物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

今年も今日と明日だけ

2016-12-30 13:03:03 | 日記

になった。午前中は宅急便のお届けものをまっており、その後で病院に行った。いつもの眼科である。

目薬を使っているのだが、それが来年早々の上京時になくなると困るので、先制的に病院に行ったのである。

明日はちょっと白菜とかいくつかの正月用の買物をするので仕事場に来るのはお休みにしたい。これはさすがに1月1日はお店が休みになるので、数日の分の食料を買い込んでおく必要があるからである。

特に変わったことをしないつもりだが、雑煮くらいはつくって食べないと正月の感じが出ない。すでにモチは買いこんでいるので、後は白菜だとかカマボコだとか一緒ににるものを買うつもりである。

今日買いこんでおく方がいいのだが、食品は賞味期限の問題があるので、明日の方がいいだろうと思っている。ただ、明日は多くの家族が買い物にくるだろうから、今日買い込んでおく方がいいのかもしれない。


武谷の思想の研究

2016-12-29 11:18:21 | 日記

八巻俊憲さんと金山浩司さん、それに岡本拓司さんの武谷三男論を最近読んだことになる。それぞれ独特の見解をもっておられるのだが、八巻さんと金山さんとはちょっと似ているかもしれいない。

岡本さんがどうだったかは初読のときの印象が残っていないので、再度読む必要がある。私にもそれなりの感覚とか思想とかがあると思うのだが、自分ではなかなかわからない。

武谷の思想は意外と単純だというのが八巻氏とか金山さんのお考えようである。そうかもしれない。

それに忘れてならない人に西谷正さんがいる。西谷さんはなんといっても坂田昌一先生の伝記を書いた人である。そういう人が武谷を次の研究対象として狙いを定めているのである。

そういう意味ではこれから10年くらいの間に武谷三男の研究は大いに盛んになるだろう。楽しみである。


昭和後期の科学思想史

2016-12-29 10:52:18 | 日記

『昭和後期の科学思想史』の武谷の項と広重の項を読んでいる。一回読んだので、再度、金山浩司さんの武谷三男論から読み返している。

1回目には何も意見がなかったが、2回目を昨夜読み終えてちょっと意見が出て来た。その意見はいずれ徳島科学史会の総会で発表したいと思う。

やはり人が違うと意見も異なるということだろうか。読んでいて基本的にはあまり違和感を感じなかったのだが、最後の金山さんの述べていることにすこしひっかかった。基本的に金山さんは武谷に批判的な姿勢をもっておられるらしい。そこらが私とは全く感じが違う。

でもなかなかこれらの論文を読むことは難しい。一晩に10頁も読むと疲れ果ててしまう。


技術論論争

2016-12-28 11:51:34 | 日記

といえば、技術の定義を「客観的法則性の意識的適用」と考えるか「労働手段の体系」ととるかである。その論争の詳しいいきさつを例えば、中村静治の『新・技術論論争』(創風社)を読んでもぴんと来ない。

その分野の専門家の一人である、八巻俊憲さんに先日このことを尋ねたが、彼の意見は技術を「労働手段の体系」ととらえる人たちは経済学史の人などが多くて、技術のことが分かっていないのではないかというご意見だった。彼は大学で物理を学んだ方である(注)。

そういう風に言われたと解釈したのだが、もっと発言が微妙だったのかは私には判断できなかった。そんなに微妙な発言とは思えなくてかなり決然とした物言いだったように思う。

昨夜もそれに関した金山浩司さんの論文の一部を読んだのであるが、やはりよくわからない。大体日本語のはずだが、わからないのである。

科学には階級性がないという立場を私もとるので階級性があるという考えが理解できないのである。もちろん科学者本人には階級性があるだろうけれども。

これは科学が有用ということで体制側に取り込まれるという話にしても実際に有用なのは科学を応用した技術であろうが、科学が技術の可能性を開くので、科学と技術とがごっちゃに考えられるようになっているという気もする。

武谷批判の重要な書籍の一つである中村静治『新・技術論論争史』(創風社)を徳島科学史研究会の報告に来年取り上げるかどうかはある程度これらの技術論の論争の私なりの判断がつかないと取り上げられない。

(注)八巻さんは技術の「意識的適用説」の端緒のアイディアを出したと言われている内山弘正の研究家であり、その論文をいま用意している。そのうちに論文として発表されるであろう。

 


遠山啓博士の著作目録

2016-12-27 12:33:46 | 日記

をほぼつくり上げたつもりになっていたが、どうも完成にはまだまだだとわかった。

私がリストアップした著作の数は244であるが、もちろんそれよりも実際には多い。私の目録においても244よりも実際は多いのである。これは目録の整理の仕方によっている。ところがそれ以外に最近国会図書館の目録にないものがかなりあることがわかった。

いつころからかはっきりとは知らないが、1947,8年ころから以降は出版社の出版した本は国会図書館に納入することが法律か何かで義務付けられているはずだ。ところがどうしたものか、それに違反したのかどうかわからないが、国会図書館にもないものが他の公共図書館に存在しているらしいことがわかった。

これは私の知っているものでは学校の教科書である。ほかにもあるだろう。個人が発行した本の中には国会図書館に納めるということをしてないものがかなりあるので、日本で実際に出版されていても国会図書館に納められない本は意外と多い。

だが、学校の教科書だときちんとした出版社が発行したものであるだけにそれが国会図書館の目録から外れるということはちょっと信じがたいことであるが、実際にはそういうことが起こっている。


研究が行き詰るとき

2016-12-26 13:30:21 | 日記

こういう経験を持たない人は才能が豊かな人であろう。

同級生のH君と私が大学院生のときに与えられた研究テーマに行き詰って研究室の誰からも相手にされず困ったことがある。それも難しいことなら仕方がないのだが、それほど難しいことでもないテーマだったから始末におえない。

その打開のしかたがわからなかった。それでも1年数か月の後になんとかその打開策が見つかってなんとか論文にすることができた。足かけ3年にもわたっていた。

大体、修士課程の卒論に与えられたテーマだったが、それには間に合わず博士課程の2年生の終わりくらいまでかかったのだから、なさけない。これははじめの計算のフォマリズムに傷があったのだが、それになかなか気がつかなった。

それでもほとんど同時にH君と私がミスに気がついてそれを直して決着した。きちんと注意深く最初のフォマリズムを考えていなかったことが多くの時間のロスになったが、そういうことはしばしばある。

それでも私たちは最終的には成果が上がって論文にまとめることができたので、まだよかった。この経験はしかしやはり大事なことであった。

それからはなんでもできるだけすくなくとも二つの方法で計算をして一致するということを自分自身に課するようにした。それが私が比較するという方法を自分の方法論として身につけた理由である。

 

 

 

 

 

 

 


研究はしないのですか

2016-12-26 12:53:08 | 日記

とは私が言われたのではない。

私はもう年だから研究しないからといって、あまりとがめだてされることもない。それもしかし、さみしい話ではあるが、大体歳をとれば、そんなことは誰からも言われなくなる。

それでも歳など全然気にしなくて研究に励んでいる人がおられるから頭が下がる。

しかし、そういうことを言うために表題をつけたわけではない。最近人づてにある人が自分よりも若い人からそう言われてちょっと落ち込んだという話を聞いた。

研究者は研究しないと心に決めている人など本来いないと思っている。しかし、いくつかの理由で主観として意図的に研究しないのかと思われるように研究ができないことがある。

その第一は多分いいアディアが思い浮かばないということが原因であろう。これには私もそういう経験がある。いいテーマを研究に選ぶと一つの課題をクリアすると、また新たな課題が見えて来てつぎにその課題をクリアしたいと努力してそれをクリアするとまた・・・。

だが、あまりいいテーマを選ばないとそのテーマが終わるとつぎにテーマを懸命に探さないといけないということも起こりうる。そういうときにつぎの課題をすぐにみつけられればいいのだが、そうではないこともある。

それにアイディアは思い浮かんでも研究以外のことで多忙で研究できないということもしばしば人生には起こりうる。これはある人には大学での行政的な職務であったり、家庭の事情であったりする。

それも自分で実験したり、計算をしたりしている研究者ならば、そういう研究以外の仕事で研究できないことは起こりうる。

大学院生をもっていて、学生にテーマを与えてそれがまとまると共同研究として論文を書くことができるような地位におられる人ならば自分は忙しくても大学院生が実際の計算なり、実験をしてくれてそのまとめの段階で論文の草稿を書き直したりすることによって研究ができる場合もある。

自然科学系や工学系の研究者で大学院生をもっている場合にはそういうこともありうる。研究はルーチンの仕事ではないので、研究の進行で困ったことが出たときには大学院生にその回避のアドバイスをしたりすることはやはり研究の一環であろう。

研究で大事なことはそういう人と自分の研究テーマについて議論ができる環境にその人がいるかどうかだという気がしている。

一人で研究するタイプの研究者ならば、自分が多忙だと研究は少しも進まない。これはその人、その人によるので、一概にどうだということができない。

しかし、いちばん難しいのはアディアが浮かばないというときだろう。アディアはどうしたら思い浮かぶか。それは経験も必要だろうし、一途に何か考え続けることが必要だということもある。

研究の方法論などというものもあるのかもしれないが、たいていは人知れず思い詰めてじっと考えることだという平凡なことしかしていない。また私には「比較する」という静的な方法ぐらいしか、したことがないようだ。

武谷三段階論などを研究するとか言いながら、自分自身はそんなにも低レベルである。


年賀状を書き終えた

2016-12-24 17:20:47 | 日記

昨夜から書き始めた年賀状をようやく書き終えた。今年は年賀状の後半部を仕事場の机で書いたので大分楽だった。

例年はこたつの上で座椅子に座って書くので、姿勢が前かがみになり、肩が凝っていた。もちろん今年もそうだが、机で書いた方が楽なのではないかという予想はあたった。

前もって身内が亡くなって年賀以上の辞退の方が多かったので、少し少なかったのかもしれない。それでも妻が何人かのハガキを始末してしまったのでもしかしたら、辞退しておれる方に年賀状を書いたかもしれないが、こちらから出す分にはかまわないということなのでそれでもいいだろう。

我が家ではだいたい150枚の年賀はがきを購入するが、今年はいまのところ少しあまった。もっとも予期しない方カラの年賀状も来たりするので、その分くらいはとっておかなくてはならない。

しかし、こんなにすっきりと年賀状が書ける年は珍しい。


四元数についてどう書いてあるか

2016-12-24 12:29:26 | 日記

ハミルトンが四元数を発見したことは知られている。

その四元数について歴史としてどう書いてあるか。これが今の私の関心事の一つである。最近読み返したのはベルの『数学をつくった人びと』(東京図書)のハミルトンの項である。さすがにベルは要領よく四元数について書いている。

四元数の発見の本質に迫ったものではなかったが、それでもそれなりに上手に数学の「体」の概念を説明しながら、四元数の話へと導いている。もちろん、四元数がハミルトンの最大の発見などとベルも評価はしていない。

もう一つ最近気になって読み返したのは森毅さんの『異説数学者列伝』(蒼樹書房、現在ではちくま学芸文庫?)のハミルトンの項である。森さんは四元数が現在の数学の多くの分野の芽になったことは述べているが、四元数の発見のプロセスに迫ることを巧妙に回避している。

これを昔読んだことがあったと思うが、ハミルトンは妻がひ弱で彼女の看病に手を取られ、彼の才能の幾分かを浪費したのではないかというふうに述べられている。

しかし、そのことよりももっと大きな悲劇はハミルトンが四元数の発見を自分の人生における最大の発見だと思い込んだことだとある。そうかもしれない。


複素解析の本の判定基準

2016-12-24 12:09:56 | 日記

私はあまり複素解析(昔の言い方だと関数論)に暗いので、複素解析の新しい本が出たときにすぐに二つのことをどう書いてあるのかをチェックすることにしている。

一つは分岐点の定義をどう書いてあるか。もう一つは解析接続の方法についてどう書いてあるかである。

どちらも私の知りたいことを書いてある本は少ない。これは日本語で書かれた本だけではなく、英語で書かれた複素解析の本についても同様である。

私が複素解析に暗いのにそういうことに判定基準を設けているのはその二つの点がどうもしっくりこないからである。

もっとも分岐点の定義の方は故安倍斉先生の書かれた『応用関数論』(森北出版)で解決した。そして安倍先生の本と同じような分岐点の定義はすでにベルの『数学をつくった人びと』(東京図書)のリーマンの項に書かれてある。

ところが解析接続の方法のいろいろについてはあまりそれらを説明したものに出くわさない。今村勤『物理と関数論』(岩波書店)に解析接続の方法として3つをあげられているが、その例を少ししか示されていない。

もう一つ松田哲『複素関数』(岩波書店)に例が出ている。この書が比較的に解析接続の例の多い書である。

他にも複素解析の本を詳しく読めば十分書いてあるのかもしれないが、あまりそちらの分野の書を読まないので私が知らないだけであろうか。それにしても欲求不満である。

(2023.7.7付記) 複素解析の本の良し悪しの私の判定基準が「解析接続」と「分岐点の定義」にあるのは今でも変わらないが、解析接続の説明が例として挙げてある書として

  金子晃『関数論講義』(サイエンス社、2021)

を挙げておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 


ブログは消耗品である

2016-12-24 11:53:46 | 日記

新聞が消耗品であるようにブログも消耗品である。だから日々新たな気持ちで書くことが大切で、昔書いたことが大事なわけではない。

とはいうものの日々の自分の考えたことを書いているので、ときどきはそれを見直すのがいいと思っている。思想と言えるほどのものが私のブログにあるのかどうかはわからないが、どういう本を読んであんなことを思ったとかそういう風なことは書いていないことが多いけれどもやはり何かを考える動機に読書がなっていることは確かである。

最近ではコタツで夜に読んでいるのは図書館で借りて来た「昭和後期の科学技術思想史」である。これに岡本拓司さんが書いている広重徹論は大部なものである。多分日本で書かれた最大の広重徹論であろう。

私の不満に思うのは現代科学の発展の歴史をふり返って広重の言ったことが当たっていたのかどうかという視点が欲しいような気がしている。広重徹が亡くなったのは1975年であり、彼が思っていたことがどれほど正しかったかは広重徹論を書く一つの視点ではなかろうか。

(2016.12.26付記)  広重は70年代に素粒子で多くの共鳴粒子が見つかったりでして、数百個になったことにいらだっていたと、この岡本拓司さんの広重論にある。そこが私などは不思議に思うところだが、多数の素粒子が見つかったときにすでにそれらを複合粒子として考えるという考えが出ていたのだから、いわゆる本質的な力学としてはまだきっかけもつかまれていないとしても素粒子の研究としてつぎの段階への手がかりは出ていたことになる。

それはFermi-Yangの論文に始まり、坂田モデルとつながり、IOO対称性とか1960年代の初頭にはそういうことが出ていた。それがGell-MannとN'eemanの八道説につながり、その後のクォークモデルとなる。

そして電弱理論とかQCDにつながっている。Weinberg-Salam理論は1968年には出ているが、くりこみ可能性を't Hooftが証明したのが1971年というから広重の亡くなる前にはすでに新しい理論の芽はあったのだ。

そこらの評価が広重にはできていなかったと思われる。最後の段階への評価はできなかったにしても複合モデルを評価できなかったのは広重としては大きなミスではなかろうか。そういうことは岡本拓司さんの広重論にはもちろん出てこないのだが。


「わかる」ということ

2016-12-23 14:02:17 | 日記

について物理学者の須藤靖さんが雑誌『窮理』5号で書いている。

引用しよう。

我々は何を基準に「物理がよく分かっている」と判断するのだろう。

面倒な式を解けば答えは得られるもののなぜそうなるのかわからない場合でも、式を使わず直観的に教えてくれる。一見複雑そうな現象のなかの本質的過程を抜き出し、ごく基礎な物理の知識だけからその振る舞いを定性的に説明してくれる。常識的には信じられない現象を理論的思考だけで予言してしまう。

一括りにするのは難しいものの、これらの例のように、単に難しい数学的解を求めるのが上手いとか、数値計算が速い、などの特質ではないことだけは確かである。したがって「コンピュータは計算が得意であろうと物理はわかっていない」という結論になる。(引用おわり)

文章はまだ続くがこの後も興味深い考察が述べられている。このブログでもAI(人工知能)との関係でわかるということを数回議論してきた。その結論はAIが出した結論を人間が理解しないと結局わかったことにはならないだろうというのが私の今の考えである。

そのときにやはり武谷三段階論の実体論的段階のような段階が必要なのではないかというのが私の予想である。

電磁気学のマクスウエル方程式でもそれを立てるためにはもとになる場という考えがあり、それはファラデーが実験的な考察から得たものであったというのが、通説の理解である。

広重徹氏のいうような場の概念の本質がわかったのはアインシュタインまでかかったということは事実としてもそれは科学の電磁場に関する認識の段階がさらに進んだことによるのではないかという気が今している。

それを広重のいうようにマクスウエル方程式という本質論が先に来て、電磁場の実体は後で分かったのだから、武谷三段階論はおかしいのではというのはやはりちょっとおかしいのではないか。

第一、マクスウエルが自分でなぜ電磁場についての方程式をまとめようとしたのかという一番の動機がなにもないところから出てくるはずがない。

もちろん、マクスウエルの使った方程式を導くためのモデルは物理的にみたら、問題が一杯のものであったにしてもそういう気持ちをマクスウエルに与えたきっかけはファラデーの場の考えであったのではないか。

そうなると、マクスウエルの論文だけではなく、ファラデーの実験的な論文をよく読むこまなくてはならないという研究方針が出てくる。広重氏がそれを読まなかったなどというつもりはない。勤勉な科学史家であるから、彼はそれらもきっとよく読み込んだであろうが、すこし私は意見を異にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


四元数の本

2016-12-22 14:45:58 | 日記

『四元数』(森北出版)という本が出た。140頁なのに2800円と私の本よりも800円も高い。

それはそうとハンドブック風の記載方法である。ちょっとハンドブック風というと言いすぎしれないが、頭のいい人が書くとこういう本になるのであろうか。

演習問題がついていて、その解答もあるので、日本人にはこういう本がお似合いなのかもしれない。悪口を書いたようだが、逆にそこがいいところであろうか。応用編が特徴があるようである。

すくなくとも私は自分の本にハンドブック的な使用がされるということを考えたことがまったくなかった。やはり学問は少しづつだが、進むということだろうか。


武谷三男の愛読書

2016-12-21 12:38:23 | 日記

であった、H. ワイル(山内恭彦訳)『群論と量子力学』(裳華房)の実物をはじめて先日東京で見た。これは武谷家から三男の文書や書籍を引き受けて持って帰ったMさんの事務所でMさんから見せられたのである。

武谷が亡くなる少し前の施設の彼の居室の彼のベッドのまさに枕頭にあったと化学工学者の西村肇さんが雑誌「現代化学」に書いていることである。だが、それは私とは縁もゆかりもないことであって、その書籍の実物を直に見る機会が来るなどとは思ってもいなかった。それには細かな書き込みがあったとはまさに西村さんの文章にある通りであった。

科学史の研究者を含む数人のグループがいま武谷の遺した多量の文書や書籍を整理しようとしている。段ボールの箱にして30個ぐらいはあるから、かなり多量の文書である。

それらの文書を整理して、スキャナーでスキャンしてインターネットで見ることができるようにして、関心のある人には誰にでも使えるようにしたいというのがこのグループの現在の目的である。もっともそのためには約30個にも及ぶ箱のなかにある、文書とか書籍にどんなものがあるのか目録をつくるという作業が必要である。

来年1月7,8,9日に東京のどこかに集まってその目録をつくる作業をするという。私は地方に住んでいるので、それには参加できないだろうと思っていたが、3日全部ではないが、8,9日は参加できそうになってきた。

先日知り合ったばかりの科学史家のYさんにこの『群論と量子力学』の書き込みを一緒に解読できたら楽しいでしょうねと先日メールで書き送ったが、これについては彼はあまり乗り気ではないようだった。

(注)はじめて読む量子力学の書としてこの『群論と量子力学』はあまり適切の書ではない。いまどきこの書を読む人はほとんどいないと思われる。

私にしてもそういう書籍があるということはもちろん知っていたが、その一部でも読むことを考えたことはなかった。実際に最近になって古本でこの書を購入して持っているけれども。

武谷のこの蔵書はもう製本がとけていまにもばらばらになりそうであるが、この書をいちいち読んで武谷の思索の跡をたどることができるような機会が実際に持てるのかどうかは私にも定かではないが、そういう機会があればいいだろうなとは思っている。


一人での生活

2016-12-20 11:58:56 | 日記

がかなり長く続いている。私も10日ほど東京に出かけた。もっとも私は自分の仕事も上京中にかなりこなした。

何人かの人と知り合ったり、旧知の知人と会ったりした。結構忙しかったわけだが、私の日頃しているルーチンの事柄ができなかった。

たとえば、NHKのラジオでドイツ語やフランス語の入門コースの放送を何十年も聞いているのだが、それはこの2週間ほど聞かなかった。

それと正午と午後3時のラジオ体操をすることができなかった。老人なのですぐに体が硬くなる。特に左腕が肩と一緒に動きにくくなる。常にラジオ体操をしていることによってかろうじて平常さを保てていることがわかった。

風呂を沸かして入ることも帰って来て数日はおっくうであったが、さすがに日曜に風呂をを沸かして入った。

第一、食事も面倒であった。何とか腹を膨らませて空腹ではなかったが、料理をするのが億劫である。それがようやくすこしづつ平常にもどりつつある。今日は昼食のお弁当を入れてもってきた。

ごみも朝捨てにゴミ集荷所まで今朝もっていった。それはいつもは妻がしていることだが、一人だから自分でしなくてはならない。妻にいつも面倒をかけていることがいまさらながらわかった。 感謝、感謝である。