物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

花見の季節だが、

2016-03-31 17:15:59 | 日記
私には花見に行く計画がない。妻などはあちこちで花見をする計画があるが、それでも今年はその数を少し減らすようである。

実際のところは知らないが、いくつか2,3のグループで花見をするというのが、例年であった。だんだん年をとって来ているのでそれでも年の割には花見が多いほうであろうか。

とはいっても車に乗るし、元来アルコールが飲めない性質だから、アルコールを飲むのが楽しみという訳でもない。単に数人が集まってわいわいいうのが好きなのである。

ところが今年はある頼みをある人にしたのにすげなく断られたので、もうあの人を誘って花見にはいかないとお冠だった。

大抵なにくれとなく世話を焼くことが好きな妻でも自分が頼みごとをした時につれない返事が返ってきたら、頭にくるらしい。妻が人に頼みごとをするのはよほどのことであるのに。

今日は3月31日ということで2つ私のところに思いがけないメールが入った。もちろん知っている人からではあるが、それほど日頃そんなに連絡があるわけではない人からである。

まあ、学年度の最後の日だから、そういうのもありなのだろう。


    花を見捨てて 行く雁の都ぞ北の国やなるらん

この季節になるといつも思い出す短歌である。

今日で3月は終り

2016-03-31 11:52:39 | 日記
である。

私の子どものころ(1940年代後半)、「1月いぬる(帰るの方言か)、2月逃げる、3月去る」と言われ1月から3月は慌ただしく過ぎるという印象をもっていた。

これはいまでも変わらないが、今月は「数学・物理通信」を6巻を1号から3号まで発行したので、十分な仕事をしたという感覚をもっている。

もっともそのために自分のエッセイを書くという仕事はやはりスローダウンした。いま「四元数(補遺3)」を準備しているが、なかなか筆が進まない。

草稿を書き始めから方向転換したり、とまって考える等の進行が遅い。それでもなんとか進む向きを見つけたと思って書きはじめたが、また書き進めるのに困難を感じている。

酪農ヘルパー

2016-03-30 11:48:04 | 日記
という職業があるとはつい先刻まで知らなかった。仕事場にやってくる車の中でよくNHKのFM放送を聞いているが、ちょうどときどき耳にする、「ジー・アルフィ:終わらない夢」であった。

この中でお便りの中で「酪農ヘルパー」を職業としている人からのお便りの紹介があった。この職業は酪農をしている人がなんらかの事情でしばらく家を離れるとかで、飼っている動物(牛とか豚とかの家畜)の世話を酪農をやっている方々に代わって世話をするという職業である。

世の中にこういう職業があるとはじめて知ったが、これはこのことを紹介された、アルフィのメンバーにとってもはじめてであったらしい。

そういえば、確かにこういう職業は必要であろう。というのは酪農をしている人は相手が動物であるから、一日も家を空けることができないからである。お便りによれば、毎日午前3時くらいから仕事だと言われていた。

世の中には、厳しいが、世間の役に立っている仕事があるものだ。

文書の読み取り

2016-03-29 14:02:01 | 日記
コンピュータの文書の読み取りの機能が格段に向上していると聞いたことがある。

それだとある学者の著作集等をつくる手間が大いに省力化できるのではないかと思い出した。

どういう風に著作集等を編纂するのかどうか出版社の実態は知らないのだが、出版社がある方の書かれた論文やエッセイとか記事とかをコピーしてそれをスキャナーで読み込んで、それがワードのようなワープロの文書になるとすれば、はじめから入力する手間は大いに省けることになる。

もちろん、そうやって読み込んでもなかなかミスはなくならないだろうが、私が現在やっているような入力の手間は省けるか、完全には省けないとしても、大いに助かることであろう。

そのためのスキャナーの購入とか、読みとった文書をワードのような文書に取り込むためのソフトが必要であろう。そのようなソフトとして「読取り革命」というソフトがありそうである。

まだ詳しくは調べていないのだが、そういうソフトがあれば、グッと作業が省力化されることは間違いがない。それでもなかなか文書の読み取りが万全とはいかないことだろうが、出版社の作業も大いに省力化されること間違いなしであろう。

このことを以前に私に教えてくれたことがある、K さんに電話をかけてみようかしら。何かの情報を教えてくれるであろう。

(206.3.30付記)
ある出版社が吉本隆明の著作集を出版すると新聞で読んだ。このときにそのための経費が数億円になると書かれていた。これではそういう出版をできる出版社はすくないであろう。

これは吉本隆明さんではないが、高木仁三郎さんの著作集を出されたある出版社はそれを出したために倒産の危機に瀕したと書かれていた。幸いなことにカンパ等があって、その出版社は持ちこたえたが、危機にあったことはまちがいがない。

私もこの高木さんの著作集を購入して持っているが、ちょっと1冊の値段が高くて困った記憶がある。

こんな状況をなんとかできないかと思っているのだが、やはり難しいものであろうか。

70と60との違いは

2016-03-29 10:52:05 | 日記
なんだろうか。これは年齢の違いを考えてもいいのだが、直接には私のやっている雑談会の回数のことである。昨年の四月に60回の雑談会をしたのだが、今年は3月に70回目の雑談会をした。毎月雑談会をしているが、8月だけは私の都合で雑談会をお休みにしているから一月ずれたのであろうか。

「なんでも続ける」ということの大切さを教わったのはE大学工学部の数学の教授であった S 先生からであった。この S 先生は東北大学数学科のご出身であったが、微分方程式を解くことを生涯の課題とされていた方である。そんなことをいうと若い数学者の方はそんな人は数学の教師かもしれないが、数学者とはいえないという声が聞こえそうである。

そう、S 先生は少し旧式の数学者であった。先生の数学の書、『微分方程式概論』上、中、下(槇書店)は先生のライフワークである。確かに寝転んでこれを読めるくらいに数式の計算を丁寧に示しているが、必ずしも見通しがよくないところもある。

だが、解ける微分方程式ならば、大抵この書のどこかに解法の指針が得られるであろう。先生が亡くなったのはもう何年も前のことである。

この S 先生は教育熱心な方であって、授業時間が5分くらい超過するとか、夏休みに入っても課外授業が行う方として有名で、古い E 大学工学部の卒業生ならば、誰でも知っている名物教師でもあった。

ブラタモリ出演のT氏の話

2016-03-28 12:12:41 | 日記

昨秋の土曜日に松山でのブラタモリに出演された地学者の T 氏から話を雑談会で伺った。彼は地学者としては岩石関係の研究者ではなく、断層等の地質研究者である。

なかなか多彩な話し方であり、おもしろかった。これは T 氏が博識であることにもよるのであろうが、話があっちへ行き、こっちへ行きしてタモリ、所ジョージ、明石家さんま、さん等がタレントしてすぐれているということにまで話は及んだのでおもしろくないはずがない。

また、彼が定年退職後は野菜の趣味としての栽培にも精を出しているとのことであった。大学院のころにはじめはアルバイトをしないで勉学に励みなさいと先生方に言われていたのだが、結局はボーリングの会社にアルバイトに出かけたりして少々の額を稼いだりしたとのことである。そして韓国に出かけることがあったという。

彼はどこが地滑りが起こるかということは学問的には分かっていると断言された。だが世間にはこの学問では割り切れぬ思惑もあるので、地滑りの被害にあうのだという主張であるらしい。

学問ではわかっていても、世間ではなかなかそう割り切れぬということであろう。たとえば、地価の下落を好まぬ住民の意向とかそういうところもあろうか。世間というのは面倒くさいものである。

経済学者の N 氏と私とが主宰するこの雑談会も先週の会で70回を数えた。なかなかレポーターを探すのが難しいときもあったが、それでも毎年恒例の8月の休会を除いてほとんど毎月レポーターをお願いして話をしてもらい、その話を中心にして会を開いている。

もっとも最近では私の知り合いとか妻の知り合いを呼ぶことが多くて、N さんの提案でレポーターを決めることは少なくなっている。

 

(2023.3.8付記)最近、この昔のブログが見られたらしいので、すこしミスプリントを修正した。地学者の T さんはなかなかの芸達者な人であり、松山ではマスコミにも有名な方である。どこに地滑りが起こるかという話は最近見た映画「杜の人」の矢野さんがだいたいどこで地滑りが起こるかはわかるといわれていたので、その筋の学問を少しした人には常識なのかもしれない。この映画の矢野さんは東京都立大学の地理学科を卒業された方であった。環境保全専門医とかいうののが、彼の名称であった。地球上で風の通りと水の通りを阻害しないようにとのいうののが、この矢野さんの主張である。


啓蒙の世紀

2016-03-26 13:36:28 | 日記
とはフランス語でどういうかご存知ですか。le Siecle de Lumieresというのだそうです。直訳すれば、「光の世紀」でもなるのでしょうか。ごく最近このフランス語を知りました。

これは「フランスやヨーロッパの18世紀」のことをいうそうです。もっともいま辞書で調べたところ、lumieresと複数のときには光ではなくて「知識、知恵、啓蒙」という意味があるようです。

les Lumieresで啓蒙思想という意味に使うとあります。lumieresと複数であるばかりではなく、大文字ではじめるLumieresです。


金曜日にアクセスが

2016-03-26 12:54:35 | 日記
290を越えた。トップにアクセスの多かったのを見たら金曜日のブログ「堀米ゆず子さんのヴァイオリン演奏」であった。

さすがに音楽ファンの方が多いのだと分かった。私はあまり音楽のわかる方ではないので、音楽が趣味の方の広がりを感じる。

音楽を演奏する人も多いだろう。特にピアノを小さい時に教室に通って練習したという方も結構多いだろう。私などはあまり豊かではない家庭の育ちだし、音楽とはあまり縁がなかった。

私の関心を持っている、物理学者の武谷三男は音楽にも造詣の深い方であったので、武谷を理解する一助になろうかと思ったりして、音楽に関心を持つように心がけているのだが。

なかなかするべきことが多い私であるが、当面の仕事は「武谷三男の著作目録」(第5版)の作成であろう。また今考えているのは「四元数の2次の行列表示」である。これはパウリ行列と単位行列で四元数を2次の行列表示するということである。もっとも河野先生の導出法は直接にはパウリ行列とは関係がなさそうに思われる。

結果は四元数を2次の行列で表すことはよく知られたことだが、それをどうやって導いたかに私の関心がある。昨日分かったとか書いたのはその中の一つの方法である。他の普通に知られている方法は、2次のユニタリー行列からつくるものである。

これらの関係の導出法についてを詳しく調べたい。既知の結果だけを知って私は満足できない性分なので世の秀才の方々とは発想がちょっと違っている。河野俊丈先生の導出法は説明が具体的ではなかったのでなかなかわからなかったが、複素数の場合と同様に四元数も2次の行列で表されるということであった。

そのまとめは昨日の午後にメモしたので、エッセイに書きたいと思っている。昨日は河野先生の導出法を主としてレヴューすることは考えてなくて、ユニタリー行列の表示の方を主とするつもりであったが、今日になって考えを変えた。

わからなかったところが

2016-03-25 15:10:55 | 日記
わかった。先日からこのブログで書いていた河野俊丈先生の『組ひもの数理』(遊星社)の第8話の四元数を2行2列のマトリックスで表すところがわからなかったのだ。

ちょっと他の書籍がどう書いているかをしらべていたのだが、この本の書き方とはちがっていて参考にはならなかった。それはそれで興味深かったのだが。

それで仕方なく、元の本の説明に従って昨夜の12時過ぎてから計算してみたら、1時間くらいで計算ができた。やれやれ。

今朝は起きて少しすっきりとした気持ちだった。もっともこれらの話をまとめてみたいと思っている。

堀米ゆず子さんのヴァイオリン演奏

2016-03-25 14:52:28 | 日記
昨夜、市民コンサートで堀米ゆず子さんのヴァイオリン演奏を聞いた。終りの方はヴァイオリンの曲として有名なクライスラーの「愛の悲しみ」「愛のよろこび」とかだったのでこの曲を聞いたことのない人はあまりいないだろう。

その前にはバッハの無伴奏曲であり、これも音楽に疎い私でもどこかで聞いたことのある曲であり、この曲の演奏がよかったと思う。

ピアノの伴奏はDevos氏で彼はベルギー人だった。道後温泉とか松山城に行ったと堀米さんはコンサートの中で言われていた。

Devos氏と堀米さんはベルギーのブルッセルの王立音楽学院の同僚の教授である。女性の演奏者は経歴には生年月日が書いてなかったが、1958年くらいの生まれだと推定された。もしこの年の生まれだとすれば、私が大学に入った年である。

久しぶりに音楽を聞いたという気がした。

中国語とハングルとは

2016-03-24 16:09:42 | 日記
フランス語やドイツ語よりも大事な言語になっているのであろうか。一昨日に終わった、NHKのEテレの今年度の中国語の講座は午後11時からである。またハングルも同じように午後11時からである。

別に中国語を勉強するつもりもないけれども時間がちょうどいいのでフランス語を見る前のひとときをこの中国語の放送を時々見ている。とはいってもごく最近のことである。

私はすこしは中国語のローマ字を知っているけれども、よく知っているわけではない。これは学生のころに2年間ほどそのころはテレビをもっていなかったので、ラジオの中国語講座を聞いていたことがあるからである。

だから中国語の初心者ではないかもしれないが、やはり初心者であろう。何も知らない。でも中国からの観光客が多くやって来て買物をしてくれるということになるとお店に人々も販売促進だけではなく、お客様のご要望に応えたいと思うのが人情というものであろう。

それでドイツ語の放送は月曜の11時半からなのに対し、中国語もハングルも午後11時からはじまる。フランス語に至っては火曜日の深夜12時からである。これは別にどうこうとやかくいうことではないが、私が学生のときとかそれからの私の生きてきた、何十年かとは大いに異なってきたと感じる。

世間では中国の政治的な振る舞いを気に入らない人がいる一方で、中国人は今や爆買いに象徴されるように、いいお得意様なのである。政治や何かでぎくしゃくしていても、やはり経済に与えるいい影響からおのずと異なってくる。そういう意味ではNHKは大いに寄与していると思う。

je suis Bruxelles

2016-03-24 15:35:46 | 日記
とIx ben B・・・と書かれた横断幕の前で多くの人がテロで亡くなった人を悼んでいる写真を新聞で見た。これはいうまでもなく、昨日のベルギーの首都ブラッセルのテロで亡くなった人を悼む集会があったのを写したものである。

Je suis Bruxelles(私はブラッセル)はすぐにわかったが、Ix ben・・・の方はわからなかったが、写真の説明にフランス語とオランダ語でと書いてあったので、Ix benはドイツ語ならば、Ich bin Br"uselと書かれていあるのだとわかった。Ixは「私は」に当る言葉であろう。ドイツ語のbinがbenとなっている。

自爆テロ等で34名に人々がなくなったという。哀悼を申し上げたい。テロの根絶はなかなか難しい。しかし、貧困と差別をなくさないか限りテロはなくならない。

ところが貧困と差別をなくすことがとても難しい。別に私は差別主義者ではないが、だから差別が簡単になくなるとも思えないし、ましてや貧困はなおなくすのが難しい。

私もタダ塾と称する小学生や中学生の学習を補助する団体に関係しているけれども、私などは小学校の子どもを教えるのには他の先生の足手まどいになるのがおちの体たらくである。

それでも多くの退職された先生方の御尽力である程度の成果は生まれて来ているのかなと思っている。しかし、人がいないときに頼まれて講師に行くくらいで私はものの役には立たない。

このタダ塾は松山で貧困が子ども世代に少しでも受け継がれないようにとの思いでつくられたものである。だから、すぐに貧困をこの塾があることによってなくすことができる訳ではないが、教育格差の減少への努力の一つである。

考え方とか表現法のちがい

2016-03-23 12:34:08 | 日記
先日、テレビの英語会話の放送を見ていたら、前にも感じたことで忘れてしまっていたことを思い出した。

それはなんでも細かなことを後からでいいから、大事なことを英語では先に述べるということであった。なんでも「ジョブ基礎英語」の放送の一場面であるが、篠山さんの言った英語に対して模範の回答は「deviceを提案された」というのがあった。


ちょっと再現ができないのだが、She proposed a device with GPS function that・・・(GPS機能のついた装置(器具)を提案しました)とかいうのである。

いつも思っていることだが、じつにできないことがこれである。

たとえば、ドイツ語でたとえば

Es ist (w"are) sch"on, ins Ausland zu fahren. 外国に行くことは素晴らしい(のだが)

と言いたいときに、「すばらしい」とまず言ってそれからあとに具体的に「外国に行くのは」と言えるように自然になっているとすればその人はもうヨーロッパ語を話す苦労の半分以上をクリアしているであろう。こういう発想ができるようになれば、多分ヨーロッパの言語を話すことはもうそれほど難しくなくなるであろう。

ところがそういう風にはなかなか発想ができない。Ins Ausland zu fahren, ist sch"on. とか言ってしまう。これではやはり発想法の転換はなかなか難しい。

もちろん後の文がドイツ語の文法的に間違っているわけではないけれども。ドイツ語を母語とする人はそうは言わないでEs ist (w"are) sch"on, ins Ausland zu fahren. という。

これは昔の経験である。イタリア語をイタリア人から半年ほど教わったことがあるが、このイタリア人Alessi 氏はいつも言っていた。まず「あります」と。それから「何が、何が」という風に。

イタリア語で「あります」(英語ならthere is, there areだが)C'e (ci sono) ・・・というように。

これはやはり発想法がやはり違うことによるものだとおもうのだが、どうでしょうか。

こんなことに頭がいくようであれば、外国語学習もちょっとは進んだもいえるだろうか。もっともまだまだ十分でないのはその通りだが。

3月の大きな事業が

2016-03-23 11:47:34 | 日記
終わったので、自分の仕事に少し集中できるようになった。もっともそれが具体的にどんなことであり、意味があることなのかないのか、そんなことはまだ目鼻がついているわけではない。

ただ、その一つに昨日のブログで書いた河野俊丈先生の本に書いてある「四元数とパウリ行列との対応」がある。河野先生の書かれていることが理解できないので、いろいろ文献にあたっているうちにいろいろ思いつくことがあった。

それぞれの本ではそれなりにいろいろ書いてある。それから見えてくることがある。それと私が自分で調べて以前に書いたことと関係がある。

夜中の2時か1時半くらいまでコタツの机の上で計算していろいろ調べているのである。お蔭でここ数日は睡眠不足である。

文書のメモを作りかけたのだが、どうもその構想は当っていないようだと思い始めたが、それにしても私の調べたことなどだれもあまりだれか私以外の人が同じことを考えるなどと考えられないので、記録のために書き留めておきたい。

そんなことを取り留めもなく考えている。いずれ「数学・物理通信」の四元数(補遺)3としてまとめておきたいと考えている。

ショパンのマズルカ

2016-03-22 15:37:41 | 日記

先週の金曜日(2016.3.18)の夜にNHKのEテレの「音楽白熱教室」でショパン(Chopin)の音楽のマズルカの魅力の話とピアノ曲を聞いた。

私は楽器の中ではピアノの音があまり好きではないが、ショパンのピアノ曲を聞くのは好きである。

マズルカはほんらいポランドの民族音楽であろうか。だがそれからショパンがいろいろ変更を加えて多くのマズルカのピアノ曲をつくっている。

ショパンのマズルカについての話ではあるが、ほとんどピアノでマズルカのたくさんの曲のいくつかを弾いてその魅力を感じてもらうという趣旨かと思われた。

ショパンは

1)即興演奏を好んだ
2)曲の終りがないような新機軸の曲がある
3)どこへいくのかわからないような曲もある
4)曲が記憶を呼び起こさせるような、記憶的だ
5)ショパンはポランドからの亡命音楽家であったから、政治的な曲と言える
6)ピアノ曲は詩ともいえる

というようなことを女性の講師は言っておられた。

上のいくつかの観点はシステマティックなメモではなく、放送が終わってから私の書いたメモであるから、他のことでも印象的な観点があったかもしれない。