)

3.     Conclusion

(1)         Restatements         (言い換え)

(2)         Advice / Warning      (助言/ 警告)

(3)         Summary           (要約)

(4)         Something to think about (さらに考えるべきもの)

これらのエッセイを書くときにはつぎの5つの点SAFERに注意して書くといい。

S:  Statistics  (統計)

A:  Anecdotes  (挿話)

F :  Facts     (事実)

E:  Examples  (例)

R:  Reasons   (理由)

なるほどなかなか実践的な方針である。私は文章を書くときに行き当たりばったりに書く。

もちろん、後で何回も読み返すので順序を入れ替えたりはするが、あまり考えないで一気に書く。その辺がこういう方法とは違うようである。

もっとも若いときはKJ法にならって、思いついたことやキーワードを小さな紙片に書いて並べてその順序をいろいろ考えたりはした。そのうちにそんなことをしないで文を書くようになった。進化したのかそれとも退化したのか、それはわからない。


立体交差の完成

2007-02-06 12:07:20 | 日記・エッセイ・コラム

松山市の国道11号線の小坂交差点に昨年から建設されていた、立体交差が完成した。小坂交差点の信号を回避できるだけではなく、もう一つまたは二つ信号をパスできるのでいまのところ通行は快適である。

ちょっと車線変更がいるが、まあ仕方がないだろう。無料配布の新聞にカナダ人か誰かが書いていたのだが、この立体交差を英語ではoverpassというらしい。このoverpassは近くの現場で組み立て作業が行われていたが、それが深夜にトレーラーで移動させられて松山東環状線の小坂交差点をまたぐように一夜にして出来上がったのでそれを見に来た人が大勢いたらしい。

それから8箇月ぐらいが経ってつい先日落成式と通初めがあったらしい。その後で日曜日の夕方帰って来た妻が「新しい道を通ったよ」というので聞き返してみると、立体交差が完成したということであった。そういう訳で昨日からその立体交差を通って仕事場に来ている。このような立体交差は33号線にもすでにできているか、またはできつつある。

松山市内で一番初めにできた立体交差は56号線の和泉交差点にできた立体交差でこれは松山空港へ行くのに便利にしている。

しかし、全体としてみれば車の増加に道路の改良が追いつかないというのが愛媛県の道路行政の実態である。