現在、数学では量と数とは同じものではないという認識は一般的である。
数と量とをごちゃにする人はいない。ところが古代ギリシャの幾何学では数は線分の長さと切り離されたものとはみなされなかったという。
数自身はすなわち線分の長さだと思われていたという。a+abなどという数式があれば、これはa*1であるとしか考えられなかったという。
a+abはすなわちa*1+abとしか考えられなかったという。この呪縛からはじめて逃れることのできた人がデカルトであるという。
そういう意味ではデカルトはさすがに偉い人だと思う。同時代人のフェルマーは古代ギリシャの見解から離れることができなかったというから、どれくらいデカルトが賢い人だったのかわかるような気がする。
これは『ピタゴラスからオイラーへ』(海鳴社)を読んで知ったことだが、その説明がどうもよくわからない。
そこには三角形の相似比のことが書かれてあるのだが、それがなぜ数と量とが分離できた理由なのかということがわからない。
それで数学史の本を取り出してきて、そのことの説明があるかどうかを探してみた。
これに関係がありそうな話は武隈良一『数学史』(培風館)にちょっと出ていて、古代ギリシャ時代には同次式以外には代数式は意味をなさないという風な記述がある。
デカルトはa^{3}でもb^{2}でも足し算ができるとしたらしい。もっともa^{3}はaの立方、b^{2}はbの平方といった言葉遣いはそのまま残したらしい。
それらはいずれも線分の長さとしたという。だから、線分の長さを止めたという『ピタゴラスからオイラーへ』の説明はちょっと十分ではないと思われる。
a^{3}でもb^{2}でも線分の長さだが、a^{3}が立方体を表すとか、b^{2}は正方形の面積を表すといった考えを止めたということらしい。
しかし、現在の数学教育ではa^{3}は一辺がaの立方体と考えたり、b^{2}を一辺がaの正方形と考えたりして、式をイメージするという方法も補助的には使われている。
そこらへんは適宜、融通無碍に用いて、文字代数の演算にイメージを持たせることは有効であると思う。
デカルトの大英断から一部ではあるが、あともどりしているところはないでもない。
これはしかしあくまで教育的な配慮からされていることである。