「ブルターニュでは太陽はいつも雲の上にある」という言い回しがブルターニュにはあるとか。これは朝日新聞の今日の言葉に哲学者の鷲田清一さんが書かれていた。
それで、自分で仏訳を試みたのが、
In Bretagne il y a le soleille toujours sur la nuage.
である(これはもちろん辞書などは使って訳してはいない)。
こういうことを言ったら、朝食後に妻がスマホで検索してくれたのは
En Bretagne le soleille est au dessus des nuages.
であった。
nuage雲が女性名詞なのか男性名詞なのかも知らないのだが、女性名詞と勝手に決めてフランス語として書いたのが、私の仏訳である。
ドイツ語訳もスマホですぐに検索してくれた。それは
In der Bretagne steht die Sonne ”uber die Wolken.
であった。
ノルマンディとかブルターニュとかは海岸沿いの地方だが、いつも雨が多くて、曇りの日が多い。フランスでも独特の文化が残っている地方でもある。とか言いながら、実は私は一度もそこへ行ったことがない。
そば粉(sarrasin)でつくられた、クレープとか、シードルと呼ばれるリンゴ酒とか、カルバドスというやはりリンゴからつくられた蒸留酒が名産である。名所としてはモン・サンミッシェルもあった。
もう半世紀以上も前のことになるが、NHKのテレビのフランス語の講座のドラマがブルタニュ―のあるお城で起こる出来事であった。ホラー仕立てのドラマで、そのころのフランス語講座の"Le Francais par joie"のタイトルがpar joieではなくて、par horreurだねとかいう、当時の講師の丸山圭三郎先生のつぶやきがあった。
まだEテレがモノクロの時代である。
(付記)いま気がついたが、sur la nuageなら、雲に接触して 太陽がある感じかもしれない。それならsur la nuageとはとても言えまい。やはりau dessu des nuages としなくてはならない。そのあたりの語感が何十年もフランス語をテレビやラジオで学んでいても弱い。英語ならば、onを使うかoverを使うかということくらいはわかるはずだのに。
しかし、言われてみれば、そういう表現はわかったにしても、自分ですぐに発想できないという弱点はある。これでは到底フランス語がわかるなどとはいえないだろう。
昔のことだが、sur la tableとかいうのは口頭練習をしたことがある。sous la tableはテーブルの下に接触してではなくテーブルの下にであったが、sur la tableはテーブルの上に接触してある、だったと思う。
(2019.6.11付記) surは「接触して上に」という意味だと書いたが、この語は「絶対に上方に」という意味には使わないというわけでもないらしい。これは大修館の古い仏和辞典を見ての情報だから、もっと新しい辞書を見てみる必要がある。
(2019.6.17付記)
In der Bretagne steht die Sonne ”uber die Wolken.
という文に出ている、動詞stehtについてである。直訳するとこのstehtは「立っている」である。これは単になにかが「ある」という場合にも使う。Steht es etwas neues in der Zeitung ? (新聞になにか新しいことが載ってる ?)というようなときにも使う。
しかし、皿が食卓の上にあるというとき、liegen(横たわっている)ではなく、このstehen(立っている)が使われると聞いた、あるアメリカ人の学生はどうしてstehenなのだとドイツ人の先生に食い下がっていた。困ったドイツ人の先生は皿の下の台というか円形の足があり、その上に皿が立っていると、黒板に絵を描いていた。もう40数年前のフライブルクのゲーテ・インスティツートでのドイツ語のクラスの一コマである。